華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

IRODORI もしくは AONIYOSHI REPRISE (1990. 鼓童)



いつか見たあの空に
いつか見たあの空に
いつかまた出会える
いつかまた出会えるか

いつか聞いたあの声に
いつか聞いたあの声に
いつかまた出会える
いつかまた出会えるか

いつか行ったあの涯に
いつか行ったあの涯に
いつかまた出会える
いつかまた出会えるか

いつか泣いたあの朝に
いつか泣いたあの朝に
いつかまた出会える
いつかまた出会えるか

-1994年5月作-


GME94. AONIYOSHI

私のホームタウンだった奈良県奈良市は東大寺大仏殿前において、1994年5月に開催されたユネスコ主催のコンサート「AONIYOSHI」、最後の出演者として登場したジョン·ボン·ジョヴィとリッチー·サンボラが演奏を終えると、一瞬だけ照明が落ち、それから轟きわたる和太鼓の響きと共に、グランドフィナーレが始まった。上の動画では1:43:20〜1:47:50にあたる、4分30秒である。

この「AONIYOSHI」というコンサートが私の中に最も強い印象を残したのは、その最後の4分30秒だったのではないかと、振り返ってみて、思う。その後に出演者全員で合唱された「I Shall Be Released」は、言ってみれば夢の世界から現実の世界へと帰ってゆくための「余韻の時間」みたいなものにすぎなかった。

3時間におよぶコンサートの冒頭から信じられない体力で太鼓を叩きまくってきたレナード衛藤という人が、朝鮮式の「杖鼓(チャング)」とよく似た形の締太鼓を肩から下げて、ステージの真ん中で最後の力を振り絞って打ち鳴らしていた。その背後、向かって左上にしつらえられた「壇」の上では、東大寺のハッピを着た10人近くの屈強な男性たちが、5秒に1回ぐらいのドッシリしたペースで巨大な和太鼓に巨大なバチを打ち下ろしており、その響きが全体のリズムの底流を形作っていた。

「太鼓の演奏」と言うよりもその姿は「舞」のようであり、何らかの聖なる儀式の所作であるようにも感じられた。宮本武蔵が佐々木小次郎と対決するために自作したという船の櫂を削った木刀、そんな感じの重たそうなバチを右に左にくるくると振り回し、全身の力を込めてドスンと打ち下ろす。地響きのような音が鳴り渡るとまたくるくるとバチが舞い、再びドスンと打ち下ろされる。海に打ち寄せる波や滝を流れ落ちる水の姿はいつまで眺めていても飽きることがないように、その所作のひとつひとつは見ているだけで吸い込まれそうになるものだったし、またいつまでも見ていたいと感じさせるものだった。人間の根源的なところに一番訴えかける力を持った楽器の音というのは、やっぱり「打楽器の音」なのではないかとその時以来ずっと思っている。

そしてその太鼓の響きに合わせ、天平楽府の横笛が、チーフテンズのティンホイッスルが、近藤等則のトランペットが、ウェイン·ショーターのソプラノサックスが、布袋寅泰のギターが、ステージ中のあらゆる楽器が、同じひとつのメロディを演奏していた。

らっみらーらしドーしーら!
らっみらーらしドーしーら!
そっれそーそれそーらーし!
そっれそーそれそーらーし!
らー...

という、単純といえばこの上なく単純な、それでいて一度聞いたら絶対に耳から離れることのないメロディだった。日本のどこかに伝わる古い民謡か、祭囃子のようなメロディで、私はその曲の名前を痛切に知りたいと思った。あまりに心を離れないメロディなもので、それからしばらくは冒頭に紹介したような「仮の歌詞」をくっつけて、口ずさんでいたぐらいだった。この旋律はそれぐらい、私の中に消えない印象を残し続けていた。

その同じメロディをもう一度耳にすることになったのは、何年も経ってからのことだったと思う。NHKで佐渡を拠点に活動する和太鼓集団「鼓童」のドキュメンタリーを見た時のことだった。レナード衛藤氏も在籍していたという「鼓童」は、毎年佐渡ヶ島で「アース·セレブレーション」という音楽フェスティバルを開催しているらしいのだけど、その最終日にはいつも、「本土」からの観客を満載した佐渡汽船の船が港を離れて視界から見えなくなるまで、メンバー達が波止場で演奏し続ける「送り太鼓」と呼ばれる行事が恒例になっているのだという。その「送り太鼓」の様子を取りあげた短い映像の中で、「らっみらーらしドーしーら!」というあの忘れることのできないメロディが、一瞬だけ、流れていたのだった。


EC2013. 鼓童 送り太鼓

テレビを通じた出会いというものは、しかしながらいまだ20世紀だったその時代においては、それでもやはり「一期一会」のものでしかありえなかった。以来私は「らっみらーらしドーしーら!」は佐渡ヶ島に伝わる古い民謡か何かのメロディなのではないかと思って、図書館でいろんな楽譜を調べて回るようなことまでしたのだったが、そうした試みは全て空振りに終わった。結局それが伝統曲ではなく、「彩(いろどり)」というタイトルの「鼓童」のオリジナル曲だったことが分かったのは、インターネットの時代に入ってさらにかなりの時間が流れてからのことだった。「鼓童」というグループに「手がかり」がありそうなことは分かってはいたけれど、曲名も分からないまま「当たり」が出るまでCDを買い続けるという選択肢までは、当時の私にはなかったのだったな。


鼓童 彩

20世紀のあの時代には、そんな風に好きになった音楽の名前ひとつを知るためだけにも、大変な苦労が必要だった。という思い出話なわけだけど、それでもそんな風にして訪れた出会いには、ひとつひとつ特別な思い出がくっついている。そしてそうした出会いが自分の人生にとってどういう「意味」を持っていたかということが本当に「わかる」のは、10年、20年という時間が流れてようやくのことなのだ。30年、40年といった時間の単位については、語れる言葉をいまだ私は持たないのだけど、本当に「わかる」までにはそれだけの時間がかかるようなことも、まだまだあるに違いない。アイルランドに渡った「鼓童」の皆さんが私の大好きなシャロン·シャノンさんと共演した時の演奏を収めた下の動画を眺めながら、まだ辛うじてその「前半」にとどまっているはずの私のこれからの人生は、そんな風に過ぎてゆくのだろうなという予感を今から噛みしめている。


Cavan Potholes

4月に始まった「AONIYOSHI」特集は、今回をもってようやく完結である。よくも悪くも自分の人生で一回しか経験できなかったようなあのコンサートについて、曲がりなりにも言葉にすることができたことで、「青春に決着をつける作業」はまたひとつ大きな音を立てて前進したことを感じている。もはやあの思い出は私にとって「聖なるもの」でもなければ「守るべきもの」でもない。ただ自分にとっての「出発点」のひとつが、あそこに存在していたのだということを自分で分かっていればそれでいい。これからの私は好きなところに歩いて行けばいいのだし、また行くべきなのである。

気がつけば2018年は終わりに近づいており、そしてこのブログは「500曲の大台」まで後およそ10曲を残すばかりとなっている。去年の5月に始まったこのブログは、300曲まで翻訳したところで年明けを迎えたのだったな。今年は幾分ペースダウンしたけれど、その分ひとつひとつの記事の内容は濃くすることができたのではないかと自負している。今年も残すところ10日。とりあえずはクリスマスソングでも翻訳しながら、年内での500曲達成を最後の目標にさせてもらうことにしたいと思う。

ではまたいずれ。