華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

And The Band Played Waltzing Matilda もしくは そして楽隊はワルツィング·マチルダを演奏していた (1971. Eric Bogle)



1914年に第一次世界大戦が勃発した際、独立して間もないオーストラリアは、イギリス連邦の一員として、ただちに参戦を決定した。イギリスとは縁もゆかりもないアイルランド系の人々や、連合国と敵対していたドイツにルーツを持つ人々に対しても、「イギリスのために戦うこと」が「国策」として押しつけられた。(同時に、ドイツ系の人々に対する抑留も強行されている)。

オーストラリアの軍隊は、イギリスによるイスタンブール占領作戦に合流するためエジプトからトルコに送られ、1915年の「ガリポリの戦い」で惨憺たる敗北を喫した。オーストラリアとして最初の海外遠征に参加したこの兵士たちは、政府の募集に応じた志願兵であり、強制的に死地へと向かわされたわけではない。けれども人間の歴史が経験したことのない近代兵器による殺戮の応酬は、兵士たちにとっても、「戦争」に対するあらゆるロマンチックな幻想を打ち砕かれて余りある経験だったことが想像される。

その最初の出兵の時以来、軍隊の士気を鼓舞するための「愛国歌」として現在でもオーストラリアで演奏され続けている曲が、前回とりあげた「ワルツィング·マチルダ」なのだという。あの歌が同国の「非公式国歌」になっているということの背景にはそうした事情があるわけだし、私が「いい印象」を持てない理由もそこにある。

けれども「ワルツィング·マチルダ」という歌それ自体は、オーストラリアの風土の中での「何にも縛られない自由な生き方」を讃える歌として生まれたはずなのだ。それが戦争で人殺しをさせる側の人間たちの手に「奪われて」しまうことは、心ある人たちにはとってはどんなにか腹立たしいことだったろう。それ以上に、究極的に「自由」を奪われた状況の中で殺し合いをさせられる戦場の兵士たちの耳に、軍楽隊の演奏するこの歌はどんなにか皮肉に響いたことだったろう。自分たち自身の「自由」を奪おうとする人間たちと戦うためなら、この歌がその士気を高めることは、ありうることだと思う。けれども他人の命令に従わされて海の向こうで人殺しに従事することのどこに、「自由を讃える歌」が顔を出せる余地があるだろうか。

オーストラリアのシンガーソングライターであるエリック·ボーグルによって書かれ、アイルランドのバンドであるポーグスのカバーによって広く知られるようになった「And The Band Played Waltzing Matilda」という歌は、そういう想いの込められた反戦歌なのだろうなと私は感じている。もとよりエリック·ボーグルという人は第一次世界大戦より後に生まれた人であり、実際に戦場に行った経験にもとづいてこの歌が書かれたわけではない。けれども戦争の恐怖を身をもって体験した世代の、彼氏にとって身近な人々の肉声から、この歌が生まれたことは間違いない。兵士の立場から歌われる反戦歌というのは、どんな反戦歌にもまして、貴重なものだ。ウソで飾り立てられた戦争というものの本当の姿を、それ以上に生々しく伝えてくれるものは他にないからである。


And The Band Played Waltzing Matilda (The Pogues)

And The Band Played Waltzing Matilda

英語原詞はこちら


When I was a young man I carried my pack
And I lived the free life of a rover
From the Murrays green basin to the dusty outback
I waltzed my Matilda all over

若かった頃は
荷物をひとつを背中にしょって
さすらいの気ままな人生を
送っていたものだった。
緑豊かなマレーズ盆地から
ホコリだらけの内地の砂漠まで
マチルダにワルツを踊らせて回ったものさ。


Then in nineteen fifteen my country said Son
It's time to stop rambling 'cause there's work to be done
So they gave me a tin hat and they gave me a gun
And they sent me away to the war

1915年のこと
「息子よ」と国家が言った。
「ぶらぶらするのはもう終わりだ」
「なされなければならない仕事がある」
それで私は鉄カブトと銃を持たされて
戦場に送り込まれた。


And the band played Waltzing Matilda
As we sailed away from the quay
And amidst all the tears and the shouts and the cheers
We sailed off to Gallipoli

我々の船が埠頭を離れる時
軍楽隊が演奏していたのは
「ワルツィング·マチルダ」だった。
そして涙と叫び声と歓声のただ中で
我々はガリポリに向けて旅立ったのだった。


How well I remember that terrible day
How the blood stained the sand and the water
And how in that hell that they called Suvla Bay
We were butchered like lambs at the slaughter

あの悲惨な日のことを
絶対に忘れることはできない。
砂と水とがどんな風に
血に染まっていったかということを。
そしてスヴラ湾と呼ばれる
その地獄の地で
まるで肉にされる仔羊みたいに
我々が殺戮されていった時のことを。


Johnny Turk he was ready, he primed himself well
He chased us with bullets, he rained us with shells
And in five minutes flat he'd blown us all to hell
Nearly blew us right back to Australia

ジョニー·タークは
しっかり準備を整えて待っていた。
トルコ兵は僕らを銃弾で追い立てて
我々の上に薬莢の雨を降らせた。
きっかり5分間の間に
我々はみんな地獄に吹き飛ばされた。
そのままオーストラリアまで
吹き飛ばされて帰れるんじゃないかと
思ったぐらいだった。


But the band played Waltzing Matilda
As we stopped to bury our slain
We buried ours and the Turks buried theirs
Then we started all over again

けれども死者たちを埋葬するために
戦闘がやんだ時
軍楽隊が演奏していたのは
「ワルツィング·マチルダ」だった。
我々は自分たちの仲間を埋めて
トルコ兵たちも自分の仲間を埋めて
そして我々はもう一度
最初から同じことを始めた。


Now those that were left, well we tried to survive
In a mad world of blood, death and fire
And for ten weary weeks I kept myself alive
But around me the corpses piled higher

生き残った我々は
生き残ろうとした。
血と死と火とが支配する
そのmadな世界で。
そしてそれからめちゃめちゃな10週間を
私は生き延びたが
私の周りには
死体の山が折り重なっていった。


Then a big Turkish shell knocked me arse over tit
And when I woke up in my hospital bed
And saw what it had done, I wished I was dead
Never knew there were worse things than dying

そして大きなトルコの砲弾が
私を引っくり返し
気がついた時には
野戦病院のベッドの上にいた。
そして何が起こったのかを知った時
私は死んだ方が良かったと思った。
死ぬより辛いことがこの世にあるなんて
それまでは思ったこともなかった。


For no more I'll go waltzing Matilda
All around the green bush far and near
For to hump tent and pegs, a man needs two legs
No more waltzing Matilda for me

私にはもう
ワルツィング·マチルダができないんだ。
緑のブッシュを歩き回り
テントや杭を担いで回るためには
人間には二本の足が必要なんだ。
私にはもう
ワルツィング·マチルダを
やることができなくなってしまったんだ。


So they collected the cripples, the wounded, the maimed
And they shipped us back home to Australia
The armless, the legless, the blind, the insane
Those proud wounded heroes of Suvla

負傷者は集められて
オーストラリアに送り返された。
足を失った者に腕を失った者
視力を失った者にinsaneになった者
スヴラ湾で名誉の負傷をおった英雄たち
みんな船に乗せられて。


And as our ship pulled into Circular Quay
I looked at the place where my legs used to be
And thank Christ there was nobody waiting for me
To grieve and to mourn and to pity

そして我々の船は
サーキュラー·キーの港に着き
私は自分の二本の足が
かつて踏みしめていた大地を
この目で見た。
そして私のために
悲しんだり泣いたり傷ついたりする人が
そこに一人も待っていなかったことを
キリストに感謝した。


And the band played Waltzing Matilda
As they carried us down the gangway
But nobody cheered, they just stood and stared
Then turned all their faces away

船の乗降口から
我々が運び出される時
軍楽隊が演奏していたのは
「ワルツィング·マチルダ」だった。
けれども歓声をあげたり
拍手を送ったりする人は
一人もいなかった。
誰もが突っ立って見ているだけで
そして我々から目をそむけるのだった。


And now every April I sit on my porch
And I watch the parade pass before me
And I watch my old comrades, how proudly they march
Reliving old dreams of past glory

4月のアンザック·デーが来るたびに
私は家のポーチに座って
パレードが通り過ぎるのを眺めている。
古い戦友たちが誇らしげに行進し
昔の夢や過去の栄光を
甦らせようとするのを眺めている。


And the old men march slowly, all bent, stiff and sore
The forgotten heroes from a forgotten war
And the young people ask, "What are they marching for?"
And I ask myself the same question

老人たちの行進はとてもゆっくりで
曲がっていてしゃっちょこばっていて
見ていて苦しくなる。
「何で行進してるの?」と
若い人々が問うのを聞いて
私もまた同じ問いを
自分の中で繰り返している。


And the band plays Waltzing Matilda
And the old men answer to the call
But year after year their numbers get fewer
Some day no one will march there at all

そして軍楽隊は
「ワルツィング·マチルダ」を演奏し
老人たちがそれにこたえている。
けれども年が経てば経つほど
その数は少なくなり
いつか行進する人は
一人もいなくなることだろう。


Waltzing Matilda, Waltzing Matilda
Who'll go a waltzing Matilda with me
And their ghosts may be heard as you pass the Billabong
Who'll go a waltzing Matilda with me?

ワルツィング·マチルダ
ワルツィング·マチルダ
おれと一緒に
ワルツィング·マチルダしてくれるのは
どいつだい?
そのビラボンのそばを通りかかったら
きっと死んだ幽霊たちの
声を聞くことになるだろう。
「おれと一緒に
ワルツィング·マチルダしてくれるのは
どいつだい?」

=翻訳をめぐって=

  • Murrays green basinマレー・ダーリング盆地 (Wikipedia)
  • I waltzed my Matilda all over前回の記事を参照のこと。
  • So they gave me a tin hat and they gave me a gun…上記のごとく、第一次大戦の際のオーストラリアの遠征部隊はすべて志願兵によっていたので、彼氏は徴兵によって無理やり戦地に送られたわけではない。後から後悔することになったにせよ、「戦争に行くことを決めた理由」は彼氏の側にあったことになる。「鉄カブトと銃を持たされて」という訳し方をしたが、そのあたり、誤解を招く表現になっているかもしれない。歌詞の原文の直訳は「彼らは私に鉄カブトと銃を与え、戦場に送り出した」となっている。
  • We sailed off to Gallipoliガリポリの戦い (Wikipedia)
  • Suvla Bay…スヴラ湾。ガリポリ上陸作戦の主戦場となった場所。
  • Johnny Turk…第一次世界大戦当時における、トルコの兵士に対する連合国兵士からの蔑称。ここでは原文をそのまま転載しました。
  • In a mad world…「mad」は「精神病者」に対する差別表現です。ここでは原文をそのまま転載しました。
  • The armless, the legless, the blind, the insane…「blind」は「視覚障害者」に対する、「insane」は「精神病者」に対する、それぞれ差別表現です。ここでは原文をそのまま転載しました。
  • Circular Quay…シドニーにある港の名前。
  • And now every April I sit on my porch…ガリポリ上陸作戦が開始された4月25日は、現在オーストラリア・ニュージーランド・クック諸島・ニウエ・サモア・トンガにおいて、「アンザック·デー」と呼ばれる祝日になっている。(「ANZAC」は「オーストラリア・ニュージーランド軍団」の略語)。軍隊を讃える行事が大々的に行われるが、主人公の男性はそれを醒めた目で見つめているのだ。
  • Waltzing Matilda, Waltzing Matilda…ビラボンの中から聞こえてくるこの「スワッグマンの幽霊の声」が、彼氏にはおそらく「戦場で命を落とした仲間の兵士たちの声」に聞こえているに違いないと思う。ここにおいて「ワルツィング·マチルダ」という歌は、元々の内容とは全く違った意味をもって彼氏の前に立ち現れていることになる。




And The Band Played Waltzing Matilda (Eric Bogle)

Somewhere In America」という歌の翻訳記事を書いた際、エリック·ボーグルという人はネット時代になっても全然情報を見つけることができない極めてマイナーな歌手だという失礼な紹介の仕方を私はしてしまったのだけど、実はこんなに有名な曲も書いていたのである。ずっとポーグスの曲だと思っていたから、気がつかなかったのだった。ポーグスがこの曲をカバーしたのは、きっとアイルランド人としての立場からの何らかの深い共感があったからなのだと思う。南半球の英語圏とアイルランドとの「特別な関係」については、以前に書いた下記の記事を一緒に読んでみて頂ければ幸いです。ではまたいずれ。
nagi1995.hatenablog.com


=楽曲データ=
Written by Scottish-born Australian singer-songwriter Eric Bogle in 1971. Covered by The Pogues in 1985.
Key: C (Eric Bogle)/ A (The Pogues)

The Band Played Waltzing Matilda

The Band Played Waltzing Matilda

And the Band Played Waltzing Matilda

And the Band Played Waltzing Matilda

  • Eric Bogle
  • シンガーソングライター
  • ¥150
  • provided courtesy of iTunes