華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Hadschi Halef Omar もしくはハッチ大作戦 (1980. Dschinghis Khan) ※


ハッチ大作戦

Hadschi Halef Omar

ドイツ語原詞はこちら


ズィ つぉーげん でゅる だす ゔぃるで クルディスタン
Sie zogen durch das wilde Kurdistan,
ツヴァイ でぃー でむ トッ
Zwei, die dem Tod
ちぇん おふ てぃん アゥゲ ざん
schon oft ins Auge sah'n.
ズィ りってん ザイテ あん ザイテ
Sie ritten Seite an Seite,
ゔぁーれん フロインデ ふゅす リェーベン
waren Freunde für's Leben.
ハッジ いす でぁ くらいねぁ マン
Hadschi hieß der kleine Mann.
ざいん ヘル ゔぁ カラ ベン ネムジ
Sein Herr war Kara Ben Nemsi.
ざいん テュルバン
Sein Turban,
でぁ ゔぁ ふぃる つ ぐろす ふゅ イン
der war viel zu groß für ihn,
ざいん プフェア ざー あう
Sein Pferd sah aus,
さる こんて す かうむ のっ ぎん
als könnte es kaum noch gehn.
どっ ヴェ ね けむぷ てぃす
Doch wenn er kämpfte ist
アレン しゅねる だ ラヘン ふぇーがんげん
allen schnell das Lachen vergangen.
でん ねぁ ゔぁる あいん マン
Denn er war ein Mann,
あいん マン、あいん マン、あいん マン
ein Mann, ein Mann, ein Mann.
クルディスタンの荒野を行くかれら。
常に死を目の当たりにしてきた二人だ。
馬を並べて進む二人は
生涯の親友同士だった。
ハッジは小男だった。
そのあるじはカラ·ベン·ネムジ。
かれの巻くターバンは
その身体には大きすぎたし
かれの乗る馬は
歩くのがやっとみたいに見えた。
けれどもひとたびかれが戦うと
誰もが笑うのをやめた。
なぜならかれはオトコだったから。
オトコだったから。
オトコだったから!

は は は、ハッジ ハリフ オーマル
Hahaha, Hadschi Halef Omar,
は は は、ハッジ ハリフ オマル ビン
Hahaha, Hadschi Halef Omar Ben..
は は は、ハッジ アブル アッバス イブン
Hahaha, Hadschi Abul Abbas Ibn
ハッジ ダヴド アル ゴサラ は は は
Hadschi Dawud al Gossarah hahaha
巡、巡、巡
巡礼者ハリフ·オマル
巡、巡、巡
巡礼者ハリフ·オマルすなわち
巡、巡、巡
巡礼者であるアッバスの父の子かつ
ゴサラの巡礼者ダヴドの孫
は、は、は!

へい ハッジ、ほー ハッジ
Hey Hadschi, hoh Hadschi
ハッジ ハリフ オーマル
Hadschi Halef Omar
へい ハッジ、ほー ハッジ
Hey Hadschi, hoh Hadschi
ハッジ ハリフ オマル ビン
Hadschi Halef Omar Ben
へい ハッジ、ほー ハッジ
Hey Hadschi, hoh Hadschi
ハッジ アブル アッバス イブン
Hadschi Abul Abbas Ibn
ハッジ ダヴド アル ゴサラ
Hadschi Dawud al Gossarah
は は は は は は は
hahaha hahahaha
ヘイ、巡礼者よ。ホー、巡礼者よ。
巡礼者ハリフ·オマル
ヘイ、巡礼者よ。ホー、巡礼者よ。
巡礼者ハリフ·オマルすなわち
巡礼者であるアッバスの父の子かつ
ゴサラの巡礼者ダヴドの孫
は、は、は、 は、は、は、は、

うん ゔぇん にゃ コプ しょん いん で
Und wenn ihr Kopf schon in der
シュリンゲ ひん
Schlinge hing,
だん どれって ハッジ しぇねる
Dann drehte Hadschi schnell
あいん とれす ディン
ein tolles Ding.
うん タレ らげ なむ ボーデン
Und alle lagen am Boden,
えぁ すたん らふぇん だねーべん
er stand lachend daneben.
ざいん プロフェッ ゔぁる モハンメ
Sein Prophet war Mohammed,
うん タラ は ティム げほるふぇん
Und Allah hat ihm geholfen.
エァ しゅわん でん ゼーベル ゔぃ
Er schwang den Säbel wie
あいん ヴュシュテンゾン
ein Wüstensohn,
エァ りっ でむ トイフェル
Er ritt dem Teufel
うん でむ ヴィン ダフォン
und dem Wind davon.
でぃ ジーンズフ とらい びん ほらん でる
Die Sehnsucht trieb ihn voran der
ぐろっぜん フライハイ てんぎーげん
großen Freiheit entgegen.
やー エァ ゔぁる あいん マン
Ja er war ein Mann,
あいん マン、あいん マン、あいん マン
ein Mann, ein Mann, ein Mann.
もしも自分の頭が
首吊り縄に突っ込まれていたとしても
その巡礼者は次の瞬間には
ものすごい技を見せるのだった。
敵は全員地面に転がり
かれはその脇に立って
ただ笑っているのだった。
彼の信じる預言者はムハンマドで
かれにはアラーの神がついていた。
砂漠の民らしく
かれはサーベルをふるい
風よりも悪魔よりも速く
その馬を走らせた。
かれを突き動かすのは
偉大な自由への渇望。
その通り。
かれはオトコだったのだ。
オトコだったのだ。
オトコだったのだ!

は は は、ハッジ ハリフ オーマル
Hahaha, Hadschi Halef Omar,
は は は、ハッジ ハリフ オマル ビン
Hahaha, Hadschi Halef Omar Ben..
は は は、ハッジ アブル アッバス イブン
Hahaha, Hadschi Abul Abbas Ibn
ハッジ ダヴド アル ゴサラ は は は
Hadschi Dawud al Gossarah hahaha
巡、巡、巡
巡礼者ハリフ·オマル
巡、巡、巡
巡礼者ハリフ·オマルすなわち
巡、巡、巡
巡礼者であるアッバスの父の子かつ
ゴサラの巡礼者ダヴドの孫
は、は、は!

へい ハッジ、ほー ハッジ
Hey Hadschi, hoh Hadschi
ハッジ ハリフ オーマル
Hadschi Halef Omar
へい ハッジ、ほー ハッジ
Hey Hadschi, hoh Hadschi
ハッジ ハリフ オマル ビン
Hadschi Halef Omar Ben
へい ハッジ、ほー ハッジ
Hey Hadschi, hoh Hadschi
ハッジ アブル アッバス イブン
Hadschi Abul Abbas Ibn
ハッジ ダヴド アル ゴサラ
Hadschi Dawud al Gossarah
は は は は は は は
hahaha hahahaha
ヘイ、巡礼者よ。ホー、巡礼者よ。
巡礼者ハリフ·オマル
ヘイ、巡礼者よ。ホー、巡礼者よ。
巡礼者ハリフ·オマルすなわち
巡礼者であるアッバスの父の子かつ
ゴサラの巡礼者ダヴドの孫
は、は、は、 は、は、は、は、

でゅる だす タル です トーデス
Durch das Tal des Todes
うん ふぉん バグダッ な シュタンブール
und von Bagdad nach Stambul.
いむ ゾーネンシャイン
(Im Sonnenschein)
つぉーげん ずぃー だーいん
zogen sie dahin,
でむ アーベントィア あう でぁ シュプール
dem Abenteuer auf der Spur
エァ うん ざいん フレウント
(Er und sein Freund)
でゅる でぃ かるてん シュテーネンナハト
Durch die kalten Sternennächte
うん でん はいぜん ザン
und den heißen Sand
ズィ ゔぁーれん ふらい
(Sie waren frei)
りってん ズィ うん しょん
Ritten sie und schon
ふぉん ゔぁいてむ はっ まん いん えぁかん
von weitem hat man ihn erkannt.
しゃお、だぁ こむ
Schau, da kommt
ハッジ ハリフ オマル ビン
Hadschi Halef Omar Ben
ハッジ アブル アッバス イブン
Hadschi Abul Abbas Ibn
ハッジ ダヴド アル ゴサラ はーは、はーは
Hadschi Dawud al Gossarah haha, haha
ハッジ ハリフ オマル ビン
Hadschi Halef Omar Ben
ハッジ アブル アッバス イブン
Hadschi Abul Abbas Ibn
ハッジ ダヴド アル ゴサラ はーは
Hadschi Dawud al Gossarah haha...
死の谷を抜け
バグダッドからイスタンブールへ

(太陽の光の中を)
行く手に冒険を求め
かれらは進むのだった

(かれとその親友は)
星明かりの凍てつく夜を抜け
灼けた砂の上を抜け

(ふたりは自由だった)
馬を駆るふたり
そして既にそのとき遠くから
かれの姿をみとめた者がいた。

見ろ、来るぞ!
巡礼者ハリフ·オマルすなわち
巡礼者であるアッバスの父の子かつ
ゴサラの巡礼者ダヴドの孫
あーは、あー...

巡礼者ハリフ·オマルすなわち
巡礼者であるアッバスの父の子かつ
ゴサラの巡礼者ダヴドの孫
あーは...

は は は、ハッジ ハリフ オーマル
Hahaha, Hadschi Halef Omar,
は は は、ハッジ ハリフ オマル ビン
Hahaha, Hadschi Halef Omar Ben..
は は は、ハッジ アブル アッバス イブン
Hahaha, Hadschi Abul Abbas Ibn
ハッジ ダヴド アル ゴサラ は は は
Hadschi Dawud al Gossarah hahaha
巡、巡、巡
巡礼者ハリフ·オマル
巡、巡、巡
巡礼者ハリフ·オマルすなわち
巡、巡、巡
巡礼者であるアッバスの父の子かつ
ゴサラの巡礼者ダヴドの孫
は、は、は!

へい ハッジ、ほー ハッジ
Hey Hadschi, hoh Hadschi
ハッジ ハリフ オーマル
Hadschi Halef Omar
へい ハッジ、ほー ハッジ
Hey Hadschi, hoh Hadschi
ハッジ ハリフ オマル ビン
Hadschi Halef Omar Ben
へい ハッジ、ほー ハッジ
Hey Hadschi, hoh Hadschi
ハッジ アブル アッバス イブン
Hadschi Abul Abbas Ibn
ハッジ ダヴド アル ゴサラ
Hadschi Dawud al Gossarah
は は は は は は は
hahaha hahahaha
ヘイ、巡礼者よ。ホー、巡礼者よ。
巡礼者ハリフ·オマル
ヘイ、巡礼者よ。ホー、巡礼者よ。
巡礼者ハリフ·オマルすなわち
巡礼者であるアッバスの父の子かつ
ゴサラの巡礼者ダヴドの孫
は、は、は、 は、は、は、は、
は、は、は、は、は!



前回の記事があまりに長々しくなってしまったことの反省から、今回は歌詞と試訳を冒頭に持ってくることにした。この曲に関する思い出と思い入れも「ジンギスカン」に負けないぐらいあるのだが、心をオニにして「余計な話」はカットしてゆくことにしたい。このブログのテーマはアクマでも「うたを翻訳すること」なのである。

この曲との出会いも「ジンギスカン」と同じく、「ひらけ!ポンキッキ」を通じてのことだったのだが、細かい経過は割愛する。動画も見つからなかったし。

それが10余年の時を経て大阪の図書館で見つけたCDから、「ジンギスカン」と同じ人たちの歌っていた歌だったことを知り、失われた古代の謎を掘り当てた考古学者のような興奮を私は味わうことになったのだが、これも前回のエピソードとカブってる話なので、やはり割愛する。

さらに数年後、少年サンデー増刊号で連載されていた「キャットルーキー」という野球マンガに、「ハッチ·ボーンズ」という名前の助っ人外人選手が登場し、活躍するさまを描いた「ハッチ大作戦」と題するエピソードがあって、胸を熱くした記憶もあるのだが、トビラ絵の画像を貼りつけさせてもらうにとどめる。



この歌の伴奏に流れる「ぱかぽん!」という音が私は子どもの頃から大好きだったし、太古の呪文のような妖しい響きをたたえたコーラスには無性に興奮させられた。「あーは!あーは!」と「唱える」だけでこんなに気持ちが昂ぶってくるような歌というのは、今も昔も他にひとつも知らない。だから「ジンギスカン」と同様に、私の思い出の中ではずっと特別な位置を占め続けているのがこの曲なのである。

なので今回、歌詞の内容についていろいろ調べてみた結果、これからいろんな悪口を書かなければならないことになってしまったことが、私はとてもつらい。

まず、誰なのだ。この歌に「ハッチ大作戦」などとゆうデタラメな邦題をつけたのは。

この歌には「ハッチ」も「大作戦」も出てこない。

歌詞の中には確かに「ハッチ」と聞こえる言葉が何度も出てくるけれど、ドイツ語だからそう聞こえてしまう面はあるとして、単語としてはあれは「ハッジ」なのである。「ハッジ」というのはイスラーム(「イスラム教」)において「聖地メッカへの巡礼の経験者」に与えられる「尊称」であり、「呼びかけ」に使われることのある言葉ではあっても「人名」ではない。試訳の中では「巡礼者」と訳したけれど、語感としてはむしろ「先生」や「先輩」に近いような言葉なのだ。原題の「ハッジ·ハリフ·オマル」は確かにアラブ世界では「ありうる名前」ではあるものの、その意味するところは「すべてのムスリムが一生に一度は果たすべき義務であるとされているところのメッカへの巡礼を既に果たした人である尊敬すべきハリフ·オマルさん」ということなのであって、決して「ハッチ」などという親にはぐれたミツバチみたいな名前の人のことが歌われているわけではないのである。



そういえば「みつばちマーヤ」というアニメもあったなあ、と一瞬私は感傷に浸りかけてしまったのだけど、浸ってる場合ではない。がしがし行かせてもらう。

それならば「ジンギスカン」と同様にマルコポーロという謎のグループがこの曲をカバーした時、つけられていた冴えない邦題「勇者オマール」の方がむしろ「正確な邦題」だったのだろうかとも思ったのだったが、話はそれほど単純ではない。(「マルコポーロ」についてはいちいち説明することはもうしないので、知りたい人はリンク先の前回の記事と併せて読んでほしい)



というのは、アラブ世界にはもともと昔から「姓名」の「姓」にあたる概念が存在しない。その代わりに「自分の名前」の後に「父親の名前」をくっつけることで「出自」を表現するという仕組みになっている。だから「サッダーム·フセイン」という人がいた場合、その意味するところは「フセインの息子のサッダーム」ということなのであって、「フセイン」というのは飽くまで「父親の名前」なのである。それにも関わらずイラク戦争の頃に至るまで「フセイン大統領」という言葉を平気で使っていた日本のマスコミはどれだけデタラメだったのだろうと今さらながら思うのだが、この歌に関しても話は同じなのだ。「オマル」というのは「主人公の父親の名前」なのであって、言うならば「勇者ハリフ」と言わなければ、この歌のタイトルとしては極めておかしな話になる。

いずれにしてもこうした事例は、20世紀の日本のマジョリティがアラブ世界の文化についていかに何も知らなかったか、そして知ろうともしてこなかったかという事実を端的に物語っているわけで、それが「間違い」だったことが明らかになった以上は、直ちに改められなければならない性質のことだと私は思う。私だって今回の記事を書くために調べてみるまで何も知らなかったわけだが、知った以上はそれを踏まえて「ちゃんと」アラブの人たちと向き合って行かねばならないと感じている。しかし、ネットを通じて外国の情報がこれだけ簡単に伝わってくるようになった現在でも、頑なに「旧来の慣習」を改めようとしないマスコミやレコード会社の姿勢というのは、何なのだろう。「日本におけるアラブ人の名前の呼び方」は「日本文化」の一環だとでも思っているのだろうか。だとしたら、こんなにふざけた話はないと思う。とまれ、歌詞の話に戻ろう。

ハッジ ハリフ オマル ビン
ハッジ アブル アッバス イブン
ハッジ ダヴド アル ゴサラ

この長い印象的なフレーズは、ハリフ·オマルさんの「本名」である。全体がひとつの「人名」になっているのが、昔の私が「太古の呪文」のようだと感じたこのコーラスなのである。

赤字で示した「ビン」「イブン」という単語は、アラビア語で「〜の息子」を意味する言葉だ。従って(ハッジである)ハリフ·オマルという人は(同じくハッジである)アブル·アッバスという人の息子であり、かつそのアブル·アッバスという人は(同じくハッジである)ダヴド·アル·ゴサラという人の息子である、という膨大な「情報」が、このフレーズには詰め込まれていることになる。具体的には「三世代」「三人」の名前がここには並んでいるわけであり、アラブの人たちは通常このように、「三世代の名前」を挙げることをもって自らの正式な「名乗り」としているらしい。
(ただ、場合によってはもっと世代を遡って沢山の名前を挙げるケースもあるらしく、特に王族などではその「長々しさ」が顕著である。また「ビン」の後に来るのは通常は「父親の名前」だが、「数世代前の有力者」が来ることもあるらしい。「ウッサーマ·ビン·ラーディン」がその例で、この場合は「ラーディンの息子」ではなく、むしろ「ラーディンの血を引く者」というニュアンスで使われている。だから「ビン·ラーディン氏」という日本語表記が成立するわけだが、「ラーディン」は「名字」ではなく飽くまで「名前」だし、「ビン·ラーディン」もやはり「姓」とはイコールではない)。

さらに紫色で示した「アル」の後には、自らの属する出身氏族の名前や、または家系にゆかりのある地名が来ることになっているらしい。ハリフ·オマルさんの祖父はゴサラという氏族、あるいは地域出身のダヴドという人だった、ということである。

そして青字で示した「アブ(ル)」という言葉は、「〜の父親」という意味を持っている。「アブル·アッバス」は「アッバスの父親」ということなのだ。だからハリフ·オマルさんの父親は「アッバスの父親」だったということになる。

...と、ここまで書いたところで、私はちょっと、わけがわからなくなってしまった。一応上記のことは、全部「ちゃんと」調べた上で書いていることなので、間違いはないはずなのである。しかし「ハリフ·オマルの父親」がどうして「アッバスの父親」になってしまうのだろう。アッバスというのはハリフさんのきょうだいなのだろうか。

それを言うならそもそもは「ハリフ·オマル」の「オマル」自体が、「ハリフさんの父親」の名前だったはずなのである。そのオマルさんのことをもう一度「アッバスさんの父親」であると「言い直す」ことには、果たしてどんな理由があるというのだろうか。

こんがらがった私はかなりマジになっていろいろ調べ直してみたのだったが、次第に「真面目に考えることに意味があるのだろうか」という気持ちの方が強くなってきてしまった。というのはこの「ハッジ·ハリフ·オマル」という「架空のキャラクター」それ自体が、果たして「真面目に」考えられた上で作られたものだったのかどうかということが、疑わしくなってきたからである。

ハッジ·ハリフ·オマルという人物はそもそも「何者」だったのか。

私は最初、この歌の最初に「クルディスタン」という地名が出てくることから、「ハッチという人」は「クルド人の解放のために戦う英雄」なのではないかといったようなイメージを勝手に重ね合わせ、漠然と憧れたりしていた。だが全然そういう話では、なかったらしい。



今回調べてみて分かったのは、ハッジ·ハリフ·オマルというのはカール·マイ(1842〜1912)という人が19世紀後半に書いた冒険小説シリーズの中の、登場人物の名前だったということだった。上の写真の人がカール·マイで、アラブ風の衣装を着ているけれど、ドイツ人である。自分の小説の主人公のコスプレをするのが趣味だったのだそうで、趣味にとどまらず一時期は完全にその主人公に「なりきって」生活していた、個性的な人だったらしい。世界史がいまだ第一次大戦を経験する前の、そう言ってよければ「平和な」時代のヨーロッパを生きた人である。

だがヨーロッパが「平和」だったということは、帝国主義列強がそれこそ「好き勝手に」アジアやアフリカを初めとする地域での植民地支配を「謳歌」していた時代ということでもある。カール·マイの書いた冒険小説はそうした時代を背景に、作者の分身であるドイツ人の主人公が世界を股にかけて「悪者」どもをこらしめて回る、という内容のものだったのだそうで、その波乱万丈の物語に当時のドイツ語圏の子どもたちは夢中になった。アインシュタインもシュバイツァーもヘルマン·ヘッセもみんなカール·マイを読んで大きくなったのだということがWikipediaには書かれていたし、二度の世界大戦を経てもその人気は衰えることを知らず、21世紀になった今でもドイツでは多くの家庭の本棚にカール·マイの著作が並び、ティーンエイジャーの新たなファンを獲得し続けているのだという。

イギリスではシャーロック·ホームズ、フランスでは怪盗ルパン、そして同時代のドイツが生み出した最大のヒーローが、カール·マイの分身たるその冒険小説の主人公たちだった、といったような位置づけになるのだろうな。私は、読んだことがなかったのだけど。

カール·マイの冒険小説の中でもとりわけ有名なのが、19世紀後半当時ゴールドラッシュに湧いていたアメリカ西部を舞台にしたシリーズと、オスマン帝国の支配下にあった中近東を舞台にしたシリーズなのだそうで、このうち「アメリカもの」の主人公の名前が「オールド·シャターハンド」、「中近東もの」の主人公の名前が「カラ·ベン·ネムジ」となっており、どちらも作者の分身である。(カール·マイの冒険小説は、すべて一人称が「私」で書かれているのだとのこと)。そしてこのカラ·ベン·ネムジの「召使であると同時に友人でもある」人物として「中近東もの」に登場するのが、この歌に出てくる「ハッジ·ハリフ·オマル」なのだという。

カール·マイの本はドイツ語圏では何しろ江戸川乱歩の探偵小説なみに読まれているわけだから、ドイツのリスナーにとっては「ハッジ·ハリフ·オマル」という名前が「いきなり」登場しても別に「説明」は要らないわけだ。「ゆけゆけ小林少年」みたいな歌があったら日本人なら別に説明を受けなくても「少年探偵団の歌か」と思えるのと同じような感覚で(...今の若い人も思えるのだろうか)、「ハッジ·ハリフ·オマル」と聞けば即座にカール·マイの物語を連想し、懐かしくなれたり血湧き肉躍る感覚に浸れたりするのが「一般的なドイツ人」の反応になっているのだと思う。知らんのやけど。

それで「ハッジ·ハリフ·オマル」とは果たしてどういったキャラクター性を与えられた人物なのか。「カラ·ベン·ネムジ」についての解説も併せて、以下、Wikipediaの記載を引用したい。

カール・マイは膨大な作品を著したが、その中核をなすものは、遥かな遠い世界を舞台とした波乱万丈の冒険物語である。その舞台は、北アフリカからアラビアにかけての砂漠地帯、メソポタミアの両河地域そしてバルカン半島の山岳地帯にかけての旧オスマン帝国領であったり、北アメリカ西部のインディアンの世界であったり、はたまたメキシコ高原やアンデス山中あるいはアマゾン河流域の熱帯ジャングルであったりする。さらにアジアでは、はるか中国を舞台としたものもある。そして舞台となっている地域それぞれの地理や風土あるいは宗教、民族性、風俗習慣などが、物語の中に実にたくみに織り込まれている。 マイの描く、人々の生活風俗や動植物名あるいは地名や地形は実に緻密なもので、そうした細密描写も物語の魅力のひとつになっている。

たとえばオリエント・シリーズでは、キリスト教文化とイスラム教文化の相違と近似性について、聖書やコーランの引用をまじえて、キリスト教徒であるドイツ人の主人公カラ・ベン・ネムジの口から語られたりしている。さらに旧オスマン帝国領の中近東地域が、19世紀半ばにおいて民族と宗教のるつぼであったことも、物語の中で自然に語られている。このようにごく一般の読者にとっても、知らず知らずのうちに比較文化史的ないし文化人類学的視点に立って興味深く読めるのが、カール・マイ冒険物語の特色といえよう。

とはいえ、その作品の面白さは何と言っても、次から次へと展開されていく物語の変化と奇抜さにある。それはまさに手に汗握るストーリーの面白さで、読者をぐいぐい引っ張っていくものである。そして登場人物についてみると、「世界冒険物語」では、英雄としての主人公は作者の分身として描かれている。 そのため主人公は会話の中では「私」という一人称で表現されているが、地の文ではれっきとした名前を持っている。中近東を舞台とした作品群では、ドイツ人の英雄であり、同時にキリスト教精神の具現者でもあるカラ・ベン・ネムジ(ドイツ出身のカール)として登場している。またアメリカ西部を舞台とした作品群では、ドイツ出身の西部の男オールド・シャターハンドとして現れている。この主人公は万能のスーパーマンで、行く先々の土地の風俗習慣、言語、社会・宗教事情などに通じている。また格闘技、剣術、水泳、潜水、乗馬、射撃の達人で、数多くの武器や小道具を身につけて、あらゆる場所に神出鬼没する。そしてこれらの能力をフルに発揮して、悪党をこらしめ、戦いでは様々な策略や戦術を編み出して味方を勝利に導く。しかし人を殺すことを極度に嫌い、必要やむをえない場合に限って、相手を叩きのめすか、生け捕りにする程度である。そして困っている人、貧しい人には様々な形で援助をするという人情味にもあふれている。

いっぽう脇役として最もポピュラーなのが、西部ものではアパッチ・インディアンの若き酋長ヴィネトゥーであり、中近東ものでは主人公の召使のアラビア人ハジ・ハレフ・オマールである。ヴィネトゥーのほうは第七巻~第九巻の題名にもなっているくらいで、正義と勇気、聡明さを兼ね備えた人物で、高貴な人間性の持ち主である。そのため脇役というよりは、もう一人の主人公と言ったほうがふさわしく、ドイツの青少年のまさにアイドルである。また主人公の召使であると同時に友人でもあるハジ・ハレフ・オマール(ハジはメッカ巡礼経験者に対する称号)は、小柄で忠誠心に篤い敬虔なイスラム教徒である。キリスト教徒の主人カラ・ベン・ネムジを何とかしてイスラム教徒に改宗させようと説得するのだが、その試みは成功しない。とはいえこの人物は適度にずるさを備えた憎めない性格のため、「チビのハレフ」として、読者のアイドルになっている。ジンギスカンの曲「ハッチ大作戦(原題:Hadschi Halef Omar)」のハッチとは、このハジのことである。

日本語版より)

そんでもって下に貼りつけるのは、1965年に西ドイツで公開されたカール·マイの映画化作品「クルディスタンの荒野を抜けて」の、ポスターとスチール写真。長身の人物がカラ·ベン·ネムジで、ターバンを巻いた小柄な人がハッジ·ハリフ·オマルであるらしい。





...場合によっては今回の記事を「ちゃんと」書きあげるためにはカール·マイの著作を何作か読まなければならないかもしれないと当初の私は考えていたのだが、だんだんと「読んでも仕方ないのではないか」という気持ちになりつつある。彼の著作の中でハッジ·ハリフ·オマルというベドウィン(アラブの遊牧民)出身のこのキャラクターに「押しつけられて」いるのは、つまるところ「うっかり八兵衛」の役回りそのものなのだ。

別に「うっかり八兵衛」みたいな人が、いたっていい。小説に出てきたっていい。私はむしろ好きである。しかし里見浩太朗みたいにシュッとしたドイツ人の主人公のもとで「うっかり八兵衛」をやらされている同胞の姿を見て、「うれしい」とか「頑張ってる」とか思えるアラブの人が果たしているだろうか。中近東を舞台にした物語であるにも関わらずである。
その上でこの歌や上記映画の舞台となっている「クルディスタン」は「クルド人の土地」だから「クルディスタン」なのであり、アラブ世界とはまた「別世界」なのだ。そこで「アラブ人のハリフ」が「準主人公」をやっていていいものなのだろうか、という疑問が私にはある。クルドの人々の戦いの歴史や現在についてこのブログで軽々しく扱うことはとてもできないが、詳しく知りたい方は下記のブログを運営されている中川喜与志という方の著作を参照されたい。
blogs.yahoo.co.jp
歌詞にも歌われている通り、ハリフ·オマルという人は「本気を出せばけっこう強い」らしい。しかし与えられた役回りは飽くまでカラ·ベン·ネムジの「引き立て役」であり、かつそのキャラクターは徹底的に「三枚目」である。ドイツ語のWikipediaにはもっといろんなことが書いてあるのだが、いわく「小っちゃい」。いわく「おしゃべり」。いわく「ドジ」。いわく「物欲に弱い」...歌詞に出てくる「ハッジ·ハリフ·オマル·ビン...」というフレーズは、物語の中でおしゃべりな彼氏が事あるごとに誇り高く口にする自分の本名であるそうなのだが、彼氏の気持ちとは裏腹に、その姿は「滑稽」に描かれている。「うっかり八兵衛」が行く先々の街でそこの名物や名所旧跡に関する知識をいくら饒舌に黄門一行の前で喋りあげても、誰にも尊敬してもらえないのと全く同様にである。それは物語を書いている人間自身が初めから彼(ら)のことを「見下して」いるからこそ、どんなに頑張ってもそんな風にしか「描いてもらえない」ことになるわけなのだ。あと、「チビ」を笑い者にするな。と私は「チビ」の一人として強く思う。(ちなみに「うっかり八兵衛」は、黄門一行の中では唯一の「町人代表」でもあった)。

さらに物語のラストにおいて、このハッジ·ハリフ·オマルという人は「キリスト教に改宗する」ことになっているらしい。物語の中では彼の「主人」を改宗させようと繰り返しイスラム教の美点を述べたて、その都度キリスト教の論理で言い負かされてグウの音も出なくなる、といったシーンが「お約束」のごとくに何度も展開された果てにの話である。別にそういう人がいたっていいし、いるだろう。そして逆のパターンも世の中にはいくらでもあるだろう。しかし果たしてこれは「誰にとってのハッピーエンド」なのだろうか。私自身は「神」というものを一度も信じたことのない人間なので、ムスリムの人たちの気持ちを「代弁」できる資格など、もとよりありはしない。しかしそれを「ハッピーエンド」として読まされたムスリムの人が、「自分の全人格を否定された気持ち」になるのは間違いないことなのではないかと思う。その物語の世界の中で自分という人間が「受け入れられる」ためには、「技術」や「能力」だけでなく、ヨーロッパ人のキリスト教徒に「心の全て」を「捧げる」以外にない。そうした「現実」を突きつけられるシーンだと思うからである。(この物語が書かれたのはもとより100年以上も前のことだが、ムスリム移民の子どもたちはヨーロッパの小学校の図書室で「そうした気持ち」を「今」味あわされている)。逆に「ヨーロッパ人のキリスト教徒の読者」にとってみれば、それが自分たちが「異教徒」の「心」までをも最終的に「征服」したシーンとして象徴的に描かれるからこそ、そこに「勝利感」を覚え、「ハッピーエンド」を感じることができるわけなのだ。

つまるところ、ここに描かれたハリフ·オマルという人の人間像は、植民地支配の当事者だった当時の帝国主義列強が、「支配される側の世界」の人々に対して抱いていた「お前たちはこう振る舞え」という「願望」によって、作り出されたものであるにすぎない。その描き方は明らかに、差別的なものだと私は思う。

カラ·ベン·ネムジの「召使であると同時に友人でもある」のが、ハッジ·ハリフ·オマルなのだという。だが「召使であると同時に友人でもある関係」などというものが、果たしてありうるものなのだろうか。「召使い」というのは「召使い」としての「分をわきまえない行動」をとれば必ず「罰」を受ける存在なのであり、その「主人」と「対等」な関係を結べることなど、およそありえない。逆に「主人」が「召使い」に対して何か不当なことをしても、「召使い」の側には「主人」を「罰」する権利はないのであり、あるのは「出て行く自由」ぐらいのものである。(「それさえない」のが奴隷制であり、「それだけはある」のが賃労働制であると、経済学的には見なされている。しかし「決まり」がどうなっていようと、人間には逃げたい時には「逃げる自由」がある)。「主人と召使いの関係」は最初から「対等でないこと」を前提とした関係なのであって、「対等でない関係」を人は「友情」とは言わない。それを「友情」と呼ぶのは欺瞞だろう。

「召使であると同時に友人でもある関係」の「内容」とは、つまるところ「主人」の側が「召使い」に対し、「召使い」としての「分をわきまえて」行動している限りにおいては友人「みたいに」扱ってやっても構わない、というぐらいのものでしかない。そのことを通して「主人」の側は、自らの「寛容さ」や「善良さ」や「人徳」みたいなものを自己確認し、「いい気持ち」に浸ることができる。つまりは100%「主人」の側の自己満足のための「関係」でしかない。そして「友人」という言葉でごまかそうとしているけれど、その関係の本質は飽くまでその相手は自分にとって「召使い」で「なければならない」という点に存在しているのである。

どうして「ただの友人」ではいけないのか、という「問い」をハリフ·オマルがカラ·ベン·ネムジに対して発したならば、その関係は「必ず」終わる。カラ·ベン·ネムジの「寛大さ」は、相手にそれを「問わせないため」の「寛大さ」であるにすぎない。つまるところは「戦略」であり「人を支配する技術」としての「寛大さ」にすぎないのであって、その「やさしさ」には「人間的な要素」さえ存在しない。

相手が「召使い」として「従順に」振る舞う限りにおいては、「人間」として認めてやっても「かまわない」。これは人を差別する人間に「のみ」特有な、差別する相手に対する「まなざし」のありようである。女性のことをそういう目で見ている男性は、数多い。外国人労働者に対する日本人経営者の「まなざし」は、大手マスコミの論調まで含めそのほぼ全てが、そうした内容に貫かれている。(男性であり日本人である私が「客観的」な言葉でこういうことを書くこと自体が無責任なことであり、差別を追認する行為になっていはしないか。という懸念が、一方では常にあるのだが)。この手の人間は「差別されて当然な相手」のことを「人間扱いしてやっている」自分のことを「良心的な人間」であると大抵カン違いしており、実際もっと露骨で暴力的な差別も世の中には溢れているから始末に負えないのだが、他者を「人間扱い」するのに「条件」をつけている時点でそれは完全に差別なのであって、しかも多くの場合はより悪質な差別である。言葉の上では差別をしないような「ふり」をしながら、実際には相手のことを「差別したまま支配し続ける」ための、「戦略」にもとづいた差別がこの「ごほうびとしての人間扱い」であるからだ。

一方にはレイプや虐殺まで含んだ露骨で直接的な差別があり、他方では相手のことを「人間扱い」しているかのように見せかける「戦略的」な差別があり、この「硬軟」を「使い分けた」上に、「人間が人間を支配する社会」の歴史は、支配者たちの手によって長々と維持されてきた。それが最も「ダイナミックに」展開されたのが、帝国主義列強による植民地争奪戦の吹き荒れた19世紀後半の時代だったと言えるだろう。そうした時代を背景に、「支配する側」の帝国主義列強の「文化」の中から、「支配者」たるにふさわしい自分たちの「理想像」として作りあげられたのがカラ·ベン·ネムジという「ヒーロー」のキャラクターだったわけであり、一方で「支配される側」の「理想像」としてかれらが文字通り「勝手に」植民地世界の人々の上に押しつけたのが、ハッジ·ハリフ·オマルというキャラクター像だったと言いうると思う。当時において中近東の大半はいまだオスマン帝国の支配下にあり、植民地化に直接さらされていなかったとはいえ、カール·マイが自分の「夢物語」を重ねたその地域は程なくしてそのまま帝政ドイツによる「3B政策」の舞台となり、第一次大戦を経て以降は戦勝国イギリスとフランスによる「分割」を受けることになった。以前にも触れたごとく、帝国主義諸国によるオリエント世界へのその「まなざし」のありようを「まなざされる側」が公然と批判できるようになったのは、ようやく20世紀後半になってからのことだ。そして「客観的」な言葉を使うことには本当に忸怩たる思いがあるが、「まなざす側」の意識というものはこの21世紀に入っても、実際はほとんど変わっていない。



よその国や地域を侵略し植民地化することで「繁栄」をむさぼってきた帝国主義諸国においては、ほぼどの国においても、その国の人間である主人公が植民地の人々を「家来」にして連れ歩くタイプの「冒険物語」の類型が存在する。18世紀に出版されたイギリスの「ロビンソン·クルーソー」では、南洋の孤島に漂着した白人男性が現地人の少年を「奴隷」にした上で「キリスト教化」の対象にするというモチーフが早くも登場している。(このとき同じく登場しているのが、「命を助けられた現地人の青年が自ら主人公の白人に対し奴隷にしてくれるよう乞い願う」という「話のパターン」なのだが、現実にそんな話があるものかと思う。それにその手の物語では白人の主人公だって何度となく現地の人から「命を助けられる」のだが、「自ら申し出て奴隷になる」ようなことは彼らは絶対にしない)。子どもの頃に読んだ「怪盗ルパン」のシリーズでも、大蛇に襲われた黒人の王子の命をルパンが救い、「相棒」にした上でピラミッドの秘密を探りに行く、みたいな話があったっけ。アメリカでは仮面をつけた白人のガンマンが先住民の「手下」を連れて西部をのし歩く「ローン·レンジャー」という冒険活劇が有名であり、2013年になってもいまだにそれをモチーフにした新しい映画が公開されている。「ポカホンタス」もまた同じ類型の物語である。戦前の日本のマンガの主人公「冒険ダン吉」は、南洋諸島の人々を「蛮公」と呼んだ上で自分の「家来」にしていたし、犬を主人公にした軍隊マンガ「のらくろ」では、探検隊を組んで中国大陸に石油を掘りに行ったのらくろが朝鮮半島出身の犬のことを「同朋」と呼びつつやっぱり「手下」にして、天皇を象徴する朝日に最敬礼させたりしていた。何でそんな話を知っているのかといえばなぜかその本が実家に残っていたからなのだが、いずれにしてもこうした物語に「憧れて」大きくなった「宗主国」の少年たちが、長じてからは直接侵略と植民地支配にその手を染めてゆくに至ったのである。これらの作品群の「罪深さ」は明らかだと思う。

カール·マイという人の書いた本を私は一冊も読んだことがないわけだが、ネット情報からだけでもそうしたステレオタイプな作品群の一類型にすぎないことがこれだけ明らかである以上、あえて「読んでみたい」とは全然思えないし、また「読まなくたって大体わかる」としか思えない。そうした作品を通じてアラブ世界のことを「知ろう」とすることは、アラブの人たちと本当に「友情」を育みたいと思うのであれば、むしろ「ジャマ」にしかならないことだと思う。

「マイの描く、人々の生活風俗や動植物名あるいは地名や地形は実に緻密なもので、そうした細密描写も物語の魅力のひとつになっている」とWikipediaの紹介記事にはある。実際カール·マイという人は「博学」だったのだと思うし、そこには私の知らないことも、間違いなくいろいろ書かれているのだろう。けれどもその「知識」は、その土地や人々のことを丸ごと「自分のもの」にしたいという欲望にもとづいて収集されたものであり、「他者を支配するため」の「知識の体系」に他ならないのだ。そんな「知識」は「虚構」にすぎないと私は思うし、サルトルが「文化人類学は帝国主義者の最後の牙城である」と言ったのはそうした意味においてのことだったのではないかと、今では感じている。

以前このブログでマディ·ウォーターズの「Hoochie Coochie Man」の翻訳記事を書いた際、中近東の踊りである「ベリーダンス」がどうして「フーチー·クーチー·ダンス」と呼ばれるようになり、かつその「フーチー·クーチー」という言葉が「アメリカの黒人文化」を象徴するキーワードになっていったのか、という過程を追いかけてゆく中で、私の突き当たったのがE.サイードによる「オリエンタリズム」批判の著作だった。パレスチナ出身の両親のもとに生まれた文芸評論家だった彼が生涯をかけて批判しようとしたのは、まさにその「他者を支配するための知識の体系」だったと思うし、それを彼氏は「オリエンタリズム」と呼んだのだと私は受け止めている。
nagi1995.hatenablog.com
アラブのことを「知りたい」のであれば、まずはアラブの人たち自身の話を「聞く」べきなのだ。「アラブ人のことはアラブ人にしか分からない」といったようなことは別にサイードも言っていないし、そういった考え方も一方ではやはり批判していたと思う。けれども彼が何よりも批判していたのは、「かれらは自分で自分を代表することができず、だれかに代表してもらわなければならない」という目で東洋世界を見続けてきた西洋世界の「まなざし」のありようであり、かつ自分が他者のことをその他者以上に「正しく理解する能力」を持っていると簡単に思い込めてしまうその「思い上がった態度」こそが問われなければならないというメッセージを、私は彼の著作から受け取った気がしている。その意味でカール·マイの一連の冒険物語に具象化されているような「オリエンタリズムの体系」は、「解体」されてゆかねばならないものだと思う。

いずれにせよ、アラブの人たち自身が聞いてイヤな気持ちにしかなれないような「アラブ人の物語」が、「いい物語」であるわけはないのである。カール·マイの原作が「そういう作品」である以上、それをもとに成立しているこの歌もやはり、同じ批判を免れるものではありえない。

私はこの歌が、大好きだったんだけどな。

あーは。


BEYOND 遥かなる夢に

「既成の冒険物語」というものは多かれ少なかれ、大抵はそんな風に批判され打ち捨てられてゆくべきものでしかないものだということを、今の私は身にしみて痛感している。けれどもその一方で人間は、とりわけ子どもは「冒険物語」がなければ生きて行けない存在なのだということも、同時にカラダで思い知っている面がある。「既成の冒険物語」が軒並み歴史のクズ籠に叩き込まれて然るべき代物にすぎないのだとすれば、これからの時代の人間はどんな「冒険物語」を追いかけて生きてゆけばいいのだろうか。その「対案」をこのブログで提示できないことについては、正直に言って後味の悪い気持ちを感じている。まあ「ミチコオノ日記」とか「」とか「街の葉踏者」とか、今の時代でも素晴らしくてそして新しい物語は次々と生み出されているわけであり、私の身近な世界に関して言うならば、それほど悲観しているわけではないのだけれど。

お茶を濁すようではありますが、「また新しい物語を生きるよ」という歌で今回は締めくくらせてもらうことにしたいと思います。ではまたいずれ。


=楽曲データ=
Released: 1980.
Key: F

キャットルーキー コミック 全26巻完結セット (少年サンデーコミックス)

キャットルーキー コミック 全26巻完結セット (少年サンデーコミックス)

キャットルーキー 13 (少年サンデーコミックス)

キャットルーキー 13 (少年サンデーコミックス)

クルド人とクルディスタン―拒絶される民族

クルド人とクルディスタン―拒絶される民族

オリエンタリズム 上 (平凡社ライブラリー)

オリエンタリズム 上 (平凡社ライブラリー)

オリエンタリズム下 (平凡社ライブラリー)

オリエンタリズム下 (平凡社ライブラリー)