華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Foggy Dew もしくは霧の滴 (1919. Irish Folk Song)



前回とりあげた「And The Band Played Waltzing Matilda」の主人公は、第一次世界大戦において旧宗主国イギリスの利害のために遠征に参加し、両脚を失ったオーストラリアの青年だった。今回とりあげるこの歌の主人公は、その同じ戦争に協力させられることを拒否し、イギリスに対する反乱に立ちあがったアイルランドの人々である。

19世紀は「列強」による世界の覇権の奪い合いが際限なくエスカレートしていった時代だったが、同時にそれに反対し戦争のない世界を築きあげようとする人々の新しい運動も、かつてない勢いで成長していった時代だった。「列強」が自分たちの利害のためだけに繰り返す戦争に、どんな「正義」も大義名分も存在しないことを、心ある人々は知りぬいていた。そして心ある人々は、間違いなく世界中に存在した。

マルクスとエンゲルスが「共産党宣言」を出版したのが1848年。1864年には労働者、社会主義者による最初の国際組織として「第1インターナショナル」が建設された。1871年のパリ·コミューンの挫折の痛手の中で、インターナショナルは解散を余儀なくされるが、1889年には「第2インターナショナル」が再建され、日露戦争が勃発した1904年には、日本の片山潜とロシアのプレハーノフがその大会の冒頭で固い握手を交わして世界に反戦を呼びかけるという、感動的なエピソードも存在した。しかしながら当時の人々が夢見たそうしたナイーブな「世界平和への思い」は、時代の煮詰まりの中で、現実からの厳しい試練にさらされてゆくことになる。

人間の歴史が経験したことのない新たな世界大戦の勃発が、誰の目にも避けられない情勢を迎えつつあった20世紀初頭、第2インターナショナルは、すべての国々の社会主義者が結束して戦争に反対することを、約束しあっていた。それにも関わらず実際に戦争が開始されると、ほとんどの国の社会主義政党は、「まずは自分の国が戦争に勝てるよう、野党の立場から自国政府に全力で協力する」という立場を選択し、国際連帯の立場を投げ捨てた。互いが互いを裏切りあったのだ。失われた信頼と友愛は二度と回復されることがなく、第2インターナショナルはここにもろくも崩壊してしまう。

実際に開始された戦争を前にして「戦争に反対する」ということは、実践的には戦争をやめさせるための具体的な行動を起こすこと、言い換えるなら戦争を始めた人間たちに対する反乱をも辞さずに行動し続けること「だけ」を意味している。戦争協力に転じた指導者たちは、話を最も単純化させて言うなら、その現実に恐怖したのだ。

あらゆる手段をつくして戦争への反対をつらぬくというその約束を、第一次大戦下において守り抜いた指導者たちの名前は、歴史に3人しか記録されていない。ロシアのレーニン、ドイツのローザ·ルクセンブルク、そしてアイルランドのジェームズ·コノリーである。このうち、最後まで生き延びて勝利を手にすることができたのは、レーニンただ一人だった。

アイルランドの話に移ろう。

当時のアイルランドはいまだイギリスの植民地支配下におかれており、あたかも第二次大戦下で朝鮮や台湾の人々が「日本のために戦って死ぬこと」を強要されたように、あらゆる矛盾と犠牲を押しつけられていた。戦争は社会を牢獄に変え、人々の生活を圧迫し、イギリスの支配に対する怒りの声は全土に溢れていた。

ジェームズ·コノリーたちはその中にあって危機をチャンスに変え、イギリスに対する反乱に立ちあがることを決意した。

コノリーと行動を共にした人々の中では、アイルランドの独立をもって最終目標とする共和主義者が多数派を占めていたが、彼が目標としたところはさらに遠大だった。社会主義者であるコノリーは、自分たちの蜂起がイギリス本国における労働者や兵士との反乱とも呼応して、当時における政府の支配を終わらせ、全ヨーロッパにおける、引いては全世界における戦争を終わらせるための原動力となることを、確信していた。

1916年4月24日、共和主義者のパトリック·ピアースが率いるアイルランド義勇軍と、コノリーの率いる市民軍、そして200名からなる女性連盟は、ダブリンの主要部を占拠し、現在も残る中央郵便局の屋上にアイルランドの三色旗を掲げ、独立宣言を読みあげた。「イースター蜂起」と呼ばれる出来事である。

計画が事前に漏れていたこと、全土で一斉に立ちあがる計画を立てていた諸地方の同志たちとの連絡が混乱したことを致命的な理由として、6日間にわたる戦闘の末、蜂起はイギリス軍によって鎮圧された。脚を負傷し、椅子に縛りつけられたまま銃殺されたコノリーをはじめ、共和国樹立宣言に署名した7名の指導者たちは全員が処刑された。ロシアとドイツにおける革命が勝利して旧支配者たちが追放され、第一次大戦が終結したのは2年後の1918年。1919年にはイースター蜂起を引き継ぐ人々を先頭として、アイルランドの独立戦争が開始され、その戦いは北部6州がいまだイギリスの支配を受け続けている現在に至るまで、本質的には何も終わっていない。

「Foggy Dew」というこの歌は、イースター蜂起の3年後に、その死者たちを悼んだ北アイルランドのカトリック司祭によって作詞され、現在まで歌い継がれており、最近ではUFC世界王者の格闘家、コナー·マクレガーの入場曲に使われて、有名になっている。「霧のしずく」という直訳が翻訳として正しいのか、またそれが何を意味しているのかについて、私にはハッキリしたことを言える材料がない。形を持たない「霧」が凝結して「滴」となる。それが象徴するのは「血」だろうか。「希望」だろうか。「はっきりと見えない(foggy)純粋なもの(dew)」といったような抽象的な文脈で受け止めた方が、むしろこの歌詞を書いた人の思いには近いのかもしれない。

今もアイルランドの人々の誇りとなり希望となり続けているイースター蜂起の記憶は、アイルランドの人々だけの「財産」ではない。戦争というものが引き起こされた際、一人一人の人間には何が可能なのか、そしていかにしてそれに立ち向かうべきなのかということを、今の時代を生きる全ての人々の前に、イースター蜂起の記憶はありありと指し示してくれている。この歌が世界で歌い継がれる限り、ジェームズ·コノリーの見た夢が忘れ去られてしまうことは、決して起こらないだろう。彼と共に蜂起した人々は、世界が支配者たちの欲望によって引き裂かれていたその時代にあって、本当に世界をひとつにするために戦った先駆者たちだったのだ。

そうした意味において、この歌は私自身にとっても、特別な歌であり続けている。


Foggy Dew (the Chieftains & Sinéad O'Connor)

Foggy Dew

英語原詞はこちら


As down the glen one Easter morn
To a city fair rode I.
There armed lines of marching men,
In squadrons did pass me by.
No pipe did hum, no battle drum,
Did sound out its loud tattoo.
But the angelus bell o’er the Liffey’s swell,
Rang out through the foggy dew.

ある年のイースターの朝
峡谷を抜けあの美しい街へと
馬を走らせていた私は
武装した男たちが隊伍を組み
行進してくるのとすれ違った。
バグパイプの音も
撤収を命じる太鼓の音も
私は聞かなかった。
けれども祈りの時を告げる鐘が
リフィーの流れを越えて
霧のしずくの中に
鳴り響いていた。


Right proudly high over Dublin town
They flung out the flag of war.
‘Twas far better to die ‘neath an Irish sky,
Than at Suvla or Sud el Bar.
And from the plains of royal Meath,
Brave men came hurrying through,
While Britannia’s Huns with their long-range guns,
Sailed into the foggy dew.

ダブリンの街に
誇り高く
戦いの旗がひるがえされた。
スヴラ湾やスッド·アル·バールで
戦死させられるよりは
アイルランドの空の下で死にたかった。
イギリスのHunたちが
射程の長い銃をたずさえ
海をわたって霧のしずくの中に
押し寄せつつあったとき
ミースの平原からは
勇敢な男たちが
全力で駆けつけようとしていた。


Oh the night fell black and the rifle’s crack,
Made perfidious Albion reel.
Through that leaden hail seven tongues of flame,
Did shine o’er the lines of steel.
By each shining blade a prayer was said,
That to Ireland her sons would be true,
And when morning broke, still the green flag shook out,
Its folds in the foggy dew.

夜はそのとばりをおろし
ライフルの音が響きわたり
不実なるアルビオンの兵士たちを
ふらつかせた。
鉛の雹が降る中で
炎に包まれた7つの舌が
鉄火の交わる戦線の上に
輝きを放っていた。
きらめく一太刀ごとに
祈りの言葉が捧げられた。
母なるアイルランドのために
その息子たちの正しくあらんことを。
夜が終わったとき
緑の旗はいまだはためいていた。
霧のしずくの中に
しっかりと持ちこたえていた。


It was England bade our Wild Geese go,
That small nations might be free.
But their lonely graves are by Suvla’s waves
On the fringe of the great North Sea.
Oh, had they died by Pearse’s side
Or had fought along with brave Cathal Brugha,
Their names we would keep where the Fenians sleep,
‘Neath the shroud of the foggy dew.

「小さな国々も自由にならねばならない」
そう言って我々のワイルド·ギースを
戦場に送り込んだのは
アイルランドから自由を奪い続けている
イングランドだったではないか。
かれらの墓標は
スヴラ湾の波に洗われ
北海のほとりに
さびしく打ち捨てられている。
ああもしもかれらの死に場所が
パトリック·ピアースのそばだったなら。
勇敢なカハル·ブルハと共に
かれらが戦っていたなら。
フェニアンたちが眠る場所に
われわれはかれらの名前も
刻みつけておきたい。
霧のしずくを経帷子にして。


But the bravest fell and the requiem knell,
Rang out mournfully and clear,
For those who died that Eastertide
In the springtime of the year.
While the world did gaze with deep amaze,
At those fearless men and few,
Who bore the fight that freedom’s light,
Might shine through the foggy dew.

けれども
もっとも勇敢だった者たちが倒れ
弔いの鐘の音が
悲しくはっきりと響きわたった。
春のあの日
復活祭の季節に
死んで行った人々のための鐘。
恐れを知らぬ人々そして
霧のしずくの向こう側に輝く
自由の光を信じて戦った
数少ない人々の姿を
世界が固唾を飲んで見守り
そして深く驚嘆していた。


As back through the glen I rode again,
And my heart with grief was sore.
For I parted then with valiant men whom I never shall see 'more,
And to and fro in my dreams I go,
And I’ll kneel and I’ll say a prayer for you,
For slavery fled, oh you gallant dead,
When you fell in the foggy dew.

峡谷を抜け
もと来た道を引き返す道すがら
私の心は
悲しみと苦痛に包まれていた。
私が別れを告げた勇敢な男たち
かれらの姿を見ることは
二度とできないのだ。
夢の中をさまよいながら
私はひざまづき
みなさんのために祈りを捧げる。
奴隷の鎖を断ち切った人たち
あの霧のしずくの中で
勇敢に命を落とした
あなたたちのために。


1916 Easter Uprising

=翻訳をめぐって=

As down the glen one Easter morn
To a city fair rode I.

  • 「glen」は、アイルランドやスコットランドに特有の深い峡谷をさすゲール語。
  • 「fair city」は「美しい街」を意味する詩的表現であり、ここではダブリンのこと。倒置法が使われている。

There armed lines of marching men,
In squadrons did pass me by.

  • 「pass」という言葉は「追い越す」と「すれ違う」という両方の意味で使われるが、ここでは明らかに「すれ違って」いる。つまりこの歌の主人公は蜂起に参加するために地方からダブリンへと駆けつけようとしていたが、その途中でダブリンから敗走してくる蜂起参加者たちに行き会ったのである。主人公は、「間に合わなかった」のだ。

No pipe did hum, no battle drum,
Did sound out its loud tattoo.

  • 戦場で軍楽隊がバグパイプを演奏するのが「どういう時」なのかをめぐる資料は見つけられなかったが、「tattoo」は兵士に撤収を呼びかけるための「太鼓の鳴らし方」であるらしい。それが「聞こえなかった」にも関わらず、ダブリンと反対方向に向かう蜂起者たちに行き会ったということは、蜂起軍がバラバラにされて統制を失ったことを意味している。つまり主人公はこの時点で蜂起の敗北を悟った、という描写なのだと思う。

But the angelus bell o’er the Liffey’s swell,
Rang out through the foggy dew.

  • 「angelus bell」はキリスト教の教会で祈りの時間を告げ知らせるために鳴らされる鐘。その鐘が「いつも通りに」鳴らされることまでは、イギリス軍にも止めることはできなかった。そしてその鐘が「死者たちのために鳴らされていること」を、主人公は悟ったのである。ここから歌詞の内容は、主人公がその目で見ることのできなかった6日間の戦闘の描写に移ってゆく。
  • Liffey’s swell…ダブリン中心部を流れて海へと注ぐリフィー川のうねりをさす。

Right proudly high over Dublin town
They flung out the flag of war.
‘Twas far better to die ‘neath an Irish sky,
Than at Suvla or Sud el Bar.
And from the plains of royal Meath,
Brave men came hurrying through,
While Britannia’s Huns with their long-range guns,
Sailed into the foggy dew.

  • Suvla / Sud el Bar前回の記事で触れた、ガリポリ上陸作戦の激戦地。アイルランド出身の兵士たちも多くがこのトルコの戦線に送られ、犠牲になった。
  • plains of royal Meath…ミーズ州は、アイルランドの伝説で「聖地」とされている「タラの丘」があるところ。イースター蜂起の際、ダブリン以外で唯一大規模な戦闘が行われた場所となった。
  • Britannia’s Huns…直訳は「ブリタニアのフン族」。フン族とは古代ローマの時代にヨーロッパに侵入し、ゲルマン民族の大移動を誘発したことで知られるアジアの遊牧民族。中国の歴史に出てくる「匈奴」と同一の人々だったのではないかという説が昔からあるが、証拠は見つかっていないらしい。ここでは明らかに「野蛮人」を意味する差別的な文脈で使われているので、原文をそのまま転載するにとどめました。

Oh the night fell black and the rifle’s crack,
Made perfidious Albion reel.
Through that leaden hail seven tongues of flame,
Did shine o’er the lines of steel.
By each shining blade a prayer was said,
That to Ireland her sons would be true,
And when morning broke, still the green flag shook out,
Its folds in the foggy dew.

  • Albion…ラテン語で「白い島」を意味する、イギリスの古称。
  • seven tongues of flame,…新約聖書「使徒行伝」2-3/4の記述を踏まえた歌詞。直接には、処刑された7人の指導者たちのことを指していると思われる。
  • green flag…緑は昔も今も、アイルランドを象徴する色。

It was England bade our Wild Geese go,
That small nations might be free.
But their lonely graves are by Suvla’s waves
On the fringe of the great North Sea.
Oh, had they died by Pearse’s side
Or had fought along with brave Cathal Brugha,
Their names we would keep where the Fenians sleep,
‘Neath the shroud of the foggy dew.

  • Wild Geese…イギリスの海外遠征に同行した、アイルランド出身者の部隊の名前。イギリスにアイルランドの権利を認めさせるために志願兵となった人も多くいたことが伝えられているが、歌の主人公はかれらのそうした選択を嘆いている。
  • Oh, had they died by Pearse’s side …「If they had died…」という仮定法の構文で「if」が省略された場合、「had」が前に来る倒置が起こる。「Pearse」は上述のパトリック·ピアース。カハル·ブルハはイースター蜂起を生き延び、後のアイルランド独立戦争において指導者の役割を果たした人物。
  • Their names we would keep where the Fenians sleep…「フェニアン」は、19世紀に繰り返しイギリスへの反乱に立ちあがったアイルランドの共和主義者たちの呼称。かれらの結成した「フェニアン党」が、のちのIRAのルーツになっている。



The Foggy Dew

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