華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Sweet Home Alabama もしくは南軍旗なんて見たくない (1974. Lynyrd Skynyrd) ※


Sweet Home Alabama (Total Balalaika Show)

トータル·バラライカショー」の13曲目。赤軍合唱団の人たちがポロンポロンと爪弾くロシアの民族楽器の素朴な響きが、やがて極めてアメリカ的なサザンロックの重たいビートと結びつき、やがては「ボルガの舟歌」のメロディとまで重なり合ってゆく、音楽的には非常に面白い趣向の凝らされた一幕であると思う。初めて聞いた時には、ずいぶん魅きこまれたものだった。

けれども歌の背景や歌詞の内容を知るにつけ、私は複雑な気持ちにならざるを得なくなった。この歌の中には明らかに「メッセージ」が存在している。そしてその「メッセージ」の内容は、明らかに反動的なものである。レニングラード·カウボーイズの人たちは、その「メッセージ」をどのように受け止めたのだろうか。そしてその「メッセージ」の内容が、「東側世界」と「西側世界」との「出会い」を記念して開催されたこのコンサートの趣旨に、果たしてふさわしいものだと思ったのだろうか。そのことが、わからなかった。

この歌に対して「あいまいな態度」をとることは、そのまま今の日本における右傾化の現状に対しても「あいまいな態度」をとることに直結している問題だと思う。この歌が広く「愛聴」されている現実に対する「納得の行かない気持ち」をひとつひとつ検証してゆくにつれ、私はますますそう確信せずにはいられなくなった。結果、書きたくもないのにいつにもまして長々しい文章を書かざるを得なくなってしまったので、今回に関しては冒頭にあらかじめ「目次」を設けておくことにしたい。

翻訳に先立って



この歌は「ロックの古典」とまで呼ばれている有名曲のひとつであり、歌詞に歌われているアラバマ州では、2009年以来、この歌のタイトルが上記のように「ご当地ナンバー」のデザインにも使われていたりするらしい。この歌は実際、アラバマ州に対する「悪いイメージ」、引いてはアメリカ南部諸州の全体に対する「悪いイメージ」を払拭したいという動機から、サザン·ロックを代表するバンドのひとつであるレーナード·スキナードによって、1974年に作られた曲である。(なお、レーナード·スキナードそれ自体はアラバマ出身のバンドではなく、その隣のフロリダ州ジャクソンビルで結成されたバンド)。しかしながら、その「南部に対する悪いイメージ」とは具体的にどういうものかといえば、「奴隷制度と人種差別の本場」という意味での「悪いイメージ」だったわけであり、かつアラバマ州という土地がその「本場中の本場」と見なされていたことの根拠は、ディランの「時代は変わる」を取りあげた際にも登場した悪名たかい差別主義者、ジョージ·ウォレスが州知事を務めていた土地だったという事実にもとづいている。ディランが「時代は変わる」を書いたのはこの曲が出る10年も前にあたる1964年のことだったわけだが、黒人学生の州立大学への入学を「実力阻止」しようとしたこの知事の悪行は、その時点からアメリカ全土、全世界に知れ渡っていたにも関わらず、アラバマ州ではその同じ人間が、1974年に至ってもいまだに州知事を務め続けていたわけだ。「悪いイメージ」を持たれるのも当然だったのではないかと、私は思わざるを得ない。



カナダ生まれのニール·ヤングは、自らが目の当たりにしたアメリカ南部における人種差別の実態に衝撃を受け、1970年に発表した「Southern Man」という曲、および1972年に発表した「Alabama」という曲の中で、それを非難するメッセージを発している。レーナード·スキナードの「Sweet Home Alabama」は、直接はその二曲に対する「アンサーソング」として作られた歌なのだという。(従って、ニール·ヤングのその二曲の内容についても確認しておく必要があると思われるので、次回以降に取りあげてゆくことにしたい)



1966年、20歳の時に、バンドの機材を満載した黒い霊柩車でカナダ国境を越え、シカゴからルート66をひたすら進んでロサンゼルスを目指したニール·ヤングが、初めて訪れた南部で目にしたものは何だったのか。直接書かれている資料を私は、読んだことがない。「西部への道」として有名なルート66(上図)がたどっているのは、イリノイ→ミズーリ→カンザス→オクラホマ→テキサス→ニューメキシコ→アリゾナ→カリフォルニアという道のりであり、いわゆる「ディープ·サウス」(「深南部」。一般的にはルイジアナ、ミシシッピ、アラバマ、ジョージア、サウスカロライナの5州を指す)の地を彼が初めて踏んだのは、さらにその後のことだったと思われる。いずれにしても「よそ者」である彼氏が公然と「南部の差別主義」を批判する歌を書くことは、相当の「決意」を必要とすることだったに違いない。

同じカナダ生まれのザ·バンドのギタリスト、ロビー·ロバートソンが、初めて南部を訪れた時のエピソードは、彼の自伝の特集記事を書いた時にこのブログでも詳細に取りあげたことがあった。その中で彼氏が、南部の白人たちの間に空気のように存在していた差別主義一リヴォン·ヘルムの父親のような人間の中にさえ一を見せつけられた時の衝撃は、抑制された文体の中にも極めてリアルに綴られていたことを覚えている。また、ニール·ヤングが「Southern Man」を書いたのとほぼ同時期にあたる1969年には、日本でも南部における人種差別の実態を伝える本多勝一の「アメリカ合州国」というルポルタージュが書かれている。今ではそれがどれだけ「変わった」のかということについて、知ったようなことを書ける材料は私の中にはない。けれどもそうした時代背景のもとで、ニール·ヤングが決していいかげんな伝聞や憶測にもとづいてではなく、自分の目で見た差別の実態とそれへの怒りから上記の歌を書いたのだろうということは、間違いのない話だと思う。





加えて、1960年代という時代は、アフリカ系の人々の身体を張った抵抗と戦いを通じて、南部における差別の実態が初めてアメリカ全土に、また全世界にと、生々しく伝えられた時代でもあった。上の画像は1963年5月28日、ミシシッピ州ジャクソンの食堂の「白人専用」カウンターへの「座り込み」を行なった黒人学生が、警察の公認のもとに地元の高校の白人学生から集団暴行を受けた際の有名な写真なのだが、当時の南部諸州においてはこのように「カメラの目」をも全く恐れる気配がないほどの公然たる差別主義が横行していたのだという事実を今に伝える、極めてショッキングな写真である。また同じ1963年にアラバマ州のバーミングハムで展開されたアフリカ系の人々による大規模なデモと座り込みに対しては、同市の公安委員長だった差別主義者のユージーン「ブル」コナーによる徹底した弾圧が襲いかかり、黒人青年に犬をけしかける警官の写真や、子どもたちのデモが高圧放水でなぎ倒される写真、そして刑務所が満杯になってもなお連行されてゆく人々の写真が、連日のように新聞に躍ることになった。キング牧師ら黒人解放運動の指導者たちの側には、白人側からの暴力を恐れることなく、むしろそれを「引き出す」ような戦いを展開することで人種差別の実態を世界に訴えようという「戦略」が存在したわけだが、それを弾圧する人間たちの側にはそれを「正義」であると確信してやまない差別的な「誇りと使命感」が存在していたわけであり、だからこそこれほどまでに露骨な暴力を「公然と」振りかざすことができたのだ。「アラバマ」は文字通りの「戦場」に他ならなかった。





同じ1963年の9月には、そのアラバマ州バーミングハムでKKKの爆弾テロにより4人の少女が殺されるという事件も起こっており、以来このアラバマ州最大の街は「Bombingham (爆破の街)」という別名で呼ばれることになった経緯も存在している。1964年の公民権法の制定を前後して、最も血なまぐさい暴力が吹き荒れていたこの時期のニュースを、ティーンエイジャーだったニール·ヤングはカナダ国境の北側で受け取っていたわけだ。「憧れの南部の音楽」を届けてくれる、ラジオの電波と同時にである。そうした中で「アラバマ」という地名が、実際にアメリカの地を踏む前の段階から、彼氏にとって「特別な意味」を持つことになっていたであろうことは、想像に難くないことだと思われる。その時代に起こっていたあらゆる出来事の意味、また自分が白人であることの意味、そしてその自分が、アフリカ系の人々の生み出したロックという音楽に人生を賭けようとしていることの意味、それらの全てを「問いただす」ものとして、ニール·ヤングにとっての「南部」は、また「アラバマ」は、存在していたに違いない。だから彼氏は自分自身の目でその地を見ずにいられなかったのだろうと思うし、またそこで感じたことを歌にせずにはいられなかったのだろうと私は感じる。

自分の故郷がそんな風に「奴隷制度と人種差別の本場」であると世界中で喧伝されていることに対し、自分がもし南部の白人であったなら、何とかしてその「汚名」をそそぎたいと考えるであろうことは、当然のことだろうとも一方では思う。けれどもどうすればその「汚名」をそそげるかと言えば、何よりもまず彼(女)(たち)は、自分自身がアフリカ系の人々の側に立って白人による差別と「戦う」ことを決意しなければならないはずだし、またそれ以外の「方法」はありえないはずなのだ。上の写真がグロテスクなまでに物語っているごとく、当時の南部の白人社会において、差別は文字通り「空気」のように、家庭にも学校にも遍在していた。その中にあって「黒人の側に立つ」ことを宣言するということは、学校においてはまず間違いなく自分自身が「頭からケチャップをかけられる側」に回ることを意味しているのだし、場合によっては家族から絶縁されること、成人ならば仕事や取引先を失うことをも意味していただろう。けれども「白人自身」がそれをやらない限りは、差別というものは絶対に無くならないのである。差別やいじめの現場において、「傍観者」もまた「加害者」であるということは、冷酷なまでの「現実」なのだ。

事実、この時代にあってはアフリカ系の人々の命がけの戦いに衝撃を受け、少なくない白人層がそれと連帯する戦いに立ちあがっている。ニール·ヤングが作った二つの歌も大きくはその一環と言えるだろうし、また上掲の「白人専用」カウンターへの座り込みの様子を伝える写真においても、その右端で差別主義者たちから同じように辱めを受けているのは、白人の男性だ。もとより、いざとなったらどこにでも「逃げられる」彼氏と、どこにも「逃げられない」ところから戦いに立ち上がったアフリカ系の人々とでは、引き受けなければならない危険や反動が「同じ」であることなど決してありえないことであるにしてもである。そのようにしてアフリカ系の人々と共に戦った白人の多くは「北部の学生」によって占められていたとのことだが、その中には「南部の白人」も間違いなく存在していた。「南部の白人の良心」と呼びうるものは、あえて言うならその人たちの中に「だけ」存在したのだ。「良心」などというものは、「行動」として示されることがなければ「無」でしかありえないのだから。

そんな風に、自分の故郷を「奴隷制度と人種差別の本場」と呼ばれることを「屈辱」であると感じる南部の白人ミュージシャンたち自身が、それぞれ自分がその中で生まれ育ってきた「南部の価値観」と徹底的に対決し、そのことを通して「南部の汚名」をそそぎたい、ということであるならば、まだ話は分かる。けれども「Sweet Home Alabama」はそれならそういう歌なのかといえば、ちっともそんな歌ではない。むしろ「そういうことがあった上で」なおかつ「あるがままの南部の白人社会」を丸ごとそのまま自分たちは肯定したいし、肯定してほしい、そう思うことの何が悪い、という「メッセージ」につらぬかれているのが、この「Sweet Home Alabama」という歌なのだ。

「あるがままに」というのは時として誰の耳にも「美しい」し、「やさしい」言葉でもある。しかしこの場合の「あるがまま」は、「人種差別の歴史と現実」までも含めた上での「あるがまま」なのである。当然ながら彼ら自身も人種差別それ自体を「肯定」するような言葉は、歌詞の中では使っていない。使えばアフリカ系の人々は決して黙っていないし、「世界」も黙ってはいないだろう。その代わりにこの歌の中では、1974年のアラバマ州においては人種差別それ自体が「存在しない」かのような、あったとしてもそれは「大したことではない」とでも印象づけようとするかのような、「イメージ操作」が行なわれている。実際には差別は「ある」のだし、この歌から45年たった現在でもいまだにそのために命を奪われる人が存在し続けているにも関わらずである。

だから私はこの歌を差別的な歌だと思うし、ウソだらけの反動的な歌だと思う。歌詞の中に確かに差別的な言葉は使われていないし、内容的にもザックリ言うなら、「アラバマはいいところだ」という以外のことはほとんど何も言っていない。けれどもそれに異を唱えようとする人間を「黙らせる」ために、この歌は「機能」している。この歌によって作り出される「ノリ」や「一体感」は、「差別を問うこと」を「排除すること」によって作り出される「一体感」なのだ。その意味で私はこの歌を、「人種差別を含めた南部の白人社会」を「そのまま」受け入れることを迫ってくる、踏み絵のような歌だと感じる。けれども「差別する側の人間」たちにとっては、それは「踏み絵」であるどころか、むしろ「甘美な誘惑」に他ならないのである。この歌の「人気」や「生命力」の根拠は、そこにしか求めることができない。

海外サイトでも日本のサイトでも、この歌のことを取りあげている文章においては必ずと言っていいほど、「言われているほどひどい歌ではない」という「言い訳」めいた一文が付け加えられている。いちいちそんな「但し書き」をつけなければならないということは、「言われているほど」ではなくても「いくらかは」やはり「ひどい」のだということを認めているようなものだ。そして「いくらか」でも「ひどい」のだとすれば、既にそれは充分すぎるほど「ひどい」ということなのである。差別というものは「する側」にとっては空気を呼吸するのと同じくらいに「軽い」ことであっても、「される側」にとってはそのひとつひとつが「する側」には想像もつかないぐらいに「重たい」ものなのだから。

以上がこの歌に対する私の感想であるということを明らかにした上で、試訳に移りたいと思う。検索でこのページを訪ねて来られる方の何割かはこの歌が「好き」な人であるに違いないわけだし、そういった人たちと私が立場を異にしていることは、歌詞の対訳を掲載する前に最初の段階で明らかにしておかねばならないことだと思うからである。


Sweet Home Alabama

Sweet Home Alabama

英語原詞はこちら


1, 2, 3
Turn it up

ボリューム上げろ。

Big wheels keep on turning
Carry me home to see my kin
Singing songs about the Southland
I miss Alabama once again
And I think it's a sin, yes

でっかい車輪は回り続けて
身内に会いに行くおれを
ふるさとに送り届けてくれるのさ。
南部のことを歌った歌を歌いながら
おれは改めてアラバマを懐かしく思う。
そしてそれって
罪なことなのだろうかと思う。
そうだ。


Well, I heard Mr. Young sing about her
Well, I heard ol' Neil put her down
Well, I hope Neil Young will remember
A Southern man don't need him around anyhow

ヤングさんがアラバマちゃんのことを
歌っているのを聞いた。
ニールの大将はアラバマちゃんのことを
こきおろしていると聞いた。
ニール·ヤングには
覚えておいてもらいたいんだが
南部の男は何にしたってそんなやつに
うろついてもらいたいとは
思っちゃいないんだぜ。


Sweet home Alabama
Where the skies are so blue
Sweet home Alabama
Lord, I'm coming home to you

アラバマのやさしき我が家
空はどこまでも青いところ
アラバマのやさしき我が家
かみさま私はあなたに会いに
ふるさとに戻るところです。


In Birmingham they love the governor, boo boo boo
Now we all did what we could do
Now Watergate does not bother me
Does your conscience bother you? Tell the truth

バーミングハムの人間は
州知事のことを愛してる。
(ブー!ブー!ブー!)
おれたちは自分にできることを
やってきたつもりだぜ。
ウォーターゲート事件だって
おれには知ったことじゃない。
あんたは何か良心の呵責でも
感じてるって言うのかい。
正直なところを教えてくれよ。


Sweet home Alabama
Where the skies are so blue
Sweet home Alabama
Lord, I'm coming home to you
Here I come, Alabama

アラバマのやさしき我が家
空はどこまでも青いところ
アラバマのやさしき我が家
かみさま私はあなたに会いに
ふるさとに戻るところです。
帰ってきたぜ、アラバマよ。


Ah ah ah
Alabama, ah ah ah
Alabama, ah ah ah
Alabama, ah ah ah
Alabama


Now Muscle Shoals has got the swampers
And they've been known to pick a song or two
(Yes, they do!)
Lord, they get me off so much
They pick me up when I'm feeling blue, now how about you?

マッスル·ショールズにスワンパーズあり
ひとつかふたつの歌のおかけで
かれらはとても有名だ。
(有名だ!)
かみさまかれらは本当におれを
夢中にさせてくれます。
気持ちがブルーな時にも
元気づけてくれます。
あんたはどう?


Sweet home Alabama
Where the skies are so blue
Sweet home Alabama
Lord, I'm coming home to you

アラバマのやさしき我が家
空はどこまでも青いところ
アラバマのやさしき我が家
かみさま私はあなたに会いに
ふるさとに戻るところです。


Sweet home Alabama, oh, sweet home baby
Where the skies are so blue and the governor's true
Sweet home Alabama, Lordy
Lord, I'm coming home to you, yeah yeah
Montgomery's got the answer

アラバマのやさしき我が家
ああ大好きな地元だぜ。
空はどこまでも青くて
政治家はとても誠実なところ。
アラバマのやさしき我が家
かみさま私はあなたに会いに
ふるさとに戻るところです。
答えはモンゴメリーにある。

翻訳をめぐって (はじめに)

1, 2, 3
Turn it up

この「ボリューム上げろ」は、録音時にボーカルのロニー·ヴァン·ザントのヘッドセットの音量が足りなかったので、調整するよう指示した声がそのまま入ってしまったのだとのこと。

Big wheels keep on turning

C.C.R.の「Proud Mary」に出てくる有名な歌詞がそのまま使われており、聞く人の脳裏には「ミシシッピの川面を進む外輪船」という極めて「南部的な風景」が浮かびあがる。そのことの上でアラバマ州は成人男性の85%が運送業に従事しているという(←海外サイトにはそう書かれていたのだが、本当なのだろうか)「トラック輸送の本場」なのだとのことであり、「州間高速道路を疾走する巨大なトラックの車輪」をイメージしながら聞いている人も多いとのことである。

nagi1995.hatenablog.com

I miss Alabama once again
And I think it's a sin, yes

直訳は「私は改めてアラバマを懐かしく思う。そしてそれを、確かに罪なことだと思う」。のっけから、挑発的な歌詞だと思う。歌い手が「本当に」アラバマを懐かしむことを「罪」だと思っているかといえば、これは明らかに、思っていない。この「しおらしい」歌詞それ自体は、世間に「アラバマ州の人種差別」に対する批判が存在することを考慮に入れた上での、「ポーズ」であるにすぎない。

私自身は、アラバマで生まれた人がアラバマのことを懐かしく思うことが「罪」であるなどとは全然思わない。極めて「当たり前」のことだと思う。(この歌い手は、「アラバマで生まれた人」ではないわけであるにしても)。私だけでなく、アメリカにだってアラバマの人が「郷土愛」を持つこと自体が「罪」であると主張するような人はほぼどこにもいないはずだし、いたらいたで、そんなデタラメな主張にまで耳を傾けるべきだなどとは、全然思わない。「アラバマ州のことを批判する人」がこの場合問題にしているのは、飽くまで「アラバマ州の白人が人種差別を継続していること」なのであって、アラバマ州の「丸ごと」を「否定」しているわけでは全くないのである。

それにも関わらずこの歌い手は、「アラバマの差別主義」に対する批判が「アラバマの全否定」であるかのごとく意図的に問題をスリ替えて、その上で被害者ぶってみせている。私はこれを非常にイヤらしい「やり口」であると感じる。故郷を讃える歌が歌いたいのであれば、堂々と歌えばいいじゃないか。それをあたかも自分たちが「迫害」されてでもいるかのようなことを印象づける言葉を差し挟むことに、果たしてどういう意味があるというのか。人のことを「迫害」してきたのはてめぇらなくせしやがって。「自分たちは迫害していない」と言いたいのであれば、それはそれでもいい。ぜひそうあってほしい。けれどもそれなら現実に存在している「迫害する人間たち」と自分たちはどう「違う」のかということを、まず明らかにしてみせるべきところなのではないだろうか。ところがこの歌い手は、それを「自分の罪」なのだと言ってみせている。つまりは「違わない」ということを主張しているのだし、そのことを通して「迫害する人間たち」を「かばいだて」しているわけなのだ。それこそ「身を挺して」である。口では「罪」だと言っているけれど、こんなのは明らかな「居直り」に他ならない。たった一行の歌詞ではあるものの、決して聞き捨てならない言葉だと私は思う。

90年代ぐらいの日本の右翼は「日本を好きだと言って何が悪い」みたいな言葉で「自己主張」を開始したわけだけど、それが現在では「お前は要するに日本のことがキライなんだな?そうなんだな?」みたいな言葉で他人のことを「攻撃」しても自分らは問われないと信じ込んでやまないほどに、「増長」を深めている。そういうことを平気でやれる感覚というものは、「草の根ファシズム」という言葉があるごとく、自分のことを特に右翼的だとも差別的だとも思っていないような「一般的日本人」の間にも、21世紀以降、明らかに拡大する傾向を見せている。客観的にはそれは、そういうのを「おかしい」と思わない時点で既に充分すぎるほど「右翼的」で「差別的」なことに他ならないわけなのだが、そういう感覚を空気のように呼吸している人間たちというのは、それを「問われる」ことがない限り、いつまでもその感覚の中に安住していたいという気持ちを必ず持っている。そして「問う側」がその「力」を弱めたならば、いつでも襲いかかってその相手を「黙らせて」やりたいという暴力的な衝動をも隠し持っている。だからこそ差別を糾弾し告発するということは、「する側」にとってはいつでも「命がけ」のことなのだ。

この歌が「隠し持っている」のは明らかにその「暴力的な衝動」であると私は思う。公民権運動から10年たったらもう「こんな歌」が歌われるようになっていたのだなという苦々しい感想しか私には浮かんでこないし、その「新しさ」に拍手を送った人間たちの姿というものは、そのまま90年代に小林よしのりや「新しい教科書をつくる会」の台頭を「歓迎」していた人間たちの姿と重なって映る。そして「I think it's a sin」という「しおらしい言葉」で「自己主張」を開始したこの勢力が、21世紀になった今ではどんなに「調子に乗った言葉」を撒き散らしているのだろうかと思うと、気分が悪くなるばかりである。そして、次の部分だ。

ニール·ヤングとの関係をめぐって

Well, I heard Mr. Young sing about her
Well, I heard ol' Neil put her down
Well, I hope Neil Young will remember
A Southern man don't need him around anyhow

「アラバマ」という地名が「彼女(her)」という言葉で擬人化されている。こんな風に土地や自然を「女性」になぞらえる「文化」のありようや、そのことを通して意識的にか無意識的にか自分がその「庇護者」になったかのような感覚に浸っている男性歌手のマッチョな心のありようというものに対しても、批判すべき点は山ほど存在しているに違いないわけだが、ここではそれを指摘するだけにとどめる。

この部分で歌われていることは、上述したニール·ヤングの二つの歌に対する「アンサー」になっているわけである。その二曲の内容については稿を改めてこのブログでも取りあげることにするけれど、少なくともそれが「人種差別を批判する内容」の歌であることは「みんなが知っていること」であるということを前提にした上で、この歌詞は書かれている。だから直接人種差別と結びつくような言葉は歌詞の中では一言も使われていないにせよ、この「Sweet Home Alabama」もやはり「人種差別にまつわる歌」であることは、初めから明らかなことなのだ。

で、その「答え」の内容とは、何なのだろうか。「南部の白人は全部が差別主義者だというわけではありません」「少なくとも自分たちは違います」ということなのだろうか。「自分は差別しない」と言いながら平気で人を差別する人間というのも世の中にはゴロゴロしているわけだけど、せめて言葉としては、それぐらいのことは言ってみせてほしいものだと私は思う。ニール·ヤングからの批判に対して、本気で「違う」と言いたい気持ちを持っているのであればである。ところがその「答え」の内容は、「A Southern man don't need him around anyhow」という一言「だけ」なのだ。

この一行を直訳するなら、「南部の男はいずれにせよ、彼が周りをうろうろすることを必要としていない」となる。端的に言うならばニール·ヤングに対して「消えろ」と言っているわけである。こんなにケンカ腰な「返事」はない。そして「批判」に対する「答え」にすらなっていない。むしろここに示されているのは自分(たち)を批判する者とのコミュニケーションを拒否する姿勢であり、この一行は「宣戦布告」に等しいフレーズなのだ。自分たちは批判など受け付けず、今まで通りの-差別を空気のように呼吸しながら暮らしてきた「今まで通り」の-「南部の白人」であり続ける、という「宣言」に他ならない。この一行に「コーラス」が重ねられており、さらに歌がここに来たところで観衆がひときわ盛りあがる、という現実は、歌う方も聞く方もそれをハッキリと「自覚」していることを物語っている。私の目から見る限り、あえて言うならそれは「おぞましい」光景である。

ただし、このようなやりとりを交わしつつも、レーナード·スキナードとニール·ヤングはお互いがお互いの「ファン」であり、「リスペクト」しあっていたという事実があるらしい。Wikipediaをはじめこの歌について語っている多くのサイトでは、必ずそのことが併記されている。ニール·ヤング自身は、この歌について以下のようにコメントしているとのことである。

"They play like they mean it, I'm proud to have my name in a song like theirs."
「かれらは自分の表現したいことを見事に表現している(←意訳)。私はかれらみたいなバンドの歌に自分の名前が入っていることを誇りに思う」

そしてレーナードのメンバーもステージに「ニール·ヤングのTシャツ」を着て登場したり、またニールヤングの方でも自分のコンサートで「レーナードのTシャツ」を着ていたりと、「仲のいいところ」が伝えられている。1977年にレーナードのメンバーの内の3名が飛行機事故で亡くなった際には、ニールヤング自身が追悼コンサートで「Sweet Home Alabama」を歌ってもいるそうである。こうしたニールヤングの対応から、この歌は聞いたところ辛辣なことが歌われているようではあっても、実際はお互いの了解のもとに書かれた「ネタ」にすぎないのだという評価が、現在では幅を利かせているらしい。

だが「人種差別の問題」というものは、「レーナード·スキナードとニール·ヤングの間の問題」ではない。ニール·ヤングをも含めた白人社会と、それ以外の有色人種との間に横たわる問題なのだ。(公民権運動の時代には、黒人大衆の戦いに触発されて、先住民や日系人による権利主張の戦いも拡大し、それが「ひとつの力」を形成していた。だからそれを「白人と黒人の問題」に「切り縮める」ことは、事実に反することだし、戦いの「分断」につながることでもあると思う。その上で、「アラバマ州で起こった事態」に関して言うならば、「戦いに立ち上がった黒人とそれを弾圧した白人」という関係なのだから、「白人と黒人の問題」という表現を今後も使うことはありうると思う)。南部の黒人と連帯したいという気持ちを込めて作った自分の歌がこのような侮辱と敵対を受けたことに対し、ニールヤングが「怒らなかった」のだとすれば、言いたかないけどそれはニールヤングという人間の「人種差別に反対する姿勢」そのものが「その程度」のものでしかなかったということを物語っているに「すぎない」のである。

この歌詞が「消えろ」と言い放っているのは、ニール·ヤングという「個人」に対してではない。本質的には「あるがままの南部の白人社会」のあり方を批判する全ての「声」に対して「消えろ」と言っているのが、この歌の「メッセージ」なのだ。そして誰よりも身体を張って「あるがままの白人社会」に対する「異議」を叩きつけてきたのは、「アラバマ州の黒人」に他ならないのである。アフリカ系の人々は「don't need (お前らなんて要らない)」という歌詞を、明らかに「自分自身に向けられた言葉」だと直観しているはずだと思う。それにも関わらずこの歌のことを肯定的に評価するあらゆる批評においては、「口だけ」のニールヤングの比ではなく文字通り命がけで「あるがままの白人社会」と対決してきた黒人大衆の存在が、「なかったこと」にされている。そもそも州政府公認の「アラバマ賛歌」であるはずのこの歌に「黒人の姿」が全く登場しないのは、どういうことなのだろう。2010年の統計でもアラバマ州の人口の4分の1は、アフリカ系の人々であるにも関わらずである。

A Southern man don't need him around anyhow」と歌う時の「A Southern man (南部の人間/南部の男)」という言葉に、人口の4分の1を占める「南部の黒人」のことは、果たして含まれているのだろうか。含まれていないなら、それはその時点で明らかな差別だと思う。確かに「A Southern man」という「英語」は、歴史的には「南部の白人男性のみ」を指す言葉として使われてきた言い方だ。そして以前の記事でも触れたごとく、南部の黒人男性は白人社会から決して「man (人間/男)」であるとは認められず、厳密に「boy」と呼ばれてきた歴史が存在している。それならばその歴史を「変える」ことから始めなければ、「差別がなくなること」などいつまで経っても「ありえない」に違いない。「変える気がない」と言うのであれば、それはそのまま「自分たちはこれからも今まで通りに人種差別を続ける」ということの「宣言」に他ならないのだ。

もっとも差別というものを空気のように呼吸しながら生活している人間たちにとっては、「変える気がない」などということはわざわざ口に出して「宣言」しなければならないことで「すら」ない。無視することができないくらい強力な「力」をもってそれを「問われる」ことがない限り、「今まで通りの暮らし」を続けていさえすれば、かれらは「今まで通りに」人を差別し続けることが「できる」わけなのだ。差別的な人間、保守的な人間、右翼的な人間が「理想」としているのは、まさにそういった「今まで通りの毎日」に他ならない。「それをこれからも続ける」と言っているだけでこの歌は既にハッキリと「差別的な歌」なのであり、その姿勢をニールヤングという「他者」から「問われた」上でもなお「変えようとしない」ことを明らかにしている時点で、この歌は「一線を越えている」と私は思う。

無意識的に、あるいは無自覚的に人を差別してしまうということは、あえて言うなら「誰にでもありうる」ことだ。それを指摘されて、気がついて、改めて、という過程が無数に繰り返されることを通してのみ、差別というものは「なくす」ことができるものだと思う。けれども「指摘」されて「居直る」人間というのは、もはや「差別主義者」としか呼びようのない存在なのである。「差別を許さない」という立場に立とうとする限り、本当ならばそういう相手とは「戦う」ことを通してしか「決着」のつけようがないはずなのだ。それを何を「馴れ合って」くれているのだろうかと思う。ニールヤングのおっさんは、である。彼氏がそういう「ものわかりのいい態度」を示した理由というのは、あれこれ読んだわけではないけれど、ある程度はハッキリしている。要するに、「嫌われたくなかった」のだろう。彼自身も同じ「Southern man」という「一般名詞」で呼んでいるところの、「南部の白人ファン」からだ。

この歌が「ネタ」であり「ジョーク」だというのは、「白人同士の間でだけ」通用する理屈にすぎない。実際に差別を受けている人間にとっては、差別というものは「ネタ」でもなければ「ジョーク」でもありえないのだ。それを「ネタ」にするなよと、これはニールヤングに対して私は強く言いたい。「あんたなんか要らないよ」と言われて自分が笑いながら身を引いたなら、次にはその「攻撃」が必ず「声をあげる黒人」や「女性」に向けられることになるのだという「緊張感」を、彼氏は果たして自覚していたのだろうか。いるのだろうか。繰り返しになるけれど、「A Southern man don't need him around anyhow」というのは、決して「ニールヤングにだけ」向けられた言葉ではない。「あるがままの南部の白人社会」に異議を唱えるすべての存在への「憎悪」が込められた言葉であり、本質的には「ヘイトスピーチ」なのである。そのことを、ハッキリさせておかなければならないと思う。

…この「極めてわかりやすいこと」を表現するのに「ヘイトスピーチ」という「英語」を使わねばならないという日本語の現状に私が暴れだしたいような気持ちを抱えていることは、こちらの話。

メリー·クレイトンとの関係をめぐって

Sweet home Alabama
Where the skies are so blue
Sweet home Alabama
Lord, I'm coming home to you

この部分のコーラスにはメリー·クレイトンという有名な黒人女性シンガーが参加しているのだけれど、そのことをめぐって日本語版Wikipediaには以下のような記述がある。

アフリカ系アメリカ人であるクレイトンは、ニール・ヤングがアメリカ南部の人種差別を批判した「サザン・マン」をカヴァーしており、「スウィート・ホーム・アラバマ」に参加するかどうか悩んだことを、ドキュメンタリー映画『バックコーラスの歌姫たち』(2013年公開)で明かしている。また、The A.V. Clubが2013年に行ったインタビューによれば、クレイトンはクライディ・キングから最初に連絡を受けた時「誰のスウィート・ホームでもないアラバマのことは歌わない」と断ったが、夫に「君がやるべきなのは音楽を自分の主張にすることだ」と説得され、参加することにしたという。
スウィート・ホーム・アラバマ - Wikipedia

…何だか、どう読んでいいのかよく分からない記述である。クレイトンさんのインタビューの原文を当たってみると、「誰のスウィート・ホームでもないアラバマのことは歌わない」と訳されている部分については

Clydie, are you serious? I’m not singing nothing about nobody’s sweet home Alabama. Period.
クライディ、あんたマジ? アラバマが誰のスイート·ホームだってのよ。あたしはそんな歌うたわないからね。以上終わり。

と言っていたようで、かなり激しい調子で怒りを持ってオファーを断ろうとしていたことが分かる。それに対して「夫が説得した」という部分については

What you don’t know is that you can’t picket and you can’t stand on the front lines because with your mouth, you’d be dead. But you have the biggest platform there is to partake in and what you should do is let the music be your protest.
君は最前線に出てピケを張ったりするようなことをするべきじゃないんだ。君みたいに口の悪いやつがそんなことをしたら、死ぬことになる。それを君はわかってない。君には状況に参加するためのこの上ない条件があるじゃないか。君は音楽を君の抗議にするべきなんだ。

…という内容だったのだそうで、一応訳してはみたけれど、「Sweet Home Alabama」のコーラスに参加することがどうして「protest (抗議)」になるのかという理屈については、私にはやっぱりよく分からない。けれども彼女は「ピンと来た」のだそうで、

“Okay, I’m going to go to this session, but you better believe I’m going to be singing through my teeth ‘Sweet Home Alabama.’”
OK。あたしセッションに出るわ。でも「Sweet Home Alabama」は歯の間から歌ってやるから、覚えといてよね。

と言い残して、レコーディングに参加したのだという。この「歯の間から(through my teeth)」歌うという言い方をどう解釈すればいいのかはかなり微妙な問題だが、間違いなく言えることとして、彼女は「イヤイヤ」レコーディングに参加したのである。最初から気が進まなかったし、最後までやっぱり気が進まなかった、ということしか、明らかに彼女は言っていない。

けれども日本語版Wikipediaの書き方だと、あたかも「最初は気が進まなかったけど最後はやって良かったと思った」という記述であるように読めてしまわないだろうか。「Sweet Home Alabama」という歌をそこまでして擁護したいか、と思えてしまうレベルの、「情報操作」であるように私には感じられる。

それではどうして彼女の夫は「歌うように説得した」のかという問題が残るが、「you’d be dead (死ぬよ?)」という言葉に示されているように、彼女が歌うことを拒否するような「目立つ抗議の仕方」をしたら「危険」だということを、本気で心配したからだとしか私には思えない。つまりは1974年の時点でも人種差別はそれほど強烈に存在したということなのだし、クレイトンさんがこの曲のコーラスに参加したこと自体も言うなれば人種差別の「結果」なのである。

それにも関わらず「黒人女性がコーラスで参加していること」をもってこの歌が「差別的な歌ではない」と言い立てる人間の根性というものは、最低最悪だとしか私には言いようがない。この歌に「正しい聞き方」があるとすれば、クレイトンさんが「イヤイヤ歌った」というその歌い方の中に、彼女なりの「抗議 (protest)」のメッセージを読み取ろうとすることだけだろう。言われてみれば確かに「イヤイヤ」歌っているように聞こえるコーラスである。言われなければ気づけないのがとても口惜しいのだけど。

ジョージ·ウォレスその他との関係をめぐって

In Birmingham they love the governor,
boo boo boo

「Birmingham」とは上述したように、アラバマ州最大の都市。そして当時における「governor (州知事)」はやはり上述したように、差別主義者としての悪名を馳せたジョージ·ウォレス。このウォレスはこの歌のことを、いたく気に入っていたらしい。とりわけこの「バーミングハムではみんなが州知事のことを愛してる」という一節をである。そしてこの知事はレーナード·スキナードというバンドに、州の軍隊の「honorary Lieutenant Colonels (名誉中佐)」という称号を与えたということが、海外サイトには書かれている。

そんな風に自分たちに「名誉」を与えてくれたこの州知事のことを、ボーカリストのロニー·ヴァン·ザントは後のインタビューで嘲笑している。「ブー!ブー!」と言っているではないか、と言うのである。差別主義者の州知事が、バーミングハムでは「愛されて」いる。その現実に自分たちはブーイングで異議を唱えているのだ。それをやつらは勝手に自分の都合のいいように「誤解」してるのさ、と言っているらしい。このことがまた、現在では「言われているほどひどい歌ではない」というこの歌の擁護論の「根拠」になっている。

ふざけるなよ、と私は思う。

だったらどうしてムキになってでも、その「誤解」を「解こう」としないのだ。それは「誤解」されたままでいた方が、自分たちにとって「都合がいい」からなのではないのか。

「本当に」かれらがこの歌を「差別主義者の州知事に対する異議申し立て」のために作ったのだとすれば、その肝心の州知事やマスコミからそのメッセージが「真逆」に受け止められてしまったということは、大問題ではないのだろうか。記者会見でも何でも開いてそれをハッキリと否定すればいいのだし、またするべきなのではないだろうか。「名誉中佐の称号」なるものをノコノコ州庁まで受け取りに行ったのか、それともウォレスの方から一方的に通知してきたのかまでは知らないが、そんなものは直ちに「突き返す」のが当たり前の対応だろう。そうしなければ「誤解」は解けないどころか、社会的に確定された評価に変わってしまうのである。かれらは、焦らなかったのだろうか。うろたえなかったのだろうか。「ギャグのつもりだったのに大変なことをしてしまった」と青くなるのが普通なのではないだろうか。本当に「差別は許せない」と思っていたのであればである。

「思っていなかった」のだ。かれらは。だからそれを「放って」おくことができたのだし、「誤解」されたままでも「平気」でいることができたのだ。1999年になるまで発表されなかったような非公式インタビューでしかロニー·ヴァン·ザントが「真相」を語っていないことは、かれら自身が「誤解」された状況を「面白がって」いたこと、そして自分たちにとって「都合のいいこと」だと考えていたことを物語っているようにしか思えない。その意味では「誤解」だというこの「公式コメント」それ自体も、批判を意識したアリバイ工作みたいなものにすぎないのだ。

確かにレコードを聞いてみると、「みんな州知事を愛してる」というフレーズの後には「ブーイング」が挟まれている。ネットで現在出回っている歌詞では「boo, boo」という「言葉」も文字起こしされており、それを見ながら聞く限り「誤解」の生じる余地はない。けれどもそういうのを見ないで聞いた場合、この部分の「人間の声」が「ブーイング」なのか「音楽の一部」なのかは非常に「わかりにくい」形で録音されているし、事実70年代にはそれをブーイングだと「わからない」リスナーが大勢存在したのだ。当の州知事本人を含めてである。つまりこの「人間の声」は、最初からそれが何であるのかをハッキリさせないように「わざと」あいまいに録音されていたのだとしか私には思えない。何でそういうことをするのかといえば、「誤解してもらうため」なのである。

この歌が「誤解されたまま」でいた場合、どういうことが起こるのかということをハッキリさせるために、上に掲げた写真をもう一度貼りつけておくことにしたい。



この写真の後景で薄笑いを浮かべているような連中が、「大喜び」することになるのだ。そしてこのレコードを買って、「自分たちの気持ちを歌ってくれている歌だ」と「愛聴」することになるのだ。さらにはこうした連中がレーナード·スキナードのコンサートに押し寄せて、この歌を「大合唱」することになるのだ。それをレーナード·スキナードというバンドは「イヤだと思っていない」のである。

何かもう、それで充分なのではないかという感じがしてしまう。

こいつら、確信犯なのだ。

上の写真に写し出された差別主義者の群衆と、レーナード·スキナードというバンドとは、「心を通じ合わせて」いる。こうしたリスナーは、州知事賛美のフレーズの後のブーイングが仮に「聞こえた」としても、それが「あいまい」にされていることから、「本気のブーイングではない」という「メッセージ」を読み取ろうとするだろう。そしてレーナード·スキナードは「あえて」それを否定しない。以心伝心の「腹芸」なのである。

差別やいじめというものは、いつでも必ず「陰湿」な形で展開される。裏では誰よりも残忍で嗜虐的な言葉の暴力、体の暴力をほしいままにしていながら、大人の前に出ると誰よりも雄弁に「自分がどれほど差別やいじめを許せないと思っているか」を大演説してみせるような人間の姿というものを、私は小学生の頃から見てきたし、場合によっては自分自身もそんな風に振る舞うことに確かに「快感」を覚えていた時期があったことを、痛恨を込めて、自覚している。だから「差別する人間」がいかにその「ノリ」を「楽しんで」いるかということも、語弊を恐れず言うなら、「知って」いる。そうした「ノリ」を求めている人間にとって、こうした歌は絶好の「隠れみの」になるのだ。「自分たちは差別しない」と言いながら「差別を続けたい」人間たちにとって、これほど都合のいい歌は滅多にない。

1960年代には「カメラの目をも恐れないほどに」公然と行なわれていた差別が、1970年代には「口では差別はいけないと言いながら」継続される陰湿な差別に変わった。それだけのことなのだ。そして黒人解放運動の高まりによって「抑圧」された差別主義者たちのエネルギーは、自分たちのことを「否定」しないこの歌の「ノリ」の中に、格好のハケ口を見出した。だからこそこの歌は、「南部のマジョリティ」の間で爆発的に「ウケる」ことになったのだ。

"We thought Neil was shooting all the ducks in order to kill one or two,"
「ニールは一羽か二羽のカモを殺すために全部のカモを撃ちまくってるんじゃないかって、俺たちは思ったんだ」

ロニー·ヴァン·ザントはニール·ヤングへの「アンサーソング」としてこの曲を書いた動機について、こんな風に語っている。南部の白人の間で本当に「差別主義者」と呼びうるような「ひどいやつ」は、「1人か2人」の取るに足らない部分にすぎない。それを攻撃するために「全部のカモ」=「南部の白人の総体」を攻撃されたのではたまらない。ということを、おそらく彼は言いたいのだろう。

だが、上の写真のような形での「集団暴行」は、果たして「一羽や二羽のカモ」の力で可能になるものだろうか。かれらがあんな風に「当然」のような顔をして黒人に暴力を振るうことができたのは、かれらのような人間こそが南部においては「マジョリティ」だから、可能になっていたことなのだ。「一羽や二羽のカモ」というのが具体的に誰のことを指しているのかは判然としないが、少なくとも当時のアメリカにおいて「最悪のカモ」であると見なされていた州知事は、アラバマ州では「選挙」によって選ばれた人間なのである。

もしも本当に南部における人種差別が「一羽や二羽のカモ」による取るに足らない仕業であるというのなら、その「一羽や二羽」の首ぐらいは自分の手で狩りとって、「他のカモ」はそれとは無関係であることを証明してみせろよと私は思う。けれども「あえて」それをしないことを通して、実際には「ほとんどのカモ」がその「一羽か二羽」と「心を通じ合わせて」いることを逆に証明することになっているのが、この歌なのだ。そしてこの部分だけはロニー·ヴァン·ザントの言葉の通り、その「ほとんどのカモ」の「ため」に書かれているのが、この歌なのである。その「ほとんどのカモ」は21世紀を迎えた今日でも、上の写真と同じような薄笑いを浮かべて、この歌の中に当時と変わらないような「ノリ」を求め続けていることだろう。そのエネルギーに支えられることを通して、この歌は「生命力」を保ち続けているのである。

とにかく、差別主義者の聞き手を排除しないどころかむしろ「大切なお客さん」として扱い続けているその時点で、この歌と私が倶に天を戴くことは到底できないと思う。今でも「保守派に大人気」だというレーナード·スキナードが、自分のコンサートで「レイシストは帰れ」と言ったことがあるだろうか。一度もないに決まっているのだし、あるとすればそれは「ギャグ」として言っているに「すぎない」ことだろう。こういう曲がアラバマ州では「事実上の州歌」になってしまったのが21世紀における「現実」であるわけだし、またこういう曲が「ロックの古典」と呼ばれたり「殿堂入り」したりしているのも21世紀における「現実」に他ならない。だったらそういう「現実」は、「変える」しかないのである。私は、変えたいと思う。

翻訳をめぐって (補遺)

Now we all did what we could do
Now Watergate does not bother me
Does your conscience bother you? Tell the truth

後はもう、ほとんど取るに足らない話だ。一行目、「我々は自分にできることをやってきた」というのは「ウォレスを落選させるよう努力してきた」という意味だという擁護論もあるようだが、そんなのは「ウソ」である。事実としてかれらは、この歌が「ウォレスの応援歌」だと思われてきたことについて、「誤解を解くための努力」を何も行なっていない。

二行目。「ウォーターゲート事件なんて俺には関係ない」と言っているのは、当時大統領だったニクソンの支持基盤が「南部の白人社会」にあったことで改めて批判が高まっていたことへのリアクションになっているわけだが、これだって「どうにでもとれる言葉」である。少なくともニクソンは、「そんなの関係ない」と言ってもらえて、「うれしかった」ことだろう。自分が何をやろうと関係なく、「今まで通り」にしていてくれると言われたわけだから。

私の故郷に等しい街である大阪が、こんにち「維新の牙城」となっている現実について。「自分らのせいじゃない」とか「自分らには関係ない」とか言いたがる人たちはやはり「実在」しているが、そういう他人事みたいなことが言える人というのは例外なく「維新からひどい目に遭わされなくても済んでいる人たち」なわけだし、だからそれを「他人事」にしておくことができるわけだし、また「他人事」にしていたいわけである。「めんどくさい」から。なのでそういう部分というのは、ザックリ言って血も涙もない人間ばかりである。それにも関わらず公然と維新を応援するような人間たちよりはそうした部分の方が「マシ」であると言わざるを得ない現状があるわけだけど、別にそうした部分の「良心」に期待したって何も「いいこと」が起こるわけでもない。今の大阪では「一羽か二羽のカモ」と変わらないようなことになっている「まじめな人たち」は、みんな「歯ぎしり」をしているのだということを私は知っている。

ああいう連中が、アメリカでもやっぱり幅を利かせているのだな、というのが一番率直な感想である。こういう余裕をかました態度の中に示されているものこそが、最も食えない「保守派の力」というものなのだろうな。

Now Muscle Shoals has got the swampers
And they've been known to pick a song or two

アラバマ州シェフィールドに存在した「マッスル·ショールズ·サウンド·スタジオ 」と呼ばれる録音スタジオは、「スワンパーズ」と呼ばれる凄腕のスタジオミュージシャン集団を擁し、ストーンズからディランまで、多くの有名アーティストの楽曲を生み出してきたのだという。素晴らしいことである。こんな歌のおかげで名前が有名になったのでなければ、もっと素晴らしかったことだろう。

Sweet home Alabama, oh, sweet home baby
Where the skies are so blue and the governor's true

アラバマは「州知事が誠実なところ (the governor's true)」だと、もう一回言っている。これにも批判されたら「ギャグだ」とか「皮肉だ」とか言い抜けられるような逃げ道があらかじめ用意されているわけだが、こういう「玉虫色の言い方」をあえて選択する人間の「本音」というものは、いつだって「邪悪な側」に存在しているのである。

Sweet home Alabama, Lordy
Lord, I'm coming home to you, yeah yeah
Montgomery's got the answer

最後の「答えはモンゴメリーにある」というのは、謎めいた歌詞である。モンゴメリーはアラバマの州都であり、知事公舎もあるところだから、とりあえずはそれにちなんだ歌詞なのだろう。この部分は実は、レコーディング時に自分用のドーナツを買ってきたヴァン·ザントが、それを他のメンバーに食べられてしまい、その怒りから「My doughnuts! Goddamn! (ちきしょぉ俺のドーナツ!)」と歌っていたのだという説もあるらしいのだが、どうだっていい。面白くないし。

「日の丸」と「南軍旗」 (むすびに代えて)



レーナード·スキナードというバンドの曲を真面目に聞いたことは、実を言うと今回の記事を書くことになるまで、一度もなかった。理由はかれらがステージでは必ず「南軍旗」をバックにして歌うバンドなのだということを、知っていたからである。アメリカの奴隷制度の歴史を初めて知った小学生の時から、アメリカでは今でも「奴隷制死守」の旗印である南軍旗を振り回すことのできる人間が存在しているのだという事実が、私には信じられなかった。初めてそれを実際に見たのは、名前を忘れたテキサス出身のプロレスラーがコスチューム代わりにしていたのを見た時だったと思うが、それが南軍旗であることをアナウンサーが「普通に」説明しているのを聞いて、私はショックを受けたし、恐怖さえ感じた。その感覚を「無知だったがゆえのナイーブな反応」だったなどとは、今でも決して思わない。最初にミナミの古レコード屋で南軍旗をあしらったレーナード·スキナードのアルバムジャケットを目にした瞬間から、こんなバンドの曲なんて誰が聞くかと私は思っていた。今ではそれが「星条旗」であれ「ユニオンジャック」であれ、やはり「誰が聞くか」と思う。「変わった」ことといえば、それぐらいである。

その後、私は数え切れないくらいの南部出身アーティストの楽曲に触れてきたし、「南部には南部の言い分がある」のだということも、少しずつ知るようになっていった。南北戦争以来、「北部の大資本」の力によって南部がずっと「経済的後進地域」の役割を押しつけられてきたことは紛れもない事実だし、また北部には北部で「リベラルな仮面をかぶった人種差別」がやはり根深く存在するのである。このブログの第一回目で取りあげたザ·バンドの「Old Dixie Down」や、トム·ペティの「Rebels」など、私がずっと愛聴してきた数々の「南部の歌」にしても、その内容はやはりこの「Sweet Home Alabama」と「紙一重」なのだということを、記事を書き終えた今、重く実感している。「南部の白人でなぜ悪い」という「叫び」が、リヴォン·ヘルムやトム·ペティの声には漲っているし、それはかれらが北部の人間から「叛逆者」として蔑まれてきたことに対する「真っ当な抗議」でもあるのである。その「声」は、違う文化の中で育った人間も、やはり「真面目に」耳を傾けなければならないものだと思う。

けれどもいかに「紙一重」であれ、そうした楽曲とこの「Sweet Home Alabama」は、やはり「同じではない」のである。「違う」のである。リヴォン·ヘルムもトム·ペティも、自分たちが生まれた時からつきまとっている「南部の白人」としての「不名誉」を、「居直る」ような歌は決して歌っていない。私がかれらの歌に「感動」してきたのは、思うようにならない「運命」や「現実」に振り回されつつも、決して流されることなく自分らしく生きようと「格闘」する人間の姿がそこにあったからなのだ。(ザ·バンドの映画「ラストワルツ」には、メンバーが南軍旗の下でインタビューを受ける場面が一瞬だけあり、そこだけはいかに「好きなバンド」であれ、「悪ノリ」であると指摘しておかないわけには行かないけれど)。「Sweet Home Alabama」のどこにそうした「真面目さ」や「ひたむきさ」があるだろうか。もとより「真面目でひたむき」な歌ばかり歌わねばならない必要など、どこにもない。音楽とは本来的に「楽しく」あればいいものだ。けれどもこの歌に歌い込まれているような、人種差別への命がけの告発をマジョリティが「軽やかにスルーすること」の「楽しさ」など、私は断じて「楽しさ」と認めてやるわけには行かないのである。

差別というものは「する側」にとっては空気を呼吸するのと同じくらいに「軽い」ことであっても、「される側」にとってはそのひとつひとつが「する側」には想像もつかないぐらいに「重たい」ものなのだと、この記事の最初の方で私は書いた。南部の白人が「軽い気持ち」で南軍旗を振り回し、「軽い気持ち」で差別を「ギャグ」にし、「軽い気持ち」でこの歌を合唱できる感覚というものは、「一般的な日本人」が「軽い気持ち」で「日の丸」を振り回し、「軽い気持ち」でダウンタウンを見て笑い、「軽い気持ち」で「君が代」を合唱できる感覚と何も変わらないのだなということを、書けば書くほど私は痛感せずにはいられなかった。今回の記事に書いたことは、全部「自分に返ってくること」なのだ。だから私はこの歌に対する自分の態度を、絶対に「あいまい」にするわけには行かないと思った。

「一般的な日本人」が、侵略と植民地支配と天皇制の旗印である「日の丸」に執着しようとするその心性と、「一般的な南部の白人」が「南軍旗」に執着しようとする心性とは、いかに似通ったものであるか。そしてそれがいかに差別主義と表裏一体の許しがたいものであるかということについて、本当ならばもう少しスペースを割いて自分の気持ちを綴りたいと思っていた。けれども今回の記事は既にあまりにも長大になっている。昔の私は、ナチスの旗を否定したいと思うなら「日の丸」もやはり否定しないわけには行かないというどちらかと言えばネガティブな理由から「日の丸」と決別することを決めたのだったけど、今では「日の丸」が許せないからこそ「ナチスの旗」も「南軍旗」もやはり許せないのだということを、確信できるようになっている。「よその国の事情だから」と「遠慮」したり発言を避けたりしているようであれば、「自分の国の不正」とも対決できなくなると今ではハッキリ思う。今回の記事はそうした気持ちにもとづいて「南軍旗」と正面から向き合った、私にとっては最初の文章だった。そのことだけ明らかにして、むすびに代えたい。

Period. 以上終わり。メリー·クレイトンさんのインタビューで、勉強させてもらった言い方だ。今回よかったのは、それだけだったな。ではまたいずれ。


=楽曲データ=
Released: 1974.4.15
Key: G