華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

This Charming Man もしくはとあるシュッとした男の人 (1983. The Smiths)

耳をいつも澄まして
17歳の僕がいた
花束をかきむしる
世界は僕のものなのに

Flipper's Guitar「午前3時のオプ」1990年


This Charming Man

This Charming Man

英語原詞はこちら


Punctured bicycle
On a hillside desolate
Will Nature make a man of me yet?

人里離れた丘の中腹で
パンクした自転車。
ぼくみたいなやつに
一人前になれる日なんて
来るんだろうか。


When in this charming car
This charming man


そこに現れた
とあるチャーミングなクルマの中には
とあるチャーミングな男の人。


Why pamper life's complexities
When the leather runs smooth on the passenger seat?

革張りのパッセンジャー·シートが
こんなにツルツルピカピカ
してるっていうような時に
どうして人生のややこしさに
気を使ってやらねばならない
必要があるだろう。


I would go out tonight
But I haven't got a stitch to wear
This man said "It's gruesome
That someone so handsome should care"

ぼくも今夜は出かけたいんですけど
着て行くものがひとつもないんです。
すると問題の男の人は
「こんなにハンサムな人が
そんなことを気にするなんて
身の毛もよだつ感じがするね」
と言うのだった。


A jumped-up pantry boy
Who never knew his place
He said "return the rings"
He knows so much about these things
He knows so much about these things

自分の居場所がどこなのかも
分かっていたためしがない
皿洗いの男の子
調子に乗って舞い上がってる。
「指環なんて返してしまえ」と
その人は言うのだった。
その人はその手のことには
とても詳しいのだ。
その人はその手のことには
とても詳しいのだ。


I would go out tonight
But I haven't got a stitch to wear
This man said "It's gruesome
That someone so handsome should care"

ぼくも今夜は出かけたいんですけど
着て行くものがひとつもないんです。
すると問題の男の人は
「こんなにハンサムな人が
そんなことを気にするなんて
身の毛もよだつ感じがするね」
と言うのだった。


This charming man
This charming man

とあるチャーミングな男の人
とあるチャーミングな男の人


A jumped-up pantry boy
Who never knew his place
He said "return the ring"
He knows so much about these things
He knows so much about these things
He knows so much about these things

自分の居場所がどこなのかも
分かっていたためしがない
皿洗いの男の子
調子に乗って舞い上がってる。
「指環なんて返してしまえ」と
その人は言うのだった。
その人はその手のことには
とても詳しいのだ。
その人はその手のことには
とても詳しいのだ。

=翻訳をめぐって=

聞いている分にはフワフワしていて心地よいのだけど、歌詞の中身となると何のことを歌っているのかさっぱり分からず、ややもすると不気味でさえある。それがこのザ·スミスという80年代のイギリスのバンドに対して私が持っていたイメージで、そのせいもあって今まではどちらかと言うと、敬遠していた。

初期の名曲だと言われているこの「This Charming Man」という曲からして、そうなのだ。この歌に歌われているのは、明らかに「過去の出来事」なのである。それなのにどうして「This Charming Man (この魅力的な男性)」などという言葉遣いが選択されているのだろう。この「チャーミングな男性」は、ひょっとして時空を超えた存在なのではあるまいか。そういうことが一旦気になり出すと、モリッシーの歌声がどんなに叙情的であろうが、ジョニー·マーのギターがどんなに柔らかくて軽快であろうが、私の場合は他のことが一切耳に入ってこなくなってしまうのだ。

ところが最近、「This」という指示形容詞には以下のような用法があるらしいことを知り、それでこの歌に対する私の距離感がグッと近まったような気がした。それが直接には、今回この曲を取りあげてみたい気持ちになった動機をなしている。

There's this boy I ride home with on the bus every day, and…
毎日帰りのバスで一緒になるある少年がいて….

I have this strange feeling.
なんかこう変な気持ち。

I have this boyfriend named Bob. The funny thing is, he has this dog that likes cat food better than dog food.
私、ボブっていうボーイフレンドがいるんだけど。彼が飼ってる犬が、おかしいの、ドッグフードよりキャットフードが好きなんだ。

…いずれの場合でも、話している相手が知っているはずのない人、あるいは気持ちに対して、「this」という「相手も知っていることを前提とした言葉」が使われている。口語的にしか使われない表現らしいのだが、辞書の備考欄には

打ち解けた会話で何かを新たに提示。テレパシーでも使えるかのように、思い浮かべているものを指す。記憶・心象を包み隠さない親密感と、多少のなれなれしさを伴う。文法的には a, an で置換可能。

と書かれていた。文字にされるとややこしい感じがするけれど、そういえば私の弟がまだ小さかった頃、いつもこんな喋り方をしていたことが思い出される。

あんなー。あんなー。タッくんがトカゲつかまえてんけどなー。そんでタッくんが何て言うたか、知ってる?

…私はタッくんと一緒にいなかったのだから、「知ってる」わけがないのである。そういう時には「何て言うたて思う?」と訊くもんや、といった風に小学生のくせしてエラそーに私は「指導」したりなどしていたものだが、弟の中ではタッくんが何か面白いことを言った時の興奮と感動がいまだ全然冷めていないものだから、「知ってる?」という言い方が「自然に」出てきてしまうわけなのだ。そしてそんな風に「不自然だけど臨場感のある喋り方」をする人というのは、思い出してみれば、弟だけではなかった。オトナからはほとんど聞かなかったような気がするけれど、この「知ってる?」に関しては、当時の同世代の友人たちのかなりの部分が、使っていたような気がする。

つまりその「知ってる?」と、「This Charming Man」という歌における「This」は、「似ている」のである。

そう考えてみると、そんな微妙な言い回しを「わざと」歌詞の言葉に織り込んで歌を作ることができるモリッシーという人は、只者ではないのではないかという気が私はしてきた。この人が歌の中で使っている英語は、多分ネイティブの人からしてみると、ものすごく「生き生きしている」はずなのである。私はネイティブではないのでそれがどんな風に「生き生きしている」のか直接には分からないし、多分一生わかることはないのだが、日本語表現との比較を通じて「思いを馳せる」ことはできる。そしてできることなら、それを自分の母語である日本語を通じて「再現」してみたいものだと思う。それこそが、翻訳の醍醐味というものではないだろうか。

いずれにしても上記の資料が教えるところから、「This Charming Man」は「とあるチャーミングな男性」と訳しうることが、とりあえず分かった。それを突破口に歌詞の全体を翻訳してみたのが上の試訳なわけだけど、この歌が何のことを歌った歌なのかということは、依然としてよく分からない。何となくイメージが湧いてこないでもない気もするけど、あまりにも漠然としている。

もともとそういう歌なのだと言われたらそれまでなのかもしれないが、ネイティブの人たちはそれぞれの歌の言葉からどんなイメージを受け取るのかということをできるだけ正確に「再現」したいというのが、このブログの目標とするところである。以下、英語圏の歌詞読解サイトである「Genius」のこの曲に関する記述を引用しつつ、読み進めて行きたい。
genius.com

The Smiths' second single of 1983, “This Charming Man,” depicts the story of a poor boy coming in contact with the upper class but feels unwelcome due to his lack of material wealth. The ambiguity of the characters' sexuality leaves the song very open to debate and speculation about the true meaning.
ザ·スミスによる2枚目のシングル、1983年の「This Charming Man」は、上流階級の人間と出くわすことになったものの、自分に物質的な豊かさが欠けていることから、嫌がられているのではないかという感じを抱いている、貧乏な少年の物語を描き出している。登場人物のセクシュアリティが曖昧にされていることが、その真に意味するところをめぐる議論や考察に対し、この歌を極めて開かれたものにしている。

…モリッシーの書く歌詞の文体がそもそも独特なのだが、それに対するこの注釈の文体がまた独特だ。直訳するとどうしてもややこしい表現になるので、かなりの部分を意訳に頼らざるを得なかった。上はこの歌についての「総論」なのだけど、主人公が上流階級の人間と出会って「自分が嫌われていると感じている(feels unwelcome)」と書かれている理由が、私にはいまいちよく分からない。歌詞の中に「嫌われていることを気にしているように聞こえる言葉」が、書かれているようには思えないからである。「(一緒に)遊びに出かけたいけど着て行く服がない」とか、その辺の歌詞が根拠になっているのだろうか。

総体として、この歌の主人公は「ドキドキしている」と私は感じるし、その「ドキドキした感じ」を歌っているのがこの歌なのだと思う。人里離れた場所で自転車がパンクというこの上なくミジめな状態から、ありえないほどラッキーなことが起こったというその高揚感、うれしい気持ち、同時にその相手に対する不安や違和感、惹きつけられながら同時に反発している気持ち、そういうのが全部ないまぜになって、総体的には「ドキドキしている」のがこの歌だと思う。

また上の注釈の中で「登場人物のセクシュアリティが曖昧にされている」と書かれている点について。「セクシュアリティ」という言葉については以前に書いたこちらの記事を参照されたいが、身体的な性別という点からすれば、この歌の登場人物は二人とも明らかに男性である。つまりぶっちゃけた言い方をするならこの歌は「BLの歌」だということになり、確かにそういう風に読める節もあるわけだが、それだけでもないような気が私はする。そういう風に発展する可能性もあれば、しない可能性もあるし、全く関係ない方向に話が進む可能性もある。そしてそういう風に発展する可能性があったとして、この主人公の少年(青年?)がそういう自分の性的指向を自覚しているかといえば、そのこと自体、よく分からない感じがする。つまりこの歌の時点では「何かが始まりつつあるけど具体的にはまだ何も始まっていない」わけであり、「その時点の世界」が切り取られて絵画的に焼きつけられているのが、この歌詞なのである。だから「正体不明のドキドキした感じ」だけが、この歌の中では「形」になっているのだと思う。

…て言っか私、のっけから何をこんなに「熱くなって」いるのだろう。

Punctured bicycle
On a hillside desolate
Will Nature make a man of me yet?


The narrator is out on a bicycle ride in the country, and one of his tires gets punctured. Not being prepared for this, he dramatically (and facetiously) ponders his fate—“will Nature make a man of me yet?” is like him exclaiming, “will I make it out of here in this wilderness!?”. The accident becomes the setup for the subsequent events of the narrative, prompting his chance encounter with the “charming man”.
語り手は田舎道を自転車で外出し、そしてその片方のタイヤをパンクさせてしまった。何も対策をとっていなかったもので、彼は劇的に(かつ滑稽に)自分の運命について思いをめぐらせる…「こんなボクでも一人前になれる日が来るんだろうか」というのは、「この荒野から抜け出すことができるのだろうか」という、彼の叫びのようである。このアクシデントが、語り手のために、引き続いて起こる出来事を準備する。「チャーミング·マン」との出会いのチャンスが生まれたのである。

Morrissey provides a contemporary look on an allusion to Spartan mythology. Spartan boys were expected to join the army and fight like men from a very young age. Those who were not capable or adequate soldiers were left on a hill to die, similar to the position the narrator is in. Upon doing this Morrissey solidifies the theme of anti-machismo.
モリッシーは、スパルタの神話のイメージに対する今日的な視点を示してみせる。スパルタの少年たちは極めて若い時期から軍隊に参加し、成人男性のように戦うべきものとされた。その能力を持たなかったり満たさなかったりする少年たちは、語り手の少年がおかれている状況と同様に、丘の上に置き去りにされて死ぬに任された。こうした手法によってモリッシーは、アンチ·マチズモ(反マッチョ主義)の立場を強固に突き出している。

In 2013’s Autobiography, Morrissey relates appearing as an extra on television’s Coronation Street as a young boy in 1973 Manchester. Just before hitting the set for his brief, non-speaking role, his “shagpile moptop is shorn to the bone without my consultation.” When filming begins, he is “ordered to cycle through a conventional industrial scene of the frozen north” – a setting which he then summarizes as, “a punctured bicycle on a hillside desolate.”
2013年に出された自伝の中で、モリッシーは1973年、マンチェスターでテレビの「コロネーション·ストリート」に、エキストラの少年役で出演した時の経験について言及している。セリフもないその短い役をつとめることになった直前、彼の「モップみたいな髪の毛が、自分の同意もなしに骨のところまで刈り取られる」ことになった。撮影が始まり、彼は「伝統的で工業的な凍てつく冬の街の風景の中を自転車で走ること」を求められ、彼の要約したところによればその情景こそが「人里離れた丘の中服でパンクした自転車」だったのだという。

Will Nature make a man of me yet?」というフレーズを直訳するなら「自然は私を成人男性として形作るのであろうか。このようであったとしても」みたいな感じになる。おそろしくクセのある言い回しだが、その「クセのある言い方」に、おそらくネイティブの人たちは「生き生きしたもの」を感じるのだと思う。

When in this charming car
This charming man


As the narrator’s sitting on the side of the road a “charming” man, noticing him in distress with a punctured bicycle tire, pulls up in a nice car and offers him a ride. It’s unclear whether he means charming as in pleasant or attractive, but this will come up again throughout the song.
語り手が道端に座り込んでいると、一人の「チャーミングな男性」が、彼氏が自転車のタイヤをパンクさせて困り果てているのに気づき、そのナイスなクルマを停めて、語り手に乗るように勧めた。この「チャーミング」というのが「感じのいい」という意味なのか「魅力的」という意味なのかは、判然としない。しかしながらこの「チャーミング·マン」と言うフレーズは、歌の全体を通じて繰り返し登場してくる。

…「チャーミング」という言葉は、日本語世界ではどちらかと言うと「上から目線」で相手のことを「かわいい」と言う時に使われている印象があるが、英語圏では相手に対する「憧れ」を込めて使われる言葉だという感じがする。「charm」というのはもともと「魔力」とか「魔法をかける」とかいう意味なのだから、「charming」というのは「魔法のように相手を魅了する」という意味になるわけである。ヘビに睨まれたカエルはそのヘビの眼に「チャーミング」なものを感じているからこそ、動くことができないという風にも言えるわけだ。つまるところ「チャーミング」という言葉には、いろんな幅がある。

上の引用にも書かれているように、「チャーミング」には「感じがいい(清潔なイメージ)」と「魅力的(奔放なイメージ)」の両方に解釈できる余地があり、ひとつの日本語表現に置き換えることは難しい。大阪弁の「シュッとしてる」というのは極めてそれに近いニュアンスの言葉だと思うが、それを使うと全部を大阪弁で翻訳せざるを得なくなるので、上の試訳では音訳するにとどめた。

Why pamper life's complexities
When the leather runs smooth on the passenger seat?


Why should he walk back when this nice man is offering him a ride? This is an invitation to the luxurious side of life, in contrast to an uncomfortable bicycle which presumably isn’t a smooth ride. The wider message is: why bother with the complexities of life when being a passive ‘passenger’ is so easy?
そのナイスな男性が乗るように勧めてくれているのに、どうして彼が歩いて帰らねばならない理由があるだろうか?素直に進んでくれないに決まっている、不安な自転車とは対照的な、人生の最高級の側面からお招きを受けているのだ。このメッセージをより広くとらえると、「簡単に受動的な『パッセンジャー』の立場に立てるような時に、人生のややこしさに苦しめられる必要がどこにあるだろうか?」ということになる。

「パッセンジャー·シート」というのは「助手席」のことなのだけど、「パッセンジャー」という言葉にはいろいろな意味が込められており、それが聞き手のイマジネーションを膨らませる仕組みになっている。「乗客」「お客さま」という意味にもなれば、「お荷物」「厄介物」という意味にもなるのが「passenger」なのである。「passenger seat」の直訳は「お客さま用の席」なのだが、歌い手あるいは聞き手が「自分に誇りを持てない状況」にある時には、「厄介物のための席」という風に聞こえてしまう余地もある。

けれどもどちらにせよ、「パッセンジャー」としての立場を選択してしまえば、その人は「自分で考えて行動すること」から「解放」されることになる。「pamper life's complexities」の直訳は「人生の複雑さを甘やかす」で、これまた言い方がややこしいのだが、要は「その複雑さを引き受けて主体的に生きる」ということだろう。でも主人公は謎のリッチな男性からゴージャスなオファーを受けたことで、「主体的な生き方」を放棄して「受け身で生きる」ことに決めてしまおうとしているわけだ。

けれども主人公自身が心からそうしたいと望んでいるようにも、あんまり思えない。どちらかと言えばやけっぱちになってそういう刹那的なセリフを吐いている感じもする。要するにこの主人公は、何がしたいのか全然わからないやつなのである。聞き手にとっても、おそらく本人にとっても。

I would go out tonight
But I haven't got a stitch to wear


This is likely influenced by A Taste Of Honey by Shelagh Delany within which Jo, the protagonist, uses “I haven’t got any clothes to wear, for one thing.” as the reason that she doesn’t go out dancing in the evenings like the others do. Morrissey is very influenced by the play and references to the film can also be found in “Reel Around The Fountain”, “This Night Has Opened My Eyes” and “You’ve Got Everything Now” to name a few.
このくだりは、シーラ·デラニー(イギリスの劇作家)の「蜜の味」の中で、主人公のジョーが他のみんなと同じように夜のダンスに出かけない理由として語られる「着て行く服をひとつも持ってないから」という台詞に影響を受けているものと思われる。モリッシーはこの映画に強く影響されており、いくつか名前を挙げるなら「Reel Around The Fountain」「This Night Has Opened My Eyes」「You’ve Got Everything Now」などの曲も同作品を元ネタにしている。

This quote, at first impression, indicates that the protagonist (either Jo or the narrator of the song) indicates that they are poorer than their peers or possibly given less money by parents however it is also likely that this reasoning is not to be taken as literal – the narrator may not feel comfortable in certain social situations and therefore uses excuses that imply economic inadequacy as opposed to the honest social inadequacy.
このフレーズは、第一印象としては主人公(ジョーであれこの歌のナレーターであれ)が仲間たちより貧乏であるか、あるいはおそらく親から少ない小遣いしかもらっていないということを示しているわけだが、同時にこの理由づけは必ずしも額面通りに受け取る必要がないようにも思われる。ナレーターはおそらく特定の社会的状況に居心地の悪さを感じており、そのために経済的な不足を言い訳に使っているのである。社会的な不充足感を素直に問題にすることとは対照的に。

…引用したような「元ネタのセリフ」があるのだとした上で、歌詞の流れから考えるなら、「I would go out tonight (今夜は外出したいのですが)」というフレーズには、いささか唐突な感じを受ける。どういう流れで、この言葉は口に出されているのだろうか。考えられるシチュエーションは、謎の年上男性から今夜一緒にどこかに行かないかと誘われて、それへの返答であるというのが一つ目。あるいはその年上男性のクルマに乗ってしまった主人公が、聞かれもしないのに自分の予定や身の上話をペラペラ喋っているというのが二つ目。そのどちらかだとは思うが、どうしてもそのどちらかに決めなければならない理由は、私にも世の中の人々にも多分ない。だから、どっちでもいい。

さらに「 I haven't got a stitch to wear」というフレーズについて。「stitch」とは「縫い目」のことなので、直訳としては「私には着るべき縫い目のひとつもない」という意味になり、日本語的には「一糸まとわぬ」に近いイメージのフレーズなわけだが、意味としては要するに「自分には着て行くものがない」と言っているわけである。上の引用にも書かれているように、このフレーズにもいろんな「幅」がある。年上男性の側から熱烈に誘われてそれを断るための言葉であるとも考えられるし、あるいは年上男性がリッチであることを考え合わせるなら「遠回しにおねだりしている」言葉であるとも考えられる。つまりこの歌は「一貫して曖昧」なのである。

This man said, "It's gruesome
That someone so handsome should care"


The man says this in response to the narrator’s excuse. This appears to be a pickup line, and it now becomes clear why the man offered him a ride. Rather than get uncomfortable, the narrator takes the compliment. Morrissey’s sexuality has always been questioned, and many of The Smiths' songs contain sexually ambiguous lyrics.
ナレーターの言い訳に対する、その男性の答えである。これは「口説き文句(pickup line)」であるように思われ、なぜその男性がナレーターに乗るように勧めたのかが、ここに至ってハッキリしてくる。不快に思うのではなく、むしろナレーターはその賛辞を受け入れている。モリッシーのセクシュアリティはずっと謎に包まれており、そしてザ·スミスの多くの歌詞には性別に関する曖昧さが含まれている。

「It's gruesome that someone so handsome should care」を直訳すると、「こんなにもハンサムな誰かが、気にするなんて、身震いするほど恐ろしい」ということになり、何だかよく分からないが、相手の男性が主人公のことを「ハンサムだ」と言ってくれていることだけは分かる。このことからこの歌を「BLの歌」として解釈しうる根拠が生じてくるわけだが、とはいえ年上男性から年下男性に対する会話のパターンとして、「兄ちゃん男前やな」ぐらいのことは、別にBL的な関係でなくてもフツーに出てくる言葉だと思う。BL的な関係への発展は、この歌が歌われている時点においては、ありうるいくつもの未来の可能性のひとつにすぎないと言えるだろう。何が言えるだろうじゃ。ただ言えることとして、この主人公は「あんまり人からホメられた経験のない男の子」だという感じはする。

「gruesome」は「見るもおぞましい様子を表す形容詞」であり、こんな言葉が出てくること自体も唐突だが、日本語でも「ゾッとしないね」みたいな言い方はするし、その感覚はまあ、分からないでもない。しかし「ゾッとしないね」ってどおゆうことなのだということをまともに考えだすと、これは全然分からない。「ゾッとしないね」って、何なのだ。ゾッとしてるのかしてないのか。してないのなら何でわざわざそんなことを口に出して言う必要があるのか。ゾッとするのはいいことなのか。あなたはゾッとしたいのか。

…そんな風にこの歌における「奇妙な言葉遣い」を掘り下げてゆくと、いつの間にか「英語表現の奇妙さ」ではなく「日本語という言語の奇妙さ」について考え込んでしまっている自分に気づく。そんな不思議な感覚を味あわせてくれる歌って、今まで取りあげてきた曲にはあまり無かったように思う。

A jumped-up pantry boy
Who never knew his place


This is a quote from the 1972 movie Sleuth.
この2行は1972年の映画「探偵<スルース>」からの引用である。

One possible explanation for this quote is that the narrator is essentially a nobody and this “charming” man is enticing him with a life of luxury.
この引用に関する可能な説明のひとつは、ナレーターが基本的には何ものでもないということであり、そしてこの「チャーミングな」男性が贅沢な人生をチラつかせて彼のことを誘惑しているというものである。

「A jumped-up pantry boy who never knew his place」を直訳すると「自分の場所をずっと知らなかった、思いあがった一人の厨房の少年」となる。「jumped-up=思いあがった/成り上がりの」という言葉が使われている以上、この主人公は自分のことをホメてくれるリッチな年上男性との出会いを「喜んで」いることになるが、それがこんな風に客観的な言葉で語られているということは、同時にそんな自分のことをかなり「突き放した目」で見てもいるわけである。

「never knew his place」というフレーズは、この主人公はずっと「身の程知らずだった」という風にも読めるし、あるいはずっと「居場所と呼べるようなものを持っていなかった」という風にも読める。ここもやっぱり、あえて「曖昧」に書かれている歌詞なのだと思う。

He said, "Return the rings"
He knows so much about these things
He knows so much about these things


A popular theory is that the young, naive narrator is engaged and the older, more experienced “charming” man is advising him to call it off.
一般的な読解のセオリーは、若くてナイーブなナレーターが既に婚約しており、そして年上で経験豊富な「チャーミングな」男性がそれを断ってしまえとアドバイスしているというものである。

Another theory is that the song is a reference to The Picture Of Dorian Gray by Oscar Wilde, and these lines represent Dorian’s engagement. In the book, Dorian is talked out of the engagement by Lord Henry (the “charming” man).
別のセオリーは、この歌がオスカー·ワイルドの「ドリアン·グレイの肖像」を下敷きにしているというものであり、それによるならこの歌詞はドリアンの婚約を示している。本の中でドリアンは、ヘンリー卿(チャーミング·マン?)から婚約しないように説得されている。

「Return the rings」はこの歌の中で一番解釈しにくいフレーズだと思う。「ring」には「電話をかけること」という意味があるので、最初私は年上男性が「気が向いたらまた電話してきてよね」的なことを言っているのかと思っていた。しかし海外サイトの説明はどれを見ても「婚約指輪を返せ」である。この主人公が誰かと婚約しているような人間だとは、全然思えないのだけどな。「後で電話してくれ」だと「Return a ring」になったりするのだろうか。その辺、誰か鮮やかに解説できる人がいたら、教えて頂きたいと思う。

て言っかこの「ring」はどうして「rings」と複数形になっているのだろう。婚約指輪を2つも3つもはめてるような人がいたら、それこそおかしいはずなのだが。

海外サイトの解釈は「婚約相手に指輪を突き返せ=おれとつきあえ」という内容なわけだけど、この「rings(複数の指輪)」はことによると、年上男性自身から主人公に贈られたものなのではないだろうか。それを「返せ」と言ってるのではないだろうか。つまり歌の中でかなりの時間が流れて、この部分だけ「後日談」になっているという解釈である。そう読むなら、主人公は最初のうちこそ年上男性からチヤホヤされたけど、最終的には掌を返したように捨てられたという話になる。こちらの方が、ストーリーの整合性は取れているように思う。知らんのやけど。

そして最後の「彼はその手のことにはとても詳しい」については、具体的に何を言ってるのか全然わからない。まあ、単純に「人生経験がある」ぐらいの意味なのではないかとも思う。

「ドリアン·グレイの肖像」という小説は、むかし誰かがマンガ化していたのを読んだことがあって、漠然とストーリーだけは覚えているものの、ピンと来る感じはいまいちしない。この歌について知りたいというだけのためにイチから原書を読み直そうと思えるぐらいのガッツは、今のところない。読んでみて何か発見のあった方は、教えて頂ければと思う。あと、「プルシアンブルーの肖像」というのはひょっとして「ドリアングレイの肖像」を元ネタにしていたのではないかということにこれを書いていて思い当たったが、本筋とは全く関係ないので思い当たったと言うだけにとどめておく。

安全地帯 プルシアンブルーの肖像

そしてこんな風に歌詞の全体をナメるように分析してみた上で、何か新しく分かったことがあるかといえば、やっぱりこの歌は全然わからない。何だか、今までで一番わけのわからないことにエネルギーを使ってしまった感じがする。でも、それだけのことをしてみたいと私に思わせたのはやっぱりこの歌の持つ「力」なのだと思う。同じようにこの歌に「何か」を感じる人とその「何か」を分かち合えたなら、この1万7千字もムダにはならないはずだと思う。というわけでまたいずれ。


=楽曲データ=
Released: 1983.10.31.
Key: A

This Charming Man, Remixes

This Charming Man, Remixes