華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Ballad of a Thin Man もしくは かわいそうなミスター·ジョーンズ (1965. Bob Dylan)


Ballad of a Thin Man

Ballad of a Thin Man

英語原詞はこちら


You walk into the room with your pencil in your hand
You see somebody naked and you say, "Who is that man?"
You try so hard but you don't understand
Just what you will say when you get home
Because something is happening here but you don't know what it is
Do you, Mr. Jones?

あんたは部屋へ入って行く。
鉛筆を手に持って。
あんたはそこに裸の男の姿を見て
「誰なんだあいつは」と言う。
あんたは実に努力するのだが
家に帰ってから
それを何と表現すればいいのか
やはりあんたにはわからない。
なぜならここでは何かが起こっているが
それが何なのかがあんたには
わからないからだ。
それともわかっているとでも?
ミスター·ジョーンズ。


You raise up your head and you ask, "Is this where it is?"
And somebody points to you and says, "It's his"
And you say, "What's mine?" and somebody else says, "Well, what is?"
And you say, "Oh my God, am I here all alone?"
But something is happening and you don't know what it is
Do you, Mr. Jones?

あんたは頭を上げて
「ここがそうなのか?」と言う。
すると誰かがあんたを指さして
「そこはあいつのだよ」と言う。
それであんたは「私のは?」と言い
また別の誰かが「え、何が?」と言う。
そしてあんたは
「何てこった私はここに
ひとりぼっちなのか?」と言う。
でも何かはちゃんと起こっていて
あんたにはそれが何なのかが
わからないのだ。
それともわかっているとでも?
ミスター·ジョーンズ。


You hand in your ticket and you go watch the geek
Who immediately walks up to you when he hears you speak
And says, "How does it feel to be such a freak?"
And you say, "Impossible!" as he hands you a bone
And something is happening here but you don't know what it is
Do you, Mr. Jones?

あんたは入場券を差し出して
びっくり人間を見に行く。
びっくり人間はあんたの声を聞いて
たちまち歩み寄ってくると
「お前みたいな変人は一体どんなこと
考えてるのか教えてくれよ」
と言うではないか。
そいつはあんたに骨を差し出し
あんたは
「できるわけないだろそんなこと」
と言う。
そしてここでは何かが起こっているが
それが何なのかがあんたには
わかっていない。
それともわかっているとでも?
ミスター·ジョーンズ。


You have many contacts among the lumberjacks
To get you facts when someone attacks your imagination
But nobody has any respect, anyway they already expect you to all give a check
To tax-deductible charity organizations

あんたは大勢の木材伐採者と
つながりを持っていて
あんたの想像力が攻撃された時には
そいつらから事実を
収集することができる。
とはいえ誰もあんたのことを
尊敬しているわけではない。
みんなちゃっかりあんたに対して
脱税用の慈善団体のために
小切手を切ってくれることを
期待しているわけであるにしても。


Ah, you've been with the professors and they've all liked your looks
With great lawyers you have discussed lepers and crooks
You've been through all of F. Scott Fitzgerald's books
You're very well-read, it's well-known
But something is happening here and you don't know what it is
Do you, Mr. Jones?

あーあ。
あんたはずっと教授たちと一緒にいて
教授たちもあんたの身なりについては
すっかり気に入っている。
一流弁護士たちとも
あんたは討論したことがある。
lepersや悪党どものことについて。
スコット·フィッツジェラルドの世界を
丸ごとくぐり抜けてきたあんただ。
あんたは実によく読まれてるし
実によく知られている。
あんたの本がかあんたの中身がかは
ここでは言わないにしてもだ。

でもここでは何かが起こっていて
それが何なのかが
あんたにはわかっていない。
それともわかっているとでも?
ミスター·ジョーンズ。


Well, the sword swallower, he comes up to you and then he kneels
He crosses himself and then he clicks his high heels
And without further notice, he asks you how it feels
And he says, "Here is your throat back, thanks for the loan"
And you know something is happening but you don't know what it is
Do you, Mr. Jones?

そんでもって剣を呑み込む男
そいつがやってきて
あんたの前でひざまづく。
そいつは十字を切って
自分のハイヒールのカカトを鳴らす。
そしてあんたに向かって
どんな気がするかと聞いてきて
別にそれ以上のことを
言うわけでもない。
そして
「じゃああんたのノド、返すよ。
貸してくれてありがとう」
とそいつは言う。
そしてあんたは
何かが起こっていることに気づくが
それが何なのかは
あんたにはわからない。
それともわかるとでも?
ミスター·ジョーンズ


Now, you see this one-eyed midget shouting the word "Now"
And you say, "For what reason?" and he says, "How"
And you say, "What does this mean?" and he screams back, "You're a cow"
"Give me some milk or else go home"
And you know something's happening but you don't know what it is
Do you, Mr. Jones?

次にあんたが見るのは一つ目のmidgetで
そいつは「今」と叫んでいる。
あんたは「どういうわけで?」と言い
そいつは「どうやって、だ」と言う。
それであんたが
「どういうことだ?」と言うと
「おまえは牛だ」とそいつは叫び返す。
「ミルクをよこせ。 さもなきゃ帰れ」。
そしてあんたは
何かが起こっていることに気づくが
それが何なのかは
あんたにはわからない。
それともわかるとでも?
ミスター·ジョーンズ


Well, you walk into the room like a camel, and then you frown
You put your eyes in your pocket and your nose on the ground
There ought to be a law against you comin' around
You should be made to wear earphones
'Cause something is happening and you don't know what it is
Do you, Mr. Jones?

さてあんたは
ラクダみたいな顔して部屋へ歩み入り
そして次には眉をしかめる。
あんたは自分の目玉をポケットに入れて
鼻は地面に置いてしまう。
あんたがうろうろしなくなるような
法律があればいいんだけどな。
あんたはイヤフォンをつけるように
強制されるべきなんだ。
なぜならここでは何かが起こっているが
それが何なのかがあんたには
わからないのだから。
それともわかっているとでも?
ミスター·ジョーンズ。


画像は葉踏舎のマリノさん作成のタロットカードより「塔」

=翻訳をめぐって=

この歌の邦題は「やせっぽちのバラッド」と言うのだが、それには昔から違和感を感じてきた。「やせっぽちのバラッド」と日本語で言われてみると、どうしても私は永井真理子的な森高千里的なジーパンをはいた女の人が歌っている「非力だけどひたむきな男の子への応援歌」みたいなイメージを受け取ってしまうのだけど、この歌は全然そういう歌ではない。タイトルで「やせっぽち」と訳されている「thin man」という言葉は明らかに「悪口」として使われており、しかも他のいろんな歌と同様に、その相手に対するディランの視線には一片の「同情」も含まれていない。

「thin」という英単語は基本的に「細い」「薄い」を意味する言葉で、それが「男」という言葉と組み合わさった時にはやはり「頼りなさ」や「危なっかしさ」をイメージさせる効果が意図されているのだと思われる。ただし、歌の中に出てくる主人公はむしろ一貫して「非常にエラそーに」振舞っている人物であり、自分のことを「頼りなくて」「危なっかしい」人間であると自覚しているような気配は全くない。で、その「自覚してない感じ」が傍目から見ると非常に「危なっかしく」見える、というのが、おそらくはこの歌のタイトルに「thin」という言葉が使われていることの意味なのだと思う。高くそびえているけれどそれを支える部分は細くてグラグラしていて、今にも折れてしまいそうな「権威」。この歌は多分、そういうのが崩壊する前夜的な雰囲気が歌われている歌なのである。

その意味からして、片桐ユズルさんの訳詩集で使われている「やせた男のバラッド」の方が、タイトルの翻訳の仕方としては「的確」であると私は思う。その客観的な言い方から、歌い手がその相手に対して何の愛情も感じていないさまが伝わってくる点が、的確である。いいか悪いかは別として。ちなみに「バラッド」という言葉は、英語圏のフォークソングの文脈の中では、基本的に「歌物語」という意味を持っている。

この歌が有名なのは、タイトルよりもむしろ「ミスター·ジョーンズ」というその登場人物の名前によるところが大きい。このミスター·ジョーンズという人は公式には「どういう人かよくわからない」ということになっているはずなのだけど、その割にいろんなところで引用されたりリメイクされたりして、ロックの歌詞の世界では何となく「実体」を持つに至ってしまっているような感じがある。前回とりあげたジョン·レノンの「ヤー·ブルース」にも、真島昌利が歌っていたブルーハーツの「平成のブルース」にも、示し合わせたように「ディランのミスター·ジョーンズそのもの」という歌詞が出てくる。そしてそんな風に「みっとも恥ずかしい人間」の代名詞みたいな感じでしょっちゅう引き合いに出されるミスター·ジョーンズという人が、10代の頃の私には「かわいそう」に思えて仕方なかった記憶がある。何だか筋肉少女帯の歌に出てくるかわいそうな高木ブーさんと、全く同じ扱われ方ではないか、という気がしていたのだった。


元祖高木ブー伝説

そんなミスター·ジョーンズさんには具体的なモデルが存在するらしいのだが、おそらくディランはそれを墓場まで持って行くつもりでいるらしいということがとりわけ最近は囁かれている。とはいえ、私自身昔は読んでも全然まともに想像できなかったのだけど、注意深く読んでみるとジャーナリストやマスコミ関係の人間のイメージが投影されているらしいことが分かる。「情報」を「商売」にしていて、人より多くのことを「知って」いるように世の中から見なされているし、また自分でもそう思っているのだけれど、実は何んにも「わかって」いない人たち。イメージされているのはそういう人間像である。そしてより広く一般的に「古い価値観の信奉者」のことがここでは揶揄されているのだろうということで、多くの評論家の見解は一致している。おそらくはそういう評論家たち自身のことがここでは歌われているはずなのだけど、自分だけはそういう評論家ではない、と確信している人間だけで構成されているのが、「評論家」と呼ばれる存在の実態でもあるわけなのである。

…さて、そんな風に言ってみた場合この記事を書いている私自身は果たして「ミスター·ジョーンズ」でないと言えるのだろうか。みたいなことも一応気にしておいた方がいいような気もしてくるのだが、そんな気に仕方はしたとしても偽善的なだけなので、しないことにしておく。そんなことを「気にしてみせる」こと自体が、ディランという人間の「機嫌をとっている」みたいで、気分が悪いではないか。最近SNSで「神々の詩」の記事がちょっとばかりバズった際に、さる方面から「情弱の反知性主義者」などという親にも言われたことのないような批判のされ方をしてしまった私ではあるのだが、よしんば私が「情弱の反知性主義者」であったとして、一番「恥ずかしい」のは「情弱の反知性主義者」と呼ばれることを「恥ずかしい」と思うような人間になり果ててしまうことであるに違いない。ということを私は一応知っているつもりである。そういう生き方から卒業するために、私はこういうブログを書き始めることを決めたのだ。批判は、したいと思ってる人がすればいい。というわけで以下は歌詞の内容をめぐって。

You walk into the room with your pencil in your hand
You see somebody naked and you say, "Who is that man?"
You try so hard but you don't understand
Just what you will say when you get home

ミスター·ジョーンズ氏は「鉛筆を持って」部屋に入って行く。ここに彼氏が「ジャーナリスト的な存在」であることが暗示されている。(単に偶然持っているだけの可能性もあるのだが)。鉛筆を持って部屋に入るということは、「目的を持って」入ろうとしているのである。「自分の部屋に入ったらそこに裸の男がいたからビックリしている」ということが歌われているわけでは、多分ない。「何かの取材のためにその相手の部屋に入ったら、その相手が自分に理解できない格好をしていた」ので「ビックリした」というのが「歌の風景」なのだと思われる。

で、その取材の相手が「裸で待っていた」ということは、何も包み隠さず、ジョーンズ氏のためにあらかじめ「全てをさらけ出してくれていた」ということでもあるわけなのだ。それにも関わらずジョーンズ氏は、それを見て「何をどう書けばいいのかわからない」のである。見るべきことも書くべきことも目の前に「丸ごと表現されている」にも関わらず、それをどう受け止めていいかが分からずにいるのである。

歌の冒頭に描かれているのはそういう「風景」なのではないかと私は感じる。それはシュールな光景であるようにも思えるけれど、実はこの社会のあらゆるところにあふれている光景なのではないかと思う。そして自分のことを書きたいと言うからこそ裸になって待っていたその男性の側から見るならば、何も書けなくなってしまったジョーンズ氏の方がよっぽど「不思議」に見えていたに違いないだろうという気がする。

You raise up your head and you ask, "Is this where it is?"
And somebody points to you and says, "It's his"
And you say, "What's mine?" and somebody else says, "Well, what is?"
And you say, "Oh my God, am I here all alone?"

この二番の歌詞が一番抽象的で、わかりにくかった。「Is this where it is?」を「ここがそうなのか?」と訳したのは片桐ユズルさん訳の丸写しなのだが、もしそれを読んでいなければ、自分の力でその訳し方にたどり着くことは多分できなかっただろうと思う。

おそらくは、「そこに行けば何か新しいものがある」みたいな情報を仕入れて、それをいち早く世間に伝えてその分野の専門家になってやるみたいな気持ちでそこに行ってみたら、あにはからんやそこには自分に理解できるものは何一つなかった、みたいな状況に陥った人物の姿が冷ややかな視点で描写されているのではないだろうか。イメージの幅を限定しすぎかもしれないけど。

You hand in your ticket and you go watch the geek
Who immediately walks up to you when he hears you speak
And says, "How does it feel to be such a freak?"
And you say, "Impossible!" as he hands you a bone

三番からこの歌詞はだんだんと「サイドショー」的な色彩を強めて行く。「サイドショー」というのはサーカスやカーニバルの前座に出されるような「見世物」のことである。日本の祭りでも昔は小屋がけで「上演」されていたという「ヘビ女」だとか「石食い男」だとか、あるいは人目を引くような自分の身体的特徴そのものを「出し物」にしている人たちであるとかが、英語では「geek」という差別的な響きを持った言葉で総称されてきた。「freak」もそれと似た意味を持つ言葉である。

私が子どもの頃には、「世界びっくり人間ショー」みたいなタイトルで「身長がたった××センチの男性」とか「たった××歳で母親になった女性」とかが次々に出てくるテレビ番組が三ヶ月に一回ぐらい必ずやっていて、それを見るたびに家族で笑ったり騒いだりしていたものだったが、その「楽しみ方」というのは本当に差別的なものだったと今では思う。トリはたいてい中国雑技団で、そういうのも含めての「びっくり人間ショー」だったわけだけど、そういった「技」に感動するということと、他人の身体的特徴を単なる好奇心の対象にすることとは、見る側の心のありようとしても全く別な話であるはずだ。だから試訳においては「geek」という言葉に「びっくり人間」という訳語をとりあえず宛てはしたものの、「いい言葉」だと思って使っているわけでは全然ないということは、付記しておきたい。

それでこの歌詞においては、見世物を見物するつもりで切符まで買ってやって来たジョーンズ氏が、その見世物にされている相手から「変人」と呼ばれて、「Impossible! (不可能だ=そんなはずがあるか)」と激昂している。こういうモチーフそれ自体は、昔から結構よくある。落語には、一つ目小僧の噂を聞きつけた男がそいつを捕まえて見世物にしてやろうと思って出かけたら、逆に捕まって一つ目小僧の国で見世物にされた、みたいな話があるし、また宮沢賢治の「注文の多い料理店」も、言ってみればそういう話である。「お前が暗闇を覗いている時、闇の方でもお前を覗いていることを忘れるな」というのはニーチェの言葉だそうだけど、私がニーチェという差別主義者の親玉みたいな人物のことを大嫌いであることはさておき、ここでディランが歌っているのが「そういうこと」であるのはまず間違いない。

さらにこの「geek」の男性はジョーンズ氏に向かって「骨を差し出している」のだが、英語ではクイズで答えが分からない時などに「Throw me a bone (骨をひとつ投げてくれ=ヒントを出してくれ)」という言い方をするらしい。つまりこの男性は「何が起こっているかわからない」ジョーンズ氏のために「ヒント」を出してくれているのである。にも関わらずジョーンズ氏にはそれが「ヒント」であることすらわからない。「ただの骨」にしか見えていないのだ。このあたりなどは確かに、「よくできた歌詞」であると思う。

You have many contacts among the lumberjacks
To get you facts when someone attacks your imagination
But nobody has any respect, anyway they already expect you to all give a check
To tax-deductible charity organizations

昔キン肉マンに「ランバージャック·ショー」というのが出てきて、それが私が「ランバージャック」という言葉と出会った最初だった。それがどういうショーかと言うと、金持ちが非合法に集会を開いて「超人の殺し合い」を見物しながらそれでギャンブルをする、という内容だったもので、「ランバージャック」とは何かとても恐ろしいことだという印象を私は持っていたのだけれど、調べてみると「lumberjack」とは「木こり」のことであるらしい。

それでどうしてここで「木こり」が出てくるのかといえば、ジョーンズ氏本人を含め彼がつるんでいる人間たちというのは新聞屋だとか雑誌の記者だとか「森林資源をムダにしている人間」ばかりだからというのが海外サイトで見つけた説明で、これには実に目を開かれた気がした。難解だと思っていた歌詞が実は単に即物的なだけの歌詞だったということは、割とよくある話である。その手の人間たちは自分の理解を越えた物事にぶつかるたびに、ニュース記事やら過去の資料やらを融通しあってかき集めて「わかったような顔」をしたがるものだが、その「集めた事実」そのものが「何」であるのかも、やっぱりわかっていない。けっこう痛烈な歌詞だと思う。

後半の歌詞ではジョーンズ氏が「金持ち」であることが示されている。「already」という言葉を「ちゃっかり」と訳す人はあまりいないと思うが、ここでは「アリ」なのではないかと思った。

Ah, you've been with the professors and they've all liked your looks
With great lawyers you have discussed lepers and crooks

ここではジョーンズ氏と学者世界のつながりが語られ、それを通して学者世界の全体が批判の俎上に上げられている。「うわべしか見ていない」ということだ。

法曹界も槍玉に上げられている。「lepers」とは「ハンセン病患者」に対する差別的呼称で、ここでは原文をそのまま転載した。その人たちのことを「話のネタ」にすることはあっても、その人たちの気持ちなど全然わかっていない、ということが言われているのだと思う。

You've been through all of F. Scott Fitzgerald's books
You're very well-read, it's well-known
But something is happening here and you don't know what it is
Do you, Mr. Jones?

スコット·フィッツジェラルドは「華麗なるギャツビー」などで知られる1920年代の作家だが、「トレンディドラマの元祖」みたいな形で評価されている人でもある。その世界を「丸ごとくぐり抜けてきた」というジョーンズ氏は、自分のことをあらゆる最新流行に通じた人物だと思っているのかもしれないが、やっぱり「何もわかっていない」のだな。

「You're very well-read, it's well-known」はダブルミーニングであるということが指摘されている。「あなたの本はよく読まれている」とホメているように見せつつ、同時に「あなたがどんな人間かは見透かされている」とも読める言い方なのである。ジョーンズ氏が後者の意味に気づかずに得意になっているのだとしたら、やっぱりこれは「かわいそうな人」だ。

…まるで××みたい、と実名を挙げたくなる日本の作家が一人いるのだが、10年後に読んだ人が意味がわからなくなるようなブログを書いても仕方ないのでやめておく。去年の芥川賞で落とされた人である。

Well, the sword swallower, he comes up to you and then he kneels
He crosses himself and then he clicks his high heels
And without further notice, he asks you how it feels
And he says, "Here is your throat back, thanks for the loan"

ここも何だかよく分からなかった。何かとても危険なこと(例えば戦争)に自分のノド(=声)を利用されていて、しかもそのことに気づいていないジョーンズ氏、みたいなイメージなのだろうか。

「how it feels (どんな気がする)」はこの歌で二度目の表現だが、この歌が収録されているアルバム「追憶のハイウェイ61」全体のテーマになっているフレーズだと言えると思う。らいかろーりんすとーん、実はまだ訳してないのだよな。

Now, you see this one-eyed midget shouting the word "Now"
And you say, "For what reason?" and he says, "How"
And you say, "What does this mean?" and he screams back, "You're a cow"
"Give me some milk or else go home"

「midget」は低身長の人に対する差別的呼称。ここでは原文をそのまま転載した。なお、以前に翻訳した「Shelter From The Storm」の歌詞にも出てくるが、「one-eyed midget」というのは「男性器」を指す隠語でもある。

ここではディランがジョーンズ氏になっており、「おまえは牛だ」「ミルクだけ出せばいい」「できないなら帰れ」と勝手な注文をつけてくる相手には、「ロックをやめてフォークをやれ」とブーイングしてくる当時のファンの姿が重ねられているのではないか、という見方が海外サイトではなされていた。確かにまあ、上から目線で喋っているディランにしたところで、「何かが起こっているけれどそれが何なのかは分かっていなかった」ことだろう。いろんな人が「おれはミスター·ジョーンズだ」と言い出すゆえんなのだろうな。

いじけるなベイビー。

Well, you walk into the room like a camel, and then you frown

ラクダというのは「笑っているような顔」をしている。最初はこんな愛想笑いを浮かべていても、自分の理解できないことにぶつかると眉をひそめる、みたいなことなのかもしれない。他にロニー·ホーキンスが得意としていた「camel walk (ラクダ歩き)」というのもあるのだが、ジョーンズ氏があんな歩き方で部屋に入るような人であれば、「いま何が起こっているかをわかっていない」ような人ではないと思う。何やねんこの文章。

You put your eyes in your pocket and your nose on the ground
There ought to be a law against you comin' around
You should be made to wear earphones

…最後の「イヤフォン」だけよくわからない。音楽用のヘッドフォンが実用化されたのは1958年らしいけど、それから7年後のこの歌が出た年にはどれぐらい普及していたのだろうか。またどういうイメージのものだったのだろうか。口以外の全ての感覚を閉ざした上でミスター·ジョーンズが喋っている、ということが描写されているのは分かるが、耳だけどうして「強制」なのだろう。「お前なんかに俺の歌は聞かせない。自分の聞きたいものでも聞いてろ」とディランは言っているのかもしれない。


軽薄なジャーナリスト

軽薄なジャーナリストにはなりたくない。
ではまたいずれ。


=楽曲データ=
Recorded: August 2, 1965
Released: August 30, 1965
Key: D