華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Chest Fever もしくは胸が痛い (1968. The Band)


Chest Fever

「ミュージック·フロム·ビッグ·ピンク」のB面、「We Can Talk」から「Long Black Veil」を挟んでいよいよこの曲。ガース·ハドソンの魅せ場の到来である。



1937年8月2日にオンタリオ州ロンドンで生まれたガース·ハドソンは、ザ·バンドの中で一番年上で、かつ一番最後に加入したメンバーだった。父親は「昆虫学者」だったとかで、カナダの農業省に勤め害虫対策の研究などをしていたらしい。なのでガースの実家はメンバーの中でも一番裕福だったと同時に、一番厳格な家庭でもあった。

父親と同じ農業研究の道に進めというハイスクールの教師の指導を振り切って、ウェスタン·オンタリオ大学で和声学を学び始めたガースは、そこで完全無欠の音楽理論を身につけた。地元のバンドと共演したりジャズ·クラブでピアノを弾いたりしていた彼の演奏は、オンタリオ周辺でたちまち「伝説」となり、当時ホークスを率いていたロニー·ホーキンスは何としてもガースをバンドに引き入れたいと考えた。

ぼくたちは彼の豊かな音楽的知識に驚異した。ガースは、ポルカにもJ.S.バッハにも同じくらい深い関心を抱いていた。マイルス·デイヴィスと一緒にやることも、シカゴ交響楽団とやることも、「グランド·オール·オプリ」で演奏することもできるミュージシャンだった。
-リヴォン·ヘルムの自伝より

「ガースはふつうとちがっていた」とホーキンスは言う。「いつも頭ん中で、怪しげな音を鳴らしてる。あいつは、オペラ座の怪人みたいにプレイした。全然、ロックンロールぽい男じゃなかったけど、バンドにはよく合ってたな。あのころのオルガン弾きは、どこにでもしゃしゃり出てくるのがふつうだった。でもガースはおっとりかまえていて、たまにきめのフレーズや、ホーンの音を入れるだけだった。なにを入れて、なにを省けばいいか、あいつにはよぉくわかっていたんだ」
-バーニー·ホスキンズ「Across The Great Divide」より

ガースが「いかがわしいクラブ」で演奏することに反対していた彼の両親を、ホーキンスは「バンドメンバーに音楽理論を教えるための教師として、特別な高給でお迎えしたい」と説得し、晴れてガースはホークスの一員となった。そしてホークスが「ザ·バンド」になって以降も、「バンドの音楽の先生」としての彼の位置が変わることはなかった。他のメンバーとも一度もケンカしたり不和になったりした記録は見られず、またバンドが解散してからも、その技量を買われてあらゆる方面から引っ張りだこになっている。こういう人生を送れる人は、とてもうらやましいと思う。

画像検索で見つけた最近の写真を見ると、今やこの人は「仙人」の域に達している感じである。昔から浮世離れした感じの人ではあったけど、年と共にますますそれに磨きがかかってきたということなのだろう。そしておそらくこの人は、死なないのだろう。



「チェスト·フィーバー」は、そんなガース·ハドソンの独壇場とも言うべき曲である。バッハの「トッカータとフーガニ短調」をアレンジした有名な前奏は、ステージを重ねるごとにいろんなアドリブが重ねられて次第に長くなり、しまいには「The Genetic Method (発生の技法)」という曲名を与えられたひとつの「コーナー」と化して、その間は他のメンバーの休憩時間となった。とりわけ有名なのは1973年にニューヨーク州のワトキンス·グレンで50万人を集めて開催されたライブの時で、演奏中に豪雨が降り出して全員がステージから引っ込んだ時、ガース一人がオルガンの前に戻って即興のソロを弾き始め、雨が止むまで弾き続けてそこから「チェスト·フィーバー」に突入したのだという。「ダウジングの巨匠のガースが雨を止めたとしか思えなかった」とリヴォンは自伝に綴っている。


トッカータとフーガニ短調

嘉門達夫 鼻から牛乳

95年に発売された「Live at Watkins Glen」というCDにはその演奏の一部が収録されているが、後から知ったところによるとそのCDに入っている演奏は編集者の手によって切り刻まれ、雷の音などの「効果音」が加えられた「ニセモノ」と言うべき代物であるらしく、しかも他の収録曲に至ってはスタジオで録音された未発表曲にワトキンス·グレンの観客の声を重ねただけの完全な「インチキ」だったらしい。私も、ダマされた口だった。腹立つ。なのでYouTubeにそのトラックの動画は上がっているものの、リンクは貼らない。別のライブで演奏された「The Genetic Method」の動画リンクを貼っておく。しかしこの動画と「チェスト·フィーバー」の動画を「別々」に上げるとは、この動画を作った人は作った人で、ちっとも「分かっていない」と思う。


The Genetic Method

Chest Fever

そしてその「チェスト·フィーバー」の歌詞なのだが、昔のCDの歌詞カードに書いてあった内容はご多聞にもれず誤植だらけだったし、ネットの時代になってからも、やっぱり意味はよく分からなかった。文献によるとリハーサルの時にロビーが即興で考えた歌詞がそのまま使われているのだそうで、ロビーは後で書き直すつもりだったのだけど、機会がなかったとのことらしい。とまれ、こんな歌詞である。

Chest Fever

英語原詞はこちら


I know she's a tracker,
any scarlet would back her
They say she's a chooser,
but I just can't refuse her
She was just there,
but then she can't be here no more
And as my mind unweaves,
I feel the freeze down in my knees
But just before she leaves, she receives

知ってるぜ。
彼女は追っかけ屋だ。
緋色のあらゆる罪悪が
彼女の後にはついて回る。
みんなは彼女が
えり好みをする人間だという。
でもおれには彼女のことを
否定する気持ちになれない。
彼女はただそこにいただけで
もうここにはいられなくなる。
そしておれの心がほどけるにつけ
おれは膝から凍りついてしまいそうな
そんな気持ちになる。
でも旅立つ前には彼女はきっと
わかってくれる。


She's been down in the dunes
and she's dealt with the goons
Now she drinks from the bitter cup,
I'm trying to get her to give it up
She was just here,
I fear she can't be here no more
And as my mind unweaves,
I feel the freeze down in my knees
But just before she leaves, she receives

彼女はドゥーン(砂丘)のところにいて
ずっとグーン(ちんぴら)を相手にしてた。
彼女は今
苦杯を飲もうとしていて
おれは何とかして
それをやめさせようとしてる。
否定する気持ちになれない。
彼女はただそこにいただけでもう
ここにはいられなくなるんじゃないかと
思うとおれは怖い。
そしておれの心がほどけるにつけ
おれは膝から凍りついてしまいそうな
そんな気持ちになる。
でも旅立つ前には彼女はきっと
わかってくれる。


It's long, long when she's gone,
I get weary holding on
Now I'm coldly fading fast,
I don't think I'm gonna last
Very much longer

彼女が行ってしまってから
本当に長い長い時間が過ぎて
おれはもう待ち続けることに
うんざりしてしまった。
おれはいま冷たく急速に
消え去りつつある。
おれはもう長くないだろうって
そう思ってるんだ。


"She's stoned" said the Swede,
and the moon calf agreed
I'm like a viper
in shock with my eyes in the clock
She was just there somewhere
and here I am again
And as my mind unweaves,
I feel the freeze down in my knees
But just before she leaves, she receives

「彼女はドラッグ漬けだ」
とそのスウェーデン人はいい
そしてあの「月の仔」も
それに同意した。
おれはまるで時計を見て
ショックを受けてる毒ヘビみたいだ。
彼女はただそこに
そのどこだかにいた。
そしておれは
またここにやって来た。
そしておれの心がほどけるにつけ
おれは膝から凍りついてしまいそうな
そんな気持ちになる。
でも旅立つ前には彼女はきっと
わかってくれる。

=翻訳をめぐって=

I know she's a tracker,
any scarlet would back her

即興で作られたせいなのか、この歌詞には「ドラッグ絡みのイメージ」がいろいろなところに顔を出しているらしい。「tracker」は「追跡者」「警察犬」と辞書にはあるけれど、何しろこの曲ができた頃の彼らは、「つい最近」カナダ国境で全員が逮捕されるという災難にあったばかりだったのである。

「scarlet (緋色)」は「罪悪」を象徴する色だとされていると辞書にはあった。なるほどそれでシャーロック·ホームズのデビュー作は「緋色の研究」だったのかと、一人で納得している私である。同時に「scarlet」は「性的にみだらなこと」を象徴する色であるともされているらしい。

Now she drink from the bitter cup,
I'm trying to get her to give it up

「drink from the bitter cup (苦い杯から飲む)」というのは、日本語の「苦杯をなめる」と全く同じ表現である。調べてみるとこの「苦杯」という言葉は、新約聖書でイエスが十字架にかけられる前の夜、ゲッセマネの園で「神」に祈った言葉に由来しているらしい。

わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい。
-マタイによる福音書26:39

...これを踏まえるなら「苦杯をなめる」という言葉が意味しているのは「十字架による死を受け入れること」であり、「自ら進んで人の罪を引き受けること」になるのだと思う。てっきり中国の故事か何かに由来する言葉だと思っていたけれど、内村鑑三とかそういう人たちの思想がこだましている言葉だったのだな。

"She's stoned" said the Swede,
and the moon calf agreed

「moon calf (月の仔牛)」という言葉の意味は本当によく分からなかったのだが、調べてみると「calf」は「仔牛」だけでなく広く「動物の赤ちゃん」に対して使われる言葉であるらしく、「mooncalf」は「胎児の時から何らかの病気を持って生まれてくる動物や人間に対する呼称」であることが分かった。昔はそうした病気には「月の力」が影響しているという考え方があったからこうした言葉が生まれたらしいのだが、「calf」が「動物」に対する呼称であることを考えるなら、それが「人間」に対して使われる場合には最大級の「蔑称」であることが分かる。実際、現在では「精神障害者」を罵倒する差別語としての用例しか、ほとんど見出すことができない。「月の仔牛」という何となくロマンチックな響きから、例えばハリーポッターシリーズにはそういう名前の想像上の動物が登場したりもする。けれども原義としては本当に「ひどい言葉」であることを、踏まえておかなければならないと思う。


憂歌団 胸が痛い

...最後に「Chest Fever」というタイトルの意味なのだけど、これ自体、私には昔からよく分からなかった。「chest」は「胸郭/肺」もしくは「蓋付きの頑丈な収納箱」。「fever」は「発熱/熱病」さらには「興奮」という意味である。「胸の熱病」ぐらいに翻訳するのが一番フツーだろうが、「箱入りの興奮」みたいな意味でない保証がどこにあるだろう。とまれ、憂歌団の名曲のタイトルにもあることだし、ここでは「胸が痛い」説をとっておくことにしたい。ではまたいずれ。と書こうとしたら勝手に「see you again」と変換するのはやめろ「しめじ」のキーボード。


=楽曲データ=
Richard Manuel: Lead Vocal & Piano
Robbie Robertson: Electric Guitar
Rick Danko: Bass & Violin
Levon Helm: Drums
Garth Hudson: Lowrey Organ & Tenor Sax
John Simon: Bariton Sax
Key: E

Chest Fever (Live-Academy Of Music)

Chest Fever (Live-Academy Of Music)