華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Power to the People もしくは 権力者の手に奪われた力をすべての人びとの手に (1971. John Lennon/Plastic Ono Band)

ブログを休んでいた間、オーサカ=モノレールの中田亮さんとツイッターで言葉を交わさせて頂ける機会があり、このブログのことを「めちゃくちゃ面白いです」と言ってもらえました。うれしくてガッツポーズをしたくなったのと同時に、すごいことが簡単に起こる時代になったものだと、今さらながら感慨にひたっています。

中田さんはちょうど映画の字幕の監修作業に取り組んでおられたとのことで、ツイッターで下記のような問題提起をされていました。

翻訳中です。
All power to all the people.
このフレーズは難しいなあ。
昔からずっと考えてるんですが。
従来は、
すべての権力をすべての人民に!
と訳されてきましたよね。
「パワー」だと抽象的な「力強さ」と誤解されかねないし、「権力」だと「権力者」と混同してピンとこないだろうし。

日本国憲法でいうとこの部分だよなあ。《ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する》

オール・パワー・トゥー・ザ・ピープル
カタカナでやっちゃうと雰囲気はでるから、「イェー」ってなるので、それでいい気分にはなるんだが、これじゃあ意味が伝わってない。

あらゆるパワーをあらゆる人々に!
言葉としては間違っていないのだが、全体としては全く伝わらなさそうだ・・・。
あらゆる権力をすべての人民に!
僕は大体これを使うし、もっとも言葉として正確っぽいんだが、お勉強っぽい。いずれにしても、意味がすうっと胸におちる感じはない。

何故うまくいかないのか考えると、①Power/権力の意味が伝わらない。言葉が浸透していない)。②「国民が権力もっちゃダメでしょ」(たとえば、とつぜん普通の人が警察官になるみたいな)と反射的に思ってしまう。

(なんでこの話をしているかというと、いま、とある映画の字幕監修を依頼いただいて、作業中なのです。舞台は1970年代前半。それから2017年。)

国民が権力を持つことが大事なのだ。中学校で習った「国民主権」なのだけど、なんだか実感がわかないのは何故だろう。国民に主権がある、と思い込んでいるからじゃないか。世界中どこにも完全な民主主義国家なんて無いのに。その問題意識を、ハッと呼び覚ますような日本語が、本当は求められている。

中田さんのこの問題意識には、深く共感させられました。「正確な翻訳」を心がけるなら「あらゆる権力をすべての人民に!」以外にはありえない。しかしそれでは、ピンと来ない。いずれも同意見です。(とりわけ「お勉強っぽい」という言葉には激しく同意です)。それなら「(All) power to (all) the people」というフレーズは、どう翻訳すれば「正確」でしかも「ピンと来る」日本語になるのか。あるいは、なりうるのか。中田さんの翻訳作業の締め切りがもう過ぎてしまったのか、継続中なのか、定かではありませんが、いい気持ちにさせてもらったお礼も込めまして、ジョン·レノンの同名曲の翻訳に私なりにガチで取り組んでみることで、中田さんからの「宿題」に対するアンサー記事にさせてもらいたいと思います。
nagi1995.hatenablog.com
「right=正しさ=権利」という言葉については、以前に上の記事の中で集中的に取りあげたことがありました。今回のテーマは「power=力=権力」です。これを抽象的な「力強さ」という意味で解釈すると、なぜ「誤解」になるのか。「権力」だと「権力者」と混同してピンとこないだろうと中田さんは書いているけれど、それなら「権力」と「権力者」は「同じ」ではないと、なぜ言いうるのか。「権利」という言葉についての時と同じように、今回も結局「権力とは何なのか」という問題にまでさかのぼって考えてみないことには、答えは見えてこないような気がします。

人間は一人では生きては行けない。
いや、一人で生きてはならないのだ。
おまえには仲間が必要だ。

未来少年コナンのおじいさんが、亡くなる前に口にしていた言葉です。人間とはそういう存在なのだということが、まず出発点にあるのだと思います。すなわち「他の人間と協力しあって生きることができる」し、かつ「他の人間と協力しあうことでしか生きて行けない」のが、「人間」という生き物であるということです。

「権力」というものの源泉でありかつ実体となっているのは、この「人間が協力しあって生み出す力」に他ならないと思います。「何千人を動かす権力」みたいな言葉がよく使われますが、「権力者がいるから何千人が動く」わけではなく、「何千人が動くから権力が生まれる」わけです。そこを履き違えないことが、大切だと思います。その何千人かが「命令されても動かないこと」を選択すれば、「権力者」は「権力」を失い、「権力者」でもなくなるわけです。

つまり「権力」というものは本質的には「人民の共同の力」から形成されています。それを「人民=people」が「権力者」に向かって「明け渡せ」と言っているのがこの歌なのだと思います。「power」というのは無から生じてくるものではなく、権力者の存在する社会にあっては権力者の手中に「しか」ないのです。

権力者が人民を支配するために用いてきた「権力」は、もともと人民自身の中から生まれてきた「共同の力」に他なりません。人民はただそれを「返せ」と言えばいいのだし、言う権利を持っています。そして自分たち自身の意思にもとづいて結びついた人民が、「人民の名において」その力を返せという言葉をもし本当に口にすることができたなら、その時点でかれらのことを縛り続けてきた権力者たちの「権力」は、その実体を失って、消滅します。人民の中から生まれてきた「共同の力」は、その瞬間に人民自身を苦しめる「疎外された力」であることをやめ、名実ともに「人民自身の力」へと生まれ変わるからです。

「Power to the People」というスローガンに表現されているのはそういう内容の「要求」なのだと私は理解しています。(「要求」という言葉にカギカッコをつけたのは、別に「要求」しなくてもその「power」はもともと「people」の中に存在している「power」だからです。その意味では「宣言」と言った方がいいのかもしれない)。人間が作り出す「共同の力」を「疎外」の呪いから解き放つ魔法のキーワード、みたいなのが私のイメージです。今までしてきた話が何だったのだというぐらいに非科学的な話であることは、自覚しているのですけれども。

Power to the People」を「あらゆるパワーをあらゆる人々に!」と訳すと「伝わらなくなってしまう」のは、その「Power」が「人間の共同の力」であるということが、見えなくなってしまうからなのではないかと思います。「バラバラにされた個人」が「バラバラにされた個人」のまま、「バラバラのパワー」を要求しているようなフレーズにも見えかねません。どんな「パワー」であれ、それを手にするのが「バラバラにされたままの個人」であるならば、ごはんですよのフタを開けるぐらいの役にしか立たないと私は思います。「Power to the People」というフレーズには「他の人間と力を合わせることへの欲求」が表現されていることが、「伝わる」ような翻訳にする必要があると思うのです。

また「あらゆるパワーをあらゆる人々に!」という訳し方からは、それを口にする人間と、現実に存在する「権力者」との関係というものが、見えてきません。「主権は不可分」という言葉がありますが、このことは「主権」というものが「人間の共同」によって生み出される「力」であり、それが「ひとつの力」である以上、分割することも複製することもできないということを意味しています。権力者の持つ「権力」は、もともと人民自身によって作り出された「共同の力」です。そして人民が「バラバラにされた個人」の状態に置かれている限り、その社会における「共同の力」は「権力者の手中」以外の場所にはどこにも存在していないわけです。従って「Power to the People」と言った場合、具体的にはその「共同の力」を「奪い返す」ためのプロセスが必ず必要になります。そして「共同の力」が「奪い返された」その時には、権力者の手中にあった「権力」は必然的に消滅します。そういった「移行のプロセス」を目に見えるように思い描ける言葉で翻訳することができないなら、「Power to the People」という言葉の持つ「力」自体が「死んで」しまうと私は思います。この歌に関してだけは、「いろんな解釈があっていい」とは私は思いません。「いろんな解釈」があればあるほど、この歌の持つ「力」はバラバラにされ牙を抜かれ、最後には「権力者に対抗できる力」自体を失ってしまうことを、懸念せずにはいられないからです。

そんなわけでもしも自分が翻訳するとした場合、「Power to the People」というフレーズを私は

権力者の手に奪われた力を
すべての人びとの手に

という日本語に置き換えたいと思います。これは「直訳」ではありませんし、「権力者の手に奪われた」という修飾語は原詞の中にはありませんから、その意味では恣意的な翻訳だというそしりも免れないかもしれません。しかしながら「power」という言葉が「力」一般を表現する名詞であると同時に「権力」という意味を併せ持っており、かつそれを同時に一言で表現できる言葉が日本語の中に存在していない以上、この歌のメッセージを「正確に」日本語に置き換えるためには、「ここまで言うこと」がどうしても必要になってくると思います。

実際に権力者と対峙している状況下でこの歌が歌われる際には、最もシンプルな直訳である「力を人民に!」で何も誤解は生じません。権力者の持っている「力」、具体的には警察やその後ろに控えている軍隊の暴力に打ち勝つために「力を人民に!」という言葉が叫ばれていることは、自明です。そして権力者を打倒するということは、そのままかれらの手中にあった「力」を自分たち自身が手にするということを意味しているわけです。他の意味でこの言葉が叫ばれることは、ありえません。

しかしそうした「戦いの現場」を離れたところでこの歌が歌われる場合(そもそもそういう「歌われ方」がされてもこの歌は意味を持たないと私は思うのですが)、「力を人民に!」というフレーズは何やら「神」的な存在に対する「哀願」みたいな響きを持ってきます。そして「力」というものがあたかも何もないところから降って湧いてくるものででもあるかのような、「間違った希望」を「人びと」に振りまいてしまう危険性が生じてくると思います。けれども我々の生きる現実社会において、「power」というのはあくまで権力者の手中に「だけ」占有されているものであり、そこから「奪う」以外にはどんなやり方でも手に入らないものであるわけです。そしてその「power」は誰かから「与えられる」ものでも「無から生じる」ものでもなく、元はといえば「people自身の力」に他ならないわけです。

「Power to the People」はそのことを知っている「people」自身が、大胆不敵に権力者に向かって投げつけるべきフレーズであると私は信じてやみません。

さらに踏み込んだ話をするなら、「Power to the People」というフレーズに込められたメッセージは、明らかに「日本国憲法の枠組」をハミ出す内容を含んでいると思います。憲法前文には「その権力は国民の代表者がこれを行使し」という規定が設けられていますが、「Power to the People」という歌の中にはどこにもそんな言葉は出てきません。「現在の代表者の権力を別の代表者の手に」ということが歌われている歌ではないのです。「people」そのものの手に「力」を明け渡せということが、ここでは歌われています。

「現在の代表者の権力を別の代表者の手に」ということが主張された場合、その結果というものは、大体見えています。「新しい権力者」が生み出されるだけです。そうならなかった結果というものを、私は知りません。

けれども現在特定の権力者によって占有されている「権力=共同の力」が、文字通り人民自身の「共同の力」へと生まれ変わった時、それは一体どんな「力」になるのでしょうか。それを正確に表現できる日本語は、おそらく「まだない」のだと思います。我々の歴史は、そうした「権力」の登場を、いまだ経験していないからです。その「イメージ」は、1871年のパリ·コミューンや1980年の光州民衆抗争といった世界史的な経験に学ぶことから、新たに「作り出してゆく」他にないものなのだと思います。

とはいえ「大切」なのは、「イメージを作り出すこと」なんかでは、ありませんよね。

人間と人間とが本当に「力を合わせる」ことによってのみ生み出される、「権力者を打ち破る力」を、現実に作り出すことが何よりも一番大切なんです。

「Power to the People」という歌はそのため「だけ」にある歌だと、私は感じています。

...やや、お喋りがすぎたかもしれません。

以下は、上記のことを踏まえて作成した「Power to the People」の試訳です。中田さんやその他の読者のみなさんの問題意識に何らかの形で応えることができれば、幸いに存じます。


Power to the People

Power to the People

英語原詞はこちら


Power to the people
Power to the people
Power to the people
Power to the people, right on

権力者の手に奪われた力を
すべての人びとの手に。
権力者の手に奪われた力を
すべての人びとの手に。
異議なし。


Say we want a revolution
We better get on right away
Well you get on your feet
And into the street

声に出して言おう。
我々は革命を求めている。
すぐに取りかかった方がいい。
自分の足で立って
街頭に踏み出すんだ。


Singing power to the people
Power to the people
Power to the people
Power to the people, right on

権力者の手に奪われた力を
すべての人びとの手にと
歌いながら。
権力者の手に奪われた力を
すべての人びとの手に。
異議なし。


A million workers working for nothing
You better give 'em what they really own
We got to put you down
When we come into town

働いたってむなしさしか手に入らない
100万人もの人たち。
おまえたちが手にしているのは
本当ならその人たちのものだ。
さっさと出してもらおうか。
我々が街に入ったら
おまえたちなんてぺしゃんこにしてやる。


Singing power to the people
Power to the people
Power to the people
Power to the people, right on

権力者の手に奪われた力を
すべての人びとの手にと
歌いながら。
権力者の手に奪われた力を
すべての人びとの手に。
異議なし。


I gotta ask you comrades and brothers
How do you treat you own woman back home
She got to be herself
So she can free herself

同志諸君やきょうだいのみなさんに
確かめておかなきゃならないことがある。
自分の連れ合いの女性を
家ではどんな風にあつかってる?
彼女は彼女自身であるべきだ。
だから彼女も自分自身を
自由にしていいはずなんだ。


Singing power to the people
Power to the people
Power to the people
Power to the people, right on
Now, now, now, now

権力者の手に奪われた力を
すべての人びとの手にと
歌いながら。
権力者の手に奪われた力を
すべての人びとの手に。
異議なし。

=翻訳をめぐって=

Power to the people, right on

「right on」は「やったね!」「よーし!」「その調子!」「賛成!」「異議なし!」などの意味になる熟語。文脈からすれば「異議なし!」が一番「適当」だと思う。

A million workers working for nothing

直訳は「無のために働く100万人の労働者」。労働者の労働に正当な代価が支払われていないことが告発されているわけだが、「権力者のために働かされること」を通して労働者から「奪われるもの」は、カネに換算されるものばかりではない。「働く喜び」や「生きがい」といった「生きるための力」そのものを権力者は奪い、「自分の力」に変えている。そういった要素も「power」という言葉に含まれているということを、表現できるような訳詞にしたかった。

You better give 'em what they really own

直訳は「諸君はかれらが本当に所有しているところのものをかれらに与えるべきだ」...相当な意訳になっている。

We got to put you down

「我々は諸君をput downしなければならない」と言っているわけだが、「put down」というのは主として「暴動や反乱を鎮圧すること」を表現するために使われる言い方だとのことであり、「暴動や反乱を起こす側の人間」が使う言葉としては何となく不自然に感じられる。ある種の皮肉なのだろうか。

I gotta ask you comrades and brothers
How do you treat you own woman back home
She got to be herself
So she can free herself

この部分は「女性の立場を盛り込むべきだ」というヨーコさんの意見を受けてジョンレノンが付け加えたということが、どこかに書かれていた。歌われている内容自体は、とても重要なことだと思う。男が女性に対して「権力者でありたい」という衝動を持ち続けている限り、たとえ革命が起こったとしても、「何も変わらない」ことになってしまうだろう。「power to the people」の「people」の半分が女性であることを「簡単に忘れてしまえる男」というのは、確かにものすごく多いのだ。

ただ、その歌詞を「ジョンが歌う」というのは、どうなんだろうと思う。この部分はヨーコさんが担当するとか、女性が歌うパートにするとかいう形で作られていたならばまた違った意味を持ったと思うのだが、それをジョンが歌うことによってこの歌は「男が男に向かって歌う男のためだけの歌」になってしまっているのではないかという感じがする。「power to the people」という歌がそんな歌では、いけないだろうと思う。



...次回以降は再びラストワルツ特集に戻りたいと思いますが、パレスチナでは8月8日に開始された新たな殺戮が現在も継続しています。今回みたいな記事には通常とは違う意味があるとはいえ、やはり「音楽の話だけ」をしていていい時ではないと思うし、する気にもなれません。ブログはもうしばらく、お休みさせてもらうことにします。


=楽曲データ=
Released: 1971.3.12.
Key: D

Power To The People - The Hits

Power To The People - The Hits