華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Полюшко-поле もしくはポーリュシカ·ポーレ (1998. ORIGA)

 平手もて
 吹雪にぬれし顔を拭く
 友共産を主義とせりけり。

-石川啄木「一握の砂」1910年


ポーリュシカ·ポーレ (オリガ)

Полюшко-поле (Origa Version)

ロシア語原詞はこちら


ポーリュシュカ ポーリェ
Полюшко-поле
ポーリュシュカ しろーかぁ ポーリェ
Полюшко широко поле
いぇーどぅ だ ぽ パリュ ゲローおーおーイ
Едут да по полю герои
ぷろしゅらゔぁ ゔりぇみに ゲローイ
Прошлого времени герои

いとしい草原よ 草原よ
いとしい草原よ 広い草原よ
駆けてゆく そう
英雄たちが草原を抜けて
過去の時代の英雄たちが


ヴィェーチェル らずゔぃーえーえっ
Ветер развеет
えふ、だ ぱ ずぃりょーぬ ポーリュ
Эх, да по зелену полю
イフ うだるぃーいえ ピェーえーえースニ
Их удалые песни
ぷろしゅらゔぁ ゔりぇーみに ピェスニー
Прошлого времени песни

風が吹き散らす
ああそうだ 緑の草原に
かれらの勇敢な歌を
過去の時代の歌を


とーーりか あすたーあーゔぃっ
Только оставит
イム ばいゔーゆ スラーあヴ
Им боевую славу
いー ざぷぃりょぬゆ ダローおーおーグ
И запыленную дорогу
ゔだーり うはじゃしゅゆ ダローグ
Вдаль уходящую дорогу

ただそこに風が残すのは
かれらの戦いの栄光
そしてほこりまみれの道
遠く続いてゆく道


ポーリュシュカ ポーリェ
Полюшко-поле
ポーリュシュカ しろーかぁ ポーリェ
Полюшко широко поле
いぇーどぅ だ ぽ パリュ ゲローおーおーイ
Едут да по полю герои
ぷろしゅらゔぁ ゔりぇみに ゲローイ
Прошлого времени герои

いとしい草原よ 草原よ
いとしい草原よ 広い草原よ
駆けてゆく そう
英雄たちが草原を抜けて
過去の時代の英雄たちが


ポーリュシュカ ポーリェ
Полюшко-поле
ゔぃーぢら にまーら ゴーリャ
Видело немало горя
ぶぃーら ぷらぴいたな クローおーおーヴィユ
Было пропитано кровью
ぷろしゅらゔぁ ゔりぇーみに クローヴィユ
Прошлого времени кровью

いとしい草原よ 草原よ
悲しみをたくさん見たんだね
血に染められてきたんだね
過去の時代の血に


ポーリュシュカ ポーリェ
Полюшко-поле
ポーリュシュカ しろーかぁ ポーリェ
Полюшко широко поле
いぇーどぅ だ ぽ パリュ ゲローおーおーイ
Едут да по полю герои
ぷろしゅらゔぁ ゔりぇみに ゲローイ
Прошлого времени герои

いとしい草原よ 草原よ
いとしい草原よ 広い草原よ
駆けてゆく そう
英雄たちが草原を抜けて
過去の時代の英雄たちが


ヴィェーチェル らずゔぃーえーえっ
Ветер развеет
えふ、だ ぱ ずぃりょーぬ ポーリュ
Эх, да по зелену полю
イフ うだるぃーいえ ピェーえーえースニ
Их удалые песни
ぷろしゅらゔぁ ゔりぇーみに ピェスニー
Прошлого времени песни

風が吹き散らす
ああそうだ 緑の草原に
かれらの勇敢な歌を
過去の時代の歌を


とーーりか あすたーあーゔぃっ
Только оставит
イム ばいゔーゆ スラーあヴ
Им боевую славу
いー ざぷぃりょぬゆ ダローおーおーグ
И запыленную дорогу
ゔだーり うはじゃしゅゆ ダローグ
Вдаль уходящую дорогу

ただそこに風が残すのは
かれらの戦いの栄光
そしてほこりまみれの道
遠く続いてゆく道


ポーリュシュカ ポーリェ
Полюшко-поле
ゔぃーぢら にまーら ゴーリャ
Видело немало горя
ぶぃーら ぷらぴいたな クローおーおーヴィユ
Было пропитано кровью
ぷろしゅらゔぁ ゔりぇーみに クローヴィユ
Прошлого времени кровью

いとしい草原よ 草原よ
悲しみをたくさん見たんだね
血に染められてきたんだね
過去の時代の血に


ポーリュシュカ ポーリェ
Полюшко-поле
ポーリュシュカ しろーかぁ ポーリェ…
Полюшко широко поле…

いとしい草原よ 草原よ
いとしい草原よ 広い草原よ…



sp.nicovideo.jp
小さい頃から何となく耳馴染みのあったこの歌のことを初めて強烈に意識したのは、19歳の時にドラマの主題歌として使われていたこのオリガさんのバージョンが、テレビから流れてきたのを聞いた時のことだった。何という声なのだ、とまず思った。耳に入ってきただけでこんなにも人の心を鷲掴みにする声というものを、私はいまだに他に知らない。

2007年に放送されていた「ファイテンション☆デパート」という子ども番組に「オリガのロシア語講座」というかなりハジけたコーナーがあって、私はそれを担当していたのがこのオリガさんだったとずっと思い込んでいたのだけれど、今回調べてみて全く別人の違うオリガさんだったのだということを初めて知った。だったらそんな人を混乱させるようなことは初めから書かなければいいようなものだが、「勘違いの歴史をたどること」は「うたを翻訳すること」と併せてこのブログが一番最初から大切にしてきたテーマでもあるのである。とりあえず、上にリンクを貼りつけた動画はぜひ見て帰って頂ければと思う。面白いですから。

「オリガ (Ольга)」という名前には「聖なる者/祝福された者」という意味があるのだそうで、スラブ圏ではかなりよくある名前らしい。ローマ字表記にすると「Olga」になる。手塚治虫の「火の鳥2772」というアニメにオルガさんというロボットが出てくるのだけど、多分これはオリガさんと「同名」なのだと思う。そのオルガさんがさらに手塚治虫の「七色いんこ」というマンガにゲスト出演する話が私は大好きだったのだけど、画像は見つからなかった。残念なことである。



何でこんなとりとめのない話をしているのかといえば、要するに私がオリガさんのファンだったからなのである。しかしファンとは言いつつも、まだ20世紀だった時代にCDを一枚買ったきりでどんな人だったのかということもほとんど知らずにいたまま、2015年1月にオリガさんは44歳の若さで帰らぬ人になってしまった。オリガさんが歌っていたのはどんなことだったのかということを「本当に」知りたいと思ってキリル文字の読み方から勉強し始めたりしたのは、そのニュースに触れた後になってからのことだ。つくづく私というのは、「失ってみるまでその素晴らしさがわからない」タイプの人間なのだと思う。



Wikipediaによるならば、オリガさんが生まれたのは旧ソ連のノヴォシビルスク近郊の農村だったのだという。Googleマップで調べてみると、思わず息を飲んでしまうぐらいの「草原のど真ん中」である。周辺部分を拡大しても「白紙」にしかならないので、ロシアの大体どのあたりに位置する場所なのかということを示そうと思ったらこんなにも縮尺率を上げなければならなかった。この地図と同じぐらいの「広さ」が、オリガさんという人の声と身体にはギュッと詰め込まれていたのだろうか。そんなことを思う。だからその「草原」に向かって呼びかけるあの「ポーリュシカ·ポーレ」という歌は、あんなにも「涯しなく」響いていたのかもしれない。


Polyushko-polye (Total Balalaika Show)

ドラマ「青の時代」のために録音された「ポーリュシカ·ポーレ」は、日本の作曲家によって編曲され、オリガさんによって「新しい歌詞」がつけられたものだった。もともとソビエト赤軍の進軍歌として1933年に作曲されたこの歌を私が初めて「本来の形」で聞いたのは、前回さわりだけ紹介した「トータル·バラライカ·ショー」の映像に触れた時のことである。今でもそうだけど、私は基本的に軍隊や軍人というものが大嫌いで、「軍服を着た人間」とは口を聞くのもイヤだと思っている。この時も、そうだった。人殺しの制服を着て何を歌なんか歌ってやがるんだ、みたいな目をして最初は見ていた。けれどもオリガさんの叙情的なバージョンとはまた全く違った迫力と臨場感に、気がつけば何度もビデオテープを巻き戻しして、最初から聞き直さずにはいられなくなっていた。

この歌の構成は非常にドラマチックになっている。最初に聞こえてくるのは馬の蹄を模したパカラッパカラッという音だ。それだけで「絵」が浮かんでくるような気がする。地平線が見えるくらいに広い平原。でも暗くて吹雪が荒れまくっていて、実際には何も見えはしない。そこに「何かが近づいてくる」のである。

やがて「小さな歌声」が聞こえてくる。闇と吹雪の向こうに「灯り」が見えたような気がする。歌声はだんだん大きくなってきて、灯りもどんどんこちらに近づいてくる。そして次第にそれが「何」であるのかがこちらにも分かってくる。それは「人間の集団」なのだ。

歌声がひときわ高まった時、雷鳴がとどろいて、目の前を通りすぎるその「集団」の一人一人の「表情」が、稲妻の閃光の中に一瞬だけひらめくのを見るような思いがする。誰もこちらのことなど見ていない。誰もかれもが「必死の形相」を浮かべて、行く手を照らす先頭の灯りだけを見つめている。身体からは湯気が立ちのぼり、吐く息の白さは機関車のようだ。その集団が「全速力」で進んでいるのか「重い足取り」で進んでいるのかは、すぐそばにいるにも関わらず、わからない。闇と吹雪と「広さ」の中では、距離も時間も意味を失ってしまうからである。

けれども「集団」はいつしかその場所を通り過ぎ、灯りも歌声も、次第に遠ざかっている。そして最後には再び、聞き手は闇と吹雪の空間にたった一人で残される。風の音以外には、もはやどんな音も流れていない。

通り過ぎていったのが「善なる集団」だったのか、それとも「邪悪な集団」だったのかは、異国の聞き手には知る術もない。けれども闇と吹雪のその大地では、たとえそれがどんな「集団」であろうとも、そこから「はぐれて」しまったら最後、人間は生きてゆくことができなくなるのだ。そこでは「密集すること」が「生きること」で、「一人で生きてゆくことのできる人間」などというものは、どこにもいない。そして「何も見えないその世界」においては、「身を寄せ合って進む隊列」が「点」として存在していることの他には、「人間の世界」はどこにも存在していないのである。

あるいはそれは本質的には、別にロシアでなくても世界中で生きている全ての人間がおかれた普遍的な状況と言うべきものなのかもしれない。だからこんな日本みたいな、狭いところに人口の密集した島国に生まれた人間が聞いても、その歌の心が「わかるような気がする」面があるのかもしれない。とはいえそれは簡単に「わかる」と言ってはいけないことなのだとも、一方ではやはり思う。本当の寒さも本当の孤独も本当に果てしない目的地に向かって無言で歩き続けることも、私は知らずに生きてきた人間なのだ。

いずれにしても、この歌を作りそして歌ってきたのは「そういう世界」で生きてきた人たちだったのだと私は思ったし、そういう世界で「戦って」きた人たちだったのだと思った。そして「そういう世界」はそれまでの私が丸っきり「知らなかった世界」だった。だからそこから聞こえてくる声には、たとえそれを歌っているのが私の大嫌いな軍服を着た人間たちだったとしても、「素直に」耳を傾けなければならないと思ったのだった。


  • 第一次大戦世界大戦当時、前線におけるロシア兵とドイツ兵との交歓の様子をおさめた写真。こうした交歓は多くは自然発生的に生まれたものだったというが、「お互いの銃を自らの支配者に向けよう」という「革命的祖国敗北主義」の原則にもとづき、隊内に浸透した共産主義的兵士らによって意識的にも追求された。この兵士たちの反乱を最終的な「決め手」として、大戦はロシアにおいてもドイツにおいても帝政の打倒という「民衆の勝利」をもたらす。しかしその後の両国は、別々の政治勢力が実権を握ったことにより、別々の道を歩むことになっていった。

昨年末に書いた記事でも明らかにしたように、1917年に起こったロシア革命のことを私は「世界史上で最も感動的な出来事」だったと思っている。「赤軍」はその革命のただ中から、市井の労働者や生活者の手によって、そして支配者たちの「世界戦略」のために銃をとることを拒否した反乱兵士たちの手によって自ら結成された、人類史上最初の「正規軍」だった。1927年における中国紅軍の結成とも併せ、そうした軍隊が誕生しえたことそれ自体を私は「感動的な出来事」だったと思うし、市井に生きる者の一人として自分と同じ立場の人々がなしとげた「誇るべき出来事」だったとも感じている。支配者のためにではなく支配者を打倒するため、国家のためにではなく国家を消滅させるため、戦争のためにでなく戦争を根絶するために「戦う」ことを存在理由として生まれたこの「軍隊」は、支配されてきた側、搾取されてきた側、殺され続けてきた側の人間たちが、その歴史を終わらせるために自分たち自身の手で創りあげた、「夢の結晶」そのものだったのだ。
nagi1995.hatenablog.com
けれども上の記事の中でも触れたように、ロシア革命が掲げた当初の理想は、その後の歴史の中で、何重もの挫折と裏切りを経験させられてゆくことになった。赤軍建設の指導者だったトロツキーが追放され、「一国社会主義建設可能論」を掲げるスターリンが実権を握る中で、赤軍は「世界革命を実現するための無国籍の軍隊」であることをやめ、「ソ連という国家のための軍隊」へと変質した。全ての隊員が平等な労働者·農民自身の軍隊としてではなく、厳密な階級制度を有する「党官僚の暴力装置」へと変貌した赤軍は、「治安維持」に名を借りた民衆運動の弾圧や、さらにポーランドやフィンランドをはじめとした周辺諸国への侵略行為にまで手を染めてゆく。1941年のナチスドイツによるソ連侵攻に際しては、赤軍は「祖国防衛」の任務を「立派に」果たし抜いたが、反攻先のドイツにおいて、さらに日本の関東軍が民間入植者を置き去りにしていち早く逃亡した旧「満州」国や北部朝鮮においては、敵国住民への暴行と略奪をほしいままにする野獣の軍隊と化した。1946年に赤軍は名称を「ソ連陸軍」に改称して消滅するが、それは「スターリンのソ連」がロシア革命の当初の理想を最終的に投げ捨てた、象徴的な「歴史の区切り方」だったと言えるだろう。

それでもその隊内で結成されたアレクサンドロフ·アンサンブルを初めとする諸々の音楽グループが、ソ連軍への改称後も、さらにはソ連が消滅した21世紀を迎えて以降も「赤軍合唱団 (Red Army Choir)」という名前を対外的に用い続けてきたのは、その人たちが「赤軍」の掲げた理想に今でも「誇り」を感じているからなのだということが、間違いなく言えると思う。けれども「赤軍」という名前を引き継ごうとする人間は、「赤軍」の名によって数々の場所で引き起こされた「罪」に対しても、「責任」を負わねばならないはずだと私は思う。ましてその後の「ソ連軍」にも在籍したまま活動を続けてきたかれらは、「New Years Day」の記事で触れたハンガリー動乱や「プラハの春」の圧殺、アフガン侵攻の「当事者」でもある。そうした行為に手を染めてきた人間たちが、階級制度の象徴のような「制服」に身を包んだ上で「革命の理想」を歌い続けることは欺瞞でしかないと感じるし、「政治は政治、音楽は音楽」みたいな「ノリ」でもってそれを気安く受け入れていい気にも、やはり私はなれない。「政治と無関係な言葉」というものが本質的にはどこにも存在しないのと同じように、「政治と無関係な音楽」というものもまた、どこにもありえないと感じているからである。

とはいえ、この「ポーリュシカ·ポーレ」が作曲された1933年という時代は、ロシアの人々の心にその「赤軍 (クラースナヤ·アールミヤ)」の掲げた理想がいまだ鮮烈に息づいていた時代でもあったし、また食糧や衣服さえまともに手に入らない状況の中から徒手空拳で「自分たちのための軍隊」を作り出した革命の最初の世代の人々が、まだ多く生き残っていた時代でもあった。(スターリンの「大粛清」によってそのほとんどが殺され、「血の入れ替え」がなされてゆくのは、1937年から38年にかけてのことである)。同年には「共産主義の絶滅」を掲げるヒトラーがドイツで首相に指名されており、人々の間には緊張が高まっていた。そうした中から「ファシストを迎え撃つ」という決意を込めて作り出されたこの歌の中には、「革命の息吹」と呼ぶべきものが間違いなくみなぎっていると思うし、また人間の歴史の中で永遠に忘れ去られてはならない「記憶」が、凝縮された歌になっているとも思う。

以下に訳出するのはその原歌詞である。サイトによっては10番まである長い歌詞が丸ごと掲載されているところもあるが、ここでは赤軍合唱団の対外公演で歌われている部分のみを転載した。


Oh Field, My Field (In Paris)

Полюшко-поле (Original Version)

ロシア語原詞はこちら


ポーリュシュカ ポーリェ
Полюшко-поле
ポーリュシュカ しろーかぁ ポーリェ
Полюшко широко поле
いぇーどぅ だ ぽ パリュ ゲローおーおーイ
Едут да по полю герои
えふだ くらすなぃ アルミ ゲローイ
Эх-да Красной армии герои.

いとしい草原よ 草原よ
いとしい草原よ 広い草原よ
駆けてゆく そう
英雄たちが草原を抜けて
ああそうだ 赤軍の英雄たちが


ヂェーヴシュキ ぐりゃーんちぇーえ
Девушки, гляньте,
ぐりゃんちぇ な ダローグ ナーシュ
Гляньте на дорогу нашу,
ゔぃよっつぁ だりにゃーや ダローおーおーガ
Вьётся дальняя дорога,
えふだー らずゔぃしょらや ダローガ
Эх, да развесёлая дорога.

娘たちよ ごらん
我々が往くあの道をごらん
道は長く曲がりくねっている
ああそうだ 陽気な道さ


ヂェーヴシュキ ぐりゃーんちぇーえ
Девушки, гляньте,
ムィ ヴラガ プリニャっ ガートーヴィ
Мы врага принять готовы,
ナーシ じぇ コニ ブィストラノーおーおーギ
Наши же кони быстроноги,
えふだー ナーシ タンキ ブィストラホーヌィ
Эх-да наши танки быстроходны.

娘たちよ ごらん
我々が敵を迎え撃つ準備はできている
我々の馬の足は速いし
ああそうだ 我々の戦車は神速だ


えーぇえーぇえーぇえー…
Эх…
ナーシ じぇ コニ ブィストラノーおーおーギ
Наши же кони быстроноги,
えふだー ナーシ タンキ ブィストラホーヌィ
Эх-да наши танки быстроходны.

そうだ そうだ そうだとも
我々の馬の足は速いし
ああそうだ 我々の戦車は神速だ


ぷーすち ふ カルホージェーえ
Пусть в колхозе
どるじゅなや きぴっ ラボータ
Дружная кипит работа,
ムィ ゔぇち だぞるにぇ セヴォーおーおーニャ
Мы ведь дозорные сегодня,
えふだー ムィ セヴォニャ ちゃそゔぃーえ
Эх-да мы сегодня часовые.

力を合わせてコルホーズ(集団農場)
仕事の炎を燃やそう
今日は私たちも見張っているからね
ああそうだ
今日は私たちが見ているからね


ヂェーヴシュキ ぐりゃーんちぇーえ
Девушки, гляньте,
ヂェーヴシュキ うとりーちぇ スリョーズィ
Девушки, утрите слёзы.
ぷーすち すりーにぇえ ぐりゃーにっ ピェースニャ
Пусть сильнее грянет песня,
えふだー ナシャ ピェスニャ ベヴァーヤ
Эх-да наша песня боевая.

娘たちよ見てほしい
娘たちよ涙はふいてほしい
力強い歌声をあげよう
ああそうだ 我々の戦いの歌を


ポーリュシュカ ポーリェ
Полюшко-поле
ポーリュシュカ しろーかぁ ポーリェ
Полюшко широко поле
いぇーどぅ だ ぽ パリュ ゲローおーおーイ
Едут да по полю герои
えふだ くらしゅなぃ アルミ ゲローイ
Эх-да Красной армии герои.

いとしい草原よ 草原よ
いとしい草原よ 広い草原よ
駆けてゆく そう
英雄たちが草原を抜けて
ああそうだ 赤軍の英雄たちが


...「男の仕事は戦うこと、女の仕事は生活を守ること」といった、時代的制約に帰すことのできない間違った分業意識を下敷きに書かれた歌詞であるとはいえ、「Мы ведь дозорные сегодня (今日は私たちが見張っているからね)」といったような部分は、天皇制下の日本の「軍歌」の中には絶対に出てこなかったフレーズだったろうと感じる。この歌の歌い手たちにとっては、武器をとって侵略者と戦うことも、生活を再生産しそれを謳歌することも、すべてがひとつの「共同作業」であることが明確に意識されていたのである。そこにおいて、少なくともこの当時の赤軍は間違いなく「人民の軍隊」だったのだと思う。天皇の軍隊が「臣民」に対して強要したことはといえば、天皇のために全てを犠牲にすること。それだけだったのだ。そして自分たち自身の身が危険にさらされた時、沖縄においても上述の旧「満州」国においても、天皇の軍隊が「民衆」を「守ろう」としたことは一度もなかった。かれらはどこまでも「自分だけを守ろうとした」のであり、「自国民」の多くが「そのために」殺された。日本軍兵士から命を助けられた経験を持つような人も、私の祖父母の世代には決して少なくはなかったことを聞いているが、そのほとんどはその兵士や将校自身の「人間的感情」にもとづいてなされた行為だったのであり、天皇の軍隊の論理にもとづくならばむしろ「軍律違反」にしかならない行為だったのだ。その軍隊が「何のために」存在しているのかということを抜きにして、軍隊というものの「善し悪し」を論ずるようなことは決してできない。

だから私は「自衛隊」という組織のことを全く信用していない。そこに在籍している隊員諸氏の人格の「善し悪し」とは無関係にである。「3・11」をはじめとしたこのかんの相次ぐ自然災害の中で、かれらは実際に多くの人命を「救って」もいるわけだが、「それが仕事」だったなら誰だって喜んで身を投げ出したくなるようなタイプの「仕事」だとしか思えないわけで、それを排他的に「独占」することでその存在価値を認めさせようとするような権力者のやり口には、むしろ嫌悪感しか感じない。重要なのは飽くまでかれらは「支配者とその財産を守るため」に存在している軍隊だということであり、「自分の身が危うくなった時」には必ず「民衆」に銃を向けるし、またその瞬間のために存在し維持されてきた軍隊である、ということだ。支配者というのはいつの時代も大抵「民衆」以上に「歴史に学んで」いるものだから、ある時点においてはそういう瞬間が「必ず」訪れることを、「民衆」以上に自覚し「確信」しているものなのである。

それでも「倒される時には倒される」ことがかれらに約束されている「運命」でもあるわけなのだが、このブログでそこまで踏み込むことはさすがに「脱線」だと思うので、歌の内容に話を戻すことにする。

歌詞の中には「戦車」が出てくる。赤軍が建設された当初においては、もとよりそんなものは一台もなかった。内戦の終結後、ヒトラーの登場に至るまでは赤軍と一定の協力関係を有していたドイツ軍との交流のもとに、赤軍の近代化·機械化を推し進めたのは、後に赤軍元帥となったミハイル·トハチェフスキーであり、当初はこの戦車部隊の誕生が、スターリンにより1928年に開始された「第一次五ヵ年計画」の誇るべき成果として大きく喧伝された。歌詞に出てくる「コルホーズ」も、この「第一次五ヵ年計画」にもとづいて全土に建設された集団農場のことを指しており、1933年という時代がこの歌詞には大きく反映されている。ただしそのトハチェフスキーをはじめ赤軍の近代化を推進したほとんどの人々は後にスターリンによって粛清され、独ソ戦が始まった当初にはそのせっかくの戦車部隊の「使い方」を知っている人間がどこにもいないに等しい状態で、赤軍は連戦連敗を強いられたのだという。それにも関わらずロシアの人々は、その後のたった数年間でドイツを上回る新たな戦車部隊と新たな戦術とを自ら作り出し、最後には勝ってしまったのだから、「戦い」というものは人間を偉大にするものだと、そこは率直に思わずにいられない。

「赤軍合唱団」の代名詞となっている「アレクサンドロフ·アンサンブル」は、1928年に創設され、ソ連の崩壊後もレニングラード·カウボーイズとの共演をはじめ、「赤軍合唱団」の名のもとに世界中で公演を続けてきたのだったが、今からほぼ2年前にあたる2016年12月、そのメンバーのほとんどを乗せた飛行機が黒海上空で墜落し、幸運にも搭乗していなかった三人の高名なソリストを除く全員が死亡したという、ショッキングなニュースが飛び込んできた。私にとってそれが「ショッキング」だったのは、事故の悲惨さや物故された方々の歌声のかけがえのなさもさることながら、その事故が起こったのはシリアに駐留するロシア軍兵士の「慰問」のための移動中の出来事だった、という報道に触れたことに対してだった。

「何をやっているのだ」と思ったのだった。ロシアによるシリア内戦の介入などという行為には、一片の「正義」もなければ「大義」もない。2015年に行なわれたロシアによる空爆作戦においては、報道されているだけで185人の「民間人」が殺されている。「革命」とはそれこそ対極的な利害にもとづく、「国家」の地政学的な生存戦略にすぎないところのあのプーチンの軍事行動を、「赤軍」を名乗りながらあの人たちは支持したのか、と思った。支持したのだろうな、と思った。それにも関わらずその軍隊を「慰問」するために歌う予定だったのが、古きよきロシアの「革命歌」だったというのは、どういうつもりだったのだろう。悪い冗談にもなっていない。

生存者が三人だけになってしまった「赤軍合唱団」に、その後再建の予定はあるのかとか現在どういうことになっているのかといったことについては、あえて調べる気持ちになれなかった。それが失われたことを悼むよりは、世界各地で戦争や弾圧のために殺され続けている命を守ることの方が絶対に「先」だし、それを逆転させたらそれこそ私は「人でなし」になってしまうことだろう。「単なる人殺し」を「賛美」する集団の命が失われたことだけを「悼む」なら、その集団の属する国家によって殺された人々の命は本当に「浮かばれない」ものになってしまうに違いない。

それでも私が今でも「赤軍合唱団」の音楽を聞き続けているのは、100年前の第一次大戦の時代にあってその戦争を命がけで拒否し、「世界をひとつにすること」を本気で夢見て、「自分が本当に戦うべき相手」と戦いぬいた人たちの想いというものに触れたいと思うからだし、その想いを引き継いで行きたいと感じているからでもある。けれどもそれを単なる「過去への憧憬」にしてしまうなら、それはその人たちの想いに対しても最も失礼な行為だと言えるだろう。その人たちの見た夢は今でも世界中で数えきれないほどの人の胸に形を変えて生き続けているのであり、それを思うなら絶えず新しい歌い手によって新しく生み直されてゆくべきなのがこの歌なのだと思う。本当なら、の話である。


Leningrad Cowboys Go America

...このかんのこのブログの悪い傾向として、この記事も既に充分長大になってしまいつつあるのだが、触れておかねばならない話がもう少し残っている。「ポーリュシカ·ポーレ」は、フィンランドの映画監督アキ·カウリスマキが1989年に公開した作品「レニングラード·カウボーイズ、アメリカに行く」の冒頭を飾る歌でもあったのだ。上の動画は、そのシーンである。

「レニグラ」を演じているのはもちろんフィンランドのバンドマンの人たちで、本人たちはフィンランド語しか喋れないのだが、一応この映画の始まりは「シベリア」なのだということになっている。そこで農作業にいそしみながら音楽をやっていた純朴な青年たちが、悪いマネージャーに目をつけられて「一山当てる」ためにアメリカを目指す、というのが物語のあらましである。リーゼントやサングラス、ヘンな靴などは、カウリスマキ監督に言わせるならば「架空の民族衣装」なのだそうで、本人たちは別に突っ張っているわけでもなければ反抗的なわけでもない。映画を見てもらえば分かるが、至って物静かな人たちなのである。

その人たちがどういう経緯で映画を飛び出して「本物のバンド」になり、かつ赤軍合唱団との共演に至るまでになったのかというあらましについては、この特集記事の今後の展開の中で改めてぼちぼち触れてゆくことにしたい。「どっちもいっぺんに紹介すること」はさすがにムリである。ただ触れておきたかったのは「レニグラ」の人たちにとってこの「ポーリュシカ·ポーレ」がいかに「特別」な歌だったかということであり、おそらくはこの歌が好きで好きで仕方なかったことが、カウリスマキ監督の構想と結びついたことを通して、あの映画が出来上がったのだろうなと思われる、ということなのだ。

見てほしいのは下の動画である。「レニグラ」の1994年のベルリン公演の時のものなのだが、冒頭でボーカルの人が「歌いたいかーっ!?」と叫び、その後5分間にもわたって「ラーラーラー」だけでこの歌を完璧に「歌いきって」しまっている。観客のテンションもそれを受け止めて余りあるもので、動画の下のコメント欄ではコンサートが終わった後の帰り道になってもずっと「ラーラーラー」の歌声が続いていたということが証言されている。歌詞を知っていようがいまいが、歌い手や聞き手がロシア人であろうがなかろうが、そういうことをやれてしまうのがこの歌の持つ「力」なのであり、かつ同じようなことをやれる歌というのはやはりそう滅多にあるものではないと思う。


Balalaika Show Berlin 1994

その他、この曲はその印象的なメロディゆえに、「西側諸国」のアーティストによっても様々な形でカバーされている。私は全然知らなかったのだけど、ジェファーソン·エアプレインがインストでカバーしたりもしていたのだな。ディープ·パープルにいたリッチー·ブラックモアがやっているブラックモアズ·ナイトというユニットが1999年に発表した「Gone With Wind (風と共に去りぬ)」という曲には、「ポーリュシカ·ポーレ」のメロディがそのまま使われている。乗りかかった船というやつでその歌詞もついでに訳出しておくことにしようと思うが、原曲が圧倒的に「具体的」な戦いの中から生まれた「具体的」な歌だったことを思えば、中世的なアレンジのもとであえて言いたいことを抽象的にボヤかしたようなこの歌詞は、言っちゃあ何だがずいぶんと「子どもだまし」に感じられる。


Gone With The Wind (Blackmore's Night)

Gone With The Wind (Blackmore's Night)

英語原詞はこちら


Twisting turning
The winds are burning
Leaving me without a name
How will we ever find our way...

うねりながらさまざまに向きを変え
風が荒れすさんでいる。
名前も与えられずに取り残された私。
私たちはどうやって
行くべき道を見つければいいのだろう。


Snow was falling
I could hear the frightened calling
Fear taking over every man
Life meaning nothing more than sand...

雪が降っていた。
私には悲鳴が聞こえた。
すべての男をとらえる恐怖。
砂粒のように無意味な人生...


Wind will sweep away
The traces I was here
A story in a teardrop
That's all I have to give...

風は吹き散らしてしまうだろう。
私がここにいた痕を。
涙の玉に込められた物語
それが私に与えることのできる全て...


Rage inferno swallowing the life that I know
Strength is the only way to fight
You must look up to see the light...

私の知っていた人生を
呑み込みつくす怒りの業火。
戦いの道を切り開くのは力だけ。
さあ顔を上げて光を見なければ...


Gone With The Wind...
風と一緒に行ってしまった...

Take all I know
Turn it into darkened shadows
They'll disappear in the sun
When a new story has begun

私の知っているすべてを
持って行くがいい。
そのすべてを暗い影へと
変えてしまうがいい。
太陽の光の中でそれは
消えてしまうことだろう。
新しい物語が始まる時。


She survived the nightmare
Began a whole new life here
But I can see behind those eyes
She still sees those fires in the night...

彼女は悪夢を生き延びた。
本当に新しい人生を
ここから切り開いたのだ。
だが私にはその瞳の向こう側で彼女が
今もその炎を見続けているのが分かる。
夜になると...


Twisting and turning
Oh, the winds are burning
Leaving me without a name
How will we ever find our way...

うねりながらさまざまに向きを変え
ああ、風が荒れすさんでいる。
名前も与えられずに取り残された私。
私たちはどうやって
行くべき道を見つければいいのだろう。


Kinki Kids 青の時代

新しく始まった「トータル·バラライカ·ショー」の特集は、当面こんな風にロックの楽曲とロシア語の歌曲を交互に取りあげてゆく形でお届けして行きたいと思います。ではまたいずれ。


=楽曲データ=
Released: 1998.7.23. (Origa Version)
Key: G→A