華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Land Ho! もしくは えっぐっち!(1970. The Doors)



世の中の人が子どもの頃に最初に出会う「偉人伝」の類というのは、大体の人は「エジソン」だと思うのだが、私の場合は「コロンブス」だった。年上のイトコが小学生の頃に読んでいた本が、私が字を読める年頃になった時期にドドっと回ってきて、その中の一冊に混じっていたのが「コロンブス」だったのである。

地球が丸いものだということを私が「知った」のがいつのことだったかは覚えていないが、昔の人が世界を平面だと考えていたということを知ったのはその時で、そう言われてみて初めて地球が丸いということが「不思議」に思えてきたことをよく覚えている。そしてそれを実際に確かめようとしたコロンブスという人物のことを確かにスゴいと思ったし、その冒険譚を読みふけるにつけ、海なし県の男の子だった私もやっぱり海に憧れるようになり、船乗りに憧れるようになった。ワンピースや進撃の巨人といったマンガが「今の子どもたち」に受け入れられている様子を見ていると、そうした「海の向こうの未知の世界」に憧れる感覚というものは、21世紀になってから生まれた人たちの間でも何ら変わっていないのだなという感慨を覚える。

しかし、自分がそんな風に偉人中の偉人だと思っていたコロンブスという人間のやってきたその日が、アメリカ大陸の先住民の人たちにとっては現在まで引き続く悪夢の始まりだったのだという「もうひとつの歴史」を、それから数年もしないうちに私は知ることになり、私にとってはそれこそが「平らだと思っていた地球が丸かった」ということに匹敵するような衝撃体験だった。そしてそれは「もうひとつの歴史」などと呼ばれるべきものではなく、唯一の「本当の世界史」なのだと現在は確信したりもしているのだけれど、そちらの話には今回は、とりあえず踏み込まない。

コロンブスの伝記の中で、乗組員の反乱に追いつめられた彼が「あと三日西に進んで島が見つからなければスペインに引き返す」と約束する場面は、最も劇的なところである。できすぎた話だと思わないでもないのだが、まさにその三日目の朝が来た時、疲れきった乗組員たちの耳に、見張りの声が響くのだ。

「陸地だぞーっ!

...この「陸地だぞーっ!」に相当する英語が「Land Ho !」なのだと辞書にはある。正確には「Land ahoy (ランド·アホイ)」と言うのが「正しい」と書いてある辞書もネット上にはあったが、こんな言葉に「正しい」もへったくれもあるものかという感じはする。

ただし、コロンブスはイタリア人だし、彼が船長をつとめていたのはスペインの船団である。「Land Ho !」などという「英語」が、彼の船で使われていたはずはない。見張りの乗組員が実際に叫んでいたのはどんな言葉だったのだろうと思って調べてみると、

「¡Tierra, tierra!」

と言っていたらしいことが分かった。「地球へ」と書いて「テラへ」と読ませるマンガがあったが、そんな風に「地球/大地/陸地」を意味するラテン語の「terra」の、スペイン風の言い方である。

だったら「ホー!」はどこから出てきたのだろう。どうして「¡Tierra, tierra!」という言葉を英語に移す時、イギリス人たちは「ホー!」という感嘆詞をくっつけなければ「ガマンできなかった」のだろう。

私は、そういうことが無性に気になってしまうタイプの人間なのである。

今にして思えばもう10年近くも前になる2009年のこと。当時の私は間寛平の「アースマラソン」を、ずっとネットで追いかけていた。風の力で進むヨットと自分の足だけで世界を一周してみたいというのは、誰にとっても究極の夢のひとつであるに違いない。テレビ局がバックについた至れり尽くせりの支援があって初めて実現できた企画ではあれ、そういう冒険はもはや夢見ることもできないような年齢を迎えつつあった私は、子どもの頃から慣れ親しんでいた間寛平という人が、まるで自分に代わってその夢を叶えてくれたような気がしたものだった。だから連日更新されるブログと動画に目を通し、その日その日の彼氏の現在地にグーグルアースで印をつけてから寝るのが、当時の日課になっていた。

その時に初めて知ったのだが、ヨットマンの人たちの間には、洋上から陸地の姿を確認できた際には、たとえ一人で航海している時でも必ず声に出して

「ラーンフォー!」

と叫ばなければならないという「掟」が、今でも厳密に存在するらしい。この「ラーンフォー」は「Land fall (陸地の到来)」という意味なのだそうで、「Land ho !」ではないのだが、響きは完全に、カブっている。太平洋の真ん中で寛平氏は、早く「ラーンフォー」が言うてみたいもんや、と毎日のようにスタッフと語り合っていた。二ヶ月以上にわたって、送られてくる映像は本当に「海ばかり」だった。そしてとうとうアメリカ大陸の島影が視界に現れた時、心ゆくまで「ラーンフォー!」を絶叫していた寛平氏の姿を見るにつけ、こちらの胸にもやはりいろんな感慨が押し寄せてくるのを、抑えることができなかった。

そしてその時に私の心の中に流れていたのは、もちろんこの曲だったのである。

長い前置きだったな。


Land Ho!

Land Ho!

英語原詞はこちら


Grandma loved a sailor, who sailed the frozen sea
Grandpa was that whaler and he took me on his knee
He said: "Son, I'm going crazy from livin' on the land
Got to find my shipmates and walk on foreign sands"

おばあちゃんの愛した男は
氷の海を行く船乗りだった。
おじいちゃんは捕鯨船の乗組員で
ぼくのことを膝の上に乗せてくれた。
「オカの上で暮らしてるとCrazyになるよ」
とおじいちゃんは言うのだった。
「船乗り仲間たちを見つけだして
よその国の地面でも歩いてみなくちゃな」


This old man was graceful with silver in his smile
He smoked a briar pipe and he walked four country miles
Singing songs of shady sisters and old time liberty
Songs of love and songs of death and songs to set men free
Ya!

このおじいちゃんというのは
とても品のいい人で
微笑んでみせる顔には
いぶし銀の味わいがあった。
イバラのパイプをくゆらせながら
4マイルも平気で歩いてみせたものだ。
日陰の女たちの歌や
古き良き時代の自由の歌を
いつも歌っていた。
愛の歌や死の歌。
そして人間を自由にしてくれる歌。


I've got three ships and sixteen men
A course for ports unread
I'll stand at mast, let north winds blow till half of us are dead
Land ho!

ぼくの船団は三隻で
乗組員は16人だ。
港までの針路は
読み取れなくなっている。
ぼくがマストに立とう。
北風よ吹き荒れるがいい。
ぼくらの半分が死に絶えるまで。
陸地だぞーっ!


Well, if I get my hands on a dollar bill gonna buy a bottle and drink my fill
If I get my hands on a number five gonna skin that litlle girl alive
If I get my hand on a number two come back home and marry you
Marry you, marry you
Alright!
Land ho!

さあて
もしもこの手が1ドル札をつかんだら
迷わず酒ビンを買って飲みたいだけ飲む。
もしもこの手が5番目の札をつかんだら
小さい女の子の皮を生きたままはぎとる。
もしもこの手が2番目の札をつかんだら
家に戻っておまえと結婚する。
おまえと結婚する。
おまえと結婚する。
実によし。
陸地だぞーっ!



「crazy」という言葉は「精神病者」に対する差別語です。ここでは原文をそのまま転載しました。

=翻訳をめぐって=

「モリソンホテル」のB面1曲目。このアルバムを通じて初めてドアーズと出会った私は、A面を聞き終えてひっくり返したレコードからこの陽気な曲が流れてきた時、妙に「ホッとした」ことをよく覚えている。A面の楽曲群には、それまでの私がおよそ音楽というものに対して一度も感じたことのなかったような、独特の緊張感がみなぎっていた。「いま自分はスゴい音楽を聞いている」という事実に興奮を覚えつつも、同時にこのジムモリソンという人は生まれてこの方一度も笑ったことのない人だったのではないかと心配したくなってくるような、「不安」を感じずにいられなかったのである。けれどもこの曲を聞いた時に私が思ったのは、「なんや、この人、フツーに笑える人やったんや」ということだった。それでいっぺんにジムモリソンという男性に対して「親しみ」を感じるようになった。ドラマーのジョン·デンズモアが叩き出しているこの浮かれたリズムは、「スキッフル」と呼ばれているらしい。

とりわけ「Land ho !」が叫ばれて以降の後半部分は「バッカス的な大騒ぎ」そのもので、聞いていて踊り出したくなってくる。当時の私の脳裏にはこの部分を聞くたびになぜか湘爆の江口コールのシーンの絵が浮かび、それで今回の記事のサブタイトルは「えっぐっち!」になっているのだけれど、知らない人にはよく分かりませんよね。

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とはいえ陽気な曲調の中でも使われている言葉は相変わらず禍々しいし、とりわけ「女の子の皮をはぐ」というくだりなどはあまりにエグいと思う。また改めて聞き直してみると、他のいろんな楽曲の中にも繰り返し登場する「水による死のイメージ」がこの歌にも貫かれているのを感じて、ちょっと怖くなる。そういうところまで含めて、実に「ドアーズ的な楽曲」なのだと、言って言えないことはない。

東海岸のフロリダ州で生まれ、西海岸のロサンゼルスで青春の日々を送ったジムモリソン自身もまた、海に憧れて少年時代を過ごした人だったらしい。大学時代、ベニスビーチから太平洋を眺めては、友人に向かって独り言のように「あの向こうには日本があるんだ」とつぶやいていたというエピソードがあったそうだということは、以前の記事でも触れた通り。

以下は、細かい点について。

This old man was graceful with silver in his smile

英語の「silver」に日本語の「いぶし銀」という意味をくっつけるのは、けっこう恣意的な翻訳になってしまう感じもするのだが、他に訳し方が思いつかなかった。

He smoked a briar pipe and he walked four country miles

「country mile」は口語で「長距離」という意味になるのだとのこと。「4マイルもの長距離」という意味なのか、「長距離のさらに4倍」という意味なのか、ちょっとよく分からない。

If I get my hands on a number five...

ここで「No.5」とか「No.2」とか言っているのが何を意味しているのかが、昔からよく分からない。おそらく主人公はくじ引きみたいなことをやっているのだが、最初に出てくるのは「No.1」ではなく「1ドル札」なのである。となると「No.5」と「No.2」も同様に「5ドル札」「2ドル札」を意味しているのではないかと解釈できる幅もあるように思われるのだが、確証がとれない。なお、アメリカに2ドル札というのはあることはあるけれど、日本の二千円札と同様に極めてレアな貨幣で、それが手元に回ってきたら不幸になるとかあるいは逆に幸福になるとかいったジンクスが、向こうには存在しているらしい。



朝日のような夕日をつれて91

ゴドーだぞーっ!

ではまたいずれ。


=楽曲データ=
Released: 1970.2.9.
Key: D