華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Song for Palestine もしくは Stop The Music #2 (2011. Pink Floyd)

Song For Palestine

(We Shall Overcome)

英語原詞はこちら


We shall overcome,
We shall overcome,
We shall overcome, some day.

われわれは必ず勝利する。
われわれは必ず勝利する。
われわれは必ず勝利する。
いつの日か。


Deep in my heart,
I do believe
We shall overcome, some day.

心の奥深くで
わたしは固く信じている。
いつの日かわれわれは必ず勝利する。


We'll walk hand in hand,
We'll walk hand in hand,
We'll walk hand in hand, some day.

われわれは手に手を取って歩む。
われわれは手に手を取って歩む。
われわれは手に手を取って歩む。
いつの日か。


Deep in my heart,
I do believe
That we will walk hand in hand,
One day.

心の奥深くで
わたしは固く信じている。
いつの日かわれわれは
手に手を取って歩むだろう。


And we’ll break down the prison walls.
We will tear down those prison walls.
Together we will tear down the prison walls on that day.

われわれは監獄の壁を打ち破る。
われわれはあの監獄の壁を引き倒す。
その日われわれは力を合わせ
監獄の壁を引き倒す。
いつの日か。


Deep in my heart,
I do believe.
That we will tear down all those prison walls,
on that day.

心の奥深くで
わたしは固く信じている。
その日われわれは
あのすべての監獄の壁を引き倒す。


And the truth will set us free,
The truth will set us free,
The truth will set us all free,
On that day.

真実がわれわれを自由にする。
真実はわれわれを自由にする。
真実はその日
われわれのすべてを自由にする。


And, deep in my heart,
I do believe.
That the truth will set us all free.
And we shall overcome,
On that day.

そして心の奥深くで
わたしは固く信じている。
真実がわれわれのすべてを自由にする。
そしてその日
われわれは必ず勝利する。


Song For Palestine

一昨日に他の人のブログでスウェーデンのアヴィーチーというミュージシャンの名前を初めて知り、曲を聞いたら良かったもので詳しく調べてみたところ、先月の20日に亡くなっていた人だったことが分かりました。そのことにショックを受け、新聞も読まずに半日かけて追悼翻訳記事を書き上げた後で、ニュースを見たらその間に、パレスチナではイスラエルへの抗議デモに参加した人たちが実弾射撃で58人も虐殺されていたのだということを、一日遅れで初めて知りました。

私は、完全に言葉を失っています。

人の命の重さに変わりはないし、「人数」の問題でももちろんないのだけれど、自分は何をやっていたのだろうと思わずにいられません。

自分より一回りも年下で、数多くの「すごい音楽」を作ってきたアヴィーチー君というミュージシャンが、出会った時には自ら命を絶っていたなんて、そんなことがあるだろうかと私は思いました。でも私が「そんなこと」で頭をいっぱいにしていた間に、パレスチナでは数えきれないほどの人たちが銃撃を受け、殺され続けていたのでした。今この瞬間も、虐殺は終わっていません。

5月14日という日に「そういうこと」が起こるだろうということは、トランプとネタニヤフがその日に向けて周到に準備していたことを思うなら、当然予想できていたはずのことでした。それにも関わらずその日の私は「一人のミュージシャンの死が自分の人生にもたらす意味」を考えることで頭をいっぱいにしていて、その間じゅう、パレスチナの人たちのことを「忘れて」しまっていました。

自分の頭の中にあったのがそれとは別の形で「人の命に関すること」だったということが、自分自身でなおさら醜悪に思えてなりません。アヴィーチー君の追悼記事を書くことが自分にとって「リアルな問題」に思えていたその分だけ、自分はパレスチナの人たちの命を「軽く」扱っていたのではないかということを、リアルタイムで配信されてくる目を覆いたくなるような現地の写真から、突きつけられているような気がします。

だから私は本当に言葉を失っています。何のためにブログなんて書いてるんだろうか、書いてきたんだろうかと、自分で思わずにいられません。

けれども、「書く必要もないこと」をさんざ書き散らしてきた上で「本当に書かなければならないこと」から目をそらすなどということは、人間として一番卑怯な「逃げ方」だと思います。日本語を通じてではあれ世界のどこからでも見えるような形でブログを発信している以上、書くべき最低限のことだけは、書いておかねばならないと思います。



パレスチナ問題は「複雑な問題」であるということが、どっちつかずのマスコミでは必ず強調されています。私自身、全部を知っているわけではありません。けれども、今イスラエルの手によってガザや西岸やエルサレムで行われていることが「絶対に許せないこと」であることは、私にも分かります。そして何が起こっているのかということを、知らなければならないと思います。

70年前まで、「イスラエル」という国家は世界地図のどこにも存在していませんでした。武装したシオニストがパレスチナの地を占領し、何代にもわたってそこで暮らしてきた人たちを力づくで追放して「建国」されたのがあの国家です。

  • パレスチナで起こっているあらゆる出来事については、「何が悪いのか」ということをハッキリさせなければならないと私は思います。そこにおいて許せないのは、また滅ぼされるべきは、「ユダヤ人」という存在ではなく「シオニズム」という選民思想であると考えます。だから私は「シオニスト」という言葉を使います。

nagi1995.hatenablog.com
イスラエル「建国」の直前にあたる1948年4月9日には、エルサレム近郊にあったデイル·ヤーシンという村の人々が、シオニストの武装組織によって皆殺しにされました。先祖伝来の地で暮らしていた全てのパレスチナ人に対する、「立ち退かなければ同じ目に遭わせる」という「見せしめ」のためでした。全土で同様の暴力と威嚇が繰り広げられ、1948年中に70〜80万ものパレスチナ人が「難民」として故郷を離れることを強いられました。着の身着のままで避難してそのまま家に戻れなくなった無数の人たちとその家族が、今でもガザやヨルダン川西岸地区で、また周辺諸国で「難民」として生きることを余儀なくされています。

パレスチナの人々の多くが逃れたガザ地区と、エルサレムを含むヨルダン川西岸地区は、1967年以降新たにイスラエルの軍事占領下におかれ、現在でも占領が続いています。現在のガザ地区は完全な軍事封鎖を受け、「天井のない監獄」と呼ばれる状態のもとにあります。(上に取りあげた歌の中でピンク·フロイドのロジャー·ウォーターが「監獄の壁」と呼んでいるのは、そのガザ地区を封鎖する「壁」のことです)。また西岸地区においても、占領後に作られたシオニストの入植地を保護するためと称して何重もの「隔離壁」が建設され、パレスチナの人々の生活はズタズタに分断されています。

イスラエルの「建国」を最初に「承認」し、その最大の支援者となってきた国家が、アメリカでした。そのアメリカのトランプが昨年12月、イスラエルのアメリカ大使館をテルアビブからエルサレムに移転すると発表しました。これはパレスチナの人々はもとより、世界中から非難の集中を受けているイスラエルによるエルサレムの軍事占領を、アメリカが国家として追認するという宣言に他なりません。

トランプはその大使館移転を、イスラエルの「建国記念日」にあたる5月14日に設定してきました。パレスチナの人々にとってはその日こそが故郷を奪われた「屈辱の日」であり、「ナクバ(大破局)」の始まりの日だったのです。イスラエルによる占領にお墨付きを与えるという、パレスチナの人々にとって一番許し難いセレモニーを、パレスチナの人々が一番許し難いと感じる日付を選んで、わざとぶつけてきたことになります。

こんな挑発的な話があるだろうかと思います。

他の年であっても、パレスチナの人々にとっては5月15日が「ナクバの日」であり、イスラエルへの抗議行動が最も激しくなる時期なのです。そのパレスチナの人々のことを「存在しないものとして扱う」アメリカ大使館のエルサレム移転を、あえてその日に合わせてきたということは、それにかこつけてパレスチナの人々の抵抗を「叩きつぶす」ことを、初めから目的にしていたのだとしか私には思えません。

シオニストの政治家と軍隊は、パレスチナの人たちが「怒る」ことを初めから承知した上で、あらかじめ銃に実弾を込めて、「待っていた」のです。

大虐殺は「初めから」準備されていたのです。

筋書きを書いたのは、トランプとネタニヤフです。

トランプは「そういうことがやりたくて仕方なかった」から、歴代のアメリカ政権にもなしえなかった大使館のアメリカ移転を、あえて自分の代でやってのけてみせたのです。

それを自分では「英雄的行為」だと思っているのです。

こんな許し難い話があるだろうかと思います。



ガザで大虐殺が繰り広げられ、武装したシオニスト兵がエルサレムの市街を埋め尽くす中で、「平和」に飾りつけられた米大使館の仮建物では、主賓にトランプの娘を迎え、居並ぶ出席者たちの百万ドルの笑顔のもとで、移転式典が華やかに開催されていました。私はYouTubeで二日遅れでそれを見ました。こんなに悪魔的な人間たちの顔があるものなのだろうかと思いながら見ていました。

おそらく「身の安全」を考えたのでしょう。式典には参加せずアメリカからビデオメッセージを送ってきたトランプも、またイスラエルを代表して演説していたネタニヤフも、示し合わせたかのように、「これが平和の第一歩になる」と口にしていました。

彼らの言う「平和」という言葉の中身は、「パレスチナ人が抵抗を放棄すること」であり、もっと言うなら「パレスチナ人がいなくなること」を意味しているのだと思います。そういう「平和」が実現されるまで自分たちはこれからもいくらでも暴力を行使するということを、宣言しているにすぎません。

胸が悪くなります。

でも、無駄です。

パレスチナの人々が「抵抗」をやめることなど、ありえないからです。



世界中のどんな国であっても、デモ隊に実弾射撃が加えられるようなことが起こったら、その時は間違いなく「その政権が終わる時」であり、革命が起こる時です。けれどもシオニスト達とパレスチナの人々は、「占領者と非占領者」の関係にあります。そうした非対称的な関係の中にあって、シオニストによる一方的な迫害は、70年にもわたって変わることなく、パレスチナの人たちの上に襲いかかり続けてきました。

それにも関わらず、パレスチナの人々が「抵抗」を放棄したことは一度もなかったのです。

「希望」はそこにしかないのだと思います。

「パレスチナ問題」に限った「希望」ではありません。世界中の至る所で「人間らしく生きる権利」を踏みにじられている、「人間らしく生きたい」と願っている、すべての人にとっての「希望」です。

現在ガザでは、既にこれだけの人が殺されているにも関わらず、今なお数えきれないほどの人々が「国境」フェンスに殺到し、それを乗り越えようとしています。フェンスに近づけば標的にされることが分かっているのに、何十人が殺されても、何千人が負傷しても、老いも若きも男も女も、フェンスに向かうことをやめずにいます。「壁の向こうの自分たちの家に帰るんだ」と叫びながら、歌いながら、フェンスに向かって突き進んでいます。

「そんなことをするから殺されるのだ」などという言葉を口にできる人間は、結局トランプやネタニヤフと同じ心の持ち主なのだと思います。

例え撃たれてもそこに向かって行けるという心こそが、希望なのだと思います。

ガザの皆さんに、どんなことがあってもその「壁」を突き破ってほしいと私は思っています。そしてそのために自分に何ができるのかを、考えなければならないと思います。

音楽を止めましょう。

  • アメリカはパレスチナから手を引け。
  • イスラエルは占領をやめろ。
  • パレスチナの人々に勝利を!



ガザの皆さんに笑顔が戻ったというニュースが届くまで、このブログはお休みさせてもらいます。ではまたいずれ。


Resistance is not Terrorism =抵抗はテロではない=