華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

New Year's Day もしくは新しい時代の始まりを控えて (1983. U2)


New Year's Day (U2)

500曲の大台を目前に控えた499曲目は、このブログの熱心な読者でしばしば挑戦的なコメントを寄せてこられる現役高校生、「岳空」さんからのリクエストで、U2の「New Year's Day」を取りあげることにしたいと思います。岳空さんは最近になって「もはやナギには任せておけない」と思ったのか何なのか、自分自身で歌詞対訳のブログを「はてな」に立ちあげるという壮挙に打って出たそうなのですが、いまだ試行錯誤中とのことで、残念ながら今回はリンク先を紹介することができません。とまれ、世を拗ねたオトナが20世紀の言葉で綴っているこの辛気臭いブログが、21世紀のピュアっピュアな感性にもそんな形で刺激を与えるものとなりえているという事実は、私自身をも大いに前向きな気持ちにさせてくれます。願わくは、私自身が青春時代に叶えることのできなかった全ての夢を、岳空さんには叶えてほしいと心より祈念するものです。以下、通常の文体に戻します。


New Year's Day (Taylor Swift)

2018年がその幕を降ろそうとしている現在、「New Year's Day」というタイトルで検索すると最初に出てくるのはU2の曲ではなく、テイラー·スウィフトの曲であるというのが時代の現実になっているらしい。このテイラー·スウィフトという人のことを私は今回調べてみるまで名前さえ知らずにいたのだけれど、聞けば2004年に14歳でデビューして以来立て続けにヒット曲を連発し、昨今では「アメリカの恋人」とまで呼ばれているカントリーポップ歌手の人なのだとのこと。そんな世の中の事情にも疎い人間が「音楽」についてブログであれこれ喋っているということ自体、恥さらしの極みだとしか思えないのだけれど、もしもテイラー·スウィフトさんの訳詞が読みたくて検索でこのページを訪れて下さった方がいらっしゃったなら、「ごめんなさい」としか言いようがありません。我々世代の人間にとって、「New Year's Day」といえば、やっぱりエッジがピアノとギターを代わりべんたんに(←関西弁?)器用に演奏しているこの曲なのです。テイラー·スウィフトさんの楽曲に関しては、これから聞いてみてもし思うところがあれば取りあげることもあるかもしれませんが、今は何ぶん出会ったばかりなので、コメントできる中身が自分にありそうには思えません。というわけで、さっそく試訳に入りたいと思います。


New Year's Day

New Year's Day

英語原詞はこちら


Yeah...

All is quiet on New Year's Day
A world in white gets underway
I want to be with you
Be with you night and day
Nothing changes on New Year's Day
On New Year's Day

新しい年の始まりの日
すべては静寂に包まれている
白く塗り込められた世界が
姿を現そうとしている
わたしはあなたと一緒にいたい
あなたと一緒にいたい
昼も夜もだ
新しい年の始まりの日
何も変わりはしない
新しい年の始まりの日


I will be with you again
I will be with you again

わたしはもう一度
あなたと一緒になれるはずなんだ
わたしはもう一度
あなたと一緒になれるはずなんだ


Under a blood red sky
A crowd has gathered in black and white
Arms entwined, the chosen few
The newspapers says, says
Say it's true it's true...
And we can break through
Though torn in two
We can be one

血のように赤い空の下
群衆は黒と白とに塗り分けられ
密集した
絡み合う腕
選ばれし少数の者たち
新聞は言う
言う
言ってくれ
これは本当のことなんだと
これは本当のことなんだと
そうすればわれわれは
突き抜けることができる。
ふたつに引き裂かれてはいても
われわれはきっと
ひとつになることができる


I...I will begin again
I...I will begin again

わたしは
わたしはもう一度
始めてみようと思う


Oh...
Maybe the time is right
Oh...maybe tonight...

ああおそらくは
今がその時なんだ
あああるいは
それは今夜かもしれない


I will be with you again
I will be with you again

わたしはもう一度
あなたと一緒になりたいと思う
わたしはもう一度
あなたと一緒になりたいと思う


And so we're told this is the golden age
And gold is the reason for the wars we wage
Though I want to be with you
Be with you night and day
Nothing changes
On New Year's Day
On New Year's Day

だからわれわれは今が
黄金の時代だと教えこまれてきたのだ
そして黄金こそは
われわれが戦っているところの
戦争の理由に他ならない
わたしはあなたと一緒にいたい
あなたと一緒にいたい
昼も夜もだ
けれども
新しい年の始まりの日
何も変わりはしない
新しい年の始まりの日

=翻訳をめぐって=

この曲のシングルジャケットも、以前の記事で触れたピーター·ローウェンさん(子どもだけど年上なのでさん付け)。「WAR」のジャケットは目に焼きついて離れないけれど、口を半開きにしたこの表情はこの表情で、とても印象深くて忘れがたい。
nagi1995.hatenablog.com
このブログで最初に取りあげたU2の曲である「With Or Without You」の試訳が「わたしとあなたの曲」になった経緯については、当該記事で触れた通りなのだが、それに先立つ4年前に発表されたこの曲もまた、「同じ文脈」の上に位置している曲であるように感じられた。ボノという人に一番ふさわしい日本語の一人称は、ビジュアル的には「ぼく」であるようにも感じられるのだけど、「わたしとあなた」で翻訳した方が多くの場合、的確であるように思われるのは、彼氏の歌詞に出てくる「you」という言葉は、特定の誰かであると同時に「神」に向けられた言葉ではないかと感じられるケースが、極めて多いからである。
nagi1995.hatenablog.com
この歌はもともと、ボノの高校時代からの恋人であり結婚相手にもなった、アリことアリソン·ヒューソンさんに捧げる「ラブソング」として、作曲された歌なのだという。そして「そういう歌」として聞くのが一番「しっくり来る」感じもする。自分はあなたと一緒にいたい。朝も昼も夜も一緒にいたい。今は引き裂かれているけれど、いつかはきっとひとつになりたい。「ラブソング」として聞く分には非の打ち所がないくらい、せつなくて素敵な曲であると思う。

そのことの上でこの歌の背景には、当時ポーランド政府による弾圧と対峙しながら民主化運動を推し進めていた独立自主管理労組「連帯」の戦いが横たわっているのだという。このことはボノ自身も語っていることだし、「連帯」の戦いに触発される形でこの曲が作られたという経緯は、間違いなく存在していたのだと思う。とはいえ他の洋楽ブログの人たちが「成り代わって」主張しているように、この曲が「連帯」に対する「応援歌」であるという風には、私はあんまり思えない。この歌の中には「希望」と呼べるようなものが、影も形も見当たらないからである。「祈り」はあっても「希望」はない。曲全体のイメージはむしろ、終末論的なニヒリズムに支配されているような感じさえ受ける。歌の終わりが「何も変わりはしない」という言葉で結ばれる「応援歌」で、「元気」の出る人なんて、いるのだろうか。

記事の一番上に貼りつけたこの曲のPVは、厳寒のスウェーデンで撮影されたものなのだそうで、楽器を背負った4人のメンバーが馬に乗って疾走していたり、吹雪の中で演奏していたりと、なかなかにカッコいい。ただし映像の中で実際に馬に乗っているのは「地元の少女たち」だったのだそうで、U2の面々自身は馬になんて乗ったこともないし、保険にも入っていないしということで、その撮影を震えながら眺めていただけというのが、実際だったらしい。などというどうだっていい情報ばかりWikipediaには載っているのだけれど、重要なのはその乗馬シーンにおいても演奏シーンにおいても、かれらの背後には一貫して「白旗」が掲げられているという事実であり、その「演出」が意図するところは何なのか、という問題なのではないかと思う。

「白旗」は言うまでもなく、「降伏すること」や「抵抗をやめること」の象徴であり、それをステージ上で振り回すボノのパフォーマンスは、「真面目に抵抗運動を戦っている人たち」の側からは、常に批判の対象となってきた。という事実については、以前の記事でも触れたことがある。それにも関わらずこの歌においてもやはり、彼が振りかざしているのは「白旗」である。その点においてこの歌は、「連帯」の抵抗運動に対するリスペクトよりは、むしろボノという人自身の政治性ないし思想性が前面に出ている歌なのだと、私は思わざるをえない。
nagi1995.hatenablog.com
ボノが当時のポーランドにおける「争い」を「憂いて」いたであろう事実に、嘘偽りはないのだと思う。けれどもそれに対して「戦わないこと」を呼びかける彼氏の「白旗」パフォーマンスは、人々を弾圧していたポーランド政府に対してではなく、むしろそれと対決していた「連帯」労組の側に、「抵抗をやめること」を呼びかける内容になってはいなかっただろうか。そうしたボノの政治姿勢について、賛成か反対かで言えば反対であると私は言わざるを得ないし、また当時のポーランドの人たち自身、この歌が「自分たちのことを歌った歌」なのだと言われてみても、ちっとも「うれしくなかった」のではないかと、率直に言って思う。ポーランドという国の現実を「変える」ために当時の人たちは戦っていたのに、それを他所から「何も変わりはしない」と「決めつける」なんて、ほとんどケンカを売っているような話ではないか。

80年代ポーランドにおける「連帯」運動それ自体に対しても、私自身の見解を一定、明らかにしておく必要があるように思う。もっともそれは、決して中途半端に終わらせていいような話ではないし、歴史に関する「知識や情報」を並べ立てることで済ませることのできるような話でもない。どこから話し始めたものだろうか。

1917年のロシア革命は、世界史における最も感動的な出来事のひとつだった。私はそう思っているし、そのことは死ぬまで変わらないと思う。支配されてきた人々、搾取されてきた人々、戦争で殺し合いをさせられてきた人々が自ら力を合わせ、支配する人間や搾取する人間、戦争で殺し合いをさせる側の人間たちから政治権力を奪取したのがあの革命だったのであり、個々の指導者がどう偉かったとかそういうこと以前に、そのことの歴史的意義は永久に消えるものではない。フランス革命やアメリカにおける奴隷解放が、当時においてはどんなに限界を孕んだものであっても、現在ではその意義を否定する人がほとんど存在しないのと同じように、ロシア革命は人間の歴史に決して消えることのない「新たな出発点」を刻みつけた出来事だったと、私は捉えている。

第一次世界大戦の勃発に際してレーニンが掲げた「帝国主義戦争を内乱へ!」というスローガンは、「始まってしまった戦争」に対する反戦運動のあり方として唯一実践的かつ「現実的」なものだったと思うし、21世紀になってもそのリアリティは、基本的に変わっていないと思う。そして一見したところ無謀にしか思えないようなそのスローガンを掲げて、当時のロシアの人たちは実際に「勝利」したのだから、これほど感動的な話はない。戦争は「仕方のないこと」なのだというあらゆるペテンや「あきらめ」を、言葉ではなく事実をもって打ち破ってみせたのが、ロシア革命だったのだ。

そして、「国」ごとに分断された人間たちが互いに殺し合いや奪い合いを続けることの上にしか成立してこなかったこれまでの「世界史」を終わらせ、あらゆる人が国境や人種を越えたひとつの「人類」として共に協力しあって暮らしてゆくことのできる未来の可能性を提示しうる思想として、「共産主義」に代わるものを人間の歴史はいまだ生み出しえていない。そうした未来を「本気で」夢見て主張しかつ実践してきた人々が「共産主義者」の中にしかいなかったのだとしたら、「正しかった」のは「共産主義者」の他にはどこにもいなかったはずではないかと、今でも私は思っている。

けれどもロシア革命の理想が掲げたその「共産主義」は、革命から20年も経たないあいだに、当初の理想とは似ても似つかない強権的な官僚政治へと変質していった。その最大の理由は、生まれたばかりのロシアの革命政権=ソビエト政府が、帝国主義列強に支援された反革命勢力との戦争に継ぐ戦争の中で自らを守り抜かねばならなかったという経緯に存在していると私は思う。「戦争に勝つこと」が全てにおいて優先される「戦時共産主義体制」の中で、人々の暮らしは極限まで疲弊させられたし、またロシア革命を勝利させた世代の最も良心的かつ献身的な人々は、この戦闘の中でほとんどが死に絶えたとさえ言われている。そして「戦争を指導する党」の存在が絶対化され神格化され、ついには「誰も逆らうことのできない巨大な権力」がそこに集中されてゆくことになった経緯というものは、当時の事情を考え合わせるなら一定は「不可避的」なことだったのではないかと、考えざるを得ない。とはいえその責任は、虐げられた人々の怒りが「米騒動」として爆発していたさ中にあって7万人の「シベリア出兵」を強行した当時の日本政府をはじめ、革命というものを憎悪しそれを暴力で押しつぶすことを願望した人間たちの側に存在しているのであって、ソ連共産党という組織の「自己責任」に帰せられていいような話では決してないと私は思っている。

しかしながら内戦を終結させて自らの政治支配を確立したソ連共産党が、それ以降とめどない腐敗と裏切りの道を転げ落ちて行ったことは、今や誰にも否定することのできない歴史的事実である。レーニンの死後、「永続革命」としての世界革命の完遂を掲げるトロツキーを追放し、「ロシア一国でも社会主義建設は可能」だとするスターリンがあらゆる権力を掌握してからというもの、ソ連共産党は人々の生殺与奪を「上から」支配する「国家権力」へと完全に変貌したし、また他のあらゆる国々における革命運動までが、「ソ連に奉仕すること」を第一義に立てなければその存在を認められず、逆らえばコミンテルンからの妨害や敵対にさらされるという事態に立ち至った。ソ連という「国家」を守るためという大義名分のためになら、ヒトラーのドイツと手を結ぶような真似さえ、スターリンという人間は平気でやった。そのことによって押しつぶされることになったヨーロッパの革命運動や反ファシズム運動がどれだけ存在したかということは、今では計り知れない。クラッシュの「Spanish Bomb」という歌の翻訳記事の中で取りあげた1930年代のスペインにおける反ファシズムの戦いが、スターリンのこの裏切りによって決定的な敗北を喫したことは、あくまでその一例である。
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マルクス以来の共産主義の理想を現在でも忠実に追い求めようとしている左派の人々の間では、「スターリン以降のロシアにおける共産主義」はもはや「共産主義」という名前に値しない「別の何か」であるとして、「スターリン主義」という言葉で言い表されるのが一般的になっている。しかしながら「スターリン以降のロシアにおける共産主義」の路線を支持し、かつそれを「正統な共産主義のあり方」であると主張してきた歴史を持っている人たち、例えば日本共産党や中国共産党の人たちは、自分のことを「スターリン主義者」とは決して呼ばないし、むしろ自分たちこそが「本当の共産主義者」なのだと主張していたりもする。そして「中立」を標榜するマスコミの視点からするならば、スターリン主義を批判する人間もそうでない人間もまとめて「左翼」という言葉で括られてしまっていたりするのだから、何が「本当の共産主義」で何が「ニセモノの共産主義」なのかといった問題について、「客観的な立場」から「一般的な答え」を導き出すようなことは、誰にもできないことだと言っていい。個々の人間に可能なことは、「自分の信じるところ」について語ることだけだと私は思う。従ってここでは飽くまで私自身の思想信条にもとづいて、「共産主義」「スターリン主義」という用語を「使い分ける」ことにさせてもらいたい。私自身もまた、「スターリン主義」は「共産主義」の名に値しない、「人間を抑圧する思想」であると信じているところの人間の一人だからである。

第二次世界大戦の終結後、ソ連による軍事制圧下におかれた東ヨーロッパ諸国には、次々と「共産党政権」が樹立された。もとよりそのほとんどがナチスドイツによる蹂躙にさらされていた東欧諸国において、ファシズムの支配の終焉は疑いなく「解放」を意味していたし、それぞれの国において「自由」を求めて抵抗運動を続けていた人々は無数に存在した。けれどもソ連主導のその「革命」は、それぞれの国の人々が自ら求めていた形での「革命」では、決してなかった。東欧諸国の人々が押しつけられたのは、実質的には「西側諸国」の軍事的圧力からソ連という国家を防衛するための「人間の盾」としての役割に他ならなかったし、各国に樹立された「共産党政権」は、ソ連から与えられたその任務を忠実に果たしかつ人々の抵抗運動を抑圧するための、「スターリン主義政権」以外の何ものでもなかった。

1956年にフルシチョフによって「スターリン批判」がなされたことは、少なくない人々に「ソ連の共産主義」は「変わる」のではないかという期待を抱かせた出来事だった。しかしながらその同じ年の10月、ソ連の「衛星国」だったハンガリーでスターリン主義政権の退陣を求める大規模なデモが発生すると、フルシチョフは直ちにソ連軍の戦車部隊を送り込み、1万7千人と言われる人々が虐殺される中で、ハンガリーに起こった革命運動は「鎮圧」された。自らの「解放」を求めて立ち上がった人々の戦いに、「共産主義」を標榜する人間たちが「銃を向けた」のだ。「スターリン主義」はやはり「スターリン主義」だったわけであり、後の歴史におけるソ連の崩壊は、この時点で既に決定づけられていたことだったのだと私は思う。自分たち自身の「出発点」を、かれらは裏切ったのである。(同じ批判は1989年の天安門事件で公然と「民衆に銃を向け」、今なおそれを正当化し続けている中国共産党に対しても向けられなければならないと私は考えているが、機会があればそのことはまた別の歌を取りあげた時に詳しく書くことにしたい)

1968年にチェコスロバキアで「人間の顔をした社会主義」を掲げる政治改革運動が湧き起こった際にも、ソ連は軍隊を派遣して全土を占領下におき、「プラハの春」と呼ばれた民主化運動は、圧殺されることになった。チェコスロバキアの共産党自身による「共産党体制の改革」までもが圧殺の対象とされるに至ったのだから、世界中の「真面目な共産主義者」の中でソ連の体制を「正しい共産主義」であると認める人間は、もはやどこにもいなくなっていた。私自身はまだ生まれてもいなかった時代の話ではあるけれど、そのように伝え聞いている。

そしてそれからさらに10年を経て、東欧諸国におけるスターリン主義体制を揺るがす新たな戦いとして湧き起こったのが、ポーランドにおける「連帯」運動だったのだ。ここからがようやく、今回の記事の内容と重なってくる本題である。

「連帯」は直接には、1980年7月に打ち出されたポーランド政府による食肉値上げ政策を撤回させるべく、全土でストライキに立ちあがった労働者の戦いの中で結成された、「独立自主管理労働組合」だった。当時のスターリン主義諸国においては、共産党政府による「官製労働組合」以外には労働組合の結成が認められていなかったのだが、その禁圧を労働者が「自主的に」打ち破り、政府から「独立」した形で結成されたのが、「独立自主管理労働組合」である。そしてその指導者に選出されたのが、当時グダニスクに存在した「国営レーニン造船所」の電気工の一人だった、Lech Wałęsa (昔の新聞記事では「ワレサ」と表記されていたが、正しくは「レフ·ヴァウェンサ」と読むらしい)という人物だった。「連帯」は瞬く間にポーランドの人々の支持を集め、当時の成人人口の3分の1が加入するという、強大な政治勢力へと成長していった。

当時においてこの「連帯」運動を最も熱烈に支持したのは、スターリン主義を批判する立場に立つ世界中の「左派」の人々だったと私は伝え聞いている。40年近くにわたる「党官僚による支配」のただ中から、「革命の主人公」である労働者階級の人々が、自らの解放を自分たち自身の手で闘いとるべく、初めて団結して立ち上がったのだ。「連帯」が掲げた「自主管理共和国」の理想は、スターリン主義の腐敗と裏切りをその足下から突き崩す、「本当の共産主義」の宣言そのものだった。私自身、この時代に多感な年齢を迎えていたならば、夢中になって「連帯」運動を応援せずにはいられなかったはずだろうと思う。

この「連帯」運動の高揚に対し、ソ連政府は過去の事例と同様に「軍事介入の可能性」をチラつかせ、その圧力に押される形でポーランド政府は「連帯」の非合法化を決定。1981年12月には全土に戒厳令が布告され、ヴァウェンサ委員長をはじめ多くの関係者が拘束される、弾圧の嵐が吹き荒れることになる。

いくつかの他サイトの記事によるならば、このU2の「New Year's Day」という歌は、当時獄中にあったヴァウェンサ委員長にボノが思いを馳せ、引き裂かれた家族を思う彼の気持ちを想像しながら書いた曲であるという風にも、解釈されているらしい。しかしながらそうであったとするならば、ボノの「連帯」運動に対する思い入れの中味というものは、あまりにセンチメンタルだったのではないかと私は感じる。戒厳令弾圧の中でも「希望」を失わずに戦い続けていた人たちにとって、この歌のような「終末論的ニヒリズム」は完全に「余計な」ものだったろうとしか思えないし、ヴァウェンサという人自身、この歌の主人公みたいなキャラクターと比べ合わせるなら、遥かに「したたかな」人物だったことを歴史は語っている。

非合法化攻撃のもとでも「連帯」は活動を継続し、翌82年のメーデーにはワルシャワで10万人が結集する政府への抗議集会が実現された。そしてこの公然たる「反乱」の爆発に対し、当時のソ連政府がポーランドへの軍事侵攻に踏み切ることは、ついにできなかった。それは当時におけるソ連という国家が往時のような「力」を既に喪失していたからだという見方もできるだろうし、また「西側世界」を含めた国際社会からの広範な支持を集めていた「連帯」運動の「力」に、「勝てない」という判断を下したからだという見方も可能だろう。ポーランド政府による弾圧はその後も継続されたが、11月にはヴァウェンサが釈放され、1982年12月31日にはついに戒厳令が撤回される。それは奇しくもU2の「New Year's Day」が発売される直前の出来事だったという。

あくまで想像だけど、U2の面々はこのとき相当に「バツの悪い思い」をしたのではないかと思う。自分たちが「何も変わらない」と歌っていたその「現実」が、実際には「変わってしまった」わけなのだから。もっともこれは飽くまで「善意」の視点に立った想像であり、もしも当時のかれらが「何ごともなかったかのように」ヴァウェンサと「連帯」の勝利を「祝福」していたとかいう事実が出てくるようであれば、U2というのは私が思っていた以上に相当「厚かましい人たち」だったということになるだろう。

ポーランドにおけるこの勝利を決定的な引き金として、スターリン主義体制に対する「民主化運動」は東欧全土に拡大し、1989年には「ベルリンの壁」が崩壊。1990年にはヴァウェンサが「民主化」されたポーランド共和国の大統領に就任。1991年にはソビエト連邦の政治体制そのものが崩壊し、それまでの世界史を規定していた「東西冷戦体制」はこの瞬間をもって終結したと、現在の歴史教科書には書かれている。中国や朝鮮民主主義人民共和国といった「残存スターリン主義政権」に対する、旧来の「西側諸国」からの不当な敵視政策は、実際には何も変わっていないのが現実ではあるのだけれど。

そしてそれ以降の世界史の推移については、私には「歯切れの悪い言葉」でしか到底綴ることができないし、それは私以外の誰が書いても、同じことなのではないかと思う。

「民主化運動」の最中にあってはあれほど叫ばれていた「自主管理共和国」の理想は、実際に「民主化」が実現された後になると、どの指導者の口からも出てこなくなった。代わりに東欧諸国を席巻したのは、雪崩のような「資本主義化」のうねりだった。あるサイトではこのことが、「明治維新」の後になると「攘夷」を本気で口にする人間は一人もいなくなったという日本史の経緯になぞらえられていたが、それは極めて「言いえて妙」な喩えなのではないかと個人的には思う。「本当の共産主義」の実現を求めて「民主化運動」に立ち上がった多くの人々の理想は、結局指導者層の「現実主義」の前に、完全に挫折させられる形になったのである。

ヴァウェンサが「独立自主管理労組」の結成運動に身を投じることを決心したのは、政府に反抗的であるという理由で解雇通告を受けた、たった一人の同僚女性を守り抜こうとしたことがきっかけだったのだという。それにも関わらず大統領に就任した彼氏には、何十万という労働者が職を失ってゆくことをどうすることもできず、ついには政権を追われることになる。

経済的に「後進地域」にあたる東欧諸国は、世界経済の矛盾のしわ寄せを一方的に押しつけられる形となり、失業率と貧富の差は、全体的に見て拡大の一途をたどっている。そしてムスリム移民への排撃を掲げる右翼勢力が、各国で台頭しつつあるという話もある。かつて「理想」のために戦った多くの人々は、「挫折」を感じているに違いない。しかしながらこの21世紀という時代は、資本主義という「ひとつの敵」の存在が、前世紀以上に「わかりやすい形」で浮かび上がってくる時代となることを必然としている。「本当の共産主義」の理想のために流された無数の人々の血が、「ムダ」にされることなんてあるものかと、私自身は信じたい。世界史の新たな出発点を刻みつける契機となった東欧革命は、いまだ決して「終わって」などいないのである。

...などということをしかしながら、天皇制という世にも恥ずかしい身分制度をいまだ残存させているような国の住人であるところの私みたいな人間が、あれこれ「評論」していい資格などもとよりありはしないのだ。自分の自由のために戦うことのできない人間に、他人の自由を云々できるような道理はどこにも存在しない。そして現在この日本という島国の現実を変えることもできず、さりとてそこから離れることもできずにいる私という人間は、少しも「自由な人間」ではない。まずはその屈辱を認めるところから、始めなければならないのだと思う。

現在この国の世間において交わされている「平成が終わる」云々といった「話題」には、触れることさえイヤだ。職場で役場で病院でいろんな書類を書かされるごとに強制される「元号」表記は、私みたいな人間にとってはずっと昔から「踏み絵」でしかない。天皇という存在が時間と空間の全てを支配しているような世界に、我々はいつまで暮らしていなければならないというのだろうか。前回の「代替わり」を無批判に受け入れさせられざるを得なかったのは、子どもだったから仕方がない。けれどもいいオトナになったこの時代を迎えてなお、あの邪悪な制度の「継承」が粛々と強行されるのを指をくわえて見ている他にないのだろうかと思うと、歯ぎしりしたくなるほど私は口惜しい。わかりますか皆さん。指をくわえたまま歯ぎしりをしたら、必然的にその指は千切れてしまうことになるのですよ。けれどもその程度の痛みなどどうだって構わないぐらいに、天皇制というものを私は許せない。日本という国家が過去の過ちを居直りかつ未来においてもそれを繰り返し続けることを、正当化するための装置にそれは他ならないからである。

あと数日で始まる「新しい年」を、文字通りの「新しい時代」の始まりに変えてゆくことができるのであれば、その最初に天皇制という制度を終わりにさせることをこそ、何をおいても私は実現したい。そのことは世界のあらゆる場所で自らの解放のために戦い続けている人たちの前に、日本人として明らかにすべき「最低限」の誓いであるからだ。

上述したように「単なるラブソング」として聞く分には、「New Year's Day」という歌のことを今でも私は別段、キライではない。人間をやっていると最後には結局「祈る」以外には何もできなくなってしまうような場面というものにも、何度かは巡り会う。そうした時に「そばにいてくれる歌」があるということは、無条件に「いいこと」だ。けれども「祈る前に何とでもしようのあること」を「祈るだけ」でごまかしてしまうようなことをもしやれば、それはもはやペテン師のやることに他ならない。

何かを本気で「変えよう」としている人間に対して、「何も変わらない」という言葉は「呪い」以外の何ものでもありえないのだ。そういう言葉を他者に向かって投げつけることのできるような人間にだけは、私は死んでもなりたいとは思わないし、自分自身の「弱音」としても、基本的には一生吐いてはいけない言葉だと考えている。もしも本気で何かを「変えよう」としているのであればである。

以下は、各フレーズの翻訳をめぐって。

Under a blood red sky

「赤」は共産主義を象徴する色であることから、この歌の舞台が「東側世界」であることがここでは暗示されている。ただし、全体の歌詞の中でそのことが多少なりともほのめかされているのは、この部分だけである。

A crowd has gathered in black and white

「黒と白」と言われるとまるでそれらが「敵対しあっている集団」であるかのように響くけど、このフレーズの主語は「A crowd (ひとつの群衆)」である。その「群衆」が、「黒と白」とに塗り分けられた(あるいは自らその色をまとった)状態で、ひとつに「密集」したということが、ここでは歌われている。それがどういうことを意味しているのかということは、分からない。けれども歌詞の映像的なイメージは、そうした情報から形作るより他にない。

Arms entwined, the chosen few

この「the chosen few (選ばれし少数)」という言葉がどういう意味合いで使われているのかということが、私にはよく分からない。選民思想の匂いがするので個人的には「イヤな言葉」だと思うのだけど、ボノ自身はキリスト教の信奉者として「いい意味」でそれを使っている可能性もある。「Arms entwined」は「腕が絡み合っているさま」の描写なので、おそらくはピケラインを組んだ労働者の姿がここでは描かれているのだと思う。(「Arms」を「武器」と解釈すると、全く別の邪悪な集団のことが歌われているという風にも読めるのだが、その可能性は限りなく低いと思う)

The newspapers says, says
Say it's true it's true...
And we can break through

他の和訳サイトではこの部分が、「新聞はそれを真実だと言う。しかしぼくらはそのウソを打ち破ることができる」と翻訳されている例が散見され、ここではスターリン主義政権によるプロパガンダを批判する主張が歌われているのだという「解説」が施されている。しかし最初の2回が「says」であるのに対し3回目は「Say」なのだから、この「Say」は「命令形」であると解釈するのが妥当なのではないかと思う。そう読むならこの部分は「真実を報道せよ」という各国のマスコミに対する呼びかけだということになり、かつそうすればそれが弾圧を打ち破る「力」になるのだということが歌われていることになる。それは極めて、リアルな主張だと思う。

And so we're told this is the golden age
And gold is the reason for the wars we wage

この部分が何を言わんとしているのかが、どうも私には呑み込めない。あるいは「連帯」運動と結びつけて解釈しようとするからチグハグな印象になってしまうのであって、それと関係ない「一般的なこと」が歌われていると解釈した方が、この場合はふさわしいのかもしれない。確かにアメリカみたいな国家がそこらじゅうで起こして回っているような戦争に関して言うならば、その「動機」の部分に横たわっているのはいつも「黄金」に対する欲望だということが言えるだろう。しかし「連帯」労組の人たちが「戦って」いた理由は、決して「ゼニカネ」のためではなかったはずだと私は思うのだけどな。


ユニコーン お年玉 (カバー)

ではまたいずれ。


=楽曲データ=
Released: 1983.1.10.
Key: B