華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Let's Work Together もしくは力を合わせてがんばろう (1970. Canned Heat)


Let's Work Together

Let's Work Together

英語原詞はこちら


Together we'll stand
Divided we'll fall
Come on now, people
Let's get on the ball

力を合わせてこそ
我々は立つことができる。
バラバラにされたら
我々は崩れる。
さあみなさん集まって
ボールの上に乗りましょう。


And work together
Come on, come on
Let's work together
Now, now people
Because together we will stand
Every boy, every girl and man

力を合わせてがんばろう。
さあおいでよ。
力を合わせてがんばろう。
さあみなさん。
力を合わせてこそ
我々は立つことができるのだから。
すべての男の子に女の子に
おとなのみなさん。


People, when things go wrong
As they sometimes will
And the road you travel
It stays all uphill

みなさん時々そうなるように
物事がうまく行かない時には
そしてみなさんの旅する道が
いつまでたっても登り坂な時には


Let's work together
Come on, come on
Let's work together, ah
You know together we will stand
Every boy, girl, woman and man

力を合わせてがんばろう。
さあおいでよ。
力を合わせてがんばろう。
さあみなさん。
力を合わせてこそ我々は
立っていられるものなんですよ。
すべての男の子に女の子に
女性に男性のみなさん。


Oh well now, two or three minutes
Two or three hours
What does it matter now
In this life of ours

ああ2分や3分や
2時間や3時間のことが
どう問題になるって言うんだろう。
我々の人生にとって。


Let's work together
Come on, come on
Let's work together
Now, now people
Because together we will stand
Every boy, every woman and man

力を合わせてがんばろう。
さあおいでよ。
力を合わせてがんばろう。
さあみなさん。
力を合わせてこそ
我々は立つことができるのだから。
すべての男の子に女の子に
女性に男性のみなさん。


Ah, come on
Ah, come on, let's work together

さあおいでよ。
力を合わせてがんばろう。


Well now, make someone happy
Make someone smile
Let's all work together
And make life worthwhile

誰かのことを幸せにして
誰かを微笑ませてあげよう。
力を合わせてがんばろう。
そして人生を
生きるに値するものにしよう。


Let's work together
Come on, come on
Let's work together
Now, now people
Because together we will stand
Every boy, girl, woman and man

力を合わせてがんばろう。
さあおいでよ。
力を合わせてがんばろう。
さあみなさん。
力を合わせてこそ
我々は立つことができるのだから。
すべての男の子に女の子に
女性に男性のみなさん。


Oh well now, come on you people
Walk hand in hand
Let's make this world of ours
A good place to stand

さあみなさん
手に手を取って歩こう。
我々の生きるこの世界を
素晴らしい場所に変えて行こう。


And work together
Come on, come on
Let's work together
Now, now people
Because together we will stand
Every boy, girl, woman and man
Ah, yeah

力を合わせてがんばろう。
さあおいでよ。
力を合わせてがんばろう。
さあみなさん。
力を合わせてこそ
我々は立つことができるのだから。
すべての男の子に女の子に
女性に男性のみなさん。


Well now, together we will stand
Every boy, girl, woman and man
Ah, yeah

力を合わせてこそ
我々は立つことができる。
すべての男の子に女の子に
女性に男性のみなさん。


Let's Work Together (Canned Heat)

「トータル·バラライカ·ショー」の二曲目に演奏されたのは、ウィルバート·ハリスンというR&Bシンガーが1962年に発表し、キャンド·ヒートというロサンゼルスのバンドによるカバーで世界的に有名になったこの曲、「Let's Work Together 」だった。ロックの楽曲には珍しく、「人間が力を合わせること」の素晴らしさを正面から歌いあげた、労働歌としての側面を併せ持つ楽曲である。



小学校の教科書に今でも載っている「大きなかぶ」というロシアの昔話があるけれど、あんな話でさえ「子どもに社会主義イデオロギーを植えつけようとしている」として敵視するような向きが、自民党の政治家たちの間なんかでは、あるらしい。だが「人間が力を合わせること」=「団結すること」は、資本主義であろうと社会主義であろうと、古代社会であろうと「文明」社会であろうと、あらゆる人間活動の基本に位置する事柄である。その「団結すること」さえ「やめろ」と言うなら、あんたらがまず人間であることをやめろというぐらいの次元の話だと私は思う。自分ひとりの力で生きてるわけでもないくせに。

しかしながら階級支配が存在する社会においては、人間同士が「力を合わせる」というその活動において、「何のため」に力を合わせるのか、「どう」力を合わせるのかを「決めて」いいのは「支配者」だけだということにされており、実際に「力を合わせて」仕事をする一人一人の人間は、むしろバラバラに分断されて、「自分の頭で考えること」を禁止されているのが「普通」になっている。「支配者の名において」なされる「共同作業」が巨大な「力」を作り出せば作り出すほど、その中に生きる一人一人の人間は「ちっぽけな存在」として扱われるようになってゆく。この現象は「疎外」と呼ばれている。

「階級支配が存在する社会」とは、今の地球においてはまず何をおいても、我々が不本意ながらそこで生きることを余儀なくされている資本主義社会のことだ。この社会では原則的に「競争に勝つため」にしか「力を合わせること」が「認められて」いないし、「何のために」「どう」「力を合わせる」のかを「決めていい」のは「経営者」だけ、ということになっている。その「経営者の共同利害」にもとづいて「国益」などというものが形成され、そのために原発が必要だとか果ては戦争が必要だとかいう話にまでなって行くわけなのだが、そんなものを少しも必要としていないばかりかむしろそのために真っ先に殺される立場になる人間の声というものは、全く顧みられることがない。

その人たちが生きるために「力を合わせて」声をあげようとすれば、支配者たちはそれこそ「一致団結」してこれを押しつぶそうとするし、そのためにはいくらでも「予算」が投入される。この「予算」というもの自体、一人一人の人間が力を合わせて働くことによってしか作り出すことのできない「労働の結晶」であり、「共同の力」そのものであるわけなのだが、支配される側の立場の人間にとっては、その「共同の力」が文字通り自らに「敵対」してくることになるわけなのだ。バラバラにされた諸個人はバラバラにされた状態であり続ける限り、絶対に「勝てない」ような仕組みがそこには存在している。

もっとも「社会主義」を自称する国々にあっても、「決定」に関するあらゆる事柄が「官僚」の手に独占されている現実がある限り、その事情は資本主義社会と全く変わるものではない。問題は一人一人の諸個人が「自分の欲求」にもとづいて「力を合わせる」ことが可能になるような社会は、どうすれば実現できるのか、という点にかかっているのではないかと思う。

そのためには結局まず何よりも「一人一人の諸個人」が「自分の欲求」にもとづいて「力を合わせる」ことから始めて行く以外にない。という堂々めぐりみたいな一般論しか差し当たり私には書きようがないのだけれど、少なくともこれだけは言えることとして、人間が本当に「生きる喜び」を実感することができるのは「他の誰かと共同で何かを成し遂げることができた時」に限られており、その「誰かと共有できる喜び」がなければ、生きていたって「いいこと」なんてひとつもないのである。

人間のあらゆる欲求の根源には、この「他者への欲求」が存在している。そして人間の欲求というものがどこから生まれてくるものかといえば、それは常に「思い通りにならない現実」と向き合うことの中から生まれてくるものなのだ。「疎外された共同の力」が一人一人の生きた諸個人を圧迫する現実が強まれば強まるほどに、その「力」をハネ返したいという「欲求」は強まることに決まっている。その欲求がお互いを求め合う時に、現実に呼吸している人間同士によって形成される「生きた共同の力」が「疎外された共同の力」を打ち破ることのできる瞬間は、必ず訪れる。歴史が本当に「変わる」時には、常にそうした形で「変わって」きたのである。だから私は今の間違った社会にもいずれはそんな風に「変わる」べき時が必ず訪れるだろうということを、根本的には疑っていない。

もちろんだからと言って、何もしないで待っていれば世の中は変わるとかそういう甘いことは全然考えていないのだけど。とりあえず差し迫っていることとして、天皇の代替わり式典だとか東京オリンピックだとかいった「疎外された共同の力が自らを誇示するための祭典」に何ひとつ「反撃」することができないようであれば、一人一人の人間同士が「自分たち自身のため」に「力を合わせる」ことのできる日は、その分だけ遠ざかってしまうに違いない。まずはそれを本気で「許せない」と思っている人間同士が、「力を合わせる」ことからしか始まらない話なのだな。

いずれにしても、それまで「東側世界」と「西側世界」とに分断されてきた二つの国の音楽集団が、初めて合同でコンサートを開くにあたって、冒頭にまず「人間が力を合わせること」を讃え合うこの曲を持ってきた「トータルバラライカショー」の演出を、私は素直に美しいと思った。そしてレニングラード·カウボーイズもソビエト赤軍合唱団もお互い心から楽しそうにこの歌を歌っている姿は、見ているだけでうれしくなってくるものだった。以上今回の記事は完全に私の「感想」に終始させてもらいました。


Let's Stick Together

「Let's Work Together」はブライアン·フェリーにもカバーされているのだけれど、彼のバージョンでは「Let's Stick Together」とタイトルが変わっており、歌詞も「力を合わせよう」という内容よりはむしろそれを「体をくっつけよう」という方向に特化させた、よりえろえろしいものになっている。まあ、別に「違うこと」を歌っているわけではないので、そちらはそちらで、頑張って頂きたいものだと思う。っていいのだろうかこんな終わり方で。ではまたいずれ。


=楽曲データ=
Released: 1970.1.
(Originally released by Wilbert Harrison in 1962)
Key: G