華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Mannish Boy もしくはオトコらしいオトコノコ (1955. Muddy Waters)


Mannish Boy

Caldonia」を取りあげた以上、この曲のことを取りあげないわけには行かないと思う。ポール·バターフィールドが吹き鳴らすハーモニカをバックに、シカゴ·ブルースの巨人マディ·ウォーターズとザ·バンドのメンバーが大迫力で繰り広げたこの歌の共演は、映画「ラスト·ワルツ」でも屈指の名場面である。文献によれば、事実上の解散コンサートとして企画された「ラスト·ワルツ」の開催に最後まで反対していたリヴォン·ヘルムが最終的に参加に合意したのは「ゲストにマディ·ウォーターズを呼ぶ」という条件のもとでの話だったらしいのだが、ロビーと組んでいた主催者側の人間たちはコンサートの2日前に至るまで「演奏時間の関係」からマディ·ウォーターズの出演枠を削ろうとしていたとか何とか、いろいろないきさつがあったらしい。だが、そんな誰も幸せにしないような話には、ここでは深入りしないことにする。

ちょうど私がこの歌を初めて聞いた頃、日本では「Manish」という女性2人組のアーティストが活動していて、「マニッシュ」とは「男性的な女性」のことを形容した英語なのだと、テレビで見かけるたびに説明の字幕が出ていたのを覚えている。なので、この歌のタイトルは少なからず私のことを混乱させた。「B.O.YじゃなくてM.A.Nだぜ」という噛んで含めるような歌詞に、誤解の余地はほとんどない。だが最終的にマディ·ウォーターズは最終的に自分のことを「何」だと主張しているのだろうか?


煌めく瞬間に捕われて

大体、この歌は、どこからどう見てもマッチョな歌である。当時すでに63歳だったマディ·ウォーターズの熱唱には心を奪われつつも、それが気になって歌詞の世界には入って行きづらい気持ちが、当初からしていた。「man」が「男性」を意味すると同時に「人間」を意味する一般名詞でもあり、その上で「女性(woman)」は「人間(man)」の中に含まれていないという、英語という言語そのものの中に根ざした差別構造については、今までにも何度か言及してきたところだが、この歌はその典型例のひとつなのではないかという感じがしていたのである。しかし、今回あらためて調べてみて、この歌はどうやら「それだけの歌」ではなかったらしいということが、明らかになってきた。

今回参考にしたこのサイト(おそらくは、はてなブログのアメリカ版的なサイトである)によるならば、1913年に生まれたマディ·ウォーターズが50代の声を聞く1964年に至るまで、彼の故郷であるミシシッピ州を含む南部諸州においては、「ジム·クロウ法」と呼ばれる差別立法にもとづく人種隔離政策が、継続されていた。差別が「合法」であり「正義」であるとさえされたその時代において、黒人男性が白人社会から「man」と呼ばれることは決してなかったのだという。呼び名は常に「boy」だった。つまり、お前たちのことを絶対に「一人前の人間」とは認めないという軽蔑と憎悪を込めた白人側からの呼称が、アフリカ系の男性にとっては「boy」だったということになる。

第一次世界大戦の前後から1960年代の終わりにかけて、アメリカでは南部のアフリカ系の人々が差別からの解放と先進工業地帯での就職を求めて北部に移住する「The Great Migration (民族大移動)」と呼ばれる社会現象が起こり、マディ·ウォーターズもその中にいた一人だった。北部の大都市の中で最も多くのアフリカ系人口を吸収したシカゴは、後にブルース·ブラザーズの映画の舞台になった街でもあるわけだが、1930年代から40年代にかけて「ブラック·ルネッサンス」と呼ばれる文化運動の中心地となる。エレキギターという武器を手にその先頭に躍り出たマディ·ウォーターズは、シカゴ·ブルースという新たなタイプの音楽の草創者の一人として、アフリカ系社会のみならず白人たちをも魅了するミュージシャンへと成長を遂げた。

デビューから7年目、一定の成功を収めたマディ·ウォーターズが歌ったこの歌の歌詞には、「おれのことをもう誰にもboyとは呼ばせない」という決意と誇りが込められているのではないかということが、上記ブログを含めたいくつかのアメリカのサイトには書かれていた。つまりこの歌は「おれはオトコだ」という文脈よりも「おれは人間だ」という文脈において聞かれるべき歌だということであり、「人間扱い」されない少年時代と青年時代を送ってきたマディ·ウォーターズの「人間宣言」と言うべき作品なのだということになる。これは私が、今まで想像もしたことがなかった視点だった。しかし複数のサイトで同じことが書かれていることからも分かるように、英語話者の中には、とりわけアフリカ系の人たちの中には、この歌が発表されたその当初からそうしたメッセージを受け取っていた人々が間違いなく沢山いたのである。

とはいえ、「人間である」ということと「オトコである」ということが「同じ言葉」で語られることが、「正しいこと」であるとはどうしても私には思えない。自分が人間であることを誇るのは間違いなく「いいこと」だけど、自分が男性であることを威張るのは間違いなく「悪いこと」である。英語という言語の特性のせいだけにはできないことだと思うから、なおさら問題は複雑なのだけど、この歌においては明らかにそれが「ごっちゃ」になっている。だから私が自分でこの歌を歌う気には到底なれないし、他の人間が歌うのを見るとむかつく。マディ·ウォーターズが歌うなら構わないのかと言われると、これはモニョる。彼の名前とこの歌については、絶対に歴史から消されることがあってはならないと思う。でも歴史の中にだけ存在していてくれたらそれでいいのではないかという気が、今はしている。

私の感想は感想とした上で、その文脈からするならば、この歌を「おれはマニッシュ·ボーイだ」という歌だと解釈するのはやはりおかしいのではないかという気がしてならない。タイトルこそ「マニッシュ·ボーイ」ではあるものの、「BoyではなくManなのだ」というのがマディウォーターズの一番「言いたいこと」であるはずだ。「マニッシュ·ボーイ」というのは「人はそう呼ぶけれど」というぐらいの言葉でしかないのではないだろうか。そんな風に考えるとどんな翻訳が可能だろうと思い、やってみたら、こんな翻訳になった。

Mannish Boy

英語原詞はこちら


Ooooooh, yeah, ooh, yeah
Everythin', everythin', everythin's gonna be alright this mornin'
Ooh yeah, whoaw

うーいぇー、おーいぇー
今朝は何でも
何でもかんでも
うまく行きそうな気分だぜ。
うーいぇー、ほゎお!


Now when I was a young boy, at the age of five
My mother said I was, gonna be the greatest man alive

おれがまだ5つのボーイだった頃
おふくろはおれに言ったもんだ。
おまえはいつか生きている中で
最高のオトコになるだろうよって。


But now I'm a man, way past 21
Want you to believe me baby,
I had lot's of fun

でもって今じゃおれもオトコだ。
21も過ぎてるぜ。
おれを信じてほしいなベイビー。
いいこといっぱい知ってるぜ。


I'm a man
I spell M, A child, N
That represents man
No B, O child, Y
That mean mannish boy

おれはマン(男/人間)だ。
M、Aと書くんだぜクソガキ。
そんでもってNだ。
それで「マン」って意味になるんだ。
B、Oじゃないぜクソガキ。
Yとか書くなよな。
それじゃオトコみたいなオトコノコって
意味になっちまう。


I'm a man
I'm a full grown man

おれはオトコだ。
一人前のニンゲンだ。


I'm a man
I'm a natural born lovers man

おれはオトコだ。
生まれついてのテクニシャンだ。


I'm a man
I'm a rollin' stone

おれはオトコだ。
苔の生えない転がる石ってやつだ。


I'm a man
I'm a hoochie coochie man

おれはオトコだ。
フーチークーチー野郎と人は言う。


Sittin' on the outside, just me and my mate
You know I'm made to move you honey,
Come up two hours late
Wasn't that a man

外に座ってる。
ふたりきりだ。
おれはおまえをひーひー言わすために
生まれてきたんだぜ。
2時間たったら会おう。
おれはオトコじゃなかったんだ。


I spell M, A child, N
That represents man
No B, O child, Y
That mean mannish boy

I'm a man
I'm a full grown man
Man
I'm a natural born lovers man
Man
I'm a rollin' stone
Man-child
I'm a hoochie coochie man


The line I shoot will never miss
When I make love to a woman,
She can't resist

おれがルアーを投げたら
引っかからない女はいないぜ。
おれが本気で女を愛したら
誰も抵抗できないぜ。


I think I go down,
To old Kansas Stew
I'm gonna bring back my second cousin,
That little Johnny Cocheroo

昔なじみの
カンザス·シチューに行こうかな。
マタイトコを連れて戻って来るぜ。
「征服者ジョニー」って呼ばれてるやつだ。


All you little girls,
Sittin'out at that line
I can make love to you woman,
In five minutes time
Ain't that a man

表に並んでる姉ちゃんたちよ。
おれが愛してやるぜ。
5分前までは
オトコじゃなかったんだけどよ。


I spell mmm, aaa child, nnn
That represents man
No B, O child, Y
That mean mannish boy


Man
I'm a full grown man
Man
I'm a natural born lovers man
Man
I'm a rollin' stone
I'm a man-child
I'm a hoochie coochie man


Well, well, well, well
Hurry, hurry, hurry, hurry
Don't hurt me, don't hurt me child
Don't hurt me, don't hurt, don't hurt me child
Well, well, well, well

さてさてさてさて
急げ急げ急げ急げ
おれを傷つけないでくれよクソガキ。
傷つけるんじゃ傷つけるんじゃ
傷つけるんじゃねえぞ。
さてさてさてさて。


Yeah
いえい。

=翻訳をめぐって=

Wikipediaをひもといてみると、この歌には「前史」があると書かれている。何でもマディ·ウォーターズが1954年に出した「Hoochie Coochie Man」という曲にインスパイアされてボ·ディドリーが「I'm A Man」という曲を作ったことから、それへのさらなる「アンサーソング」として書かれたのがこの「Mannish Boy」なのだとのことである。これは、全部翻訳するしかなくなってしまったな。三曲に通底しているモチーフについては改めて書くので、今回はこの歌の解釈をめぐって議論になりそうなことだけ、詳しく考察しておきたいと思う。

now I'm a man, way past 21

アメリカではハタチではなく21歳が「成人年齢」で、飲酒が認められるのもいまだに21歳かららしい。なお、この曲が出た時マディウォーターズは既に40歳だった。この曲の「元歌」であるボ·ディドリーの「I'm A Man」にも同じ歌詞が出てくるので、それをからかっているらしい。ボはボで(前にも同じことを書いたけど、とてもヘンに聞こえる言い方だ)その時すでに27歳だったとのこと。

I spell M, A child, N

「child」を「クソガキ」と訳したのは、バッファロー吾郎さんの「ハナクソ」にインスパイアされています。27:01からです。1991年のオールザッツです。ベイブルースさんのネタから始まるのです。このころ二丁目劇場に出ていた皆さんには、今でも無意識のうちに「さん」をつけてしまう私です。「四時」以前と「ワチャチャ」以降の芸人に対しては、つけないのです。


オールザッツ漫才 1991年

No B, O child, Y
That mean mannish boy

「That mean mannish boy」を直訳すると「それはマニッシュ·ボーイという意味です」ということになる。これをどういう文脈で解釈するかが問題だと思う。「つまりマニッシュボーイってことだぜ」みたいに翻訳したら、自分が「マニッシュボーイ」であることを誇っていることになるが、「それじゃマニッシュボーイってことになっちまう」という風に読める幅もあるのではないだろうか。「No B」の「No」が最後まで効力を発揮していると考えるなら、別に不自然な読み方ではないと思う。そもそも「boyでなくman」であることを強調している歌なのだから、最後になって「私はboyです」と言われたら今まで歌ってきたことは何だったのだという話になってしまう。なお、上述のように「mannish」は基本的に「男性的に振る舞う女性」に対して使われる言葉なので、男性に対して使うと多分「蔑称」の響きを持つ。その意味からしても、「マニッシュボーイ」をマディウォーターズが「自称」として使うことは、自虐の文脈以外においてはありえないのではないかと思う。皆さんの意見はいかがでしょうか。

I'm a natural born lovers man

…ここの翻訳は、辞書に載っていた通りです。

I'm a rollin' stone

rolling stone」は周知の通りマディウォーターズの代名詞なのだけど、飽くまで「Rolling stones gathers no moss (転がる石には苔がつかない)」ということわざを踏まえたフレーズとして、この言葉は意味を持っている。だから「苔の生えない」という訳語を補った。

I'm a hoochie coochie man

いつか出てくるだろうと思っていた「フーチークーチーという謎の言葉」については、「Hoochie Coochie Man」を翻訳する時に集中的に考察することにしたいと思います。現時点の結論としては、変な訳し方をすることなく「フーチークーチーという言葉」として覚えておけばいいのではないかというのが私の感触です。

Sittin' on the outside, just me and my mate
You know I'm made to move you honey,

「ふたりきり」と訳してはみたものの、「mate」という言葉は主に「同性の仕事仲間」に対して使われる言葉らしいので、この部分の歌詞の風景は、いまひとつ見えにくい。「配偶者」の呼び方としては「mate」でもおかしくないらしいけど、「honey」と呼ばれている「You」のことを「配偶者」と解釈するのは、この歌のイメージにそぐわない気がする。どうなんだろう。

Come up two hours late
Wasn't that a man

…ここが難しかった。「Come up」は「現れる」という意味。前半が「2時間たったらここに来い」という意味か、「2時間たったら来るよ」という意味かのどちらかであるのは間違いない。(主語がないから分かりにくい)。だが後半の「Wasn't that a man」。これは「私はmanではなかった」という意味でしか解釈のしようがないのだが、どういうことなのだろう。

ここから先は全く私の想像なのだが、この歌を歌っている時点でのこの歌の主人公は、世の中で一般的に「オトコになるための儀式」(「殺し」じゃないですよ)と呼ばれているものをまだ済ませていない、という「設定」があるのかもしれない。だから自分のことを「man」であるとイキってみせても、その実態は「boy」、行っていいとこ「mannish boy (オトコみたいなオトコノコ)」なわけである。そう解釈すれば、タイトルの意味も見えてくるような気がする。

それでこの主人公は、「今から2時間でその儀式を済ませてオトコになって戻って来るから待っててくれ」と「mate」に向かって頼んでいるのではないだろうか。だとしたら「mate」は何者なのだという謎は深まるばかりなのだが、同じような歌詞は後半にも出てきて、そこでは「2時間以内」が「5分以内」になっている。

The line I shoot will never miss

「shoot a line」は「見せびらかす」「大げさに言う」などの意味を持つ熟語なのだが、語源としては「ルアーを投げる」という意味なのだという。だったら、そう解釈した方がスッキリする。なお、この「line」については海外サイトでコカインを吸う時の粉のセッティングの仕方のことを言っているのではないかという解釈を見つけたが、そこまでしてドラッグと結びつける必要がある歌だとは思わない。

I think I go down,
To old Kansas Stew

「カンザス·シチュー」というのが何を指しているのかは分からない。歌詞サイトによってはこの部分が「To old Kansas too (俺カンザスに行く)」と表記されている。ボ·ディドリーの元歌でカンザスが出てくるので、そう聞けば不自然な歌詞ではない。

I'm gonna bring back my second cousin,
That little Johnny Cocheroo

…ここがとってもややこしい。英語版のWikipediaによるならば「Johnny the Conqueroo (征服者ジョニー)」というのはアフリカ系アメリカ人の間で語り継がれている昔話の登場人物であるらしく、アフリカでは王子の身分だったそのジョニーが、「奴隷」として売られた先のアメリカで、魔法の力を武器にして大活躍するという、そういうストーリーであるらしい。この歌に出てくる「little Johnny Cocheroo」はその「征服者ジョニー」のことであり、マディウォーターズは自分のマタイトコ(又従兄弟)がその伝説の人物なのだというホラを吹いてイキっているのだという解釈がまずひとつ。

さらにこの「征服者ジョニー」は、サツマイモ科の「ジャラップ」という植物の根っこのことを指す呼び名であり、この根っこには下剤としての強烈な薬効があるのだが、「ヴードゥー」の名で知られる黒人文化においては、その「征服者ジョニー」を「モージョー·バッグ」と呼ばれる袋に入れて持ち歩き、お守りにする風習があるのだという。それを持っていると「ギャンブルに負けない」のだそうで、つまりマディウォーターズは「自分はそれくらいギャンブルが強い」と言っているか「それくらい強い親戚がいる」と言っていることになる。

…ここまで奥深い話をされてみると、マディウォーターズ自身、アフリカ系以外の人間にこの歌詞の意味が理解できるとは最初から全然考えていなかったのではないかという気がしてくる。だから、いいかしら。この辺で。

戸川純 ヘリクツboy

つかえち。ではまたいずれ


=楽曲データ=
Released: June 1955
Recorded: Chicago, May 24, 1955
Key: D

Mannish Boy

Mannish Boy

ジョジョの奇妙な冒険 (18) (ジャンプ・コミックス)

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