華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

You've Got to Hide Your Love Away もしくはふんじゃったハイホー (1965. The Beatles)


You've Got to Hide Your Love Away

You've Got to Hide Your Love Away

英語原詞はこちら


Here I stand head in hand
Turn my face to the wall
If she's gone I can't go on
Feeling two-foot small

頭を抱えております。
壁に向かっております。
あのひとが行ってしまったら
私はもうやって行けません。
身長が60センチぐらいに
なってしまったような気がします。


Everywhere people stare
Each and every day
I can see them laugh at me
And I hear them say

どこに行っても
みんなにじろじろ見られます。
来る日も来る日もです。
みんなが私を
笑っているのがわかるし
こう言っているのが
聞こえてくるのです。


Hey you've got to hide your love away
Hey you've got to hide your love away

おいおまえ
ふられたって思い切り顔に書いてあるぜ
って。
おいおまえ
ふられたって思い切り顔に書いてあるぜ
って。


How can I even try
I can never win
Hearing them, seeing them
In the state I'm in

どうやって
がんばれというのでしょう。
うまくいくはずなんて
ないというのに。
みんなの嘲りが聞こえ
みんなの姿が目に入る
こんな針のむしろの上で。


How could she say to me
Love will find a way
Gather round all you clowns
Let me hear you say

「愛にできないことはない」なんて
どうしてあのひとが
それを私に言えるのでしょう。
寄ってたかって笑うがいいです
山猿的なみなさん。
いつものやつを
聞かせてもらおうじゃないですか。


Hey you've got to hide your love away
Hey you've got to hide your love away

おいおまえ
ふられたって思い切り顔に書いてあるぜ
って。
おいおまえ
ふられたって思い切り顔に書いてあるぜ
って。

=翻訳をめぐって=

ビートルズの5枚目のアルバム「HELP!」の3曲目に収録されているこの歌には、「悲しみはぶっとばせ」という邦題がついているのだけれど、つらつら読んでみて、一体この歌詞のどこに「悲しみはぶっとばせ」的な要素が含まれているというのだろうか。

邦題を付けた高嶋弘之は「悲しみをぶっとばせ」ではなく「悲しみはぶっとばせ」としている点が重要と述べている。

...ということがWikipediaには書かれているのだが、いやいやいや、と思う。確かに歌詞の翻訳とかやってますと、ここは「を」で訳すべきかとか「が」で訳すべきかとか、「推敲」が大切になる場面は、多いですよ。でもその高嶋さんという人の「苦労」は、「翻訳」とは何の関係もないところでなされてる「苦労」なわけですよね。「自分だったら歌の主人公にこう言ってやる」みたいな話になってるとしか思えないのだけど、それって単なる「感想」なのではないだろうか。

外国の人が作った歌の邦題を、「内容」でなく「感想」で決めるなんて、アリなんだろうかと思ってしまう。そういうのが許されるなら、「HELP!」という歌の邦題が「自己責任で何とかしろ」とかになっていたとしてもリスナーは文句が言えないことになってしまうと思うのだが、どんなもんなんだろう。

何しろ子どもの頃の私は、レコードジャケットにそう書いてあるものだから、この歌には「悲しみはぶっとばせ」的なことが歌われているものだと完全に信じ込んでいたのである。「へぇい!ふんじゃったハイホー...」みたいに聞こえるザラザラ声のジョンの叫びは、リスナーに向けた励ましのメッセージなのだと信じて疑わなかったのである。それで自分自身、辛いことや悲しいことがあった時には「ふんじゃったハイホー」と歌うことで自らを励ますようなことさえしてきたのである。それがどうだろう。ある程度英語が分かるようになって自分の手で翻訳してみると、「ふんじゃったハイホー」は「励ましのメッセージ」であるどころか、実際は傷ついた主人公に対する周囲からの「嘲りのメッセージ」だったのだ。私は自分を励ますつもりで、嘲っていたことになってしまうではないか。

無垢だったあの頃の日々を返してくれ。と言いたくなる。こおゆうのを「華氏65度の冬」と言うのである。

確かにこの歌は、「直接日本語に置き換えにくい言葉」で書かれている。だから「それっぽい訳詞」を書こうとすればどうしても「思い切った意訳」が必要になるし、私が自分でやっても、そうなった。そして「ふんじゃったハイホー (you've got to hide your love away)」の部分は、そこだけ切り取ってみれば「励ましのメッセージ」に聞こえなくもない内容に、なってはいるのである。だから昔実家にあったレコードの歌詞カードでは「お前さん、くよくよするもんじゃないよ」的な和訳がついていたし、ネットの時代になった今でもそうした文脈で翻訳している例が、検索してみるとけっこう見つかる。けれども歌詞全体の文脈から判断するなら、「ふんじゃったハイホー」はどう考えても「嘲りのメッセージ」だとしか私には思えないのである。

「ふんじゃったハイホー」を「励まし」と解釈するか「嘲り」と解釈するかは、この歌の主人公が「まだフラれていない」と解釈するか「既にフラれている」と解釈するかによって、違ってきているようだ。私が読む限り、主人公は好きな人からフラれた直後である。それで、全身からフラれたオーラを発散させている。周りはそれを見て笑ったり囃したりするのだが、本人にはもはやそれに言い返す気力もない。それが「この歌の風景」であると思う。以下、原文と突き合わせて、そのことを検証してみたい。

Here I stand head in hand
Turn my face to the wall

後日付記: 当初、私はこの最初の部分を「頬杖をついております」と翻訳していました。以下はその時に書いた、その訳し方の根拠です。

...この冒頭の情景描写に関しては、「ビートルズ英語読解ガイド」という本を書かれた秋山直樹さんという方の解釈が奮っていたので、全面的にそれを踏襲させてもらっている。

「Here I stand head in hand」というフレーズは、従来「頭を抱えて立っている」と翻訳されることが多かった。ところが最後の単語は「hands」ではなく「hand」になっている。「片手」では頭は抱えられないのだ。

「片手」の中に「頭」が「in」する状態といえば、「頬杖」以外にありえない。そして「頬杖」をついている以上、主人公が「立って」いることはほぼありえない。だからこの「stand」は「立っている」という意味ではなく、「〜の状態にある」という意味で使われている。主人公は頬杖をついて、おそらくはしゃがみこんで、壁に向かっているのである。

...しかしながら読者の方から

余りに辛い時、片手で顔や額の辺りを覆うってことはあると思うが、そんな感じでは?
辛くて無力なとき自分が小さくなった気がするって心理状態はあるようだけど、立ってるのに、ってなほうがダメージ感が強まるし…。

という感想を頂き、確かに「片手」だからといって「頬杖」しかありえない、という風に決めつけるのは乱暴かもしれないと、自分でも思えてきました。「立っているのに小さくなった気がする」状態の方がダメージ感が強いというのも、言われてみればその通りです。それで「head in hand」という言葉で改めて画像検索してみたところ、以下のような画像が見つかりました。




...これらはいずれも「片手」ではありますが、日本語的には両方とも「頭を抱えている」と言いうる状態だと思います。さらに、オバマは座ってるわけですが、この「抱え方」は立った状態でも別に不可能ではありません。よって、試訳は「頭を抱えております」と書き直すことにしました。ご指摘に感謝します。

If she's gone I can't go on

直訳は「彼女が行ってしまったら、私はもう(続けるべきことを)続けることができない」。ここで「if (もしも)」が使われていることから、「主人公はまだフラれていないのでは」「まだ見込みがあるのでは」という風に早合点してしまう人が多いのではないかと思う。けれども二番の歌詞まで読めば明らかなように、この主人公の恋は完全に「終わって」いる。「if」というのは「一般論」なのであり、現実には彼女は既に「行ってしまったも同然」な状態にあるのである。

Feeling two-foot small

「身長が2フィート(60センチ)ぐらいになってしまった気がする」という意味。ちなみに英語で「身長2フィート」と言いたい時は「two-foot tall」と言わなければいけないのだけど、ここではジョンが間違えて「two-foot small」と歌ってしまい、「面白いからそのままにした」ということが物の本には書かれている。その「面白さ」を「翻訳」するのは難しい。「身短60センチ」とかにすればいいのだろうか。うーむ。面白くないからあきらめた。

Everywhere people stare
Each and every day
I can see them laugh at me
And I hear them say

こんな風に「周りの人間がじろじろ見たり笑ったり」するのは、主人公が「片想いに苦しんでいるから」とか「勇気がなくて告白できずにいるから」とかではなく、「フラれて地獄のような顔をしているから」なのである。そのことを、ハッキリさせておかなければならないと思う。「ふんじゃったハイホー」はいったん飛ばして、二番の歌詞に移りたい。

How could she say to me
Love will find a way

この「Love will find a way」というフレーズは、資料によるならば

Love will find a way
through paths where
wolves fear to prey.

狼たちが尻込みするような道にも
愛は行く手を見つけ出す

という17世紀イギリスの詩人バイロンの一節が出典になっているのだそうで、これが現在では「愛に不可能はない」という意味の「ことわざ」になっているのだという。

だが、それを自分の好きな人から「一般論」として言われてしまったら、どんな気持ちがするだろうか。相思相愛の相手から「愛に不可能はない」と言われたら、これはもう、元気が出るに決まっている。にも関わらずこの歌の主人公は「落ち込んで」いる。つまりこの主人公はいったん彼女にアタックして、あかんかったことの上で、フォローのつもりなんだか何だか知らないけど、彼女から「愛に不可能はない」という言葉を受け取っているのである。こんなのは「励まし」にも何にもなっていない。むしろ「追い討ち」なのだ。

この言葉がおそらくは、主人公に「終わり」を確信させたのである。好きな相手は依然、今のところ「友だち」みたいに振舞ってくれてはいるものの、「ここから先には入ってくるな」という「線」を引かれてしまったのである。そこから「How can I even try (おれにどう頑張れって言うんだ)」という言葉が生まれてくるのだ。一番助けてほしい相手が自分のことを助けてくれず、助けてくれないことの上で「ポジティブなこと」を言ってくる。人間としてこれほどキツいことは他にないと思う。私が大好きなザ·バンドの「Katie laughed when I said I was lonely」という一節と同じくらい、彼女のその言葉は主人公のことを深々と打ちのめしたに違いない。「この人とはこれ以上は絶対に分かり合えないのだ」ということを主人公に確信させたに違いない。私にはその気持ちが死ぬほどよく分かる。何で分かるのかは、死にたくないから書かないけど。

そしてそんな言葉を喰らって真っ白になっている主人公に向かい、他人の不幸を蜜の味と心得ている周りの連中は、情け容赦なく言い立てるのだ。

Hey you've got to hide your love away

これを直訳すると、「おい、あなたはあなたのLoveを人に見えないように隠さねばならない」という意味になる。そしてこの「Love」を「恋心」と翻訳したりするから、このフレーズが「励ましのメッセージ」であるかのように勘違いする人が出てきてしまうのだと思う。「恋心を隠しておけ」と言ってるのであれば、確かにこれは「善意」に解釈するなら「恋のアドバイス」みたいな言葉になる。しかし主人公のその恋は既に「終わって」しまっているのであり、周りの連中はそのことを丸わかりんぐな上で、このフレーズを囃し立てているのである。

試訳ではそういう言葉は使わなかったけど、この「Love」は正確には「未練」と訳されるべき言葉なのだ。その未練が主人公の背中じゅうからみっとも恥ずかしくダダ漏れになっていることを、周りの人間は嘲笑しているにすぎないのである。この「Love」がいまだ「告白されていない愛」なのだとしたら、この歌の主人公の態度はあまりに「いじけすぎ」というものだ。だから高嶋弘之という人は「悲しみはぶっとばせ」という邦題を「苦労して」思いついたのかもしれない。でも、主人公からダダ漏れになっているのは「実を結ばなかった愛」なのだ。別にいじけてたって、いいじゃないか。

Gather round all you clowns
Let me hear you say

この「clowns」は「ピエロ/道化師」と訳されているケースが非常に多いのだが、この場合ピエロは主人公自身なのである。辞書を引くと「clown」には「不作法な人、下品な人、役立たず、田舎者」等々の意味もあるのだとのことであり、そっちで訳するのが多分正解だと思う。主人公に言い返すことのできる、多分精一杯のイヤミなのだ。「山猿的なみなさん」という自分の訳語が「うまい」とは全然思わないのだけど。

「Let me hear you say」はいつもの「ふんじゃったハイホー」をさあ聞かせやがれ、ということ。この主人公は徹底的に、いじけてひねくれている。とはいえそれは、やっぱり他人にどうこう言えることではないと思う。「悲しみはぶっとばせ」なんて無責任な言葉は、私だったら吐けないな。主人公の彼氏がそれを「受け止める」ことのできる状況にあるとは、とても思えないからである。


ここにいる

今回唐突に「悲しみはぶっとばせ」を取りあげたのは、中村一義のこの歌を聞いていて何となく思い出されてしまったからであり、「8分の12拍子つながり」ということ以外に特に理由はない。あと2月4日は「Feb.Four」で「ビートルズの日」になっているのだそうで、SNSでそういう話をしている人が多かったから自分も何かと思って書き始めてみたのだが、書き終えてみたら日付が変わってしまっていた。意味もへったくれもあったものではない。次回からは再び通常展開に戻ります。ではまたいずれ。


=楽曲データ=
Recorded: 18 February 1965
Released: 6 August 1965

John Lennon: vocals, 12-string acoustic guitar
Paul McCartney: bass guitar
George Harrison: acoustic guitar
Ringo Starr: drums, tambourine, maracas
Johnnie Scott: tenor flute, alto flute

Key: G