華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

She もしくは追悼シャルル·アズナブール① (1999. Elvis Costello)


She

She

英語原詞はこちら


She
May be the face I can't forget
A trace of pleasure or regret
May be my treasure or the price I have to pay

たぶんぼくにとっての
忘れられない面影として
よろこびかさもなくば後悔が
残した足あととして
あのひとはある。
ぼくにとっての宝物かさもなくば
自分を犠牲にするに値する対価
それがあのひとなんだろうな。


She may be the song that summer sings
May be the chill that autumn brings
May be a hundred different things
Within the measure of a day

あのひとはたぶん
夏が歌ってくれる歌で
秋が運んでくる冷たさで
一日が見せてくれる
百もの違った表情なんだろうな。


She
May be the beauty or the beast
May be the famine or the feast
May turn each day into a heaven or a hell

あのひとはたぶん
美女かさもなくば野獣で
飢えかさもなくば饗宴で
一日おきに天国にも地獄にも変わる
そんなひとなんだろうな。


She may be the mirror of my dreams
A smile reflected in a stream
She may not be what she may seem
Inside her shell

あのひとはたぶん
ぼくの夢を映す鏡で
流れの中に反射するほほえみだ。
あのひとはたぶん
自分の内側では
外から見えるのとは
全然ちがったひとなんだろうな。


She who always seems so happy in a crowd
Whose eyes can be so private and so proud
No one's allowed to see them when they cry

あのひと。
群衆の中でいつも
とても幸せそうに見えるひと。
あんなにもプライベートで
あんなにも誇り高い目を
することができるひと。
その目が涙をこぼすところを見ることは
誰にも許されていない。


She may be the love that cannot hope to last
May come to me from shadows of the past
That I'll remember till the day I die

あのひとはたぶん
続くことを望むことを
許されていない愛で
ぼくが死ぬまで
絶対に忘れることのできない
過去の影の中からやってくる
そんなひとなのかもしれない。


She
May be the reason I survive
The why and wherefore I'm alive
The one I'll care for through the rough and ready years

あのひとはたぶん
ぼくが死んだらいけない理由で
ぼくが生きていることの意味と答えだ。
間に合わせで送る年月の中で
本当に大切にしなくちゃいけない
たった一人のひとが
あのひとなんだ。


Me I'll take her laughter and her tears
And make them all my souvenirs
For where she goes I've got to be
The meaning of my life is
She

ぼく
ぼくはあの人の笑顔も涙も受け止めて
そのすべてを自分のための
記念品にしよう。
あのひとの行くところが
ぼくのいるべきところなんだから。
ぼくの人生の意味は
あのひと。


忘れじの面影 (シャルル·アズナブール)

=翻訳をめぐって=

  • エルヴィス·コステロが1999年に映画「ノッティングヒルの恋人」の主題歌として歌い、大ヒットしたこの歌は、昨日2018年10月1日に逝去されたフランスの歴史的シャンソン歌手、シャルル·アズナブール氏が1974年、イギリスのテレビ番組のために書き下ろした作品だったのだという。私が先に知ったのは下の画像の人だったため、いまだに名前を聞くたびにそのイメージがちらついて仕方のないところがあるのだが、もちろん先に生まれたのはシャルル氏の方である。ご冥福をお祈りします。

  • シャルル·アズナブール氏の作品なのだから、もちろんフランス語バージョンもあるわけだけど、元々イギリスのテレビ番組のために書かれた歌なので、シャルル氏が書いたメロディには最初から英語の歌詞がついていたらしい。その歌詞を書いたのはハーバート·クレッツマーという人で、日本では「忘れじの面影」という邦題がついている。何でそんな細かいことまで書くのかというと、私自身がシャルル氏逝去のニュースに触れるまでずっとこの曲をコステロの作品だと思っていて、あの「怒るでしかし」男にどうしてこんな曲が書けたのだということが不思議で仕方なかったからである。違う人が書いたのだということが分かったら分かったで、どうしてあんなヒネくれた歌い手にこの曲を歌う役回りがめぐってきたのかということが、今度は不思議で仕方ない。とりあえず、アズナブール氏のフランス語バージョンも貼りつけておきます。


Tous les visages de l'amour

  • タイトルの「she」について。日本語訳は「彼女」なのだけど、日本語で「彼女」と言うとどうしても「軽い見下し」のニュアンスが生じてくる感じが、私はする。「彼女」で訳するとその「見下し感」が歌詞のすべてを支配してしまうことになる。しかし、「手が届かないように思える憧れの対象」を「彼女」という言葉で表現できる日本語話者の男って、いるだろうか。言うなら「あのひと」だと思う。というわけで、「あのひと」で訳した。
  • She may be the face I can't forget…直訳は「彼女は私が忘れることのできない顔かもしれない」。この歌に使われている言葉はコステロの歌詞ほど難解ではないけれど、すごく英語的な言い回しが多いので、ストレートには日本語に直しにくい。今回の試訳は、かなり意訳がちになっている。
  • なお、この歌には「She may be=あのひとはたぶん」という言い回しが数多く出てくるけれど、この「may」の意味するところは「50%の確率で〜かもしれない」ということなのだという。かなり、難しい指定である。「きっと」とか「おそらく」とか訳したい場所もあったのだが、「たぶん」がたぶん、ギリギリの表現なのだと思う。その辺、お含み頂ければ幸いである。
  • She may be my treasure or the price I have to pay…直訳は「彼女は僕にとっての宝物か、もしくは僕が支払わなければならない対価だ」。これまた、英語的な表現だと思う。大体、「自分にとっての相手の価値」を「支払うべき値段」で表現する発想自体、日本語話者にはありえないと思うし、「失礼な言い方」なのではないかとも感じる。もっともこの言い方には「彼女の本当の値打ちが分かるのは自分だけだ」とか、「自分こそがその対価に釣り合う犠牲を捧げなければならない」とかいった気持ちも含まれていると思われるわけで、その「思いの内容」は、簡単には「意訳」できない。上の試訳はあくまで参考意見みたいなものとして、読んで頂ければと思います。
  • A smile reflected in a stream…やや分かりにくいが、彼女のことを「川に反射する微笑み」に例えているということは、「歌い手自身の微笑み」が彼女の表情そのものの中に「映されている」ということの表現なのだと思う。でも小川に流れる水に映る顔をハッキリと見ることはできないように、よく見ようとするとそれは消えてしまうのである。たぶん。
  • She may be the love that cannot hope to last…このバースの歌詞は、歌い手自身が彼女との恋は長続きしないかもしれないと感じていること、いつかは自分の中で「影のような過去」に変わってしまうかもしれないと予感していることを示しているのだと思う。「歌い手の迷い」の表現である。でも、歌の最後でその迷いを振り切る。そういう構成になっているのだと思う。
  • The one I'll care for through the rough and ready years…「rough and ready」は「即席の/間に合わせの/ぞんざいな」といったニュアンスの形容詞句。他のことはそれでよくても、彼女のことだけは「rough and ready」ではいけないのだ。
  • For where she goes I've got to be…この「for」は「理由」をあらわす「for」として翻訳したが、前の行に出てくる「souvenir (記念品)」という言葉にかかっている可能性も、ないではない。しかしそれだと「彼女が行くところ、僕がいるべきところのための記念品」といった感じになり、わけが分からない。できれば、ネイティブの人の意見を聞いてハッキリさせたいところです。
  • The meaning of my life is she…「僕の生きる理由が彼女なんだ」と言いたい場合、「普通の英語」なら「The meaning of my life is her」になる。「ちょっと無理のある言い方」をあえてしているわけで、それを尊重して「ちょっと無理のある訳し方」をしてみたのだが、日本語にすると、あまり美しくないな。こういうのが、一番むずかしい。

というわけでまたいずれ。


=楽曲データ=
Released: 1974.6.14.
Covered by Elvis Costello in 1999.
Key: D♭