華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Livin' On A Prayer もしくは松ヶ浦ゴドー戒 (1986. Bon Jovi)

急げゴドーよ、ゴドーよ急げ。
赤き夕日の落ちぬ間に。
ああ君国の熱血児、
悪人どもをやっつけろ。
二丁拳銃火を吹けば
どんな事件も解決さ。
フックだパンチだアッパーカットだ。
天地返しの大技だ。
赤アリ、トカゲ何でも来い。
キングコングもガルーダも、
ねらって打てばホームラン。
憎っくき悪漢ポッツォーを
テンテンコロリとやっつけろ。
雲か嵐か稲妻か、
ぼくらのゴドーの雄叫びか。
いよいよ明日は舞台を富士見河原に一転しまして、ウラ坊ゴン太の迷い込んだその魔境の地は、ああ危し、悪漢ポッツォーの住み家でありました。

つかこうへい「巷談松ヶ浦ゴドー戒」1975年


Livin' On A Prayer

Livin' On A Prayer

英語原詞はこちら


Once upon a time not so long ago.
それほど前ではない
むかしむかしのできごと。


Tommy used to work on the docks.
Union's been on strike.
He's down on his luck.
It's tough, so tough.

トミーはかつて
港で働いていた。
組合はずっと前から
ストライキに入っている。
彼の運は傾いている。
それはそれは
きつい話なのだ。


Gina works the diner all day.
Working for her man.
She brings home her pay.
For love, for love.

ジナは一日中
食堂で働いている。
自分の男のためだ。
彼女は家に給料を入れる。
愛のために。
愛のためにである。


She says, "We've gotta hold on to what we've got.
It doesn't make a difference if we make it or not.
We've got each other and that's a lot.
For love we'll give it a shot."

彼女は言うのだ。
「私たち、がまんしなくちゃ。
今はこれが精一杯なんだから。
うまく行っても行かなくても
そんなこと関係ないじゃない。
私はあなたのものだし
あなたは私のものよ。
それだけで充分すぎるぐらいでしょ。
やってみましょうよ。
愛のために!」


Whoa, we're half-way there.
Whoa, livin' on a prayer.
Take my hand, we'll make it. I swear.
Whoa, livin' on a prayer.

ああ、私たちはまだ道の途中。
ああ、祈りに支えられて生きている。
私の手をとって。
きっとうまく行く。
絶対だよ。
ああ、祈りだけが支える毎日。


Tommy's got his six string in hock.
Now he's holding in
What he used to make it talk.
So tough, it's tough.

トミーは自分のギターを
質屋に持って行った。
かつては自分の言葉を喋らせていた
その相棒をしまい込んでしまった。
厳しい話だ。
厳しい話なのだ。


Gina dreams of running away.
When she cries in the night
Tommy whispers,
"Baby, it's okay, someday.

ジナは二人で
街から逃げ出す夢を見る。
夜中に泣き声をあげる彼女に
トミーは優しくささやくのだった。
「だいじょうぶ。いつかは…」


We've gotta hold on to what we've got.
It doesn't make a difference if we make it or not.
We've got each other and that's a lot.
For love we'll give it a shot."

「おれたち、がまんしなくちゃ。
今はこれが精一杯なんだから。
うまく行っても行かなくても
そんなこと関係ないじゃないか。
おれはきみのものだし
きみはおれのものになってくれてる。
それだけで充分だ。
やってみようぜ。
愛のために!」


Whoa, we're half-way there.
Whoa, livin' on a prayer.
Take my hand and we'll make it. I swear.
Whoa, livin' on a prayer.

ああ、おれたちはまだ道の途中。
ああ、祈りに支えられて生きている。
手を握ってくれ。
きっとうまく行く。
絶対だ。
ああ、祈りだけが支える毎日。


Livin' on a prayer.
祈りだけが支える毎日。

We've gotta hold on ready or not.
You live for the fight when it's all that you've got.

準備ができていようといまいと
われわれは耐えねばならない。
手にしたものが
それだけにしかならないなら
戦いに命をかけるまでのことだ。


Whoa, we're half-way there.
Whoa, livin' on a prayer.
Take my hand and we'll make it, I swear.
Whoa, livin' on a prayer.

ああ、われわれはいまだ道半ば。
この手を握れ。きっとうまく行く。
ああ、祈りだけが支える毎日。


Whoa, we're half-way there.
Whoa, livin' on a prayer.
Take my hand and we'll make it, I swear.
Whoa, livin' on a prayer.

ああ、われわれはいまだ道半ば。
この手を握れ。きっとうまく行く。
ああ、祈りだけが支える毎日。


Bon Jovi 1994 Nara Japan part1

「ボンジョビ」という「言葉の響き」だけは物心ついた時分から何度も耳にしていたけれど、それが「人名」なのか「バンド名」なのかということはいまいちハッキリしないという状態が私の中では長く続いていて、実は今でもあまり「正確」には理解できていない。改めて調べ直してみたところ、何でも東海岸のニュージャージー州で1962年に生まれたJohn Francis Bongiovi Jr. (ジョン·フランシス·ボンジオヴィ·ジュニア)という人の「芸名」が「John Bon Jovi (ジョン·ボン·ジョヴィ)」なのだとのことであり、元々はこの人のバックバンドとして結成されたバンドの名前が「Bon Jovi (ボン·ジョヴィ)」だったのだという。従ってこの「ジョン·ボン·ジョヴィ」という人の名前をさしあたり「ボンジョビ氏」と表記することは、「ややこしくはあるけれど間違いではない範囲のこと」としてファンの皆さんにも許容して頂けることなのではないかと理解している。(「ジョン」とか呼べるほどには「馴れ馴れしく」なれないのである)

1994年の5月、東大寺で開催された「AONIYOSHI」というスーパーコンサートに参加するため、ボン·ジョヴィというバンドを代表して我々の街である奈良を訪れてくれたのは、このボンジョビ氏とギタリストのリッチー·サンボラ氏の2人だった。という「書き出し」をどう書いていいかということが分からなかったもので、結局上記のような「基本のき」から入らざるを得なかったのだという事情をお含み頂ければ幸いに思う。

私は「ハードロック」と呼ばれる音楽を基本的にほとんど聞かない人間なもので、「ボンジョビ」に関しても実際にその楽曲を聞いたことはそれまで一度もなかった。なのでどんな人たちが出てくるのだろうと思っていたら、あにはからんやステージに登場した二人が抱えていた楽器は、アコースティックギターだった。それも向かって左の体の大きな人が手にしているのは、不格好で重たそうなダブルネックギターである。

「ベジータとナッパ」。反射的に浮かんだ第一印象だった。改めて映像を見てみるとこの2人にはそれほどの身長差があるわけでもないのだけれど、大きな身体で窮屈そうにダブルネックギターを抱えているリッチー氏の姿が、最初に見た時にはとにかく「鈍重」に思えたのだ。

ところが演奏が始まると、そのでっかい人の無骨な指がありえないほど繊細にコロコロと動き始めた。無骨なリズムを無骨に刻んでいたのはむしろ右側の「ベジータ」の方だった。リッチー·サンボラという人の弾くギターは、家で自分も弾いている同じギターという楽器だととても思えないぐらいに、「表情が豊か」だった。顔の表情と指の表情と音の表情とが合わさって「見たことも聞いたこともない表情」がずっと繰り広げられていた。いずれにしてもたった2本のアコースティックギターでこんなにも「いろんなこと」ができるものなのかという迫力に、中学を出たばかりだった私は完全に圧倒されていた。人の弾くギターに心を鷲掴みにされた経験としては、あれが人生最大の瞬間だったのではないかと今でも思う。

小っちゃい方の人が歌い出すとものすごい歓声が湧き上がったので、「あ、これはものすごく有名な歌なのだ」と反射的に思ったが、私はその歌を知らなかった。知らなかったことの上で、ものすごく「不思議な歌」を聞いている感じがした。メロディも不思議なら言葉の響きも不思議だった。とりわけ、当時はもちろん聞き取れていないわけだが、「make it or not」という部分の歌詞が「帰ろうな」とか「頑張ろうな」とかいった「日本語の響き」みたいに聞こえて、こんな風に聞こえる英語の歌があったなんて初めて知ったと思った。

周りではかなり多くの人たちが歌に合わせて腕を振っていたのだけれど、その指先はまるで東京証券取引所の人たちか何かのように目まぐるしく動いていて、そのひとつひとつに「意味」があるようだった。ファンの人なら誰でも知ってる「振りつけ」なのかもしれなかったが、そういうのをひとつも知らずにこのボンジョビという人たちとの初対面を迎えることになってしまったことで、自分はえらく「損をした」のではないだろうかという気持ちが、すごくした。そして、やっぱり有名なバンドの人たちには有名になるだけの理由があるものなのだという、私としてはありえないぐらいに「素直な感動の仕方」を、あの時は味わっていた。

後日、この日の2人の演奏について「あんなの全然ボンジョビじゃない」という感想を、至るところで私は聞くことになる。また友人に借りて聞いてみた「Livin' On A Prayer」の原曲も、東大寺で聞いたのとは似ても似つかない「んばんば」言ってるやつで、第一印象との違いに驚いた記憶がある。それにも関わらず、あの日この曲で「ボンジョビ」と出会った私にとって、「ボンジョビ」といえばいつまでも「ベジータとナッパ」なのであり、かつ「Livin' On A Prayer」といえば上の動画ではなく下の動画の「歌」なのである。

そのとき刻みつけられた印象は、今でもやはり、変わっていない。

=翻訳をめぐって=

それにつけても、改めて内容を読み直してみると、これほどまでに「歌謡曲的なロックの歌詞」というのも、ほとんど例を見ないのではないかと思う。以前に中国の歌について触れた記事の中で、英語の歌には日本と違って「夢のためにがんばるカテゴリー」に分類される歌というのが極めて少ないという趣旨のことを書いたことがあるけれど、こういう浪花節的な歌というのも、探せばあるにはあるのだな。
nagi1995.hatenablog.com
Living On A Prayer」を直訳すると「ひとつの祈りの上にある生活」みたいな感じになる。「祈り」の上に「暮らし」が乗ってる、多分に視覚的なイメージである。「祈りながら生きている」みたいな翻訳でも間違いにはならないと思うが、ここでは「祈りに支えられる毎日」という形で翻訳することにした。

Tommy used to work on the docks.
Union's been on strike.
He's down on his luck.
It's tough, so tough.

「Union」は「労働組合」。トミーは今でも港で働く港湾労働者なわけだけど、彼の所属している労働組合はストライキを続けているため、現在の彼氏には仕事がないのである。それが「tough」であり、「きつい」のである。

しかし彼氏の組合がどうしてストライキを続けているのかといえば、それは彼氏を含めた港で働く労働者全体の環境改善のためと考えるのが「普通」であり、その意味ではストライキ自体も彼氏にとっては「譲れない戦い」の一環であるはずなのだ。この歌の中で繰り返される「がんばろう(hold on)」という言葉には、そのことを「がんばろう」という意味も含まれているのだろうか。含まれていてほしいと私は思うけど、どうも世の中では「含まれていない」という解釈の方が、一般的であるようである。

We've gotta hold on to what we've got.

直訳は「我々は今まで手にしてきたもののために、がんばらなければならない」。「gotta」という言葉の使い方についてはこの記事で、「hold on」という言葉の使い方についてはこの記事で、それぞれ詳しく取りあげたことがあるけれど、中学·高校の頃にはこうした言い回しのニュアンスがいちいち分からなかった。

Gina dreams of running away.
When she cries in the night
Tommy whispers,
"Baby, it's okay, someday.

一行目、直訳すると「ジナは逃げ出すことを夢見る」となり、一瞬、彼女は彼氏を捨てて逃げようとしているのかと思ってしまう。この歌の中で一番、「解釈に詰まる」部分である。

海外サイトを見ると「ジナはトミーから逃げたいと思っているわけではなく、それ以上そこにいても未来の見えない街からトミーと一緒に逃げ出したいと考えているのだ」といった説明で大体は一致している。しかし「思っているわけではなく」という「但し書き」をつけなければならないということは、やっぱり「フツーに読めば」トミーから逃げようとしているようにも読めてしまう、ということなのだ。まあ、文脈的に考えて彼女に彼氏を「裏切る」可能性がこれっぽっちでも存在していた場合、この歌は歌として成立しなくなってしまうので、試訳では「二人で街から逃げ出す夢を見る」という訳語を補った。つまるところこの部分に関しては、元々の歌詞の作り方が「ヘタ」なのだとしか言いようがない気がする。

ただし「二人で街から逃げ出すこと」をジナさんが「夢見て」いるのだとした場合、彼氏のことは「裏切って」いなくても、彼氏と一緒にストライキを戦っている仲間たちのことは、やっぱり「裏切って」いるのである。そして彼氏に対しても、「裏切ることをそそのかして」いるわけである。そういう歌詞なのだとは、私はあんまり思いたくない。まあ、そういう歌詞だと解釈している人が、英語圏でも多数派らしいのだけど、その「逃げ出したいと思ってしまった気持ち」まで含めて、彼女の見た「悪い夢」の一部だったという風に、解釈しておける余地はないものなのだろうか。ボンジョビ氏自身がどういう気持ちでこの部分の歌詞を書いたのかということについては、何か、この場合、あえて確かめる気になれない感じが私はする。


Jeremy Fry Dancing

というわけでまたいずれ。


=楽曲データ=
Released: 1986.8.25.
Key: G