華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Southern Man もしくは南部人に告ぐ (1970. Neil Young)


Southern Man

Southern Man

英語原詞はこちら


Southern man
better keep your head
Don't forget
what your good book said
Southern change
gonna come at last
Now your crosses
are burning fast
Southern man

南部の人よ。
頭を冷やした方がいい。
自分の福音書に何と書いてあるか
忘れない方がいい。
南部の変化は
最後には必ず訪れる。
その十字架はすごい勢いで
焼け落ちてるじゃないか。
南部の人よ。


I saw cotton
and I saw ‘bacc
Tall white mansions
and little shacks.
Southern man
when will you
pay them back?
I heard screamin'
and bullwhips cracking
How long? How long?

一面の綿花と
一面のタバコを見た。
白く巨大な豪邸と
小さな掘っ立て小屋をいくつも見た。
南部の人よ。
いつになったら償うのか。
叫び声が聞こえ
長く重たいムチのうなりが聞こえた。
いつまで続くのか?
いつまで続くのか?


Southern man
better keep your head
Don't forget
what your good book said
Southern change
gonna come at last
Now your crosses
are burning fast
Southern man

南部の人よ。
頭を冷やした方がいい。
自分の福音書に何と書いてあるか
忘れない方がいい。
南部の変化は
最後には必ず訪れる。
その十字架はすごい勢いで
焼け落ちてるじゃないか。
南部の人よ。


Lily Belle,
your hair is golden brown
I've seen your black man
comin' round
Swear by God
I'm gonna cut him down!
I heard screamin'
and bullwhips cracking
How long? How long?

リリー·ベルよ
おまえの髪は栗色の金髪だ。
おまえの黒人の恋人が
そのそばに来るのを私は見ていた。
神に誓って私は
あいつを cut down してやる!
叫び声が聞こえ
長く重たいムチのうなりが聞こえた。
いつまで続くのか?
いつまで続くのか?

=翻訳をめぐって=

カナダ生まれのニール·ヤングが、アメリカ南部に根深く残る人種差別への怒りを込めて作った歌。さきごろ批判的に取りあげたレーナード·スキナードの「Sweet Home Alabama」は、この曲およびニール·ヤングがさらにその2年後に作った「Alabama」という曲への「アンサーソング」となっている。

細かい経緯については同曲の記事で触れた通りだが、レーナード·スキナードなどという「レイシストに愛されているバンド」から、「南部人にはニール·ヤングなんて要らない」というこの歌ばかりか自分の人格まで否定するような侮辱を受けていながら、ニール·ヤング本人は「かれらのような素晴らしいバンドに自分の名前を使ってもらえるのは光栄だ」とコメントし、かつ自分でも折に触れて「Sweet Home Alabama」を歌ってみせるといったような、「ものわかりのいい態度」を見せている。多くのサイトではこのことがまるで「美談」のように語られているけれど、私はちっとも「いい話」だとは思わない。ニール·ヤングのこの対応を条件として、レーナード·スキナードによる差別主義の居直りは「ネタ」として処理され、「逃げ道」を与えられる形になっているわけだが、それならニール·ヤングがこの歌の中で表明している「人種差別への怒り」も、やっぱり「ネタ」にすぎなかったということなのだろうか。こういう歌を作っておいてそれに最後まで責任をとろうとしないということは、何もしないより一層タチの悪いことだと私は思う。差別を真っ向から糾弾する声をあげた人間には、必ず差別主義者の側からの「反動」が襲いかかる。けれども声をあげた人間自身がそこから「身をかわす」ようなことをしたならば、その「攻撃」はそのまま、「声をあげられずにいる人々」への「加重された差別」として襲いかかることになるのである。ましてニール·ヤング自身は、「実際に差別を受けている当事者」でも何でもないではないか。自分のやっている「馴れ合い」が、実際に差別を受けている人々にとっては「打撃」になるのだということにも気づけないようであるならば、彼氏のやっていることはペテン師と変わらないことになるだろう。

また、差別を告発する内容の歌でありながら、そのじつ言葉の選び方が「無造作」であることも、私は気になる。この歌のタイトルになっている「Southern Man (南部人)」という言葉は、確かに歴史的には人種差別の主体となってきたアメリカ南部の白人「のみ」を指す言葉であり、だからこそこの歌では「Southern Man」が「名指しで」批判されている。だが、それならばアメリカ南部で生まれ育った「白人以外の人間」は「南部人」ではないのだろうか。とりわけアフリカ系の人々は、この歌でも描かれている通り南部諸州の社会と文化と生活のことごとくを自らの労働によって生み出してきた、地域にとって最も「かけがえのない存在」であったにも関わらず、白人社会から一貫して「人間扱い」されず、男性(man)であっても厳密に「boy」と呼ばれて差別される屈辱を味あわされてきた。「Southern Man」が「白人男性」だけを意味する言葉になっているという「奇妙な現実」は、そうした歴史の上に初めて成立しているわけだが、その言葉を無批判に使い続けるということは、南部の「人間社会」から有色人種の存在を排除してきた差別主義者たちの「歴史と伝統」に加担し、かつそれを再生産する行為だとは言えないだろうか。また「man (人間)」という一般名詞が英語においては同時に「男性」を意味しており、そもそもの初めから女性やそれ以外の人々を排除しているという現実についても「無感覚」であってはならないはずだろう。(なお、上に書いたことはそのまま日本に生きる我々に「関西人」や「江戸っ子」といった概念について再考を迫る突きつけであることも、言をまたない)

そんな風に、「白人の立場から歌われる人種差別へのプロテストソング」として、この歌はいくつもの批判すべき点や中途半端な点を内包しているが、そのことの上でこの歌に歌われていることは間違いなくアメリカ社会に存在し続けてきた事実にもとづいており、かつそれは21世紀を迎えた今日においてもなお、過去のこととはなりきっていない。以上を私自身のこの歌に対する感想とした上で、以下は具体的な歌詞の内容について触れてゆきたい。(なお、カナダ人としてのニール·ヤングの立場からするならば、「Southern Man=南の人」という言葉は「アメリカ社会の総体」に向けられた呼びかけという意味合いも、あるのかもしれない。このことには、書いている最中に思い当たった。もとよりカナダにも人種差別は存在しているわけではあるが)

Southern man
better keep your head
Don't forget
what your good book said
Southern change
gonna come at last
Now your crosses
are burning fast
Southern man

good book」とは聖書のこと。アメリカ南部はキリスト教右派の伝統的な地盤であり、それがトランプの支持層になったり、また学校で進化論を教えることに反対する運動を展開したりしている。そういった「信心深い」南部の白人に対し、人間は平等なものであり隣人は愛すべきものだという聖書の教えを思い出してみたらどうだ、ということを、ニール·ヤングは同じキリスト教の上に成り立つ文化を共有する者としての立場から、突きつけているのだと思われる。

一方で「crosses are burning (十字架が燃えている)」という歌詞が何を意味しているのかというと、これは白人至上主義団体のKKKが実際にデモンストレーションとして行なっている「十字架を燃やす儀式」のことを指しているのだという。



かれらが何を考えているのかなど知らないし、知りたくもないわけだが、KKKが白人至上主義団体であるということは「キリスト教至上主義団体」でもあるということなわけである。資料によるならばかれらは教義的にはプロテスタントであるらしく、かれらが「敵」と見なし攻撃対象としている人々のリストには、黒人に加え、移民、カトリック教徒、ユダヤ人、自由主義者、共産主義者、生活保護受給者、労働組合員などが連ねられているとのことだ。いずれにしても、「キリスト教徒の立場から」その差別主義を正当化しているかれらが、「十字架を燃やす」ということにはどういう意味があるのだろうか?

調べてみたところこの「クロス·バーニング」というデモンストレーションには、元々リンチのターゲットとしたアフリカ系の人への襲撃予告という「威嚇」の意味が存在したらしいのだが、こんなものに「元々」もへったくれもあったものではない。直接には1915年、KKKを主人公とする「国民の創生」という映画が公開されて、これが大統領も絶賛の全米大ヒットを記録したというおぞましい出来事があったらしいのだけど(←ちなみに当時のアメリカ大統領は、国際連盟の提唱者として教科書にも載っているウッドロー·ウィルソンである。私ゃ昔は「いい人」なのかと思っていたよ)、その中に「英雄的な主人公」たちが十字架を燃やして気勢をあげる象徴的なシーンがあったのだそうで、それが爆発的に「流行った」というだけの話らしい。おぞましさという点では、街頭に人が集まることがあるごとに「日の丸」の小旗を配って回る人間がいまだにどこからか湧いてくる日本の現状と全く変わるところはないので、人の国のことは言えないのだが、とにかくそれと同じで何の意味もなく、しかもそれによって傷つけられる人間だけは間違いなく存在するという、唾棄すべき「文化」であるにすぎない。

そして「良心的なキリスト教徒」の立場からするならば-もとよりKKKの人間たちも自分らのことを「良心的なキリスト教徒」だと思っていることだろうが-「十字架を燃やす」などということは当然にも「許しがたいこと」であるわけだ。「おまえたちの十字架は燃えている」というニール·ヤングのこの歌詞には、おそらく「おまえたちの信仰はニセモノだ」「おまえたちは偽善者だ」という、「同じキリスト教徒の立場」からの弾劾の意味が込められているのだと思う。

I saw cotton
and I saw ‘bacc

いくつかの歌詞サイトではこの部分が「I saw cotton and I saw black (綿花を見た/黒人を見た)」と表記されているが、正しい歌詞は「‘bacc (タバコの略語)」らしい。綿花とタバコの畑が一面に広がる光景は、共に南部の「原風景」とされている。アフリカ系アメリカ人の人々は、元々こうしたプランテーションにおける「労働力」として「輸入」されてきた人々だった。


Tall white mansions
and little shacks.

富を搾取する人間たちの暮らす豪邸と、富をつくりだす人たちの暮らす掘っ建て小屋。歌詞で検索すると写真がいくらでも出てくるということは、今でもまだ「同じ光景」が変わらずに存在しているということなのだと思う。1960年代末期には、なおさらそうだったことだろう。


Lily Belle,
your hair is golden brown
I've seen your black man
comin' round
Swear by God
I'm gonna cut him down!

奴隷制の上に成り立つ貴族的な文化を身につけた南部の白人女性を、「Southern Belle」と呼ぶ言い方が昔から存在するらしい。「Belle」はフランス語で「美人」なので、「南部美人」的な意味である。一方で「Lily (ユリ)」は、由来は知らないけどニューオーリンズの市の花なのだという。熟語そのものは辞書には載っていないが、「Lily Belle」というのは「南部の白人文化を象徴するような女性」のことだと考えてまず間違いない。その女性が「her black man (彼女の黒人男性)」と一緒にいるところを、歌の主人公は目撃したのだという。



エメット·ティルのバラッド」を取りあげた際につぶさに見たように、南部の白人社会において白人女性と黒人男性との交際は、歴史的に最も「タブー」とされてきたことだった。「Lily Belle」の側にいたということが描写されているだけで、この黒人男性に待っているのは死の運命なのだということがこの歌詞では暗示されている。

その上でその黒人男性を「cut downしてやることを神に誓う」という歌詞には、二通りの解釈の幅がある。ひとつはニール·ヤング自身が「南部の差別主義者」の視点に立って歌っているという解釈であり、この場合「cut downしてやる」は「ぶった斬ってやる」「斬り殺してやる」みたいな意味になる。(「こき下ろす」「精神的にやっつける」という意味もあるようだが、そういうレベルのことだとは思えない)。一方でもうひとつ可能な解釈は、この黒人男性が既にリンチを受けて「吊るされている」というものであり、自分はそのロープを切ってその身体を地面に下ろしてやる (cut down) と言っているのだ、という解釈である。

しかし、「差別主義者になりきって歌う」ようなことに、差別に反対する上でどんな積極的な意味があると言いうるだろうか。仮に後者の意味だったとしても、何でこの主人公はこんなに「客観的」なのだろうか。危険の兆候を既に見ていたのなら、どうして彼がリンチを受けて殺される前に何とか助け出す方法を講じるとか、しなかったのだろうか。いい歌詞だとは思えない。「差別のひどさを訴えるため」だとしても、彼が歌の中でやっているのは「白人が黒人を殺す行為」なのである。それは、白人である彼が気安く「ネタ」にしていいことではないと私は思う。

ではまたいずれ。


=楽曲データ=
Released: 1970.9.19.
Key: F