華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

新長征路上的搖滾 もしくは新たなる長征の道の上のロックンロール (1989. 崔健)



前回の「一無所有」の翻訳記事を、爆風スランプのドラマーだったファンキー末吉さんが読んでくださり、SNSを通じてコメントまで寄せて下さった。伝説のバンド「Beyond」の盟友であり、中国におけるロックの歴史にその黎明期から深く関わってきた日本人ミュージシャンとして、今の中国の若い人の間でもとても有名な人である。翻訳を手伝ってくれた上海のシーちゃんに伝えたら大興奮だった。ブログ書き冥利に尽きるというものだ。



ファンキーさんのコメントの中に出てくる「新長征路上的搖滾 (新たなる長征の道の上のロックンロール)」は、1989年に発表された崔健のデビューアルバムのタイトルナンバーであり、私自身大好きで、いつか取りあげなければと思ってきた曲だった。それにしても、彼氏がこの歌の中で毛沢東の名前を出したことが「共産党の反感を買う行為」だったというのは、初耳である。「一無所有の歌うたいが生意気な」みたいな感覚が、あの組織にはあるということなのだろうか。できることなら、もっと詳しく聞かせて頂きたい話だと思う。



以前にビートルズの「Revolution」の記事の中でも触れたことなのでイチから繰り返すことはしないが、1934年から36年にかけて、日本軍の侵略と国民党政府からの弾圧という「二重の敵」と対峙しつつ、瑞金から延安までの2万5000キロを「戦いながら」「徒歩で」走破した中国共産党の「長征」は、人間の歴史の中でも最も偉大な出来事のひとつだったと、私自身、思っている。若き崔健は、1980年代の中国で「ロック」という誰も知らない音楽に自分の人生をかけて歩み出すことを、その「長征」になぞらえた。気宇壮大なことだ。もとより彼自身にもそれは「不遜なことだ」という意識があったようで、歌詞の言葉から聞き手が受け取るのは若さにまかせた傲慢さと言うよりむしろ、どこかしら謙虚なイメージである。けれども紛れもなくこの曲とこのアルバムから中国の音楽は「新しい歴史」の歩みを開始したのだし、その「長征」は30年を経た今もなお、崔健というミュージシャンの身体を通して、継続されている。

この「長征」が「変えた」のは、ただ単に「音楽の歴史」にとどまらない。もっといろいろな、深くて豊かな、中国に生きる人々の一人一人の生き方やものの感じ方といったところまで実際にそれは「変え続けて」きたのだし、今もなお「変え続けて」いる。その意味で、毛沢東や朱徳が先頭に立って成し遂げた「長征」と決して「同じ」ではないし比べられるものではないにしても、疑いなく偉大なもうひとつの「長征」の道のりをこの曲は切り開いたのだと私は思う。

いろんな能書きを並べることは、今回は抜きにしたい。新しい気持ちになりたい時にはピッタリな、とても楽しい曲なのだ。今まで聞いたことのなかった人には、聞いてみてほしいと思う。こんな曲である。


新長征路上的搖滾

Xīn chángzhēng lùshàng de yáogǔn
シン チャんちぇん るーしゃんだ やおくん
新長征路上的搖滾
中国語原詞はこちら


Yī' èr sān sì
いー!ある!さん!すー!
一 二 三 四

tīng shuōguò méi jiànguò liǎng wàn wǔqiān lǐ
ティんシュオご めいちぇんご りゃんわんうーチェンリ
聽說過沒見過兩萬五千里

聞いたことはあっても
実際に目にすることはなかった
二万五千里の道のり


yǒu de shuō méi de zuò zěn zhī bù róngyì
ようだしゅお めいだつお つぇんちーぷーろんい
有的說沒的做怎知不容易

昔の話として口にする人間はいても
今からそれをやろうとするような人間は
他にいないから
それがどれだけ難しいかということさえ
わからない


máizhe tóu xiàng qián zǒu xúnzhǎo wǒ zìjǐ
まいちゃトウ シァんチェンつぉう スンちゃお うぉーつーち
埋著頭向前走尋找我自己

がむしゃらに頭を突き出して
ひたすら前へと進み
そうやって探し求めるのは自分自身


zǒu guòlái zǒu guòqù méiyǒu gēnjùdì
つぉうごらい つぉうごチュィ めいよう けんちゅーでぃ
走過來走過去沒有根據地

たどりついては
また通り過ぎて
落ち着ける根拠地はどこにもない


xiǎng shénme zuò shénme shì bùqiāng hé xiǎomǐ
シァん シェンま つお シェンま シ ぷーチァん へァ シャオみー
想什麼做什麼是步槍和小米

何をやるにしたってとりあえず必要なのは
戦うための歩兵銃と
腹に詰め込む粟のごはん


dàolǐ duō zǒng shì shuō shì dàpào hōngzhàjī
たおりーとぅお つぉん シ シュオ シ たーパオ ほんちゃーち
道理多總是說是大炮轟炸機

いくら理屈をこねても
結局ものを言うのは
大砲と爆撃機だ


hàn yě liú lèi yě luò xīnzhōng bù fúqì
ハンいぇリョウ れいいぇルオ シンちょん ぷーフーチ
汗也流淚也落心中不服氣

汗は流れるし
涙はこぼれるし
心の中はいつだって落ち着かない


cáng yī cáng duǒ yī duǒ xīn shuō bié zhāojí
ツァんいーツァん とぅおいーとぅお シンシュオ びえ ちゃお
藏一藏躲一躲心說別著急

体を隠し身をかわし
自分に言い聞かせるのは
あせったって始まらないということ


ō ō ō
おーお おーお おーおお
噢 噢 噢

yī'èrsānsìwǔliùqī
いーあるさンすーうーリョウチー
一 二 三 四 五 六 七

Yī' èr sān sì
いー!ある!さん!すー!
一 二 三 四

wèn wèn tiān wèn wèn di hái yǒu duōshǎo lǐ
ウェンウェンテン ウェンウェンでぃ はいよう とぅおシャオ リ
問問天問問地還有多少里

ひっきりなしに天に問い
ひっきりなしに大地に問う
あとどれくらい進めばいいのかと


qiú qiú fēng qiú qiú yǔ kuài lí wǒ yuǎn qù
チョウチョウフェん チョウチョウゆぃ クァイリ うぉーゆぇンチ
求求風求求雨快離我遠去

お願いだから風よ
お願いだから雨よ
おれのことを追いかけ回すのはやめてくれ


shān yě duō shuǐ yě duō fēn bù qīng dōngxī
シャンいぇとぅお シュイいぇ とぅお フェンぷーチんとんシー
山也多水也多分不清東西

山ばっかりで
川ばっかりで
西も東もわからない


rén yě duō zuǐ yě duō jiǎng bù qīng dàolǐ
れンいぇとぅお ついいぇとぅお ちゃんぷーチん たおリー
人也多嘴也多講不清道理

人がいっぱいいれば
言うこともみんな違っていて
何が正しいのかはますますわからない


zěnyàng shuō zěnyàng zuò cái zhēnzhèng shì zìjǐ
つぇンやんシュオ つぇンやんつお ツァイ ちぇちぇん シ つち
怎樣說怎樣做才真正是自己

どんな風に言えば
どんな風にやれば正解なのは
つまるところ自分自身にしかわからない


zěnyàng gē zěnyàng chàng zhè xīnzhōng cái déyì
つぇンやんけ つぇンやんチャん ちぇシンちょんツァイ ていー
怎樣歌怎樣唱這心中才得意

どんな風に歌えば
どんな風に叫べば
この心は満たされるのだろう

yībiān zǒu yībiān xiǎng xuěshān hé cǎodì
いーびぇンつぉう いーびぇンシァン スエシャン へぁ ツァオでぃ
一邊走一邊想雪山和草地

想っては歩き
歩いては想うのは
雪山と草原の長征の道のり


yībiān zǒu yībiān chàng lǐngxiù máo zhǔxí
いーびぇンつぉう いーびぇンチャん リンシウ まおちゅーし
一邊走一邊唱領袖毛主席

歌っては歩き
歩いては歌うのは
われらが領袖毛沢東主席の歌


ō ō ō
おーお おーお おーおお
噢 噢 噢

yī'èrsānsìwǔliùqī
いーあるさンすーうーリョウチー
一 二 三 四 五 六 七



中国語歌詞のふりがなのめやす


=楽曲データ=
Released: 1989.
Key: E