華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Tintarella Di Luna もしくは月影のナポリ (1959. Mina)


Tintarella Di Luna

Tintarella Di Luna

イタリア語原詞はこちら


アブロンザーテ とぅて キアッテ
Abbronzate tutte chiazze
ペゥリ ろっせ、うん ぽ ポナッツェ
pelli rosse, un po' paonazze
そん れ ラガッツェ け プレンドノ る ソル...
son le ragazze che prendono il sol...
ま ちぇ ね ウーナ け プレンデ ら ルーナ
Ma ce n'è una che prende la luna!

日焼けの痕のシミ。
赤く灼けた肌の上にぽつりぽつり。
それは女の子たちへの
太陽からの贈り物。
でもこの歌が歌うのは
月に灼けた肌のこと!


ティンタレラ でぃ ルーナ
Tintarella di luna,
ティンタレラ ころ ラッテ
tintarella color latte,
とぅた ノテ すて す テット
tutta notte stai sul tetto,
そぷら いる テト こ み ガッティ
sopra il tetto come i gatti,
え せ ちゃ ら ルナ ぴえな
e se c'è la luna piena
トゥ でぃべんてぃ カンディダ
tu diventi candida
ティンタレラ でぃ ルーナ
Tintarella di luna,
ティンタレラ ころ ラッテ
tintarella color latte,
け ふぁ ビアンカ ら トゥア ペッレ
che fa bianca la tua pelle,
てぃ ふぁ ベラ ふら れ ベルレ
ti fa bella fra le belle,
え せ ちゃ ら ルナ ぴえな
e se c'è la luna piena
トゥ でぃべんてぃ カンディダ
tu diventi candida

月に灼けた肌。
ミルク色の月焼け。
あなたは一晩じゅう屋根の上。
猫みたいに屋根の上。
もしもその日が満月だったら
あなたはたちまち純白になる。
月に灼けた肌。
ミルク色の月焼け。
あなたの肌を真っ白にする。
美しさの中の美しさに変える。
もしもその日が満月だったら
あなたはたちまち純白になる。


てぃんてぃんてぃん(な) ラッジ でぃ ルーナ
Tin, tin, tin, raggi di luna
てぃんてぃんてぃん、ばっちゃの テ
tin, tin, tin, baciano te.
ある モンド ねっすーな
Al mondo nessuna
あ カンディダ こめ テ!
è candida come te!

ティンティンティン
月の光よ。
ティンティンティン
あなたにキスしたい。
この空っぽの世界は
あなたみたいに真っ白け!


Tintarella di luna,
tintarella color latte,
tutta notte stai sul tetto,
sopra il tetto come i gatti,
e se c'è la luna piena
tu diventi candida
e se c'è la luna piena
tu diventi candida
e se c'è la luna piena
tu diventi candida... candida... candida!

月に灼けた肌。
ミルク色の月焼け。
あなたは一晩じゅう屋根の上。
猫みたいに屋根の上。
もしもその日が満月だったら
あなたはたちまち純白になる。
もしもその日が満月だったら
あなたはたちまち純白になる。
純白に
純潔に
真っ白になる!


森山加代子 月影のナポリ


W 月影のナポリ

=翻訳をめぐって=

ミチコオノ日記」の作者の人による新作絵物語「」のプロモーション企画として、このかん「月に関する歌」を何曲か取りあげてきたわけだけど、この歌がこんなに面白い、と言うか変わった歌だったということは、調べてみるまで全然知らなかった。「ティンタレラ」とはイタリア語で「日焼け」のことで、「ティンタレラ·ディ·ルナ」は直訳すると「月の日焼け」ということになる。日本語の「日焼け」という言葉には既に「日」の文字が入っており、論理矛盾を起こしてしまうのであれこれ工夫して翻訳する他になかったのだが、それを言い出すと「焼ける/灼ける」という言葉を使うこと自体も、どうなんだろうという気持ちになってしまう。「白くなる」って言ってるわけだもんな。

聞いていてとても耳につくのが「カンディダ」という言葉で、「純白/純潔」を意味する気高いイメージのラテン語らしいのだけど、日本語化された「カンジダ」が意味するところは、水虫等々、他人にあまり見せたくない人体の部位に取りついてカユミを起こさせる真菌類の総称である。歌を味わうためにはそんなことは忘れるべきだとも思うのだが、とりわけ「è candida come te! (あなたのように真っ白に)」という部分はどうしても「カンジダ込ーめーて!」と聞こえてしまう。そんなものを込められても、困ってしまう。

日本語化された歌詞の中では「ティンティンティンと胸のなる」という形で副詞化されたり、「ティンティンティンのお月様」という形で形容詞化されたりしている謎のフレーズ「ティンティンティン」の意味するところなのだが、「ティンタレラ」が「日焼け」、さらに「ティンジェーレ(tingere)」が「染める」という動詞であることから考え合わせるなら、イタリア語話者の耳に「ティンティンティン」は「染めて染めて染めて」みたいな感じで響いている可能性も、あるのではないかと思う。知らんのやけど。

あと、歌の中に「ナポリ」は全く出てこない。歌っているミーナ·マッツィーニさんという人も、イタリア北西部のミラノのあたりの出身らしいので、南国のイメージの強いナポリとは全く関係がない。などと言うとまるで私がナポリという街のことを「知って」でもいるかのような言い方になってしまうが、私自身、スパゲティのナポリタンとナポリの街には何の関係もなかったことを今回調べてみるまで全然知らなかったような体たらくなのである。

7割方茹でたパスタを冷まし、5時間以上放置した上で湯通しすることで麺のもっちりした食感を出す
ナポリタン - Wikipedia

...というのが私という日本人の「ナポリ」に対するほとんど唯一のイメージだったのだから、ナポリの人が知ったら絶対に怒るだろう。そういう一知半解をいましめるために、「ナポリを見て死ね」ということわざはあるのかもしれない。日光という場所を目にしたこともないくせに結構という言葉を使い続けていた私ではあるのだけれど。余談ながら京都という観光地のことをホメるのに「京都ならでは」という表現を使うのは、本当にやめてほしい。奈良のことなんか話し手の頭の中には100%存在しないことは分かりきっているにも関わらず、いまだにそのフレーズを聞くと「奈良のこともホメてくれてるんだ」という風に心が反応してしまう、自意識過剰な私は奈良県人だから。私は自意識過剰な奈良県人だから。自意識過剰な私が奈良県人だから。まとまらなくなってしまった。終わり。


note.mu
nagi1995.hatenadiary.com


=楽曲データ=
Released: 1959.9.
Key: F