華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Furry Sings The Blues もしくはラストワルツ特集 #13 (1976. Joni Mitchell) ※

#12 Mannish Boy#14

  • 暗い部屋で、リヴォンとスコセッシが向かい合っている。カメラはスコセッシ目線。(映っていないが、ロビーがスコセッシと並んで座っているものと思われる)。

Levon: Near Memphis, cotton country, rice country, the most interesting thing is probably the music.
リヴォン:メンフィスのあたりは、綿どころ。米どころ。一番の名物は、きっと音楽だな。

Scorsese: Levon, who came from around there?
スコセッシ:リヴォン、その辺の出身者には、誰がいるのかな。

Levon: Carl Perkins. Muddy Waters, the king of country music.
リヴォン:カール·パーキンス…マディ·ウォーターズ…カントリーミュージックの王様だな。

Robbie: Elvis Presley. Johnny Cash. Bo Diddley.
ロビー:エルビス·プレスリー、ジョニー·キャッシュ、ボ·ディドリー…

Levon: That's kind of the middle of the country back there. So bluegrass or country music, you know, if it comes down to that area and if it mixes there with rhythm and if it dances, then you've got a combination of all those different kinds of music. Country, bluegrass, blues music.
リヴォン:そういう土壌が、あそこにはあった。だから、ブルーグラスやカントリーが、いいかい。例えばあそこに行って、そこのリズムと混ざり合って、ダンス曲になったら、全く違った種類の音楽のコンビネーションができあがるんだ。カントリーと、ブルーグラスと、ブルースとの。

Robbie: The melting pot.
ロビー:るつぼだよ。

Levon: Show music.
リヴォン:ショーミュージックってやつだな。

Scorsese: And what's it called?
スコセッシ:そういう音楽のこと、何て言うんだっけ?

Levon: Rock and roll!
リヴォン:ロックンロールさ。

Scorsese: Yes. Exactly. Whoa!
スコセッシ:だよね。はは。


Mannish Boy

Mannish Boy

詳しい翻訳記事はこちら


Ooooooh, yeah, ooh, yeah
Everythin', everythin', everythin's gonna be alright this mornin'
Ooh yeah, whoaw

うーいぇー、おーいぇー
今朝は何でも
何でもかんでも
うまく行きそうな気分だぜ。
うーいぇー、ほゎお!


Now when I was a young boy, at the age of five
My mother said I was, gonna be the greatest man alive

おれがまだ5つのボーイだった頃
おふくろはおれに言ったもんだ。
おまえはいつか生きている中で
最高のオトコになるだろうよって。


But now I'm a man, way past 21
Want you to believe me baby,
I had lot's of fun

でもって今じゃおれもオトコだ。
21も過ぎてるぜ。
おれを信じてほしいなベイビー。
いいこといっぱい知ってるぜ。


I'm a man
I spell M, A child, N
That represents man
No B, O child, Y
That mean mannish boy

おれはマン(男/人間)だ。
M、Aと書くんだぜクソガキ。
そんでもってNだ。
それで「マン」って意味になるんだ。
B、Oじゃないぜクソガキ。
Yとか書くなよな。
それじゃオトコみたいなオトコノコって
意味になっちまう。


I'm a man
I'm a full grown man

おれはオトコだ。
一人前のニンゲンだ。


I'm a man
I'm a natural born lovers man

おれはオトコだ。
生まれついてのテクニシャンだ。


I'm a man
I'm a rollin' stone

おれはオトコだ。
苔の生えない転がる石ってやつだ。


I'm a man
I'm a hoochie coochie man

おれはオトコだ。
フーチークーチー野郎と人は言う。


Sittin' on the outside, just me and my mate
You know I'm made to move you honey,
Come up two hours late
Wasn't that a man

外に座ってる。
ふたりきりだ。
おれはおまえをひーひー言わすために
生まれてきたんだぜ。
2時間たったら会おう。
おれはオトコじゃなかったんだ。


I spell M, A child, N
That represents man
No B, O child, Y
That mean mannish boy

I'm a man
I'm a full grown man
Man
I'm a natural born lovers man
Man
I'm a rollin' stone
Man-child
I'm a hoochie coochie man


The line I shoot will never miss
When I make love to a woman,
She can't resist

おれがルアーを投げたら
引っかからない女はいないぜ。
おれが本気で女を愛したら
誰も抵抗できないぜ。


I think I go down,
To old Kansas Stew
I'm gonna bring back my second cousin,
That little Johnny Cocheroo

昔なじみの
カンザス·シチューに行こうかな。
マタイトコを連れて戻って来るぜ。
「征服者ジョニー」って呼ばれてるやつだ。


All you little girls,
Sittin'out at that line
I can make love to you woman,
In five minutes time
Ain't that a man

表に並んでる姉ちゃんたちよ。
おれが愛してやるぜ。
5分前までは
オトコじゃなかったんだけどよ。


I spell mmm, aaa child, nnn
That represents man
No B, O child, Y
That mean mannish boy


Man
I'm a full grown man
Man
I'm a natural born lovers man
Man
I'm a rollin' stone
I'm a man-child
I'm a hoochie coochie man


Well, well, well, well
Hurry, hurry, hurry, hurry
Don't hurt me, don't hurt me child
Don't hurt me, don't hurt, don't hurt me child
Well, well, well, well

さてさてさてさて
急げ急げ急げ急げ
おれを傷つけないでくれよクソガキ。
傷つけるんじゃ傷つけるんじゃ
傷つけるんじゃねえぞ。
さてさてさてさて。


Yeah
いえい。

Robbie: Wasn't that a man! Muddy Waters!
ロビー:あれこそオトコってもんじゃないか!マディ·ウォーターズ!
nagi1995.hatenablog.com
nagi1995.hatenablog.com
シカゴ·ブルースの巨人、マディ·ウォーターズがラストワルツで歌ったのは、「Caldonia」「Mannish Boy」の2曲だった。両方とも上記リンクで翻訳済みなので、合わせてご覧いただきたい。リヴォン·ヘルムにとってはこの時間こそがラストワルツ、そしてザ·バンドの歴史のハイライトとも言うべき15分間で、演奏が終わった時には思わずドラムセットから立ち上がって拍手を送ったのだという。そしたらマディ·ウォーターズはステージを去る前にリヴォンの額にキスしてくれたとのことで、本当に素晴らしい瞬間だったと自伝にはある。にも関わらずその場面が映画には全然映っていなかったということについて、リヴォンはかなり恨みがましい言葉を並べていたのだけれど、確かに並べるだけの権利が彼にはあると私は思う。

そのリヴォンから「ニール·ダイアモンドを出演させる時間を確保するためにマディ·ウォーターズの出演枠を削ろうとした」と激しく非難されているロビー·ロバートソンなのだけど、少なくとも映画のこのシーンの彼氏の姿からは、そんな裏事情があった気配などは微塵も感じられない。キュイーンとギターを鳴らすロビーは完全に至福の表情を浮かべている。夢見心地である。彼氏にとってもマディ·ウォーターズが「特別なゲスト」でなかったはずは、なかったはずだと思う。(悪文だ…)。その辺、果たしてロビーの自伝にはどんな風に書かれているのだろうか。そこまで読み進めることができるのは相当先になると思うけど、気になる。

マディ·ウォーターズの左側(画面では向かって右)でギターを弾いている白人男性のことが私はずっと気になっていて、映画館で見た時には一瞬エリック·クラプトンではないかと思ってしまったのだが、この曲の後に続いて出てくる彼のシーンと比べてみると、服装もギターも違っている。調べてみたところこの時マディ·ウォーターズはニューヨークから自分のバンドを連れて来ていたらしく、件のギタリストはボブ·マーゴリン(Bob Margolin)という人だったことが分かった。さらに、映画には全然映っていなかったけど、この時一緒に参加していたピアニストのパイントップ·パーキンス(Pinetop Perkins)という人は、リヴォンやリチャードが子どもの頃に夢中になって聞いていた「キング·ビスケット·ショー」というラジオ番組でサニーボーイ·ウィリアムソンⅡ世と共演していた伝説のミュージシャンの一人で、映画「ブルース·ブラザーズ」のソウルフード·カフェのシーンでも、客の一人としてカメオ出演していた人なのだという。知らなかったことがまだまだ山ほどあったのだなあ。せっかくいろいろ聞ける時代になったのだから、この人たちのことももっといろいろ追いかけてみたい気持ちになった。

マディ·ウォーターズが歌い出す直前、リヴォンのインタビューシーンの最後の「Yes. Exactly. Whoa!」というスコセッシのイキり倒した台詞を聞くたびに私は心の中で「お前に何がわかるっちゅーねん」と毒づきたくなってしまうのだが、その毒は自分自身をも滅ぼしてしまいうるものであることを重々自覚しているもので、心の中で思うだけにしている。それにしても、人にインタビューする立場の人というものは、自分の方がインタビューする相手よりアタマがいいのだということをアピールするような言動だけは、地球が裂けてもとるべきではないはずだと私は思う。

さて、マディ·ウォーターズの演奏曲が二曲とも翻訳済みなので、今回は映画にもオリジナルのサントラにも収録されていないけど、ジョニ·ミッチェルが三曲目に歌った曲を翻訳しておくことにしたい。同じコンサートで歌われたとは思えないくらい雰囲気の違う曲ではあるのだが、内容的にはこのマディ·ウォーターズのシーンと丸っきり無関係というわけでもない。もっともどういう風に関係しているのかということを考えてみると、少なくとも私は、あんまりいい感じはしない。こんな曲である。


Furry Sings The Blues

Furry Sings The Blues

英語原詞はこちら


Old Beale Street is coming down
Sweeties' Snack Bar boarded up now
And Egles the Tailor and the Shine Boy's gone
Faded out with ragtime blues
Handy's cast in bronze
And he's standing in a little park
With a trumpet in his hand
Like he's listening back to the good old bands
And the click of high heeled shoes
Old Furry sings the blues
Propped up in his bed
With his dentures and his leg removed
And Ginny's there
For her kindness and Furry's beer
She's the old man's angel overseer

昔からあるメンフィスのビール·ストリートは
落ち目になっている。
スウィーティーのスナック·バーには
板が打ちつけられているし
仕立て屋のエグルスさんや
シャイン·ボーイの店も
なくなってしまった。
ラグタイム·ブルースと一緒に
消えてしまったのだ。
W.C. ハンディは青銅の鋳型に流し込まれ
今では手にトランペットを持って
小さな公園に立っている。
昔々の楽隊の演奏と
尖った靴のかかとが床を踏み鳴らす音に
耳を傾けているみたいに。
フリーおじいさんがブルースを歌う。
ベッドに身体を支えられて。
入れ歯と義足は外されて。
そしてジニーがそこにいる。
そのやさしさゆえに。
そしてフリーさんのビールのために。
彼女はお年寄りにとって
天使のような民生委員なのだ。


Pawn shops glitter like gold tooth caps
In the grey decay
They chew the last few dollars off
Old Beale Street's carcass
Carrion and mercy
Blue and silver sparkling drums
Cheap guitars eye shades and guns
Aimed at the hot blood of being no one
Down and out in Memphis Tennessee
Old Furry sings the blues
You bring him smoke and drink and he'll play for you
lt's mostly muttering now and sideshow spiel
But there was one song he played
I could really feel

質屋のギターは
灰色の腐朽の中で鈍く光る金歯のようだ。
最後の何ドルかを
かれらは食い尽くしてしまった。
古き良きビール·ストリートのなきがら。
死肉と慈悲。
青と銀色に輝くドラム。
目を閉じる安物のギターそして
テネシー州メンフィスで
何ものにもなれずに打ちのめされた人々の
熱い血潮に狙いをつける銃。
フリーおじいさんがブルースを歌う。
たばこと酒を持って行けば
あなたのために歌ってくれるだろう。
今ではそれは
ほとんどぶつぶつ言ってるだけの
サイドショーの口上みたいなものだけど
でも本当に何かを感じさせてくれる歌が
昔はひとつあったのだ。


I got a woman on Monday,
she shines my shoes
I got a woman on Tuesday,
give me nothing but the blues
Old Furry's got nobody

月曜日には女がいて
おれの靴を磨いてくれる。
火曜日の女が
おれにくれるのはブルースだけ。
フリーおじいさんのところには
誰もいない。


There's a double bill murder at the New Daisy
The old girl's silent across the street
She's silent waiting for the wrecker's beat
Silent staring at her stolen name
Diamond boys and satin dolls
Bourbon laughter ghosts history falls
To parking lots and shopping malls
As they tear down old Beale Street
Old Furry sings the blues
He points a bony finger at you and says
"I don't like you"
Everybody laughs as if it's the old man's standard joke
But it's true
We're only welcome for our drink and smoke

ニュー·デイジー劇場では
殺人物の二本立てがやっている。
年老いた昔の少女の沈黙が
通りを横切る。
彼女は静かだ。
解体業者の立てる音を待っている。
静かだ。
盗まれた自分の名前を見つめている。
ダイアモンドの少年たちと
サテンの人形たち。
バーボンの笑いに亡霊の歴史が
駐車場とショッピングモールに降り積もる。
古き良きビール·ストリートが
引き裂かれてゆけばゆくほどに。
フリーおじいさんがブルースを歌う。
骨ばった指をあなたに向けて
「おまえが嫌いだ」と言うだろう。
それがそのおじいさんの
お決まりのジョークだと言うみたいに
みんなは笑うだろうけれど
でもそれはほんとうのことなのだ。
私たちが受け入れてもらえるのは
たばこと酒のためでしかない。


W. C. Handy I'm rich and I'm fey
And I'm not familiar with what you played
But I get such strong impressions of your hey day
Looking up and down old Beale Street
Ghosts of the darktown society
Come right out of the bricks at me
Like it's a Saturday night
They're in their finery
Dancing it up and making deals
Furry sings the blues
Why should I expect that old guy to give it to me true
Fallen to hard luck
And time and other thieves
While our limo is shining on his shanty street
Old Furry sings the blues

W. C. ハンディさん
私はリッチで浮世離れしている。
そしてあなたのやっていた音楽には
詳しくない。
でもあなたの全盛期の演奏には
とても強い印象を受ける。
ビール·ストリートを上から下まで見渡す。
暗い街につくりあげられた社会の幽霊が
レンガの中から抜け出して
まっすぐ私に向かってくる。
まるで今日が土曜日の夜でもあるかのように
一番いい服で着飾って
踊ったり取引したりしている。
フリーさんがブルースを歌う。
このおじいさんが私に
本当のことを手渡してくれるなんてことは
期待したって仕方ない。
不運に見舞われて。
よる年波と盗賊たちにも見舞われて。
フリーおじいさんがブルースを歌う。
おじいさんのものだったみすぼらしい通りに
私たちのリムジンが
ぴかぴか光っている風景の中で。

…「ラストワルツ」で演奏された曲は全部翻訳する、というこの企画の趣旨から取りあげたわけではあるのだけれど、率直に言って、ひどい歌だと思う。今まで成り行きみたいな感じでジョニ·ミッチェルの曲はこのブログでもかなり沢山とりあげてきたし、ものすごい才能と技術を持った人だということは認めるにしても、やっぱり基本的なところで、この人のことを私は好きになれないな。

この歌に出てくる「Old Furry」という人は、1920年代に活躍したWalter E. "Furry" Lewisという名前の伝説のブルースマンで、同じく曲中に出てくる「ブルースの父」ことW. C. ハンディという人のバンドの一員だった。(「セントルイス·ブルース」を作った人で、歌詞の中にもあるようにメンフィスの街にはこの人の銅像が建っている)。1976年の2月5日、ジョニ·ミッチェルはメンフィスのビール·ストリートのアパートの一室に住んでいたこのフリー·ルイス氏を訪問し、それでできたのがこの曲なのだという。

それでできたのがこの曲かよ、と思う。さびれた街で暮らしている、身寄りもない老人の家にリムジンで乗りつけて、(たぶんだけど)お茶も出させて歌まで歌わせて、瀟洒な自宅に戻った彼女はこんな風にその印象を綴ってみせるのだ。あまりと言えばあまりに失礼な話なのではないだろうか。

1981年に亡くなったフリー·ルイス氏はこの歌のことをずっと嫌っていたと資料にはあるし、また自分のことをネタにして歌を作っておきながらギャランティ料を払わないジョニ·ミッチェルに対しても、憤っていたらしい。払ってなかったのかよということ自体おどろきだが、そんな風に本人からハッキリいやだと言われているにも関わらず、それ以降も平然とステージで(しかも本人のモノマネまで入れて)この曲を歌い続けることのできたジョニ·ミッチェルの神経というものが、私には理解できない。

「私はリッチで浮世離れしている」などという言葉、たとえ客観的に事実であったとしても、フツー自分の口から言えるものだろうか。自分が金持ちであることを否定してみせたがる金持ちというのはそれはそれでむかつくものだが、こんな風にアッケラカンとそれを「居直れる」態度というものは、ひとくちに言って邪悪だと思う。金持ちなら金持ちらしく金持ちの人間だけ相手にしてアンニュイな寝言でもつぶやいていればいいではないか。どうしてわざわざ貧乏人の住む街に土足で踏み込んできて、やれそこがみすぼらしいだとか希望が感じられないだとかいった風にあれこれと評論の対象にしてみせたがるのか。この歌でジョニ·ミッチェルがやっていることは「蹂躙」だと私は思うし、それ以外の言葉は思いつかない。こんな歌にもし「共感」できる人間がいるとしたら、それこそ貧乏人の住む世界を「観光」の対象としか思っていないような、彼女と同じ階層の金持ち連中だけだろう。

歌の中でフリー·ルイス氏が中空を指さして「お前がキライだ」と言うシーンがあるが、これは恐らく本当にジョニ·ミッチェルという訪問者のことを「キライだ」と思ったから、フリー氏は素直に感じたままを口にしたのだと思う。ところが彼女はそれを全然自分に向けられた言葉だと思っていない。いや、歌詞の言葉からすると理解はしているのかもしれないが、それでもちっとも「コタえて」いない。そしてそれを歌の文句に取り入れることさえできてしまう。面の皮が厚いのだ。こういう人というのは、ハッキリ言って一番始末に負えないと私は思う。

しかもジョニ·ミッチェルはこの歌を、1976年11月25日、マディ·ウォーターズが退場してまだ30分も経っていない、その同じステージで歌ってみせたのである。これはもう、ブルースの歴史というものにケンカを売るに等しい態度なのではないだろうか。YouTubeの映像で見る限り、他のザ·バンドのメンバーはほとんどこの曲の演奏に参加しておらず、彼女の両側に映っているのはギターのロビーとハーモニカのニール·ヤングの姿だけなのだけど、一体どういう気持ちで歌詞を聞いていたのだろうと思う。頭の中に浮かんでくるのはTheピーズの歌のタイトルになっている「何様ランド」という言葉である。

…まさか「ラストワルツ」にまつわることでこんなにも後味の悪い文章を書かねばならない羽目になろうとは、この歌を翻訳するまで思ってもみなかったな。でも青春に決着をつける作業というのは、そういう風に本当なら向き合いたくもなかった現実というものと覚悟を決めて向き合うことを通してしか、何も進みはしないのだ。ひとつひとつ、終わらせてゆきたいと思う。ではまたいずれ。