華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Alabama もしくは「白人の重荷」というキプリングの詩についてなど (1972. Neil Young)


Alabama

Alabama

英語原詞はこちら


Oh Alabama
The devil fools with the best-laid plan
Swing low Alabama
You got spare change
You got to feel strange
And now the moment is all that it meant

アラバマよ
最高の政策とかいうものを
悪魔がもてあそんでいる。
静かに揺れてゆけ
アラバマよ
おまえが手にしているのは
めぐんでもらったカネだろう。
何かおかしいとは思わないのか。
それが意味するところのすべてが
今この瞬間としてあらわれているのだ。


Alabama, you got the weight on your shoulders
That's breaking your back
Your Cadillac has got a wheel in the ditch
And a wheel on the track

アラバマよ
おまえの肩には重荷がのしかかっており
それはおまえの背骨をへし折りそうだ。
おまえのキャデラックは
片輪がどぶにはまっていて
道の上にあるもう片輪だけで走っている。


Oh Alabama
Banjos playing through the broken glass
Windows down in Alabama
See the old folks tied in white robes
Hear the banjo
Don't it take you down home?

アラバマよ
割れたガラスの向こうから
いくつものバンジョーの音が響く。
アラバマのいくつもの窓。
見るがいい。
白いローブのつながりで結ばれた
昔からの地元の連中を。
バンジョーに耳を傾けろ。
それがおまえを本当に
いるべきところに連れて行ってくれるとは
思わないか。


Alabama, you got the weight on your shoulders
That's breaking your back.
Your Cadillac has got a wheel in the ditch
And a wheel on the track

アラバマよ
おまえの肩には重荷がのしかかっており
それはおまえの背骨をへし折りそうだ。
おまえのキャデラックは
片輪がどぶにはまっていて
道の上にあるもう片輪だけで走っている。


Oh Alabama
Can I see you and shake your hand
Make friends down in Alabama
I'm from a new land
I come to you and see all this ruin
What are you doing Alabama?
You got the rest of the union to help you along
What's going wrong?

アラバマよ
会いに行ってもいいだろうか。
手を握らせてはくれないだろうか。
アラバマで友だちをつくらせてもらっても
かまわないだろうか。
わたしは新しいところから来た。
おまえに会いに行くのだそして
そのあらゆる荒廃をこの目で見るのだ。
アラバマよ
何をやっているのだ?
くにの残りの部分は必ずおまえのことを
助けてくれるはずなのに
いったい何が間違った方向に
向かってしまっているのだろうか。



「fool」という言葉は「精神病者」に対する差別表現です。ここでは歌詞の原文をそのまま転載しました。



前回の「Southern Man」は、カナダ生まれのニール·ヤングがアメリカ南部における人種差別への怒りを込めて作った歌だったわけだが、この歌はさしずめその続編であり、「南部一般」からさらに踏み込んで「アラバマ」が名指しで批判の対象とされている。とはいえ「怒りのトーン」は前の曲ほどストレートには突き出されておらず、むしろアンニュイになっている印象も一方では受ける。なお、さきごろ批判的に取りあげたレーナード·スキナードの「Sweet Home Alabama」は、直接には「Southern Man」とこの曲に対する「アンサーソング」となっている。

ひとくちに「アラバマ」と言ってもいろいろなイメージがあろうが、この歌に歌われているのは紛れもなく上掲の写真のイメージ、即ち差別撤廃を叫んで立ちあがった黒人の少年少女に向かって為政者がためらいなく警察犬を差し向けるような街としての「アラバマ」である。「バーミングハムのバラッド」を取りあげた際に私自身、改めて詳しくその顛末について学ばせられることになったのだったが、あまりに有名な1963年のその闘争以来、「アラバマ」はアメリカ合州国における人種差別の許し難さを象徴するような地名となってきた。それを「ステレオタイプなレッテル貼り」であるとは私は思わない。差別があるのはアラバマだけではないとはいえ、とりわけこの州においてはその差別が「選挙で選ばれた行政の長」によって、「政策」として推進されてきたのだからである。

ところで、ニールヤングが人種差別に対する彼なりの怒りを込めて作ったはずのこれら二つの歌がレーナード·スキナードから揶揄されたことに対して、彼は「怒る」のではなく、むしろかれらと「馴れ合う」ような対応を見せている。このことについて私は、それはホメられた態度では決してなく、むしろニールヤングという人間の「人種差別に反対する姿勢」そのものが「その程度」のものでしかなかったということを物語っているに「すぎない」のだと「Sweet Home Alabama」の記事で書いたわけだが、その後この「馴れ合い」は一層エスカレートしており、2012年に出版されたニールヤングの自伝「Waging Heavy Peace」には、こんなことまで書かれているそうである。

"'Alabama' richly deserved the shot Lynyrd Skynyrd gave me with their great record, I don't like my words when I listen to it today. They are accusatory and condescending, not fully thought out, too easy to misconstrue."
「レーナード·スキナードはその素晴らしいレコードで私に一撃を食らわしてくれたわけだが、『アラバマ』は確かに食らわされて当然な歌だった。今になって聴き直してみると、私は歌の中の自分の言葉を好きになれない。一方的で尊大な言い方に聞こえるし、きちんと考えた上で発せられたわけでもないから、誤解を受けやすい言葉遣いになっている」

こういうそれこそ「無責任」な発言が、誰を喜ばせ誰に打撃を与えることになるのかをニールヤングはどこまで「きちんと (fully)」考えているつもりでいるのだろうかと思う。ニールヤングがこの歌を作ったのは、アラバマ州バーミングハムに象徴されるような激しい差別を受けているアフリカ系の人々と連帯したいという気持ちを込めてのことではなかったのだろうか。それなのに彼は「南部の黒人からの評価」ではなく「南部の白人からの評価」ばかりを「気にして」いる。マジョリティである白人の聴衆に対する彼氏のこの「おもねり方」は、好むと好まざるに関わらずマジョリティの顔色をうかがうことでしか生きて行けない現状を押しつけられているマイノリティの人々に対し、「闘う勇気」どころかむしろ「絶望」を与えるものだ。彼氏に「恥じるべきこと」があるとすれば、そのことなのではないのだろうか。

差別主義者による冷笑的な「批判」など放っておけばいいとして、「差別と闘う」という観点からこの歌に「批判されるべき点」があるとすれば、「誰がどう悪いのかがあいまいにされている点」だと私は思う。「アラバマ」というのは単なる「地名」にすぎないわけで、そこには白人も黒人も暮らしているわけである。そのどちらに向かって歌うというのでもなく「アラバマ」に向けて呼びかけるという形をとることで、この歌の中ではその「違い」の存在が抹殺されている。いい意味においてではなく、悪い意味においてである。アフリカ系の人々は、白人による差別支配がつらぬかれてきたアラバマという土地を、肌の色に関わらず誰もが幸せに暮らせる「いいところ」にするために闘ってきたのだし、今も闘っているわけなのだ。けれども「アラバマは悪いところだ」「悲惨なところだ」ということしか歌わないこの歌は、一見差別に抗議しているようではありつつも、そのことを通して肝心のアフリカ系の人々の闘いを「存在しないもの」として扱ってしまってはいないだろうか。「アラバマはツケを払わなければならない」的な歌詞も出てくるわけだが、ツケを払わねばならないのは飽くまで「アラバマの白人」であり、そしてそのツケは「アラバマの黒人」に対してこそ、払われるべきものなのだ。その「闘いの主人公としてのアフリカ系の人々」の姿に触れないことを通して、この歌は結局アメリカ南部が差別主義者の白人によって支配されている世界であるという現状を「追認」することになっているのではないかと思う。

差別に抗議する人々が放水でなぎ倒され、犬をけしかけられ、KKKの爆弾によって虐殺されるというアラバマの実態を世界中に伝えた1963年の一連のニュースは、ティーンエイジャーだったカナダ人のニールヤングにとって、人生を変えるような衝撃であったことだろう。だからこそ彼氏はそれに関連する歌を二曲も作ったのだと私は思う。けれども白人である彼氏がそのニュースから「ショック」と「悲惨な印象」しか受け取らなかったことの一方で、同じニュースに触れたアフリカ系の人々やまたベトナムをはじめ世界中の人々の多くは、アラバマという土地はあれだけの迫害を受けても不屈に立ちあがる人々の存在する「素晴らしい土地」だ、という印象を受けたに違いないのである。その立場に立つならば、レーナード·スキナードの冷笑的な歌など吹き飛ばすような、人々を真の意味で勇気づける本当の「アラバマ賛歌」を書くことだって、いくらでも可能だったはずなのだ。そこに「希望」ではなく「絶望」しか見出すことができなかったのは、ひとえにニールヤングという人物の内側に巣食っているニヒリズムの根深さゆえのことでしかない。結果、この歌はブルーハーツの「青空」という歌がそうであったのと同じく、マジョリティの中産階級の一員として何不自由なく暮らしているニールヤングが「他人の不幸」にかこつけて自分自身の「個人的な憂鬱」を吐露するだけの歌に終わってしまっている。ニールヤングに本当に「反省すべき点」があるとすればそのことなのではないかと、私は「青空」を愛唱することで「差別に反対しているような気持ち」に浸っていたかつての自分自身のありようへの反省を込めて思う。

さてそのことの上で、「うたを翻訳する」というこのブログのテーマから見た場合、この歌の歌詞というのはものすごく「難解」である。素直に直訳したのでは何を言っているのか分からないような部分があまりに多いので、上の試訳はかなりの「意訳」が施されたものになっているが、以下はその内容についてひとつひとつ見てゆくことにしたい。

=翻訳をめぐって=

Oh Alabama
The devil fools with the best-laid plan

この冒頭部分からして、とてもややこしい。まず「fool with〜」というのは、「fool」という差別語が使われている点で決して「いい言い方」ではないが、「〜をもてあそぶ」という意味である。「悪魔 (devil)」が何を「もてあそんで」いるのかといえば、「best-laid plan」だと言われている。

「best-laid plan」は直訳すれば「最高の形で横たえられた計画」ということになるが、単に「best plan (最高の計画)」と言うのではなく「best-laid plan」と英語話者が言う場合、そこには「the best-laid plans of mice and men often go awry. (ネズミ及び人間の手で組み立てられた最上の計画というものは、往々にして間違った方に向かう)」というスコットランドのことわざが踏まえられているらしい。つまるところ、あんたの立ててるそのプランは机の上では立派に見えるけど、実際にやってみたらうまく行かないよ、ということを皮肉を込めて言いたい時に、「best plan」ではなく「best-laid plan」という言い方があえて選択される、ということである。

で、その「悪魔」というのが「誰」であるのかといえば「アラバマ州の政治家」のことであり、「ご立派な計画」というのが「何」を指しているのかといえば、ジム·クロウ法に象徴される差別主義的な政策のことを指しているのだと思う。黒人解放運動に対する1963年の大弾圧を指揮した当事者であるところのジョージ·ウォレスは、この歌が書かれた1972年の時点でも引き続きアラバマ州知事の座に居座っていた。

Swing low Alabama

この歌詞には「Swing Low, Sweet Chariot」という有名な黒人霊歌のタイトルが踏まえられているのだと思われる。それがどういう歌かということについてはもう一本記事を書くしかないところなのだが、歴史的には南北戦争以前の時代から、差別の厳しい南部を脱出して北部に向かおうとする「奴隷」の気持ちを歌った歌として、歌い継がれてきたと言われている。

You got spare change

「spare change」とは「余分な小銭」のことだと辞書にはあるが、同時に「物乞いをして受け取った金」という意味もあるらしい。「恥ずべき行為を通して受け取った不浄のカネ」的なニュアンスを持った言葉だということになる。とはいえ「物乞い」が「恥ずべき行為」であり「不浄」であるというのは、それ自体がこの上なく差別的な見方に貫かれた言い方だと私は思う。

そのことの上で、「アラバマよ、おまえは物乞いで受け取ったカネを持っているはずだ」というこの歌詞が何を言わんとしているかといえば、結局白人が黒人の奴隷労働を搾取することによって手にした「財産」のことを言っているのだと思う。そう明記されているわけではないが、そういう風にでも解釈しないことには意味が通らない。

しかしそうだとした場合「spare change」を手にしているのは飽くまで「アラバマの白人」であるはずなのだが、ここでは「アラバマ」それ自体が弾劾の対象にされている。上にも書いた通りこのこと自体が、アラバマが「白人の世界」であることを「追認」する言い方になってしまっていると思う。

And now the moment is all that it meant

ハッキリ言ってこの部分は、何を言っているのかよく分からない。上の試訳のような訳し方しかできなかったが、意味が分かってああ書いたわけでもない。「白人たちが何世代にもわたって積み重ねてきた悪行のすべてが、今この瞬間の光景の中に表現されているのだ」的な意味なのかとも思うが、ハッキリそう書かれているわけでもないので何とも言えない。もっといろんな歌を聞いてその歌詞を分析する必要があると思うが、ニールヤングという人は「mean」という言葉に独特の意味合いを持たせることが、どうも、好きみたいである。その独特さの中味が、私にはまだよく分かっていない。宿題にしておきたい。

Alabama, you got the weight on your shoulders
That's breaking your back

この「the weight (重荷)」という歌詞には、おそらくは白人による帝国主義政策や差別主義政策を正当化する思想が凝縮された作品として悪名の高い、イギリスの詩人キプリングによる「白人の重荷 (The White Man's Burden)」という詩の内容がエコーしているのだと思われる。リンクでも貼って説明に代えられたら楽でいいのだが、リンクを貼りたくなるようなサイトが見当たらないので、私が自分で訳出しておくことにしたい。

The White Man's Burden

Take up the White man's burden --
Send forth the best ye breed --
Go bind your sons to exile
To serve your captives' need;
To wait in heavy harness
On fluttered folk and wild --
Your new-caught, sullen peoples,
Half devil and half child.

白人としての重荷を背負え。
そなたらの血が生み出した
最もすぐれた者たちを前線に送り出せ。
そなたらの息子たちを
異郷での苦役につかしめよ。
そなたらの囚人たちの
必要を満足させてやるため。
落ち着きのない野蛮な原住民に
そなたらの息子たちを
忍耐強く奉仕させるのだ。
新しくそなたらの手中に入った
無愛想な人間たち
半分は悪魔で半分は子どものような
人間たちのために。


Take up the White Man's burden --
In patience to abide,
To veil the threat of terror
And check the show of pride;
By open speech and simple,
An hundred times mad plain.
To seek another's profit,
And work another's gain.

白人としての重荷を背負え。
忍耐強く我慢して
暴力による脅迫はベールに包んでおけ。
そして自分のプライドをひけらかして
いないかどうかに注意を払え。
わかりやすい言葉でシンプルに
madなくらい単純なことを
100回も繰り返して語るのだ。
他人であるそいつらに
利益をもたらしてやるために
他人であるそいつらのために働くのだ。


Take up the White Man's burden --
The savage wars of peace --
Fill full the mouth of Famine
And bid the sickness cease;
And when your goal is nearest
The end for others sought,
Watch Sloth and heathen Folly
Bring all your hope to nought.

白人としての重荷を背負え。
平和のための野蛮な戦争。
連中の飢えた口を満たしてやり
疫病をして消え去らしめよ。
そなたのゴールが近づいた時に
他の連中の終わりも見えてくる。
連中の怠惰さと異教徒特有の愚劣さに
注意を払え。
そなたらの希望のすべてが
台無しにされてしまうから。


Take up the White Man's burden --
No tawdry rule of kings,
But toil of serf and sweeper --
The tale of common things.
The ports ye shall not enter,
The roads ye shall not tread,
Go make them with your living,
And mark them with your dead!

白人としての重荷を背負え。
けばけばしい王者としての統治ではなく
農奴や掃除人としての苦役をだ。
それはありふれた物語なのだ。
そなたが入らないような港
そなたが通らないような道
それを造ることに
そなたらの人生を捧げよ。
そしてそこにそなたらの墓標を刻め!


Take up the White man's burden --
And reap his old reward:
The blame of those ye better,
The hate of those ye guard --
The cry of hosts ye humour
(Ah, slowly!) toward the light: --
"Why brought ye us from bondage,
"Our loved Egyptian night?"

白人としての重荷を背負え。
そして古くからのその報酬を受けるのだ。
そなたがよくしてやっている
者たちからの非難。
そなたが護ってやっている
者たちからの憎悪。
そなたが機嫌をとってやっている
者たちからの叫び声!
光への歩みは (ああ、かくも遅い!)
「なぜ我々を解放しようとするのだ」
「我々の愛しているエジプトの夜から」

↑モーゼの故事が踏まえられている

Take up the White Man's burden --
Ye dare not stoop to less --
Nor call too loud on freedom
To cloak your weariness;
By all ye cry or whisper,
By all ye leave or do,
The silent, sullen peoples
Shall weigh your Gods and you.

白人としての重荷を背負え。
劣った者の前で卑屈になることはない。
自分の疲弊を覆い隠すために
声高に自由を呼びかけるべきでもない。
そなたの叫びとつぶやきによって
やるか逃げるかのそなたの決断によって
あの無口で無愛想な人間たちは
そなたとその神とを値踏みするのだ。


Take up the White Man's burden --
Have done with childish days --
The lightly proffered laurel,
The easy, ungrudged praise.
Comes now, to search your manhood
Through all the thankless years,
Cold-edged with dear-bought wisdom,
The judgment of your peers!

白人としての重荷を背負え。
子どもじみた日々に決着をつけるのだ。
月桂冠を手にするのはたやすく
悪意なき賞賛を得るのも容易なことだ。
感謝されることのない年月の中に自分の
男らしさを探しに行こうではないか。
高価な知恵でもって
鋭く研ぎ澄まされたmanhood.
その評価は
自分の同胞たちから求めればよい!



「mad」という言葉は「精神病者」に対する差別表現です。ここでは歌詞の原文をそのまま転載しました。

…コメントするのも疲れてしまうような内容なのだが、とにかく「未開な人間」を「解放」するのは「白人の責務」であり、例え相手から嫌がられたとしてもその「任務」を果たせ、という、盗人猛々しい上に上から目線全開のどうしようもなく自己陶酔的な作文である。この詩は19世紀最後の年に、スペインとの戦争を通じてフィリピンへの侵略政策を推し進めようとしていた当時のアメリカ大統領、セオドア·ルーズベルトを勇気づけるためにイギリスのキプリングから贈られた作品なのだとのことで、とにかく当時の帝国主義者や植民地主義者といった人間たちがどういうことを考えていたかということを示す非常に「わかりやすい」資料ではある。こうした文章がアメリカでは20世紀に入ってからもかなり長いこと学校の教材になっていたりしたのだから、アメリカという国家における「制度的な差別主義」の根深さは推して知るべしだと言わねばならない。

ちなみにキプリングの「白人の重荷」から7年後、日露戦争に勝利した勢いをもって、日本では徳富蘇峰という人間が「黄人の重荷」なる文章をものし、キプリングに対抗して「黄色人種である我々にもアジアを『解放』する資格と責務があるはずだ」という論陣を張るという、恥ずかしいことをやっている。それにも関わらず西欧諸国が日本に対して同等の「侵略と征服の権利」を認めないのは不公平ではないか、という主張なのだが、現在の日本語のネット世界を見回してみてもキプリングの「白人の重荷」について語っている文章はほとんどそれと大同小異の主張ばかりなので、つくづく気が滅入る。だから「リンクを貼る気になれない」のだ。現在、「技能研修生」の名目でアジア各国から「安価な労働力」として日本に移入されている人たちが、言語に尽くせぬ虐待を受けたり時には死に追いやられているニュースが後を絶たないが、それを「働かせる」立場の日本人事業主たちの意識というのは、本当に人を暴力で支配しておきながら「自分たちは保護者だ」だとか「恩恵を与えてやっている」といったような上の詩と同様のナルシシズムに貫かれていることを、私は自分自身がそういう職場にバイトで身を置いた経験もあり、よく知っている。自分たち自身の侵略の歴史を反省することもなく、この春には「元号」が変わるとかでその歴史がつつがなく更新されることを有難がっているような「日本人」に、キプリングの白人至上主義を批判できる資格などありはしないのである。

それはともかくとして、「アラバマは重荷を背負っている」というこのニール·ヤングの歌の文句が上の詩を踏まえたものであるとしたら、あまり感心できるような歌詞であるとは思えない。キプリングにおいては有色人種の存在そのものが白人にとっては「お荷物」であり、白人は困難を引き受けてその「重荷」を背負え、というのがその詩の主張になっているからである。アラバマが背負っている「重荷」とは「黒人そのもの」のことだと、ニールヤングは言いたいのだろうか。そうではなく「重荷」とは「人種差別」のことを言っているのだとしても、果たしてそれは誰にとっての「重荷」だと言うのだろうか。「Sweet Home Alabama」の記事で二回も三回も繰り返し書いたことだが、差別というのは「する側」にとっては空気を呼吸するのと同じくらいに「軽い」ことであっても、「される側」にとっては「する側」の想像も及ばないくらいに「重たい」ものなのだ。人種差別が「重い」ものであるとすればそれは飽くまで「黒人にとって」であり、白人にはその「重さ」など、本当の意味では分かっているはずがないのである。

それにも関わらずこの「アラバマ」という歌は、「白人に対してだけ」語りかけている。「おまえの背中は張り裂けそうだ」と歌われているその「背中」が、「黒人の背中」のことだとは思えない。明らかに「支配する側の白人」に対して警鐘を鳴らす内容になっている。しかし「警鐘を鳴らす」と同時にニールヤングは、「支配する側の白人」に対して「感情移入」してしまっていると思う。白人が「自分の立場」から人種差別を「重荷」だと思う内容、すなわち「エメット·ティルのバラッド」において見たような、自分の手で黒人少年を虐殺しておきながらそれを糾弾されることに「被害者意識」を強め、「どうして死んだままでいてくれないんだ」とうそぶいてみせたような白人のその感情に対して、ニール·ヤングは「訴えて」いるのである。それは明らかに、「訴えるべき相手」を間違えているのではないだろうか。自分自身も白人であるニールヤングにとっての人種差別の「重たさ」とは、「差別者呼ばわりされるのはイヤだ」という程度の「重たさ」であるにすぎない。そのこと「しか」歌わないということは、アフリカ系の人々にとっての本当の意味での「差別の重たさ」を無化する行為だし、ともすれば実際には彼自身も心の中でアフリカ系の人々の存在を「お荷物」扱いしているのではないかということを、勘ぐられても仕方のない歌詞だと思う。

Your Cadillac has got a wheel in the ditch
And a wheel on the track

…長文になりつつあるのでそろそろ「巻き」で行かなければならないと思うが、なぜここで「キャデラック」が出てくるのかということについて。キャデラックは言うまでもなく「アメリカの最高級車」であり、アフリカ系の人々から搾取した富でそうしたクルマを乗り回している南部の白人の姿が揶揄されているわけなのだが、そのことの上でここに「キャデラック」が出てくることには、前段の歌詞で「Swing Low, Sweet Chariot」の一節が登場したことからの「連想」が働いている。それというのも伝説的なジャズトランペッターのディジー·ガレスピーの名曲に、この曲のタイトルをもじった「Swing Low, Sweet Cadillac」という曲が存在しており、「Swing Low」といえば次は「Cadillac」だろう、という発想からここには「キャデラック」が登場しているらしいのである。というのは全面的に海外サイトからの受け売りで、私自身はディジー·ガレスピーのそんな曲など全然知らなかったのだが、聞いてみたらとても面白い曲だった。0:52ぐらいからはどう聞いてみても「いや、それはおかしい」という「日本語」が連呼されているようにしか聞こえなかったのだが、YouTubeのコメント欄を見てみるとやっぱりとっくの昔に「空耳アワー」で取りあげられてるらしいですね。


Swing Low, Sweet Cadillac

Oh Alabama
Banjos playing through the broken glass
Windows down in Alabama

バンジョーは、アメリカ南部の白人に愛されているカントリーミュージックで主要に使われている楽器。それが「壊れた窓」から聞こえてくるというのには、「荒廃した南部」のイメージが重ねられているのだろう。象徴的な情景描写の歌詞だと思う。

See the old folks tied in white robes

「white robe (白いローブ)」とはKKKの制服になっているあの白覆面のことであり、その制服によって結ばれた古い住民同士のつながり=差別主義がここでは批判されていると読める。

ただし歌詞サイトによってはこの部分が「white rope (白いロープ)」と記載されており、絵面としては「古くからの住民同士」が「白人至上主義という名前のロープ」によってがんじがらめにされている、といった印象の歌詞になる。とはいえ内容的には、大して違った歌詞になるわけではない。ニールヤング自身、「どっちとも聞こえるように」歌っているのかもしれない。

Oh Alabama
Can I see you and shake your hand
Make friends down in Alabama
I'm from a new land
I come to you and see all this ruin
What are you doing Alabama?
You got the rest of the union to help you along
What's going wrong?

Southern Man」が「批判と弾劾」一本槍の歌であったのに対し、この歌は「対話と和解」を呼びかけるメッセージで締めくくられている。しかし「誰との対話と和解」が呼びかけられているのかといえば、歌い手や聞き手の立場から「差別する側のアラバマの白人たち」に対する「対話と和解」が呼びかけられているのである。「アラバマの差別主義」に抗議しているはずの歌であるにも関わらず、どうしてこの歌には一貫して「アラバマの黒人」の姿が出てこないのだろう。「アラバマの黒人」と対話して差別への怒りを自らのものとするよりも先に、「アラバマの白人」と「対話」しようという発想がどうして出てきてしまうのだろう。結局この歌は、肝心のアフリカ系の人々のことを最初から最後まで「カヤの外」に置いているではないか、と思う。アフリカ系の人がこの歌を聞いた場合、結局「自分たちのことをダシにして白人同士が馴れ合いのケンカをしている」という感想しか持てないのではないだろうか。

そして事実、ニールヤングと南部の差別主義者たちとは「馴れ合える関係」であることを、「Sweet Home Alabama」の一件は満天下に明らかにしたわけである。差別主義者たちの側はアフリカ系の人々と「馴れ合う」ことや「対話する」ことなど、全く考えていない「まま」であるにも関わらず。このことからしても、ニールヤングという人の人種差別との向き合い方は、中途半端でいいかげんなものだったとしか言いようがないと思う。

まだご健在なのだからそこはきちんと反省して「ちゃんと」してほしい。彼氏が「反省」すべきはレーナード·スキナードに対してなどではないはずなのだ。ということを敢えて書くのは、ニールヤングという人が心の芯の部分では「良心的」な人であることを、私自身が信じたいと思うからである。というわけでまたいずれ。


=楽曲データ=
Released: 1972.2.1.
Key: Cのようだけど1/4音ほど高いらしい