華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

The Times They Are A-Changin' もしくは時代は変わる (1963. Bob Dylan)


The Times They Are A-Changin'

The Times They Are A-Changin'

英語原詞はこちら


Come gather 'round people
Wherever you roam
And admit that the waters
Around you have grown
And accept it that soon
You'll be drenched to the bone.
If your time to you
Is worth savin'
Then you better start swimmin'
Or you'll sink like a stone
For the times they are a-changin'.

どこをほっつき歩いてるにせよ
とりあえずそのへんのみなさん
集まってください。
それで、水、来てますよね。
みなさんの周りに。
どんどん水位あがってますよね。
それ、認めた方がいいですよ。
みなさんはもうすぐ
骨まで水びたしになるんです。
それ、受け入れるしかないですよ。
みなさんの時間というものが
みなさんにとって大切にするに
値するものであるならば
泳ぎ出した方がいいです。
さもないとみなさんは石と同じように
沈んでゆくことになります。
時間というものそれは
今も移り変わっているのですから。


Come writers and critics
Who prophesize with your pen
And keep your eyes wide
The chance won't come again
And don't speak too soon
For the wheel's still in spin
And there's no tellin' who
That it's namin'.
For the loser now
Will be later to win
For the times they are a-changin'.

ペンでもっていろんなことを
予言して回る
もの書きや評論家のみなさん
こっち来てください。
それで、しっかり目を開けといた方が
いいですよ。
チャンスは二度と来ないんですからね。
それと、あんまりあせって
ものを言おうとしないことです。
運命のルーレットはまだ
回り続けてるんですから。
それが誰の名前を
指そうとしているかなんてことは
誰にも分かるわけがないんです。
今の敗者が
後には勝者になるんですからね。
時間というものそれは
今も移り変わっているのですから。


Come senators, congressmen
Please heed the call
Don't stand in the doorway
Don't block up the hall
For he that gets hurt
Will be he who has stalled
There's a battle outside
And it is ragin'.
It'll soon shake your windows
And rattle your walls
For the times they are a-changin'.

上院議員のみなさんに
下院議員のみなさん
こっち来てください。
みなさんの使命を心に留めてください。
入口に立ちふさがったり
廊下で通せんぼしたりするのは
やめた方がいいですよ。
痛い思いをすることになるのは
人をジャマした人なんですから。
表では戦いが起こっていて
それはますます荒れています。
みなさんの窓やみなさんの壁を
ガタガタ言わせることになるのも
そう遠くはないことでしょう。
時間というものそれは
今も移り変わっているのですから。


Come mothers and fathers
Throughout the land
And don't criticize
What you can't understand
Your sons and your daughters
Are beyond your command
Your old road is
Rapidly agin'.
Please get out of the new one
If you can't lend your hand
For the times they are a-changin'.

全国津々浦々の
お父さんお母さんのみなさん
こっち来てください。
それで、じぶんに理解できないことを
批評するのはやめた方がいいですよ。
みなさんの息子さんや娘さんは
みなさんの思い通りには
ならないところにいるのです。
みなさんの古い道は
急速に老朽化しつつあります。
手伝ってくれるんでなかったら
新しい道からはさっさと降りて下さい。
時間というものそれは
今も移り変わっているのですから。


The line it is drawn
The curse it is cast
The slow one now
Will later be fast
As the present now
Will later be past
The order is
Rapidly fadin'.
And the first one now
Will later be last
For the times they are a-changin'.

ラインそれは引かれ
呪いそれは放たれた。
今ゆっくりと進んでいるものが
後には先を進んでいる。
今この現在が
後には過去に変わってしまうように
序列というものは
急速に失われつつある。
そしていま先頭に立っているものが
いずれは最後尾に立つことになるのだ。
時間というものそれは
今も移り変わっているのだから。


画像は葉踏舎のマリノさんの作品集からお借りしました

前回とりあげたマーヴィン·ゲイの「What's Going On」が「時代は変わりつつある」という確信のもとに書かれた歌だったという話になったことから、同じフレーズの出てくるこの歌についても取りあげておかねばならないという気持ちに駆られたわけなのだが、「敵」に対してもじれったくなるぐらいに謙虚で誠実で「愛」にあふれたマーヴィン·ゲイの言葉や声や歌い方と比べた時、このディランの歌のチャラさと軽さとえげつなさは一体どうしたものだろう。これは決して私の翻訳のし方に「悪意」があるからとか、そういう問題ではないのである。私は歌われている言葉をひとつひとつ文字通りに拾って翻訳しているだけなのであって、改竄や捏造は一切おこなっていない。確かに誇張はしてるけど。

人間や世の中を本当に「変えたい」と思うなら、そこには「言葉」だけではなく、相手の暴力に負けないだけの「力」が必要なのだという現実について。前回の記事を書く過程で私はキング牧師の非暴力主義との関係も含めいろんなことを考えさせられたのだったが、その伝で行くなら「大衆運動がつくりだした力」というものに完全に「乗っかって」、虎の威を借る狐状態になっているのがこの歌のディランなのである。自分がつくりだした「力」でもあるまいに、その調子に乗り方は、すさまじい。「力を手にした人間」の高見から「滅びゆく旧世界」の人間たちに向かって投げつけられる言葉は、徹底的に上から目線だし、嘲りに満ちているし、冷酷である。国会議員を「恫喝」するような言葉までここには並んでいるわけだけど、それが「恫喝」としての「有効性」を持っているのは、「かれらの窓や壁をガタガタ言わせる」ような大衆運動の「力」が、当時は現実に存在していたからに他ならない。この時期の公民権運動は、まさに盛り上がりの頂点を迎えていたのだ。

けれどもその運動がひとたび暴力や暗殺といった反動に直面し、行き詰まり始めると、さっさとそこから「降りて」しまえるのが、ディランという人なのである。そして困難の中でそれでも何とか現実を変えたいと苦闘し続けている人たちに対し、「そろそろ泳ぎ出さないと沈むぜ」という「同じ言葉」を投げつけて、消えてしまうこともできるのがディランという人なのである。「時代は変わる」という勇ましい邦題がこの歌にはついているわけだけど、「風に吹かれて」というあの無責任な歌と同じく、そこには彼氏自身が時代をどう「変えたい」と思っているのかが伝わってくるような、意志や信念を感じさせる言葉はひとつも書かれていない。ただ、客観的な言葉が並んでいるだけなのだ。この人が「自分自身の言葉」で語るのを、私は聞いたことがない。「客観的な状況」の側に立ちながら、「あんたはそれでいいのか」という「エラそーな問い」ばかりを発し続けていたのが、この人の「メッセージソング」と呼ばれるものの内容である。ディランという人を「変革の使者」みたいに位置づける言説は、まあ本人が一番それを否定しているわけではあるけれど、完全に間違っている。と言うよりそういうことを言える人というのは、「ディランを聞いたことがない人」に限られているのではないかと思う。

その代わり、「次の波はこれだ」と確信した時のこの人の行動力というのは、ものすごい。周りに誰も味方がいなくなってもたった一人で突っ走ることのできる「強さ」というものを、確かにこの人は持っていた。有名なフォークからロックへの「転向」がまさにその真骨頂で、最近出版されたロビー·ロバートソンの自伝のその時期のくだりを読み返すたびに、改めてその凄みを感じる。時代をどう変えたいとかそういうこと以前に、変わり続ける時代の波の突端でサーフィンをし続けるようなスリルとスピード感そのものが、多分この人は好きだったのではないかと思う。そしてその「変わり続けること」は必ずしも「革命」の側の属性であるわけではなく、むしろ「資本主義」の制度的な属性でもあるわけなのだ。絶えず刷新とイノベーションとバージョンアップを繰り返し、新しかったものもどんどん時代遅れなものに変えてゴミ箱へと送り込み、まだ使えるものもまだ生きてる人も次々に「使い捨て」にすることでしか自らを維持できないのが資本主義というシステムである。その荒波を見事に「泳ぎ切って」みせた、私は全然エラいとは思わないけどしかし確かに数少ない人間たちの象徴の一人が、ディランという人だったことになる。

その意味からするならば、ディランというのは「資本主義が好きな人」だったのだろうなとしか思えない。ということは少年時代の私というのは、初めから分かり合えるはずもない相手に「片想い」をしていたことになるのだな。

スリルとスピード感は私も好きだ。でも自分がその「楽しさ」を味わうために、他の人間のことを犠牲にしても「許される」ような人生が、あっていいとは思わない。

ディランの歌詞が分からなくてもそのことだけを分かっておけば、今はそれで構わないと思っている。

=翻訳をめぐって=

まずはこの歌のタイトルにもなっている「For the times they are a-changin'」というフレーズについて。片桐ユズルさんの翻訳は「時代はかわりつつあるんだから」であり、日本語的にはその方がキャッチーな言い方であることは間違いないのだが、ここの主語は「時代」ではなく「時間」であり、内容的にも「時代」という大きなスパンで捉えるよりは、むしろ刻一刻と移り変わる時間の流れを微分的に切り取った歌詞であると解釈した方が正確だと思う。英語圏の人たちはこのフレーズに

同じ川に二度足を踏み入れることのできる人間はいない。次の瞬間にはその川はもう同じ川ではなく、その人間も同じ人間ではなくなっているからである。万物は流転する (Τα Πάντα ῥεῖ タ·パンタ·レイ)

というヘラクレイトスの哲学にも似た、「格調の高さ」を感じ取っているらしい。私は、キザなだけだと思うのだけどな。「Times (時間)...」でいったん言葉を区切ってタメを持たせ、直後に「they are a-changin' (それは変わりつつある)」とわざわざ主語を入れ替えて言い直したりしているあたり、「おそ松くんが...はじまるざんす!」と変わらないくらいにイヤミな言い方であると私は感じる。

そういえば頭脳警察のパンタさんって、「万物流転」という歌も出してるけれど、名前が「パンタ·レイ」に由来しているというわけでは、別にないらしい。でも「パンタレイ·シウバ」という人は、いたと思う。ちょっと違ったかもしれない。ちなみにこのヘラクレイトスの哲学は

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。

という「方丈記」の出だしと比較されることが多いのだが、同じことを言っているようでも西洋ではそれが変革礼賛ソングのテーマになり、日本の場合だとそれが無常観の表出にしかならないことになりがちなのは、興味深い違いではあると思う。

Come gather 'round people
Wherever you roam

この有名なフレーズは、アイルランドやスコットランドの伝統的なバラッドの歌い出しのスタイルからの借用らしい。日本で最初のフォークソングと言われている高石ともやさんの「受験生ブルース」の歌い出しは、このフレーズをさらに翻案したものになっている。


受験生ブルース

Come writers and critics
Who prophesize with your pen

この二番の歌詞は他のサイトを見ると「マスメディアに対する痛烈な批判と諷刺」であるという風に解説されている例が多いのだが、別にディランはマスコミのことを批判しているわけでも諷刺しているわけでもなく、ただ「これからでっかいことが起こるから目をしっかり開いてよく見とけよ」ということを言っているにすぎない。「これはチャンスなんだからしっかり掴め」的なことも言っている。これはむしろマスメディアの「力」を自らの「力」として「利用」しようとする態度であると言った方がいい。ちなみに私は「諷刺」という表現形態が大嫌いだ。卑屈だからである。

And don't speak too soon
For the wheel's still in spin

「wheel」は「車輪」であり、それがまだ回っているから性急に物を言うのは控えた方がいい、という一見謎めいた歌詞なのだが、この「wheel」という言葉から英語圏の人が連想するのは、古代から中世にかけての西洋哲学の中でしばしば登場する「Wheel of Fortune (運命の紡ぎ車)」のモチーフであり、かつそれと同じ名前がついたタロットカードのデザインであるらしい。



さらにその「Wheel of Fortune」が、現代社会においては「宝くじなどの当選者を決めるルーレットの呼び名」にもなっている。だからこの歌詞の「Wheel」が意味しているのは、即物的にはそれである。そのルーレットの針が誰の名前を指すかは最後まで分からないのだから、軽はずみな予言は慎んだ方がいい。さもないと後で恥をかくことになる。そういう歌詞になっているわけだが、別にマスコミにそういうことを「忠告」しても仕方がないのではないかという気が、私はする。どうせ言うなら「最後に勝つのは我々だ」ぐらいのことは言ってほしいものである。それを言わないからディランという人は、いつまでも「責任をとらなくてすむ立場」に回り続けることができるのだ。何がしたいんだろうねこの人は。

Come senators, congressmen
Please heed the call

「heed the call」は「汝の使命を胸に留めよ」的なニュアンスの、宗教的なモッタイをつけた一種の決まり文句。日本の政治家が「不退転の決意でどうのこうの」とか言うのと同じような感じで、「政治家がよく使う言葉」というイメージの強いフレーズらしい。

Don't stand in the doorway
Don't block up the hall
For he that gets hurt
Will be he who has stalled

この歌が書かれた数ヶ月前にあたる1963年6月、アラバマ州では「Stand in the Schoolhouse Door (校門立ちはだかり事件)」と呼ばれる歴史的な大事件が起こっていた。州立のアラバマ大学に史上初めて二人の黒人学生が入学しようとしたことを、当時の州知事だった差別主義者のジョージ·ウォレスが拒否し、黒人学生の入構を阻止するために自ら講堂にピケラインを張って立ちはだかるという暴挙に出たのである。




公民権運動の高まりに押された当時の大統領ケネディは、州知事が指揮権を持っていたアラバマ州兵を連邦直属とすることで対抗し、軍隊の圧力を背景にウォレスに封鎖の解除を迫って、結局ウォレスはこれを受け入れた。二人の黒人学生は無事に、しかも安全を保障されて大学に入ることができ、このことは公民権運動がかちとったそれまでで最大の「勝利」となった。「he that gets hurt will be he who has stalled (傷つくことになるのは道に立ちふさがった者だ)」というディランの「勝ち誇った歌詞」は、そのことを反映している。この部分の歌詞は全体がその事件を背景とした「時事ネタ」になっているわけであり、かつ「変革の歩みを妨げることは誰にもできない」という一般的な警句としても成立していることになる。公民権運動のうねりはその二カ月後のワシントン大行進で最高潮を迎え、年表に従うならこの曲はその興奮がいまだ冷めやらぬ中で書かれた歌だったのだということがうかがえる。

しかしながらこの「勝利の高揚感」は、同じ年の11月に「公民権運動の擁護者」と目されていたケネディが暗殺されたことをもって、一気に冷水を浴びせられることになる。よりによってその暗殺事件が起こった日にも、ディランはコンサートの予定が入っており、しかもセットリストには「時代が変わる」が含まれていた。孫引きのエピソードだが、ディランはこの時、この歌を歌っていいものなのかどうか相当「迷った」のだそうで、それはそうだと思う。戦いにとって「味方が殺されること」ほど重大な「敗北」はありえないのであり、誰もがその重い現実を噛みしめるしかない状況下にあって、こんなにも「調子に乗った歌」は、あまりにもそぐわない。

ところが迷った末にステージに立ったディランが決断してこの歌を歌うと、「洪水のような拍手」が湧き起こったのだそうで、そのことがいっそうディランを「困惑」させてしまったのだという。「何に拍手されているのかが分からなかった」かららしい。

ディランという人をあんなにも「ひねくれた歌い手」に変えてしまったのは、「聞き手の責任」も大きかったのだということをつくづくと感じる。私自身、せめて今からでも、「拍手すべきでない歌」には絶対に拍手してはいけないのだということを、しっかり貫いてゆかねばならないと思う。

Come mothers and fathers
Throughout the land
And don't criticize
What you can't understand
Your sons and your daughters
Are beyond your command
Your old road is
Rapidly agin'.
Please get out of the new one
If you can't lend your hand
For the times they are a-changin'.

この四番の歌詞は、今でも一番人気が高いらしい。親の干渉に辟易させられる若者の気持ちをストレートに代弁している歌詞だからで、「わからないことは批評しなさんな(片桐さん訳)」という部分などは、私自身も10代の頃は聞いていて結構「気持ちよかった」ことを覚えている。しかしこの歌詞にはあまりにも「愛」がないと、今になってみると思う。「Your old road is Rapidly agin'」という嘲り口調のフレーズの歌い方のエグさは、どうだろう。こういう歌を作った人がそのわずか数年後には、「娘に理解してもらえない父親の悲しみ」を歌った「怒りの涙」みたいな歌を作ってみせるのだから、本当に何が言いたいのかよく分からない人である。
nagi1995.hatenablog.com

The line it is drawn
The curse it is cast
The slow one now
Will later be fast
As the present now
Will later be past
The order is
Rapidly fadin'.
And the first one now
Will later be last
For the times they are a-changin'.

この最後の部分の歌詞だけは、「他の誰かに向けた呼びかけ」にはなっていない。従ってデスマス体を使う必要もないわけだから、独白体で翻訳してある。

「The line it is drawn」「The curse it is cast」相変わらずの「おそ松くん話法」である。(勢いで命名したが、あまり的確な言い方にはなっていないかもしれない)。この「ライン」について、昔の私は「スタートライン」のことかな、と思っていたのだけど、むしろ「境界線」みたいなものをイメージした方が近いのだと思う。「勝ち組」と「負け組」の境界線とか、「生き残る者」と「滅亡する者」の境界線とか、そういうイメージである。そんな線を勝手に引くなと言いたいが、そこは歌詞なのだから、言ってもしょうがない。

「The curse it is cast」について、片桐さん訳は「コースは決められ」となっているのだが、「course」じゃなくて「curse」っすよ片桐さん。「呪いは放たれた」と言ってるのである。まともな歌詞カードもなかった60年代にはこういう間違いが生まれるのも仕方なかったことかもしれないが、「TAP the POP」みたいなかなり大きい音楽サイトにおいてまでその間違った訳詞がいまだに検証されることもなく引用され続けている現実は、けっこう問題だと私は思う。21世紀なんだぜ皆さん。人の言葉をちゃんと聞こうとする努力ぐらい、やろうと思えばいくらでもできることなのだから、しようじゃないか。

「呪いは放たれた」はじゃあそれならどういうことなのだという話になるわけだけど、やっぱり「死すべき者の運命は決まった」みたいなことが言われているわけで、つまり「運命に逆らうことは誰にもできない」ということが、ここでは歌われているのだと思う。「時代は変わる」と矛盾してるじゃないかと思うが、ディランという人は矛盾を気にするような人ではない。それに「時代は変わる」と翻訳されているフレーズ自体、実際には「時間は刻一刻と流れている」ということしか言っていない。辻褄は、まあ、合っているのだ。合い方がむかつくのだが。

ちなみに「the first one now will later be last」というフレーズは、新約聖書のマルコ伝10:31からの引用である。「時代は変わる」と言ってる割には、ずいぶんと古い権威にしがみついてらっしゃるんですね。いやまあ、「時代は変わる」と言ってないなら言ってないで構わないのだけど、日本にはこの歌が「時代は変わる」と言っているのだと信じて、そこに「希望」を見出そうとしてきた人が大勢いるわけで、それに対する「責任」だけは、とってほしいと私は思ってるんですよね。

いずれにしても「時代を変えたい」という気持ちを本当に持っている人たちは、こんな歌を信じるのではなく、その自分の気持ちをまず信じることから始めるべきなのではないかと思う。それが私自身の、この「付き合いの長かった歌」に対する結論である。またひとつ、青春に決着がつけられた。そんな気がしている。


The Times They Are A-Changin'

私がこの歌を最初に聞いたのは、何回も触れてきた1992年のディランの30周年トリビュートコンサートにおける、トレイシー·チャップマンのカバーを通じてのことだった。その少年的な声と外見に、私はトレイシーさんのことをずっと男性なのだと勘違いしていて、その誤解が解けたのは実は去年になってようやくのことである。つくづく、失礼なことをしていたものだと思う。次回からはいよいよ「トータルバラライカショー」の本番に突入します。ではまたいずれ。


=楽曲データ=
Recorded: 1963.10.24.
Released: 1963.1.13.
Key: G