華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Every Breath You Take もしくは 見つめているのだからね (1983. The Police)



ドアーズの「モリソンホテル」特集の途中ではあるのだけれど、前回「The Spy」の翻訳に取り組み始めたところで、この曲が頭の中を流れ出して止まらなくなった。今まで何人かの読者の方から「まだですか?」というご期待の声を寄せて頂きつつも、思うところあってずっと後回しにしてきた課題曲なのである。「やるなら今」ということなのかもしれない。一旦そういうタイミングを逃してしまうと、次に翻訳できるチャンスはなかなかめぐって来ないのだということが、最近の私にはだんだんと分かってきつつある。

私が初めてこの歌を聞いたのは、かつていろんなことがあって結構長い間、入院していた時のことだった。

その頃の私は、一種の挫折感の中にいた。はちゃめちゃなことを好きなだけやらかした結果として、初めて経験することになった「自由のない生活」だった。窓から毎日同じ景色ばかりを眺めつつ、その中を歩くことすらできない我が身のことを考え合わせてみると、自分はこのまま世の中や時代の流れから取り残されて「ダメ」になってしまうのではないかといったような不安が、じわじわと押し寄せてきた。

何をどうしていいか分からなくなった時、たいてい、空は青い。

考えてみれば当たり前の話で、空がにわかにかき曇ったりとかし始めたら、人間にはとりあえず「しなければならないこと」ができるのである。濡れないところへ駆け込まなくちゃいけないとか。洗濯物を取り込まなくちゃいけないとか。そして雨が降り出したら降り出したで、今度はそれがやむのを待つこと自体が、ひとつの「仕事」になる。

青く澄みわたった空の下でだけ、人間は自分がもともと何をしたって構わない存在だったのだという事実を、「思い出す」ことができる。言い換えるなら青空の下でだけ人間は「自由」になれるのだと言っても、間違いではないだろう。ただし青空の下には、どこにも正解なんてない。

1945年8月15日に日本が戦争に負けた日のことを今に伝える資料は、例外なくその日の空が「抜けるように青かった」ことを記録している。学校教育を受けた全ての日本人が、天皇のために死ねと教えられてきたこと。日本は世界の支配者になるのだと教えられてきたこと。最後には神風が吹いて敵は滅ぼされると教えられてきたこと。そうしたすべてが「ウソだった」ことが、他ならぬ天皇の口からラジオを通じて明らかにされた時、何をどうしていいか分からなくなったかれらの上には、ただそれを嘲笑うように青い空だけが広がっていたということだ。ある者は「声をあげて泣いた」のだという。ある者は「変な笑いが込み上げてくるのを抑えられなかった」のだという。けれども誰一人「心からそうすること」なんて、できなかったはずだと思う。

青く晴れわたった空の下では、人間のやることなんて、どんなことであれ場違いなお芝居にしか、なりはしない。そんな世界に「人間が命をかけるに値すること」など、もともとどこにもありはしないのだ。

けれどもそれならば人間は、そして自分は、一体「何のために」生きて行けばいいというのだろうか。

窓の外の青空を眺めながらその時の私が考えていたのは、そんなことだった。ちょうど今と同じような、梅雨明けの季節のことだったと思う。

と、その時、つけっぱなしにしていたラジオからこの曲のイントロが流れ出して、DJの赤坂泰彦さんの声が、言ったのである。

足立区の〇✕くんからのリクエスト。こんな風に天気のいい午後にピッタリの曲だと思います。ほんとにピッタリの曲ですよねー。ポリスで「見つめていたい」。

そして、スティングが歌い出した。ゆっくりと無理のないペースで歩いてゆくような、そんな曲調だった。ところどころに長い音符を挟み込む彼氏の声は、とても伸びやかだった。

ふと私は、それまでずっと眺めていた空の色が「美しく」見えていることに気がついた。ほんの数分前まで、自分がその色に感じていた気持ちは「焦燥」だった。底抜けに青い空は、自分の喪失感を映し出す鏡のようなものにしか見えていなかった。その空がいつの間にか、「美しく」見えていた。ラジオから流れてくる心臓の鼓動のようなメロディが、背中を押してくれているように感じられた。今、自分は青空というものと、本当に久しぶりに「正しく」向き合うことができている。なぜだかは分からない。が、そんな気がした。

スティングが唐突に声を張りあげた。私の中に生まれてきたのは、興奮と言っていいような感覚だった。

本当に、今日みたいな天気の日にピッタリな曲だ、とその時の私は思った。

その時の俺の気持ちにピッタリだった!

とエレカシの宮本が「東京の空」のライナーノーツに書いていた言葉と全く同じような気持ちで、空の青色の一番深いところを見つめていた。付け加えて言うならば、その時の私が見つめていたのもやはり、東京の空だった。

何をどういう言葉で説明してみたものか、今でもよく分からないのだけれど、その時の私が体験したのは、「生まれ変わり」に近いようなタイプの出来事だったのだと思う。

だからこの曲は、私にとって特別な曲なのだ。命を助けられたとまでは言わないけれど、少なくとも「生きていてもいいんだ」という気持ちにさせてくれた曲だったことは間違いないし、結果、今でもこうして生きて暮らしているわけだからである。

そんな「見つめていたい」なわけだけど、この曲が実は「ストーカーの歌」であるという説明がスティングによってなされていることは、最近は日本でも有名になりつつある事実らしい。

本当に、邪悪な歌だよ。

と彼氏は語っている。

この歌が歌っているのは、ジェラシーと監視と所有欲についてのことだ。どんな風に聞いてみたって、サディスティックな歌詞だよ。

そしてこの歌を「ラブソングだと思って歌っている人たち」のことをスティングは大っぴらに嘲笑し、Wikipediaによるならばこの曲を書いた時、自分はオーウェルの「1984年」に出てくる「ビッグ·ブラザー」のことを考えながら歌詞を書いたのだとまで、うそぶいている。「ビッグ·ブラザー」というのは、超管理社会となった空想上の近未来を舞台とするその小説の中で、人々を支配している独裁者のことである。人に嫌われることを楽しんでいるのではないかとしか思えないレベルの、憎まれ口だと思う。

natsubatesaurus.hatenablog.com
だが、自分自身ちっとも好きなタイプの人間には思えないのだけど、この人にはどうも「本当のことを言わない傾向」があるのではないかというのが、それなりに長いことスティングという人物を見てきた上での、私の印象である。そんな風に人に嫌われるような憎まれ口をあえて自分の方から叩きまくっているのは、むしろそのことによって「隠したいこと」があるからなのではないかと、私には思えてならない。

つまり、そうしたスティングの露悪的な強がりとは裏腹に、この歌には彼氏自身にもコントロールが効かないような形で「裸の自分」が表現されてしまう結果になったため、スティングは必死になってそれを押し隠そうとしているのではないか、という感じを受けるのである。おそらくスティングというこの徹底的に根性のねじくれたスナオさのカケラもないロックスターにとって、この歌に表現されているのが「本当の自分」であることを認めてしまうことは、邪悪な人間扱いされるよりもよっぽど恥ずかしくて、耐えられないことなのではないだろうか。そんな気配を感じるのだ。

例えばこの曲の歌詞なのだけど、完璧なぐらいに「コントロールの効いた歌詞」である。「take/make/break//day/say/play/stay//fake/steak」というムキになったような行末の韻の踏ませ方など、さすがは英語の高校教師だと舌を巻かずにはいられない。そしてそこに綴られた言葉のひとつひとつは、いずれも高みに立って相手のことを見下すような「余裕」に満ちている。

しかし「現実の関係」において、彼氏は歌の中に出てくる彼女に対し、決して「優位」に立ってはいないのである。むしろいくら泣いても叫んでも、彼女は二度と戻ってきてくれないというのがこの歌における状況なのであって、彼氏はあくまで「敗残者」の立場からこの歌を歌っているのだ。それにも関わらずエラそーな言葉を使い続けてみせるということ自体が、客観的にはとても滑稽なことだし、歌の主人公に感情移入するなら、ひたすら「痛い」ことだとしか思えない。

曲の雰囲気が一番盛り上がる部分の歌詞において、この歌の主人公は「泣いて」いる。おそらくこの歌詞を書いた時、スティング自身が本当に「泣いて」いたのではないかと私は思う。どんなに強がった言葉を並べてみせても、自分の愛が既に挫折していることに彼氏自身が気づいてしまっている以上、結局彼氏には「泣くことしか」できないのである。

そしてこの歌が人の心に響くのは、その部分においてなのではないかという気がする。スティングみたいにアタマのいい人間であろうとなかろうと、難しい言葉を使いこなせる人間であろうとなかろうと、好きになった相手がもう二度と自分のことを振り向いてくれないというその痛みと悲しみだけは「誰にでも分かる気持ち」であるからだ。強がりの部分に並べられている言葉など全部ウソでしかないのだから、そこにこの歌の本質があると考えるのは、間違っているのではないかと私は思う。

そんなわけでこの歌は、スティングというロックスターのまとった「インテリの鎧」がだんだんと壊れていって、最後には裸の感情がむき出しになってしまう歌、として鑑賞すべきなのではないかというのが私の感想である。本当に初めから終わりまでストーカーの歌でしかないとか言われてしまったら、ねえ。あの日見た青空は何だったのだという話に、私としては、なってしまう。だからそういう解釈にもとづいてこの歌を翻訳しようとするからには、その「強がりが壊れて行く感じ」をどう再現するかを念頭に置きながら訳詞を組み立ててゆく必要があるだろうと私は考えた。

ら、

結果、私が壊れてしまった。以下、試訳である。


Every Breath You Take

Every Breath You Take

英語原詞はこちら


Every breath you take
Every move you make
Every bond you break
Every step you take
I'll be watching you.

きみの呼吸のひとつひとつ
きみの動作のひとつひとつ
きみが断ち切る関係のひとつひとつ
きみの一挙手一投足
ぼくは見ているのだからね。


Every single day
Every word you say
Every game you play
Every night you stay
I'll be watching you.

毎日毎日来る日も来る日も
きみが口にする言葉のひとつひとつ
きみが興じるゲームのひとつひとつ
きみが過ごす夜のひとつひとつ
ぼくが見ているのだからね。


Oh can't you see
You belong to me?
How my poor heart aches with every step you take.

ああわからないかな。
キミはボクから離れられないのだからね。
キミが歩く姿を見るたびにその一歩一歩が
かわいそうなボクの心を
どんなに苦しめるか
キミにはわからないのかな。


Every move you make
Every vow you break
Every smile you fake
Every claim you stake
I'll be watching you.

キミの動作のいっこいっこ
キミが破ってみせる誓いのいっこいっこ
キミの作り笑いのいっこいっこ
キミがエラそーに言うてみせることの
いっこいっこをボクは
見てんねんからね。


Since you've gone I've been lost without a trace.
I dream at night, I can only see your face.
I look around but it's you I can't replace.
I feel so cold, and I long for your embrace.
I keep crying baby, baby, please...

じぶんがなー
行ってもーてからっちゅーもんはなー
おれ完璧に迷子やってんからな。
足跡も残さんと行ってまいよってからに。
夜になるたび夢見ましたわ。
じぶんの顔しか出てきぃしませなんだわ。
周りぐるっと見てみたかてやー。
じぶんの代わりになる相手みたい
どこにもいてへんねんちゅーのんですわ。
おれむっちゃ寒いねんからな。
抱きしめてほしいんじゃっちゅーとんねん
おれずっと泣いてんねんからな。
じぶんなーて。
じぶんなーて。
なんでやねん...


Oh can't you see
You belong to me?
How my poor heart aches with every step you take.

あーわからへんかな
じぶんはおれから逃げられへんねんからな
じぶんの踏み出す足が
どこへ向かうのんか
考えてみただけで
おれのこのかわいそーな心が
どんだけキリキリする思とんのんじゃい


Every move you make
Every vow you break
Every smile you fake
Every claim you stake
I'll be watching you.

じぶんがおれに見せたのんと同んなじ
カラダの動きのいっこいっこ
じぶんがおれにやったんと同んなじよーに
これから破る約束のいっこいっこ
おれをダマしたあの
ウソの笑いのいっこいっこ
何をエラそーに
言うてみせるつもりでおるのか知らんけど
その台詞のいっこいっこ
ずーっとおれは見てんねんからな。


Every move you make
Every step you take
I'll be watching you...

じぶんのカダラの動きのいっこいっこ
じぶんが歩いてく先のいっこいっこ
ずーっとおれは見てんねんからな。


I'll be watching you
ずーっとおれは
じぶんのこと見てんねんからな。

見つめていたい

見つめていたい



...結局、私が翻訳すると、こおゆうことになってしまう。このブログを始めた最初の頃は、私だって文法的な正確さだけを最優先に考えた翻訳を心がけていた。けれども300曲目を越えたあたりから、思い入れの深い歌になればなるほど、「地の言葉」が出てきてしまうのを抑えきれなくなりつつある。自分の翻訳は「上達」しているのかそれとも乱調におちいっているのか、最近では自分自身でもよく分からない。

この曲の「正確な日本語訳」を求めて検索でこのページを訪れて下さった皆さんは「何だこりゃ」と思われていることかもしれませんが、このブログはこういうブログなのだということで、ご理解願えれば幸いです。この曲は有名曲ですから、他を当たって頂ければいくらでも「フツーの翻訳」が見つかるはずだと思います。

翻訳をめぐって、解説が必要だと思われるような点は、特にない。最後の「カダラ」は誤植ではない、ということぐらいかな。奈良と和歌山と大阪の一部の人間には、興奮すればするほど「カラダ」という言葉を正確に発音できなくなる傾向があるのである。最近ではもう、年配の人に限られた傾向になってきているのだけれど。

「カダラに気ぃつけんねやぜ」

...なつかしい響きなのだ。今の私が人前で喋っているのは、それとはもう似ても似つかぬ言葉になってしまっているのだが。

いずれにしても私自身にとっては、これでようやくまたひとつ思い出に決着をつけることができた心境である。このブログは元々そのためにやっているブログなのだ。だから今回に関しては、これでいい。

気持ちを改めて、新しい他の歌の翻訳に取り組んで行きたいと思います。

ではまたいずれ。

=楽曲データ=
Released: 1983.5.20.
Key: A♭