華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Happy Together もしくはトータルバラライカショー、開始 (1967. The Turtles)



私はひょっとしてとんでもない「」にハマってしまいつつあるのかもしれない。ブログ的に、の話である。私個人がどんな音楽を好きになろうと、そんなことは世の中からしてみれば知ったことのない話だろうし、また私の方でもあれこれ言われる筋合いのない話ではあるのだけれど、「うたを翻訳すること」をテーマにしたこのブログは、これからどこに向かってゆくことになるのだろう。2018年の大晦日をもって念願の500曲を達成し、今年はU2の「Joshua Tree」の翻訳を完成させることから始めようと思っていたはずなのに、ちょっとした寄り道から歌の世界が東へ東へと移動し、いつの間にかロシアの大地の真ん中に立たされている自分に気づいてしまった。ここからどうやってアイルランドに戻ればいいというのだろう。

「前置き」は、短い方がいいと思う。フツーにタートルズの歌詞の意味が知りたくて検索でこのページを訪れて下さった皆さんは、冒頭の写真を見て「何だこれは」と思っておられるに違いないはずだと思うが、まずは歌詞の翻訳と注釈をしっかり済ませた上で、私自身のこの歌との出会い、そしてこれから始めて行こうと考えている新たな特集記事の構想について、語らせてもらう形を取ることにしたい。もちろん、どこまでつきあって頂けるかは、読者の皆さんの自由です。


Happy Together

Happy Together

英語原詞はこちら


Imagine me and you, I do
I think about you day and night,
it's only right
To think about the girl you love
and hold her tight
So happy together

想像してみてほしいんだ
ぼくときみが一緒にいるところを
ぼくはめちゃめちゃ想像するよ
朝から晩まできみのことを考えているし
好きな女の子のことを考えて
その子を抱きしめることを思い描くのは
男に与えられた唯一の権利ってもんだよ
めちゃめちゃ
ハッピートゥゲザーだと思うよ。


If I should call you up,
invest a dime
And you say you belong to me
and ease my mind
Imagine how the world could be,
so very fine
So happy together

1枚の10セント玉に賭けて
ぼくがきみに電話をかけたとしてだよ
それできみが
きみはぼくのものだって言ってくれて
ぼくの心を落ち着けてくれたらだよ
世界はどんな風に変わるか
想像してみてほしいんだ
最高だと思うよ
めちゃめちゃ
ハッピートゥゲザーだと思うよ


I can't see me lovin' nobody but you
For all my life
When you're with me, baby the skies'll be blue
For all my life

きみ以外の人を愛してる自分なんて
想像できないんだよ
人生が終わるまで
きみが一緒にいてくれるようになったら
空が晴れっぱなしだと思うよ
人生が終わるまで


Me and you and you and me
No matter how they toss the dice,
it had to be
The only one for me is you,
and you for me
So happy together

ぼくときみそしてきみとぼく
サイコロの目がどんな風に出たって
きみにとってのたった一人はこのぼくで
ぼくにとってはきみがそれだ
そうならなくちゃいけなかったんだ
めちゃめちゃ
ハッピートゥゲザーだと思うよ


I can't see me lovin' nobody but you
For all my life
When you're with me, baby the skies'll be blue
For all my life

きみ以外の人を愛してる自分なんて
想像できないんだよ
人生が終わるまで
きみが一緒にいてくれるようになったら
空が晴れっぱなしだと思うよ
人生が終わるまで


Me and you and you and me
No matter how they toss the dice,
it had to be
The only one for me is you,
and you for me
So happy together

ぼくときみそしてきみとぼく
サイコロの目がどんな風に出たって
きみにとってのたった一人はこのぼくで
ぼくにとってはきみがそれだ
そうならなくちゃいけなかったんだ
めちゃめちゃ
ハッピートゥゲザーだと思うよ


Ba-ba-ba-ba ba-ba-ba-ba ba-ba-ba ba-ba-ba-ba
Ba-ba-ba-ba ba-ba-ba-ba ba-ba-ba ba-ba-ba-ba


Me and you and you and me
No matter how they toss the dice,
it had to be
The only one for me is you,
and you for me
So happy together

ぼくときみそしてきみとぼく
サイコロの目がどんな風に出たって
きみにとってのたった一人はこのぼくで
ぼくにとってはきみがそれだ
そうならなくちゃいけなかったんだ
めちゃめちゃ
ハッピートゥゲザーだと思うよ


So happy together
How is the weather
So happy together
We're happy together
So happy together
Happy together
So happy together
So happy together (ba-ba-ba-ba ba-ba-ba-ba)

めちゃめちゃ
ハッピートゥゲザーだと思うよ
ところでそっちの天気はどうかな
ハッピートゥゲザーだと思うんだけどな
ぼくらはハッピートゥゲザーだよ
めちゃめちゃ
ハッピートゥゲザーだと思うよ
ハッピートゥゲザーだよ
めちゃめちゃ
ハッピートゥゲザーだと思うよ
めちゃめちゃ
ハッピートゥゲザーだと
思うんだけどな

=翻訳をめぐって=

私がこの歌に初めて出会った時に感じた衝撃は、大変なものだった。歌詞の内容が聞いただけで全部理解できたわけではもちろんないのだけれど、「一緒に幸せになろう」的なポジティブなメッセージが込められた歌なのだということは、大体わかる。しかしその「ポジティブなメッセージ」が、これだけ「迷いと逡巡」の中から吐き出されている感じの伝わってくる曲って、他にあるだろうか。その「迷いと逡巡」の苦しみが、「僕には素晴らしい未来が見える」というサビの部分の高揚感を、圧倒的なものにしている。しかし一瞬だけ全ての迷いを忘れたかのようなその高揚感が、聞き手の心に呼び起こす気持ちはむしろ「せつなさ」なのである。

ネットの時代になってから初めて目にしたタートルズのPVは、その「せつなさ」をいっそう強烈に感じさせるものだった。言っちゃあ何だが1967年という時代にこれだけ「モテなさそうな兄ちゃんたち」ばかりで構成されたバンドが実在していたなんて、映像を見るまで私は想像したこともなかった。そのモテなさそうな兄ちゃんたちが、画面の中ではそれぞれに思い切り笑い、おどけ、はしゃぎ回っている。けれどもかれらがそんな風に一生懸命「楽しそうに」していればしているほど、こちらに伝わってくるのは「ペーソス」なのである。とはいえそれは決して「滑稽さ」を感じさせるものではない。むしろあんな風に無理をしてでも「楽しそうな顔」をし続けていなければならない心の真実みたいなものが伝わってくるからこそ、こちらもある意味で「げんしゅくな気持ち」にさせられてしまうのだと思う。

英語圏の歌詞読解サイト「songfacts」では、この歌についてこんな「解説」が施されている。

Despite what the title implies, this is not a song about a couple in love. According to Gary Bonner, who wrote the song with Alan Gordon, the song is about unrequited love. Our desperate singer wants the girl to "Imagine how the world could be so very fine," proposing what would happen "If I should call you up." The line in the fadeout, "How is the weather?" is when he realizes they will never be more than passing acquaintances, and he resorts to small talk to keep from bursting into tears.
タイトルが含意するところに反し、この歌は愛し合っているカップルのことを歌った歌ではない。アラン·ゴードンと一緒にこの曲を作ったゲイリー·ボナーによるならば、この歌は報われぬ愛についての歌だ。必死になっている我々の歌い手は、「もしぼくが君に電話をかけたら」そこからどういうことが始まるかと語りかけ、その少女に「世界がどんなに素晴らしくなるか想像してみてほしい」と望んでいる。歌詞がフェイドアウトするところで「天気はどう?」と尋ねているのは、二人はちょっとした知り合い以上の関係にはなりえないのだということを彼氏が悟り、世間話に切り替えることで涙を抑えているからに他ならないのである。

以下は、各フレーズについて。

Imagine me and you, I do

直訳は「僕と君(のこと)を想像しろ。僕はする」。省略されている言葉が多いが、「僕と君を想像してほしい」というのは当然「一緒にいるところを思い描いてほしい」と言っているわけである。「I do」は「自分はそうする」ということを、けっこう強調した言い方になっている。

ところでボブ·ディランに「I and I (私と私)」という歌があるのだけれど、それはなぜ「me and me」ではいけないのか、またこの歌はこの歌でなぜ「I and you」ではいけないのか、もしそう言った場合どんな風な「語感の違い」が生じてくるのかといったことについて、私はネイティブではないので全然想像できる材料がない。誰か教えてくれることのできる方がいれば、ぜひコメントを寄せてください。

it's only right

「night」と韻を踏ませるためという意味もあるのだろうが、ここで「right (権利)」という言葉が出てくるのはけっこう唐突な感じがした。ネイティブの人に「この『right』は本当に『権利』なんですか?」と確認したところ、「そうだ」とのことだったので上のように翻訳したが、語感としては「君のことを考えたって構わないだろう?」みたいな気持ちが「right」で言い表されているのかもしれない。あと、「only right」の「only」は「唯一の権利」ではなく「単なる権利」みたいな意味で使われている可能性もある。まあ、そういう気持ちを男前が歌ったら、こういう歌になるのだろうな。


岡村靖幸 イケナイコトカイ

So happy together

私は最初このフレーズを「だから一緒に幸せになろう」みたいな意味だと思っていたのだけれど、ちょっと違ったらしい。この「so」という言葉が意味しているところは「だから」ではなく「とても」である。ネイティブの人にもそう確認したので、間違いない。

「ハッピー」という言葉と「トゥゲザー」という言葉を知っていれば、「Happy together」というフレーズの意味を想像することはさほど難しいことではない。ただしそれを「的確な日本語」に置き換えることは、相当に難しい。「一緒に幸せ」「一緒にいることが幸せ」「一緒にいることの幸せ」「一緒にいると幸せ」「一緒にいると幸せそう」「一緒にいるから幸せそう」「気が合っている」「お互いに幸せ」...何通りものニュアンスがこのフレーズには込められていて、「ひとつの日本語」で言い換えることはおよそ不可能に思われるからである。

幸せそうな夫婦のことをホメるのに日本語では「仲がいいんですね」みたいな言い方をするが、英語ではこれが「ハッピートゥゲザーですね」という言い方になるのだという。「ハッピートゥゲザー」というのはひとつの「状態」なのだ。「一緒であること」と「幸せであること」が「区別できない状態」であることを「ハッピートゥゲザー」と言うのであって、それを「幸せ」と「一緒に」という二つの言葉に「再分解」してしまうことは、いくら翻訳のためとはいえ「言葉を殺す」ことにつながってしまうのではないかという感じがする。

こういう場合、どうすればいいかというと、「ハッピートゥゲザー」というフレーズを丸ごと「外来語」として日本語世界に「輸入」してしまうのが一番いいのではないか、と思うのである。別の日本語で言い換えられる概念が存在しないわけだから、それ自体が「日本語」として定着しうる「すきま」は必ずあるはずだ。今から使い方を教えるので、皆さんもこれから積極的に使って行くことで、この歌の心を日本語世界により深く浸透させてゆく試みに加わって頂ければ幸いに思う。「ハッピートゥゲザーですね!」「ハッピートゥゲザーだよ!」「今おれたちハッピートゥゲザーじゃない?」「ハッピートゥゲザーになれたらいいね」「ハッピートゥゲザーしてんじゃねえよ」「ハッピートゥゲザーになりたかったよ」「ダスティンホフマンになれなかったよ」...重要なのは現在将来を誓い合っている恋人同士の皆さんは、ただ単に「ハッピー」になることを目指すのではなく「ハッピートゥゲザー」になることを目指すべきだ、ということだ。この概念が日本語世界に欠けていることが、いろんな人たちを「不幸せ」にしている側面は間違いなくあるのではないかと思う。

...と、こんな風にいろいろ書いたところで「ラブラブ」という「的確な概念」が存在していたことに思い当たってしまったのだが、忘れてほしい。この歌はやっぱり「ハッピートゥゲザー」という歌なのである。「ラブラブ」を「英語で」何と言えばいいかといえば、それが「ハッピートゥゲザー」なのだということさえ覚えておいてもらえればそれでいい。しかし、何だかものすごくヘンな話だな。

If I should call you up,
invest a dime

「call up」は「電話をかけて呼び出す」ということ。「dime」は「10セント玉」で「invest」は「投資する」。「この一枚の小銭に未来を賭ける」という執念が伝わってくるような歌詞である。

ケータイが普及してからというもの、公衆電話というものを使う機会はめっきり少なくなってしまったが、私の親が若かった頃には10円玉が一枚あればそれで一晩中恋人と話していることだって、できたらしい。多分アメリカでもそうだったのだと思う。今だと相手がケータイか固定電話かにもよるだろうけれど、10円で話ができるのは何十秒間かにしかならないだろうな。

ところでこの部分で「もしぼくが電話をかけるとして」と歌われているということは、「実際にはまだかけていない」のだろうか。そしてこの歌詞の全ては「実際に語られることなく、主人公の頭の中だけで恋人に向けられた思い」だということになるのだろうか。それにしては

How is the weather

という歌詞が出てくるからなあ。これは「主人公と彼女が実際に言葉を交わしていてしかも同じ場所にいない場合」に出てくる質問だから、やっぱりこの歌はどこかの部分で「現実の会話」に「切り替わって」いると考えるのが「自然」なのだと思う。ただし、どこで切り替わっているのかは、判然としない。そんな風に「妄想と現実」が錯綜している感じが、この歌から伝わってくる「迷いと逡巡」にいっそうリアリティを与えているように思う。

注釈は以上とした上で、ぜひ見て頂きたいのが下の動画なのである。


Happy Together (Total Balalaika Show)

これは1993年6月にフィンランドの首都ヘルシンキで開催された、レニングラード·カウボーイズとソビエト赤軍合唱団(アレクサンドロフ·アンサンブル)の合同コンサート、「トータル·バラライカ·ショー」で歌われた、「Happy Together」の動画である。私はこの歌を、このコンサートの映像を通じて知った。そしてこのコンサートからは、一生消えない衝撃を与えられた。

ありえないようなリーゼントと尖りまくった靴で演奏しているこの「レニングラード·カウボーイズ」という集団は、何者なのか。軍隊と軍人が大嫌いであることを日頃から公言しているこのブログに、どうしてその「軍人の合唱団」がモロに登場してくるようなことになったのか。いっぺんに全部を説明することはとても難しいのだが、とりあえず「レニグラ」はフィンランドのバンドであり、赤軍合唱団は言うまでもなくソビエト連邦というかつて存在した国家の軍事組織の一部である。そのソ連という国家が消滅したのが、最近何度も書いているけれど1991年のことであり、このコンサートが開催されたのはまさにその直後の出来事だった。

フィンランドとロシアとは鉄道で行き来できる地続きの国ではあるものの、その関係は「平和」ではなかった。フィンランドの「第二の国歌」と呼ばれているシベリウス作曲の「フィンランディア」は、ナポレオン戦争以来100年にわたるロシア帝国によるフィンランドの支配への抵抗を呼びかける交響詩である。1917年のロシア革命を契機にフィンランドはロシアからの独立を果たすが、その後両国の間には何度も戦争があり、第二次大戦後も社会主義圏に組み込まれることのなかったフィンランドとソビエト=ロシアの間には、長きにわたって緊張関係が存在していた。

そのフィンランドから「レニングラード」というソ連の地名を冠したバンドが生まれ、それがロックのアレンジで「ロシア民謡」を歌う。さらにロシアの方からは「ソ連の軍隊」の一部だった赤軍合唱団が「フィンランディア」の演奏されるヘルシンキの会場にやってきて、「西側世界」の文化の象徴とも言うべき「ロックの歌」を自ら歌う。それだけでもこれは、「大変な出来事」だった。人口わずか500万人のフィンランドという国で、このコンサートの時には実に7万人がヘルシンキに集まったのだという。「あんな頭をしたバンド」のためにである。

フィンランドは「第二言語」として英語を喋れる人の割合が比較的高い国らしいが、90%以上の人が話しているのはウラル語族のフィンランド語であり、西欧の言語よりはむしろ日本語や朝鮮語に近い文法構造を持つ言語である。一方ロシアで話されているのは言うまでもなくロシア語であり、西欧の諸言語とは文字も違えば文法も違う。

そんな風に「英語を話す必然性を全く持たない国々」の人々同士が、「サンキューベリーメニィ!」とかいう「ヘンな英語」のMCを挟みながら、「英語」で歌っている。「お互いにとって母語でない言語」が使われているから、かえってそれが「純粋な」コミュニケーションの手段になるのである。

「Happy Together」を歌っているこの赤軍合唱団の人の英語の発音のヘタさは、どうだろう。そして発音がこんなにもヘタなのにこんなにも歌がうまいのは、どういうことなのだろう。そして何より何てこの人たちは、楽しそうなのだろう。「西側のお客さんへのサービス」みたいな気持ちで、出てくるような笑顔ではないと思う。この歌のことを本当に好きになって、歌えるようになりたいと思ってめちゃめちゃ練習した人たちにだけ醸し出すことのできるこれは「幸せな雰囲気」なのだと思う。

甘っちょろい感傷かもしれないけれど、このコンサートの映像を初めて見た時、「世界はこんな風にしてひとつになって行くんだろうな」という気が、私は、したのだった。少なくとも文化的には、である。政治的なところでは、簡単に乗り越えることのできない「壁」がもちろん無数に存在している。けれども文化という「心の領域」に関わる部分でこんな風に「壁」が取り払われてゆくことを通して、初めて政治的な領域における「壁」の存在をも突き破ってゆくことのできる条件が、生まれてくるというものなのではないだろうか。

ジンギスカンという「ヘンなグループ」の楽曲を3回にわたって取りあげ、「ドイツ人が自分の本気を振り絞って作ったロシアへのオマージュ」であるところの「Moskau」という歌と向き合い始めたあたりから、私にはこの「トータル·バラライカ·ショー」というコンサートのことが思い出されてならなくなった。それで久しぶりにサントラを引っ張り出して聞いてみたら、改めてどハマりしてしまった。

私はこんな風に「ちょっとだけウサンくさい感じのするグループ」のことが、好きなのかもしれない。ホンモノかニセモノかで言えば多分「ニセモノ」なのだろうけど、時として「本物」を凌駕して余りあるぐらいの圧倒的な「オリジナリティ」を垣間見せてくれる、そんな人たちである。「パロディ」とは違う。「パロディ」というのは「うまい人たち」が「冗談」でやるものだ。そうではなく、「異文化のカッコよさ」というものに初めて触れた不器用な人が、自分もそんな風になりたいと思って必死で「マネ」をして、結果、「全然違った別の新しいもの」になってしまった、といったような作品や作風に、惹かれるのだと思う。そういえばブルースブラザーズというのも、ある意味ではそういう人たちだった。「本当に新しい文化」というのはあるいはいつも、そんな風に「他者の文化を模倣しようとする人が模倣しているつもりで模倣しきれない自分の地金の部分」みたいなものの中から、生まれてくるものなのかもしれない。そんな気がする。

「トータル·バラライカ·ショー」で演奏された楽曲は、ロックに馴染みのなかった「東側世界」の人たちにとっても、ロシアの音楽を知らずに育った「西側世界」の人たちにとっても、初めて聞いただけで夢中になれるような「スタンダードナンバー」ばかりで構成されていた。ロックの「入門編」としてもロシア音楽の「入門編」としても最適な内容で企画されたのが、あのコンサートだったのだと思う。だからそこで演奏された楽曲をこのブログでひとつひとつ取りあげてゆくことは、「新しい音楽との出会い」を求めている読者の皆さんとの関係からしても、きっと「意味」を持つことだと思う。

数年前まではこの「トータル·バラライカ·ショー」の「全部」をYouTubeで観ることができたのだが、現在では細切れの楽曲がいくつか上がっているだけであり、視聴できない楽曲も多い。Dailymotionではまだ今のところ、1時間48分のこのコンサートを「通し」で観ることができるので、5分に1回ずつ広告が出てきたりするのは非常に鬱陶しいのだけど、見てみたいという気持ちになってくれた皆さんには今のうちに見ておくことをお勧めしたい。

Leningrad Cowboys & Red Army Choir - Total Balalaika Show – Видео Dailymotionwww.dailymotion.com
というわけで当ブログはこれからしばらくの間、この「トータル·バラライカ·ショー」で演奏された楽曲をひとつずつ取りあげて翻訳してゆく新たな特集体制に入りたいと思います。そのかん、レニングラード·カウボーイズの皆さんも赤軍合唱団の皆さんも毎回顔を出すことになるだろうと思われますが、一緒に楽しんで頂ければ幸いです。ではまたいずれ。


=楽曲データ=
Released: 1967.1.
Key: F♯m→F♯