華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

A Rainy Night In Soho もしくはいつかのソーホーの雨の夜 (1986. The Pogues)



シネイド·オコナーの歌う「I Believe In You」という曲に数日前に触れたとき以来、おもちゃ箱をひっくり返したようにいろんな曲が頭の中を回り始めて、それと一緒にずっと忘れていた古い思い出が次から次へとよみがえってくる、不思議な感じに包まれている。私の人生には、そういうことが時々起きる。一回目に起こったのは21歳の時で、二回目に起こったのは33歳の時だった。今回は三回目ということになるのだけれど、何分まだ三回しか起こっていないことなので、何年周期でそういうことが起こるとか起こった後にはどんなことが起こるかとかいったことをデータみたいな形で示すことは、今のところできない。また過去のことを振り返ってみても、それをきっかけに自分の人生に大きな変化が起こったとかそういうことは特にない。けれども何か自分の中で「大切なこと」が起こりつつあるということだけは、自分自身でもハッキリ分かる。だから今はしばらく、とりとめもなく頭の中に浮かんでは消えてゆく無数の懐かしいメロディに、黙って耳を傾けていることにしたいと思う。

マルセル·プルーストの「失われた時を求めて」という小説は、そういえばそれと同じようなエピソードから始まっているという話を、聞いたことがある。ただし彼の場合に「思い出ぽろぽろ」の「引き金」になったのは、「歌」ではなく何かの「匂い」であったらしい。とはいえ読んだことはないので詳しいことは知らないし、読む予定も今のところない。図書館で見たことあるけど長いし。それにそういう話だったら読まなくても大体わかるし。(ちなみに内藤やす子の曲名は「思い出ろぼろ」であり、ジブリの作品名は「おもひでろぽろ」である。「似てるけど違うこと」がテーマになっているのだと思う。たぶん)

次から次へと頭の中を流れ続けるいろんな歌の中で、通奏低音のようにずっと鳴りやむことなく響き続けている歌がある。今までずっと大好きだったけど、日本語に置き換えることができずにいた歌だ。おそらく「翻訳するなら今」だということなのだと思う。知らなかった人はこれを機会に、一緒に聞いてみてほしい。こんな歌である。


A Rainy Night In Soho

A Rainy Night In Soho

英語原詞はこちら


I've been loving you a long time
Down all the years, down all the days
And I've cried for all your troubles
Smiled at your funny little ways
We watched our friends grow up together
And we saw them as they fell
Some of them fell into Heaven
Some of them fell into Hell

ずっと好きだったんだぜ。
今でもだ。
出会ってからの何年ものあいだ
おまえのことを
愛さなかった日はなかった。
おまえが困ったことになるたびに
おれは声をあげて泣いたし
おまえのちょっとした
笑える仕草を見るたびに
にやにやがこみあげてくるのを
止められなかった。
おれたちが年をとるように
友だちも年をとっておとなになり
その姿をおれたちはずっと見ていた。
みんなが落っこちてゆく姿も
ずっと見ていた。
天国に向かって
落っこちていったやつもいたし
まっすぐ地獄に向かって
落っこちていったやつもいた。


I took shelter from a shower
And I stepped into your arms
On a rainy night in Soho
The wind was whistling all its charms
I sang you all my sorrows
You told me all your joys
Whatever happened to that old song
To all those little girls and boys

夕立ちの中で
濡れない場所を見つけて
おまえの腕に飛び込んだ。
いつかのソーホーの雨の夜のことだ。
風はありったけの
魔法の言葉を吹き鳴らしていて
おれは自分の全部の悲しみを
歌にしておまえに聞かせた。
いまいましいその歌に
何が起ころうと
世界中のちっちゃな
女の子たちと男の子たちの身の上に
何が起ころうと
おまえがおれに聞かせてくれたのは
おまえのよろこびについてだった。


Sometimes I wake up in the morning
The ginger lady by my bed
Covered in a cloak of silence
I hear you talking in my head
I'm not singing for the future
I'm not dreaming of the past
I'm not talking of the first time
I never think about the last

朝になっておれが目を覚ますと
赤毛のレディが
沈黙のマントにくるまれて
おれのベッドのそばにいた。
そんなことが時々あった。
頭の中では
おまえの言葉が響き続けている。
おれは未来のために歌ってるんじゃない。
昔の夢を見ているわけでもない。
はじめての時のことについて
話しているわけでもない。
最後の時について考えるような気は
おれにはない。


Now the song is nearly over
We may never find out what it means
Still there's a light I hold before me
You're the measure of my dreams
The measure of my dreams

歌はもうすぐ終わろうとしている。
何についての歌なんだか
おれたちには一生わからないことだろう。
それでもおれには
おれの前を照らす明かりがある。
おまえはおれの夢をはかる物差しなんだ。
おれの夢をはかる物差しなんだよ。

=翻訳をめぐって=

I've been loving you a long time

中学校の教科書に出てきてもおかしくないくらい、極めてシンプルな現在完了進行形の一文なのだけど、しっくり来るような日本語訳がずーっと私には見つからなかった。(そして今でも見つかっていない。こういう状態が、英語では「現在完了進行形」で表現される)

「ずっと好きだったんだぜ」と訳すと何やら「告白」みたいに響くけど、そう響かせてしまうと誤訳になるのだ。この一行目の歌詞の言葉は、あえて直訳するなら「私はあなたのことを本当に長いあいだ愛し続けてきたものだ」といった感じで、そこに込められた気持ちはおそらく「詠嘆」なのである。

その気持ちを理解することができても、的確な日本語に置き換えることができないのは、日本語話者は基本的にそういうことを「言わない」からなのだと思う。詠嘆は、しないことはないと思うけど、そういう形ではほぼ絶対に言葉にしないのだ。だから結局私には、上のような形で翻訳することしかできなかった。

この歌に限らずポーグスのいろんな歌には、本当に単純な言葉で書かれているにも関わらず、「他の言葉」にどうしても置き換えることのできない表現が、たくさん出てくる。それはシェイン·マガウアンという人が、それだけ本物の詩人だからなのだと思う。こういう時には原詞の言葉のシンプルさを犠牲にして、歌詞が喚起するイメージをなるべくひとつも取りこぼさないような形での翻訳を、心がけるより他にない。今回の試訳は全体がそんな風に、あえて文法的な対応を無視した「意訳」になっている。2行目の「Down all the years, down all the days」からしてやはりそうなっているわけで、直訳すると「すべての年のあいだにさかのぼって、すべての日のあいだにさかのぼって」みたいになるのだけど、日本語話者は絶対こういう表現はしない。「年」と「日」との並べ方からして、英語と日本語では感覚が違っているのである。

I took shelter from a shower
And I stepped into your arms

ここも上の訳し方だと、「雨宿りできる場所を探したら、それがおまえの腕だった」みたいに読めてしまう余地があるが、そういうイメージを与えてしまうと誤訳になるのであって、原詞の言葉遣いからするならばシェインは「まず夕立ちにあって雨宿りできる場所にかけこみ、しかるのちに彼女の腕に飛び込んだ」ことになる。しかしその映像を完璧に再現しようと思うとどうしても訳詞が説明くさくなる。難しいものである。そこが翻訳の面白いところでもあるのだけれど。

On a rainy night in Soho

私は長い間この「ソーホー」をニューヨークの一角にある街の呼び名だと思っていたのだけど、今回調べてみると実はロンドンにも「ソーホー」と呼ばれる街があり、しかもそちらのソーホーの方が「本家」だったのだということが分かった。だったらこのソーホーは間違いなくロンドンのソーホーである。Wikipediaによるとそこから派生したソーホーという地名は「香港のソーホー地区やニューヨークのソーホー地区、ブエノスアイレスのパレルモ・ソーホー等、世界各地で娯楽・飲食店街を表す語として使われている」のだそうで、何だか放っておくと知らないあいだに日本でもイケすかない連中がどこだか分からない場所で会議を開き、六本木だか天王寺区だかを勝手に「ソーホー」に変えてしまいそうな非常にイヤな予感がする。そんなことはさせないぞっ。ぼくはまじめなのだぞっ。誰だ今「ぼくらのパーマン出来上がり」って歌ったやつはっ。
ソーホー (ロンドン) - Wikipedia

Sometimes I wake up in the morning
The ginger lady by my bed

「ginger lady」を直訳すると「ショウガの淑女」。私がこのかん愛読させてもらっているブログで「ミョウガの妖精」のマンガを描いている人がいて、そんなイメージまで紛れ込んでくるものだからなかなか的確だと思える「歌の風景」が浮かんでこないのだが、主にイギリスでは「ginger (ショウガ)」は「赤毛」を形容する言葉として使われているらしい。そういえばハリーポッターでも、その友だちのロンの一家の人たちはみんな「ginger」という言葉で形容されていた。

ただし海外サイトによると、この「ベッドのそばのショウガのレディ」というのは「ウイスキー」のことであると解釈している人が、結構いるらしい。そしてこの部分にとどまらず実はこの歌の全体が、パートナーへの愛を歌うと見せかけて実は「ウイスキーへの愛」を歌った歌なのだという解釈が、ファンのあいだには根強く存在するらしい。シェイン·マガウアンは何しろ飲みすぎのせいで自分のバンドさえクビにされたような経歴を持つ人物なので(91年の日本公演の際の出来事だったという)、説得力のある意見ではある。

Now the song is nearly over
We may never find out what it means

シェイン·マガウアンによるとこの歌は「ある日突然頭の中から湧きあがってきた」のだそうで、自分が書いた歌だという意識は、彼氏の中にはないらしい。

You're the measure of my dreams

...最後の最後になって「物差し」である。こんなにいい歌詞なのに訳詞が「物差し」。竹。30cm。何か他に、もっとふさわしい訳し方は見つからないものなのだろうか。この際、読者のみなさんからも募集させてもらいたいと思います。


パーマンのえかきうた

ぱわーっち。ではまたいずれ。


=楽曲データ=
Released: 1986
Key: C

A Rainy Night in Soho

A Rainy Night in Soho