華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Ophelia もしくは アイ·ホープ·イン·ニューヨーク (1975. The Band)

ねえ どうして手を離すの
いつまでもここに いるって言ってたのに
ねえ 誰か教えてよ
大事なものは 何故いつもなくなるの


-鈴木祥子「Happiness」(1991年)-


Ophelia

Ophelia

英語原詞はこちら


Boards on the window
Mail by the door
What would anybody leave so quickly for?
Ophelia
Where have you gone?

窓には板が打ちつけられてる。
郵便物はドアの外。
人が出て行く時というのは
どうしてそんな風に
あわただしいものなんだろう。
オフェリア
どこへ行ってしまったんだ?


The old neighborhood just ain't the same
Nobody knows just what became of
Ophelia
Tell me, what went wrong

あたりまえのように
すぐそばで暮らしていた日々が
あたりまえでなくなった。
何が起こったのか誰も知らない。
オフェリアの身に。
どういう間違いでそういうことに
なってしまったんだろう。


Was it something that somebody said?
Mama, I know we broke the rules
Was somebody up against the law?
Honey, you know I'd die for you

誰かの言った何かが
引き金になったんだろうか。
おれたちはルールを破ったんだ。
それはわかってる。
誰かが法律とぶつかることに
なってしまったんだろうか。
ハニーわからないかな。
おれはおまえのために
死んだっていいと思ってるんだぜ。


Ashes of laughter
The ghost is clear
Why do the best things always disappear
Like Ophelia
Please darken my door

笑顔の残骸。
亡霊の姿はクリアーだ。
一番すばらしいものはどうしていつも
消えてしまうんだろう。
オフェリアみたいに。
人目をはばかる姿でもかまわないから
おれのドアを叩きに来てくれよ。


Was it something that somebody said?
Mama, I know we broke the rules
Was somebody up against the law?
Honey, you know I'd die for you

誰かの言った何かが
引き金になったんだろうか。
おれたちはルールを破ったんだ。
それはわかってる。
誰かが法律とぶつかることに
なってしまったんだろうか。
ハニーわからないかな。
おれはおまえのために
死んだっていいと思ってるんだぜ。


They got your number
Scared and running
But I'm still waiting for the second coming
Of Ophelia
Come back home

みんなはおまえの正体を知ったと言って
ふるえあがって逃げ出してゆく。
でもおれは再臨するキリストのように
オフェリアがもう一度
姿を見せてくれることを
今でも待っている。
戻ってきておくれ。



高校生の頃、一番早くうちに帰ってくるのは、たいてい私だった。パートに出ている母親や、部活で遅い弟たちが帰ってくるまでの夕暮れの2 〜3時間を、私は一人で過ごすことが多かった。

その時間を、私は好きだった。

ある時、家に帰ってテレビをつけると、「ぼのぼの」の映画が始まっていた。1993年に劇場公開されたやつだ。それからまだ何年も経っていない時期のことだったのではないかと思う。

最初、ぼのぼのは、楽しそうだった。今日はシマリスくんのところに遊びに行くのだと言って、スキップしたりしていた。ところが突然、スキップをやめて、考え始めた。

楽しいことって、
どうして終わってしまうんだろう?


ぼのぼのは考える。走るのは楽しい。楽しいからもっと走ってしまう。でも走ったら疲れてしまうから、走れなくなってしまう。だからそれと同じように、楽しいことも終わってしまうんだろう。

しかしぼのぼのはさらに考える。自分は人よりも走るのが苦手で、長く走っていることができない。友だちのシマリスくんやアライグマくんやスナドリネコさんは、自分よりもずっと長い間、走っていることができる。

ぼくだけみんなより、楽しいのが早く終わっちゃうんだろうか?きっとそうなんだ。きっとそうなんだ。

ぼくは、かわいそうだー!

と叫んで、ぼのぼのは泣き出してしまった。

私は制服を着替えるのも忘れて、その映画に見入ってしまっていた。家には自分しかいない一人きりの時間で、夕暮れの奈良盆地の空気の色は、そう言ってよければ、黄金色だった。「ぼのぼの」の映画の中の世界の空気も、それと全く同じような色合いをたたえていた。

「楽しいことって、
どうして終わってしまうんだろう」

「ぼくは、かわいそうだ」

ぼのぼのが大汗をかいて涙を流しながら吐き出していたそのふたつの言葉を、私はそれからの人生で何度となく思い出すことになる。その時の空気の色合いと、奈良盆地にだけ特有の若草色の匂いとが、そのたびに一緒によみがえってくる。

そして同時に、数えきれないぐらいのいろいろな歌が、頭の中を回り出す。

考えてみれば、世の中にあふれているほとんどの歌が歌っていることというのは、そのふたつだけなのではないだろうか。今でもそんな気がする。

思えば、その頃の時間で言えばの話だけれど、その映画に出会うずっと前から、私はその言葉に出会っていた。

Why do the best things
always disappear?

リヴォン·ヘルムは、そう歌っていたのだった。



www.nicozon.net

=翻訳をめぐって=

「Why do the best things always disappear?」という部分だけは10代の耳にもストレートに入ってきたのだけれど、この歌のそれ以外の部分は私にとってずっと長い間、本当に意味不明だった。「Old Dixie Down」の歌詞の中で当時の私が「正しく」理解できていたのが「名前はヴァージル·ケイン」という部分だけだったということは、このブログの一番はじめの回に書いたエピソードだったけど、この歌をめぐるいろんな勘違いの度合いも、それに匹敵するものがある。

まず、この歌において一番大切な部分であるはずの「オフェリア」という女性への呼びかけが、初めて聞いた時から私の耳にはずっと「アイ·ホープ·イン·ニューヨーク」みたいな感じで聞こえていた。文法的にはかなり奇妙な言い方だからフツーありえないだろうということが今では分かるのだけど、何となく「ニューヨークに住めたらいいなあ」みたいなことを歌っている歌なのだろうと、勝手に思い込んでいたのである。歌のタイトルの「オフェリア」という言葉がそこで叫ばれていたのだということに気づいて、アレッと思ったのがいつのことだったかは、正確に思い出すことができない。

かてて加えて日本版のCDの歌詞カードに記載されていたこの歌の歌詞も、ご多分にもれず誤植だらけのものだった。(「Northern Lights-Southern Cross」というアルバムタイトルに「南十字星」という邦題がついていることからして、誤訳に等しいような省略の仕方なのである。「オーロラから南十字星まで」という全体像が見えて初めて、カナダからアメリカ深南部に至るまでのザ·バンドの「旅路の軌跡」が浮かびあがってくるようになっているのに)。ネットの時代になって、英語圏に流通している歌詞を初めて読んだ時には、歌詞カードから作りあげていた歌の世界のイメージとのあまりの違いに、茫然としたことを覚えている。

ロビー·ロバートソンはレコードに歌詞カードをつけないのが「こだわり」だったそうで、ネットに出回っている歌詞だからといってそれが「公式」だとは必ずしも言えないのだが、以下、それに即した考察である。

Boards on the window

...私が持っていたCDの歌詞カードには、この部分が「Poach on the window」と書かれていた。直訳は「窓の上のポーチ」。ポーチといえば「屋根のついた玄関」のことである。よく分からないが、「屋根のついた張り出し窓」みたいなものをずっとイメージしていたのだった。

ところがネットに出ていた歌詞はまさかの「Boards on the window」である。直訳すると「窓の上の板の複数形」。一瞬、どういう慣用句なのだろうと考え込んでしまったのだが、どうやらこれは「窓の上に板が打ちつけてある情景」の描写であるらしいということに思い至った。つまりこの家、おそらくオフェリアさんの家は、「空き家」になっているのだ。のっけからいきなり、思い描いていた歌の情景とはずいぶん違うイメージが飛び込んできた。

Mail by the door

直訳は「ドアのそばの郵便物」。これを私はオフェリアさんからの置手紙か何かだろうと思っていたのだが、上記の風景を踏まえるなら「空き家の玄関先にたまった受け取り主不在の郵便物」ということになる。「メール」は「手紙」よりかなり幅の広い概念なのだな。

What would anybody leave so quickly for?

直訳は「どうしてみんなそんなに急いで出て行くのだろう」。上記の風景を踏まえて意訳した。

Ophelia

このオフェリアさんというのは一体何者なのだろう、というのが問題である。

英語世界で一番有名なオフェリアさんといえば、シェイクスピアが書いた「ハムレット」に出てくる女性の名前であると、海外サイトは口をそろえている。恋人であるハムレットへの想いと、彼氏に敵対している自分の父親への想いとの間で板挟みになり、最後には心を傷つけられて死んでしまう、文字通りの悲劇のヒロインだ。懐かしい歌を口ずさみながら深い水の底へと沈んでゆくその最期の姿は、ミレーという人が描いた有名な絵画のテーマにもなっている。



ミレーの「オフェリア」といえば、近年下のような新聞広告の元ネタになったことも記憶に新しいところである。樹木希林の五段活用:カカカラン、キキキリン、クククルン、ケケケレン、コココロン…といったような歌をそういえばむかし嘉門達夫が歌っていたけれど、タイトルが思い出せない。とはいえこういう時の私は意地でも検索には頼らない。



さらに「ハムレット」といえば、ウッドストックに落ち着いたザ·バンドのメンバーたちが共同生活を始めた際に、ボブディランからプレゼントされた黒いもじゃもじゃの犬の名前でもある。調べればいろいろなつながりが見えてくるのだ。



ただし、作詞者のロビー·ロバートソン自身によるならば、この歌でイメージされている「オフェリア」とはミニー·パールという有名な女性コメディアンの本名であり、シェイクスピアとは何の関係もないらしい。ミニー·パールという人を私は知らなかったので調べてみたところ、南部訛りのスタンダップコメディで一世を風靡した人で、ステージに上がるとまず客席に向かって「ハウディー?」と呼びかけ、それに対して観客が「ハウディー!」と答えるというのが定番になっていたのだという。それって、「ブルースブラザーズ2000」でZZトップの格好をしたエルウッドがアドリブでやってたことそのままではないか。思いもよらないつながりが次から次へと見えてきて、うれしくなってしまう。


Minnie Pearl

とはいえ、「ザ·ウェイト」の歌詞に出てくる「ナザレス」という地名についての彼氏のコメントなどを見るにつけ、ロビー·ロバートソンという人はおよそインタビューなどで「本当のこと」を言うタイプではなさそうにも思える。結局われわれがこのオフェリアさんという人に関して確かに言えそうなことは、①主人公の隣人だったということ。②おそらくは主人公の男性と恋仲だったらしいこと。③そんでもってその主人公とは何となく幼馴染だったような感じがすること。の三点程度に限られていると思われる。

なお、この「おさななじみ」という言葉の「おさなな」という部分、他の日本語表現にはおよそ類例を見られないような音の連続のさせられ方が成立していて、私は昔から気になっている。と言うか、気に入っている。おさなな。

The old neighborhood just ain't the same

直訳は「昔からの隣人(たち)は、とてもじゃないけど同じじゃない」。この「neighborhood」が「近所の人の全体」を指しているのか、それとも「オフェリアさん個人」のことを指しているのかは、ハッキリ判断できないような言い方になっている。と思われる。思われた上で、オフェリアさんのことを言っていると考えた方が自然だという感じが私はする。「かれは昔のかれならず」的な感慨が、おそらくここでは歌われているのである。オフェリアさんだけが「変わって」しまい、他の隣人たちは何も変わらない生活を続けていると考えた方が、その風景は引き立つ。次の章句でも言われているように、彼女に何が起こったのかは「誰も知らない」のである。隣人の全体が「以前と同じでない」のだとすれば、彼女がいなくなったこともその一環にすぎないわけで、別に不自然なことではなくなってしまう。

しかしながら、上の推論に確証があるわけではない。どちらの意味だとしても矛盾が起こらないような訳し方をということで、試訳は上記のような形になった。

Was it something that somebody said?

直訳は「それは誰かが言った何かだったのだろうか」。以前の私はこの「それ」を「主人公が彼女にフラれた理由」だと思っていたのだけれど、上記の風景を踏まえるならば「オフェリアさんがいなくなった理由」であると考えた方が自然だろう。問いの内容もその方が切実である。面と向かってフラれるよりも、無言でいなくなられてしまう方が、残された方の打撃は遥かに強烈なのだ。なぜそう言いきれるのかは、聞かないでほしいけど。

Mama, I know we broke the rules

謎めいたフレーズの登場である。主人公はかつてオフェリアさんと一緒に「何かのルールを破った」のであり、かつ彼氏はそのことを自覚しているのだ。つまりオフェリアさんがいなくなった理由には「心当たりがある」ことになる。

どういう「ルール」を2人は破ったのだろうか。Wikipedia英語版を含むいくつかの海外サイトでは、オフェリアさんが黒人女性だった可能性が指摘されており、2人は昔のアメリカ南部では禁止されていた異人種間の恋愛関係にあったのではないかという仮説が掲載されていたが、それへの反論も掲載されていた。私も、そういう風には考えたくない。もしそうだとしたら「二人で逃げる」べきなのであって、それを彼女だけを危険な目に遭わせた上で自分は今までと何も変わらない生活を続け、あまつさえ私は被害者なんですみたいな顔をしているこの主人公というのは、完全に「あかんやつ」だということになってしまう。

まあ、とにかく、「ルールを破った」というのは歌の中の2人にとっての問題なのである。ここではあまり詮索しないことにしたい。

なお、ここで使われている「ママ」という言葉は、「ルイジアナ·ママ」の回で見たごとく「魅力的な女性のことを一般的に形容する名詞」としての「ママ」であり、別に主人公は自分の母親に向かって嘆いているわけではない。と私は解釈している。おそらくは、オフェリアさんに対する呼びかけである。だから、あえて訳出しなかった。

Was somebody up against the law?

ここをどう解釈すればいいのかが、分からない。彼女や主人公自身が「法と対立することになった (up against the law)」ということなら、分かる。しかし「somebody (誰か)」という「謎の第三者」がどうしてここに登場することになるのか、理解できない。誰かが法律とぶつかったら彼女が消える。風が吹けば桶屋が儲かるみたいな話になってしまうではないか。あるいは自分や彼女のことを「誰かさん」みたいな形で第三者的に表現しているのかもしれないが、何とも言えない。とりあえず原文の意味通りに翻訳した。

ちなみに私の持っていたCDの歌詞カードには、この部分が「Why somebody ever get along? (どうして知らない誰かがウロウロしてるんだろう?)」と書かれていたのである。だから私はてっきりオフェリアさんには新しい男ができたのだと考えていた。「華氏65度の冬」だったな。

Ashes of laughter

「ash」という言葉には「灰」「廃墟」「バナナフィッシュの主人公の名前」という、大体3つぐらいの意味がある。「笑いの燃えかす」という訳語のイメージが好きだったが、後の歌詞との文脈のつながりを考えるなら「笑顔の残骸」みたいな形で訳出するのがふさわしいように思う。

The ghost is clear

この歌の中で最も謎に包まれたフレーズなのだけど、まず第一に私が持っていたCDの歌詞カードには、この部分が「the coast is clear」と記載されていた。直訳は「浜辺には誰もいない」である。だから「笑いの燃えかす」という言葉と同じように、かつては賑やかだった場所が今ではガランとした空虚さに包まれているといったイメージの歌詞として、私は理解していたのだった。


思い出のビーチクラブ

…思い出の·ビーチク·ラブ。ヘンな区切り方をしてタイトルを言うのが流行ったことが昔あったが、そんなことはまあどうでもいい。

ところが後になって辞書を引いてみると、「The coast is clear」はもともと密貿易者のあいだで使われていた業界用語で、「岸辺に警備隊はいない」=「ジャマ者はいない」=「危険はない」=「やるなら今がチャンスだ」という意味で使われている熟語だということが分かり、私はずいぶん混乱させられることになった。「思い出のビーチクラブ」と「チャンスは今夜」では、全然イメージが違ってきてしまうではないか。


チャンスは今夜

ところが今になって調べてみると、ネットの歌詞には「The ghost is clear」と書かれているのである。青天の霹靂だった。そしてこのヘンなフレーズは、「The coast is clear」と比べても一層、謎だ。

「クリア」という言葉はほぼ日本語化しているから、ややこしい説明は不要だと思うけど、この言葉は「透明だ」という意味と「クッキリしている」という意味の両方のニュアンスを併せ持っている。

しかし「幽霊(ghost)」が「クリアー」であると言われた場合、我々はこのメッセージをどう解釈すればいいというのだろうか。「幽霊は透明だ」と言うのと、「幽霊の姿がクッキリしている」というのでは、丸っきり逆の意味になってしまう。ロビロバ氏は何を言いたかったのだろう。て言っか何をイメージしていたのだろう。

まあ、そもそも「ゴースト(幽霊/亡霊)」という、いるかいないか分からないようなものは、いると思えばクッキリ見えるし、いないと思えば全然見えないのだから、どちらの意味でも矛盾はしない。そうした事情を利用した一種の言葉遊びなのかもしれない。

また「オフェリア」が「ハムレット」の登場人物の名前であることを踏まえるなら、「ハムレット」という戯曲は、弟によって殺害されたデンマークの国王の亡霊が息子のハムレットに復讐を命じるシーンから始まるのである。英語圏の文化の中で育った人にはそういう情景も浮かびあがるような歌詞になっているのだと思う。

さらに、結論的には誤植だったわけだけど、「The ghost is clear」と「The coast is clear」は、明らかに音が似ている。要するに、そうしたいろんなイメージを聞き手に想像させるような「仕掛け」のほどこされたフレーズだと考えるのが、一番実情に近いのではないだろうか。それで結局どんな風に翻訳したかといえば、上のように音訳するしかなかったわけなのだけど。

なお「ghost」という言葉の意味するところは、「彼女の笑顔の記憶」であり、それに象徴される「楽しかった時代の思い出」なのだと思う。そういうものとして、このフレーズは前のフレーズとつながっているのだろう。

Please darken my door

「darken a person's door」の直訳は「人の玄関を暗くする」という意味であり、通例は否定文で「人を訪問する」ことをあらわす言葉だと辞書にはある。「Never darken my door!」だと「二度とうちの敷居をまたぐな!」という意味になるのだそうで、このニュアンスはとてもよく分かる。

しかしこの歌における用例は、否定文ではない。むしろ「私の玄関を暗くしてください (please)」と、相手に向かって懇願している。何でこんな言い方になるのだろうか。謙譲語の使い方としても、何かおかしい。(そもそも英語に謙譲語はない)。

Wikipedia等々には、この歌詞がオフェリアさんが黒人であることを暗示しているのではないかという解釈も載っているが、そう解釈する発想自体が差別的なのではないかという反論もなされている。私も同感である。黒人が家に来たら「玄関が暗くなる」なんて、明らかに失礼な言い方ではないか。それに「darken a person's door」は、相手の肌の色に関わらず誰に対しても使われる言い方だということを多くの人が指摘している。

この「玄関を暗くする」という言い方には、むしろ「人目を忍んで」というニュアンスが込められているのではないだろうか。そんな風に考えてそう訳してみたが、確信があるわけではない。受け売りは、しないでもらいたい。

They got your number
Scared and running
But I'm still waiting for the second coming
Of Ophelia
Come back home

…短い歌やのに考えやんなんことが多いなあ!私はそろそろイヤになりつつあるのだけれど、「get one's number」の直訳は「その人の数字を手に入れる」という意味であり、それが「相手の弱味を握る」「相手の秘密を知って優位に立つ」みたいな意味になるのだという。「I got your number!」と言えば「まるっとお見通しだ!」みたいな決めゼリフにもなるらしい。だとすると「They got your number」は、「やつらは君の正体を知った」という意味になるのだろうか。ドアーズの「Five to One」という歌にも、同じフレーズが出てくる。

しかし「かれら」は「きみの数字を把握した」ことで、別に優位に立っている感じではない。逆に悲鳴をあげて逃げ回っている。(Scared and running)。オフェリアさんというのは、何者なのだろう。

そもそも「相手の数字を把握する」ことが、どうして「相手の正体を知る」という意味になるのだろう。トランプゲームと結びつけた解釈など、語源については多くの説があるらしいが、結論は出ていないらしい。その上で私は、何となくなのだけど、新約聖書の「ヨハネの黙示録」に出てくる以下の章句を連想してしまう。

その徽章は獣の名、もしくは其の名の数字なり。智慧は茲にあり、心ある者は獣の数字を算へよ。獣の数字は人の数字にして、その数字は666なり。(13-17〜18)

…後段の歌詞に出てくる「second coming」というフレーズは、直訳すれば「もういちど来ること」だが、一般的には「死んだキリストがもう一度この世界に姿を現す」ことを意味する「再臨」という宗教用語として使われているらしい。このことからも、この最後の部分の歌詞にはいろんな形で「宗教的なイメージ」が散りばめられていることを私は感じる。とはいえ、いろいろややこしい言葉遣いをしてみても、主人公が言いたいことは「おれにとっては彼女は神」ということだけなのである。フツーの切ないラブソングとして聞いておけば、それでいいのではないかと私は思う。

つかえち。



…よりにもよって日本でだけ、シングルカットされていたのだな。全然知らなかった。それにつけてもこの人たちは、どこの80年代のニューウェーブの旗手だったのだろう。ではまたいずれ。


=楽曲データ=
Released: 1975.11.1.
Key: C

南十字星+2

南十字星+2