華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

The Crazy Cries Of Love もしくは二人はどうなった (1998. Joni Mitchell)


The Crazy Cries Of Love GME'94

The Crazy Cries Of Love

英語原詞はこちら


It was a dark and a stormy night
Everyone was at the wing-ding
They weren't the wing-ding type
So they went up on the train bridge
Where the weather was howling
And oh, oh, my my
When that train comes rolling by
No paper thin walls, no folks above
No one else can hear
The crazy cries of love

嵐でも来そうな
暗い夜のことだった。
みんなは飲み会をやってた。
二人は飲み会タイプじゃなかった。
だから風が吠える中で
二人は鉄橋によじ登った。
そして ああ
ものすごい勢いで列車が通り過ぎたら
薄いフェンスの一枚もないし
上には誰もいないし
二人のcrazyな愛の叫びは
誰にも聞こえない。


They were laughing, they were dancing in the rain
They knew their love was a strong one
When they heard the far off whistle of a train
They were hoping it was going to be a long one
Cuz oh, oh, my my
When that train comes rolling by
No paper thin walls, no folks above
No one else can hear
The crazy cries of love

二人は笑っていた。
雨の中で踊っていた。
自分たちの愛は無敵だと思っていた。
列車の遠い汽笛を聞いた時
二人はそれが
いつまでも続けばいいと思っていた。
だって ああ
ものすごい勢いで列車が通り過ぎたら
薄いフェンスの一枚もないし
上には誰もいないし
二人のcrazyな愛の叫びは
誰にも聞こえない。


In the back booth of an all night cafe
Two dripping raincoats are hanging
Outside in the weather
The shade on the streetlight is clanging
And they smile ear to ear and eye to eye
Ice cream is melting on a piece of pie
Oh, my my
No one else can hear
The cries of love

オールナイトカフェの奥の席には
濡れてしずくをたらす
二着のレインコートがぶらさがってる。
外の嵐の中で
街灯のひさしがカラカラ音を立ててる。
そして二人は微笑みを交わす。
耳から耳へ。
目から目へ。
パイの切れ端の上で
アイスクリームが溶けてゆく。
ああ 愛の叫びは
他の誰にも聞こえはしない。


Every kiss was sweet and strong
Every touch was totally tandem
As the train come a-rumbling along
They sang a lover's song of wild abandon
And oh, oh, my my
When that train comes rolling by
No paper thin walls, no folks above
No one else can hear
The crazy cries of love
No paper thin walls, no folks above
No one else can hear
The crazy cries of love

キスというキスが
甘くて力強く
お互いのタッチは
完全に息が合っていた。
列車の音が近づいてくるのに合わせて
二人は自由奔放な愛の歌を歌った。
そして ああ
ものすごい勢いで列車が通り過ぎたら
薄いフェンスの一枚もないし
上には誰もいないし
二人のcrazyな愛の叫びは
誰にも聞こえない。


「crazy」という言葉は「精神病者」に対する差別表現です。ここでは歌詞の原文をそのまま転載しました。

=翻訳をめぐって=

AONIYOSHI」におけるジョニ·ミッチェルさんの三曲目。前曲で共演したウェイン·ショーターに天平楽府の劉宏軍氏が加わって、すごく西洋の木管楽器的な音のする不思議な横笛の音を聞かせてくれている。おそらくシルクロードの古楽器を再現した笛なのだと思うけど、名前は分からない。この曲に関してもジョニさんの他の演目同様、なにぶんにも歌詞が分からなかったもので、私の印象には残念ながらほとんど残っていなかった。ディスコグラフィを見るとこの歌が初めてCDに収録されたのは1998年のことだったらしいから、ジョニさんはあのとき我々の前で「秘蔵の未発表曲」を演奏してくれていたことになる。

しかし今になって歌詞を読み直してみると、どういう「風景」が歌われている歌なのかということがすごく分かりにくい。サビのコーラス以外の部分は全部わかる。鮮明と言ってもいいぐらいである。しかし肝心のサビのコーラスが全然わからない。

「wing-ding (飲み会)」を抜け出した二人(のおそらく男女)が、列車の通る鉄橋によじ登るシーンから歌が始まる。なので私は最初、この歌は「心中の歌」なのだろうかと思ってしまった。

And oh, oh, my my
When that train comes rolling by
No paper thin walls, no folks above
No one else can hear
The crazy cries of love

「oh, oh, my my」というのはおそらく「間投詞」なので、「私の私の」とか訳する必要はないと思う。「paper thin walls」というのは「紙のように薄い壁」の複数形なので、おそらく線路の両側に立っているフェンスみたいなものをイメージした言葉だと思う。それが「ない」のである。そして「no folks above」は「誰も上にいない」。鉄橋の上には誰もいない、という意味だとしか考えられない。つまりこれが二人が登って行った「鉄橋の上」の情景描写であり、そこに列車がやって来たなら、轢かれるのか川に飛び込むのかは分からないけど、とにかく「二人の声は誰にも聞こえない」。そういう歌詞なのだというのが、第一印象だった。

そしてその印象は、二番の歌詞に入っても続いていた。雨の鉄橋の上で二人は笑ったり踊ったりして愛を確かめ合っている。そこに遠い列車の音が聞こえる。最後の時が迫っている。そういう歌詞だと思った。英語話者の人たちも、おおかたはそう思うのではないかと思う。

ところが三番の歌詞になると、明らかに二人はその鉄橋から「降りて来ている」感じである。さっきまで雨の中にいた証拠として、二着のレインコートが濡れてカフェのハンガーにぶら下がっている。そして二人はちゃっかりいいムードで美味しいものを食べている。さっきまでの緊迫した感じの歌詞は、一体何だったのだろう。

ことによると、あれだろうか。二人は別に心中するために鉄橋に上がったわけではなく、単にえろいことをするために鉄橋に上がっただけだったのだろうか。そしてえろい声をあげたとしても、列車の音がかき消してくれるという、それだけの歌詞だったのだろうか。

別にだからと言って下らないとかガッカリしたとか言う気は全然ないのだけど(だって、「ガッカリした」とか言うとまるで死んでほしかったみたいでしょ)、何か、キツネにつままれたような印象が残る。あるいはそれも含めて、ジョニさんが狙った通りの「効果」なのだろうか。分からない。

大体、英語圏に「心中」という「文化」って、あるのだろうか。調べてみたら和英辞典には「love pact」とか「love suicide」という言葉が載っていた。言葉がある以上は、そういう「現実」もまたあるということなのだと思う。

だったら「無理心中」って何て言うんだろうと思ったら、「murder-suicide」という言葉が載っていた。「殺人自殺」である。「無理心中」という日本語にはどうも「無理」な印象があると昔から思っていたので、こういう身もフタもない言い方をしてもらった方が、むしろ本質がハッキリして分かりやすい感じはする。しかしそれが「殺人」であるという側面を前面に出さずにあえて「心中」の一形態として表現することを選択している日本語話者の心性というのは、どこに由来しているのだろうか。「本質」などという言葉をさっき私は簡単に使ってしまったけど、立場を変えると「本質」を「隠蔽」する役割を果たしているのは逆に英語の「murder (殺人)」という言葉の方だという見方も、ありうるのかもしれない。

...ここまで来ると「心中論」を展開するしかないのではないだろうかという気がしてきてしまったが、ハッキリ言ってそれは私の手に余る。ブログを書いたり歌を歌ったりすることのできる人間は例外なく「一度も死んだことのない人間」なのである。それが他人の「死に方」をめぐってあれこれ勝手なことを言うのは、ひたすら醜悪なことだとしか思えない。「日本という国家のために戦争で死ぬ」という「死に方」を私は死んでも受け入れる気にはなれないし、そういう「死に方」を強制された人が称賛されることがあってもならないと思う。だからそういう話なら、場合によっては、する。でも同時に「死に方」というのはその人の最もプライベートな領域に属する部分の話でもある。そこに土足で踏み込むことが「正しいこと」であるとはどうしても思えない。

しかし一方で「個人的な死」や「プライベートな死」などというものは果たしてこの世にありうるのだろうかという疑問も、ずっと昔から私にはある。どう向き合うのが「正しい」態度か分からないからと言って、向き合うこと自体から逃げ出すのは、一番卑怯なことであるような気もする。とはいえ、やはり答えはない。

なので結局この歌の翻訳記事は、「狐につままれたような気持ち」のままで終わる他にないようである。歯切れの悪いことになってしまった。

ところで「狐につままれたような気持ち」という言い方についてなのだけど、狐につままれたことのある人って、いるのだろうか。どこをつままれるのだろうか。また狐の指ってつまめるようにできてるのだろうか。もういいか。ではまたいずれ。


=楽曲データ=
Released: 1998.9.29.
Key: C

The Crazy Cries Of Love

The Crazy Cries Of Love