華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Proud Mary もしくは誇り高きメアリーという名前の外輪船 (1969. C.C.R.)


Proud Mary

Proud Mary

英語原詞はこちら


Left a good job in the city
Workin' for the man ev'ry night and day
And I never lost one minute of sleepin'
Worryin' 'bout the way things might have been

街でいい仕事についてたけど
やめてきた。
朝から晩までそこのボスのために
働いてきたんだけどね。
ああすればよかったとか
こうすればよかったってことで
くよくよして
自分の寝る時間を一分でも
削るようなことは
したことがないんだな。


Big wheel keep on turnin'
Proud Mary keep on burnin'
Rollin', rollin', rollin' on the river

舷側のパドルは
回り続けている。
誇り高きメアリーという名前の
外輪船のボイラーは
赤々と燃え続けている。
ざばざばと ざばざばと
音を立てて川面を進んでゆく。


Cleaned a lot of plates in Memphis
Pumped a lot of pane down in New Orleans
But I never saw the good side of the city
'Til I hitched a ride on a river boat queen

メンフィスでは
数えきれないくらいの皿を洗い
ニューオーリンズでは
数えきれないくらいのタンクに
プロパンガスを詰め込んだ。
けれども街って場所が
いいところに思えたことは
一度もなかった。
こうして川船の女王さまに
乗っけてもらえる日が来るまでは。


Big wheel keep on turnin'
Proud Mary keep on burnin'
Rollin', rollin', rollin' on the river
Rollin', rollin', rollin' on the river

舷側のパドルは
回り続けている。
誇り高きメアリーという名前の
外輪船のボイラーは
赤々と燃え続けている。
ざばざばと ざばざばと
音を立てて川面を進んでゆく。


If you come down to the river
Bet you gonna find some people who live
You don't have to worry 'cause you have no money
People on the river are happy to give

もしもあんたも
川に来ることがあったら
本当に生きてる人間ってものに
出会えると思うよ。
カネを持ってないからって
くよくよする必要はない。
川の人たちはみんな
気前がいいからね。


Big wheel keep on turnin'
Proud Mary keep on burnin'
Rollin', rollin', rollin' on the river
Rollin', rollin', rollin' on the river

舷側のパドルは
回り続けている。
誇り高きメアリーという名前の
外輪船のボイラーは
赤々と燃え続けている。
ざばざばと ざばざばと
音を立てて川面を進んでゆく。


Rollin', rollin', rollin' on the river
Rollin', rollin', rollin' on the river
Rollin', rollin', rollin' on the river

ざばざばと ざばざばと
音を立てて川面を進んでゆく。
ざばざばと ざばざばと
音を立てて川面を進んでゆく。



前回の「カーマは気まぐれ」で「ミシシッピの川船」に登場してもらった以上は、次に出てくるのはこの曲以外にありえないと思う。早く取りあげたいと思いながらも、かなり長いあいだ保留にしてきた課題曲だったのである。

この歌の記事を書くのに時間がかかってしまったのは、「プラウド·メアリー」って何やねん、ということを調べるのが思いの外に大変な作業だったからだった。この歌が「川船の歌」であるということは、初めから分かっていたのである。けれども「プラウド·メアリー」が「船の名前」であるということは、歌詞のどこにも、ハッキリと書かれているわけではない。

「プラウド·メアリー」って何やねん、という疑問を抱くのはアメリカ人も同じであるらしく、この曲を最初に(じゃないかもしれないけど)カバーしたソロモン·バークのバージョンは、以下のようなナレーションから始まっている。


Proud Mary (Solomon Burke)

I know a lot of you folks would like to know what the old Proud Mary is all about. Well, I'd like to tell you about her. She's nothing but a big old boat. You see, my forefathers used to ride the bottoms of her as stokers, cooks, and waiters, and I made a vow that when I grew up I'd take a ride on the old Proud Mary...
知ってるよ。みんなの中には、プラウド·メアリーってやつは一体何なんだってことを知りたいと思ってる連中が、いっぱいいるんだろ。うん。教えてやるよ。プラウド·メアリーってのはな。他でもない。古いでっかい船なんだ。そんでもっておれのご先祖さまは、みんなその船底で、窯焚きをやったり、コックをやったり、ウェイターをやったりして働いてきた。おれもいつか大きくなったら、あのプラウド·メアリーに乗るんだって、小さい頃から心に決めてたのさ…

彼氏は「プラウド·メアリー」のことを「she (彼女)」と表現しているけれど、船やあるいは台風のことを女性の名前で言い表すことはアメリカの「文化」なので、別におかしな話ではない。(まともに考え始めるとやっぱり「おかしな話」だとも一方では強く思うのだけど)。それはそれとして、こういう「説明」がなければやっぱりアメリカ人にも「プラウド·メアリー」が「船の名前」だということは「わからない」わけであり、逆に言うならこうしたカバーバージョンがヒットしたことを通して初めて「プラウド·メアリー」は「船の名前」だということが「常識」になったのである。だが、実際の話、「プラウド·メアリーという名前の船」は、本当にあったのだろうか。

調べてみると、この歌を作ったジョン·フォガティの中で、「プラウド·メアリー」という名前は、最初は「川船」とは何の関係もなかったらしい。この人は当時、歌のアイデアをメモするための手帳をいつも持ち歩いていたのだけれど、「プラウド·メアリー」という言葉を思いついてそれをメモした時には、「何となく素敵なタイトル」だという以外のイメージは何も生まれていなかったのだそうである。

1967年当時、彼氏は既に結婚しており子どももいたのだけれど、陸軍の予備役に編入されていて、いつベトナムに送られるか分からないという恐怖の中で毎日を送っていた。それがある日、陸軍省から送られてきた「名誉除隊」を通知する封筒がアパートの階段にポンと置かれてあったのを見つけ、「これで戦争に行かなくて済む!」と喜び勇んで部屋に飛び込み、うれしさのあまり愛用のリッケンバッカーで、ベートーヴェンの「運命」の最初の一節を自分のアレンジでかき鳴らした。この時、「プラウド·メアリー」はこれで行こう、というアイデアが生まれたらしい。

  • (当時、アメリカの法律では、18歳から26歳までの男性のすべてに24ヶ月の兵役と5年間の予備役が義務づけられていた。だからジョン·フォガティは別に「志願して」軍隊に籍を置いていたわけではない。しかしながら当時のアメリカには、戦争に抗議して自分の徴兵カードを燃やし、刑務所に送られるような若者が大勢いた一方で、ジョン·フォガティは「素直に」招集に応じているあたり、積極的に身体を張って戦争に反対した形跡は見られない。この人は後に「雨を見たかい」などの有名な「反戦歌」を作ってもいるのだけれど、その点において私は、何となく信用できないイメージを持ち続けている)。

当初、まだ生まれていない「プラウド·メアリー」という歌の内容について、ジョン·フォガティは「生活のために金持ちの下働きをさせられながらも、誇りは忘れない貧しいメイドさんの物語」みたいなのを考えていたらしいのだが、ある日バンドのメンバーと「マーベリック」というテレビドラマで川船がレースをしているシーンを見ていて、「船の名前でも行けるやん」という話になり、小さい頃に読んだマーク·トウェインの小説のイメージなどが次々と出てきて、それで最終的にできあがったのがこの曲だった、と彼氏は語っている。

  • (日本語版のWikipediaには、このときフォガティにインスピレーションを与えたのが「Mary Elizabeth」という名前の蒸気船だった、という記述があるのだが、英語圏のウェブサイトでこの曲とその船名を結びつけて解説しているのはこのページだけであり、かつそれ以外の場所では「Mary Elizabeth」という船の写真すら見つけることができない。「プラウド·メアリー」というのはどうやら、「完全に空想上の船名」であると考えた方がよさそうである。我ながらどこまで細かいのだ、と思わないでもないけれど)。

ちなみに、フォガティ兄弟をはじめCCRのメンバーは全員がカリフォルニア生まれのカリフォルニア育ちであり、「ミシシッピ川」を実際に見たことのある人間は一人もおらず、売れて有名になるまでは南部の地を踏んだことさえなかったというのだが、それにも関わらずかれらの楽曲は「南部のサウンド」を強く意識しており、「Born On The Bayou(≒南部の湿地帯に生まれて)」という曲まで出している。サンフランシスコとニューオリンズといえば、福岡と四川省ぐらいに離れているというのにである。

南部の人たちは、むかつかなかったのだろうか。昔スマップが「Hey Hey おおきに毎度あり」などという曲を出した時、中学生だった私は、「ちげーよ」みたいなコトバで喋る東京モンが何を勝手に我々の関西文化を簒奪してくれてんねや、みたいな、まあ今にして思えば結構排外主義的なイラつきを強烈に感じたりしていたのを覚えているのだけれど、そんなのとも全然比較にならないぐらいのレベルの「僭称っぷり」なわけである。けれども、例えばカナダ生まれのロビー·ロバートソンの作った「Old Dixie Down」という歌が今でも立派に「南部を象徴する歌」として「通用」している現実があるように、「南部に関してだけはそれが許される風潮」があちこちで見られるのは、やはり良くも悪くも南部という土地に「アメリカの原風景」が存在しているという感覚、さらに「アメリカの神話」が存在しているという感覚を、アメリカ人だけでなく世界中の人々が共有している現実があるからなのだろう。考えてみれば前回の「カーマは気まぐれ」のPVも、「イギリスの人間が作りあげた南部像」なのである。そしてCCRを「南部のバンド」と思っている人たちは、アメリカ人の中にも今でも大勢いるらしい。何だか、とってもいいかげんな話なのだけど、あれだけ国が大きいと、割とそういうことはどうでも良くなってしまうものなのかもしれない。

そういえば、大阪には天王寺のことを「日本のディープサウス」と呼ぶ人々が少なからず存在するのだが、その根拠は天王寺が大阪の表玄関とされている梅田よりも自転車で一時間分ぐらい「南」に位置しているから、ということでしかない。何というせせこましい世界で生まれて死んで行くことを運命づけられているのが我々の一族なのだろう、みたいな感慨にとらわれてしまう。中国人の友だちと話していると、日本人にとっての「東京-大阪-福岡」の距離感が彼らにとっては「北京-上海-広州」と大体等しいらしいという事実に気づかされてしまうことが往々にしてあり、つくづく自分の世界の「小ささ」がイヤになってくる。このブログでの「言葉への細かいこだわり」を見るたびに、その人は「さすが日本人だ」という感想を持つらしいのだけど、いっこもうれしないんじゃ、というのが私の正直な気持ちである。

…完全に脱線してしまったな。

それでジョン·フォガティはこの曲を「とっておきの南部サウンド」に仕上げたかったらしいのだけど、レコーディングしてみると例の「ローリン、ローリン…」というコーラスが、どうしても彼が思い描いたような「ゴスペル風の音」にならない。頭にきた彼氏は、4人でやってるバンドであるにも関わらず、そのコーラスをも「自分の声」で録音し、「自分だけのサウンド」に仕上げてしまった。CCRはとにかく「ジョン·フォガティのワンマンバンド」と言われがちなグループだったのだけど、彼氏が他のメンバーから決定的な反感を買うようになったのは、この出来事がキッカケだったらしい。

やがて、お兄さんであるにも関わらずいつまでも弟の言いなりで「んちゃっちゃ、んちゃっちゃ」というリズムギターしか弾かせてもらえないことに業を煮やしたトム·フォガティが脱退してしまい、バンドは解散してしまう。そしてお兄さんを含んだ他のメンバーはレコード会社と組んで訴訟を起こし、ジョン·フォガティはそれまでに自分が作ったCCRの楽曲を「勝手に演奏すること」を禁止されてしまう。最近覚えたばかりの言葉を使うなら、「Instant Karma!」というやつである。使用料を払えば別に歌っても構わないのだけど、自分自身の意地もあり、ジョン·フォガティはその後一切、CCRの曲を演奏することがなかったのだという。

それから15年の歳月を経た1987年、彼氏がハリウッドにタジ·マハールのコンサートを見に行ったところ、全く偶然にも同じ客席にボブ·ディランとジョージ·ハリスンが座っており、それに気づいたタジマハールは全員をステージに上げてしまう。ディランもハリスンも自分の歌を歌い、さてフォガティは何を歌うのかとなったところで、彼氏はディランから

「プラウド·メアリー」しかありえないだろ

と言われてしまったらしい。自分はCCRの歌は歌えないことになってるからとか何とかフォガティがゴニョゴニョ言うと、Jesterなディランは

今ここで歌わなきゃ、みんなは「プラウド·メアリー」はティナ·ターナーの曲だと思うようになっちゃうぜ

と、トドメを刺すようなことを言ってきたのだという。それで腹を括ったフォガティは、だだっだーん、弾き始めた。大喝采である。そしてものすごいパフォーマンスをやってみせた後で

Eat your heart out, Tina!
悲しみに暮れやがれ、ティナ!

…と言ったとか言わなかったとかいう話が、「ロックの伝説」として語り継がれているとのことである。ジョン·フォガティは2018年現在も健在なわけだけど、今でも基本的にCCR時代の楽曲は、封印し続けているらしい。あと、今年の一月に公開された「プラウド·メアリー」というアクション映画に関しても、「自分とは一切関係ない」というコメントを出しているらしい。「ギャランティは全部他のメンバーのところに行くんだから、当然だろうな」というのが、多くの海外サイトに書かれていた意地悪な見解だった。

…歌詞と直接関係のないアーティスト関連のエピソードをこんなに長々と書き綴ってしまったのは、初めてだったかもしれないな。

=翻訳をめぐって=

Big wheel keep on turnin'

「Big wheel」というのは、昔のミシシッピ川や五大湖地帯を航行していた「外輪船」の推進機関のことであり、船舶用語では「パドル」と呼ばれている。下の写真の真ん中に見える「車輪の形をしたもの」が「Big wheel」である。



私の中にはこの写真のように、「外輪船」といえば船の脇腹にパドルがついているものだというイメージが強くあり、それで「舷側のパドルは回り続けている」という訳し方をしたのだが、琵琶湖のミシガンやマーク·トウェインの小説の挿絵を見てみると、どちらかといえばこのパドルが「船の後ろ側」についているのが「外輪船」の「主流」であるらしい。もしくは、あったらしい。だからもしジョン·フォガティのイメージが「後ろ側」だったとしたら、「舷側のパドル」という訳し方は厳密には誤訳になるのだが、それくらいはまあ、「好みの問題」として許容されたいと思う。原文通りに「パドルは回り続けている」としか訳さなかった場合、「外輪船」のイメージは全然浮かんでこないし、ともすればアヒルのボートみたいなチャプチャプした語感になってしまう。と私は感じている。

Proud Mary keep on burnin'

直訳は「誇り高きメアリーは燃やし続けている」。ちょっとばかり意訳を加えないと「訳詞」にはならない。何を「燃やして」いるのかといえば「石炭」を燃やしているのである。それが伝わるような訳詞にすればいいわけで、最初は「黒い煙を上げている」みたいな訳し方を考えたのだけど、「黒い煙」ではいかんせん、生命力に欠けている。「プラウド·メアリー」である限りは、やっぱり「赤い炎」にしたい。それで、上のような訳し方になった。何か、勝手なことばかりやってるな。

なお、「通説」通りに「プラウド·メアリー」は「船の名前」として訳しているけれど、歌が成立した背景を考え合わせるならば、同時にこの歌の歌い手自身が「メアリーという名前の誇り高いメイドさん」であるという可能性も、決して排除できないように思うのである。「メアリー」を女性の名前として考えたならば、この歌詞からはメアリーさんが機関室で真っ黒になって石炭を燃やし続けている「絵」も、同時に浮かんでくる。だから最低限、この歌の主人公には「男性であることが特定できるような一人称」は、使わせないことにした。

Rollin', rollin', rollin' on the river

「roll on」は「転がってゆく」みたいな意味になる熟語だが、原義としては「回り続ける」なわけであり、何が回っているのかといえば、「外輪船のパドル」が回っているのである。それで船が前に進んで行くということを表現したい場合、日本語話者の感覚なら絶対「動詞」ではなく「擬音」に頼るところだと思う。それで「ざばざばと」にした。もう、好き勝手にやらせてもらいますよ。私のブログなのだから。

Cleaned a lot of plates in Memphis
Pumped a lot of pane down in New Orleans

前半部分について、「メンフィスではおいしいものをいっぱい食べた」という訳詞を見たことがあるのだが、絶対に「意訳のしすぎ」だと思う。

後半部分の歌詞を「Pumped a lot of pain」だとカン違いしている人はアメリカ人の中にもかなり多いらしく、この場合だと「ニューオーリンズでは山のような苦しみを汲み上げた」みたいな意味になるのだが、正しい歌詞は「pane」であり、これはプロパンガスのことらしい。多分「plates」と韻を踏ませたい気持ちが、無理やりな仕事内容を思いつかせたのだと思う。

But I never saw the good side of the city
'Til I hitched a ride on a river boat queen

「リバー·ボート·クイーンに乗せてもらうまでは、街のいい側面を見たことがなかった」というのが直訳であり、それだと「それまでひどい場所だと思っていた街がいいところに思えてくるぐらい、船での生活はひどかった」という意味になってしまうのではないかという疑問が生じてくるのだが、疑問のままにとどめておく。文脈から考えるなら「船の方がいい所だった」と言っているのは間違いないのだし、日本語でもそんな風に「何が言いたいか分かりにくい文章」を書く人は、いくらでもいる。

「river boat queen」が「ミシシッピの川船」のことを指す言葉であることは明らかであり、ザ·バンドが人前で演奏した最後の歌である「Evangeline」にも同じ言葉が出てくるのだが、なぜミシシッピを航行する船だけが特別に「Queen」と呼ばれるようになったのかという背景については、いろいろ調べてみたけど分からなかった。とりあえず言えるのは、この「Queen」は特定の船のことを指す固有名詞ではないらしいということ、比較的大きな蒸気船であればどんな船が「Queen」を自称しても、別に問題は起こらなかったらしいということぐらいである。


Proud Mary (Beyonce)

この歌は本当に、数えきれないくらいのアーティストによってカバーされている。一番有名なのが、ディランがフォガティを煽る際にも持ち出されたアイク&ティナ·ターナーによるバージョンであることは間違いないのだが、YouTubeを見ていて私が一番度肝を抜かれたのは、そのティナ·ターナーに敬意を評してビヨンセが歌ったパフォーマンスの物凄さだった。上の動画は、以前にアリーサ·フランクリンさんが亡くなった時に紹介した「ケネディセンター名誉賞」でティナさんが受賞者となった2008年の映像なのだけど、「髪の毛」を使ってこんなにいろんなことを表現することのできる人が、アニメの世界の外側にも実在していたなんて、このビヨンセさんの姿を見るまでは想像したことすらなかった。

だが何と言っても別格なのは、私が生まれた1978年、キャンディーズの「さよならコンサート」でも演奏されたという、下の動画の「プラウド·メアリー」である。今回はこれを聞きながらお別れさせて頂きたいと思います。ではまたいずれ。

プラウド·メアリー (キャンディーズ)


=関連記事=

この曲は1993年にレニングラード·カウボーイズとソビエト赤軍合唱団との合同で開催された歴史的コンサート、「トータル·バラライカショー」で演奏された楽曲でもありました。このコンサートを特集した記事も、よろしければお楽しみください。

Proud Mary
nagi1995.hatenablog.com


=楽曲データ=
Released: 1969.1.5.
Key: D

プラウド・メアリー

プラウド・メアリー

  • アーティスト: クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル
  • 出版社/メーカー: Universal Music LLC
  • 発売日: 2014/02/10
  • メディア: MP3 ダウンロード
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