華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

To Kingdom Come もしくは やってくる王国に (1968. The Band)



(画像はこちらのブログの方からお借りしました)

何年か前に上のような写真がネット上に出回っているのを見つけて、吹き出したことがある。こういう看板は、そういえば私の実家の近所でもよく見かけた。もとよりイタズラされる前の文面は「神の国は近づいた」「神と和解せよ」であるわけだが、しかし「神の国は近づいた」というのも、それはそれで、よく分からないフレーズである。「神の国」というのは、「動く」のだろうか。

子どもの頃に好きだった島本和彦の「炎の転校生」というマンガには「大陸学園」という敵キャラ(?)が出てくるのだけど、この学園はあたかも「大陸移動説」のごとくに地表のあちこちを動き回り、敵対している学園に体当たりをかまして崩壊させ、乗っ取るのである。文字で説明しても全くわけが分からないし、ザ·バンドの歌の話をするのに何でこんな話から始めなければならないのだろうと私も少しだけ思うのだが、「神の国は近づいた」という文字を最初に見た時に私が思い浮かべたのは、その「大陸学園」のイメージだった。そして大昔からの神社仏閣やら天理教の教会やらが所狭しと並んでいる私の郷里の街並みをことごとくなぎ倒しながら近づいてくるその「神の国」というのは「どういう神」の国なのだろうか、果たして京都方面から来るのだろうか大阪方面から来るのだろうかそれとも意表をついて吉野山地から北上してくるのだろうか等々と、下らないことを割と真剣になって「心配」していたりしたものだった。


炎の転校生(6) (少年サンデーコミックス)

炎の転校生(6) (少年サンデーコミックス)



思えば私というのは、そういう下らないことを本当に真剣になっていちいち「心配」せずにはいられないタイプの子どもだった。例えば私の世代の人間はみんな1999年の7月になると空から「恐怖の大王」が降りてきて地球は滅亡すると脅かされて育ってきた思い出を持っているはずなのだが、しかし「恐怖の大王」というのが降りて来るとして、「降りて来る場所」というのは地球上のどこか一ヶ所に限定されているはずである。そこに住んでいる人たちが滅亡させられるのは仕方ないかもしれないが、どうしてそれで「地球の全体」が滅亡することになるのか。それが私は気になって仕方なかった。

「恐怖の大王の軍勢が降りて来る」みたいな言葉が使われていたら、私も悩むことはなかったと思う。それなら地球の至る所に「同時に」降りて来ることも可能になるだろう。だが「恐怖の大王」と言うからには、その「人」はたぶん1人しかいないのである。その人が「降りて来れる場所」というのはどう考えても「一ヶ所」であるにすぎない。だとしたらノストラダムスの大予言は「その一ヶ所」についての予言ではありえても、「地球の全体」についての予言であるとは言えないことになってしまうのではないだろうか。

それで私がまず考えたのは、「恐怖の大王」というのは地球と同じくらい「大きい」のではないかということだった。それが襲撃をかけてきたなら、確かに地球は丸ごと滅亡するだろう。だが、よしんば恐怖の大王がそれだけ巨大であっても、それが「降りて来る」ことができるのは、地球の「片側の面」だけであるにすぎない。その反対側の半球に暮らしている人たちにとっては、恐怖の大王が「降りて来る」ことには、やはりならない。(みなさんついて来れてます?)

そんな風にいろいろ考えて私が最終的にたどり着いた仮説は、「恐怖の大王」というのは「巾着袋」みたいな形状をしているのではないかということだった。地球がその巾着袋みたいなのに丸ごとすっぽり覆われて、その口がキュッと絞られる。つまり地球の全体が恐怖の大王によって「包まれる」ような感じになる。そうすれば、地球上のどの場所で「恐怖の大王が降りて来た」という表現を使っても、「矛盾」は起こらないことになるだろう。

…何の話をしているのだ私は。ファック·オフ·ノストラダムス。21世紀になってから生まれた人たちは、20世紀の人間たちがこの言葉の中に込めてきた「絶望の中の祈り」にも似た気持ちを、永遠に知ることはないのだと思う。とまれ、本題に戻らねばならない。「神の国は近づいた」のその「神の国」って何やねん、という話である。


じゃがたら つながった世界

いろいろ調べたところによるならば、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」というのは、イエス·キリストが宣教活動を始めた時の「第一声」として知られている言葉であるらしい。(新約聖書マルコ1:14)。聖書の原文はヘブライ語だったわけだけど、これが英語では歴史的に

The time is fulfilled, and the kingdom of God is at hand: repent ye, and believe the gospel.

という表現になっている。「Kingdom of God」。直訳すると「神の王国」である。「国」という言葉に「身分制度」の影を感じてどうも私は引っかかるのだけど、とまれこの「Kingdom of God」というのはキリスト教における最も重要な概念のひとつであり、かつまたキリスト教が成立するずっと以前から存在した概念であるという。
神の王国 - Wikipedia

この「神の王国」のイメージというのは、つまるところ「神が支配する世界」といったようなものであるらしい。あるいは「神が支配する時代」と言ってもいいのかもしれない。時間と空間とは、時として「同じ言葉」で表現されるものなのだ。何度も書いてきたごとく私は「神」というものを一度も信じたことのない人間であり、かつ何かに「支配される」ということほどイヤなことは他にないと思っている人間なもので、そんな風に言われても全然「魅力」を感じられないのだが、キリスト教という宗教の内容を思い切って要約するならば、そういった世界が到来すること、ないしは実現されることを「待ち望む」ことがその全てであると言っても、あながち間違いではないようである。映画やなんかでクリスチャンの人たちが食事の前にいつも唱えている「主の祈り」の文面は、以下のようになっている。

天にまします我らの父よ。
ねがわくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
我らに罪をおかす者を、
我らがゆるすごとく、
我らの罪をもゆるしたまえ。
我らをこころみにあわせず、
悪より救いいだしたまえ。
国と力と栄えとは、
限りなくなんじのものなればなり。
アーメン。

…この「御国を来たらせたまえ」の英語表現が「thy kingdom come」である。そこから転じて「Kingdom of God」もしくは「Kingdom come」は、英語において極めて一般的に「天国」を意味する言葉としても使われている。

ザ·バンドのデビューアルバムの二曲目のタイトルである「To Kingdom Come」が一体どういう意味の言葉なのかというイメージをつかむために、キリスト教世界の住人ではない私はこんなにいろんなことをイチから調べて回らなければならなかった。それにも関わらず私がこの歌のタイトルから受け取るイメージは、いまだに「大陸学園」のままなのである。

…何かくやしいので、どうしても書いておきたかったエピソードであったのだった。


To Kingdom Come

To Kingdom Come

英語原詞はこちら


Forefather pointed to kingdom come
Sadly told his only son
Just be careful what you do
It all comes back on you.

ご先祖さまは
神のみくにを指し示し
たったひとりの息子に向かって
悲しげに言った。
とにかく自分のやることに
気をつけることだ。
すべては自分に返ってくるのだから。


False witness spread the news
Somebody's gonna lose
Either she or me or you,
Nothing we can do.

偽りの証人が
ニュースを広げて回った。
誰かは敗れることになる。
彼女かもしれないし
わたしかもしれないし
あなたかもしれない。
われわれにはどうすることもできない。


So don't you say a word
Or reveal a thing you've learned
Time will tell you well
If you truly, truly fell

だから一言も喋ってはいけない。
自分の学んだことは
心の中にしまっておいた方がいい。
おまえが本当に本当に挫折すれば
そのうちわかることになるだろうよ。


Tarred and feathered, yea!
Thistled and thorned,
One or the other
He kindly warned.

タールと羽根で
はずかしめを受けるか
いえい
アザミとそのトゲを
まとわされることになるか
ふたつにひとつだ。
かれは親切に
警告を与えるのだった。


Now you look out the window tell me
What do you see?
I see a golden calf pointing
Back at me.

「窓の外を見ているお前よ。
何が見えるのか教えてくれないか」
「黄金の仔牛が背中越しに
おれを指さしてるのが見えるんだ」


I been sitting in here for so darn long
Waitin' for the end to come along.
Holy coaster's on the brink
Take a chance, swim or sink.

終末が訪れるのを待ちながら
うんざりするほど長い間
この場所に座っている。
聖なるコースター(沿岸交易船/ジェットコースター)
船べりに。
どうにでもなれ。
泳ぐにせよ沈むにせよ。


False witness, cast an evil eye
said I cannot tell a lie,
Haints and saints don't bother me
I'm not alone you see.

偽りの証人よ。
呪われた視線を投げつけろ。
おれは嘘なんてつけないってんだ。
ヘイント(幽霊)もセイント(聖者)
つきまとうのはやめてくれ。
おれはひとりじゃないんだからね。


Don't you say a word
Or reveal a thing you've learned
Time will tell you well
If you truly, truly fell

一言も喋ってはいけない。
自分の学んだことは
心の中にしまっておいた方がいい。
おまえが本当に本当に挫折すれば
そのうちわかることになるだろうよ。


Tarred and feathered, yea!
Thistled and thorned,
One or the other
He kindly warned.

タールと羽根で
はずかしめを受けるか
いえい
アザミとそのトゲを
まとわされることになるか
ふたつにひとつだ。
かれは親切に
警告を与えるのだった。


Now you look out the window tell me
What do you see?
I see a golden calf pointing
Back at me.

「窓の外を見ているお前よ。
何が見えるのか教えてくれないか」
「黄金の仔牛が背中越しに
おれを指さしてるのが見えるんだ」

=翻訳をめぐって=

ザ·バンドというグループの魅力は、リードボーカルをとって歌えるシンガーが3人も在籍していたという点にある。ピアノ弾きのリチャード·マニュエル、ドラム叩きのリヴォン·ヘルム、ベース弾きのリック·ダンコ、ケタ外れに歌の上手いこの3人が代わりべんたんに(←関西方言?)ボーカルを担当し、1人が歌うメロディを後の2人がとても荒っぽくて独創的なコーラスで追いかけ、「計算されている感じ」は皆無であるにも関わらず、そのハーモニーが何とも言えず美しい。こんなことがやれていたグループは、後にも先にもザ·バンドの他には存在しないのではないかと思う。

一方で後の2人、すなわちギター弾きのロビー·ロバートソンとオルガン弾きのガース·ハドソンはいつも完璧に「脇役」に回っているのがこのバンドの常なのだけど、「音」の方面からザ·バンドのことを語るとしたならば、「主役」はむしろこの2人である。決して「しゃしゃり出るような演奏」はしないにも関わらず、この2人の出す「音」は、一度聞いたら絶対に忘れられない。バンドの「音楽の先生」として他のメンバーから全幅の信頼を寄せられていたガースには、音楽理論に関する圧倒的な知識量と、それを一言の言葉も使わずに形にしてみせることのできる技量とが備わっていたし、最年少のロビーには、旅回りの中でイチから鍛えあげたギターの腕前にとどまらず、ディランと比べても引けを取らないような「歌づくりの才能」が備わっていた。付け加えておくならばこのバンドにおいて「歌づくりの才能」を持っていたのは決してロビーだけではなく、とりわけリチャードの作る曲がどれもこれも私は大好きなのだけど、何しろそんな風に性格面でもドッシリしたこの2人が後ろに控えていることを通して、「歌」はいっそう伸びやかに羽ばたいてゆく。それがザ·バンドというグループの、基本的なスタイルであると言っていい。

そんなザ·バンドの歴史において極めて珍しいことに、デビューアルバムの二曲目に収録されているこの「To Kingdom Come」という曲では、ロビー·ロバートソンがリードボーカルを担当している。もっともリチャードのパワフルなコーラスにかき消されて、肝心のそのロビーの声は探すのも難しい。何だか、小鳥さんみたいな声である。事によるとレコードデビューの当初には、自分もこれからボーカリストとしてブイブイ言わせて行きたいというロビーの思惑みたいなものがあったのかもしれないが、たぶん、一回でコリたのだと思う。あるいは、周りが許さなかったのだと思う。(「ラストワルツ」のコンサートの際には、ロビーのマイクだけが注意深くoffにされていたということが、リヴォン·ヘルムの自伝には書かれていた)。その後、解散する年になって例外的に2曲ほど歌っているのを除き、ロビーは完全に「裏方」に徹する道を選んでゆくことになる。

「ミュージック·フロム·ビッグ·ピンク」の一曲目はディランが作った曲だったわけだから、二曲目のこの歌こそはザ·バンドがザ·バンドとして初めて世に問うた作品であり、ソングライターとしてのロビロバ氏のデビュー作でもあるということになる。彼の書く歌詞に特徴的な神話的/寓話的な要素はこの作品においても既に満展開されているが、「気負いすぎた」のだろうか。あまりにいろんなイメージが歌詞の中に詰め込まれすぎていて、かえって印象に残らないような感じが、しないでもない。とはいえ、聞き込めば聞き込むほどに「味」が出てくるタイプの曲でもあり、今回この記事を書くためにいろいろ調べてみた結果でもあるのだけど、最近の私はこの曲のことをこれまでになく「好き」になりつつある気がしている。以下は、内容をめぐって。

Forefather pointed to kingdom come

「kingdom come」という言葉の意味と言うかイメージについては上に詳述したとおりなのだが、それを踏まえるならば単純に「ご先祖さまは天国を指さした」とも翻訳しうる歌詞だし、もっとシンプルに行こうと思うならただ「空を指さした」とだけ訳しても、決して間違いにはならないと思う。

Tarred and feathered, yea!

「タールと羽根」って何のことだか分かりにくいが、中世のヨーロッパでは「罪人」とされた人の体にベタベタのタールが塗られ、そこに鳥の羽根をくっつけるという刑罰と言うか、はずかしめが広く行われていたのだという。


Tarring and feathering - Wikipedia

アメリカでは20世紀に入ってもこの「タール羽根の刑」が、リンチの手法としていろいろなところに残っていたらしい。Wikipediaには第一次世界大戦の頃に「タール羽根」のリンチを受けた男性の上半身の写真が載っていたのだったが、痛々しいその外観とは裏腹に、その人がとても誇り高く信念に満ちた表情をしていたのが印象的だった。ことによると、戦争や差別に反対したことを理由にリンチを受けた人なのかもしれない。

Thistled and thorned

キリスト教においてアザミという植物は、人間が背負わされた「原罪」の象徴であるというイメージを付与されているらしい。アダムとイブが「楽園」を追放された時、「神」が2人に与えたのが、「地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、あなたは野の草を食べるであろう」という言葉だったとのこと。一方では、聖母マリアが十字架から抜いた釘を埋めた場所から生えたのがアザミだったという伝説が残されていることから、アザミには「聖なる花」というイメージもあるらしい。「春は菜の花 秋には桔梗 そして私はいつも夜咲くアザミ」というのが中島みゆきという人のデビュー曲の歌詞なのだけど、アザミって、別に、昼でもフツーに咲いてる花ですよね。

I see a golden calf pointing back at me.

「黄金の仔牛」とは、預言者モーゼがイスラエルの人々を引き連れてエジプトを脱出してからしばらく後のこと、モーゼのいない間にイスラエルの人々が勝手に鋳造して崇拝の対象にしていた偶像であり、聖書世界では邪悪の象徴とされている。映画「十戒」に出てきましたよね。ロビーという人はちなみに、ものすごい映画好きで有名である。

Holy coaster's on the brink

この「ホーリー·コースター」というのがどういうものであるのかは、正直よく分からない。辞書には載っていない言葉だから、ロビーの造語だろう。その「船べりに」とあるのだから、船的なものであるのは間違いないと思う。

cast an evil eye

「イービル·アイ」とは「邪視」「邪眼」などとも訳される言葉で、その目で見られた者に不幸をもたらすと信じられていた「まなざし」のこと。何か、日本でも面白がっていろんなマンガや小説のモチーフにされている単語ではあるのだけれど、人間を瞳の色によって差別する「文化」の中から生まれてきた迷信なので、私はそんな言葉や概念は消えて無くなるべきだと考えている。


谷山浩子 王国

この「王国」の「秘密」は綾辻行人の「時計館の殺人」という本の中に隠されており、さらに曲の最後でコーラスを歌っている人も綾辻氏本人だったのだということを私は実に最近になって知ったのだったが、今回の記事は余りに脱線が激しいので、この辺りで終わらせることにします。一曲ごとにこんなにダラダラいろんなことを書いていたんでは、ザ·バンドの特集はいつになったら終わるのだろう。ではまたいずれ。続きます。


=楽曲データ=
Robbie Robertson: Lead Vocal & Electric Guitar
Richard Manuel: Lead Vocal & Piano
Rick Danko: Bass
Levon Helm: Drums
Garth Hudson: Lowrey Organ
Key: A

To Kingdom Come

To Kingdom Come