華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Їхав козак за Дунай もしくはコサックはドナウを越えて (18c.Ukrainian Folk Song)


A Cossack Was Riding Beyond The Duna

Їхав козак за Дунай

ウクライナ語原詞はこちら


いーはふ コーザク ざ ドゥーナーイ
Їхав козак за Дунай,
すかーざふ ディフチノ ぷーろししゃーい
сказав: Дівчино, прощай!
ティ コニク ゔぉろねんきぃ
Ти,конику вороненький,
にぇーすぃ たー ふりゃい
неси та гуляй!"

ドナウ川の彼方に向かおうとする
コザックが言った。
「恋人よさらば。
黒きわが馬よ私と共に進め」


ぽしてぃ ぽしてぃ みぃ コーザーチェ
Постій, постій, мій козаче,
ツヴァヤ ディーヴチナ ぷらーちぇ
твоя дівчина плаче,
なー コヴァ ふ ティ ぽーきーだーえし
На кого ж ти покидаєш -
てぃーるき ぽーどぅない
тільки подумай.

待つがいい、待つがいい、コザックよ。
お前の恋人は泣いている。
どうして彼女を置いていけるのか。
考え直すがいい。


るちぇ ぶろ、るちぇ ぶろ、
Лучше було б, лучше було б
ねー ほーでぃーぃ
не ходить,
るちぇ ぶろ、るちぇ ぶろ、
Лучше було б, лучше було б
ねー りゅーびーぃ
не любить,
るちぇ ぶろ、るちぇ ぶろ、
Лучше було б, лучше було б
タ い ね ずなーぃ
та й не знать,
ち テペ、ち テペ、ざーぶーゔぁぃ
Чим тепер, чим тепер забувать.

できるなら、できるなら、
行かなくて済めばいいのに。
できるなら、できるなら、
愛さなければよかったのに。
できるなら、できるなら、
彼女を知らなければよかったのに。
今は、今は、忘れるべき時だ。


ヴィーシュラ るーきー ざーろーまーゔし
Вийшла, руки заломавши
いー チャージェンコ ざぷらーかふし
і тяженько заплакавши:
なー コヴァ ふ ティ ぽーきーだーえし
На кого ж ти покидаєш –
てぃーるき ぽーどぅない
тільки подумай!

娘が出てきた。
悲しみに手で顔を覆って。
「どうして私を置いて行けるの。
考え直して頂戴」


びーりふ ルーチョク ね らまい
Білих ручок не ламай,
やすにふ オーチョク ね ふてぃーらーい
ясних очок не втирай
メーネす ゔぃーに いず すらゔぉーゆ
Мене з війни із славою
く そび どーじゅだい
к собі дожидай".

「白い手で顔を覆うのはやめてほしい。
輝く瞳を拭うのはやめてほしい。
戦で武勲を立てて
必ず戻ってくるから」


るちぇ ぶろ、るちぇ ぶろ、
Лучше було б, лучше було б
ねー ほーでぃーぃ
не ходить,
るちぇ ぶろ、るちぇ ぶろ、
Лучше було б, лучше було б
ねー りゅーびーぃ
не любить,
るちぇ ぶろ、るちぇ ぶろ、
Лучше було б, лучше було б
タ い ね ずなーぃ
та й не знать,
ち テペ、ち テペ、ざーぶーゔぁぃ
Чим тепер, чим тепер забувать.

できるなら、できるなら、
行かなくて済めばいいのに。
できるなら、できるなら、
愛さなければよかったのに。
できるなら、できるなら、
彼女を知らなければよかったのに。
今は、今は、忘れるべき時だ。


ねー ほちゅ ヤー にーちょーほ
Не хочу я нічого,
てぃるきぃ テーベー おどぅのーほー
тільки тебе одного
ティ ずどろふ ぶでぃ みぃ コーザーチェ
Ти здоров будь мій козаче,
あ フシェ ぷろーぱだい
а все пропадай

「私は誰ともいたくない。
たったひとりのあなたの他には。
気をつけてください私のコザック。
他には何も言えません」


りぷぬふ すゔぃすぬふ な コニヤ
Рипнув свиснув на коня:
おすたーゔぁぃしや ずどろーゔぁ
Оставайся здорова!
ヤク ね ずひーぬ とぅ ゔぇるぬーしゃ
Як не згину, то вернуся
ちぇれす とりー ホダ
через три года!

口笛で馬をなだめ彼は言った。
「あなたこそ気をつけてください。
もし死ななければ3年のあいだに
私は戻ってきます」


るちぇ ぶろ、るちぇ ぶろ、
Лучше було б, лучше було б
ねー ほーでぃーぃ
не ходить,
るちぇ ぶろ、るちぇ ぶろ、
Лучше було б, лучше було б
ねー りゅーびーぃ
не любить,
るちぇ ぶろ、るちぇ ぶろ、
Лучше було б, лучше було б
タ い ね ずなーぃ
та й не знать,
ち テペ、ち テペ、ざーぶーゔぁぃ
Чим тепер, чим тепер забувать.

できるなら、できるなら、
行かなくて済めばいいのに。
できるなら、できるなら、
愛さなければよかったのに。
できるなら、できるなら、
彼女を知らなければよかったのに。
今は、今は、忘れるべき時だ。


いーはふ コーザク ざ ドゥーナーイ
Їхав козак за Дунай,
すかーざふ ディフチノ ぷーろししゃーい
сказав: Дівчино, прощай!
ティ コニク ゔぉろねんきぃ
Ти,конику вороненький,
すかち たー ふりゃい
скачи та гуляй!"

ドナウ川の彼方に向かおうとする
コザックが言った。
「恋人よさらば。
黒きわが馬よ。今はただ進め」


るちぇ ぶろ、るちぇ ぶろ、
Лучше було б, лучше було б
ねー ほーでぃーぃ
не ходить,
るちぇ ぶろ、るちぇ ぶろ、
Лучше було б, лучше було б
ねー りゅーびーぃ
не любить,
るちぇ ぶろ、るちぇ ぶろ、
Лучше було б, лучше було б
タ い ね ずなーぃ
та й не знать,
ち テペ、ち テペ、ざーぶーゔぁぃ
Чим тепер, чим тепер забувать.

できるなら、できるなら、
行かなくて済めばいいのに。
できるなら、できるなら、
愛さなければよかったのに。
できるなら、できるなら、
彼女を知らなければよかったのに。
今は、今は、忘れるべき時だ。



トータル·バラライカショー」の6曲目、指笛の音が印象的なこの歌は、ウクライナに古くから伝わる民謡なのだという。日本語版のWikipediaにはいまだ記載がないが、探してみると詳しく解説して下さっているサイトが見つかった。

www.worldfolksong.com
コサック(コザーク)と呼ばれ、かつ名乗ってきた人々の歴史については、以前にも触れたことがあるが、簡単に語れるようなことではない。(「3分で分かる歴史」だとか「民族」だとかいった文章を書いたり読んだりすることに良心の呵責を感じないような人間は、みんな差別主義者だと言っても過言ではないと私は思う)。「ウクライナと南ロシアなどに15世紀以降に帝政ロシアの農奴制から逃亡した農民や没落貴族で形成された独特の軍事的共同体、またはその共同体の一員」というのがWikipediaによる「説明」だったわけだが、この人たちが16世紀から17世紀にかけては、神聖ローマ帝国やフランス王国の傭兵としてヨーロッパの各地の戦場で戦うことを生業としていた時代があったらしい。ウクライナから南下して、ルーマニアを通過して「ドナウ川を越える」と、当時そこに広がっていたのはオスマン帝国の版図である。その地へ戦いに行くために恋人に別れを告げる一人の兵士、というのがこの歌の「風景」なのだと思う。


Їхав козак за Дунай

ウクライナといえば旧ソ連の領域の中でも一番ヨーロッパ寄りに位置する地域なわけだが、昔の絵画や今の映像の中に描かれたコサックの人たちの服装やまた家屋のたたずまいなどは、驚くほどに「アジア的」である。13世紀以降は長くモンゴル帝国の支配を受けた地域にあたっているわけだが、それ以前からもかつて中国で「匈奴」や「鮮卑」と呼ばれた騎馬民族の人々が、行き来していた歴史があったのかもしれない。レニングラード·カウボーイズを生んだフィンランドという国でも、その人口の多くは「アジアの遊牧民族の末裔」を自認している。「アジア的」だというだけですぐに「日本との関係」を云々したがるようなのは軽薄な傾向にすぎないにしても、やっぱりある種の「ロマン」を感じさせる話ではあると思う。


Beethoven Opus107-7 Minka variations

この歌は「Schöne Minka (シューネ·ミンカ=美しいミンカ)」という名前でドイツでも知られており、ベートーヴェンやカール·マリア·フォン·ヴェーバー、ヨハン·ネポムク·フンメルといった高名な作曲家たちも、この歌を主題にした変奏曲をいくつも作っているのだという。ベートーヴェンだけは知ってるけど、後の2人については谷山浩子さんの下の歌で名前を聞いたことしかなかったな。もちろんドイツ語の歌詞もついているらしいのだが、さすがにそれは割愛させてもらいたい。


偉大なる作曲家

「トータルバラライカショー」でこの曲に続いて演奏されたのは、C.C.R.の「プラウド·メアリー」だった。ロックの歴史と旧ソ連の歌曲を「いいとこどり」にしたようなコンサートだったもので、既に別の回で取りあげている曲もちょくちょく出てくる。該当記事の方にもその都度、編集を入れてゆくことにしたい。ではまたいずれ。


Proud Mary

nagi1995.hatenablog.com