華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

I Shall Be Released もしくは男らしいってわかるかい (1968. The Band)



1994年の春のこと。私のホームタウンだった奈良県奈良市は東大寺大仏殿前において、ユネスコ主催のとんでもないコンサートが開かれるという情報が、街を駆け巡った。「The Great Music Experience '94 "AONIYOSHI"」と題して、日本と沖縄からは布袋寅泰、X-JAPAN、玉置浩二、喜納昌吉&チャンプルーズ、海外からはジョン·ボン·ジョヴィ、ライ·クーダー、ジョニ·ミッチェル、そしてボブ·ディラン等々と、錚々たるミュージシャンが奈良に集まって、演奏を繰り広げる予定であるというのだった。

「The Great Music Experience」略して「GME」は、当時の国連ユネスコが相当な大風呂敷を広げて取り組んでいた文化企画で、予定ではこの1994年の奈良を皮切りに、その後7年間にわたってピラミッドや紫禁城、タージ·マハールなどの世界各地の文化遺産を会場に開かれてゆく予定であったらしいのだが、結局企画倒れに終わり、実現されたのはこの奈良における第一回目だけだったらしい。とはいえその様子は世界50ヶ国で放送され、今でもいろいろな国の人たちの記憶に残り続けている。というのは20数年たった今になって私がネットで調べて、改めて知った事実である。

東大寺周辺の静かな住宅街には、期間中は大変な騒音でご迷惑をかけるかもしれませんがご辛抱くださいという回覧板が一ヶ月前から配られ、無料の入場券が一軒につき2枚ずつ、挟まれていた。ぴあで買ったら一万円もしたチケットである。そしてその町内に偶然にも、そして幸運にも丸っきり音楽に興味のない知り合いがいた私は、首尾よくそのタダ券を文字通り無償で手に入れて、2回見に行った。開催期間は5月20日、21日、22日の3日間で、このうち最終日のステージは後からテレビで放送されることが決まっていた。つまり私はこのコンサートのステージを「全部」見たことになる。

その年に高校生になったばかりだった私は、同じようにチケットを手に入れた中学時代の友だちと2人して、近鉄奈良駅から若草山方面に登ってゆく「登大路」の坂道を全力疾走で駆けのぼり、東大寺に向かった。彼氏はボン·ジョヴィ目当てだったが、私はとにかくディランのことしか考えていなかった。ディランが奈良に来る。当時の私にとって、それはものすごいことだった。

そして息せき切って南大門前にたどりついた私たちを待っていたのは、この世のものとも思えないようなシュールな光景だった。あんなに不思議な風景というものを、今に至るまでその後の私は見たことがない。

幼稚園や小学校の頃から何度も訪れて見慣れた鏡池の周りは、ビックリするような数の人で埋め尽くされていた。どこの国から来たのかも分からないような人たちがいっぱいいて、どこの言葉かも分からないような言葉で興奮して喋り合っていた。だがそれだけなら、我々とて観光地の少年。それほど驚かなかったに違いない。

我々を完全に茫然とさせたのは、その中のおそらく半数以上を占めていたと思われる、「Xファンのお姉さんたち」の姿だった。

トシやヨシキと同んなじような格好をした無数のお姉さんたちが、革の匂いやらよく分からない甘い匂いやらを漂わせながら、池の周りの至るところで円陣を組んで「エックス!エックス!」と気合いを入れていた。ソフトクリームの包み紙か何かを地面に置いたまま立ち上がろうとした二人組を、全く面識のないと思われる別のお姉さんが捕まえて、「あんたたち、何考えてるのよ!Xファンはマナーが悪いって、みんなから思われちゃうじゃない!」と東京弁で怒鳴りつけていた。広島弁のお姉さんと東北弁のお姉さんたちが、同じ格好をして全然違う言葉で喋りながら、熱い友情を育みあっていた。大体の人は、我々より年上だった。我々は完全に、居場所をなくしていた。

真っ赤な髪の毛に真っ白なメイクとかそういう人たちは、基本的にテレビの中でしか見られないものだと思っていたから、そういう人たちが千人単位で集まっている迫力というのは、大変なものだった。中には、Xファンの世界観においてどういう位置づけを持っているのかということが今でもよく分からないのだけど、ゴムで作った馬の首をかぶっている人たちがチラホラいて、これはもう、単純に怖かった。

「紅」を弾く時にヨシキが着ていたゴージャスなウェディングドレスと全く同じ衣装をまとっている人がいたのだけれど、初夏の奈良公園を甘く見たのだろう。裾が鹿の糞で汚れて大変なことになっていた。その人は半泣きみたいな顔でウェディングドレスを思い切り引っ張り上げて歩いていたが、あの人はあの後どうなったのだろうかということが今でも気になってしまう。

我々のそばでピッッチピチの革パンツをはいて談笑していた背の高いお姉さんが、「私、ちょっとおならしてくる!」と快活に仲間に言い残して池の向こうに駆けて行き、革のパンツのヒップの部分を両手でつまみ上げておならをして、また快活に戻ってきた。何でそんなに細かい情景描写ができるのかといえば、私がその一部始終を見ていたからである。横に立っていた私の連れの友人も、一言も言葉は発しなかったけど、やはり「見ていた」に違いない。とはいえ彼氏と私がその時見たものについて語り合ったことは、今に至るまで一度もない。

いずれにしても我々が強く思ったのは、今日のコンサートに誰が出るにしても結局「主役」はこのお姉さんたちなのだろうな、ということだった。Xの出番が終わってこのお姉さんたちが一斉に引きあげてしまい、大仏殿前が半分ぐらいガラガラになってしまうようなことが起こったら、その後に出てくるミュージシャン達はどうなってしまうのだろうといったようなことがマジで心配になった。幸いにも、そんなことは起こらなかったのだけど。

初日のその日は、確か主催者側の段取りが悪くて、開場時間を過ぎてもなかなか中門脇の入口が開かなかった。だもんでみんなが待たされている中門と南大門の間の空間には次第にピリピリした空気が立ち込め、暴動でも起こりそうな雰囲気になった。何回か将棋倒しが起こりかけ、周りの人たちの化粧品の匂いで窒息しそうになりながら押し合いへし合いする中で私は、平重衡の南都焼討ちの時に「大仏殿に逃げ込めば安全だ」と街中の人が東大寺に押し寄せ、結局みんな焼き殺されてしまった時の雰囲気はこんな感じだったのだろうかといったような、遠い歴史に思いを馳せていた。

そしてようやく観光客用の入口が開き、チューブから搾り出されるマヨネーズみたいな感じで廻廊の内側によろぼい出てみると、普段なら8月15日と大晦日の夜の年2回しか開かないはずの大仏殿の「窓」が開き、そこから大仏の顔がのぞいていた。私と友人は「東大寺、気合い入ってるな」と言葉を交わし、テンションを高めあった。



そしてそれから3時間にわたって繰り広げられたステージについては、当初は全然そんな予定はなかったのだけど、一曲ずつをこのブログでじっくりと振り返ってゆく以外にないように思う。15歳だった当時の私は、自分がそのとき見ていたものの「意味」を、ちっとも分かっていなかった。ただそれを「体験」することができただけだった。

実を言うとザ·バンド特集の中締めで今回この「I Shall Be Released」という曲のことを取りあげることになるまで、このコンサートのことは私の記憶からほとんど抜け落ちていた。どこかの国の人がYouTubeに上げてくれた約2時間のこのコンサートの動画を改めて見直してみて、自分がそのひとつひとつの場面を完全に「覚えている」ことを私は確認した。けれども、驚いて引っくり返りそうになった場面がいくつかあった。


GME'94 AONIYOSHI

「うわっ!前座だと思ってたあの人たちは、アイルランドから来てくれたチーフタンズだったのか!」
「げえっ!あの時トランペットを吹いてた人は、エレカシと共演してた近藤等則さんだったのか!」
「うぜやん!そのとき一緒にソプラノサックスを吹いていたのは、マイルスと何年も一緒にやってたウェイン·ショーターだったのか!」

...等々といったことを、当時の私は全く「知らずに」聞いていた。そしてモッタイなくも、「早く終わって知ってる人が出てきーひんかな」等々といった会話を、横にいた友人と交わしていた。猫に小判、豚に真珠、いろんな言葉が世の中にはあるけれど、自分自身がその猫であり豚であったのだという事実に、今の今まで気づくこともないまま私は生きてきたことになる。だっさー。恥っずー。あの時「見ていたにも関わらず見ていなかったもの」の「おさらい」をしておかないと、このままでは死んでも死にきれない、という気持ちがまずひとつ。

そしてその一方では、いかにコドモだったとはいえ、国連ユネスコという「うさんくさい機関」が主催するイベントを有難がって見に行った当時の自分の姿勢というのはいかがなものだったのか、ということへの忸怩たる気持ちも、正直言ってある。このイベントのことが半ば自分の記憶から抜け落ちかかっていたことは、多分そのせいなのだと思う。当時の日本では、自衛隊の戦後初の海外出兵というとんでもない事態が、他ならぬその「国連」のお墨付きで推し進められつつあった。そうした当時の世界の歴史において、「国連主催」のあのイベントはどういう位置を持ったものだったのかということを、自分自身のためにも捉え返しておかねばならないという気持ちがもうひとつ。

いずれにせよ、四半世紀がたった今、自分が体験したのは文字通り「人生で一度だけの出来事」だったのだなと、率直に言って思う。その経験に対する「答え」を出しておかないと、「自分の青春に決着をつける作業」は終わりにならないし、またそうした「地元の少年」の目から見たあのイベントの記録をネットの片隅に残しておくことは、世の中の人のためにも決してムダな作業ではないと思う。

そんなわけで読者の皆さんにおかれましては、今回以降しばらくにわたって「GME'94 "AONIYOSHI"」特集で、私の思い出に付き合って頂ければ幸いに存じます。


The Band I Shall Be Released

ディランを含めた全ての出演者の演奏が終わり、最後に全員がステージに上がって歌われたのが、ザ·バンドのデビューアルバムの最後を飾る曲であり、そして映画「ラスト·ワルツ」の最後を飾る曲でもある、ディランの作った「I Shall Be Released」だった。ロックの歴史の中では「聖歌」とまで呼ばれている曲である。

自分の目の前で、しかも自分の地元で、そんな夢のような光景が繰り広げられているにも関わらず、その時の私は「ラストワルツの『I Shall Be Released』が見てみたいな」ということばかり考えていたことを、なぜか鮮明に覚えている。当時の私は「ラストワルツ」のことを本で読んで知っていただけで、まだ実際に見たことはなかったはずだったと思う。だから私は余計にそう思ったのかもしれない。

私という人間には、そういうところがある。気がつくとタバコを吸いながら「あータバコが吸いたい」とイライラしていたり、暑い夏の日に麦茶を飲みながら「あー麦茶が飲みたい」と飢え乾いたままでいたり、時々そんな風に「心が行方不明」になるのである。実際にタバコを吸い、麦茶を飲むという行為をカラダで味わっているにも関わらず、「本当の喫煙」「本当の飲茶」というものはそこではないどこか別の世界に存在しているように思われて、無意識のうちにそれを求めてしまい、心が満たされることがない。そんな時の私は「現実を生きていない」に違いないと、自分でも思う。でも、そうなってしまうと、「現実」から心が離れて行ってしまうことを、どうすることもできなくなる。

1994年の「I Shall Be Released」をYouTubeの動画で眺めながら、どうしてあの時の私はこのステージを「素直に」見ることができなかったのだろうな、と今さらのように思う。とりわけ2番のリードボーカルを務めるという大役を果たしていた玉置浩二さんに対して、申し訳ない気持ちになる。

もしも私が「自分の青春に決着をつけること」のできる日が来るとしたら、それは私が「思い出の中」でもなく「まだ見ぬ幻想の中」でもなく、「現実そのものの中」に生きることができるようになる日のことなのだろうな、とずっと昔から思っている。

だから、決着をつけなければならないのである。

I Shall Be Released.
われ、解放さるべし。

みっとも恥ずかしい話ではあるけれど、中学校の卒業アルバムに、私が自分で書いた言葉だった。


I Shall Be Released

I Shall Be Released

英語原詞はこちら


They say everything can be replaced
They say every distance is not near
So I remember every face
Of every man who put me here

すべてのものが
そこにある位置は
改められることのできるものだと
人は言う。
けれども
そのすべての間の距離は
決して手の届くようなものでは
ないのだとも人は言う。
だからわたしは
わたしをここに連れてきた
すべての人間の顔を
おぼえていることにしようと思う。


I see my light come shinin'
From the west down to the east
Any day now, any day now
I shall be released

わたしの光が
かがやいてくるのが
わたしには見える。
西から東に向かって。
もういつだって
もういつだって
われ解放さるべし。


They say every man needs protection
They say that every man must fall
Yet I swear I see my reflection
Somewhere so high above this wall

だれでも保護が必要なものだというし
だれもが必ず倒れるものなのだという。
けれどもわたしにははっきりと
自分の姿の映し絵が見える。
この壁の上の
はるかに高いどこかにだ。


I see my light come shinin'
From the west down to the east
Any day now, any day now
I shall be released

わたしの光が
かがやいてくるのが
わたしには見える。
西から東に向かって。
もういつだって
もういつだって
われ解放さるべし。


Now yonder stands a man in this lonely crowd
A man who swears he's not to blame
All day long I hear him shouting so loud
Just crying out that he was framed

この孤独の群衆の中の
ほらその場所に
ひとりの男が立っている。
自分には罪がないということを
断言している男だ。
一日中その男が
自分はおとしいれられたのだと
叫ぶ声がわたしには
聞こえ続けている。


I see my light come shinin'
From the west down to the east
Any day now, any day now
I shall be released

わたしの光が
かがやいてくるのが
わたしには見える。
西から東に向かって。
もういつだって
もういつだって
われ解放さるべし。


I Shall Be Released (1994.JPN)

=翻訳をめぐって=

もういつだって
もういつだって
われ解放さるべし

というフレーズは、片桐ユズルさんの有名な翻訳をそのまま転載させて頂いた形になっているのだが、「支配や抑圧からの自由」を求める運動、例えば「黒人解放運動」や「女性解放運動」といった文脈で「解放する」という言葉を使う際には、一般的には「release」ではなく「liberate」という動詞が用いられる。(「ウーマン·リブ」は「Woman Liberation」の略である)。これに対して「release」は、人間に対して使われる場合もあるのだけれど、「CDをリリースする」とか「ブラックバスをリリースする」とかいった形で、「束縛された状態にあるものを自由な状態にする」ということを即物的に表現する際に、使われるケースが多い。

ディランはここで恐らく「政治的な語感」の伴う「liberate」という言葉を注意深く避けて、あえて「release」を使っているのだと感じられる。歌の全体を貫いているのは主人公が刑務所的なところに閉じ込められているイメージであり、「いつかはそこから出られる日が来る」という希望が「release」という言葉に託されている。

けれども根本的な問題は、その刑務所的な場所から「出る」ことができたとして、果たして「本当の自由」は手に入るのだろうかという点に存在しているのではないかと、オトナになった私は思う。そこにおいて「liberate」でなく「release」で「済ませる」ことのできるディランの「自由観」というものは、やっぱりどこかしら「軽い」のではないかということを、私は感じずにいられない。

They say everything can be replaced

片桐さんの訳詞は「すべてのものはおきかえられるという」で、けだし名訳なのだが、「置き換えられる」と言った場合、「今あるものが新しいものに取って代わられる」というイメージになり、つまりこの歌詞は「時代は変わる」(ないし「時代は変わると人は言う」)的なメッセージを持っていることになる。

ところが辞書を引くと、「replace」には「置き換える」という意味と同時に「元の位置に戻す」という意味も存在している。この意味だと「時代は変わる」のではなくむしろ「逆戻りする」のがこの歌詞のイメージだということになる。どっちが正しいのか。多分どっちとも読めるように書かれているのである。ディランという人のやることだから。

だからどちらの意味も切り捨てないようにしようとしたら、「すべてのものがそこにある位置は改められることのできるものだと人は言う」という長ったらしい訳語にする他なかった。不細工なのは致し方ないと思う。

So I remember every face
Of every man who put me here

「そのように おれをここにつれてきた やつの一人一人の顔をおぼえている」というのが片桐さん訳なのだが、この「おぼえている」というのが主人公の意思と無関係に「おぼえている」なのかそれとも主人公の意志として「おぼえていることにする」なのかが、正直私の英語感覚では判断できない。できないことの上で、何となく雰囲気的に、後者で訳している。また「so」も「そのように」ではなく「だから」と訳した。何が「だから」なのかは判然としないが、「そのように」よりは「筋」が通っているように思う。

I see my light come shinin'
From the west down to the east

この「my light」が「自分の体から出ている光」なのか「自分のために輝いている何かの光」なのかは、謎である。「私の光」としか訳しようがない。とはいえ、まあ、後者だと思う。

これがもし「東から登って西に沈む光」なのだとしたら、フツーに考えて「太陽」のことだと解釈するのが妥当である。ところが歌詞は「西から東へ」となっている。だから、分からない。夕陽だったら「消えてゆく」のは見えるけど「輝いてくる」のは見えないもんな。時間の逆行のイメージだろうか。

Yet I swear I see my reflection
Somewhere so high above this wall

片桐さん訳は「たしかにおれの反射が見える」だが、「reflection」の意味するところは鏡や水面に映った自分自身の「像」である。その「像」が、鏡も水面も存在しない壁の上の中空に浮かんでいる、というイメージになるのだと思う。あたかも自分の本来いるべき場所はここではなくあの空なのだという感じにである。

Now yonder stands a man in this lonely crowd
A man who swears he's not to blame
All day long I hear him shouting so loud
Just crying out that he was framed

「lonely crowd」はいわゆる撞着語法。「寒い夏」的な、一見矛盾しているけれどよく考えるとありうるような言葉の組み合わせで、読み手を「考え込ませる」効果を持っている。なお、ここで私が最初に考えたのは「腹痛がカユい」という例文だったのだけど、これだと「一見矛盾しているがやっぱり矛盾している」組み合わせになり、読み手はそれ以上考えようがない。こういうのは、何と呼べばいいのだろう。

この3番で「自分の無実を訴える男」に対して、ディランの視線が「冷たい」と感じるのは私だけだろうか。そのことが昔から、気になっている。


ディランⅡ 男らしいってわかるかい

70年代初期に関西フォークの一時代を作った人たちの心には、この歌がこんなメッセージとして響いていた。翻訳と言うよりは改作だし、原曲の内容とはかけ離れているように感じられる部分もある。けれども私個人にとっては、こちらの方がディランの原曲よりもむしろ「聖歌」であると感じられる。ダサくても下手でも自己陶酔的でも、素直にこうした「願い」を言葉にすることができていた世代の人たちの子どもとして、私たちは生まれてきたのである。この人たちに限らず、多くの人たちがいろいろな「日本語バージョン」でこの歌を歌っている。内容にそれぞれ違いはあるけれど、「祈り」を感じさせる歌詞になっていることは、共通している。いくつかの動画を貼りつけて、今回の記事は終わりにしたい。ではまたいずれ。


友部正人&真島昌利 I Shall Be Released


RCサクセション I Shall Be Released


トム·ロビンソン&ハイロウズ I Shall Be Released


=楽曲データ=
Richard Manuel: Lead Vocal & Piano
Levon Helm: Back Vocal & Drums
Rick Danko: Back Vocal & Bass
Robbie Robertson: Acoustic Guitar
Garth Hudson: Lowrey Organ
Key: E

I Shall Be Released (2000 Digital Remaster)

I Shall Be Released (2000 Digital Remaster)