華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

一無所有 もしくは中国最初的滾樂 (1986. 崔健)



摇滚乐 (ヤオクンユエ)」の三文字に漢訳されている中国大陸の「ロックンロール」の歴史を語る上で、必ず最初に出てくる人名と、最初に出てくる歌がある。1961年の北京に朝鮮族の音楽一家の息子として生まれ、自らも官営の交響楽団に入団し音楽人生を歩む中、香港経由で非合法的に流れ込んできた「ロック」と出会い、大陸中国の歴史の中でおそらく最初に「エレキギター」というものを手にした人たちの一人となった崔健(ツイ·ジェン)という人と、この人が1986年に発表し、三年後の89年には政治改革を求めて天安門広場に詰めかけた何万人という人々の愛唱歌となった「一無所有 (イーウースオヨウ)」という歌である。この運動が流血の弾圧によって圧殺されて以降は、「滚乐」という音楽自体が「危険である」として規制の対象となり、崔健氏自身も2003年に至るまで、大きなコンサート会場で歌うことは決して許されなかったのだという。


一無所有 1986年

以前のYouTubeにはこの人が89年の天安門広場で学生たちと一緒に歌っていた印象的な映像も上がっていたはずなのだが、今ではなぜか見つからない。代わりに上がっていたのが、86年に崔健氏が初めてテレビカメラの前に立った時の映像である。音も画像も着てる服もギターも何から何までが「きたない」のだけど、ここには間違いなく「異様な迫力」が存在する。崔健氏が浪花節みたいな声で歌詞の最初の一行を絞り出した時に「どよめき」が起きるのは、「みんながこの歌を知っていた」からではない。「こんな歌は初めて聞いた」「こんな音楽があるなんて知らなかった」という「衝撃のどよめき」なのである。同じ時間に同じ場所で生きていなくてもこうした歴史的な瞬間を世界中の誰もが「追体験」できるように時代がなったことは、間違いなく「幸せなこと」だと思う。


一無所有 2016年

今では「中国ロックの父」として押しも押されぬ存在となった崔健氏は、何億人が視聴する上のような番組にも堂々と出演してこの歌を歌ったりしているわけなのだが、この人のコンサートにはいまだに必ず「監視の公安警察」が配備されるらしい。「中国之星」なのに。けれどもそれはこの人が「体制におもねらない生き方」を貫いていることの証でもあるわけで、2013年には中国の紅白歌合戦的な番組である「春節晩会」から初めての出演オファーがかかったにも関わらず、「自分の歌いたい歌を歌わせないなら出ない」としてこれを蹴ったという頼もしい話も伝わってきている。何より驚かされるのは、上の1986年の映像と下の2016年の映像を見比べてみても、その声と歌い方が全く「変わっていない」ことである。実に強烈な「スタイル」なのだ。

それにしても、そんな風に広大な中国大陸の数知れない人々に衝撃を与え、鼓舞し、勇気づけ、また恐れさせてもきた「一無所有」という歌は、一体「どういう歌」なのだろうか。歌詞に並んでいる漢字を眺めた限りでは、至って「単純な歌」であるようにも思われるのである。あまりに単純すぎて、何がどうスゴいのか理解できないというのが、数年前に初めてこの歌を聞いた時以来の、いつわらざる感想だった。けれども意味がわからないまま聞いていても「ジワジワ来る何か」が、間違いなく存在している歌なのだ。聞いたことのなかった人には、聞いてみてほしい。こんな歌詞である。


天安門'89〜一無所有〜

yī wú suǒ yǒu
いーうーすおよう
一無所有
中国語原詞はこちら


Wǒ céngjīng wèn gè bùxiū
うぉー ツェンちん ウェンが ぷーしょう
我曾經問個不休
nǐ héshí gēn wǒ zǒu
にー へぁシ けん うぉー つぉう
你何時跟我走
kě nǐ què zǒng shì xiào wǒ,
ケァに ツェ つぉんシ しゃお うぉー
可你卻總是笑我,
yīwúsuǒyǒu
いーうーすおよう
一無所有

おれはずっと問い続けてきた
いつになったらおまえは
一緒に行く気になってくれるのかと
それなのにおまえはいつも
おれのことを笑うばかりだ
ないないづくしの男だからって


wǒ yào gěi nǐ wǒ de zhuīqiú
うぉやげに うぉだ ちゅいチョウ
我要給你我的追求
hái yǒu wǒ de zìyóu
はいよう うぉーだ つよう
還有我的自由
kě nǐ què zǒng shì xiào wǒ,
ケァに ツェ つぉんシ しゃお うぉー
可你卻總是笑我,
yīwúsuǒyǒu
いーうーすおよう
一無所有

おれはおまえに自分の愛をささげよう
自分の自由だってささげよう
それなのにおまえはいつも
おれのことを笑うばかりだ
ないないづくしの男だからって


ō……nǐ héshí gēn wǒ zǒu
おー... に へぁシィ けん うぉ つぉう
噢……你何時跟我走
ō……nǐ héshí gēn wǒ zǒu
おー... に へぁシィ けん うぉ つぉう
噢……你何時跟我走

ああおまえはいつになったら
一緒に行く気になってくれるんだ
ああおまえはいつになったら
一緒に行く気になってくれるんだ


jiǎoxià zhè di zài zǒu
ちゃおしあ ちゃ でぃー つぁい つぉう
腳下這地在走
shēnbiān nà shuǐ zài liú
シェンぴぇン な シュイ つぁい リョウ
身邊那水在流
kě nǐ què zǒng shì xiào wǒ,
ケァに ツェ つぉんシ しゃお うぉー
可你卻總是笑我,
yīwúsuǒyǒu
いーうーすおよう
一無所有

足元の地面は後ろに飛んでゆくし
周りの水もどんどん流れ去ってゆく
それなのにおまえはいつも
おれのことを笑うばかりだ
ないないづくしの男だからって


wèihé nǐ zǒng xiào gè méi gòu
わいほ に つぉん しゃげ めい こう
為何你總笑個沒夠
wèihé wǒ zǒng yào zhuīqiú
わいほ うぉ つぉん やお ちゅいちょう
為何我總要追求
nándào zài nǐ miànqián
なんだ つぁい に みぇンチェン
難道在你面前
wǒ yǒngyuǎn shì yīwúsuǒyǒu
うぉー よんゆぇん シー いーうーすおよう
我永遠是一無所有

一体全体おまえは
どれだけ笑ったら気がすむんだ
一体全体おれはなんだって
こうして訴え続けなきゃならないんだ
おまえの前ではおれは
永遠にないないづくしの男で
いるしかないっていうんだろうか


ō……nǐ héshí gēn wǒ zǒu
おー... に へぁシィ けん うぉ つぉう
噢……你何時跟我走
ō……nǐ héshí gēn wǒ zǒu
おー... に へぁシィ けん うぉ つぉう
噢……你何時跟我走

ああおまえはいつになったら
一緒に行く気になってくれるんだ
ああおまえはいつになったら
一緒に行く気になってくれるんだ


gàosù nǐ wǒ děngle hěnjiǔ
かす に うぉ たら へんちょう
告訴你我等了很久
gàosù nǐ wǒ zuìhòu de yāoqiú
かす に うぉ つぇほ だ やおチョウ
告訴你我最後的要求
wǒ yào zhuā qǐ nǐ de shuāng shǒu
うぉや ちゅあチ にーだ しゅあんしょう
我要抓起你的雙手
nǐ zhè jiù gēn wǒ zǒu
に ちゃーちう けん うぉー つぉう
你這就跟我走

言わせてもらうぞ
おれはずーっと待ち続けてきたんだ
言わせてもらうぞ
おれの最後のお願いだ
おれはおまえの両手を
握りしめたいと思う
一緒に行く気になってくれてもいいだろう


zhèshí nǐ de shǒu zài chàndǒu
ちゃシ にだ しょつぁ チャンどう
這時你的手在顫抖
zhèshí nǐ de lèi zài liú
ちゃシ にだ レイ つぁい リョウ
這時你的淚在流
mòfēi nǐ shì zài gàosù wǒ
もーフェイに シー つぁい かぉすぅ うぉー
莫非你是在告訴我
nǐ ài wǒ yīwúsuǒyǒu
にーあいうぉ いーうーすおよう
你愛我一無所有

と言ったらおまえの手は震え
おまえの目からは涙が流れ出すのだ
ひょっとして愛してるって
そう言ってるんじゃないだろうな
ないないづくしのこのおれのことを


Ō……nǐ zhè jiù gēn wǒ zǒu
おー... に ちゃーちょう けん うぉ つぉう
噢……你這就跟我走
Ō……nǐ zhè jiù gēn wǒ zǒu
おー... に ちゃーちょう けん うぉー つぉう
噢……你這就跟我走

ああそれだったら
一緒に行ってくれたらいいじゃないか
ああそれだったら
一緒に行ってくれたらいいじゃないか



中国語歌詞のふりがなのめやす



一見したところ、「フツーのラブソング」みたいにも思われるのである。この歌詞のどこに、30年前の天安門広場に集まった人々が「この歌こそ今の自分たちの気持ちだ」と共感できる要素があったのだろうか。よく目にするのは、この歌の主人公である「男」は中国人民を象徴しており、彼氏が呼びかけている「彼女」にはあの国を支配している「党」が寓意されているのだ、という「解説」である。(できるだけ中国大陸の友だちにも読んでもらえるように、固有名詞の使用は避ける書き方を今回は選びたいと思う)。しかしそう言われてもピンと来ないという感じが、私はしていた。共産主義という思想においては、「一無所有=何も持っていない」ということは「誇るべきこと」ではあっても「笑われること」ではないはずなのではないのだろうか。腐ってもそれを看板名にしている「党」が、「一無所有な人」を「笑い者」にするなどということが、果たしてありうるものなのだろうか。また歌い手がその「党」のことを「イヤだ」と思っているのであれば、その「党」に改めて「プロポーズ」する歌なんて、作るだろうか。

なので私はどちらかといえば、この歌は当時における大陸中国の人々の「西側世界へのメッセージ」が込められた歌なのではないか、という受け取り方を最初はしていた。資本主義のもとで暮らしている外国の人たちの目には、社会主義のもとで暮らしている自分たちの姿は貧しくみすぼらしく映るかもしれない。自分たちのことなんか相手にさえしてくれないかもしれない。けれども私たちはあなたがたと共に世界を変え、未来に向かって共に歩んでゆくことを希望している。私たちに力を貸してほしい。そういう思いの込められた歌として聞いた方がむしろ「しっくりする」感じが、私としてはしたのである。その「西側世界」に生きている人間の一人として。

けれども中国人の友人に聞いてみると、大陸の人たちはやはり「我(わたし)」=「現状を変えたい、理想に燃える青年」、「你(あなた)」=「党」というイメージでこの歌を聞いているらしく、かつ「その内容において」天安門広場の若者たちはこの歌に熱烈に共感した、というのが実際のところであるらしい。そして一見単純なこの歌詞の中には「80年代の中国という現場」で生きていた人たちであれば誰もが「ピンと来る」ような、何重もの「風刺と諧謔」が込められているのだという。

まず「共産主義」の看板を背負ったあの国の「党」は、口では確かに「一無所有な人たち」のことを「賛美」してみせるのだが、腹の中では見下して、あなどっている。そのことを「言ってることとやってることが違うじゃないか」と「告発」しているのが、「おまえはいつもおれのことを笑い者にしてきた」という歌詞だというわけである。「共産主義」のタテマエからするならば、言われた方は「笑ったりしません」と言うしかない。だからこの歌を「弾圧」することは、相手にはできない。「風刺と諧謔」と言うよりむしろ、「正攻法」と言っていいようなスタイルである。

またその「相手」が「一無所有な彼氏」を「笑い者」にできるぐらいになぜ「裕福」なのかといえば、それは「一無所有な人たち」から「奪っている」からなのである。このこと自体、「共産主義」のタテマエからするならば、「あってはならないこと」なのだ。だから「おまえはおれたちのことを笑っているんだろう」という「糾弾」は、それだけ相手の胸にズシリとこたえることになる。

そして一番大事なこととして、「相手」が「一無所有な人たち」を「見下して笑い者」にしているその内容は「反抗できるもんならしてみろ」ということに他ならないわけだが、元はと言えばあの「党」自体が「一無所有な人たち」の手によって「一無所有なところから」作り出されたものであるわけであり、そのことは「党」自身が一番よく知っていることなのだ。だからその「一無所有な人たち」から正面切って「おれたちのことをなめるなよ」と言われたら、「党」としてはこれほど「怖い」ことはないということになる。

従ってこの歌の歌詞には「一無所有」であることの「くやしさ」と同時に、「誇り」がみなぎっている。だからこそこの歌は「革命の歌」になることができたのだということを、そこまで説明してもらうことでようやく私にも「理解」することができた。そういう気持ちでこの歌は歌われてきたのだし、今でも歌い継がれているのだな。

けれども「我」=「中国人民」、「你」=「西側世界」という私の当初の理解を伝えたら、「確かにそういう聞き方もできる」とその中国人の友人は言っていたし、また「単なるラブソング」としてだけ聞いたり歌ったりしている人も結構いるらしい。さらには貧しい若者が恋人に向かって「一緒に西側世界に行こう」と訴えている歌だ、と思って聞いている人までいるらしい。つまるところ、歴史の中の数々の「すぐれた歌」と同じくこの歌も「いろいろな聞き方のできる歌」なのであり、そうであればこそ「歴史を越えて」歌い継がれる普遍性を獲得できた歌なのだと言うことができると思う。

それにしても「你」が「党」なのだと聞かされてみると、この歌の中での「彼氏」の態度は徹底的に「真摯」なものだ。「おまえをぶっ倒してやる」とか「絶交してやる」とかいったことはひとつも言っていない。ただただ「一緒に歩んでほしい」ということを切々と訴えているだけである。その上で歌の中で一貫して「能動的」に振舞っているのは「彼氏」の側であり、「動こうとしない相手」を自分が引っ張って行ってやろう、という気概が感じられる。それは自分が訴えかけている相手である「党」が、「本当ならば」自分たち人民の全体を代表する存在であり、それが自分から動こうとしないのなら、我々自身がその代表になろう、という極めて「真っ当な」政治意識に裏づけられた態度であると、感じ入らずにはいられない。

その「真摯な対話の呼びかけ」に、あの「党」は「戦車と銃弾」でこたえたのだ。本当にそれは「とりかえしのつかないこと」だったと思う。何年先であろうと何十年先であろうと、歴史はその仕打ちに対して正当な裁きを下すに違いない。そこで裁かれるべきがあの国のあの党だけであるとは、もとより私は思っていないのだけれど。

=翻訳をめぐって=

中国語というのは、厳密な表現を求めるならいくらでも厳密な使い方ができるけど、基本的なところがものすごくアバウトに設定された言語であると感じる。過去形や未来形も、区別したければ区別することはできるけど、そうでなければ別に区別する必要はない。「これから行く」と「もう行った」を「同じ言葉」で表現することは日本語では絶対に不可能だが、中国語では「去(チュイ)」だけで「どちらも」表現できてしまう。また上の歌詞に出てくる「追求」という言葉がそうであるごとく、同じ単語が使いようによっては名詞にもなれば、動詞にもなる。こんなにアバウトな言葉だからこそ「いろんな意味に受け取れる内容」を詰め込むことができるわけで、その「アバウトさを再現できる能力」というものが日本語という言語には決定的に欠けている。厳密さにはいくらでもついて行けるけど、アバウトさにはついて行けないのである。

この歌のタイトルである「一無所有」にしても、「すかんぴん」とか「一文無し」とかいう言葉は確かに日本語にもあるけれど、どれもこれも具体的すぎてアバウトさに欠けるのだ。(←妙な言い方だな)。意味するところとしては「何も持っていない状態またはその人」を指す名詞でありかつ形容詞なのだけど、それをそのまま書いても歌詞にはならない。結局「ないないづくしの男」という変テコリンな言葉を「発明」するしかなかったのだが、歌詞の言葉の内容を既成の日本語表現の枠にハメ込んで「狭めて」しまうよりは、まだこの方がマシだと思う。

しかし「ないないづくしの男」と書いたら書いたで、今度は「男」でいいのかという問題が出てくるわけである。崔健という人自身が男性だし、歌いっぷりもオトコオトコしているから、中国でも誰もがこの歌を「男から女に向けられた歌」として聞いているけれど、歌詞自体の中には「男」という言葉も「女」という言葉も使われていない。「我」と「你」が出てくるだけである。そして「我」=「人民」、「你」=「党」なのだとしたら、そこに「性別」なんか持ち出したら「困る」話になるのである。それにも関わらずそれを日本語に翻訳する場合、どういう文体で訳するかによって歌の主人公の性別や年齢や性格までもが自動的に「限定」されることになってしまう。
nagi1995.hatenablog.com
ネイティブの友人からも「そこはできるだけ限定しない方がいい」というアドバイスを受けていたもので、いったんは下のような訳し方も試みてみたのだ。

わたしはずっと問い続けてきた
いつになったらあなたは
一緒に行ってくれるのかと
それなのにあなたはいつも
わたしのことを笑うばかりだ
わたしが何も持っていない人間だからって

…けれども、日本語もよくできるその友人から「こんなの全然『一無所有』じゃない」と言われてしまったもので、結局「おれ→おまえ」の訳し方に戻すことになった次第である。だったらそんな無茶なアドバイス最初からするなよと思うのだが、何しろその人の助けがなければこの翻訳も到底自信を持って人前に出せるものにはならなかったので、文句は言わないことにしておく。いつもありがとう。上海のシーちゃん


黄家駒 一無所有 1989年

ビヨンドのボーカリストだった黄家駒が1989年の北京で歌った「一無所有」もYouTubeに上がっていたのだけど、つくづくかっこいいと思う。この歌い方の力強さを中国語では「有勁頭」と形容するらしいのだけど、こんな歌い方のできる歌手って日本には、いないなあ。そしておそらくはその直後に起こった北京での出来事を、香港人だった家駒はどんな気持ちで受け止めたのかと思うと、たまらないような気持ちになる。

この歌は何しろ「そういう歌」だし中国語も「そういう言語」なもので、上に書ききれなかった「可能な解釈」は他にもいくらでも存在する。本当ならそれを書けるだけ書き出すのが翻訳ブログとしての「責任」かとも思っていたのだが、さすがに疲れてしまった。中国語に堪能な有志の読者の皆さんで、もし他に気づいた点などありましたらコメント欄で「補完」しておいて頂ければ幸いです。このブログは私の「作品」ではなく「みんなの場所」にしたいといつも考えております。ではまたいずれ。


=楽曲データ=
Released: 1986.5.
Key: C