華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Dschinghis Khan もしくは Genghis Khan つまりはジンギスカンしかしてチンギスカン (1979. Dschinghis Khan)



君の瞳に恋してる」の記事を書いてからこのかたというもの、頭の中がすっかりディスコづいてしまっているので、この勢いに乗ってブログ開設当初からの懸案だったこの曲のことも、思いきって取りあげてしまうことにしたい。私にとっては一番つきあいの古い「外国の音楽」なのである。

もっとも「頭の中がディスコづいてしまっている」などと、いかにも「むかし遊んでましたオーラ」的なものを発散させる言葉遣いはしてみたものの、私自身は「ディスコ」やその後身の「クラブ」といった世界に関しては、今までの人生で一度も足を踏み入れた経験がない。子どもの頃の私の「ディスコ」に対するイメージはといえば、「天井からミラーボールが落ちてきて人が死ぬ怖い場所」というものでしかなかったし、長じてからのそれはといえば、「ドレスコードなどというものを持ち出して人を見た目で差別する鼻持ちならない場所」というものでしかない。自慢じゃないけど、と言いつつ思いっきり自慢をさせてもらうのだけど、私は生まれてこのかた「スーツ」などという代物には、弟の結婚式以外一回も袖を通したことのない人間なのである。誰が行ったるかそんなとこ、と誘われもしないのに私はずっと思い続けている。

そんな風に「ディスコ」というものの実態を何ひとつ知らない私ではあるのだけれど、「ディスコ·サウンド」と呼ばれるものには不思議と「なつかしさ」を呼び起こされてしまう傾向がある。それはおそらく私の生まれた1978年という時代が空前の「ディスコ·ブーム」と重なっており、その頃の世界に溢れていた音楽の記憶が無意識のヒダの部分にまで染み込んでしまっているからなのではないか。という感じがする。

試みに「ディスコ」という項目をWikipediaで調べてみたりして、今さらのように自分は「ディスコ」というもののことを何も知らずに生きてきたのだな、という感慨を新たにしている。まず知らなかったのは、音楽の1ジャンルとしての「ディスコ音楽」というものは、元はといえば1960年代のニューヨークのゲイ·カルチャーの中から生まれてきたものだった、という事実だった。U2の「ヨシュア·ツリー」を翻訳していたはずがどういう成り行きかヴィレッジ·ピープルという人たちに出会い、「ゲイ文化」というものについて真剣に考えさせられることになったこのかんの経過というものは、まさに「ディスコ誕生の旅路」を追いかける行程と重なっていたことになる。大いに必然性のあることを、私はやっていたのだな。それともうひとつビックリさせられたのは、「ディスコ」が「クラブ」と言い換えられるようになった昨今の傾向は「風営法の規制」に対抗するためだったとのことで、「ディスコ」という名前で営業登録すると途端に規制が激しくなってしまうため、現在の日本の主要都市において2010年代以降もはや「ディスコ」という呼称は「消滅」しているという衝撃の事実だった。「誘われたって行くものか」と私が肩肘を張っていたディスコという場所は、その私が知らない間に「なくなって」しまっていたのである。そうなってみると、ちきしょお。いっぺんぐらいは行ってみたかったという気が、してきてしまうではないか。

それはそれとして、そんな風に「ディスコ音楽」というものを空気のように呼吸しながら育ってきた我々の世代にとって、ほぼ例外なく最も思い出深いのが、この「ジンギスカン」という曲なのである。この曲を一度も聞いたことがないという人は、おそらく、いないのではないかと思う。およそ「外国の音楽」でこれくらい幅広い世代と年齢層に親しまれている曲も稀なのではないかと思うわけで、本当に「特異な曲」だという感じがする。それにも関わらず子どもの頃の私には、「ジンギスカン」という曲名以外、誰が歌っている曲なのか、また何語で歌われている曲なのかといった情報は、一切入ってこなかった。

この曲のファンは、数多い。90年代のインターネット黎明期の頃から、この曲のカタカナ歌詞などを掲載したサイトはやたらと沢山あったことを覚えている。きっと子どもの頃の私がそうだったように、この曲について知りたい人は、いっぱいいるのである。今になって調べ直してみてもやっぱりそういうサイトは数多く見つかったのだが、驚いたのはこのブログの大切な読者の一人であるきひみハマメ(id:MyouGirl)さんが、10数年にも渡って運営しておられる「ジンギスカン」のファンサイトに巡り会ってしまったことだった。内容は文句なしに日本における「ジンギスカン」研究の最先端を行くもので、そんな専門家の方が読んでいらっしゃる前で今さら自分がこの曲についてあれこれ語るのもオコがましい話ではあるのだけれど、反面、同志を見つけたようなうれしい気持ちも禁じ得ない。この曲のマニアックな側面についてはきひみさんのサイトにお任せするとして、このブログでは私自身の「ジンギスカン」に関する思い出と、歌詞の翻訳に話を絞って書き進めてゆくことにしたい。もう既に、結構な文字数になりつつあるのだが。

hamame.shironuri.com
私が初めてこの曲を聞いたのは、たぶん間違いなく、「ひらけ!ポンキッキ」の1コーナーを通じてである。以前にも触れたことがあるように、「ポンキッキ」という番組が幼い私に教えてくれた「洋楽」の響きは数知れないほどあるのだが、「ジンギスカン」もご多分に漏れず、何か数の概念みたいなものを抽象的に表現したアニメーションが流れるバックで、絶妙なアレンジを施されて鳴り響いていたわけなのだ。文字で説明しても全然わからないけれど、具体的には下の動画みたいな感じである。


ポンキッキ スポット77

...「ジンギスカン」そのものが使われていたスポットの動画が見つからなかったのはいかにも残念なのだけど、おそらくあそこで流れていた「ジンギスカン」はレコード通りの内容ではなく、番組のスタッフの人たちが自前で作った音源だったのではないかと思う。使われていたのは「ふ!」「は!」の部分だけで、そのコーラスもオトナの声ではなく、合成で作った子どもみたいな声だった。そして「ふ!」「は!」が何回か叫ばれた後で唐突に

「暴れ伊藤、男の歯!」
(あばれいとー、おーとこのは!)

と聞こえる「歌詞」が入り、その後は「ふ!は!ふ!は!ふ!は!ふ!」と「レコード通りの終わり方」になるのだった。ちなみにその「暴れ伊藤」の部分のメロディは「れれみれれー、ふぁーふぁみれみ!」である。こんな訳の分からないことにこれだけの文字数を費やすのは、「心当たりがあります」という方が名乗り出てくれるのを期待しているからで、心当たりのない方は読み飛ばして下さって全然かまわない。

いずれにしてもその「暴れ伊藤」の部分は本当は何て歌っているのか知りたい、と思ったことが、この歌の歌詞に「執着」を感じ始めた最初のきっかけだった。

その後、小学校に入学した年の運動会で三年生が踊っていたのが「ジンギスカン」だったということが、この曲との2回目の出会いになる。この曲のメロディが好きで好きで仕方なかった私は、三年生が運動場で踊りの練習を始めるたびに教室から飛び出しそうになって何度か叱られたことを覚えている。しかしながらその時使われていた「ジンギスカン」もやはり「本物のジンギスカン」ではなく、

東の空に赤く燃える
ジパングの光

みたいな歌詞の入った「日本語バージョン」だった。この日本語バージョンが誰によっていつ歌われたものだったのかということも、現在に至るまで私にとっては「謎」であり続けている。知っている方にはぜひ、情報を寄せられたい。

あと、この「ジンギスカン」という曲のサビの部分と、当時流行っていた光GENJIの「スターライト」という曲の

夢はfreedom、freedom
シャボンのように
freedom、freedom、風の色

という部分とは、妙に相性がよかった。て言っか、似ていた。だから教室で女子が「スターライト」を歌い出すたびに、横から「ジンギスカン」を歌ってそれをブチ壊しにする、という遊びが何となく流行ったことがあった。て言っか、私が流行らせた。恥ずかしい過去ではある。ちなみにこの「スターライト」という曲なのだけど、今になって聞き返してみると、変声期前の赤坂晃さんが歌っていた3:15からの「むーねーにーすーーんーーでーるーきーみーのー、こーとー...」という部分が、本当に天使の歌声かと思ってしまうぐらいに美しい。「アイドルなどというのはロクなものではない」という偏見を心に隠し持ったままでは一生気がつくことのできなかった美しさではないかと思うわけで、音楽と素直に向き合うことの大切さというものを、30年も経ってから改めて思い知らされたりしている。それにつけてもいつにもまして、脱線の多い文章だな。


光GENJI スターライト

とにかくそんな風にいろんなところで「ジンギスカン」のメロディと巡り会うにつけ、その曲の「全部」を知りたいという私の欲求は切なるものとなった。好きな音楽をレコードやカセットで持っていないということは、ネットもYouTubeもいまだ地上に存在しなかったあの時代、本当に悲しいことだったのだ。学校の放送室から好きなレコードを勝手に借り出してダビングして返すといったような悪知恵がつくのは5年生ぐらいになってからのことで、まだ低学年だったその頃は、家にレコードのない曲を「もう一度」聞くためには、ダイエーのソフトクリーム売り場の前に一日中座って有線放送で偶然かかるのを期待するとか、そんなことしかやりようがなかった。そして「ジンギスカン」などという曲はその当時においても「10年前のヒット曲」でしかなかったから、そう滅多にかかるものではなかった。それでも「何回かはかかった」のである。その時にはもう、必死でその「全部」を記憶に焼きつけようと、全身を耳にしてダイエーのテーブルにしがみついていたものだった。歌詞が何しろ外国語だったもので、いかんせん、「覚える」ことなどできはしなかったのだけど。

そんなある日、遊びに行った友だちの家で、出会ってしまったのだ。「ジンギスカン」のレコードに。それが今回の記事の一番上に写真を貼りつけた、「馬に乗ってるモンゴル人」のジャケットの「本命盤」と書かれたやつで、歌手名のところには「マルコ·ポーロ」という名前が印刷されていた。マルコ·ポーロといえば私が生まれて初めて読んだ「偉人伝」にあたるコロンブスの本に、そのお師匠筋の人として記載されていた名前ではないか。友だちのお母さんがかけてくれたそのレコードから流れ出したコーラスは、紛れもなくあの「ふ!」「は!」だった。(おそらくは友だちと遊んでいた私があまりにフハフハうるさいので、おばさんが面白がってかけてくれた、という流れだったのではないかと思う。今にして思えば)

私はもう、その後数十年にわたる残りの人生の中でも最高ぐらいのテンションになり、遊んでいた友だちのことをそっちのけにしてそのお母さんに、「そのレコードを貸してもらえませんか」と頼み込んだ。そしたらそのレコードは友だちのお兄さんだかお父さんだかのもので勝手には貸してあげられないとのことで、代わりにおばさんは親切にもそれを自分のカセットテープに録音してくれて、テープごと私にくれた。あんなうれしかったことって、オトナになって以降に果たして一回でもあっただろうか。何か、思い出せば思い出すほど、あの時が自分の人生のピークだったのではないかという感じがしてきてしまう。

その「マルコ·ポーロ」の「ジンギスカン」のテープを、私はもちろんボロボロになるまで聞き続けた。歌詞は当然ついていなかったから、何が歌われているのかなんてことは全然わからない。今になってようやく検索で見つけることができたのが、下の歌詞である。まずはげんしゅくな気持ちで、訳出することにしておきたい。


Genghis Khan (Marco Polo)

Genghis Khan

英語原詞はこちら


Hu, ha, hu, ha... hu, ha, hu, ha...
Hu, ha, hu, ha... hu, ha, hu, ha...
Hu, ha, hu, ha, hu, ha, hu, ha...


They rode the fastest horses
Left the wind behind
Thousand men
Ha, hu, ha...
And one man led the way
The others followed by:
Genghis Khan
Ha, hu, ha...

最高に速い馬にまたがり
風を後ろに残して駆けぬけた
千人もの男たち
Ha, hu, ha...
そして行く手を率いるのは一人の男。
他の者たちは後に続く。
ジンギス·カンだ。
Ha, hu, ha...


They galloped over mountains and desert-sands
They carried desolation throughout the land
And nothing there could stop them in this world
Hu, ha...

かれらは山々を駆けぬけ
沙漠の砂の上を駆けぬけ
国中に荒廃をもたらした。
そしてかれらを止めることは
世界中の何ものにもできなかった。
Hu, ha...


Gen... Gen... Genghis Khan
Hey, rider; ho, rider; go, rider
Let us follow
Gen... Gen... Genghis Khan
Hey, brother; ho, brother; hey, brother
Hear us holler

ジン、ジン、ジンギス·カン
ヘイ、騎兵よ、ホー、騎兵よ
行け、騎兵よ、ついて行こうぜ。
ジン、ジン、ジンギス·カン
ヘイ、きょうだい、ホー、きょうだい
ヘイ、きょうだい
おれたちの雄叫びを聞け。


Who cares where we're going
Ho, ho, ho, ho...
There's no way of knowing
Ha, ha, ha, ha...
And we'll let the Devil take our souls

おれたちがどこへ行くかなんて
知ったことじゃない。
ほほほほ。
そんなことは誰にも分からない。
はははは。
そしておれたちは
魂を悪魔に委ねるのさ。


Gen... Gen... Genghis Khan
Hey, rider; ho, rider; go, rider
Let us follow
Gen... Gen... Genghis Khan
Go, brother; dream, brother; dance, brother
Hear us holler

ジン、ジン、ジンギス·カン
ヘイ、騎兵よ、ホー、騎兵よ
行け、騎兵よ、ついて行こうぜ。
ジン、ジン、ジンギス·カン
行け、きょうだい、夢見ろきょうだい
踊れ、きょうだい
おれたちの雄叫びを聞け。


You can hear his laughter
Ho, ho, ho, ho...
Now and ever-after
Ha, ha, ha, ha...
When he lifts his glass up in the air

あの人の笑い声が聞こえるだろう。
ほほほほ。
今もそしていつまでも。
はははは。
あの人が中空に盃を掲げる時。


He was the greatest lover
And the strongest man
Of his day
Ha, hu, ha...
And we have heard that
All the women fell for him
So they say
Ha, hu, ha...

あの人はその時代における
最高の恋愛上手で
最強の男だった。
Ha, hu, ha...
そしておれたちは女という女が
あの人のもとになびいたと
聞いたものだったけど
それは正しかった。
Ha, hu, ha...


And he bred seven children in one whole night
He had his girls around him at his very sight
And nothing that could stop him in this world
Hu, ha...

その人は一晩で七人の子どもをつくり
自分の周りに娘たちをはべらせ
世界であの人を
止めることのできるものは
どこにもいなかった。


Gen... Gen... Genghis Khan
Hey, rider; ho, rider; go, rider
Let us follow
Gen... Gen... Genghis Khan
Hey, brother; ho, brother; hey, brother
Hear us holler

ジン、ジン、ジンギス·カン
ヘイ、騎兵よ、ホー、騎兵よ
行け、騎兵よ、ついて行こうぜ。
ジン、ジン、ジンギス·カン
ヘイ、きょうだい、ホー、きょうだい
ヘイ、きょうだい
おれたちの雄叫びを聞け。


Who cares where we're going
Ho, ho, ho, ho...
There's no way of knowing
Ha, ha, ha, ha...
And we'll let the Devil take our souls

おれたちがどこへ行くかなんて
知ったことじゃない。
ほほほほ。
そんなことは誰にも分からない。
はははは。
そしておれたちは
魂を悪魔に委ねるのさ。


Gen... Gen... Genghis Khan
Hey, rider; ho, rider; go, rider
Let us follow
Gen... Gen... Genghis Khan
Go, brother; dream, brother; dance, brother
Hear us holler

ジン、ジン、ジンギス·カン
ヘイ、騎兵よ、ホー、騎兵よ
行け、騎兵よ、ついて行こうぜ。
ジン、ジン、ジンギス·カン
行け、きょうだい、夢見ろきょうだい
踊れ、きょうだい
おれたちの雄叫びを聞け。


You can hear his laughter
Ho, ho, ho, ho...
Now and ever-after
Ha, ha, ha, ha...
When he lifts his glass up in the air

あの人の笑い声が聞こえるだろう。
ほほほほ。
今もそしていつまでも。
はははは。
あの人が中空に盃を掲げる時。







しかし。






…その友だちのおばさんがくれたテープの「ジンギスカン」には、当時まだ10歳にも満たなかった私にとっても、「腑に落ちない部分」がいくつかあった。一番奇妙に思われた点として、母親のカーラジオやダイエーの一角で耳にしていた分には間違いなく

ジン、ジン、ジンギスカーン

と聞こえていたサビの部分が、おばさんのテープではどうしても

げん、げん、げんげすかーん

と聞こえるのである。何なのだろうこれは。テープが悪いのだろうか。あと、ラジオやダイエーで聞こえていた「ジンギスカン」のコーラスには絶対「女声」が入っていたはずなのだけど、「マルコ·ポーロ」のそのテープからはいくら聞いても「男の声」しか聞こえてこない。ことによると私がそれまで知っていた「ジンギスカン」の方が、「ニセモノ」だったのではないだろうか。何しろ当時は低学年である。あんな丁寧に作り込まれたジャケットのついているレコードの方が「ニセモノ」だったのかもしれないという可能性などには、思い至ることさえできなかった。

...私はそろそろ、まだるっこしくなりつつある。今は何しろインターネットの時代なものだから、そんなことはちょっと検索すれば「全部わかる」のである。それで、例えばリアルタイムではジョンとポールの声の違いさえ聞き分けられずにビートルズを聞いていたような人でも、自分がそれを題材にブログを書く立場になってみれば、

プリーズ・プリーズ・ミー」("Please Please Me")は1963年1月にビートルズが発売した2枚目オリジナル・シングル曲。名義はマッカートニー=レノンになってるけど、作詞作曲を主に担当してるのはジョンなんですよね。リード・ヴォーカルはもちろんジョン。ジョンはここではクロマチック・ハーモニカも演奏しています。ギターはジョンとジョージ。ポールはベース。リンゴ・スターはドラムスを演奏。またポールとジョージはコーラスも担当しています。

...みたいなWikipediaの丸写しを語尾だけ適当に入れ替えて百年も前から自分は知っていました的な文章を書いたとしてもどこからも苦情が出ないような仕組みに世の中は既になっているわけで、言っちゃあ何だがこのブログだってそういう書き方になっている記事の方が、多いのである。その方が楽だし。話も早いし。けれどもその曲を初めて聞いた時の自分がどうだったかということを虚心坦懐に思い出してみるならば、そんなことは何も「分からなかった」のだ。分からないなりに手探りで何とかその歌のことを知ろうといろんな回り道を繰り返したその歴史の上に、初めてひとつひとつの歌は自分にとって「特別な歌」へと変わってゆくわけなのであり、場合によってはそのことは「正直に」書くしかないことなのである。そうでなければ、自分がどうしてその曲のことをブログで取りあげようと思ったのかという「動機」それ自体が「ウソまみれ」なことになってしまう。しかし、それを「正直に」やろうとすれば、毎度のことながら何て面倒くさい話になってしまうのだろう。

先回りして「答え」を書いてしまうならば、「マルコ·ポーロ」の「ジンギスカン」が「げんげすかん」と聞こえたのは、その歌詞が「英語」で歌われていたからだったのである。モンゴルが生んだ歴史上の人物の名称としてのジンギスカン(正しいとされる発音は後述のように「チンギスカン」)の英語表記は「Genghis Khan」であり、英語圏ではこれがアルファベット通りに「ゲンギスカン」と発音されるのだ。この曲の「本当のタイトル」は「Dschinghis Khan」で、これならフツーに「ジンギスカン」と発音されるのだけど、じゃあそれはどこの国の綴りだったのかというと、驚いたことに「ドイツ語」だったのである。「ジンギスカン」は元々、ドイツのグループ(当時は西ドイツ)によってドイツ語で発表された曲だったのだ。

  • ↑日本で発売されたレコードジャケットは、なぜかやはり「Genghis Khan」表記なのだけど。

その事実をようやく知った時、私は中学生になっていた。大阪の西長堀にある市立図書館に行けば奈良県民でもカードを作って貸出をしてもらえることを友だち経由で初めて知り、世界が思い切り広がったその時のことである。当時の小遣い事情では大阪に通うだけの電車賃を捻出することもままならず、それでもその図書館の虜になってしまった私は時として自転車で暗峠を越えることさえ厭わなかったものだったのだが、そんな苦労話を聞くためにこのブログを検索で探し当てて来る人は一人もいないはずなので、細かい事情には踏み込まないことにする。ただ、何となく調べ直してみて最大斜度37%のあの峠道が今では「日本一の急坂」に認定されているらしいことを初めて知り、ちょっとだけびびくったことは付記しておきたい。本当にあの頃の私というのは、本やCDがかかってくるとどうしてあんなに「元気」だったのだろう。阪奈道路を使った方が、確かにラクではあったのですけどね。あの道はクルマが多くて、怖かったんですわ。
xn--n8jyc2a5d4f.com
大都会大阪の図書館では、イナカ者には信じられないことに、「CDの貸出」がフツーに行われていた。それも、置いてあるCDの枚数は、尋常なものではなかった。竜宮城だか桃源郷だかに迷い込んでしまったような、そんな世界だった。以来私は19で故郷を離れるまでの間、「自分で買うほどじゃないけどちょっと興味のあるアーティストのCD」の大部分をそこで拝借させてもらうことになるのだけれど、最初にそこに行った時に真っ先に探したのが、あの「マルコ·ポーロ」のCDだったのだ。もしCDが見つかればそこには歌詞カードがついているはずで、そうすれば自分はあの「ジンギスカン」という歌をようやく「自分で」歌えるようになる。ところがあにはからんや、「マルコ·ポーロ」のCDは見つからず、代わりに見つかったのが「ジンギスカン·ベスト」というCDだった。ジンギスカン的な格好をした「ジンギスカン」というグループの人たちが、「ジンギスカン」という歌を歌っている。半信半疑で聞いてみたら、それが「本物」だったのである。サビのコーラスはちゃんと「ジンギスカン」と聞こえたし、女性のボーカリストも二人、しっかりと参加していた。

しかしながらその歌詞カードがよりにもよってドイツ語で、しかも訳詞がついていないことが分かった時には、私の頭は真っ白になってしまった。「洋楽」といえば「英語」だと無意識に決めてかかっていたのだけれど、世界は何と広かったのだろう。それでも若さというのはえらいもので、中学時代の私は同じ図書館で独和辞典を調達し、全部の単語の読み方を調べあげて、何とか「自分で歌える」ところにまでは持ち込んでしまった。けれども歌詞の内容の細かいところまでは、いくら調べても分からなかった。未知の言語と向き合う時にはやっぱり多少は文法的なことを勉強しておかなければ、辞書だけあってもどうにもならないことは多いのである。「走って行った車」という日本語の文字列の「意味」を外国の人が知ろうとした場合、「走って」という動詞の「原形」が「走る」であることを「あらかじめ」知っておかなければ、辞書を引くことさえできない。「走って」などという言葉は、辞書の見出しには載っていないのだ。それと全く同じ理由で「辞書に載っていない言葉」が、ドイツ語の歌詞の中には山ほどあった。中学校の授業の英語にさえまともについて行けていなかった当時の私が、「挫折」したのは致し方のないことだった。

今では上述のごとく、この歌の邦訳を掲載して下さっている他サイトも数多いし、Google翻訳やネット辞書の精度も飛躍的に高まっている。決して自分の力だけで可能になったことではない話だとはいえ、ドイツ語の素養が全くない私にも、そういったいろいろな力を借りることを通して何とか「自分の翻訳」と呼びうるものを完成させることができた。実に30年越しの「宿題」にようやく「決着」をつけることができたことになるわけで、本当に長い前置きになったが、以下にその試訳を掲載させて頂きたい。


Dschinghis Khan

Dschinghis Khan

ドイツ語原詞はこちら


Huu, haa, huu, haa, huu, haa, huu, haa
Huu, haa, huu, haa, huu, haa, huu, haa
Huu haa huu haa, huu haa huu haa


ズィ りってん うむ でぃ ヴェッテ みっ でむ
Sie ritten um die Wette mit dem
シュテッペンウィン
Steppenwind
たうぜん マン (は!ふ!は!)
Tausend Mann (Haa, Huu, Haa)
うん たイネァりっ ゔぉらん
Und einer ritt voran,
でむ ふぉるてん アレ ぶりん
dem folgten alle blind
ジンギス カン (は!ふ!は!)
Dschinghis Khan (Haa, Huu, Haa)
草原の風と競うように駆けていた
千人もの男たち。
Ha, hu, ha...
そしてその先頭を駆けるのはただ一人。
後の者はひたすらそれに従った。
ジンギス·カンだ。
Ha, hu, ha...


でぃ フーフェ いーれ プェルデ
Die Hufe ihrer Pferde
でぃぱいちゅん でん ザン
durchpeitschten den Sand
ズィ とるーげん アングス シュレッケン
Sie trugen Angst und Schrecken
いん いぇーでず ラン
in jedes Land
う どぅぇーだー ブリッツ な ドンナー
Und weder Blitz noch Donner
ひる ズィ あうふ (ふ!は!)
hielt sie auf (Huu, Haa)
かれらの駆る馬の蹄は
砂の中へと分け入り
あらゆる国々に
恐怖と悲鳴をもたらした。
そして稲妻にも雷鳴にも
かれらを止めることはできなかった。


ジン、ジン、ジンギス カン
Dsching, Dsching, Dschinghis Khan
へー ライタ、ほー ロイテ、へー ライタ
He Reiter - Ho Leute - He Reiter
いんまー ゔぇいたー
Immer weiter!
ジン、ジン、ジンギス カン
Dsching, Dsching, Dschinghis Khan
あうふ ブリューデル、ざうふ ブリューデル
Auf Brüder! - Sauft Brüder!
らうふ、ブリューデル、いんまー ゔぇいたー
Rauft Brüder! - Immer wieder!
らす のっ ヴォッカ ほれん (ほほほほ)
Lasst noch Wodka holen (Ho, Ho, Ho, Ho)
でん ヴィル ずぃん モンゴレン (はははは)
Denn wir sind Mongolen (Ha, Ha, Ha, Ha)
うん てる トイフェル
Und der Teufel
くりー トゥン ふりゅー げぬーぐ
kriegt uns früh genug
ジン、ジン、ジンギス カン
ヘイ、騎兵よ。ホー、人民よ。
ヘイ、騎兵よ。その調子だ!
ジン、ジン、ジンギス カン
行け、きょうだい!飲め、きょうだい!
戦え、きょうだい!続けろ!
ウォッカを持ってこい
ほほほほー
我々はモンゴル人だからな
ははははー
そして悪魔は早くも我々を連れてゆく。


ジン、ジン、ジンギス カン
Dsching, Dsching, Dschinghis Khan
へー ライタ、ほー ロイテ、へー ライタ
He Reiter - Ho Leute - He Reiter
いんまー ゔぇいたー
Immer weiter!
ジン、ジン、ジンギス カン
Dsching, Dsching, Dschinghis Khan
へー メンナ、ほー メンナ、たんつ メンナ
He Männer - Ho Männer - Tanzt Männer
ずぉ ゔぃ いんまー
So wie immer!
うん マン ほる てィン らへん (ほほほほ)
Und man hört ihn lachen (Ho, Ho, Ho, Ho)
いんまー らうてぁ らへん (はははは)
Immer lauter lachen (Ha, Ha, Ha, Ha)
うん てル れー てん クルーギん あいねむ ツーク
Und er leert den Krug in einem Zug
ジン、ジン、ジンギス カン
ヘイ、騎兵よ。ホー、人民よ。
ヘイ、騎兵よ。その調子だ!
ジン、ジン、ジンギス カン
ヘイ、ものどもよ。ホー、ものどもよ。
踊れ、ものどもよ。いつものように!
そして人は彼の哄笑を聞く。
ほほほほ。
笑いに笑うその声を聞く。
はははは。
そして彼は盃を一息に飲み干すのだ。


うん じぇーだす ヴェイ、だす イム げふぃーる
Und jedes Weib, das ihm gefiel,
だす な め ズィ いん ゼイン ツェル
das nahm er sich in sein Zelt
(は!ふ!は!)
(Haa, Huu, Haa)
えす ひー でぃ フラウ でぃ イン にっ りった
Es hieß, die Frau, die ihn nicht liebte,
が べす にっ あう でる ヴェル
gab es nicht auf der Welt
(は!ふ!は!)
(Haa, Huu, Haa)
そして気に入った女をすべて
彼は自分のテントに引き込むのだった。
Ha, hu, ha...
彼のことを愛さなかった女は世界中に
一人もいなかったと言われている。
Ha, hu, ha...


エ つぉいて じーべん キンダー
Er zeugte sieben Kinder
いん あいなー ナハト
in einer Nacht
うん とぅーべる ザイネ ファインダ
Und über seine Feinde
は え のー げらは
hat er nur gelacht
で ザイナ クラフト こん
Denn seiner Kraft konnt
かいなー ゔぃーだしゅてぃーん (ふ!は!)
keiner widerstehen (Huu, Haa)
彼は一晩で七人の子どもを作った。
そして自分の敵のことなど
彼は笑うだけだった。
彼の力にあらがえる者など
どこにもいなかったから。


ジン、ジン、ジンギス カン
Dsching, Dsching, Dschinghis Khan
へー ライタ、ほー ロイテ、へー ライタ
He Reiter - Ho Leute - He Reiter
いんまー ゔぇいたー
Immer weiter!
ジン、ジン、ジンギス カン
Dsching, Dsching, Dschinghis Khan
あうふ ブリューデル、ざうふ ブリューデル
Auf Brüder! - Sauft Brüder!
らうふ、ブリューデル、いんまー ゔぇいたー
Rauft Brüder! - Immer wieder!
らす のっ ヴォッカ ほれん (ほほほほ)
Lasst noch Wodka holen (Ho, Ho, Ho, Ho)
でん ヴィル ずぃん モンゴレン (はははは)
Denn wir sind Mongolen (Ha, Ha, Ha, Ha)
うん てる トイフェル
Und der Teufel
くりー トゥン ふりゅー げぬーぐ
kriegt uns früh genug
ジン、ジン、ジンギス カン
ヘイ、騎兵よ。ホー、人民よ。
ヘイ、騎兵よ。その調子だ!
ジン、ジン、ジンギス カン
行け、きょうだい!飲め、きょうだい!
戦え、きょうだい!続けろ!
ウォッカを持ってこい
ほほほほー
我々はモンゴル人だからな
ははははー
そして悪魔は早くも我々を連れてゆく。


ジン、ジン、ジンギス カン
Dsching, Dsching, Dschinghis Khan
へー ライタ、ほー ロイテ、へー ライタ
He Reiter - Ho Leute - He Reiter
いんまー ゔぇいたー
Immer weiter!
ジン、ジン、ジンギス カン
Dsching, Dsching, Dschinghis Khan
へー メンナ、ほー メンナ、たんつ メンナ
He Männer - Ho Männer - Tanzt Männer
ずぉ ゔぃ いんまー
So wie immer!
うん マン ほる てィン らへん (ほほほほ)
Und man hört ihn lachen (Ho, Ho, Ho, Ho)
いんまー らうてぁ らへん (はははは)
Immer lauter lachen (Ha, Ha, Ha, Ha)
うん てル れー てん クルーギん あいねむ ツーク
Und er leert den Krug in einem Zug
ジン、ジン、ジンギス カン
ヘイ、騎兵よ。ホー、人民よ。
ヘイ、騎兵よ。その調子だ!
ジン、ジン、ジンギス カン
ヘイ、ものどもよ。ホー、ものどもよ。
踊れ、ものどもよ。いつものように!
そして人は彼の哄笑を聞く。
ほほほほ。
笑いに笑うその声を聞く。
はははは。
そして彼は盃を一息に飲み干すのだ。



「blind」という言葉は「視覚障害者」に対する差別語です。ここでは原文をそのまま転載しました。

  • 英語以外の言語で書かれた歌詞を翻訳する際には「ふりがな」をつけることが一応このブログのポリシーになっているのだけれど、「ふりかた」は「私自身の歌いやすさ」を最優先に考えた相当に恣意的なものになっていることを付記しておかねばならないと思う。なぜひらがなとカタカナが混じっているのかといえば、その方が「読みやすい」気がするからである。自分の母語で書かれた文章であったとしても、ひらがなだけで書かれた文章というのはものすごく読みにくいし、カタカナだけになるともっと読みにくい。「きつねがはしる、ぶたがとぶ」みたいな文字列をボンと突きつけられるよりも、「キツネがはしる、ブタがとぶ」みたいな「書き分け方」をしてあった方が、「考える時間」は間違いなく少なくて済むというものだ。そうした見地から、基本的にヨーロッパの言語にふりがなを振る際には、名詞をカタカナで、それ以外の部分をひらがなで表記することを心がけている。その方が、個々の単語を覚える際にも多少なりとも「便利」なのではないかと思う。(なお、中国語などの言語にふりがなを振る際には、「書き分け方」は全く別になっている。ひらがなとカタカナとを最大限に使い分けなければ、表現できない「発音の違い」が余りに多いからである)。
  • そのことの上で、日本のかな文字は日本語以外の言語の発音を書き写すには非常に不完全な文字である。最大の弱点は「子音を書き表せないこと」で、こんな「表音文字」は他にひとつも知らない。この特徴ゆえに、「子音で終わっている単語」に無理やりフリガナを振った場合、その通りに歌うと「文字が余って」絶対に最後まで歌えない現象が生じてしまう。そのため例えば上の歌詞のフリガナでは「Tausend(千)」を「たうぜんと」ではなく「たうぜん」、「Und(そして)」を「うんと」ではなく「うん」と表記するなど、思い切って語末の子音を切り落とす「工夫」を施してあるのだが、もちろんその結果、発音は極めて不正確なものとなる。どんな外国語であれあらゆる語学関係の本には、「ふりがなに頼って発音を覚えようとするのは王道ではない」ということが書かれているし、本当なら相手の言語で使われている文字を通して発音を覚えるのが一番いいのだと思う。しかし最初からそれができるなら苦労は要らないのである。

...これでようやく終われるかと思ったけれど、このブログの常として、歌詞の内容そのものにも多少は触れておかねばならない。ここまでで2万字越えか。イヤな予感がするなあ。

このジンギスカンという曲およびグループの「仕掛け人」は、直接には「経済学者と音楽プロデューサーのコンビ」だったらしい。その二人が、以前にも触れたことのある全ヨーロッパ規模の紅白歌合戦的なイベント、「ユーロビジョン·ソングコンテスト」で何としても西ドイツの優勝をかちとるべく、当時流行していた音楽の傾向を徹底的に調査·分析した上で、オーディションを実施して一大プロジェクトとして世に送り出したのが、「ジンギスカン」の始まりだったのだという。そこだけ聞くと、何だかとっても「うさんくさい話」なのである。

音楽、とりわけ大衆音楽というものは、やっぱり若くて無名で貧しい若者が溢れる夢と信念だけをエネルギーに書き上げて世に問うものであってほしいと思うのが人情だったりするわけで、最初から「こうすれば売れる」みたいな「戦略」や「方法論」で作り上げられた音楽などというものは、それだけで何か「不純」なものなのではないかという感じがしてしまう。しかもモンゴルという遠い国からヨーロッパ人にとっての「エキゾチックなイメージ」を借りてきてそれを勝負に使おうとするあたり、オリエンタリズムで商売をしている気配がふんぷんと漂ってきて、非常にいけすかない。

実際にこのグループは、「ジンギスカン」を皮切りにロシア、中近東、スペイン、中国、インカ帝国、サハラ砂漠、イスラエル(←これがまたいけすかない)等々、世界の様々な国や地域を舞台とした「エキゾチックな楽曲」を次々と発表してゆくのだが、その中で明らかに日本をネタにしている「サムライ」という曲などは、我々が聞いた感じ、全然「日本的」ではない。むしろこのイメージは「中国的」なのではないかと思ってしまうのだが、中国人の友だちに聞かせてみたらそれはそれでやっぱり「こんなの全然中国じゃない」と言われてしまうのではないかという気がする。何しろ「外国に対するステレオタイプなイメージ」の土台の上にできあがっている「芸術作品」みたいなものは、それがどんなものであれ絶対に百害あって一理もないのである。「ジンギスカン」に関してもそれを作るにあたって、実際にモンゴルの人が聞いたらどう思うかを確かめた経緯が一度でもあったのか、私はどうしても気になってしまう。今となっては、の話なのだけど。


Dschinghis Khan SAMURAI

もっともドイツの人々の祖先は、ジンギスカンの息子にあたるオゴデイ·カアンの時代にモンゴル帝国の侵略を受けて民族皆殺しの恐怖にさらされた歴史を実際に持っているそうなので、そのあたりは割り引いて考えなければならないかなという感じもする。モンゴルってそんなところまで行ってたのかと私も調べてみて驚いたのだが、史実としては当時のモンゴル軍は南ロシアの全域を勢力下に収めた後、ポーランドを一気に突き抜けて、当時のヨーロッパの首都ともいうべき街だったウイーンの直近にまで迫っていたらしい。ポーランドとドイツの連合軍はモンゴルの騎兵部隊には全く刃が立たず、ウイーン陥落は時間の問題かと思われたが、ちょうどその時に皇帝のオゴデイが死去したという報せが届いたため、モンゴル軍は自分から引き揚げてしまったのだという。この「僥倖」がなければ当時のヨーロッパ世界はそれこそ大西洋岸の端に至るまでモンゴル軍の蹄の下に踏みにじられていたに違いない、といった論評を、今でもいろんなところで目にする。それだけ恐ろしい目に遭わされたのだとすれば、そのモンゴル軍の描写をこの歌のような感じで済ませられるのは、むしろ心の広いことではないかといった感じも、しないではない。
fusigi.jp
ここでどうしてもジンギスカン、当時のモンゴル語の発音でチンギス·カンという人物その人についても触れておく必要があると思われるのだが、「世界史上最大の帝国を作りあげた英雄」みたいな描かれ方をされることはあるにせよ、これだけ血塗られたイメージに彩られた歴史上の人物というのも、そうはいない。モンゴル高原の諸部族を「統一」する過程で異母弟は殺す。親友は殺す。中央アジアへの遠征を開始して以降は、抵抗する気配を見せた街の住民は必ず皆殺しにする。敵将が裏切って内通してきたりしたら、相手の国を滅亡させるために利用できるだけ利用した上で、「余は裏切り者は信用しない」と言ってやはり殺す。極めつけは、Wikipediaにも紹介されている以下のエピソードだろう。

ある日、チンギス・カンは重臣の一人であるボオルチュ・ノヤンに「男として最大の快楽は何か」と問いかけた。ノヤンは「春の日、逞しい馬に跨り、手に鷹を据えて野原に赴き、鷹が飛鳥に一撃を加えるのを見ることであります」と答えた。チンギスが他の将軍のボロウルにも同じことを問うと、ボロウルも同じことを答えた。するとチンギスは「違う」と言い、「男たる者の最大の快楽は敵を撃滅し、これをまっしぐらに駆逐し、その所有する財物を奪い、その親しい人々が嘆き悲しむのを眺め、その馬に跨り、その敵の妻と娘を犯すことにある」と答えた。(モンゴル帝国史)

…自分が殺した相手の身内が嘆き悲しむさまを見るのが「楽しい」と言える人間、と言うか思える人間というのは、さすがになかなかいないのではないかと思う。おそらくは戦争というものがこういう人間を「作って」しまうのだと思うが、それに支配される側の立場になってみれば、本当にたまったものではない。反面、この人は「身内のモンゴル人」に対してはとても「寛容」で「やさしい」人物だったと伝えられているが、そんなのはどんなに悪逆非道なヤクザの親分でも大抵は兼ね備えている特質なのであって、その身内にゼイタクをさせてやりたいという「無邪気な」願望から平気で人のものを奪い取って分け与えるというやり方で、この手の人物は「人気」をつけていくのである。そしてそういう目で見てみれば、その手の人物は今の日本の実業界みたいなところにもゴロゴロしていることに簡単に気づく。世界が不幸にしていまだ「統一」されていない現在、日本も世界もこれから新たな「乱世」に突入してゆかざるを得ないであろうことを私はある意味、覚悟しているのだけれど、とにかくこういうタイプの「英雄」を再び世界史の舞台に登場させるような事態だけは、命をかけても阻止してゆかねばならないとマジで思う。

なお、「ジンギスカン」という呼称について。これは彼の軍隊によって蹂躙されたアラビア語世界での呼ばれ方がヨーロッパに伝わった発音になっているのだそうで、戦前の日本でも同じ呼び方が使われていた。(このあたり、アジアに関することを隣人に直接確かめることもせず、ヨーロッパ経由の情報を平気で「自分の見解」にしてしまう「脱亜入欧」意識が強く感じられ、私は気分がよくない)。だから「ジンギスカン鍋」という「日本発祥の料理」には今でも「ジンギスカン」という言葉が使われているわけなのだが、そこらへんの話にまで行くとさすがに収拾がつかなくなるので、詳しく知りたい方はこんなブログではなく肉料理系のサイトを参照されたい。戦後の日本においては原語に忠実な呼び方をという観点から「チンギス·ハーン」という表記が広く採用されており、私の時代の教科書でもそう書かれていたのだが、最近の研究によると当時のモンゴルにおける発音は「チンギス·カン」だったらしいことが分かっており、現在ではこの表記が「主流」になりつつあるらしい。とWikipediaには書いてあった。このブログは一応、「アレサ·フランクリン」と呼ばれている人の名前も「アリーサ」と表記しなければ気が済まないぐらいに「細かい」ことを信条にしているので、これからも「ドイツのバンド名」とは別にこの歴史上の人物のことを取りあげる機会があれば、その時には「チンギス·カン」表記を使ってゆくことにしたいと思う。多分、もうないと思うのだけど。

モンゴル政府宮殿のチンギス·カン座像

いずれにしてもチンギス·カンがそういう人物だったということを考え合わせた時、「彼のことを愛さなかった女は世界中に一人もいなかった」みたいなのは余りにも女性の人たちをナメた歌詞だと思う。むしろ舌噛んで死ぬほど憎んだ人の方が、絶対多かったに違いない。あと、「ウォッカを持ってこい」みたいな歌詞も、やっぱりおかしい。遊牧民というのは基本的に穀物と無縁な生活を送っている人たちなので、当時のモンゴル兵たちが飲んでいたのはもっぱら「馬乳酒」だったと言われている。とはいえ、あえて「突っ込む」必要があるように思われるのはそれぐらいなのではないかと思う。

そうしたモンゴル帝国に対する邪悪なイメージの一方で、例えばYouTubeのこの曲の動画にフィンランドの男性が「おっ、おれの先祖の歌!」みたいなコメントをつけているのを見つけた時には、妙に「新鮮」な気持ちにさせられた。ヨーロッパ世界においても、現在のフィンランドとハンガリーに暮らしている人々の祖先は、「アジアの遊牧民」だったということが語り伝えられている。その地で話されている言語も、英語やロシア語よりはむしろモンゴル語や日本語に近い特徴を持っているのだそうで、そういった国々の人々が「ジンギスカン」という名前に寄せる思いは、我々の想像を越えて深いものがあるのかもしれない。そういえば「ジンギスカン」の右から二番目で歌っているエディナ·ポップという人は、ハンガリーのご出身なのだそうである。

いずれにせよ、「血」などというものはさっさと混じりあって「ひとつ」になってしまうに如くことはない。私は本気で、心から、そう思っている。それまでにこれからの世界史がどれくらいの時間を必要とするかは、誰にも予測できないことであるにしても、それを早める努力ぐらいは、して行きたいものだと思っている。

きひみけへめハマめさんのウェブサイトによるならば、「ジンギスカン」はモンゴルの建国800年にあたる2006年、ウランバートルで2時間にわたるコンサートを実現させたらしい。けっこうな人が集まって盛り上がりを見せたのだそうで、そうやってモンゴルの人たち自身にも「受け入れられて」いることが確認できた以上、私が「成り代わって」あれこれ言う必要はどこにもないように思う。





ところで。





このダラダラした記事はそろそろ終わりにしたいし、させるべきだとも思うのだが、どうしても気になってしまうのは、私が最初に手にしたレコードに名前がクレジットされていた「マルコ·ポーロ」というのは一体「何者」だったのだろうという問題なのである。そしてこの問題に関してばかりは、これだけネットが発達した現在においてもやはり「謎」であるとしか、今の時点では言いようがない。きひみさんのサイトをはじめ「ジンギスカン」関連のサイトは山ほどあるにも関わらず、「マルコ·ポーロ」の正体に関してはどこを見ても「謎」だとしか書かれていないのだ。しかし「謎」だと書かれている分まだ日本語のネット世界は「情報が豊富」なのであって、英語やドイツ語で検索しても「Marco Polo」というグループ名はヒットさえしないのである。こんなパターンはマイケル·フォーチュナティさん以来なのではないかと思う。ハッキリしていると思われるのは、「マルコ·ポーロ」もまた「ジンギスカン」と同様に「西ドイツのグループ」だったらしいということであり、ドイツ語圏だけにとどまらず幅広い市場受けを狙って最初に「英語版」を発表したのがこのグループだったらしい、ということだけである。しかしそれもやはり日本語のウェブサイトでしか確認できない情報なので、本当はどうだったのかは分かったものではないし、例の「経済学者と音楽プロデューサー」のコンビがどう「噛んで」いたのかということも推測できる手がかりがない。多分「日本でしか」売れなかったグループだったのだろうな。それにつけても、せめてこの人たちが歌っている動画の一本ぐらいは残されていないのだろうかと思ってしまう21世紀の黄昏である。期待はしないけど何か新しい情報を見つけたという方がいらっしゃったら、ぜひご一報ください。

...またやっちまったよ。3万字越え。とにかく、できることならもう少し簡潔な記事を書けるように心がけて行きたい。もう成人式だけど、とりあえずはそれを2019年の抱負にしようと思う。最後に、この曲について語る際にはモーニング娘とBerryz工房の動画を必ず貼りつけることが日本語世界における「伝統しぐさ」に最近ではなっているそうなので、私も一応それには従っておくことにしたい。


モーニング娘。恋のダンスサイト


Berryz工房 ジンギスカン

...それと、私自身のこだわりとして、レニングラード·カウボーイズが歌っているバージョンの動画も、どうしても貼りつけておきたい。ではまたいずれ。言っときますけどちなみに次回もジンギスカンの曲です。


レニグラ ジンギスカン


=楽曲データ=
Released: 1979.
Key: C