華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Swing Low Sweet Chariot もしくはハリエット·タブマンと「地下鉄道」のことなど (19c. African-American Spiritual)


Swing Low Sweet Chariot /The Plantation Singers

Swing Low Sweet Chariot

英語原詞はこちら


Swing low, sweet chariot,
Comin' for to carry me home;
Swing low, sweet chariot,
Comin' for to carry me home.

そっと連れて行っておくれ
よろこびのチャリオット
わたしをふるさとへ運ぶため
迎えに来てくれるんだね


I looked over Jordan,
And WHAT did I see,
Comin' for to carry me home,
A band of angels comin' after me,
Comin' for to carry me home.

ヨルダン川を見おろして
そこでわたしの見たものは
なんだったと思う?
わたしのあとをついてくる
天使の一団
わたしをふるさとに運ぶため
迎えに来てくれたんだね


If you get there before I do,
Comin' for to carry me home,
Tell all my friends I'm comin' too,
Comin' for to carry me home.

もしもわたしより先に
そこについたなら
ともだちに伝えておくれ
わたしもきっと行くからって


Swing low, sweet chariot,
Comin' for to carry me home;
Swing low, sweet chariot,
Comin' for to carry me home.

そっと連れて行っておくれ
よろこびのチャリオット
わたしをふるさとへ運ぶため
迎えに来てくれるんだね


Swing Low Sweet Chariot /Etta James

前回のニールヤングの「Alabama」に歌詞の一部が引用されていたことから、「黒人霊歌」として有名なこの歌も取りあげることになった次第なわけですが、調べてみると今まで自分の知らなかったことが沢山ありました。このブログでいつも参考にしている「Genius」「Songfacts」と並び、「Shmoop」というアメリカの中高生が宿題のレポートの資料集めに使っているようなサイトがあるのですが(ありていに言えばカンニングサイト)、そこにこの歌に関する詳しい情報が載っていたので、下にそれを訳出して解説に代えさせてもらいます。(今回はほとんど「丸写し」なので、気が引けて丁寧語を使ってしまっている私であります)
www.shmoop.com

Swing Low Sweet Chariot”は、最も愛されかつ広く知られている黒人霊歌のひとつである。この歌は米国議会図書館の手によって国立公文書館におさめられ、アメリカレコート協会および国立芸術基金によって「世紀の歌」のひとつに認定されている。フィスク大学のジュビリー·シンガーズによって1909年に最初に録音され、以来ほとんどありとあらゆる人々によってカバーされてきた。ジョーン·バエズからロードキル、ベニー·グッドマンからB.B.キング、グレイトフル·デッドのジェリー·ガルシアからアルビンとチップマンクスまで…

しかしながら、霊歌のメロディと歌詞とはよく知られているものの、その歴史はやや、霞に包まれている。そしてこの歌の歴史は、アフリカ系アメリカ人の歴史と同じくらいに、アメリカ先住民の歴史にも関わっているものと見なされている。多くの説明によるならば、“Swing Low Sweet Chariot” は、19世紀の最初の10年間に「奴隷」として働かされていた人々によって生み出された歌であるという。名前の伝わっていない一人の「奴隷」によって作曲され、口伝えでコミュニティからコミュニティへと広がっていったとされていて、歌の中にはいつか必ず自分たちにとって天国のようにやすらげる場所を見つけることができるはずだという、「奴隷」たちの希望が歌い込まれているとされてきた。

“Swing low, sweet chariot,
Coming for to carry me home,

そっと連れて行っておくれ
よろこびのチャリオット
わたしをふるさとに運ぶため
迎えに来てくれるんだね


A band of angels coming after me,
Coming for to carry me home.”

わたしのあとをついてくる
天使の一団
わたしをふるさとに運ぶため
迎えに来てくれるんだね

だが、音楽の歴史についての研究者たちの何人かは、この歌の由来にまつわるこうした説明に、さらに深い意味を見出している。“Swing Low Sweet Chariot”は「奴隷」たちのあいだで秘密のメッセージを込めて歌い継がれてきた霊歌のひとつだというのが、その議論の内容である。この説によるならば、「奴隷」たちの間で歌われていた霊歌(スピリチュアル)は単に未来における救済を約束するものであるにとどまらず、その境遇からの脱出のための具体的な手順をも伝えるもので、場合によってはそのために必要な地図の役割を果たすものでさえあったという。たとえば “Wade in the Water (水の中を進め)” という歌は、自分たちを追跡するために放たれた犬の鼻をまくために水に入って匂いを消すことを「逃亡奴隷」たちに教えているし、“Follow the Drinking Gourd (ヒョウタンの水筒について行け)” という歌は、かれらを北部へと、自由へと導くための入念に暗号化された地図としての内容を備えている。繰り返される歌詞は、北斗七星(the drinking gourd=ヒョウタンの水筒)のヘリの部分が北極星を指していることに目を凝らせと教えている。「二つの丘の間で川が終わる」という歌詞は、ミシシッピ州を流れるトムビッグビー川に沿って進んでゆけば、二つの頂きを持ったウッドオール山にたどり着くことを教えている。そこから「別の方向に流れるもう一本の川」に出会うだろうと歌われているのは、イリノイ州へ、自由へと導くテネシー川のことである。


Follow the Drinking Gour

研究者たちによるならば、“Swing Low Sweet Chariot” もまたそうした暗号化された霊歌のひとつだったのだという。実際、伝えられているところによれば、この歌はハリエット·タブマン (19世紀に南部の黒人たちを北部に脱出させるための秘密組織で活動し、「モーゼ」と呼ばれた女性)の愛唱歌でもあったらしい。この英雄的な「地下鉄道」の「車掌」は、彼女自身、1849年に自由を求めて脱出してきた黒人だった。彼女は翌年に秘密のうちに南部に戻り、その妹と自分の子ども二人を北部に脱出させた。それから10年のあいだ、彼女は18回も「奴隷州」への潜入を決行し、300人にのぼる同胞を自由へと導いた。伝説では、“Swing low sweet chariot, comin’ for the carry me home”という歌詞は、「奴隷」たちを自由へと導くため、タブマンや他の「地下鉄道」の「車掌」たちがもうすぐ迎えに来るからね、という意味を込めて、歌われていたのだと語られている。


ハリエット·タブマンは、2020年から使われるアメリカの20ドル札の肖像になっているとのこと

だが、タブマンの英雄的な活動は史実であるとはいえ、この歌がその一部をなしていたという説明には、誰もが納得しているわけではない。実際のところ、現在の研究者たちの大多数は、この歌の作者が「不詳」であるとは思っていない。作者とされている「アンクル·ウォーリス (Uncle Wallis)」ことウィリス(Willis) は、おそらくミシシッピ州で、南北戦争よりも前に「奴隷」の子として生まれた。だが彼の「所有者」は、いわゆるタイピカルな南部の農園主ではなかった。チョクトー·インディアンのブリット·ウィリスが、その「所有者」だった。チョクトーは、19世紀初頭においてアメリカの南西部全域を占有していた、いわゆる5つの「文明化された部族 (civilized tribes)」のひとつだった。かれらは当時、白人が自分たちの土地を侵食しつつあったことに対し、自分たちが白人の経済的·文化的な習慣のいくらかを身につければ、そこを追われることを防ぐ手段にもなるだろうと考え、自分たちでも農業を始めていた。少なくないチョクトーがキリスト教に改宗し、また「奴隷」を購入する者もあらわれた。

アメリカ先住民の多くの部分は、ヨーロッパの人間が北アメリカにやって来る遥か以前の時代から、慣習的な奴隷制度を有していた。とはいえ先住民たちの間におけるその制度の内容は極めて限定的なものであり、かつ後の時代に白人の植民者たちが形成した奴隷制度とは全く違ったものだった。先住民たちはしばしば、戦争において捕虜となった者を「奴隷」にしていたが、多くの場合においてかれらは部族の一員として迎えられていたし、また殺された自分たちの戦士の代わりの補充要員とされることもあった。こうした「奴隷」たちは、部族の他のメンバーよりも劣った存在であるとは見なされていなかったし、またその子どもたちは、「奴隷」としての親の身分を引き継ぐことはなかった。

しかしながら、ひとたび白人たちの奴隷制度のありように触れるようになると、南西部における先住民の主要部族、チェロキー、チョクトー、チカソーの社会でも、このヨーロッパ系アメリカ人の様式の奴隷制度が採用されてゆくことになった。1830年までにこれらの部族では、数千人の「奴隷」を所有するようになっていた。大体の場合において奴隷の所有は経済的な理由にもとづいてのことだったが、かれらにとって奴隷を所有するということは、大きくは自分たちの土地を奪おうとする白人たちの企みを阻止し、これに対抗するための戦略の一環だった。白人の習慣を真似ることで、自分たちが白人と同じになったと見なされることをかれらは期待したのである。とはいえ多くの場合において、かれらの側からのこうした「同化」の試みは、かえって自分たちの土地をつけ狙う白人植民者の側からの敵意を煽りたてるだけの結果に終わった。この植民者たちはインディアンを吸収しようとしていたのではなく、追放しようとしていたのである。結果としてチョクトーは、チェロキーやチカソーと同じく、自分たちの土地を放棄してオクラホマ以西に移住することを強制する1830年代の一連の条約に署名させられることになった。

ブリット·ウィリスは西部への移住を強いられたチョクトーの一員であり、新しい土地にウォーリスを含む自分の「奴隷」たちをも連れて行った。オクラホマのドークスヴィル近郊で、彼は自分の生活を立て直して広大な農場を持つことに成功し、そしてウォーリスが “Swing Low Sweet Chariot” を作ったのはそこでの暮らしの中でのことだったと考えられている。皮肉なことに、この歌が当初愛唱されていたのはチェロキーの若者たちの間であり、奴隷たちの間ではなかった。ブリットはウォーリスを、チョクトーの少年たちの学校であるスペンサー·アカデミーで働かせており、この歌はそこでウォーリスが生徒たちを楽しませるために歌った歌のひとつだったのだ。実際のところ、いくつかの説によれば、スペンサー·アカデミーの責任者だったアレクサンダー·レイド(Alexander Walker Reid)がこの曲をフィスク·ジュビリー·シンガーズに紹介したのは南北戦争が終わってからのことであり、それまではアフリカ系アメリカ人の間ではこの曲はほとんど知られていなかったと言われている。このコーラス隊、フィスク·ジュビリー·シンガーズは、南北戦争の終結後に黒人だけの大学として建設されたフィスク大学の基金を集めるため、1871年に全国ツアーを開始した。レイドによれば彼はこの時、"Swing Low Sweet Chariot.”をはじめ、ウォーリスが作ったいくつかの歌をコーラス隊に紹介したのだとのことであり、かれらはそれまでそれを聞いたことがなかったという。けれどもその後この歌はレパートリーのひとつとなり、フィスク·ジュビリー·シンガーズは1909年にこの歌の最初のレコードを録音している。


Swing Low Sweet Chariot /Fisk Jubilee Singers

20世紀を通じて、“Swing Low Sweet Chariot”はアメリカで最もポピュラーな霊歌のひとつとなった。ポール·ロブスン、ニーナ·シモーヌ、エタ·ジェイムズ、キャスリーン·バトルをはじめ無数のアーティストによって録音され、多くの「奴隷」たちがくぐってきた重い試練の日々を支えたスピリチュアルな希望を、新しい世代の人々に追体験させる歌となった。多くの史料は、この歌がそれほど典型的とは言えない状況の中にルーツを持っていることを示しているわけではあるが…深南部ではなくオクラホマで作られた歌であり、また最初はアフリカ系アメリカ人ではなく先住民のあいだで歌われていた歌だった…こうした事実は歌の持っているパワーを少しも損ねるものではないし、「奴隷」とされた人々の生きる姿を力強く捉えた歌であるという事実が消えるわけでもない。実際のところ、この歌の力というものは、アメリカの歴史における二つの巨大な悲劇が重なり合ったところに横たわっているのではないかと思われる。アフリカ系の人々を襲った奴隷の苦しみと、先住民を襲った追放の不正義とである。歌い手の人々がいつかやすらげる場所を見つけることができるはずだというこの歌に込められた祈りは、そのどちらの人々にとっても共通の思いであったはずだ。

=翻訳をめぐって=

  • まず「チャリオット」という言葉について。この歌は全体的に聖書的なイメージにもとづいて作られており、多くのサイトでは「預言者エリヤが昇天する際に乗っていたとされる、馬が牽く戦車」のことが歌われているのだと説明されている。ただしそうであった場合、作った人や歌い継いできた人たちは、話には聞いたことがあっても誰もその「本物」を見たことはなかったことになる。

  • 一方で「チャリオット」はフランス語では「荷車」という意味で使われており、これなら身近である。アメリカ南部はフランス文化の影響の強いところだから、聖書の話を聞いた時にもアフリカ系の人たちの心に浮かんだ「チャリオット」のイメージは、「荷車」だったのではないだろうか。そしてそのイメージは、荷車の荷台にそっと自分たちを隠して奴隷主のところから救い出すためにやって来てくれる、当時の活動家たちのイメージと重ねられていった。上の資料にあるようにそうした解釈が「後づけ」のものであるとしても、「奴隷」の子孫である現在のアフリカ系の人々自身が、この歌にそうした思いを重ねて歌い継いでいることは紛れもない事実である。
  • 次に「Swing Low」について。「低く揺れろ」とか「静かに揺れろ」といった翻訳をよく見かけるが、「静かに揺れろ」ということは「音を立てないでほしい」ということであり、日本語的にはむしろ「揺れないでくれ」と言っているわけである。とりわけ「奴隷」の境遇から脱出する旅路というイメージが重ねられるなら、「静かに進むこと」はなおさらシビアな意味合いを持つ。だから「そっと連れて行っておくれ」と翻訳することにした。
  • Comin' for to carry me home」について。「come for」は「迎えに来る」という意味の熟語。「come」ではなく「coming」になっているから、「来ておくれ」よりも「来てくれたんだね!」的なニュアンスなのだと思う。ネイティブではないから自信は持てないのだけど。
  • ヨルダン川」は聖書的には、イスラエルの民が「約束の地」に入るために渡ったとされている象徴的な地名となっている。「後づけ」であったとしても、この歌詞に「奴隷州」と「自由州」を隔てる境界線のイメージを重ねる人は大勢いたに違いないし、また今でも多くの人がそのイメージを重ねている。「天使たち」は「地下鉄道」の活動家たちである。これもまた「後づけ」の話ではあるのだろうけれど、でもハリエット·タブマンさんが亡くなった時にみんなでこの歌を合唱したという話は、本当らしい。


琵琶湖周航の歌 加藤登紀子

「琵琶湖周航の歌」に似ているな、というのがこの歌を最初に聞いた時の私の印象で、以来この歌を聞くたびに私が思い出すのはアメリカ南部の風景ではなく、子どもの頃によく遊びに行った滋賀県の親戚の家の風景になっているのでした。ではまたいずれ、