華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

おだやかな時代 もしくは500曲目を迎えて (1991. 中島みゆき)

ゆうべの雨が残す水たまり
靴底にしみて爪先を濡らす
僕はジョークだけが上手くなった
愛を真に受けてもらえなくなった

僕に怯える天使たちよ
僕は君ほど強くないさ
まだ眠っている
街を抜け出して駆け出すスニーカー

毎日 Broken my heart 声も立てずに
毎日 Broken my heart 傷ついていた
毎日 Broken my heart 声も立てずに
毎日 Broken my heart 傷ついていた

中島みゆきという人の手拍子の打ち鳴らし方は、とても独特だった。言い方は微妙になるけれど、シンバルを鳴らす猿のおもちゃみたいな感じに両肘を高く上げて、掌底を「肩の力で」ぶつけ合い、次にはその両肘を「縦」にして、掌底を「上から下に」打ち合わせる。普通、手拍子を打つ時なんて、人は「手首の先」しか使わない。それなのに中島みゆきという人は、手拍子を鳴らすというそれだけのことにさえ、「全身」を使っていた。その迫力は、ものすごかった。

過去形で書いたのは、もう長いことこの人のステージを目にすることのできる機会に巡り会えていないからなのだけど、きっと今でもそのことは、変わっていないのだと思う。

中学生の時に、確かNHKの番組で見たこの「おだやかな時代」という曲のPVが、中島みゆきという人の「動いている姿」を私が見た最初だった。それはアメリカ南部の黒人の人たちが、「奴隷」としてアフリカから連行されてきてから何世代にも渡る日々の中で、自ら育んできた信仰を通して生み出した「ゴスペル」と呼ばれる音楽に、私が触れた最初の経験でもあった。そしてそれは、「音楽と言葉」に触れることを通して自分の身体が「解き放たれて」ゆく感覚というものを、私が知った初めての体験でもあった。

「声も立てずに傷ついていた」。それも「毎日」。そのことが圧倒的なコーラスの中で「宣言」されるのを聞いた瞬間に、私は、泣きはしなかったけど、あらゆる思いが胸に迫って立ち上がらずにはいられないような気持ちになった。それは「自分のことを歌ってくれている歌」であるようにも思えたけれど、同時に「自分が不当に見下していた、自分なんかとは比べ物にならないぐらい誠実に生きている誰か」のために捧げられている歌であるようにも思われた。その歌は自分のことを「癒し慰めて」くれているのと同時に、「糾弾し告発してやまない歌」でもあった。

そうした歌に、あるいはそうした言葉というものに出会った時、人間は絶対「その場にじっとしていること」はできなくなるものなのだ。立ちあがったその背中は、鳴り響く音楽に力強く押されて、気がつけば身体は「それまでと違うどこか」へと「移行」している。テレビでこの歌に初めて触れた時、自分が本当に「立ちあがった」のか、それとも「縛りつけられたように座り続けていた」のかは、今では正確に思い出すことができない。けれども歌が始まる前の自分と終わった後の自分とは、明らかに「違う世界の住人」に変わっていた。それはそれからの人生で本当に何回かだけ訪れることになる、「生まれ変わりに似た感覚」を私が味わった最初の経験だった。

中島みゆきという人の楽曲や映像が、YouTubeなどのメディアを通じて「誰でも勝手に」視聴できる状態になっていることは、日本においては極めて稀である。それがご本人の意志に基づくことであるならば、聞く側が不平不満を並べ立てていい話ではないのだが、もしこの記事を通じて「おだやかな時代」という歌の名前に初めて出会った方がいらっしゃるなら、ぜひ聞いてみてもらいたいし、できることならPVにも目を通してみて頂きたいと強く思う。楽曲は「歌でしか言えない」というCDに、PVは「THE FILM of Nakajima Miyuki」というDVDに、それぞれ収録されている。

下記のリンクは、日本より確実に多くの中島みゆきファンの人口を有する中国において、この歌のことを紹介しているサイトなのだけど、ここ数年、中国の音楽サイトへの海外からのアクセスはどんどん規制がかかって難しくなりつつあるので、下のサイトも果たしていつまで閲覧可能かは、極めて心許ない。見てみたい方はできるだけ早いうちに見ておくことをお勧めしたい。
music.taihe.com
さて500曲目である。今までで最も険しくて困難な山越えをやり切った後のような、大きな「節目感」を感じている。500曲というのはブログを始めた当初から、「最低それぐらい書かなければ世の中には通用しない」と漠然と感じていた、私にとっての「目標の数字」だった。500曲という峠を越えてしまえば、ここから先はそれが600曲になろうと700曲になろうと、大した「節目感」は訪れないに違いない。次にそれが来るとすれば1000曲目ということになるのだろうけれど、それでも今回ほどの「達成感」は味わえないだろうと思うし、むしろそのぐらいになれば感慨も淡々としたものになっているのではないかと、今から何となく思う。

「500曲の節目」に至るまでのこの一年半の間に私が過ごしてきた「密度の濃い時間」は、例えて言うなら「二十歳の節目」を迎えるまでの数年間に自分が過ごしていた時間の「密度の濃さ」に似ていた気がする。これからだって時間は同じように流れて行くに違いないわけだし、自分の書く言葉だって劇的に変わったりするはずはないわけだけど、それでもやっぱり「500曲という節目」を迎えてしまった以上、今までとこれからは「同じではない」のである。ただ願わくは今後も「慢心」することなく、「Old Dixie Down」という歌の歌詞と20年間向き合い続けてようやくブログの開設に踏み切った最初の瞬間の気持ちを忘れずに、ひとつひとつの新しい翻訳に取り組むことを心がけて行きたい。

前回400曲目のレポートを書いた際には、このブログを訪れて下さる方の数は1日に500〜600人になっていたけれど、今ではそれが1500人近くになっており、1000人を切る日は滅多にない。これだけ多くの人に読んでもらえるようになったからには、うまくすれば「金儲け」ができるのではないかといった考えが時おり頭をよぎらないでもないのだが、そういうことを始めると自分の性格上、絶対「腐る」ことが目に見えているし、そもそもこのブログは「人様の書いた歌詞」をネタにした上に成立しているブログである。その辺はストイックに行くのが「筋」というものだろうと、自分に言い聞かせている。

ちなみに私が「はてなブログpro」に毎月会費を払い続けているのは、主要には「広告を表示させないため」なのだけど、「カネを払ってプロを名乗る」というこの仕組みに対してだけは、何となく釈然としない気持ちがしないでもない。「広告を表示させないために必要な経費(月額約1000円)」ぐらいは、何かの回路を通じて有志の読者の皆さんから募らせてもらうといったようなやり方は、とれないものなのかしら。言ったってどうしようもない話であることは、自分でも分かっているのだけれど。

今までの一日あたりの最大PV数は、アリーサ·フランクリンさんが亡くなった今年8月17日の「2440」だった。「Think」の記事を入口に、ブルースブラザーズ特集全32回を通しで読んで下さった方も相当数いらっしゃったようで、そんな風にアリーサさんを追悼できるよすがとなるような「場」を提供できたことに、改めて「やってよかった」という気持ちを噛みしめた特別な一日ではあった。それにつけても2018年は、第二次大戦後の音楽史を支えた本当に多くのミュージシャンの方々が物故された年だったと思う。「追悼翻訳記事」は今までにも何本か書いてきたけれど、できればそんなものは書きたくないというのが正直な気持ちである。
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ブルースブラザーズ特集を皮切りに、今回の500曲目に至るまでの間、このブログでは数回で終わるものから数十回に渡るものまで、数々の「特集記事」を組んできたものだったが、その中でも「ミチコオノ日記」との出会いをきっかけに突入したニルヴァーナ特集、2018年の夏を捧げたラストワルツ特集、そして先般ようやく完結したGME'94「AONIYOSHI」特集の三本は、このブログ以外ではどこでも読めない看板コンテンツとして、書いた自分自身でも思い入れが深い。最近読者になったばかりでどこから読み始めていいか悩んでいるような方には、これを機会にぜひつき合ってみて頂ければ幸いに思う。
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何しろ今回は500曲目ということで、自分の思い入れ云々とは関係なく、このブログの現在までの「人気記事」のベスト5を紹介するといったような企画も、一応は打っておきたい。私としてはもっといろんな記事を「まんべんなく」読んでほしいといつも思っているのだけれど、毎日のアクセス数の何割かは以下の5記事にほとんど集中している状況が、実はずーっと続いているのである。検索で訪れて下さる方が大半だから自ずとそうなってしまうのかもしれないが、それにしてもこの5本の記事にだけどうして特別に「よく読まれる要素」があるのだろうかということが、書いた本人には全然わからない。

とりあえずまずは閲覧数の多い記事の第5位。
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この曲はまあ、そもそも「好きな人が多い」ということが閲覧数の多い理由なのだと思う。それと、「曲名 和訳」で検索した時にGoogleで最上位で表示されていることを、うちのブログで一番最初に確認することができた記事でもあった。もっとも、U2の曲なら他にいくつも翻訳しているわけなのに、検索上位に表示されているのはずっと「この曲だけ」である。そのおかげもあって、他の楽曲の翻訳記事の閲覧数とこの記事の閲覧数との差は、日を追うごとに開いて行く一方になっている。そういうのが私は、すごく釈然としない。内容を知った時の驚きという点で言えば、「I Will Follow」の記事の方がずっと面白いはずだと個人的にはおもってるのだけどな。

続いて第4位。
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意味を知らずに聞いていた時の歌のイメージと、実際に翻訳してみた歌詞の内容のイメージとが、違っていれば違っているほど面白い。というのはこのブログのコンセプトからすれば当たり前な話なわけで、その意味では今まで取りあげてきた中でも一番「ドンデン返し」の多かったこの歌の翻訳記事が、注目されているのは不思議ではない。しかしながら難しいのは、そういう記事を書けば「受ける」ことが分かっていても、いざ「探して」みると意外にそういう歌は見つからない、ということなのである。無心にいろんな歌と向き合う中で、そこから生まれる「新鮮な驚き」を地道に綴ってゆくに如くことはない。ということになるだろうか。

続いて第3位。
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「We're all alone」は「みんなひとりぼっち」なのかそれとも「ふたりきり」なのか。そういう世の中の人の疑問にストレートに答えうる記事になっているなら私も胸が張れるところなのだが、実はこの記事は「あんまりそうなっていない」のである。むしろ「問題提起で終わっている」感じになっているのがこの記事で、私としてはネイティブの英語話者の人たちが「自分はこんな風に聞いてきた」というコメントを10件ぐらい寄せてきてくれることで、初めてこの記事は「完成」すると考えている。欲を言うなら、全部の記事がそうなのである。

それにつけても、「Alone問題」を云々していたあの時期の記事からトップ5に2つも食い込んでいるということは、「あの頃がこのブログの一番輝いていた季節だった」みたいな話になってしまうのだろうか。じゃあ何かよ。今はダダ下りかよ。ヨロガワのミルのんれハラららくらりかよ。釈然としない。

続いて第2位。
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「No Woman, No Cry」が「泣かない女はいない」という意味だと信じ込まされていた人たちは、私の他にもたくさんいたのである。そういうコメントもいろんなところで沢山いただいたし、自分としても世のため人のためになる記事を書けたということが一番実感できた経験になった。だからこの記事が閲覧数で一位になっているならば、私としてもそれはそれで納得の行く話なのだ。ボブ·マーリィという人の楽曲をそれほどまともに聞き込んでいるわけでもないことが、心苦しいところではあるのだけれど。

にも関わらず第1位は、この記事なのだ。
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...この記事が、ずーっと1位なのである。しかも、ぶっちぎりなのである。毎日の閲覧数の8%ぐらいを占めているのが「No Woman, No Cry」の記事なのだけど、この記事が占めているのは12%ぐらいで、しかもその占有率はいつまで経っても減ることがない。何なのだろう。一日に百人以上が目を通している以上(←悪文?)、世の中で「神々の詩」に興味を持っている人はもう大体がこの記事を読み終えてしまっているはずだと思うのだが、それを上回る勢いでこの曲のファンは増え続けているということなのだろうか。だとしたら、この記事はあんまりこの歌のことを良く書いているわけではないので、私は連日ものすごい勢いで「敵ばっかり」増やし続けていることになる。気味が悪いったらありゃしない。

大体この記事は、「翻訳記事」ではないのである。このブログは「歌詞対訳」のブログなのに、歌詞対訳をやっていない記事が最大の注目を集めているということが、私は一番釈然としない。たぶん検索でこの記事を見つけて読みに来る人たちは、他の記事の読者の人たちとは相当に「層が違っている」のだと思う。そしてこの記事との出会いをきっかけに他の記事にも目を通してくれているようには、あんまり思えない。その点からしてもこの記事が「不自然な注目」を集め続けている事実には、「不気味な印象」を感じてしまう。

まあ、「芸能人が政治的発言をすることの可否」みたいなことが云々されている昨今の風潮に関連して言うならば、「人間が口にすることで政治的な意味を持たない言葉などというものはひとつも存在しない」というのが私の見地である。だからこのブログでは私自身の政治的立場(あえて言うなら左派的なそれ)をできるだけ「ハッキリ」打ち出して記事を書くことを心がけているし、自分と立場を同じくする人に対してもそうでない人に対しても、それが自分のとりうる唯一の「誠実な態度」というものだろうと考えている。そうしなければ自分の言葉というものには決して「責任がとれない」のである。

その意味ではこの「神々の詩」に関する記事は、自分のそうした政治的立場というものを初めて意識的に前面に打ち出して書いた記事でもあった。一番初めはそうした領域に踏み込むことについて、正直に言うなら多少の「ひるみ」もあったのだ。けれども「差別表現に見て見ぬふりはしない」ということをブログの看板に掲げている以上、決して「あいまいにできないこと」はやはりある。それを「ハッキリさせる」ことができたという点において、「書いてよかった」記事であるとは、個人的に思っている。

この機会に改めて「ハッキリ」させておくならば、このブログは「自衛隊と天皇制は日本に要らない」と思っている人間が書いているブログである。それが気に入らない人は読まなくていい。とはあえて言わない。むしろ気に入らない人にこそ、読んでみてほしいと思う。「気に入らないのに読まずにいられない」といったような読者が増えてゆくことこそ、私が最も望んでやまないところである。「無視できるもんならしてみやがれ」という言葉を誇りを持って口にできるのは、「真実」を握りしめている人間にだけ与えられた特権なのだ。自衛隊や天皇制の存在を正当化できるような欺瞞の上に安住している人間たちには、「真実」を探求することなど絶対にできはしないということを私は確信している。よしんばそれが「歌詞の読解」みたいな限られた領域における話であったとしてもである。

さて、既に充分いろいろ書いてきたし、これぐらいで終わりにしてもいいのだが、せっかくの500曲目でもあることなので、もうちょっと書かせてもらうことにしたいと思う。

基本的に私は、「簡潔な文章」を書くのが苦手である。それは「思ったことを全部言葉にしないと気が済まない」という傍迷惑な性格をしていることに原因があるのだが、特に400曲目を越えたあたりからひとつひとつの記事の長さがどんどん長大になりだしていて、何とかしなければならないと最近ちょっと思っている。けれども記事の分量が増えてしまうのは、それだけその歌に対して「思い入れを感じているから」でもあるのである。以下に今までに書いた「長い記事」のベスト(ワースト?)5を長い順にコメント抜きで貼りつけておくことにしようと思うので、「眠れぬ夜のお供」みたいな文章を探している方には、チェックしておいて頂ければ幸いに思う。
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そのことの上で、私が本当に思い入れを感じている翻訳記事というのは、実は「コメントを一切つけないハダカの翻訳記事」に集中していたりもする。訳詞そのものが「作品」として成立していると自分自身で思えるから(正確にはそれは「原詩が素晴らしいから」ということなのだが)、「余計なコメント」を一切くっつける気持ちになれず、あえて「原詞と訳詞だけ」で投稿しているのが「ハダカの翻訳記事」なのである。にも関わらずそうした記事は他の記事と比べてどうしても「地味」であるため、注目してもらえる機会が極めて少ない。そのことが口惜しくて仕方ないもので、以下にはそうした「目立たないけど思い入れの深い記事」を5つ、思いつくままに紹介させて頂きたい。
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それから、「歌っている人の名前」の認知度が日本においては極めて低いため、注目されていない結果になっている「不憫な記事」も沢山ある。そういう記事は私自身の趣味嗜好が一番前面に出ている記事でもあるため、むしろ自分としては「このブログでしか出会えない歌」として積極的に売り出して行きたいところなのである。そうした記事も思いつくままに5つ、紹介させておいてもらいたい。
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最後に、昨年5月にこのブログを始めてからの一年半のあいだ、多くの出会いがあったと同時に多くの別れもあったのだけど、この2018年12月31日の時点においても「華氏65度の冬」に変わらぬ声援を送り続けて頂いているかけがえのない読者の皆さんのブログ記事を、(こちらの片想いも含め)「出会った順」に紹介させてもらうことで、500曲目という今までで最大の節目となったこの記事の締めくくりに代えさせて頂きたい。特に「ミチコオノ日記」との出会いを通じて交流が始まった仲間の皆さんにおかれましては、また何か一緒に面白いことがやれたらいいのになと心から思っております。ご愛読、本当にありがとうございました。
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みなさんよいお年を!
ではまた来年。



歌でしか言えない

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THE FILM of Nakajima Miyuki [DVD]

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