華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

The Last Supper もしくはジーザス·クライスト·スーパースター#14 (1970. Tim Rice)

ⅩⅢJesus Christ SuperstarⅩⅤ


The Last Supper

  • 12使徒たちが歌を歌いながら、オリーブの木の下に準備された会食の場に向かう。黒人霊歌のようにおだやかで、信じることのよろこびと幸せな未来への確信にあふれた歌だ。

The Last Supper

最後の晩餐

英語原詞はこちら


[Apostles:]
Look at all my trials and tribulations
Sinking in a gentle pool of wine.
Don't disturb me now, I can see the answers
'Till this evening is this morning, life is fine.

[使徒たち]
心地よき葡萄酒のプールに身を沈めた
私の苦難と試練とをご覧あれ。
もう私の心を乱すことはしないでほしい。
私には答えが見えている。
「今夜」は「今朝」となり
人生は上々だ。


Always hoped that I'd be an apostle.
Knew that I would make it if I tried.
Then when we retire, we can write the Gospels,
So they'll still talk about us when we've died.

いつだって私は
使徒になりたいと思っていた。
がんばればきっと叶うと
私にはわかっていた。
私たちが引退する時が来たら
ゆっくり福音書でも書くことにしよう。
私たちが死んだ後にもみんなが
私たちのことを語ってくれるように。


[Jesus:]
The end...is just a little harder, when brought about by friends.
For all you care, this wine could be my blood.
For all you care, this bread could be my body.

[イエス]
終わりというのは…
そんな甘いものではない。
ことにそれが
友だと思っていた人間によって
もたらされるような時には。
このワインがわたしの血だったとしても
おまえたちは知らん顔だし
このパンがわたしの体だったとしても
おまえたちはやっぱり知らん顔なのだ。


The end... This is my blood you drink.
This is my body you eat.
If you would remember me when you eat and drink.

終わりだ…
これがおまえたちの飲むわたしの血で
これがおまえたちの食べるわたしの体だ。
おまえたちが喰らいかつ飲むときに
わたしのことを思い出すことがあるなら…

  • 悲しみをたたえていたイエスの表情が怒りに変わる。

I must be mad thinking I'll be remembered.
Yes, I must be out of my head.
Look at your blank faces. My name will mean nothing
Ten minutes after I'm dead.
One of you denies me.
One of you betrays me.

…自分が思い出されることが
あるなどと考えるのは
madなことだろう。そうだ。
私はまともでなくなっている。
自分で見てみるといい。
おまえたちの表情は空っぽだ。
わたしが死んで10分もすれば
わたしの名前は
何の意味も持たなくなっている。
おまえたちのうちのひとりは
わたしのことを他人だと言い
おまえたちのうちのひとりは
わたしのことを裏切るだろう。


[Apostles:]
No! No! Not I!

[使徒たち]
そんなことしません!しません!
私はしません!


[Jesus:]
Peter will deny me.

[イエス]
わたしのことを知らないと言うのは
ピーター(ペテロ)だ。


[Peter:]
No! Not me!

[ペテロ]
しません!
おれそんなことしません!


[Jesus:]
In just a few hours.
Three times will deny me,
And that's not all I see.
One of you here dining,
One of my twelve chosen
Will leave to betray me.

[イエス]
今から何時間もしないうちに
わたしは3回否定される。
わたしに見えるのはそれだけではない。
ここで食事を共にしている
わたしの選んだ12人のうちのひとりが
わたしを裏切るために
去ってゆくだろう。


[Judas:]
Cut up the dramatics!
You know very well who.

[ユダ]
芝居がかったことはやめろよ!
それが誰だかあんたには
しっかりわかってるんだろう。


[Jesus:]
Why don't you go do it?

[イエス]
行ってやることをやるがいい。


[Judas:]
You want me to do it!

[ユダ]
あんたがおれにそれを望んでるんだろう!


[Jesus:]
Hurry, they are waiting.

[イエス]
急ぐがいい。
かれらが待っている。


[Judas:]
If you knew why I do it

[ユダ]
どうしておれがそうしたか
あんたならわかってくれるはず…


[Jesus:]
I don't care why you do it!

[イエス]
おまえの理由などわたしは知らない!


[Judas:]
To think I admired you.
Well now I despise you.

[ユダ]
おれはあんたのことを
尊敬してたはずだって思ってるんなら
おれは今あんたのことを
最低だって思ってるよ。


[Jesus:]
You liar. You Judas.

[イエス]
おまえはウソつきだ!ユダめ!


[Judas:]
You wanted me to do it!
What if I just stayed here
And ruined your ambition.
Christ you deserve it.

[ユダ]
あんたがおれにそれを望んだんだろう!
もしもおれがここに残ってあんたの大義を
めちゃめちゃにすることになったら
どうするつもりだって言うんだい
クライスト!
身から出た錆ってやつだぜ。


[Jesus:]
Hurry, you fool. Hurry and go.
Save me your speeches,
I don't want to know. Go!

[イエス]
さっさと行けfool、さっさと行け。
おまえの演説など私は知らない。
知りたいとも思わない。
行ってしまえ!

  • 引き裂かれた絆からそれまでのあらゆる思い出があふれ出すように、冒頭の使徒たちの合唱が響きわたる。

[Apostles:]
Look at all my trials and tribulations
Sinking in a gentle pool of wine.
What's that in the bread? It's gone to my head,
'Till this morning is this evening, life is fine.

心地よき葡萄酒のプールに身を沈めた
私の苦難と試練とをご覧あれ。
パンに入っていたものは
何だったんだろう。
すっかり頭に回ってしまった。
「今夜」が「今朝」になるまでは
人生は上々だ。


Always hoped that I'd be an apostle.
Knew that I would make it if I tried.
Then when we retire, we can write the Gospels,
So they'll all talk about us when we've died.

いつだって私は
使徒になりたいと思っていた。
がんばればきっと叶うと
私にはわかっていた。
私たちが引退する時が来たら
ゆっくり福音書でも書くことにしよう。
私たちが死んだ後にもみんなが
私たちのことを語ってくれるように。

  • イエス、自分が座った場所に敷かれていた緑色の布を手に取り、ユダの後を追いかけてて渡そうとする。それをはねのけて、ユダは怒りを爆発させる。

[Judas:]
You sad, pathetic man, see where you've brought us to,
Our ideals die around us and all because of you.
But the saddest cut of all:
Someone has to turn you in.
Like a common criminal, like a wounded animal.
A jaded mandarin,
A jaded mandarin,
Like a jaded, faded, faded, jaded, jaded mandarin.

[ユダ]
あんたは悲しい男だよ。
悲劇的な男だよ。
自分がおれたちを
どんなことに引きずり込んだのか
その目で見たらどうだ。
おれたちの理想だったものは
どんどんつぶれてるよ。
みんなあんたのせいだぞ。
けれども何が一番悲しいって
誰かがあんたを
引き渡さなくちゃいけないってことだよ。
フツーの犯罪者みたいに。
手負いの獣みたいに。
腐敗した官僚みたいに。
腐敗した小役人みたいに。
腐った腐敗したくたびれたつかれきった
悪徳上司みたいに。


[Jesus:]
Get out they're waiting! Get out!
They're waiting, Oh, they are waiting for you!

[イエス]
立ち去れ。
かれらが待ってるぞ。
立ち去れ。
かれらが待ってるぞ。
かれらはおまえのことを
待っているんだぞ!


[Judas:]
Every time I look at you I don't understand
Why you let the things you did get so out of hand.
You'd have managed better if you had it planned...
Oh....

[ユダ]
あんたのことを見てるたびに
おれはわからなくなるんだよ。
何であんたは自分のやってのけたことが
ひとりあるきを始めても
放ったらかしにしておくんだ。
最初からきちんと計画を立ててれば
もっとうまくやれたはずだと思うぜ…
ああ…

  • 心の中でだろうか。使徒たちの合唱が響き続ける。

[Apostles:]
Always hoped that I'd be an apostle.
Knew that I would make it if I tried.
Then when we retire, we can write the Gospels,
So they'll still talk about us when we've died.

[使徒たち]
いつだって私は
使徒になりたいと思っていた。
がんばればきっと叶うと
私にはわかっていた。
私たちが引退する時が来たら
ゆっくり福音書でも書くことにしよう。
私たちが死んだ後にもみんなが
私たちのことを語ってくれるように。



歌詞中に使われている「mad」「fool」という言葉は、「精神病者」に対する差別表現です。ここでは原文をそのまま転載しました。


Jesus Christ Superstar 1973. 今回は51:30〜57:50

=翻訳をめぐって=

まだ全部を見たわけではないのだけれど、このシーンはたまらなくなるほど印象的だと思った。「新世紀エヴァンゲリオン」の映画「破」で、目を覆いたくなるような光景をバックに「今日の日はさようなら」が流れるシーンがあったけど、あれにはこの場面がエコーしていたのだろうなといったようなことを少し思った。

ユダが使徒たちの輪の中から追われて行く時に映し出されるのはオリーブの木だ。小豆島で見たから知っていた。ドローンがなかったあの時代でも、全く同じような映像と効果が作りあげられていたことには、素直にスゴいと感じた。

いったん「追い払った」ユダのことを、イエスが緑色の敷布を持ってもう一度「追いかける」シーンが持つ意味は、すごく重要だと思う。あの敷布にはどういう意味があるのだろう。JCSについて語られているサイトは山ほどあるのだけど、そのことに触れている文章は見つからなかった。過去の他の公演の動画もいくつか見たけれど、他の公演では「イエスがユダを追いかける」ような演出はカットされており、追われたユダがイエスに食ってかかるのは完全に「反撃」として描かれていた。私が見た限りこの73年の映画においてだけ、「イエスはユダのことをもう一度追いかける」のである。緑色の敷布が持っている象徴的な意味についてまでは分からないにしても、追いかけてそれを手渡そうとするということは、イエスの側に「仲直りしたい気持ち」があったからなのだとしか考えられない。たぶん(なまじ未来が見えてしまうばかりに)激昂してしまったけれどそれを反省する気持ちになったのだと思うし、またユダの反論を聞いてしまったら「未来が変わってしまう」から聞く耳を持たずに追い払うしかなかったということについて、ユダに申し訳ないという気持ちがあったから追いかけた(ことにされている)のだと思う。けれどもユダにはもはやその気持ちを「素直に」受け取ることさえ許されていないのである。前のシーンでイエスのことを「売って」、絆を断ち切ってしまったのは彼の側だったわけだから。みたいないろんなことを考えさせられた。

今回の試訳は、かなりの部分が直訳と言えない訳し方になっている。原詞がそれだけいろんなことが凝縮された内容になっていると思うからである。ひとつひとつ検証してゆきたい。

Look at all my trials and tribulations
Sinking in a gentle pool of wine.
Don't disturb me now, I can see the answers
'Till this evening is this morning, life is fine.

上にも書いたが、この歌にはまず「黒人霊歌」を感じた。そしてとても印象的な歌だと思った。でも、歌詞を読んでみるとこの時点から既にいろんな「影」を感じさせる内容になっている。

まず、12使徒の合唱で歌われる歌であるにも関わらず、この歌詞の主語は「we (私たち)」ではなく「I (私)」になっている。実は心がバラバラなのである。そしてそのひとりひとりが、自分の経験してきた「苦難と試練 (trials and tribulations)」をまるで自分ひとりの手柄であるかのように「見てくれ (Look at)」と「誇って」いる。ユダはおそらくそういうのに「酔えなく」なってしまったから、飛び出すしかなかったのだ、という感じがする。

「Sinking in a gentle pool of wine」という分詞構文は「ワインのプールにつかりながら私の苦難と試練をご覧下さい」という風にも読めるのだけど、おそらくは「苦難と試練」そのものが「ワインに漬かって」いるのである。ということはこれを歌っている12使徒は実際に身も心も酩酊状態だということになる。

「'Till this evening is this morning」というのは「明日になれば今日は昨日になる」みたいな極めて単純なことしか言ってないのだけど、外国語で書かれるとえらく複雑で謎めいた表現であるように感じられるから不思議である。そして多幸感にあふれたこの歌の調子に反して「今夜が翌朝になると」イエスは十字架にかけられることが運命づけられているわけだから、非常にアイロニカルな効果を意識して作られている歌なのだということがわかる。言葉の正確な使い方からするならばそれが本当に「アイロニカル」になるのは「意識しないで」作られていた場合の話になるわけだけど。

For all you care, this wine could be my blood.

「for all〜」とは「〜にも関わらず」という意味だと学校でならったものだったが、「For all 〜's care」と言った場合には「〜の知ったことではない」という意味になるらしい。ここでは「相手が自分に対して知らん顔をしていること」を「なじって」いるわけで、それに反論したい場合には「Oh, but I really do care!」と言えばいいのだということ。またここでは「相手」が主語だが、「私の知ったことではない」と言いたい場合には「For all my care」と言えばいいらしい。「お前が死んだって何したって誰も何にも言わねえよ」と言いたい時はこれを使えばいいわけだ。こんなメモ書き誰が読むのだ。

In just a few hours.
Three times will deny me,

直訳は「今から数時間のうちに三回が私を否定する」。意味は大体わかるのだけど「三回」が主語になっているというのはかなり独特な言い方だと思う。この点、ネイティブの人たちはこの言い回しにどんな「語感」を感じるのか、詳しく知りたい気がする。

To think I admired you.
Well now I despise you.

ユダの台詞。二行目が「今ではあんたを軽蔑してるよ」なのは間違いないのだが、一行目は私にとってすごく分かりにくい。「To think I admired you」は直訳するなら「私があなたを尊敬していたと考えること」である。日本語的に言うならば「体言止め」の文章になっている。「〜と考えること」が何だと言うのだろう。ユダは「考えてみると自分はあんたのことを尊敬していたが」的なことを言っているのだとも考えられるし、そうではなくイエスに向かって「おれがあんたのことを尊敬してるとか思ってたんなら」的な気持ちを叩きつけているのだとも考えられる。ここでは後者で訳したが、確信があってそう訳しているわけではない。誰か鮮やかに説明できる人がいたら教えてください。

[Jesus:]
You liar. You Judas.

[Judas:]
You wanted me to do it!
What if I just stayed here
And ruined your ambition.
Christ you deserve it.

キリスト教によって培われた伝統の結果として、英語では「ユダ!」と言えば「ウソつきめ!」という意味になるし、「クライスト!」と言えば「こんちくしょう!」という意味になる。(ディランのリスナーの方にとってはお馴染みのフレーズですね)。ここではユダとイエス(·キリスト)が互いに相手のことを罵っているような形をとりつつ、その2人の名前が同時にそうした「現代的な意味」でも使われている。海外サイトで「うまい!」と絶賛されている場面である。説明されないと分からない我々には「ややこしい!」としか思いようがないセリフ回しなのだけど。

What's that in the bread? It's gone to my head,

聞いただけでは全然気づかなかったのだけど、ユダが追われるシーンの使徒たちの合唱ではこの部分だけ歌詞が変わっている。「パンの中には何が入っていたのだろう。もうそれは私の頭へと行ってしまった」。これまた謎めいた歌詞である。宗教的に高尚に解釈するなら「生命をつなぐパンに例えられるイエスの教えは私の血となり肉となり精神となった」みたいな読み方も可能なのだけど、海外サイトでは70年代に流行っていたという「マリファナ入りのケーキ」みたいなものが意識された歌詞なのではないか、という解釈も紹介されていた。(←ちなみにその「マリファナ入りのケーキ」をもう一度日本語に翻訳すると「空耳ケーキ」になるのです)。何しろ前段が「ワイン」なのだから、このパンもそれと同じように「人を酔わせる効果を持ったもの」として描かれていると読むのが自然だろう。そして繰り返しになるけれど、ユダはもうそれには「酔えない」のである。


Orange and Lemons 空耳ケーキ

A jaded mandarin,

「mandarin」とはもともと「清朝の時代の中国の高級官僚」のことで、「満洲族の身分の高い人間」を意味する「満大人(マンダーレン)」という中国語(漢語)がそのまま英語読みになっているらしい。これが転じて最初が大文字の「Mandarin」になると、英語では「中国語(北京方言)」という意味になる。

清朝の役人といえば現代中国でも腐敗と無能と残忍さの象徴みたいな描かれ方をしているわけではあるけれど、それをアヘン戦争で自分たちのことを侵略した当事者である英語話者から「同じように言われる」のはどんな気持ちがすることだろう。いい表現だとは思わないし、英語として使われる限りにおいては差別的な言葉だと思う。そのことの上で「mandarin」は「本来の意味」をも離れ、腐臭の漂う高級官僚や「ダメ上司」を指す一般名詞として当時の英語圏では流通していたとのことである。今でもそうなのかどうかは知らないが、たぶん「おかしい」という論調は間違いなく形成されているはずだと思う。

で、この歌においてはユダがイエスのことを「ダメ上司」として罵る文脈でこの言葉が使われているわけだが、「ダメ上司」と言うと何か本当に「ダメ」で「かわいそうな人」みたいで、「mandarin」という言葉が放つ尊大さや、絶対的な権力を有している感じが消えてしまう。その「邪悪なイメージ」を「mandarin」という言葉に凝縮させようということ自体が差別的なことであるわけだが、とにかくここではそんなわけで「いろんな訳し方」をすることになった。



ではまたいずれ。