華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

As I Went Out One Morning もしくは邪悪な歌 (1967. Bob Dylan) ※

As I Went Out One Morning

英語原詞はこちら


As I went out one morning
To breathe the air around Tom Paine’s
I spied the fairest damsel
That ever did walk in chains
I offer’d her my hand
She took me by the arm
I knew that very instant
She meant to do me harm

トム·ペインのところに行って
そのあたりの空気でも吸わせてもらおうと
ある朝でかけたところ
ありえないほど美しい乙女が
なぜか鎖につながれて
歩いているのを見つけた。
わたしが彼女に手をさしだすと
彼女は私の腕をとった。
その瞬間わたしにはわかった。
彼女はわたしに害をなそうとしていた。


“Depart from me this moment”
I told her with my voice
Said she, “But I don’t wish to”
Said I, “But you have no choice”
“I beg you, sir,” she pleaded
From the corners of her mouth
“I will secretly accept you
And together we’ll fly south”

「すぐにわたしから離れてくれ」
とわたしは彼女に本気で言った。
「でもそうしたくない」
と彼女は言った。
「だがおまえに選択の余地はない」
とわたしは言った。
「おねがいします」と
彼女は口の両端から懇願した。
「私は秘密のうちに
あなたを受け入れます。
それから一緒に南に逃げましょう」


Just then Tom Paine, himself
Came running from across the field
Shouting at this lovely girl
And commanding her to yield
And as she was letting go her grip
Up Tom Paine did run,
“I’m sorry, sir,” he said to me
“I’m sorry for what she’s done”

と、そのときトム·ペイン本人が
そのかわいい少女に向かって叫びながら
畑を横切って走ってきた。
そして彼女に言うことを聞くよう命じ
彼女は手を離して
トム·ペインがわたしの前に立った。
「申し訳なかった」と彼は言った。
「彼女のやらかしたことは申し訳なかった」



ヘンな歌である。

意味は全然わからない。

だが、歌詞の全体に「ものすごくイヤな感じ」が漂っている。

この曲が収録されている「ジョン・ウェズリー·ハーディング」というアルバムを私が初めて聞いたのは、中学2年の時にディランとの出会いを経験してから、かなりの時間が過ぎた後のことだった。もっとも当時の「かなりの時間」とは、40代が間近に迫った今の私の感覚からすれば取るに足らない時間であり、せいぜい3〜4年のことだったとは思うのだけど。

当時の私はディランのことを天才だと思っていたし、天才の言うことというのは何でも正しいのだと思っていた。よしんばそれが世間の「常識」から外れたことであったとしても、外れていれば外れているほど正しくて「価値」のあることだと当時は思っていたし、その感覚というのは今でもそんなに変わっていない。そして彼の詩が自分にとって難解であるのは、ひとえに自分の未熟さゆえであり、彼の言葉について行けない自分の側の問題なのだと、「謙虚にも」思い込んでいた。のちに私はそういうのは「謙虚さ」とは全く無縁でありむしろ「傲慢さ」の裏返しにすぎなかったのだということを身をもって思い知らされることになるのだが、そのことはとりあえず、いい。とにかく10代の頃の私は、ディランの言葉の中には「宇宙の秘密」が隠されているのだというぐらいの期待と幻想を込めて、彼の楽曲と向き合っていたものだったのだった。

そのディランの言葉というものに初めて「違和感」をおぼえたのが、この歌の歌詞を読んだ時だったと思う。そんな風に記憶している。

記憶というのは往々にして「ぐしゃぐしゃ」になってしまうものであり、しかも自分にとって都合のいいように書き換えられてしまうものである。事実として、そのとき自分はハッキリ「おかしい」という気持ちを抱いたはずであるにも関わらず、私はその後も何年間かにわたって、ダラダラとディランのCDを聞き続けている。「顔も見たくない」という気持ちになっていたのは20代も後半になってからのことで、その時にはどういうきっかけでそう思うようになっていたのかということを、今では正確に思い出すことができない。だから、10代だった私はこの歌詞を見た瞬間にディランという人間の「本性」を見抜いたのだ、とか、そういうカッコいいことは言えないし、言うべきではないと思う。大体、ディランという人のことを、私は今でもよく分かっていない。

しかしこの歌が「邪悪な歌」であるということは、間違いなく言えることだ。

片桐ユズルさんの訳詞を最初に見た時、私は「何これ?」と思った。描かれているのは何だか「夢の中みたいな風景」だし、登場人物たちの性格もよく分からない。分からないけれど、二度見し三度見するうちに、私はだんだんと腹が立ってくるのを覚えていた。

繰り返すけど、意味は全然わからない。しかしディランという人間は、この歌の中で明らかに「ひどいこと」をしている。

以前にも書いたことだが、ディランの歌というのは「絵画的な言葉」で書かれている場合が多い。言葉に対しては、言葉で言い返すことができる。しかし絵に描かれたものに文句をつけるということは、非常にやりにくい。「見えたままに描いただけだ」と言われてしまえば、それまでだからである。この歌も例えばディランという人が「夢に見た光景」が「そのまま」描かれているだけだとすれば、そうなのかもしれない。しかしよしんば「見えたままの風景」が描かれているだけなのだとしても、どういう描き方をするかということによって、それを描いた人間、この歌で言うならディランの「人間性」というものは、やっぱりそこに「表現」されずにおかないはずだと思うのだ。

「トム·ペイン」という人が何者であるかということは、とりあえずどうでもいい。今回調べたら分かったけど、大事なのはそこではない。その人が住んでいるあたりに自分から近づいて行ったディランは、そこで「鎖につながれた乙女 (damsel)」に出会う。何でその人が鎖につながれることになったのかということも、とりあえずは、いい。とにかく出会った最初の段階から、その人は鎖につながれていた。つまり、自由を奪われていた。

ディランは最初、その人に「手を差し伸べた」。なぜだろう。「ありえないほど美しかった」からだろうか。そうでなくても差し伸べただろうか。気になるけどそこは、流してもいい。重要なのはその人から「腕を握り返された」時に、ディランがその人は「自分に害をなそうとしている」と「ハッキリ分かった」と断言している点である。

だが、具体的に何をされるとディランは思ったのだろうか。

相手はそもそも「鎖でつながれて」いるのである。力関係では初めの段階から、ディランの方が圧倒的に優位に立っている。もしその鎖を外したとしても、相手は丸腰の女性である。いきなりディランのことを襲撃して金品を奪ったりする可能性があるとかいう風には、思わないのが普通だと思う。

「harm (害をなす)」などという宗教的な感じがするくらいに激しい言葉を使ってディランは自分の「嫌悪感」を表明しているわけだけど、この時ディランの頭の中にあったのは「関わったら面倒なことになる」というぐらいのことでしかなかったのではないだろうか。

たとえばその人の鎖を自分が「勝手に」外したら、鎖につないだ人間との間に、もめごとが起こるかもしれない。またその場の感情でその人の鎖を外したら、そのためにその後、一生にわたってその人の人生に「責任」をとらなければならない立場に立たされるかもしれない。それで「ひるむ」ということは、ありうる。人間、そんなにいつでもヒーローになれるものではない。

だがそれならディランは「ごめんなさい」と言って立ち去ればいいのである。あるいはせめて鎖だけは外した上で、「後は責任とれない。ごめん」と言って自分も逃げるとか、相手に誠意を示す方法はいくらでもあるはずだと思う。

ところがディランは「ごめんなさい」と言うどころか、鎖につながれたその人が自分に助けを求めているということ自体に対し、なぜか「怒り」の感情をぶつけている。「なんでそこでむかつかんなんわけ?」と、10代だった私は歌詞カードを二度見三度見したのだ。

そもそもその人に最初に「手を差し伸べた」のは、ディランの側だったのである。しかしその腕を強く握り返された瞬間に、その感情が「怒り」に変わるというのは、何なのだろう。

たぶん当初、ディランはその人に対し、上から目線で「恩恵」を施してやろうと考えたのだったが、その相手がまるで「自分と対等の存在」であるかのように振る舞おうとしてきたということ。そのことにむかついたのではないかという感じがする。そういう「キレ方」をする人間って、実は世の中にものすごく沢山いるのである。だからこのディランの対応それ自体が、別に「珍しいもの」だとは思わない。思わないけど、全然ホメられたことではない。

つまりディランのむかつきは、その相手の人が「自由を求めていること」それ自体に向けられているとしか思えないのである。そしてそのむかつきの感情は、ディランという人自身が相手のことを「鎖につながれているのが当然の人間」だと見なしているところから発しているとしか思えない。差別主義者のサムライが、竹に挟んだ訴状を手にして駆け寄ってきた農民の「分不相応な振る舞い」に対して感じる「怒り」と、その感情はほとんど変わらないものなのではないだろうか。

次のヴァースでのディランの振る舞いは、冷酷と言ってもいいぐらいに非情なものである。女の人の側は一貫して、「助けてください」ということしか言っていない。それも卑屈な言葉は使っていない。堂々と主張している。最後の方ではちょっと「誘惑」めいた言葉も口にしている。だが本気で助けを求めている人なら、何でもしようとするだろう。何でそれが邪悪なことみたいに描かれなければならないのだろうか。邪悪なのはそこまで必死になっている人に対して「嫌悪感」しか感じていないディランの根性なのではないかと私には思えてならない。

そして「トム·ペイン」が出てくる。ここに至ってこの歌は本当に「わけのわからない感じ」で唐突に幕を降ろす。

息せき切って駆けてきたトム·ペインが「いや、危ないところでした。実はこの女はこれこれこういう悪いやつで…」と、彼女が鎖につながれた顛末を説明するとかいうことであれば、まだ分かる。

ところがトム·ペインは、「彼女のやらかしたこと」を「彼女」に成り代わって、「申し訳なかった」とディランに謝っている。

何であんたが謝ってるのん?

でもって、ディランは明らかにその「謝罪」を受け入れている。彼女がやったことが「申し訳ないこと」であったというのならば、それを謝罪できるのもすべきなのも、彼女自身であるはずだ。それなのにその彼女の言うことを一方的に無視した上で、「トム·ペインの謝罪」は受け入れている。

何でそれを、受け入れられるのん?

つまるところこの「二人の男性」にとって、「鎖につながれた女性」自身の意思は、まったくどうでもいいのである。て言っか、その人のことを最初から丸っきり「人間扱い」していないのである。

この女の人は、犬かよ。「トム·ペイン」はその「飼い主」かよ。そしてディランはその人から真剣に「助けを求められた」ことを、「犬に吠えつかれた」ぐらいにしか、思っていないのかよ。

ボブ·ディランという人は、「人間を自由にする歌」を歌っている歌手なのだと私は思っていた。そんな人が、完全にそれと逆行するようなこんな歌を歌うなんて、考えられないと10代の私は思った。だから、そこには何か理由や思惑や「深遠なメッセージ」みたいなものが込められているに違いないと、当時の私は思い込もうとしていたように思う。だが私自身がこの歌を作った当時のディランの年齢に迫り、そして追い越しする中で、この歌に歌われているのは結局ディランという人間の「地金」の部分にすぎなかったのだと、今では思うようになっている。この人の作る歌の中には一貫して「女性憎悪」と言うべきものが流れていることに、それから私は折に触れ、気づかされるようになっていった。

今回この記事を書くために改めて調べてみて、いろいろ分かったことがある。

まずトム·ペインという人についてなのだが、この名前はアメリカ独立戦争のさなかにその戦いの正当性を訴える「コモン·センス」というパンフレットを書いたことで世界史の教科書にも載っている「トマス·ペイン」という人の愛称であるらしい。彼の名前は現在のアメリカでは「建国の父」たちの一人として語り継がれているらしいが、その晩年はWikipediaによるならば、

奴隷反対を説き、理神論を改めようとしなかったために、アメリカではほとんどの友人を失い、不遇のうちにニューヨークで没する。彼の遺体は無神論者との噂がたたって教会での埋葬を拒まれて、ロングアイランドの共同墓地に埋められた。

とのことであり、つまり当時の白人社会においても例外的なぐらいに「立派な人」だったことが分かる。

そして時代はディランが「風に吹かれて」を歌ったり公民権運動に参加したりしていた1963年に移るのだけど、この年にディランは市民運動団体から「トム·ペイン賞」という非常に「名誉ある賞」を受けたのだという。ところが、なぜかその受賞式にディランは酔っ払った状態で現れ、その時はジョン·F·ケネディが暗殺された直後だったのだが、当時その実行犯だと見なされていた「オズワルドの気持ちが自分には分かる」的なことをスピーチで喋って、ものすごいブーイングを浴びてステージから引っ込む、ということが、起こったらしい。その後しばらく「言論の自由を認めない市民運動なんて、くだらん」みたいなことを言って、ディランは毒づいていたのだという。ディランがやがてフォークからロックへと「転向」し、反体制運動からも距離を置いてゆくようになったのは、翌年の64年以降のことである。

海外サイトではこの「事件」について触れた上で、ディランは都合のいい時だけ自分を偶像化して「利用」しようとする市民運動のあり方にイヤ気がさし、晩年は理解者を得られずに不遇だったというトマス·ペインの姿に自らを重ねてこの歌を書いたのではなかろうか、みたいな分析が展開されていた。しかしこの歌がそんな「いい歌」であるものかと、説明を聞いてみるとなおさら私は思う。

「運動にイヤ気がさす」というのにもいろんなパターンがあるだろうが、ディランに関して言う限り、この歌に歌われているような人間観、ないし女性観を持っている人間が「人間の自由を求める運動」の先頭に立とうとしていたということ自体にそもそも「無理」があったのであり、遅かれ早かれその正体を見抜かれて運動の側から批判を受けることになるのは必然だったのではないか、という感じがする。そうなる前にディランが自分の側から運動との関係を「切った」という事実があるから、あたかもディランの方が「時代の先を見ていた」みたいな評価がいろいろなところでまかり通っているのだけれど、その中身は当時真剣に反戦運動や公民権運動を闘っていた人たちよりもディランの方が「人間の自由」について深く考えていたとかそういうことでは絶対にない。むしろ「自分以外の人間」が「自由」を求めることそれ自体を、当時のディランは「嫌悪」する気持ちになっていたのだとしか思えない。

この歌に出てくる「鎖につながれた乙女」は、当時、自分の身体を鎖で縛りつけて路上に座り込むやり方で警察の暴力に抵抗していた「チェインド·グループ」と呼ばれる人たちのメタファーなのではないか、という見方がある。アメリカだけでなく日本や沖縄を含めた世界の至るところで、今でも広く行われている抵抗のスタイルである。だとしたらそうやって自分の自由のために闘っている「乙女」は、ディランのことを味方だと信じて「行動を共にしてほしい」と訴えていることになるのだが、それをこんなにスゲなく切り捨てることができるディランという人間は、何者なのだろうか。そしてそれを歌にまでして「自慢」することができる感性というのは、何なのだろうか。ちなみにこの「乙女」についてはジョーン·バエズのことを指しているという説もあるのだけれど、二人がつきあっていたという期間も含め、「公民権運動のアイコン」となっていたこの女性に対し、ディランが一貫してとても「冷たかった」というのは、有名な話である。



「言論の自由を認めない市民運動なんて、くだらん」みたいなディランの「言い分」についても、どうなんだろう。語弊を恐れずに言うならば、「大統領を殺した人間の気持ちが自分には分かる」的なことを言ったとしても、本当にそう思っていたのであれば、別に言ってもかまわないと私は思う。しかし、本当にそう思っていたのだろうか。ケネディ以降、誰がどう見ても「もっと悪い大統領」は何人も出ているのだが、ニクソンに対してもレーガンに対しても現在のトランプに対しても、ディランが「死ねばいいのに」的な発言をしたというような話は、寡聞にして聞いたことがない。だとすると、何だったのだろうか。ディランが「ケネディを殺した人間の気持ちが分かる」と言ったのは、ケネディが相対的に一番「リベラルな大統領だったから」なのだろうか。

よしんばそうだったとして、それを「トム·ペイン賞の受賞式」という明らかに「リベラルな価値観が尊重されている場」で口にすることに、どういう意味があったのだろうか。それ、どうしても「言わなければならないこと」だったのだろうか。リベラルな価値観にむかついていたのだとしたら、何でそもそもディランはそんな賞を「受けた」のだろうか。関西方言でしかうまく表現できないのだけど、結局ディランという人は「ヤカラを言っていた」ようにしか私には思えない。

いちばん私が「悪どい」と感じるのは、そんな風に真面目な運動にイヤ気がさしていた自分の感情を正当化するために、ディランという人間がトマス·ペインという「死んだ人」を墓穴から引っ張り出して、「自分の味方」に仕立てあげようとしている点である。ここにトマス·ペインを登場させているのは、この曲が書かれる4年前に彼氏に「トム·ペイン賞」を与えようとした運動団体の人たちに対する、ディランの側からの「当てつけ」だったのだ。身体を鎖で縛りつけるようなオーソドックスなやり方で抵抗を続けているその人たちは、自らをトマス·ペインの後継者であると位置づけているわけだけど、そんな連中より俺はよっぽどトマス·ペインの気持ちをよく分かっているし、トマス·ペインの方だってそう思ってるに決まってるぜ、的なことを、恐らくディランは言いたいのである。そして割と本気でそう思い込んでいる気配がある。

だが、トマス·ペインという人のことを私はそんなによく知らないのだけど、その人が本当に「奴隷解放論者」であったとするなら、そんな風に女性を鎖で縛りつけるようなことを、するだろうか。あるいは、その鎖はその女性が「自ら自分に巻きつけた」もので、トマス·ペインとは直接関係のないことなのかもしれない。彼女が「チェインド·グループ」のメタファーであったとすればの話である。だがその彼女のやったことを、どうしてトマス·ペインが彼女に「成り代わって」ディランに「謝罪」するような話になるのだろうか。「彼女みたいな人間を生み出したのは自分の責任だ」的なことを、ディランはペインに言わせてるのだろうか。

じゃあ、結局、その女の人の何がそんなに「悪い」のだという話に、やっぱり、なる。それを説明できる言葉は、ディランの中には存在しないはずなのだ。どうせ「うるさい」とか「生意気だ」とか、そういう胸を張っては言えないような感情しか持ち合わせていないに違いない。

それを言葉にできないものだから、彼女らの「保護者」的な存在としてトマス·ペインを引っ張り出し、「代わりに叱ってもらう」という発想が、つくづく人をナメていると私は思う。自分は「他人から利用されたくない」みたいなことを言いながら、大昔に死んで文句も言えない立場になっているトム·ペインという「他人」を引っ張り出し、自分の代弁者として「利用」の対象にしているのは、ディラン自身ではないか。

イヤな歌だなあ!

そのイヤな歌のことをハッキリ「イヤな歌」であると感じながら、それでも当時の私がダラダラとディランの歌を聞くことを続けていたのは、結局ディランという人間のことが「怖かった」からに過ぎないのではないのかと、今にしてみれば思う。世の中にはこの歌におけるディランのように「理不尽なことでキレる」人間が往々にして存在していて、しかもそれが自分の上司であったり先輩であったり教師であったりする。その「顔色をうかがいながら」生きているのと同じような感覚で、かつての私は「ロックの巨人」たちとも向き合っていたのではないかと、率直に言って思う。そんな風に「心が恐怖で支配された状態」に陥ると、明らかに相手が間違っている場合でも、「自分の方に問題がある」としか思えなくなってしまうものなのである。それでは当時の私はディランの何が「怖かった」のだろう。やっぱりその「巨人」と呼ばれているディランから自分も認められたいとか嫌われたくないとかそういう気持ちが、「畏怖心」の源泉になっていたのではないかと思う。昔は「音楽の世界で生きること」しか、考えていなかったからね。

「ディランなんて顔も見たくない」と思うようになって以降についても、それ以前とは別の形で「逃げていた」感覚が私にはある。ある時期以降、私は「ディランが影響力を持っているような世界」からは、丸っきりかけ離れた世界で生きようとしてきた。それは間違いなく「いいこと」だったし、自分がかつて思っていたよりも世界はずっと広くて深くて豊かなものだったのだということを、知ることができた。けれどもその一方で、私は自分が一番「対決しなければならない相手」の存在から目を背け続けているような感覚を、持ち続けてきた。その感覚はこのブログを始めてからも、かなり長い間、続いていた。

そして今、私はむかし真心ブラザーズが「どんな人でも僕と大差はないのさ」と歌っていたのと同じような気持ちで、ようやくディランともストーンズともビートルズとも、「フツーに向き合える」時を迎えることができたように感じている。

邪悪な歌は、邪悪な歌なのだ。フツーにそう思えるようになるまでに、結局私には20年以上もの時間がかかることになってしった。

でもだからこそ、自分が今までに生きてきた時間というのは決してムダではなかったのだとも、一方では感じている。

当初は絶対に取りあげるつもりなどなかった「風に吹かれて」を取りあげて以降のこの一週間、私が目標に掲げてきた「自分の青春に決着をつける作業」は、「ずるっ」と音を立てて大きく前進したような気がしています。きっかけを与えて下さった多くのみなさんのおかげです。明日以降は新しい気持ちで、より肩の力を抜いて翻訳作業を進めて行くことができそうに思いますので、今後ともご愛読ねがいます。

=翻訳をめぐって=

“But you have no choice”

片桐ユズルさんの訳詞では「他にやり方がない」という柔らかい言葉が宛てられているが、実際の語感としては相手に銃でも突きつけているぐらい、権柄ずくで乱暴な言い方なのだという。「乙女」に対するディランの感情があらわれている。

she pleaded from the corners of her mouth

「口の両端で喋る」というのは「八方美人に振る舞う」さまを表現する慣用句にもなっているのだとのこと。とにかく「乙女」の言うことなすことのいちいちを、ディランは「悪意」をもって受け止めている。

“I’m sorry, sir,” he said to me
“I’m sorry for what she’s done”

この最後の二行に関しては、片桐ユズルさんの訳詞をそのまま使わせて頂いた。




「ジョン·ウェズリー·ハーディング」のジャケット写真には、何と「ビートルズメンバーの顔」が隠されていたらしい。知らなかった!…が、割とどうでもいい情報であったような気もする。ではまたいずれ。


=楽曲データ=
Released December 27, 1967
Recorded November 6, 1967
Key: A