華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

I Believe In You もしくはあなたを知っているから (1979. Bob Dylan)



1992年10月16日に開かれたボブ·ディラン30周年記念トリビュートコンサートで、満場のブーイングに立ち向かってボブ·マーリーの「War」を歌ったシネイド·オコナーが当初に歌う予定だったのは、ディランが作ったこの歌だったのだという。昔だったらそれだけの理由でちょっと聞いてみたいとか思っても、CDは高いしイナカでは売ってないし、なかなか思うようになるものではなかった。けれども今ではネットにさえつながっていれば、大体何でも聞ける。せっかくなのでその曲も聞いてみて、翻訳してみることにしたい。

YouTubeで見つかったのは、1999年にイギリスのロイヤル·アルバート·ホールでこの歌を歌うシネイドさんの映像だった。90年代後半のこの時期のシネイドさんの映像は大体こんな風に髪を伸ばしていてそれがまた結構いい感じなのだが、ある人から「エンヤを意識してるんですか?」と訊かれてそれでまた丸刈りに戻してしまったのだという。今でも丸刈りである。誰か知らないけど、大変なことを言ってしまった人がいたものだと思う。

とまれこうまれ、四半世紀前のあの日に私を含めた世界中の人が聞き逃してしまった彼女からディランへのトリビュート曲は、こんな歌だった。


I Believe In You

I Believe In You

英語原詞はこちら


They ask me how I feel
And if my love is real
And how I know I’ll make it through
And they, they look at me and frown
They’d like to drive me from this town
They don’t want me around
’Cause I believe in you

どんな気がするんだって
私の愛は本物なのかって
うまく行くなんてどうしてわかるんだって
みんなが私に訊きます。
そしてみんなは
私を見ては顔をしかめます。
みんなは私のことを
この街から追い出したがっています。
みんなは私に
そばにいてほしくないんです。
私があなたのことを
信じているからです。


They show me to the door
They say don’t come back no more
’Cause I don’t be like they’d like me to
And I walk out on my own
A thousand miles from home
But I don’t feel alone
’Cause I believe in you

ドアはあっちだってみんなが言って
二度と戻って来るなって言います。
私がみんなのしてほしいように
しないからです。
それで私は一人で立ち去ります。
ふるさとからは千マイルも
離れてしまいました。
でも孤独だとは思いません。
私はあなたのことを
信じているからです。


I believe in you even through the tears and the laughter
I believe in you even though we be apart
I believe in you even on the morning after
Oh, when the dawn is nearing
Oh, when the night is disappearing
Oh, this feeling is still here in my heart

涙の時も笑いの時も
私はあなたのことを信じています。
離ればなれになってしまっても
私はあなたのことを信じています。
目が覚めて
後悔ばかりが押し寄せるような朝にさえ
私はあなたのことを信じています。
ああ 夜明けが近づくとき
ああ 夜が消えてゆくとき
ああ この気持ちは今も
私の心の中にあります。


Don’t let me drift too far
Keep me where you are
Where I will always be renewed
And that which you’ve given me today
Is worth more than I could pay
And no matter what they say
I believe in you

あまりに遠くまで
さまよわせるのはやめてください。
私をあなたの
いるところにいさせてください。
そこでなら私はいつでも
生まれ変わり続けて
いることができるんです。
今日という日に
あなたが与えてくれたものは
私にはとてもお返しのできないものです。
そしてみんなが何と言おうと
私はあなたのことを信じています。


I believe in you when winter turn to summer
I believe in you when white turn to black
I believe in you even though I be outnumbered
Oh, though the earth may shake me
Oh, though my friends forsake me
Oh, even that couldn’t make me go back

冬が夏へと変わる時にも
あなたのことを信じています。
白が黒へと変わる時にも
あなたのことを信じています。
数で負けたとしたって
あなたのことを信じています。
ああ 大地が私のことを震わせても
ああ 友人たちが私のことを見放しても
ああ 私が
後戻りすることはないでしょう。


Don’t let me change my heart
Keep me set apart
From all the plans they do pursue
And I, I don’t mind the pain
Don’t mind the driving rain
I know I will sustain
’Cause I believe in you

私の心を
変えさせないでください。
みんなが追いかけている目的からは
私のことを遠ざけてください。
そして私は
私は傷ついたって平気です。
雨の中だって平気です。
自分には耐えられるってことが
わかります。
私はあなたのことを
信じていますから。


I Believe In You (Dylan '80)

=翻訳をめぐって=

1978年11月のこと、ということは私が生まれた年だ。ディランはカリフォルニア州でのコンサートで客席から飛んできた銀の十字架を何気なくポケットにしまい、数日後にその十字架に触れた時、突然「神の啓示」を受けたのだという。翌年にはキリスト教に改宗(彼の実家はユダヤ教)し、「ゴスペル三部作」と呼ばれる極めて宗教色の強いアルバムを続けざまにリリースし始める。「I Believe In You」はその最初の作品にあたる、「Slow Train Coming」というアルバムの収録曲である。

そんな話を聞かされて、私が聞きたいと思うわけがない。しかもこの「ゴスペル三部作」は、言っちゃあ何だけどジャケットが最悪なのだ。後になればなるほど、ひどくなる。そんなのに高いカネを払わねばならなかった20世紀はもとより、月額1000円のAppleミュージックで何でも聞けるようになった現在に至っても、ディランのその辺の作品に対してだけは、手を出そうという気持ちになったことが今までに一度もなかった。






それが聞いてみると「フツーにいい曲」だったもので、「何やねん、むかつく」という感じがしている。フツーにいい曲だったら別にむかつく必要など何もないはずなのに、いちいちむかついてしまう自分が何よりもむかつく。

とはいえ私はディランのオリジナルより、シネイドさんのバージョンの方がずっと好きだな。

中川五郎の手になる「ボブ·ディラン全詩集」では、この歌に「きみを信ず」という邦題が与えられており、男性から女性に向けた愛の歌として翻訳されているのだけれど、この歌はそういう歌ではないと思う。そういう側面もあるかもしれないが、それがこの歌だと言うのは違う。それだけは、間違いなく言える。

しかしながら「単純に」神に向けられた信仰告白の歌であるとも、私には思えない。

この歌は「静かな決意の歌」だと私は思う。世の中にはそういう「ジャンル」に分類されうる歌が、時として存在する。

「静かな決意の歌」は例外なく謙虚な言葉で、神や恋人や故郷の風景といった、「歌い手にとって一番特別な何か」に向けて歌われている。けれどもその「何か」は、本当はそんな風に「名前のついた何か」であるとは限らないものなのだと思う。それをあえて一般的な言葉にするなら、「世界中が自分のことを信じてくれなくなっても、ずっと変わらずに自分のことを信じ続けていてくれる誰かあるいは何か」に向けて歌われているのが「静かな決意の歌」なのだということになる。と私は思う。

そしてそうした「誰かあるいは何か」は、本当はどこにもいない。いるとしたら「自分の中」にしか、そういう誰かあるいは何かの存在は見つけることができないはずなのだ。

それなのに人間は自分ひとりの力では、その誰かあるいは何かの存在を「確かめる」ことができない。その誰かあるいは何かは例え自分の中に存在するものだとしても、やはり「自分とは違う存在」なのである。だからその誰かあるいは何かの存在を「信じている」ことを人間が言葉にしようと思ったら、そこには必ず「他者」の存在が必要になる。

「誰かが自分のことを信じてくれている」という気持ちは、「自分は信じている」という言葉でしか、本質的には表現しようのない感情なのだ。

「静かな決意の歌」はその「他者」に向けて歌われる歌だし、その「他者」を見つけることができた人間にだけ歌えるのが「静かな決意の歌」である。

だから「静かな決意の歌」は、「自分を信じている人」にしか決して歌うことができない。

私にはそういう歌を作ることができた経験はないし、そういう言葉で文章を綴ることができた経験もない。けれども「静かな決意の歌」がそういう歌であることは分かる。ということは私という人間の中にも、そんな風に「自分を信じること」ができるようになれる可能性は、存在しているということなのだと思う。あくまで可能性はということなのだけどね。

だからなのだと思う。私は「静かな決意の歌」が好きである。

「静かな決意の歌」には夢がある。

歌詞の翻訳をめぐって一点だけ書いておくなら、「morning after」という言葉は多くの辞書では「二日酔い」と訳されているのだけれど、そこから派生したのかそれともその原義なのか、「(飲み過ぎ・けんかなどの後の)後悔」という意味で使われることもある言葉なのだという。だとしたらそういうニュアンスで訳した方が、この歌の内容にはずっとふさわしいと私は思った。


鈴木祥子 あなたを知っているから

ではまたいずれ。



SLOW TRAIN COMING

SLOW TRAIN COMING