華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Wild Horses もしくは挽歌 (1970. Gram Parsons & The Flying Burrito Brothers)


Wild Horses

Wild Horses

英語原詞はこちら


Childhood living is easy to do
The things you wanted I bought them for you
Graceless lady you know who I am
You know I can't let you slide through my hands

子どもでいるあいだは
生きることだって
難しいことじゃないんだろうな。
おまえがほしがったもの
おれは何でも買ってやったっけ。
下品で恥知らずなレディ
おれがどんな人間かは
よくわかってるはずだと思う。
おまえがおれの手の中から
すり抜けて行ってしまうような
そんなことがあったらと思うと
おれには耐えられない。


Wild horses couldn't drag me away
Wild, wild horses, couldn't drag me away

おまえからおれを引きはがすことは
誰にもできないだろう。
野生の暴れ馬が束になったって
できやしないだろう。


I watched you suffer a dull aching pain
Now you decided to show me the same
No sweeping exits or offstage lines
Could make me feel bitter or treat you unkind

ズキズキうずく鈍い痛みに
おまえが苦しんでいるのを
おれは見ていた。
また同じものをおれに見せるって
おまえは自分で決めたんだな。
どんなにきらびやかな
ステージからの退場を決めても
そして何回舞台裏に戻ってきても
おれがおまえをいまいましいと思ったり
冷たくあしらったりすることは
ありえないんだからな。


Wild horses couldn't drag me away
Wild, wild horses, couldn't drag me away

おまえからおれを引きはがすことは
誰にもできないだろう。
野生の暴れ馬が束になったって
できやしないだろう。


I know I dreamed you a sin and a lie
I have my freedom but I don't have much time
Faith has been broken, tears must be cried
Let's do some living after we die

わかってる。
おまえは罪と噓とで
できてるんじゃないかって
そんな夢を見たことが
おれにはあった。
自由は、ちゃんと持ってる。
でも、時間は全然ない。
フェイス(信念/信仰もしくは信用)
こわれてしまった。
涙、出るよな。
泣くしかないよな。
何か楽しくて
生き生きしたことをしような。
おれたちが死んだ後にはな。


Wild horses couldn't drag me away
Wild, wild horses, we'll ride them some day
Wild horses couldn't drag me away
Wild, wild horses, we'll ride them some day

おまえからおれを引きはがすことは
誰にもできないだろう。
野生の暴れ馬が束になったって
できやしないだろう。
誰にも飼い慣らされていない
その暴れ馬の背中に
おれたちはいつの日か
乗って行くんだ。



前回あれだけストーンズの悪口を書いてしまった以上、もはやかれらの楽曲を「好きな曲」として紹介することは、私にはできない。他にどんな「いい曲」を歌っていようと、しょせんは「ブラウン·シュガー」を平気で歌える人間たちなのであり、そんな連中の手を通せば、本来ピュアなものだって、全てが邪悪なものに変わってしまうのだ。

私たちローリングストーンズは1971年以来「ブラウン·シュガー」という曲を演奏し続けてきましたが、今後は二度と歌いません。

ということがかれら自身から表明されることのない限り、私は二度とストーンズの歌を聞こうとは思わないし、ブログで取りあげたいとも思わない。取りあげることがあるとすれば「批判のある楽曲」として取りあげるか、さもなくばコメントを一切つけない「裸の翻訳記事」として取りあげるだけにとどめたい。「ストーンズのために」そうしてあげようと言っているのである私は。さっさと反省して、上の一文をウェブサイトの一番目立つところにでも貼り出しておいてもらいたいものだと思う。便利な時代になったのだから、やろうとさえ思えば20秒もあれば世界中に「誠意」を示すことができるはずなのだ。「歌うことをやめる理由」については自分の胸に聞いてほしい。期待しないで待ってるぜ。

だから今回とりあげる「ワイルド·ホース」も、ストーンズの曲としてではなく、あくまでフライング·ブリトー·ブラザーズの曲として紹介させてもらう形を、私としては、とりたいと思う。実際、ブリトーズの「ワイルド·ホース」は、ストーンズのバージョンより一年も早く発表されているのである。そのことの方が知られるべきだということは、前々から私は思っていた。

とはいえ、曲を作ったのはあくまでもジャガー&リチャーズである。キース·リチャーズとグラム·パーソンズは親友だったから、当時はいつもスタジオで一緒に演奏していて、お互いがインスピレーションを与え合う中でこの曲が生まれた、という側面はあるらしい。しかしグラムが自分の声でこの歌を発表するその前の年には既にストーンズのバージョンは録音されており、発売が遅れたのは単に法律上のややこしい問題があったからにすぎなかったのだという。このことは今回改めて調べてみるまで、私が知らずにいたことだった。

そしていろいろ調べてゆく過程で、それまで思い描いていたのとはまるっきり違った歌の風景が、この曲ぐらいハッキリ浮かびあがってきた経験というのは、他になかった。それまで知らなかった歌の意味が分かった時、こういうブログをやってきてよかったと、私はしみじみ思った。だからこの曲については、本当はもうちょっと「あっためてから」記事を書くことにしたいという気持ちを持っていたのである。そして記事を書く時にはもちろん、ストーンズの曲としてこの曲を取りあげようと、私は思っていた。

だが、許さないと決めた以上は絶対に許すわけには行かないのだし、戦うと決めた以上はキッパリ戦う以外にない。「ブラウン·シュガー」みたいな邪悪な歌が世に送り出されるのを「大らかに」肯定してきたのが「ロックの歴史」であるというのなら、そんな歴史は終わりにされなければならない。ストーンズと「縁を切る」ことを決断したなら、私自身が生きることのできる「音楽の世界」が当面ものすごく「せばまって」しまうのは、やむを得ないだろう。だが、もっと広くて限りない「本当の世界」を自分自身が手に入れるために、それは避けて通れない道なのだ。今までいろんな歌を327曲も翻訳してきて、ようやく私はそう思えるようになった。そしてそのことを思うなら、自分が今までやってきたことは決してムダではなかったのだと思う。

今回の記事は、ストーンズに、と言うより、いつも心のどこかでストーンズと共に歩み続けてきた自分自身の青春に対する、私にとっての挽歌である。そして「ワイルド·ホース」は、それにふさわしい曲には、なっていると思う。


=翻訳をめぐって=

以前にザ·バンドの別の歌の試訳を作った時に初めて知って、その記事にも書いたことなのだが、"wild horses couldn't〜"というのは、「〜することは誰にもできない」という意味の慣用句なのだそうである。"wild horses couldn't drag me away"は「誰にも僕を引っぱって行くことはできない」とだけ訳せばいいのだそうで、別に「野生の馬」を登場させねばならない必然性は、ないらしい。「鬼のように忙しい」みたいな日本語表現に「鬼」を出す必然性が必ずしも存在しないのと、ある意味で同じことなのだと思う。「野生の馬」という文字列を使ったこの歌の翻訳例のあまりのセンスのなさに、私はずっと違和感を感じ続けてきたので、この情報は、すごく新鮮だった。ただし歌の一番最後になって、この「wild horses」は「慣用句の世界」を離れ、動き出す。だから完全に翻訳を省略するわけには、行かない言葉になっている。

ちなみに厳密な意味での「野生馬」というのは、地球上にはもういないらしい。北アメリカには現在2万5千頭の「野生の馬」が生息しており、「ムスタング」と呼ばれているが、ルーツをたどればスペイン人が家畜として持ち込んだ馬が野生化したもので、「野生馬」と言うよりは「野良馬」と言った方が「正確」なのだという。誰にも縛られずに生きているお馬さん達に対してものすごく失礼な言い方だとは思うのだけど。



それで何が言いたかったのかと言うと、つまり英語圏の人でも「野生の馬」なんて実際には誰も見たことがないということなのだ。さらに以前にも触れたけど、「wild」という言葉には他にもいろいろな意味がある。「野生」というイメージはこの歌において確かに重要だと思うが、「wild horses」という言葉はそれにとらわれず、「暴れ馬」とか「人になつかない馬」とか、いろんなイメージを聞き手に喚起するフレーズになっているのだと思う。あと、大事なのは複数形だということで、この「馬」は「群れ」である。以上がこの歌の「タイトルの風景」で、以下、内容に入る。

Childhood living is easy to do
The things you wanted I bought them for you
Graceless lady you know who I am
You know I can't let you slide through my hands

この歌はもともとキースが、生まれたばかりの息子のマーロン君のために書き始めた曲だったのだけど、それをミックが途中から「横取り」して、「恋人に向けた歌」に書き換えてしまったのだという。一番のこの歌詞が何となく「チグハグな印象」になっているのはそのためで、最初の2行はキースが「息子に語りかけている言葉」そのものなのだ。しかし訳詞に統一性を持たせるためには、全体を「恋人に向けた歌」として翻訳する必要がある。だから、うまく行ったかどうかは心もとないけれど、試訳ではそのあたりに多少の工夫が必要だった。



冒頭の一行、他のサイトではほとんど「幼い頃、生きることはたやすかった」という訳し方になっているのだが、ここで使われている動詞はwasではなくisであり、過去形ではない。「主人公の経験」ではなく「一般論」が語られているのである。キースが自分の子どもに向かって言う分には「フツーの台詞」なのだが、恋人に向かって言われる言葉として解釈するならむしろ「そんな世界は幻にすぎない」的なニュアンスが前面に出てくるのではないかと思う。彼氏も彼女もそうした「幸せな世界」には、もはや住んでいないのだ。

Wild horses couldn't drag me away
Wild, wild horses, couldn't drag me away

「wild horses」のイメージは上で詳述したので、後は「couldn't drag me away」の意味である。「drag away」は「引き抜く」「引き離す」「引っ張って連れ去る」ということ。自分をそうすることは「暴れ馬の力をもってしても」不可能だとミックは言っている。つまりミックは「自分は恋人から離れない」ということだけをここでは言っているわけで、その単純なことがずっと私には分からなかった。唐突に出てくる「野生の馬」のイメージが、あまりにも強すぎたからである。

さらに「couldn't」について。couldはcanの過去形なのだから、ここは過去のことを言っているのだと私は思っていたのだけど、そうではなく、ミックは「誰にも自分を連れて行けない」という「今の気持ち」を言っているのである。文法的な詳しいことについては、こちらのブログを参考にさせて頂いた。

「野生の馬もおれをしょっぴけない」とか「野生の馬もおれを引きずって行けなかった」とか、このコーラスの訳詞は本当にいろいろ見てきたけれど、要するにミックは恋人から離れたくないのだという「歌の風景」を私に理解させてくれた訳詞は、今までひとつもなかった。このことはつまり、上のような訳詞を作った人たちも実はこの歌の意味が全然わかっていなかったということなのではないかと、今では感じている。

I watched you suffer a dull aching pain
Now you decided to show me the same
No sweeping exits or offstage lines
Could make me feel bitter or treat you unkind

多くの海外サイトの解釈は、この二番の歌詞は当時ミックの恋人だったマリアンヌ·フェイスフルさんが深刻なドラッグ中毒に陥った当時のことを描写しているという説で一致していた。しかしミック自身は「この歌はマリアンヌとは関係ないと思う」とコメントしているのだという。「思う」ってしかし、ヘンな言い方だよな。



そうした海外サイトが典拠としている情報によるならば、自らも歌手·俳優として活動していたマリアンヌさんは、60年代後半にマスコミにスキャンダルをデッチあげられたことをきっかけに、精神的に追いつめられ、69年の夏には睡眠薬をオーバードーズして、6日間の昏睡状態に陥る。そして目覚めたマリアンヌさんがミックに向かって最初につぶやいた言葉が、「Wild horses couldn't drag me away」だったのだという。ここまで具体的な話があるのに「マリアンヌとは関係ない」と言うミックの気持ちというものが、いまいち理解できない。

とまれ、そんな風にオーバードーズを繰り返さずにいられないぐらい苦しい状態にあった彼女と「一緒に苦しんだ」ミックの経験からこの歌詞が書かれているのだと思えば、「歌の風景」はいっそう鮮明に見えてくる気がする。

sweeping exits」は辞書にない言葉で、イギリス版のYahoo知恵袋でも「どういう意味なんですか」って質問している人を見つけたぐらいなのだが、「ステージからのきらびやかな退場」みたいなイメージの言葉らしい。下の二行は、「ステージの上でもステージから降りても、おまえのことを大切に思うおれの気持ちに変わりはない」という、ミックから恋人に向けた言葉だと理解すれば、間違いないのではないかと思う。

I know I dreamed you a sin and a lie
I have my freedom but I don't have much time
Faith has been broken, tears must be cried
Let's do some living after we die

「Faith」とは「信仰/信条/信念/信用/信頼」等々と訳せる言葉で、要は「自分がそれまで信じてきたものがこわれてしまった」という歌詞なのだが、「Faith」は同時にマリアンヌさんの名前の一部(Marianne Faithfull)でもある。だから恋人の心そのものが「こわれてしまった」と読むこともできる歌詞だというのが、海外サイトの説明だった。しつこいようだが、ミック自身はそのことを認めていないわけなのだけど。

その説明を読んだ時、ルー·リードの「キャロラインのはなし」という歌の「アラスカはとても冷たい」という歌詞が、この歌の世界とぴったり重なってくる感覚を私はおぼえた。いずれ話せる機会があるかもしれないが、この曲も私にとっては、どういう風に取りあげたものかということについて長いこと考えあぐねている曲のひとつなのである。


ジャックス マリアンヌ

その後、マリアンヌさんはミック·ジャガーと別れ、現在では元気に歌手としての活動を再開されているらしい。

ではまたいずれ。

フツーに終わっちゃうのだからね。


=楽曲データ=
Released April 1970
Key: G

ブリトウ・デラックス+2(紙ジャケット仕様)

ブリトウ・デラックス+2(紙ジャケット仕様)

  • アーティスト: フライング・ブリトウ・ブラザーズ
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック
  • 発売日: 2016/11/23
  • メディア: CD
  • この商品を含むブログを見る