華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Street Fighting Man もしくは路上で戦う季節です (1968. The Rolling Stones)


Street Fighting Man

Street Fighting Man

英語原詞はこちら


Ev'rywhere I hear the sound
Of marching charging feet, boy
'Cause summer's here and the time is right
For fighting in the street, boy

行進し突撃する足音が
どこへ行っても聞こえてくるぜ兄ちゃん
夏が来ました 時は今
路上で戦う季節ですからね兄ちゃん


Well now, what can a poor boy do
Except to sing for a rock n' roll band?
'Cause in sleepy London town
There's just no place for a street fighting man, no

でもだからと言って
情けないくそがきには
ロックンロール·バンドで
歌うことの他に
何ができるって言うんだ
眠たいロンドンの街には
路上で戦う男のための場所なんて
どこにもないんだから
だめだこりゃ


Hey think the time is right
For a palace revolution
But where I live the game
To play is compromise solution

さあ時はまさに
宮廷革命にうってつけだと思わないか
けれどもおれが
実際に生きてる現場では
やるべきゲームの内容は
どこで妥協して解決させるかって
ことでしかないんだ


Well now, what can a poor boy do
Except to sing for a rock n' roll band?
'Cause in sleepy London town
There's just no place for a street fighting man, no. Get down.

だからと言って情けないくそがきには
ロックンロール·バンドで
歌うことの他に
何ができるって言うんだよ
眠たいロンドンの街には
路上で戦う男のための場所なんて
どこにもないんだから
だめだこりゃ
楽しくやろうぜ


Hey so my name
Is called Disturbance
I'll shout and scream
I'll kill the king, I'll rail at all his servants

さあ というわけでおれの名前は
「騒乱」と呼ばれている
おれは叫び わめき
国王を殺し
そのすべての下僕どもに
罵声をぶつけてやるぜ


Well, what can a poor boy do
Except to sing for a rock n' roll band?
'Cause in sleepy London town
There's just no place for a street fighting man, no
Get down

でもだからと言って
情けないくそがきには
ロックンロール·バンドで
歌うことの他に
何ができるって言うんだ
眠たいロンドンの街には
路上で戦う男のための場所なんて
どこにもないんだから
だめだこりゃ
楽しくやろうぜ



私が現在「絶交」を宣言しているストーンズのこの楽曲を今回あえて取りあげたのは、この歌の最初のスタンザの歌詞が前回とりあげたマーサ&ザ·ヴァンデラスの「Dancing In The Street」という曲の

Summer's here and the time is right
For dancing in the street

夏が来ました 時は今
路上で踊る季節です

というフレーズのパロディになっていたのだということを、今まで知らずにいたからだった。(なお、ストーンズとの「絶交」を決めた経緯については下記リンクの記事を参照のこと)。私が10代の頃によく通っていたライブハウスには、この曲を二本のアコースティックギターだけで直立不動のまま歌いあげる人たちがいて、その演奏にはまるで夢幻能のような迫力があった。その頃のあらゆる思い出と結びついているその演奏の記憶は、私の歴史の中で今でも特別な位置を持っている。「封印」してしまうのではなくむしろ、それと正面から向き合うべき時がやってきたということなのだと思う。

nagi1995.hatenablog.com
「ストリート·ファイト」という言葉は、そんな名前のゲームの影響もあってか私ぐらいの世代の人間には「路上でケンカすること」だというイメージが強いのだが、元々は「市街戦」を意味する、ほとんど軍事用語と言ってもいいぐらいの固い言葉である。この歌が書かれた背景について、このブログでたびたび引用させてもらっている海外サイト「Songfacts」では、以下のように「解説」されている。

This song deals with civil unrest in Europe and America in 1968. There were student riots in London and Paris, and protests in America over the Vietnam War. The specific event that led Mick Jagger to write the lyric was a demonstration at Grosvenor Square in London on March 17, 1968. Jagger (along with Vanessa Redgrave), joined an estimated 25,000 protesters in condemning the Vietnam War.
この歌のテーマになっているのは、1968年のヨーロッパとアメリカにおける社会情勢の不穏さである。当時、ロンドンやパリにおいては学生の反乱が起こっており、またアメリカではベトナム戦争への抗議運動が展開されていた。ミック·ジャガーにこの曲を書かせる直接のきっかけとなったのは、1968年3月17日にロンドンのグロヴナー·スクエアで開催されたデモであり、ジャガーは(主催者だった女優のヴァネッサ·レッドグレイヴと共に)ベトナム戦争に抗議する2万5000人の群衆の一人として、そこに参加していた。

The demonstrators marched to the American embassy, where the protest turned violent. Mounted police charged the crowd, which responded by throwing rocks and smoke bombs. About 200 people were taken to the hospital and another 246 arrested. Jagger didn't make it to the embassy: before the protest turned violent, he abandoned it, returning to his home in nearby Cheyne Walk. Jagger realized that his celebrity was a hindrance to the protest, as his presence distracted from the cause.
This was the first Stones song to make a powerful political statement, although with an air of resignation. Jagger opens the song declaring "the time is right for fighting in the street," but goes on to sing, "But what can a poor boy do, 'cept sing in a rock and roll band."

デモはアメリカ大使館に向かい、そこで抗議行動は暴力に変わった。群衆に襲いかかった騎馬警官は、投石と発煙弾に迎え撃たれた。およそ200名が病院に担ぎ込まれ、そして246名が逮捕された。ジャガーはこの時、アメリカ大使館までは行っていない。抗議行動が暴力に切り替わる前の時点で彼はそこを離れ、チェインウォーク付近にあった自宅に引き上げてしまっていた。自分の参加が大義をゆがめてしまうことで(←翻訳、やや自信なし)、ジャガーは自分がセレブであることが、抗議行動にとっては障害にしかならないことを思い知らされた。この歌は、ある種のあきらめの空気に包まれているとはいえ、ストーンズが力強い政治的メッセージを明らかにした最初の曲である。ジャガーはこの歌を「街頭で戦う時がやってきた」という宣言で歌い始めるが、それは「だからと言って情けないくそがきにはロックンロール·バンドで歌うことの他に何ができるって言うんだよ」と続いてゆく。

This sense of hopelessness in the face of atrocity may be why the Rolling Stones became apolitical, focusing their efforts on songs about relationships and rock n' roll. In the process, they became very rich and beloved by members of all political persuasion.
残虐さを前にした上でのこの絶望感は、おそらくはローリングストーンズが非政治化し、自分たちの歌の内容を関係性やロックンロールに向けたものに絞ってゆくようになったことの、理由をなしている。このことを通してかれらは極めてリッチになり、そしてあらゆる政治的信条を持つ人々から愛されるようになったのだ。


Grosvenor Square March 17, 1968.
-上で言及されているデモの実際の映像-

…その「あらゆる政治的信条を持つ人々」の中からとりあえず私のことは除外しておいてもらいたいと個人的には思っているのだけれど、ミック·ジャガーという人自身の歴史においても重大な転換点となったであろうその「1968年3月のアメリカ大使館デモ」とこの曲の関係について、さらに詳しく書いている文章も見つけたので、併せて翻訳しておきたい。(かなり長文なので拙訳のみの転載とします。原文はこちらをご覧下さい)

“They told me that 'Street Fighting Man' was subversive. 'Course it’s subversive, we said.”– Keith Richards
「ストリート·ファイティング·マンは反体制的なんじゃないか、って言われたもんさ。反体制的だからな。っておれたちは答えたよ」
-キース·リチャーズ-


1968年3月17日、ある種の反乱的な空気がロンドンを覆っていた。ほとんどが学生からなる何千もの群衆が、ベトナム戦争に抗議するためにトラファルガー広場に結集していた。群衆の雰囲気は当初は至って陽気で、リーダーの一人だったヴァネッサ·レッドグレイヴがアメリカ大使館に抗議書簡を届けに行くことが予定されていたグロヴナー広場まで移動することが決議された際にも、そのムードは持続していた。しかしながら群衆がひとたびそこに到着すると、それまでのイージーゴーイングな空気は立ち所に消え失せた。そして、全く違う空気がそれに取って代わった。


写真右がヴァネッサ·レッドグレイヴ。その隣は当時の学生リーダーの一人だったタリク·アリ

警察が現場を包囲していた。少なくとも一人の目撃者の回想によるならば、かれらはデモ隊と同じくらいにおびえているように見えたとのことである。 抗議運動の観点から見た時、フランスやアメリカと比べるならば、ロンドンという街は長年にわたりおとなしく飼い慣らされた状態にあった。これから何が起こるのかを正確に予想できた人間は誰もいなかったし、これから何をすればいいのかを正確に知っていた人間も誰もいなかった。そのような状況のもとで、物事は間違った方向に向かった。



何が引き金になったのかは誰にも分からなかったが、広場はたちまち混沌に支配された。馬にまたがった警官は警棒を振りかざして襲いかかり、デモ隊は投石や爆竹、発煙弾でそれに対抗した。衝突はロンドン市街に拡大した。必死で馬にしがみつく「ポリ公」が一人、その後頭部を何度も棒で殴られていた。学生たちは路上に投げ出され、馬の蹄に蹴り倒されていた。夜までに200人以上の人々が逮捕された。負傷者の数はどちらの側でも甚大だった。聖ヨハネ救急センターでは86人が治療を受け、うち50人が病院搬送された。 25名が抗議者で25名が警官。まさに互角だったことに、事態の実情があらわれていた。



若きミック·ジャガーもまた、混乱の中でその広場に顔を出していた。ある目撃者は、広場の入口で暴力の現場をクールに見つめていた彼の姿を記憶している。それから間もなくジャガーは、パリのセーヌ川左岸で同様の光景を目にすることになった。彼は1968年5月の学生反乱に先立つ、多くの現場にいたのである。こうした全ての出来事は彼の心の奥底や、音楽を通して無意識的に表出される精神的要素のうちに、深く留まり続けることになった。

ミック·ジャガーというロックンローラーは、彼が吸収した革命的なエネルギーの全てを自分のバンドに取り込もうとした。彼とキース·リチャーズは当時、「Did Everyone Pay Their Dues? (みんな払うべきものは払ったのか?)」という仮題のついた曲に取り組んでいたのだが、曲は気に入っていたものの歌詞がうまく行かず、制作が頓挫していた。ジャガーは、当時かれらの周りで起こっていた革命的な出来事を歌詞の中に盛り込むことが必要なのではないかと提案した。

歌の新たな方向性が見えてきたところで、リチャーズが「What can a poor boy do?」というフレーズを思いつき、ジャガーが「Sing for a rock ‘n roll band」とそれに即座に答えた。古典的名曲「Street Fighting Man」は、そのようにして誕生した。

この歌は、自らがそれに触発されて生み出されたところの時代の空気そのものに対し、影響を与え続けることに成功した稀有な芸術作品の一例である。それは60年代の反乱の中から生まれ、そのまま60年代の反乱のためのアンセムとなった。ある意味、これは笑える現象だ。なぜならこの歌の全体的なパッションはその時代における政治的抵抗のスタイルを模倣しようと努めているにも関わらず、歌そのものの中には何の政治的メッセージも含まれていないからである。実際のところ、この曲はむしろ、意図的に非政治的に作られている。キース·リチャーズによる1969年の以下の発言は、そのことを裏づけるものだ。「ストリート·ファイティング·マンみたいな曲でおれたちがやろうとしていたことや、ミックが言おうとしていたことが、理解されていたとは思わない。おれたちは自分たちも路上に出たいって言ってたわけじゃなかったんだ。おれたちはロックンロールバンドだった。正反対なんだよ…政治ってやつはおれたちがそもそもの初めから、関わり合いになりたくないと思っていた対象だった」。そうした事実にも関わらず、この歌はそれに引き続く数年間のカウンターカルチャーにおけるサウンドトラックの中で、大きな位置を占めてゆくようになる。

(中略)

ある意味で、「ストリート·ファイティング·マン」をめぐる様々な物語は、60〜70年代のミュージックシーンの総体の縮図であると言えるだろう。音楽は確かに革命の加速を手助けする役割を果たしたが、ミュージシャンのほとんどはその大義に真面目に身を捧げようとはしていなかったし、場合によっては全く無関心だった。彼らはただ単にアーティストだっただけであり、その精神を時代にプラグインさせて人々が求めるものを供給することで、自分たち自身がリッチになろうとしていたにすぎなかった。全体として社会主義よりだったカウンターカルチャーは、資本主義によって作り出されたアンセムを燃料にして「燃えて」いたのである。このことについて真剣に考えようとする者は、最後には泣き崩れることになるか笑い崩れることになるか、さもなくばその両方だろう。

1968年フランス「五月革命」の写真集より

「ストリート·ファイティング·マン」は、現代の観客の前で演奏するとなるとどことなくユーモラスで、場合によってはナンセンスにさえ響く曲だ、とジャガーはコメントしている。アメリカ人やイギリス人の大部分にとって、抗議のために街頭で警察との攻防に明け暮れた時代はとっくに終わっている。今の30〜40代や若い世代にとって、その歴史的時代の総体は、ザラザラした昔のニュース映像や、聞かされ飽きた親たちの昔話以上のものではない。しかしながらその時代に渦巻いていたエネルギーは、怒りの苦さや絶望的な理想主義、恐れを知らない幼さや無鉄砲さにも関わらず、今もこの歌の中にしっかりと息づいている。 目を閉じて耳を傾ければ、極めて短い時間ではあれ、あなたもその時代にテレポートすることができることだろう。この歌はそれを作った人間がこの世を去ってもずっと生き続けるに違いない、反乱への呼びかけなのだ。何に対する反乱?そしてそれが結局何になった?そんなことを気にする必要がどこにあるだろう。ロックンロールしようじゃないか、ベイビー。

-ジェフ·サワック

…何が「Who f*cking cares? Let’s rock and roll, baby」だ、と最後まで読み進んだところで私は吐き捨ててやりたい衝動に駆られてしまったのだったが、いずれにしてもこの歌は「そういう歌」であるわけだ。2010年代の視点から付け加えてコメントせねばならないようなことは、特に見当たらない。1968年を遥かに上回るような「時代のうねり」は、人間の歴史の長いスパンから見ればこれからも何度となく押し寄せるに違いないのだし、新しい歌はその息吹の中から何度でも繰り返し生み出されてくるに違いない、ということぐらいだろうか。上の文章が途中までは正しく論証しているごとく、歴史というものは決してミュージシャンによって作り出されるようなものではないのであり、かれらに果たすことができるのは「時代精神の拡声器」ぐらいの役割に限られているわけである。従ってその作品の内容を、ミック·ジャガーやキース·リチャーズといった個人のパーソナリティを云々することを通して読み解こうとするような試みは、特にこうした歌の場合は全く無意味なことだと言えるだろう。以上のことを確認した上で、試訳の検討に移りたい。


…ださださっ。

=翻訳をめぐって=

  • summer's here and the time is right…上記のごとくこのフレーズは'64年のヒット曲のパロディになっているわけだが、出だしからそんな調子であるところからして、ミック·ジャガーという人の反戦運動や革命運動に対する態度はそもそもの最初から「不真面目」なものだったことがうかがえる。
  • what can a poor boy do…この部分を作詞したのはキースらしいが、もしもこの「poor」という言葉を「貧乏な」という意味で使っているのだとしたら、許しがたい詐称行為であると私は感じる。あんたら、貧乏じゃないじゃないか。「情けない」と翻訳したのは、私が最大限この歌詞を「善意に」解釈しようとしたことの結果である。
  • sleepy London town…上述のごとく、「五月革命」の前夜を迎えていたパリや、アメリカの諸都市の状況と比べ、ロンドンは極めて「おとなしい」街だというのが同時代の人々の印象だったのだという。歌だけ聞くとまるでミック·ジャガーがその現実に「苛立って」いたかのように聞こえるが、彼氏はただそういうポーズをとってみせた方が「受けるから」そう歌っていたにすぎないわけで、上に転載した文章の「中略」の部分では「自分は社会に暴力が必要だと思ったことは一度もない」とか何とか、しょーもないコメントばかりが並んでいた。
  • the time is right for a palace revolution…「宮廷革命」というのは読んで字のごとく、「王宮」の内部で陰謀的な手法を通じて行われるクーデターのことを表現する言い方である。こうした「革命」においてはただ単に権力者の首がスゲ替わるだけに過ぎないため、それが社会全体のドラスティックな変革につながることはまず起こりえないのだが、何万人もの人々が自らの手で社会を変えるべく直接街頭に繰り出していた状況下にあって、ミック·ジャガーがどうしてわざわざこんなニヒリスティックな言葉を引っ張り出してきたのか、私は理解に苦しむ。「みんな利用されてるだけだ」的なことが言いたかったのだろうか。だったらまず自分は何をどうしたいと思っているのかをハッキリ言いやがれ、と思う。
  • Get down…直訳は「降りろ/降りよう」なので、日本語の感覚からすると「勝ち目のない運動から手を引こう」みたいな意味ではないかと思ってしまったりするのだが、ミュージシャンが使うスラングとしての「Get down」は大体において「踊ろう」とか「楽しくやろう」ということなので、多分それ以上の意味はないと思う。
  • my name is called Disturbance…こんな風に自らを「何かの化身」になぞらえたがるのは、ミック·ジャガーという人の「芸風」なのかもしれない。「悪魔を憐れむ歌」の歌詞に通じるものがあるのを感じる。
  • I'll kill the king…ここであえて「queen」という言葉を使うことを避けてみせたミック·ジャガーという人を、私は根性なしであると思う。「一般論」なら誰にだって言えるのだ。口先で「王様なんて要らない」と言える人間は、日本にもいくらでも存在しているが、「天皇なんて要らない」と口に出して言える人間になると、一気にその数が少なくなる。「天皇」という「具体的な存在」が問題にされることがない限り、「王様なんて要らない」といくら言っても空語であるにも関わらずである。だが、まあ、この歌にそうした内容を求めるのは、そもそも無いものねだりというものだろう。

…以上、ほとんど私個人の「感想」になってしまいましたが、こういうこともたまにはあります。ではまたいずれ。


=楽曲データ=
Released: 1968.8.
Key: G