華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Alabama Song もしくはマハゴニー市の上昇と下降 (1967. The Doors))



このところ、アメリカにおけるアフリカ系の人々の人種差別との闘いの歴史を軸に、「アラバマ関連」の曲を集中的に取りあげてきたわけだが、その締めくくりに私としてはやっぱり一番つきあいの長いドアーズの「アラバマ·ソング」を翻訳しておきたいと思う。ただ、今までの曲と異なり、この曲は「なぜアラバマでなければならないのか」という必然性が全然わからない曲ではある。

この歌はとてもシンプルな英語で書かれていて、初めて聞いた時には高校生だったが、当時でも大体の意味は分かった。そして、いかにもジム·モリソンらしい、とてもキザな歌だなという印象を受けた。その時に受け取ったイメージは今でも大体変わっていないので、まずは当時の自分が頭に描いていた通りの「言葉遣い」で、素直に翻訳しておくことにしたい。


Alabama Song (The Doors)

Alabama Song

英語原詞はこちら


Well, show me the way
To the next whiskey bar
Oh, don't ask why
Oh, don't ask why

ねえ ここから一番ちかい
ウイスキー·バーへはどう行けばいいか
教えてくれないか
理由は聞かないでほしい
理由は聞かないでほしい


Show me the way
To the next whiskey bar
Oh, don't ask why
Oh, don't ask why

ここから一番ちかいウイスキー·バーへは
どう行けばいいか教えてほしい
理由は聞かないでくれ
理由は聞かないでくれ


For if we don't find
The next whiskey bar
I tell you we must die
I tell you we must die
I tell you, I tell you I tell you we must die

もしもぼくらが次のウイスキー·バーを
見つけることができなければ
ぼくらは死ぬしかないんだから
ぼくらは死ぬしかないんだから
聞いてくれ 聞いてくれ
ぼくらは死ななくてはならない


Oh, moon of Alabama
We now must say goodbye
We've lost our good old mama
And must have whiskey, oh, you know why

ああアラバマの月よ
ぼくらはもう
さよならを言わなくてはならないみたいだ
やさしくなつかしいぼくらのママは
いなくなってしまった
それでウイスキーが必要なんだ
わかってくれるよね


Oh, moon of Alabama
We now must say goodbye
We've lost our good old mama
And must have whiskey, oh, you know why

ああアラバマの月よ
ぼくらはもう
さよならを言わなくてはならないみたいだ
やさしくなつかしいぼくらのママは
いなくなってしまった
それでウイスキーが必要なんだ
わかってくれるよね


Well, show me the way
To the next little girl
Oh, don't ask why
Oh, don't ask why

ねえ この辺ではどこに行けば
かわいい女の子に出会えるか
教えてくれないか
理由は聞かないでほしい
理由は聞かないでほしい


Show me the way
To the next little girl
Oh, don't ask why Oh, don't ask why

どこに行けばかわいい女の子に出会えるか
教えてくれないか
理由は聞かないでほしい
理由は聞かないでほしい


For if we don't find
The next little girl
I tell you we must die
I tell you we must die
I tell you, I tell you I tell you we must die

もしもぼくらが次の女の子を
見つけることができなければ
ぼくらは死ぬしかないんだから
ぼくらは死ぬしかないんだから
聞いてくれ 聞いてくれ
ぼくらは死ななくてはならない


Oh, moon of Alabama
We now must say goodbye
We've lost our good old mama
And must have whiskey, oh, you know why

ああアラバマの月よ
ぼくらはもう
さよならを言わなくてはならないみたいだ
やさしくなつかしいぼくらのママは
いなくなってしまった
それでウイスキーが必要なんだ
わかってくれるよね

=翻訳をめぐって=

最初に聞いた時の私の印象としては、この歌はジム·モリソンが恋人に向かってじんわりと心中を迫っているような歌だという風に思っていたのだったが(またこの人は他にもそういう歌を作っているものだから)、歌詞をよく読んでみると「次のかわいい女の子」が見つけられなければ「ぼくら」は死ぬしかないのだ、と書いてある。ということは「ぼくら(we)」は「野郎ばっかり」なのだと解釈した方がむしろ「自然」な読み方なのであって、これを「恋人同士」であると解釈するのはちょっと無理のある話になると思う。

また「We've lost our good old mama」という歌詞について。「ママ」というのは素直に考えるなら「母親」のことだと解釈するのが一番フツーだろうが、今までにこのブログで何度も見てきたごとく、英語の「mama」には「魅力的な女性」という意味から「自分の配偶者」という意味まで、さまざまな解釈の幅が存在している。だからここではあえてその意味内容を特定させず、音訳の「ママ」にとどめておくことにした。

「ドアーズの歌」として初めて聞いた時の自分の印象に付け加えることがあるとすればそれぐらいなのだが、実はこの歌は元々「ドアーズの歌」ではなく、第二次世界大戦以前から存在した「古い歌」で、しかも単に古いだけでなくそこには気が遠くなるくらいいろいろな物語がくっついていたのだということを、その後私はだんだんと知ってゆくことになる。以下はその覚え書きである。



この歌は以前にもこのブログで取りあげたドイツの劇作家ブレヒト(右)によって1925年に書かれ、それにユダヤ人作曲家のクルト·ヴァイル(左)が曲をつけて、1930年に初演されたオペラ「マハゴニー市の興亡(Aufstieg und Fall der Stadt Mahagonny)」の劇中歌として発表された作品だ。ブレヒトとヴァイルの名コンビは、ヒトラーの台頭の直前の「平和」だったドイツにおいて「三文オペラ(Die Dreigroschenoper)」という世界の演劇の歴史を引っくり返すような作品をヒットさせ、一躍時代の注目を集めていた二人だった。日本で言えばさしずめ井上ひさしと宇野誠一郎のコンビに匹敵する、鉄壁さと言えばいいだろうか。こんな歌とか、あんな歌とか作らはったお二人である。


ひょっこりひょうたん島

スナフキン おさびし山の歌

井上ひさしという人はおそらく「日本のブレヒト」になりたかった人なのだろうなと、ずっと昔から私は感じている。そして戦後の日本における放送文化の勃興期にこの人が日本語世界の総体に及ぼした影響力というものは、この島国の内側に限った話で言えば、ヨーロッパ世界におけるブレヒトのそれに優に匹敵するものがあったと思う。けれどもその「功罪」に関して言えば「罪」の部分の方が大きかったのではないかということを、時代が右傾化を深める昨今とみに私は考え込まされたりなどしているのだけれど、それに関してはいずれ書くこともあろう。脱線は最小限にとどめて「アラバマ·ソング」の話を進めたい。

「マハゴニー市の興亡」はドイツで書かれたドイツ語のオペラなのだけど、アメリカを舞台にしている。冒頭、詐欺と売春斡旋の容疑で警察から追われている女親分と子分二人を乗せたクルマが、砂漠でエンコして動けなくなるところから物語が始まる。のっけから「タイムボカン」とか「ふしぎの海のナディア」みたいなシチュエーションだと感じるが、そうではなくて、実際はそうした日本の戦後アニメの方がブレヒトからインスピレーションを受け取っているのである。ブレヒトというのは今ではもうかれこれ100年前の作家になるわけだけど、その作品の中には我々の知っている「現代的な物語」のモチーフの大部分があらかた出そろっていることに、今さらながら驚かされてしまう。




後ろには警察。砂漠を抜けた先ではゴールドラッシュが起こっているという噂もあるが、簡単にはたどり着けそうにない。女親分はその砂漠の真ん中に「街」を作ってしまおうという、とんでもない決断を下す。「マハゴニー」は「網の街」という意味。砂漠の真ん中に「網」を張り、ゴールドラッシュで儲けた連中の富を残らず吸い上げてしまうべく、そこに「欲望の都」を建設しようとする壮大な計画がスタートする。第三舞台の「天使は瞳を閉じて」の原型もここにあったのかと今さら気づかされている私なのだが、これまた脱線なので深入りはしない。それにつけてもこないだYouTubeを見たら「天閉じ」を丸ごと「投稿」してる不届きな人がいて、驚きましたですね。どうせすぐに消されてしまうのだと思うけど…見ておくなら今ですよ。


天閉じ インターナショナル

この冒頭のシーンが終わった後、マハゴニーの街で荒稼ぎするべく旅姿で登場したセックスワーカーの女性たちによって歌われるのが、この「アラバマ·ソング」なのだ。ジム·モリソンによって「The next little girl」と書き換えられている部分の元々の歌詞は「The next pretty boy」であり、岩渕達治という人が翻訳した歌詞にもとづくなら、それは以下のように歌われ、かつ演じられる。

ねえ、近くに男はいない?
なぜなんて、聞かないで。
やらずにはいられない。
だってやらなきゃいられない。
やらなきゃ死んじゃうわ。

…初演の時、このシーンを演じたのはクルト·ヴァイルの結婚相手だったロッテ·レーニャという女優さんであり、この歌は当初からこの人のために「当て書き」された歌だったということなのだが、レコードで残されているその颯爽とした歌いっぷりに耳を傾け、かつ歌詞を眺めてみると、自分の知っていたドアーズのアラバマ·ソングとは丸っきり「別の歌」みたいに思えてきてしまう。かつ演奏とアレンジも、ドアーズというあの基本的にマガマガしいバンドのそれが「洗練されている」と感じられてしまうぐらいに、いっそうマガマガしくて、猥雑である。


アラバマ·ソング他 (ロッテ·レーニャ)

「マハゴニー市の興亡」はドイツで作られたオペラだから大部分はドイツ語の歌で構成されているのだが、「アラバマ·ソング」は初めから英語で書かれている。だから上の動画の字幕を作られた方が「カタカナ言葉」でそれを翻訳されているのは、「ドイツ語の中で不意に聞こえてくる英語」という舞台の流れの中での「異化効果」を忠実に再現できている点で、非常に「上手い」と思う。この方は「マハゴニー市の興亡」全編の字幕動画も作成して公開して下さっているのだが、ハッキリ言って偉業である。かつてこのブログで一ヶ月がかりで「ブルース·ブラザーズ」の全訳に取り組んだ私には、それがどれくらい偉業なことであるかがよく分かる。有名な「三文オペラ」の全訳も公開して下さっているので、初めてブレヒトに触れる方はそちらからの方が「取っつきやすい」かもしれない。冒頭に流れる「Die Moritat von Mackie Messer (英題: マック·ザ·ナイフ)」は、たぶん大勢の読者の方が一度は聞いたことのある「個性的な歌」のひとつだと思う。


対訳 マハゴニー市の興亡


対訳 三文オペラ(序幕)

立川談志という東京出身の落語家のことを、私はいわゆる「日本文化」の醜悪な側面が人格をまとったような存在としてずっと憎悪してきたぐらい大嫌いなのだが、落語という文化は大好きである。そしてその落語というものをその立川談志が「業(ごう)の肯定の文化」であると定義してみせたことに対し、ずっとイラつきを感じている。大嫌いな人間の大嫌いな主張であるにも関わらず、「反論できない何か」がそこにあるのを感じるからである。

人間の「業」を「肯定」するということは、人間のあらゆる欲望を「肯定」の対象として捉えるということであり、その延長線上には差別や排外主義をも「肯定」もしくは「追認」する論理が必然的に存在する。それを臆面もなく言い放てるところに立川談志的な保守反動の代弁者たちの「えげつなさ」がありかつ「強み」があるわけだが、しかし「欲望」というのはこの文章を書いている私を含め、あらゆる人の中に確かに「ある」ものだ。宗教ないし全体主義的なイデオロギーみたいなものは、それを「無視」したり「抑圧」したりすることはできるが、結局はそうした「人間の一番人間らしい部分」から「目をそらして」いるようにしか思えない。そんなところに「真実」はないと思うからこそ、私自身も「落語的なもの」を「求める」わけだし、それが「好き」でもあるわけなのだが、しかしそのことが「談志的な人間」たちが世の中にのさばり続けていることに「力を貸して」いるのだとしたら、これは何ともけったくその悪いことである。

ブレヒトという人のやろうとしたことの中には、そうした「談志的なシニシズム」を突き崩すことのできる可能性と言うか方向性が存在していたのではないかということを、ずっと前から漠然と感じている。この人の戯曲は落語的なアプローチとはまた違った側面から「人間の欲望」というものをこの上なくリアルに描き出すのだが、「同一化」ではなく「対象化」の手法で描いている点が、「違う」のである。

…といったことをテーマに何かこう時代の閉塞感を打ち破れるようなことをちょっとでも書けたらという気持ちを最初は持っていたのだけれど、けっきょく小難しいだけの話に終わってしまいそうな感じがするので、問題意識をメモしておくのみにとどめておく。とにかく言えるのは、談志的な人間たちがいくら「反体制ぶって」みせたところでかれらは結局絶対に「弾圧」されないところから物を言っているのにすぎないのに対し、ブレヒトやその同時代の多くの人々はそれこそナチスから命を狙われながら、国境を股にかけて「本当の人間の姿」を描き続けるために「闘って」いたということだ。これからの時代を生きようとする人間がそこから「学ぶ」べきことは、いまだ汲み尽くされてはいないと思う。だから私は最近とみにブレヒトという人の書き残したいろいろな文章が、「気になって」いる。



アメリカでは、ブレヒトが1956年に東ドイツで亡くなった前後から60年代初頭にかけて彼の作品が「ブーム」になった一時期があるらしく、1954年にオフ·ブロードウェイで初演された「三文オペラ」は7年半のロングランを記録。1961年にはナチスから逃れてアメリカに帰化していたロッテ·レーニャを中心に、ニューヨークのグリニッジ·ヴィレッジで「ブレヒト·オン·ブレヒト」という伝説的な公演が幕を開けるのだが、その舞台にリハーサルの段階から通いつめていたのが、ミネソタ州から上京してきたばかりのボブ·ディランだったのだという。自伝の中でも彼は、自分の作品にブレヒトがどんな影響を及ぼしたかを書き綴っているし、また彼の5枚目のアルバム「Bringing It All Back Home」のジャケットには、極めて分かりにくいのだけど、ブレヒト-ヴァイルの作品を歌ったロッテ·レーニャのレコードが、同じく乱雑に置かれたロバート·ジョンソンのレコードの下に、写りこんでいる。その数年後に遠い西海岸でドアーズが「アラバマ·ソング」をレコーディングしたのも、おそらくはそうした文脈の上に起こった出来事だったのだろう。

「砂漠の真ん中に一夜にして出現した欲望の街」ということで、「マハゴニー市」が象徴しているのは明らかに「ラスベガス」なのだと思うし、広くは「アメリカそのもの」なのだと思う。でもそこに出てくる歌がどうして「アラバマ」なのかは、やっぱり謎のままである。まあ、ドイツの人の作った歌だし、「アメリカっぽい地名」という以上の意味は、なかったのかもしれない。


マハゴニー市の興亡 公開ゲネプロ

調べてみたら「マハゴニー市の興亡」は2016年に神奈川県で日本語版が上演されていたらしいのだけど、古谷一行は出てるわ上條恒彦は出てるわ、めちゃめちゃにゴージャスなので驚いてしまった。女親分ベクビクを演じていたのは中尾ミエさんで、そして「アラバマ·ソング」を歌っていたのはあのマルシアさんだ。「ふりむけばヨコハマ」歌ってはったあのマルシアさんである。こぉれは、見たかったなー。て言っか久しぶりにあの人の名前見たなー。危うく言及し忘れるところだったけど、この曲はデヴィッド·ボウイによってもカバーされていたことを、同じく今回調べていて初めて知りました。ではまたいずれ。


David Bowie Alabama Song


=楽曲データ=
Originally written by Bertolt Brecht in 1925.
Released: 1967.1.4.
Key: 一応C でも最後のコードはE9