華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

One Too Many Mornings もしくは一朝だけ余計になってしまったいくつものかけがえのない朝 (1964. Bob Dylan)

何が起こってるのか 誰にもわからない
いい事が起こるように ただ願うだけさ
眠れない夜ならば 夜通し踊ろう
ひとつだけ多すぎる朝
うしろをついてくる


-忌野清志郎「JUMP」2005年


One Too Many Mornings

One Too Many Mornings

英語原詞はこちら


Down the street the dogs are barkin’
And the day is a-gettin’ dark
As the night comes in a-fallin’
The dogs’ll lose their bark
An’ the silent night will shatter
From the sounds inside my mind
For I’m one too many mornings
And a thousand miles behind

道ばたでは
犬が何匹も鳴いていて
あたりはだんだんと
暗くなってゆく。
夜がやってきて
そのとばりを下ろせば
犬たちもその声を
失ってゆくことだろう。
そしてこの心の中のざわめきが
静かな夜を粉々に打ち砕く。
一朝だけ余計になってしまった
いくつものかけがえのない朝と
後にしてきた1000マイルもの道のり
それが私なのだから。


From the crossroads of my doorstep
My eyes they start to fade
As I turn my head back to the room
Where my love and I have laid
An’ I gaze back to the street
The sidewalk and the sign
And I’m one too many mornings
An’ a thousand miles behind

玄関先のいくつもの岐路にたち
恋人と自分とが
横になっていた部屋の方を振り返ると
視力が消えてゆくのを感じる。
そして私は視線を戻し
通りを
歩道を標識を
にらみつける。
一朝だけ余計になってしまった
いくつものかけがえのない朝と
後にしてきた1000マイルもの道のり
それが私なのだ。


It’s a restless hungry feeling
That don’t mean no one no good
When ev’rything I’m a-sayin’
You can say it just as good.
You’re right from your side
I’m right from mine
We’re both just one too many mornings
An’ a thousand miles behind

私の言うことが何でも
あなたにも同じように言えてしまうなら
そう思うと
飢えてざわついた気持ちがする。
そんなのは誰にとっても
まったくいいことではない。
あなたの側からすれば
あなたが正しいのだし
私の側からすれば
私が正しい。
一朝だけ余計になってしまった
いくつものかけがえのない朝と
後にしてきた1000マイルもの道のり
私もあなたも
それだけの存在なのだ。


One Too Many Mornings (Rolling Thunder Revue)

=翻訳をめぐって=

=後日付記=

当初私はこの歌の「one too many mornings」という歌詞を「一朝多いぐらいに沢山の朝」と翻訳していたのですが、後になって「一朝だけ余計になってしまったいくつものかけがえのない朝」と改訳しました。それに伴って、以下の「翻訳をめぐって」は全面的に書き直してあります。

ディランの三枚目のアルバム「時代は変わる」の四曲目に収録されている、とても短くて地味な曲。しかもメロディが「時代は変わる」とほとんど同じなので、耳で聞いた時には何も印象に残らなかった。けれども歌詞カードを読んでみると、そこには何やら尋常ならざる言葉が綴られているような感じがした。そういう「引っかかり方」をしていた曲なのだけど、何しろメロディが全然頭に残らない。無理やり思い出そうとするとなぜか「嵐からの隠れ家」のメロディに変わってしまっていたりする。そんなこんなで、オトナになるまでは余り積極的に聞き直そうという気にならなかった曲だった。

75年の「ローリング·サンダー·レビュー」で、バンドを従えて絶叫するように歌われるこの曲の映像を初めて見たのは、インターネットの時代になってからである。最初は何の歌なのか全く分からなかったし、それが「One Too Many Mornings」だと分かった時にはかなりな衝撃だった。それでようやく改めて聞き直してみる気になったのだったが、聞き直してみたらみたで、「時代は変わる」に入っているあのバージョンも決して「悪くない」ことに、20年目ぐらいになってようやく気がついた。

中学生の頃の自分がいくら頑張って聞いてみても分からなかったディランの「いいところ」は、「かわいらしさ」にあったのではないかと最近では思う。レコードの中の彼氏より年下だった時分の自分に、それが理解できなかったのは当然の話なのである。そういうディランの「かわいい曲」の心のベストテン第一位は断トツで「Tomorrow is a Long Time (明日は遠く)」なのだけど、「One Too Many Mornings」もそれに勝るとも劣らない佳曲なのではないかと、今では思っている。

「One Too Many」という熟語を辞書で引いてみると、「ひとつだけ多すぎる/余分な」という訳語が載っている。「One Too Many Mornings」は「ひとつだけ多すぎる(複数形の)朝」である。

どういう意味なのだろうか。

片桐ユズルさんの「ひとつだけ多すぎる朝」という訳語を見た時以来、私はこの歌はその「ひとつ余った朝」について歌っている歌なのだと思い込んでいた。そして「その朝」に、何か普通の朝とは違う特別な意味が込められているのだろうと感じていた。けれども原詞が「mornings」と複数形になっている以上、この歌詞(およびタイトル)で歌われているのは、「ひとつ余分なその朝」を含む、彼氏の経験してきた「すべての朝」のことだと解釈しなければ、誤読になってしまうと思う。

さらにネットの辞書の文例集を検索してみると、「one too many」という言い回しが一番よく使われるのは、「一言多いよ」みたいなことが言いたい場合であるらしい。だとしたら「One Too Many Mornings」という不思議な文字列は、その表現を「もじった」言い方なのではないかと考えた方が自然なように思えるわけで、訳し方としても「一朝多いよ」「一朝多かったよ」みたいな感じにした方が、原詞のニュアンスに近いのではないかという感じがする。

nagi1995.hatenablog.com
ロビー·ロバートソンの自伝を読んでいて、この「one too many」の生々しい使われ方に私は出会った。ロビーがアーカンソー州のリヴォン·ヘルムの実家に初めて招かれた時、典型的な南部の保守的白人であり、ということは差別主義者でもあったリヴォンの父親は、おそらくは先住民の血を引くロビーを威嚇する意味合いをも込めて、自分が保安官をやっていた若い頃にいかに多くの黒人を刑務所送りにしてきたかを「自慢げに」語ってみせるのである。読んでいて、とてもショッキングな場面だった。そしてその際、差別主義者が必ず口にする常套句として、「大部分の黒人は善良だが、一握りだけ『悪質』なのがいる。その『余計な部分』は排除しなければならない」ということが語られるのだが、この「一握りだけの余計な部分」というニュアンスを表現するために使われていたのが「One too many」という熟語だったのだ。

「一握りの腐ったミカン」のために全体が台無しにされてしまう、などというのはそれこそ憎むべき差別主義者の論理に他ならないわけだが、「One too many」はそういう文脈で使われる熟語だということである。そして日本語で「一言多い」という場合にも、「その一言さえなければ」相手の言葉は自分にとって大切なかけがえのない忠告だった、という意味で使われる場合がほとんどだと思う。してみると「One too many mornings」というフレーズでディランが言わんとしていることは、「二人の間には『取り返しのつかない結果をもたらしてしまう決定的な朝』が一回だけあって、『その朝』さえなければ幸せでかけがえのない毎日が今でも続いていたはずだった」ということなのだと思われる。

だからディランの心はかつて存在した「いつもの朝」に向けられているわけではあっても、少なくとも「その朝」だけは「いつもの朝」ではなかったことになる。中川五郎氏がこの歌に「いつもの朝に」という邦題をつけたのは、誤訳と言わざるを得ないと思う。

そんなわけでこのブログでは「One too many mornings」というフレーズを、やや冗長な意訳になるが「一朝だけ余計になってしまったいくつものかけがえのない朝」と翻訳することにした。最初は「一朝多いぐらいに沢山の朝」と訳していたのだが、当初の私はそれを「ウンザリするぐらいに沢山の朝」という文脈で理解していたので、それではやはり誤訳になる。「その朝」さえなければ、ディランにとっての「mornings」は全て「かけがえのない朝」だったはずなのだから。

歌の最後近くに出てくる「You’re right from your side/ I’m right from mine」というフレーズは、「ディランの名言」みたいな感じでいろいろなところに採り上げられているのを時々目にするのだけど、私は大していい言葉だとは思わない。単なるニヒリズムの吐露でしかないような感じがする。友情であれ愛情であれ、こういう言葉が出てくるようになったら、その関係は「終わって」いる。その関係に全然「執着」を感じていない風であるのが、ディランらしいといえばディランらしいし、冷たいといえば冷たいと思う。

でもって私はやっぱり、冷たい人間はキライだな。つきあいたいとは思わない。

ディランという人は自分の歌詞をライブのたびに変えてしまうような人なので、その全部を網羅するのはおよそ不可能なことなのだけど、ローリング·サンダー·レビューのライブバージョンでは、三番まである上記の歌詞の後に、以下のフレーズが付け加えられている。併せて翻訳しておきたい。

I’ve no right to be here
If you’ve no right to stay
We’re both one too many mornings
An’ a thousand miles away

あなたにはとどまる権利がないとしても
私にだってここにいていい権利はない。
私とあなたはそれぞれ
一朝だけ余計になってしまったいくつもの
かけがえのない朝でできていて
そして1000マイルも離れている。


JUMP(完全復活祭)


=楽曲データ=
Recorded: 1963.10.24.
Released: 1964.1.13.
Key: C

One Too Many Mornings

One Too Many Mornings