華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Poor Jerusalem もしくはジーザス·クライスト·スーパースター#9 (1970. Tim Rice)

Jesus Christ Superstar


Poor Jerusalem

  • 熱烈にイエスを讃える歌を歌い終えたシモンとその他の群衆に向かって、イエスは悲しげな調子で、静かに歌い始める。

Poor Jerusalem

かわいそうなエルサレムよ

英語原詞はこちら


[Jesus:]
Neither you, Simon, nor the fifty thousand,
Nor the Romans, nor the Jews,
Nor Judas, nor the twelve
Nor the priests, nor the scribes,
Nor doomed Jerusalem itself
Understand what power is,
Understand what glory is,
Understand at all,
Understand at all.

シモンよおまえも
5千人のひとびとも
ローマ人たちもユダヤ人たちも
ユダも12使徒たちも
聖職者たちも律法学者たちも
未来を運命づけられた
エルサレムの街それ自体も
わかっていないのだ。
力とは何なのかということを。
栄光とは何なのかということを。
何もわかっていないのだ。
何もわかっていないのだ。


If you knew all that I knew, my poor Jerusalem,
You'd see the truth, but you close your eyes.
But you close your eyes.
While you live, your troubles are many, poor Jerusalem.
To conquer death, you only have to die.
You only have to die.

もしもわたしにわかっていることを
すべておまえが知ったなら
かわいそうなわたしのエルサレムよ。
おまえにも真実が見えることだろう。
それなのにおまえは目を閉じる。
それなのにおまえは目を閉じる。
おまえが世にあるあいだ
おまえのうちに争いは絶えないだろう。
かわいそうなエルサレムよ。
死を克服するためには
おまえは死ぬしかないのだ。
死ぬしかないのだ。


Jesus Christ Superstar 1973. 今回は32:40〜34:20

=翻訳をめぐって=

新約聖書「ルカによる福音書」19-42には、エルサレムに入城したイエスが街に向かって唐突に涙をこぼすという描写がある。「エルサレムのために泣く」と称されている一節である。

既に近づきたるとき、都を見やり、之がために泣きて言ひ給ふ、『ああ汝、なんぢも若しこの日の間に、平和にかかはる事を知りたらんにはされど今なんぢの目に隱れたり。日きたりて敵なんぢの周圍に壘をきづき、汝を取圍みて四方より攻め、汝とその内にある子らとを地に打倒し、一つの石をも石の上に遣さざるべし。なんぢ眷顧の時を知らざりしに因る』

なぜこの時イエスが泣いたのかと言えば、彼が死んでから大体40年後にあたる西暦67年に起こった「ユダヤ戦争」によってエルサレムの街が跡形もなく破壊されてしまうことを予言、ではないな。予知していたからだということが言われている。このシーンはそのエピソードが下敷きになっている。

「doomed」は「滅亡が運命づけられている」という意味の動詞。たった一単語にずいぶんな情報量が詰め込まれているものだ。

「Poor Jerusalem」というのは、訳しにくいフレーズだった。「あわれむべき」とか訳すると「格調」は高くなるが、あまりにも上から目線でむしろ突き放しているような感じになり、全然「かわいそう」だと思っていない言い方になる。ともすれば「幼稚」に思える「かわいそうなイスラエル」の方が、むしろこのシーンでのイエスの気持ちには近いのではないかと思った。

「死を克服するためには死ぬしかない」というのは、意味深なフレーズだ。他にコメントのしようがないのだが。

「エルサレム」という街の名前の響きは、私の耳には子どもの頃から「許されぬ」という日本語の響きと何となくカブっている。どぅおーだっていぃ話なのでぃすけどね。



ではまたいずれ。