華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Sex & Drugs & Rock & Roll もしくは星空ペイズリー (1977. Ian Dury)



401曲目の今回は、このブログが始まった頃からの一番古い常連さんの一人であるid:guzuni、ぐずにさんからリクエストを頂いた、イアン·デューリーの「Sex & Drugs & Rock & Roll」を取りあげてみたいと思います。いよいよ500曲が射程に入ってきたこの新しい節目に、改めて「ロックとは何ぞや」という公案を投げかけられたような気持ちで、心なしか緊張しております。

えー...以下、社交用の文体から独白用の文体に切り替えさせてもらいます。

「セックスドラッグロックンロール」という「定番フレーズ」を私が初めて聞いたのは、確か二丁目時代の千原兄弟のネタを通じてだったはずである。当時の二丁目ではぴのっきをさんの「ずんたかずんた」を筆頭に、ネタに入る前に独創的なブリッジを入れるのが流行っていたのだけれど、千原のそのネタは「星空ペイズリー」という架空のコンビになりきって、最初から最後までそのブリッジだけを延々とやり続ける、という趣向のものだった。

...やや説明不足かな。

だいたい大阪のテレビ局の電波が届く範囲で80年代から90年代にかけて多感な季節を送った日本の人口のごく一部を除く大半の人々は、「二丁目」自体を知らない方がむしろフツーなはずなのである。そこから遡って説明するしかないのかもしれない。

一番初めの頃は私もまだ小さかったからよく知らないのだけど、80年代の前半。朝のポンキッキの後のおはようナイスデイでは山一戦争とグリコ森永事件のニュースがエンドレスに流れていて、日航機が墜落したり阪神が21年ぶりに優勝したりしていた頃のことだ。漫才ブームが終わった後、関西の「笑い」の世界はかなり深刻な閉塞状況を迎えていたのだそうで、それを打開すべく当時の吉本興業がいろいろ「新しいこと」を始めた。そのひとつがNSC(吉本総合芸能学院)の開設で、その第一期生として後に有名になったのが、大きくはダウンタウンとトミーズとハイヒールである。トミーズとハイヒールを他地方の人たちがどれくらい知っているかについては、確信が持てないのだけど。

そのNSCを拠点に若い世代がだんだん育ってきたのに合わせ、大阪市中央区の戎橋のたもと、誰もが写真やテレビで一度は見たことがあるであろう道頓堀川のグリコの看板の対岸に、「心斎橋筋二丁目劇場」というのが、新しく開設された。そしてそこからダウンタウンが司会を務める「四時ですよーだ」という番組の放送が始まり、大阪は「二丁目ブーム」で、すごいことになる。ただしその頃すごいことになっていたのは私にとっては一回り年上のイトコの姉ちゃん世代の人たちで、当時の私は小学生だったから、その「面白さ」はあんまり分かっていなかった。私自身が「二丁目」を意識するようになったのは、そのダウンタウンが東京に行ってしまい、ブームが去った後になってからのことだった。

そしてその頃の二丁目劇場というのは、本当に「焼野原」みたいなことになっていた。

ダウンタウンの頃から出演していたリットン調査団さんが、「坊さんが屁をこいた」をミュージカル仕立てで再現するというテンションの高いネタを、狭い舞台の上で全身全霊を振り絞って熱演していても、まばらにしか入っていない観客は、クスリとも笑わないのだった。

いや、笑いたいと思っている人はいた。しかし周りが誰も笑わないものだから、自分だけ笑うと恥ずかしいもので、下を向いて必死に笑いをこらえているのだった。笑うために劇場に来てるはずなのに。あんなシュールな空間というものを、私は今でも他に知らない。

そんな空間でしか上演されることのできないコントは、たとえどんなに面白いコントであったとしても、面白くなるはずがなかった。それにも関わらず全力でコントを繰り広げ続ける当時の芸人さんたちの姿は、私にとってもやはり面白くなかったし笑うこともできなかったけれど、それでもひたすら「カッコよく」感じられた。自分もああいう風に生きたいし、生きなければならないと思えてしまうレベルのカッコよさだった。

だから、以前にも書いたことがあるけれど、当時の二丁目に出ていた芸人さんたちのことを私は今でも無意識に「さんづけ」で呼んでしまう。リットンさん、ミモファルスさん、しましまんずさん、あんどう鰐さん、ジャドリストさん…それ以前と以降の芸人たちのことは、平気で呼び捨てにできるのだけど。

そんな人たちが一生懸命頑張って二丁目を支え続けていた中で、私の中では「後から出てきた」というイメージが強い「天然素材」と呼ばれる6組のグループ(ナインティナイン、雨上がり決死隊、FUJIWARA、チュパチャプス、へびいちご、バッファロー吾郎さん…なぜかバッファローさんだけが私の中では「さんづけ」になる)を吉本が集中的に売り出し始めたことをきっかけに、大阪の「笑い」の世界はもう一度、少しずつにぎやかなことになり始める。そしてその後に千原兄弟、トゥナイト、ジャリズム、メッセンジャー、誉といった破壊力のある若手がカタマリのように現れだして、二丁目はいわゆる「ワチャチャの時代」を迎えることになる。この時、私は高校生になっていた。そしてその頃には、「新たな二丁目ブーム」と呼びうるものがハッキリと完全に近畿圏の世界を席巻していた。

そんな風に「ブーム」が始まると、今度は「面白くないネタまで面白く見えてくる」ということが起こり出すのである。そのことにずっと私は違和感と言うか釈然としない気持ちを抱え続けていたのだけど、何しろ私自身もその時には、その熱気の中に丸ごと包み込まれてしまっていた。当時の私たちは、家でも学校でも寄れば触れば、音楽の話と二丁目の話「しか」していなかったように思う。二丁目で誰かがそれまでになかった斬新な突っ込み方を開発すれば、それが放映された翌日には学校中の誰もがその突っ込み方をマネするようになっていて、そうした状況は当時の関西地方のどこでも同じだったに違いないと思う。振り返ってみれば、「あんなことの何がおもろかったんや」と恥ずかしくなってしまうような思い出というのは、多々ある。しかしあの頃の私たちは、二丁目があったおかげで確かに「楽しい時間」を過ごすことができていた。そのことは、否定しようのないことだ。

大体私が高校を卒業するぐらいまでそうした状態が続き、その後1999年に二丁目劇場は閉鎖されてしまったのだけど、その頃には私はもう地元を離れてしまっていたから、最後がどんな感じだったのかは全然知らない。いずれにしてもそんな風に、私を含めた決して少なくない数のあの時代の少年少女たちにとって、「二丁目」は今でも心の中の消えない伝説となり、残り続けているのである。はずなのである。

それにつけてもあの頃の千原兄弟というのは、本当に「エラそー」だった。ナイナイや雨上がりの時代の後の一時期、二丁目の笑いは「天素には入っていないけどそれと同格」みたいな印象のあったベイブルースというコンビがリーダー格になることで支えられていた感があったのだが、そのベイブルースの河本栄得さんが1994年の秋に25歳で亡くなるという悲劇が起こる。生きてはったらその後の日本の笑いの歴史は変わっていたに違いないと私は今でも思っているのだけれど、とにかくその後の千原兄弟は完全に「大阪では怖いモンなし」みたいな感じになって、誰もがその勢いの前にひれ伏していた。それは今になって振り返るなら、ハッキリと「異様な状況」だった。

今でも強烈に覚えているのは、1994年のABCお笑い新人グランプリの結果発表の時の情景で、千原兄弟が(最優秀ではなく)優秀新人賞に選ばれたことが告げられた時、千原浩史はカメラに向かって思いっきり「舌打ち」をしてみせたのである。いくら面白くてもこういう人間を放っておいていいものなのだろうかとその時の私はマジで思った。ちなみにその時の最優秀賞がますだおかだだったのだけど、二人の態度はそれと対照的なぐらいに謙虚で丁寧でかつ堂々としていて、立派なものだった。松竹の笑いを見直さなければならないと思ったのも、あの時だったように思う。

だから全国区になって以降の千原浩史がいろんなところで卑屈なぐらいに愛想のいい態度を振りまいているのを目にすると、私は笑けてしゃーなくなってくる。しかし一方で「いじめることのできる相手」を前にした時にはどこまでもエラそーになり残虐になり、かつそのことで「笑いを取る」という作風については、今でも全く変わっていない。そしてそのことは、千原浩史に限ったことではない。

それを見ながら一緒になって笑っていたということが、今の私にとっては最大の「青春の汚点」になっている。

笑いというものは「権威の否定」みたいな文脈で語られることもあるけれど、私が物心ついてからずっと見てきた商業演芸の世界というのは、結局誰よりも権威に対して卑屈な人間、そして同時に他人に対して権威を振りかざすことが大好きな人間たちだけが「売れる」世界だった。ワチャチャの頃の二丁目の芸人たちの姿に、当時の私はクリエイティブな人間同士が刺激を与えあって新しいものを創造してゆく理想社会の姿を見るような憧れを感じていたものだったけど、実際にはその中には厳密な「位階制度」が存在し、かつそこからハミ出した人間を徹底的にいじめたり排撃したりすることで、その「共同性」が再生産されていたにすぎなかった。その構造は今でも変わらないし、今ではもっとそうなっているような感じがする。

かつての自分があれほど憧れ、その一員になりたいとさえ思っていた当時の二丁目芸人たち、現在では全国区のマスコミ文化のかなり主要な一角を占めるに至っているかれらの姿が、今の私には、と言うかもうずいぶん以前から、松本人志を頭目とするファシスト集団にしか見えないようなことになってきている。昔の吉本興業は、中国大陸を侵略していた日本の軍隊を鼓舞するために「笑わし隊」という慰問団を派遣するというおぞましい戦争協力を行っているのだけれど(だって、人殺しのモチベーションを上げるために「笑い」が使われるわけなのですよ)、近い将来にそれと同じようなことを溢れる情熱をもって繰り広げようとする「えらいさん」が現れた場合、それに反旗を翻すことのできる芸人たちというのは、今のあの世界には果たして存在しているのだろうか。そういえば「ピース」というコンビもいたけれど、今ではすっかり活動休止状態になっている。笑えない、本当に笑えない符合である。

そうした吉本文化に深くコミットしていた中島らもという作家はかつて、「すべての笑いは差別から生まれる。だから差別は必要なのだ」という絶対に許すことのできないセリフを吐いてみせたその上で、小説の中で自分の彼女に「じゃあ、赤ちゃんの笑いはどうなるのよ」と言わせてみせるという、言い訳がましいことをやっていた。そんな意味深なことをやってみせても、彼氏が「差別を居直る生き方」を選択した人間であるという根本的な部分は、何も変わらない。だから中島らもが何を言っていようと今の私には知ったことではないのだけれど、じゃあ笑いとは何なのか、という問いは、やはり切実なものとして存在し続けている。私だって誰だって人間は笑うことが「好き」だし、笑いを忘れて生きていける人間なんて一人もいるわけがないからである。しかし「人殺しを奨励する笑い」が世の中を覆いつくしたとした時、「それに対抗できる笑い」というものを、我々は果たして生み出すことができるのだろうか。そうした笑いはどこから生まれてくるものなのだろうか。

私は自分が「人の作ったものの評論」しかできない人間であり、自分の力で何か新しいものを生み出すということを全然やれない人間であるということを、情けないぐらいよく知っている。だからこんな時代にあってなおかつ、「人を笑い者にすること」を拒否しながら「人を笑顔にしてくれるもの」を創造しようとしている人たちのことを、無条件に応援したいと思うし、また応援することしか私にはできない。その人たちがこれから作り出すものに、決して大げさな話ではなく、人間社会の未来がかかっているのである。高岡ヨシさん、山猫さん、夏バテオさん、「」さん、明読斎さん、絶望さん、「」と「ミチコオノ日記」の作者の人さん、本当に、頑張って下さいね。

…というか私は、すさまじい脱線に踏み込んでしまっているような感じがする。

何でこんな話になってしまったのだろう。二丁目時代の千原兄弟がブリッジを連発するコントをやっていた、という話からだ。「二丁目時代の千原兄弟」までは、当時を知らない人にも大体説明できたのではないかと思う。となると次は「ブリッジ」の話をしなければならないわけか。


オールザッツ漫才 1991年

当時の二丁目の芸人たちの間では、ショートコントに入る前に二秒間ぐらいの短いパフォーマンスをやってからネタの名前を紹介するという文化と言うかスタイルみたいなものが存在しており、それが「ブリッジ」と呼ばれていたのである。私が覚えている「ブリッジ」の一番古い例は、上の動画の9:15からネタを披露しているぴのっきをさんの「ずんたかずんた」というやつであり、文字で説明しても絶対わからないので、ぜひ現物を見て確認してもらいたい。この人たちは、ネタは言っちゃあ何だがしょーもなかったけど、ブリッジだけは本当にカッコよかったし、オシャレだった。

ブリッジの「元祖」がぴのっきをさんだったのかということまでは私には分からないのだけど、その後いろんな後輩芸人たちが自分たちのコントを「ブリッジ方式」で演じるようになっていった。私が覚えているのを列挙すると

  • メッセンジャー
    • 「メッセンジャーがお送りする!」と言った後にロープを引っ張るような動作を右、左と繰り返し、「ショートコント!」と叫ぶ。
  • ジャリズム
    • ネタがひとつ終わるたびに「じゃーりずむっ」と言いながらハイタッチの上から下から版みたいなことをする。(わかんねー...)
  • 水玉れっぷう隊
    • 「るんぱっぱるんぱっぱるぱ!」と言ってからネタに入る。
  • リミテッド
    • 「リミテッドがお送りする!ハイ!ワンツー!」と叫んでからネタの名前を言う。
  • TKO
    • 「ずっずっちゃっちゃ」「ちきちきちー」というDJサウンドの口真似でネタとネタの間をつなぐ。
  • G-MENS
    • ネタがひとつ終わるたびに、手のひらにメモしてきた次のネタのタイトルを一生懸命確認する。

...文字で書いたって面白くも何ともないのだけど、探してみると全然動画が残っていないのである。メッセンジャーの動画数なんてあんなに沢山あるのに、あの「ぎゅーっ」「ぎゅーっ」というめちゃめちゃ面白かったブリッジが入っている動画は、10本ぐらいネタを見たけど結局見つからなかった。とにかくあの頃はそれぞれのコンビが自分たちのブリッジをやるたびに客席からものすごい歓声が湧き起こったものだったのだが、そういう光景って、今では私たちの心の中にしか残っていないものなのだろうか。

そうやって一時は隆盛を極めた「ブリッジ文化」なのだけど、私が覚えている限りではプラスチックゴーゴーの秒殺コントという「すごいの」が出てきて以降、だんだんとシンプルな感じのネタ紹介が主流になり、「野性爆弾の爆弾コント」の頃になると特徴的なブリッジというものはもうほとんど見当たらなくなっていたように思う。今でも「ブリッジ方式」でコントをやっている芸人さんがいるのかどうかは、最近の私はテレビを全然見ないので、知らない。

それでそんな風に「ブリッジ方式」が一番流行っていたその頃、そういうメタなネタをやることの好きだった千原兄弟が、「ブリッジだけで構成されたコント」というのを作り出したのだ。「星空ペイズリー」という名前の架空の漫才コンビになりきって、「バックします。バック転します」「できるか」というだけの短いネタを何回も繰り返しながら、その間を20種類ぐらいの違ったブリッジでつないでゆくというのがその内容だった。(これでもやっぱり、読む人には全然わからないよな...)

  • 「あっちもこっちもそっちもこっちも見てちょーだい、星空ペイズリーでした!」
  • 「匂いまっか?匂いまへん。星空ペイズリーでした!」
  • 「丸いモノにはカドがない、星空ペイズリーでした!」

...そういう、何が面白いのか全然わからないのだけど、勢いだけで笑わされてしまうようなブリッジが矢継ぎ早に繰り出され、そしてその中に

「セックスドラッグロックンロール!セックスドラッグロックンロール!星空ペイズリー!でした!」

というのがあったのである。そのブリッジで「セックスドラッグロックンロール」という言葉を生まれて初めて聞いた私は、

うお、かっこいい。

と思ったのだった。









...たったそれだけのことが言いたかったというだけのために、ここまでほぼ9千字の文字数を費やしてしまった私のような人間のことを、世の中の人は果たして何と言うのだろうか。

とにもかくにもようやく「セックスドラッグロックンロール」にまでたどり着くことができたので、後は巻き進行で行きたいと思うのだが、そんな風にしてその言葉と出会った私は、えー、カッコいいと思った。自分がそれをやるかどうかはともかくとして、自分の生き方というものをしっかり持った人が使う、カッコいいフレーズだと思った。カッコいいよね。言ってみたいよね。セックスドラッグロックンロール。僕もそう思うよ。言ってみたいだけかもしれないけどね。

その後、ベット·ミドラーの「ローズ」という映画で、彼女がステージの上から

ドラッグ!セックス!ロックンロール!
(↑順番がちょっと違う)

と絶叫するシーンを見て、「ああ、千原の元ネタはこれだったのか」と当時の私は思った。そして「ローズ」のモデルはジャニス·ジョプリンなわけだから、「セックスドラッグロックンロール」というフレーズは少なくとも彼女の時代から、ということは60年代の後半ぐらいから、アメリカでは一つの文化を象徴するようなキーワードになっていたのだろうなという風に、今回の記事に着手するまでの間、私はずっと漠然と考えていた。

しかし「ローズ」の公開が1979年だった一方で、今回取りあげるイアン·デューリーの「Sex & Drugs & Rock & Roll」が発表されたのは、調べてみるとそれに先立つ1977年なのである。ことによると「セックスドラッグロックンロール」の元祖は実はこのイアン·デューリーで、60年代ではなく70年代、アメリカ発信ではなくイギリス発信の言葉だったというのが、実際だったのかもしれない。それでもっとよく調べてみたら、それが正解だったとのことだった。だから私と同じような勘違いをしていた人は、このブログに出会えたおかげでその勘違いを改めることができたことになる。つまりこのブログはそれだけ世の中のために役立つことができたということになるのである。よかったよかった。ここまでで一万字になってしまったけどそれも決してムダではなかった。

イアン·デューリーといえば(...この期に及んでまだ別の話を始めるのかよ。私。今回の記事はどれだけ読者の人に体力を要求するものになっているのだろう。て言っか、まともに読んでくれてる人って、いるのだろうか)、あのブロックヘッズと一緒にやってた人なわけである。忌野清志郎が「Razor Sharp」というアルバムでソロデビューした時にバックを務めていたのがこのブロックヘッズだったわけで、PVを見てみるとそれと全く同じ音が響いているものだから、うれしくなってしまう。ただし「Sex & Drugs & Rock & Roll」が発売された当初は、ブロックヘッズはまだバンドとしては成立しておらず、この曲はイアン·デューリーのソロ作品として発表されたということになっているらしい。そして名前にだけはずっと昔から馴染みのあったこの人の楽曲というものを、実は私は今に至るまで一度もまともに聞いたことがなかった。

...というわけで、ようやく試訳を紹介できるタイミングが訪れてくれたようです。ここまでこのダラダラした文章に延々と付き合って下さった全ての読者のみなさんのガッツに、心からの敬意を評します。


Sex & Drugs & Rock & Roll

Sex & Drugs & Rock & Roll

英語原詞はこちら


Sex and drugs and rock and roll
Is all my brain and body need
Sex and drugs and rock and roll
Is very good indeed

セックス、ドラッグ、ロックンロール。
私の頭脳と肉体に
必要なのはそれだけだ。
セックス、ドラッグ、ロックンロール。
実に全く良いものだ。


Keep your silly ways, or throw them out the window
The wisdom of your ways, I've been there and I know
Lots of other ways, what a jolly bad show
If all you ever do is business you don't like

ふざけた生き方をつらぬきたまえ。
さもなくば
窓から投げ捨ててしまうことだ。
きみがかしこい生き方をえらんだことは
経験あるので私にもわかる。
他にも生き方は山ほどあるよ。
もしきみのやることなすことのすべてが
やりたくない仕事でしかないんだとしたら
それは何て素敵で
邪悪なショーなんだろう。


Sex and drugs and rock and roll
Sex and drugs and rock and roll
Sex and drugs and rock and roll
Is very good indeed

セックス、ドラッグ、ロックンロール。
実に全く良いものだ。


Every bit of clothing ought to make you pretty
You can cut the clothing, grey is such a pity
I should wear the clothing of Mr. Walter Mitty
See my tailor, he's called Simon, I know it's going to fit

きみの着ているものは
きみを素敵にするためにあるのだ。
何なら切り裂いたっていい。
グレーな色は辛気くさい。
私なら
ウォルター·ミッティーの服を着るね。
私の仕立屋を見てやってくれたまえ。
サイモンと言うのだが
実に良い仕事をしてくれるよ。


Here's a little bit of advice
You're quite welcome it is free:
Don't do nothing that is cut price
You know what that'll make you be
They will try their tricky device
Trap you with the ordinary
Get your teeth into a small slice
The cake of liberty

さて
ちょっとしたアドバイスをさせてほしい。
気にすることはない。
カネなんていらないよ。
安売りされてる生き方に
首は突っ込むもんじゃない。
そんなことをしたらどうなってしまうか
わかってるんだろうね。
「普通」って言葉できみをワナにかけて
自分のトリッキーなカラクリを
試そうとしている連中で
世の中はあふれてる。
自由のケーキをちょっとばかり切り取って
がぶっと行きたまえ。
がぶっと。


Sex and drugs and rock and roll. (x 8)
セックス、ドラッグ、ロックンロール…

=翻訳をめぐって=

歌詞の言葉が「細切れのメッセージの羅列」という感じなので、いつにもまして意訳がちになっている。毎回言ってるけど私が「意訳」というのはほとんど「想像訳」に近い言葉なので、その分だけ細部の正確さについては保証ができかねるという意味で受け取って頂けたらと思う。

Sex and drugs and rock and roll
Is all my brain and body need

最初は「セックスとドラッグとロックとロール」というド直訳にしてみたのだが、訳詞を日本語として鑑賞にたえるものにしようと思ったらどうしたって「と」は要らないなと思った。「and」という言葉は、入ってるわけだけど。

なお、この歌が「オレの歌」ではなく「私の歌」になったのは、最初に聞いた時の第一印象で何となく決めたことだったのだが、もし「オレ」で訳していたら後段で「仕立屋さん」が出てくる時に絶対不自然な訳詞になっていたと思うので、「私」で正解だったのだと思う。

Is very good indeed

「いいものだ」ではなく「良いものだ」である。鎌倉ものがたりのアキコさんは「いいなあ」ではなく「良いなあ」と言うから良いのである。あれと、はいからさんが通るの「よいなよいな」とは、どっちが先なのかはよく知らないのだけど、きっとつながっているのだと思う。いやまあ、「いいものだ」でも全然誤訳ではないのだけど。

Keep your silly ways, or throw them out the window

何を「窓から投げ捨てろ」と言っているのかが、よく分からない。文脈からすれば、「ふざけた生き方」を「捨てろ」と言ってる感じなのだが、その直前ではそれを「つらぬけ」と言ってる感じだし、よく分からない。海外サイトでは文脈と何の関係があるのか不明なのだけど、「あの頃のロックスターが窓から投げ捨てるものといえば、やっぱりテレビだよね」みたいな話をしている人がいた。何となく意味深な感じもするけど、結局よく分からない。

The wisdom of your ways, I've been there and I know

町山智浩氏の「本当はこんな歌」という本では、この部分が「あんたらの賢い生き方も、俺は経験したから知ってるよ」と訳されているのだが、何か、違うのではないかという気がした。「The wisdom of your ways」というのは、素直に聞けば、フツーに相手のことをホメている言葉なのではないかという印象を、原詞からは受けたのである。「I doubt the wisdom of it」で「それはどうかと思うよ」という意味になるのだと辞書にはあり、その文脈からすれば「The wisdom of your ways」は「あなたの生き方の正当性」みたいな意味になるのだと思う。要するに、この言葉だけでは、ホメてるんだか皮肉を言ってるんだか判断できないんではないだろうか。

what a jolly bad show

...最近の私は翻訳でも地の文でも「邪悪」という言葉を使いすぎなんではないかという気がする。あと、この「翻訳をめぐって」も、最初はひたすら真面目なコーナーだったのに、今では独り言コーナーになっている感じがする。いいのだろうか。これで。

I should wear the clothing of Mr. Walter Mitty
See my tailor, he's called Simon, I know it's going to fit

ウォルター·ミッティーは、1947年に公開された「虹を掴む男」というアメリカ映画の主人公で、2013年にはそれがリメイクされて日本では「Life!」というタイトルで公開されたらしいのだけど、私はどちらも見ていない。「サイモン」という人にモデルがいるのかどうかは、いろいろ調べたけど、分からなかった。

Get your teeth into a small slice
The cake of liberty

「がぶっと行きたまえ、がぶっと」という訳し方は、ピーズの「負けるが勝ちとか言ってしまえ、ビシッと」というフレーズからペチらせてもらっています。もう、何だか、読む人の2〜3人にだけ言わんとすることが伝わればそれでEやという心境になりつつあります。翻訳の厳密さを期待して訪れて下さった皆さんに対しては、申し訳ない気持ちです。


怒涛のくるくるシアター

にーしおかー、すみこだよーっ

というあの言い方で

すーぎおかー、みどりだよーっ

というのを、死ぬまでに一回だけでいい。やってみせてほしい。それを見てから私は死にたい。

...それで、一番最初に書いた「ロックとは何ぞや」という問題は、一体どこに行ってしまったのだろうか。

ぐずにさん、ごめんなさい。

ではまたいずれ。


=楽曲データ=
Released: 1977.8.26.
Key: G→E

Sex & Drugs & Rock & Roll

Sex & Drugs & Rock & Roll