華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Why Don’t We Do It In The Road? もしくはって言うか聞くなそんなこと (1968. The Beatles)


Why Don’t We Do It In The Road?

Why Don’t We Do It In The Road?

英語原詞はこちら


Why don't we do it in the road?
No one will be watching us
Why don't we do it in the road?

道の真ん中でやらない?
誰も見てたりしないよ。
道の真ん中でやろう。



この曲はポール·マッカートニーが、前回取りあげたストーンズの「ストリート·ファイティング·マン」への「アンサーソング」として作った曲だということが、Wikipediaの日本語版に書かれていたのだけれど、本当だろうか。仮にそうだったとしたなら、ポールという人の政治への向き合い方というものはミック·ジャガーに輪をかけて「不真面目」だったと言うか、反戦運動とサルの交尾の区別もつかないぐらいに最低な人だったのかと思ってしまわざるを得ないようなことになるが、海外のサイトを見るとどこにもそんなことは書かれていない。私が調べた限り、この曲と「ストリート·ファイティング·マン」との関連を云々しているのは、日本語で書かれたいくつかのウェブサイトだけであり、かつ「Wikipedia」の記載の内容を越えることが書かれているサイトはひとつも見つからない。

日本語版のWikipediaに関しては、以前にジョン·レノンの「Working Class Hero」の翻訳に取り組んだ際、とんでもない間違いが記載されていることが分かって大混乱に陥った経験があるもので、それ以来全面的には信用しないことにしている。今回も同様のケースである可能性が極めて高いように思われるのだが、もしこれが根も葉もないデマ情報だったとした場合、いろんな人に対してあまりに失礼な話だと思う。ちゃんと調べ直してみてもらいたい。って言うか私自身でもかなり調べてみたのだけど、何でこんなことに自分の時間を使ってやらねばならねばないのだという気持ちばかりが強くなってきたもので、あきらめた。誰かの言った言葉が間違って伝わったというような場合には、誤解を解く方法だっていくらでもあるけれど、本当に根も葉もないデマだった場合、それに本当に根も葉もないのかどうかということを証明するのは、本当に難しいのだ。くそお。「本当に」を三回も使ってしまったではないか。情けない。

nagi1995.hatenablog.com
とはいえまあ、そういう「つながり」にでも遭遇しない限り、こんなしょーもない曲のことを取りあげる機会などこんざいりん訪れなかったに違いないのだから、楽して曲数を稼げたということで私としてはポジティブに捉えておいた方がいいのかもしれない。ちなみに「こんざいりん」と「思うぞぶんぶん」は私にとってはどちらも「譲れない言い方」なので、まんがいつ違和感を覚えた方がいらっしゃったとしても、不粋な突っ込みは無用に願います。ぶんぶん。

「ストリート·ファイティング·マン」への「アンサーソング」だという出所不明の怪情報の代わりに、どの関連サイトを覗いてみても書かれているのは、ポールがインド滞在中にサルの交尾を見かけたことがきっかけとなって作られたのがこの曲だった、という、これまた心からどーでもいい情報である。て言っか本音を言うならば私は1分42秒のこの曲自体のことを心からどーでもいいと思っているし、「サルの交尾」などという言う方も恥ずかしいしサルに対しても何となく聞かせづらい気がする言葉を自分のブログで何回も使いたくはないのだが、とかく厄介なのはそういう情報を聞いて「どーでもいい」と思えば思うほど、一方でそれならお前は「サルの交尾」を本当に「どーでもいい」という言葉で切り捨てても構わないと思っているのか、と自問したくなる気持ちが、自分の中で強まってきてしまうことなのだ。これが私の性分なのだろうか。

いずれにしても、1968年の2月から3月にかけて。ベトナムでは解放戦線の「テト攻勢」がアメリカ帝国主義に痛打を与え、チェコスロバキアでは「プラハの春」が燃えあがり、中国では外側の世界からはその内実がいまいち不明であったものの「文化大革命」と呼ばれるものが進行していて、主要先進国の街頭は学生デモで埋め尽くされつつあったこの世界史的激動の季節に、ビートルズの面々はそれぞれが「自分を見つめ直すため」、セレブ限定のインド瞑想ツアーに参加して、ファンやマスコミの攻勢から「解放」された結構「気持ちのいい時間」を送っていた。これもひとつの歴史的事実である。そしてミック·ジャガーが、途中で帰っちゃったわけではあるけれど、国家権力と革命勢力との流血の衝突の現場に曲がりなりにも身を置き、そのことを歌にしなければ何を歌えばいいのか分からないと彼氏なりに「苦悩」しながら曲を書いていたそのほぼ同じ時に、ポール·マッカートニーという人は瞑想中の屋根の上からサルの交尾を目撃し、「このことを歌にしなければ」という情熱が身体を駆け巡るのを感じていたわけである。

その姿勢を「不真面目」という言葉で表現したものか、それとも何か別の言い方を見つけるべきなのか、簡単には決めつけられないことだと思うけど、とりあえず腹が立ってくる気持ちを抑えられないのは、私の力では如何ともしがたい。立ててもいいでしょ。

それでその出来事についてポール自身の語った言葉が、Wikipediaをはじめ世界各国のウェブサイトでは、まるで聖書の言葉のようにうやうやしく引用されている。いわく

I was up on a flat roof meditating and I'd see a troupe of monkeys walking along and the male just hopped onto her back and gave her one, as they say in the vernacular. Within two or three seconds he hopped off again, and looked around as if to say, 'it wasn't me,' and she looked around as if there had been some kind of mild disturbance but thought, huh, I must have imagined it. And I thought, bloody hell, that puts it all into a cocked hat, that's how simple the act of procreation is, this bloody monkey just hopping on and off. There is an urge, they do it, and it's done with. It's that simple.

…ササッと適当に翻訳してやろうと思ったけど、読んでみたら難しくて翻訳できないではないか。まず「as they say in the vernacular (地元の言葉で言われている通り)」という下りが、何を言ってるのかが全然わからない。「that puts it all into a cocked hat」は直訳すると「それが全てを三角帽子の中に押し込んだ」となるのだが、辞書の例文によるなら「あれには参ったよ」ぐらいの意味しかないらしい。「bloody monkey」も直訳すると「血まみれのサル」だけどそうではなく、スラングとしての「bloody」には「素晴らしい」とか「最悪な」とかいう意味があるそうで…どっちなんだよ。畜生サルだけに畜生どーせどーでもいいことしか書いてないにも関わらず何でこんなに翻訳しにくいのだろう。口語だからなのかな。て言っかそのどーせどーでもいいことしか書いてない文章のために私はどうして何回も辞書を引いて頼まれたわけでもないのに大変な思いをしなければならないのだろう。ますます腹が立ってきたぞ。

「正確」に翻訳できる自信が持てないので内容だけをかいつまんで説明させてもらうなら、ポールさんがインドのリシュケシュの滞在先の平屋根の上で瞑想を楽しもうとしていたところ、一群のサルの集団が歩いてきたのが目に入ったのであると。で、その中のオスの一匹がメスの背中に飛び乗って、腰をワンストローク動かして(←ここの正確さが保証できない)、また飛び降りて「ボクじゃありませんよ」みたいな顔してしれっと辺りを見渡していたのだと。でまた乗っかられたメスの方も「何かあったのかしら。でもまあいいわ。ほほほん」と枝雀師匠の落語に出てくる動物キャラクターみたいなリアクションをかまして泰然としていたのであると。「これにはやられたね」と。これはサルではなくポールさんが思ったのだと。生命の営みとはかくもシンプルなものであるのかと。かのブラッディモンキーはただ乗っかり、ただ降りるのであると。そこに衝動がありかれらはそれをなしかつ仕終えるのであると。いっつざっつしんぷる。ということだったのだという。かいつまんで説明するって言ったのに原文より長くなってしまったのはどういうことなのだーっ。


桂枝雀 鷺とり (短縮バージョン)

それでもって、私は上のマッカートニー卿のコメントから、この歌の持っている「風景」について今まで重大なカン違いをしていたことに気づかされてしまったのだが、「No one will be watching us」という二行目の歌詞は、「周りには誰もいない」ということを言っていたわけでは、なかったのである。何となればポールの視界にサルたちが入ってきた時、そのサルは「集団」をなしていたのだ。つまり周りにはいっぱい「他のサル」がいたにも関わらず、そのうちの二頭が行為に及んだ際にも、「誰もそれを見ていない状況」が成立していたということが、この歌の誕生を決定づけた「原風景」をなしていたのである。道の真ん中でやってるにも関わらず、誰もそれをじろじろ見たり、こそこそ言ったりしない。そこにこそポールは「自然の営みのシンプルさ」を感じ、歌にせずにはいられないぐらいの「感動」を覚えたわけなのだが、それにしても他のサルたちはどうしてそんなに平然としていられたのだろう。サルだからなのだろうか。いずれにしてもこの歌を「あたりには誰もいないからちょっとばかり大胆なことをしてみよう」という異性に対するイタズラな提案であるという風に解釈するなら、それは「間違い」だったということになる。「あたりに人がいようといまいと」断固として路上でやるべきだ、というのが、この歌の持つそもそものメッセージなのだ。いたってどうせ見てやしない、というのは相手が人間である限り主観的な願望にすぎないかもしれないけれど、見られていようが見られていまいがそんなことを気にすること自体が自然の営みに反する行為であるということこそ、サルたちがポールにもたらした覚醒の核心をなす内容だったはずなのである。「誰も見てやしないよ」という二行目の歌詞は路上でやることの不安を払拭するための方便であるにすぎず、方便とはお釈迦さまが衆生の迷いを闡明せんがために比喩という形で作りあげた「ウソ」のことだ。諸悪莫作。善事奉行。只管に路上で行ひて涅槃へと至るべし。月を指さす指は飽くまで指にすぎず月そのものではないという譬えがあるけれどそれに則って言うならば「誰も見てやしない」は「指」であるにすぎず、「路上でやろう」こそがこの場合は「月」なのである。かなり前から自分でも何を書いてるのか分からなくなりつつあるのだけど、まともに読んでくれてる人って、いるのだろうか。

そんな風に宇宙の真理を鷲掴みにしたこの歌は、ポール·マッカートニーが手がけてきたビートルズの楽曲群の中でも最も「ジョン·レノン的な作品」であると言われており、ジョン本人もこの曲のことを大層気に入っていて、しばしば「ポールの最高傑作だ」とコメントしていたらしい。それって単なるイヤミなのではないかと思うが、彼の遺作となった「Starting Over」の中にはこの曲と全く同じ歌い方で「Why Don't We...」というフレーズが挟み込まれたりとかしているので、案外本気でそう思っていたのではないかという気も、ちょっとだけしている。


(Just Like) Starting Over

=翻訳をめぐって=

この際このコーナーもキッチリやっておくことにしたいと思うのだが、「Why don't we do it in the road?」というフレーズを直訳すると「なぜ我々はそれを道の中でやらないのか?」という感じになる。「on」ではなく「in」が使われているあたりに「ど真ん中感」が表現されているのだと思う。それはそれとして「Why don't …?」というこの言い方、最後に「?」がついていることからしても、「なぜ〜しないのか?」という詰問調で訳さねばならないのではないかという気持ちになってしまいがちなのだが、実際には「〜しない?」とか「〜しようよ」といった「ちょっと甘えた感じの勧誘」のニュアンスになる言い方なのだそうで、「なぜ〜しない?」というニュアンスはほとんどないらしい。では「なぜ〜しない?」という「詰問調」で喋りたい時には何と言えばいいのかもちょっと気になるのだが、その辺はいまいちよく分からない。

これが「Why not…?」という言い方になるとやや「上から目線」になって、「〜したらどうだい?」とか「〜したらどうかね?」というニュアンスが生じてくるのだとのこと。ちなみに70年代にアメリカ大統領だったジミー·カーターの自伝のタイトルが「Why not the best?」だったのだそうで、20年くらい前(うわ…)に流行った「トリック」というドラマでは上田次郎という登場人物が劇中でそれをパクって「なぜベストを尽くさないのか?」という本を出版するというエピソードがあったりしたのだが、普通に読む限り「Why not the best?」は「なぜベストを選ばないのか?」と訳さねばならないらしい。「not」の後に動詞がなく、いきなり名詞が来ているからである。ということもまあ、サルの交尾を題材にしたこのしょーもない歌をまともに翻訳しようという気持ちでも起こさなければ一生知らずに終わったことかもしれないので、記念として書き加えておくことにした。


鬼束ちひろ 月光

今回の結論。「トリック」は、面白いドラマだった。ではまたいずれ。


=楽曲データ=
Released: 22 November 1968 (UK), 25 November 1968 (US)

Paul McCartney: vocals, acoustic guitar, lead guitar, piano, bass, handclaps
Ringo Starr: drums, handclaps

Key: G