華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Ballad of Birmingham もしくは バーミングハムのバラッド 1963年9月15日 (1965. Dudley Randall)

オレが忘れられない1917年の事件は、加工工場で黒人労働者が白人の職場を奪ったことが原因だったはずだ。頭にきた白人労働者が暴れ狂って、黒人を殺しまわったんだ。同じ年に、黒人は世界の民主主義を守ろうと第1次世界大戦でアメリカのために戦っていたというのにだ。白人はオレ達黒人を、彼らのために命をかけて戦うように外国に送り出し、国の中では虫けらのように殺していたんだ。今だって、同じようなものだ、クソッ。なんて言ったらいいんだ!オレはこんな出来事を忘れることはできない。それがオレの性格なんだろうし、オレの白人に対する態度も、こんなところからきてるんだろう。白人にだってすばらしい奴はいる。それはわかっている…だが、豚や野良猫を撃つみたいに殺された連中、女や赤ん坊も家の中で撃ち殺されて、ある者は電柱に首を吊られて…クソッ!東セントルイスでは、オレの知っている黒人は一人残らず、1917年に白人がやったことを忘れちゃいない。

-中山康樹訳「マイルス·デイビス自伝」
 1990年-



「暴れ狂う」という言葉は「精神病者」に対する差別表現です。ここでは引用元の翻訳に使われている表記をそのまま転載しました。


Ballad of Birmingham

Ballad of Birmingham

英語原詞はこちら


“Mother dear, may I go downtown
Instead of out to play,
And march the streets of Birmingham
In a Freedom March today?”

「母さん、今日は外で遊ぶ代わりに
ダウンタウンに行ってもいいかな。
バーミングハムの街を行進するの。
自由の行進なんだよ」


“No, baby, no, you may not go,
For the dogs are fierce and wild,
And clubs and hoses, guns and jails
Aren’t good for a little child.”

「だめだよあんた、行っちゃだめ。
怖い犬が噛みついてくるんだよ。
警棒だとか消防ホースだとか
鉄砲だとか牢屋だとか
子どもはそんなとこに
行っちゃいけないよ」


“But, mother, I won’t be alone.
Other children will go with me,
And march the streets of Birmingham
To make our country free.”

「でも母さん
私ひとりじゃないんだよ。
他の子も一緒に行くんだよ。
バーミングハムの街を行進するの。
私たちの国を
自由な国にするためなんだよ」


“No, baby, no, you may not go,
For I fear those guns will fire.
But you may go to church instead
And sing in the children’s choir.”

「だめだよあんた、行っちゃだめ。
本当に撃たれるかもしれないよ。
教会だったら行ってもいいから
子どもの合唱隊で歌っておいで」


She has combed and brushed her night-dark hair,
And bathed rose petal sweet,
And drawn white gloves on her small brown hands,
And white shoes on her feet.

その子は夜のような黒い髪に
くしを当ててブラシをかけて
バラの花びらを浮かべた
いい匂いのするお風呂に入って
茶色の小さな手には
真っ白な手袋をはめて
その小さな足にも
真っ白な靴をはいた。


The mother smiled to know her child
Was in the sacred place,
But that smile was the last smile
To come upon her face.

母親はほほえんだ。
子どもは聖なる場所にいるんだから
これで心配はない。
それなのにその笑顔が
その母親にとっては
最後の笑顔になってしまった。


For when she heard the explosion,
Her eyes grew wet and wild.
She raced through the streets of Birmingham
Calling for her child.

爆発を聞いて
その目には獣の光がやどり
涙があふれだした。
母親は
バーミングハムの通りに飛び出した。
自分の子の名前を呼びながら。


She clawed through bits of glass and brick,
Then lifted out a shoe.
“O, here’s the shoe my baby wore,
But, baby, where are you?”

ガラスとレンガの破片をかき分けて
母親は
片方だけの靴を拾いあげた。
「ああ、あの子がはいてた靴だ。
でもあの子は
どこに行ってしまったんですか」



前回の記事の中で触れた、1963年9月15日にアラバマ州バーミングハムで発生したKKKによる教会爆破事件について、アフリカ系詩人のダドリー·ランドール(上写真)が書いた詩に、後からメロディがつけられたもの。今でも多くの人によって、歌い継がれているという。

キング牧師によって、「かつて人道に対して犯された中で最も残忍で悲劇的な罪」であると糾弾されたこの事件は、アフリカ系の人々にとっての決して消えない記憶として、存在し続けている。

ボブ·ディランが「時代は変わる」を書いた1963年は、黒人解放運動にとっては「勝利と悲嘆の年」だったと、前回の記事で参考にした資料には、書かれてあった。

アラバマ州バーミングハムは、当時のアメリカでおそらく「人種隔離がもっとも徹底された街」だと言われていた。公民権運動が高まりを見せ始めた1957年から1963年までの間に、黒人居住区とユダヤ教のシナゴーグではKKKによる爆破事件が18回も発生しており、かつその下手人は警察公安部長の「ブル」·コナーによって「野放し」にされていた。(「ブル」はこの男を「ブルドッグ」になぞらえた通称。下写真)。またこれはアラバマ州に限ったことではなかったが、公民権運動に参加している黒人の名前は地元の新聞によってリストアップされ、まるでそれだけで「お尋ね者」であるかのように扱われていた。「逃げ場」がどこにもない中で戦いに立ちあがることを決意せねばならなかったのが、当時の南部の全てのアフリカ系の人々がおかれた状況だった。



警察とKKKはそればかりか、緊密に連携を取り合って動いていさえした。1961年に「フリーダム·ライダーズ」と呼ばれる北部の活動家の人々が、「白人専用」のバス席に座ったままアラバマ州に入った際には、「ブル」·コナーとKKKの間で「襲撃のために15分の時間を確保する」という取り決めがあらかじめ交わされており、現場の警察官には「もしもバスターミナルから通報があっても無視しろ」という指示が周知徹底されていた。ターミナルに到着したバスは50人もの組織されたテロリストに囲まれ、タイヤが切り裂かれ、割れた窓からは火のついたボロ切れが投げ込まれ、バスから転がり出たフリーダム·ライダー達はバットや鉄パイプで瀕死の重症を負わされた。地元の新聞はそれを「テロ」としてでなく、むしろ「ざまあみろ」という筆致で報道した。この時たった一人、傷ついた活動家たちのためにバケツで水を運んだ12歳の白人少女は、後に嫌がらせや脅迫によって、家族ごと移住することを余儀なくされた。



前回出てきたメリー·クレイトンさんでなくても、同胞がこんな目に遭わされているのを見せつけられれば、アラバマが誰の「スイートホーム」なのだと思わずにはいられないことだろう。アラバマが「そんな場所」だったからこそ、キング牧師や当時の黒人解放運動の指導者たちは、そこを「決戦の地」にすることを選んだ。「人種分離」が最も徹底されているアラバマでそれを撤廃させることに成功すれば、南部の全てで同じことが可能になるだろう。「対決 (confrontation)」の頭文字をとった「プロジェクトC」と呼ばれる戦いが、1963年4月に一斉に開始された。日本語版Wikipediaに「バーミングハム運動」というタイトルで記載されている戦いである。第16番通りバプティスト教会を本部にして、街の白人商店街への不買運動が組織され、大きな集会やデモ行進が何度も取り組まれた。食堂や映画館での「白人専用」席への座り込みが始まると、たちまち逮捕者が続出した。

働きながら暮らしている人間にとって、その地元で「逮捕されても戦う」ということは、簡単なことではない。その代わりに、そうした責任を負っていない若者たちや子どもたちにデモの先頭に立ってもらおうという戦術を指導者たちは打ち出し、少年少女たちも情熱的にそれに呼応した。5月2日、黒人向けのラジオ放送のDJが「秘密の合図」を発信すると、たちまち街中の子どもたちが学校を休んで第16番通りバプティスト教会に集まった。午後1時、大人たちが喝采を送る中で「Children Crusade (子どもの十字軍)」と名づけられたデモ行進が開始されたが、たちまち警察に包囲され、その日の終わりまでに6歳から18歳までの959人の子どもたちがバーミングハムの留置場に連行された。

  • まだ警察に回収されていないプラカードの文字: かみさまを愛している人に、そのきょうだいを憎むことができるのですか?



それをものともせず、翌日にも1500人の子どもたちが教会に集まって、デモに出発した。しかし事態は前日とは違っていた。デモが白人居住区に近づくと、そこでは警官と消防士の隊列が行く手をふさいでおり、「ブル」·コナーが「それ以上近づくと消防ホースを向けるぞ」と絶叫した。

恐れず前進を続けた子どもたちに、放水が開始された。最初はシャワーのようなものだったがすぐにそれは「最高圧力」に切り替えられ、現場は大混乱に陥った。その威力は30メートル先の樹皮をも簡単に剥がすほどのもので、至近距離で直撃を受けると骨をも砕くほどのものだった。子どもたちは文字通り吹き飛ばされ、逃げようとした者は建物のドアに押し付けられ、水圧でシャツを引きちぎられた。それでも全ての行進を止めることはできなかった。



コナーの命令で警察犬が導入され、デモ参加者に襲いかかった。何人かの警官は犬のリードから手を放し、おびえて逃げ回る子どもたちに警棒の乱打を加えた。下の写真は翌日に全米で報道されて最も有名になった写真だが、サングラスで顔を隠した警官は、「デモを解散させるため」という名目をも飛び越えて、当時高校二年生だったウォルター·ガズデン君を「シェパードに噛ませるため」に「押さえつけて」いる。これに対してガズデン君は一見したところ放心しているようにも見えるが、その左手はしっかりと警官の左手を押さえている。「非暴力」の運動の理念を体現した「消極的抵抗」の構えをとって、けれどもその身体はズタズタに噛み裂かれることになった。



キング牧師らがとっていた「非暴力」運動の戦略は、南部における差別の実態を全米に暴き出すことを通して「無視できない状況」を作り出し、当時のケネディ政権に「国家権力」をもって差別の規制に乗り出すことを、促すことだった。従ってそれは当時マルコムXによって批判されていた通り、一番肝心なところが「他力本願」になっていた。確かに「連邦軍」という「最強の暴力」をもってすれば、「州単位の暴力」を押さえつけるのは、「国家がやる気になりさえすれば」たやすいことではあるだろう。けれどもケネディ自身も白人であるわけであり、かつアメリカ合州国という「国家」は、南北戦争以降もやはり、一貫して白人の利害のために「だけ」機能してきた国家だった。アメリカという国家の側に「人種差別があると困る理由」があるとすれば、「戦争がやれなくなるから困る」ということに「すぎない」わけであり、黒人がその「力」に「頼る」ということは、「黒人は戦争に協力する」ということと変わらなくなってしまうだろう。「国家の暴力」に期待しているのがその本音なら、「非暴力」という言葉は欺瞞に他ならない。黒人の解放は黒人自身の「力」によって、自ら武器を手にしてかちとる以外にない。それがマルコムXによるキング牧師への批判の骨子だったし、このブログを書いている私自身、「正しかった」のはマルコムXの方だろうと、個人的には感じている。自分が同じ立場でそこにいたとして、鎖を外した警察犬まで差し向けられたとしたならば、丸腰で無抵抗のまま立ちつくしていることなんて、絶対にできなかったろうと思う。

けれどもキング牧師という人の「本音」がどこにあったかということを考えるなら、それは決して「国家権力を利用する」とかいった邪悪なことに軸足があったわけではなく、むしろ「白人の良心」というものを本気で信じ、それに「賭けたい」という思いだったのではないか、と感じる。ホワイトハウスのケネディだけでなく、アラバマの差別主義者の「良心」をも、彼氏はキリスト教の教えにのっとって「信じようとしていた」のだと思うし、その姿勢と「信仰」が本物だったからこそ、あれだけ多くの人々を立ちあがらせることを可能にしたのだと思う。私は「神」というものを一度も信じたことのない人間ではあるけれど、何かを「信じる」その気持ちがあらゆる人をあれほど「強く」するものであるならば、そのことにはやはり感動させられずにいられない。

しかしながら「相手の良心」を信じて全てを預けるその気持ちというものは、「裏切られた」なら最悪の悲劇をしか招かない。キング牧師のその「賭け」は、果たして「報われた」のだろうか。

全世界に報道されたその戦いは確かに世論を動かし、「ブル」·コナーは辞職に追い込まれ、アラバマ州の地元実業界は就職や公共の場所の使い方をめぐる差別を撤廃することを表明せざるを得なくなった。(そこには「段階的に」という言葉が挟まれていたが)。この「勝利」を武器に、ワシントンに行進して差別撤廃の法律制定を請願する史上最大のデモが計画され、リンカーンによる奴隷解放宣言100周年に合わせた8月28日当日には、6万人の白人を含む25万人が全米からワシントンに結集した。「私には夢がある (I have a dream)」で知られるキング牧師の最も有名な演説が行なわれたのは、この時のことだ。公民権運動の歴史の中で最も素晴らしい瞬間はこの時だったと、今でも多くの人に記憶されており、アメリカの公教育でもそのことが必ず教えられているという。

けれどもその「お祭り」は「Farce (茶番)」にすぎないと、マルコムXは人々の「多幸感」に警告を発した。そしてそれを裏付けるかのように、あらゆる「勝利」の出発点となったバーミングハムの第16番通りバプティスト教会がKKKによって爆破され、4人の少女が殺されたのは、それからわずか18日目の出来事だった。



亡くなったデニース·マクネアさん(11歳)、シンシア·ウェスリーさん(14歳)、キャロル·ロバートソンさん(14歳)、アディ·メイ·コリンズさん(14歳)は、「A Love That Forgives (許す愛)」というタイトルで予定されていた礼拝の出し物に参加するため、聖歌隊の衣装に着替えていたところを爆発に直撃され、生き残った人の証言によるならば「ボロ切れで作った人形のように」吹き飛ばされた。一人の遺体は首が引きちぎられており、他の子どもたちの遺体には、頭蓋骨にモルタルが深く突き刺さっていた。他にも22人が負傷し、さらに事件後に発生した「暴動」の中で16歳と13歳の2人の黒人少年が殺された。一人は警官によって。一人は白人のテロリストによって。

the blood of four little children ... is on your hands. Your irresponsible and misguided actions have created in Birmingham and Alabama the atmosphere that has induced continued violence and now murder.
あなたの手は、あの4人の小さな子どもたちの血に染まっている。あなたの無責任さと間違った行動とが、バーミングハムで、そしてアラバマで、継続される暴力を煽り立てる空気を作り出し、そしてとうとう人が殺されたのだ。

そう記した抗議声明を、キング牧師はジョージ·ウォレスに叩きつけた。レーナード·スキナードが「みんなが彼を愛してる」と歌って「みんなが楽しく笑えるギャグ」にしていた、例の州知事である。この差別主義者は爆破事件のわずか一週間前に、ニューヨーク·タイムズに以下のような談話を発表していた。誰もが「下手人はこの男だ」と、怒りに震えずにはいられなかったという。

The society is coming apart at the seams. What good is it doing to force these situations when white people nowhere in the South want integration? What this country needs is a few first-class funerals…
社会は、内部からガタガタになりつつあります。南部の白人は誰も人種統合を望んでいないのに、こんな状況を押し付けてきてどんないいことがあると言うのでしょう?この国にはファーストクラスの葬式が、ふたつみっつ必要になるでしょうな…

けれどもその一方で、内心その子どもたちの死に対する「罪の意識」に最も苦しめられなければならなかったのは、キング牧師自身だったのではないかとも私は思う。自分が「アラバマ」を「戦場」にした。自分が子どもたちを、丸腰で白人の暴力の前に立たせた。選んだのは「非暴力で暴力を引き出して注目を集める」戦術だった。そしてその子どもたちを、ついには死なせてしまった…それでも彼は「やり返せ」とは最後まで言わなかった。事件から2ヶ月後にはケネディが暗殺され、そしてキング牧師自身も、その4年後にはテネシー州で暗殺されることになる。

殺した人間たちは、「罪の意識」などとは全く無縁だった。事件の直後、レイシストたちは「ニガーが4人減った」と公然と叫び、「祝杯」をあげていた。何人かのKKKメンバーが拘束されたが、いずれもすぐに釈放された。当時アラバマ大学で卒業を控えていたウィリアム·バクスリーという法学部の学生が、司法の道に進んで執念でこの事件に取り組み、ロバート·シャンブリスという下手人を特定して有罪判決を受けさせた時には、13年後の1977年になっていた。南部での黒人に対する白人のテロに「殺人罪」が適用されたのは、実にこれが有史以来初めてのことだった。

キング牧師が暗殺された1968年をもって、多くの本では「公民権運動は終わった」と書かれている。正確には「つぶされた」のである。暴力によって。そして運動が課題としたことは、いまだ何ら「解決」されていない。21世紀になって書かれたある本では、歴史の本ではなくソウルミュージックの本なのだけど、こんな風に書かれていた。「キング牧師が殺されて、黒人は白人を完全に信用しなくなった。そしてそれからは、お互いがお互いの世界の内側にこもって生きるようになった。その状態が、今でもずっと続いている」


John Coltrane "Alabama"

前回批判的に取りあげたレーナード·スキナードの「Sweet Home Alabama」が、直接には人種差別に抗議するニール·ヤングの歌への「アンサーソング」になっていたから、そのニールヤングの楽曲についても改めて取りあげることを、前回は予告しておいた。けれどもその前にどうしても、アフリカ系の人たち自身が作った「アラバマ」についての歌を取りあげておかねばならないと思った。「人種差別の問題」をレーナード·スキナードとニールヤングという「白人アーティストの間の問題」として語ることなど、できるはずがないからである。それにかれらはそもそも、「馴れ合える関係」なのだ。

90年代以降の黒人音楽というものを実は私はほとんどちゃんと聞いていないのだけど、60年代や70年代の黒人音楽においては、あれだけ激しい戦いが展開されていながら、「差別への怒り」をストレートに突き出した歌が意外なほど見当たらないのは、どういうことなのだろうと私はずっと思っていた。辛辣な言葉や攻撃的なメッセージはむしろ白人が作った曲の中に顕著に見受けられる特徴であり、最近とりあげたマーヴィン·ゲイの「What's Going On ?」をはじめ、同時代の黒人ミュージシャンの楽曲はどちらかと言えば、「戦闘的なスタイル」よりもむしろ「ピースフルなメッセージ」によって特徴づけられている。このことを私はキング牧師の思想の影響なのだろうかと思っていたし、またアフリカ系の人たちの「やさしさ」なのだろうかとも思っていた。

けれども前回と今回の記事を書く中で、身にしみて思い知らされたことがあった。アメリカという国では、アフリカ系の人たちは「怒り」をストレートに言葉にしたら、本当に「殺される」現実が続いてきたのだ。白人なら自分が殴られたら「殴り返してやりたい」という気持ちをいくらでも歌にすることができるし、また実際にそうすることもできるけど、黒人は「殴り返してやりたい」という気持ちを言葉にするだけで「殺される」のである。それを本当にやりたいと思ったアフリカ系の人たちは、「アート」としてそれを表現することを「捨てて」、自分の顔と言葉を隠して「ブラックパンサー」としての道を選ぶ以外になかったのだ。そのことを自分は本当に、何も分かっていなかったのだなと思わされた。

前回、レーナード·スキナードについて調べていてイヤになるほど目にすることになったのは、「政治的主張のことは知らないが、あのギターはすごい」といった類のコメントだった。ニールヤングにしてからがそうなわけだけど、かなり「リベラル」なことを歌っているように見えるアーティストでも、「普通に」そういうことを言っていた。そういう感受性というものは、人間として本当に大切な感受性の根本を「欠落」させた上にしか、成立しない感受性なのではないかと思う。

だから私は「ギターを持った人間」というものが、自分もそうだったのに、「怖く」なることが時々ある。どんなに人間として最悪なやつでも、「ギターがうまい」というそれだけのことで、他の全てを「なかったこと」にして簡単に「尊敬」できてしまうような感受性をこいつは持っているやつなのだなということが、「わかって」しまうからである。何しろ自分もそうだったから。音楽をやっている人間が誰でも「豊かな感受性」を持っているなどというのは、大ウソだ。多くの場合は「歪んだ方向」に「特化」しているだけではないのか。ともすればそんな風にも思ってしまう。

けれども「聞くべき歌」や「人間の声」は、やっぱりあるのである。自分が「アーティスト」であろうとなかろうと、この気持ちを忘れたら生きていられないと思うような歌。そのことを思い出させてくれる歌。それが今回取りあげたこの歌みたいな歌なのだと思うし、それを初めて聞いた時の気持ちを大切にし続けることが必要なのだと感じる。前回の記事は書くのにひたすら疲れたし、何でこんなに誰も幸せにしない文章に延々と文字数を費やさねばならないのだと書きながら思っていたりもしたが、そのためにいろいろ調べる過程がなければ、この歌にも出会えなかった。その意味ではやはり、書いてよかった記事だったのだと思う。「アラバマ」についての特集内特集は、もう少し続くことになると思います。ではまたいずれ。



完本 マイルス・デイビス自叙伝 (ON MUSIC)

完本 マイルス・デイビス自叙伝 (ON MUSIC)

黒人差別とアメリカ公民権運動―名もなき人々の戦いの記録 (集英社新書)

黒人差別とアメリカ公民権運動―名もなき人々の戦いの記録 (集英社新書)