華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Iko, Iko もしくは追悼ドクター·ジョン (1972. Dr.John)

画像は葉踏舎のマリノさんの作品集よりお借りしました

一昨日にあたる2019年6月6日、「ドクター·ジョン」の名で知られるマック·レベナック氏(本名はマルコム·ジョン·レベナック)が、77歳で亡くなった。「ラストワルツ」でザ·バンドと一緒にウインターランドのステージに立っていた私にとって最もかけがえのない音楽界の先達が、また一人、かえらぬ人になってしまった。

SNSで流れてきた動画の中には、ニューオーリンズの黒人社会の伝統に従って埋葬されたドクター·ジョンの「セカンドライン·センドオフ」の様子が映し出されており、話には聞いたことがあったけれど私自身、それを実際に目にしたのは初めての体験だった。そして偉大なミュージシャンを故人の大好きだった音楽で送り出すニューオーリンズの人々の姿に、一生忘れないであろう感動をおぼえた。

今にして思えば「華氏65度の冬」を始めたごく初期の頃、彼氏の「Such A Night」とボビー·チャールズの「Down South In New Orleans」、そしてザ·バンドの「Acadian Driftwood」を三回連続で取りあげた際に、このブログでの「音楽の旅」が最終的に「向かうべき場所」があるとすればそれはニューオーリンズなのではないか、といった趣旨のことを綴ったことがあった。いまだその終着点は見えず、私自身もわからないことだらけの中で、自分が向かうべき場所の姿を最も具体的に垣間見せてくれていた人から先立たれてしまったことは、何とも悲しくて、残念なことだと思う。


Dr.John second-line sendoff

「アメリカの音楽を最も深いところで変えたのは、いずれも1968年に発表された三組のアーティストによる『ヘンなデビューアルバム』だった」という文章に出会ったのはいつのことで、何を通じてのことだったろうか。その「ヘンな三枚」として紹介されていたのがザ·バンドの「Music From Big Pink」、ヴァン·モリソンの「Astral Weeks」、そしてこのドクター·ジョンの「Gris-Gris」だった。「グリグリ」だけは手に入る機会がなくて、ストリーミングの時代になるまでずっと聞いたことがなかったのだけど、結果的には「この三枚の指し示す方向」が私自身の音楽的嗜好性を完全に決定づけてしまったのだから、若い頃に出会う言葉にはちょっとした何気ない一文にも、本当に魔法的な力があると思う。

またこの人の姿を「ラストワルツ」で初めて見たのと、ボ·ガンボスに在籍していたDr.KYONさんの姿を夜中のテレビで見たのとは、果たしてどちらが先だったろうか。これも今となっては思い出せない。キョンさんの弾くピアノの音の水玉が飛び散るような感じは誰にもマネができないと10代の頃の私は固く信じていたけれど、そのキョンさんが名前まで拝領して師と仰いでいたのがこのドクター·ジョンだったのだから、私にとってのこの人の存在はそれこそ桂南光にとっての米朝師匠に等しいものだったと言えるだろう。(…文字数を使った割に分かりやすい言い方になっていないな。それに当時のあの人はまだ「べかこ」だったと思う)

バンドブームの頃の人たちの誰もがそうだったように、私はあの頃の日本ではボ·ガンボスだけが持っていた「突き抜けた明るさ」に強く憧れ、とはいえ自分自身は突き抜けきれずに抒情に流されがちな毎日を送っていたわけなのだが、突き抜けられた人たちもられなかった人たちも、みんな「出口」はボ·ガンボスが切り開いた道の向こうにあると漠然と感じていたのが、90年代という時代ではなかったろうか。その向こうにあったのがニューオーリンズという街で、そこで待ってくれているはずの人が、ドクタージョンという人だったのだ。つくづく、惜しい人を亡くしたものだと思う。どんとさんの方がそれより19年も早く亡くなってしまうなんて、あの頃は誰も思っていなかったわけだけど。そして私の心は、今では誰も待ってくれている人がいなくなってしまったかもしれない「そっちの方向」に、今でも引き寄せられ続けている。


BO GUMBOS big chief

このドクター·ジョンという人の人となりに関することを、私は今に至るまでほとんど知らなかった。彼がアイリッシュ系のアメリカ人だったことや、あんなに流れるようなピアノを弾いていたにも関わらず、実は若い頃に友人をかばって左手を拳銃で撃たれ、薬指が不自由な人だったということをWikipediaを通じて初めて知ったのは、訃報を目にした後になってからのことだ。「ドクター·ジョン」というのはデヴィッド·ボウイが「ジギー·スターダスト」をやっていたごとく、彼がステージ上での自分に与えていた「架空のペルソナ」だったのだそうで、そのキャラクター性は以下のように設定されていたのだという。

As a young man Rebennack was interested in New Orleans voodoo, and in Los Angeles he developed the idea of the Dr. John persona for his old friend Ronnie Barron, based on the life of Dr. John, a Senegalese prince, a medicinal and spiritual healer who came to New Orleans from Haiti. This free man of color lived on Bayou Road and claimed to have 15 wives and over 50 children. He kept an assortment of snakes and lizards, along with embalmed scorpions and animal and human skulls, and sold gris-gris, voodoo amulets that protected the wearer from harm.
若き日のレベナックはニューオーリンズのヴードゥー文化に興味を持ち、ロサンゼルスにいた時、彼の旧友のロニー·バロンのために、「ドクター·ジョン」という架空のキャラクターのアイデアを膨らませていった。それがベースにしていたのは、セネガル人の王子で、ハイチからニューオーリンズにやってきた、心の病も体の病も癒す力を具えたヒーラーとしてのドクター·ジョンの生涯だ。この自由な黒人(←「奴隷でない」という意味で)はバイユー·ロードに住んでいて、15人の妻と50人の子どもを持っていたと言われている。彼はヘビとトカゲをコレクションしていて、さらに動物やサソリの剥製、人間の頭蓋骨に囲まれており、グリグリという災難よけのお守りを販売していた。

(Wikipedia英語版より)

…日本語で書かれたネット記事にはこの「ドクター·ジョン」が「19世紀に実在したヴードゥーの司祭」をモデルにしていたと記載されているものが多いのだが、この「セネガル人の王子で、ハイチからニューオーリンズにやってきた、心の病も体の病も癒す力を具えたヒーラー」というのが果たして実在の人物だったのかあるいは伝説中の人物だったのか、はたまた一から十までマック·レベナック青年の空想にもとづいたキャラクターだったのか、多少は調べてみたものの私には結論の下しようがなかった。ただいずれにしても、白人だった彼氏がそんな風にヴードゥーという黒人の文化をネタにして自分のキャラクターを作りあげるということはどう考えても「悪ノリ」だったのではないかと私には思われ、その点が引っかかり続けてはいるのだけれど。


Blues Brothers 2000 "Funky Nassau"

私がCDとして持っていたこの人のアルバムは1972年に発表された「Gumbo」だけだったのだが、こんなに「掘れば掘るほどいろいろ出てくるアルバム」は、他になかった。とにかく、「別のアーティストの作品を通じて耳に馴染みのあったフレーズ」が至る所に出てきて、それらの元ネタが全部ここから出てきたのかと思うと空恐ろしくなるぐらいだった。例えばウルフルズの「大阪ストラット」に出てくる「あれもこれもあんで」というフレーズは、今回とりあげた「Iko, Iko」の冒頭部分そのままだし、フラワーカンパニーズの「むき出しの赤い俺」はこれまた「Let the Good Time Roll」の歌い出しそのままだ。またボ·ガンボスの「見返り不美人」は、言うなればカバーみたいなものなのだろうけど細部に至るまで「Mess Around」という曲そのものだし、未訳の課題曲ながらクラッシュの「Wrong'em Boyo」の冒頭部分にはこのアルバムの「Stack-A-Lee」が直接引用されている。「Gumbo」は元々ニューオーリンズの伝統的なヒット曲を集めたカバーアルバムみたいなもので、ドクタージョン自身が作った曲は一曲か二曲しか含まれていないのだけど、このアルバムを「入門編」にしてどれだけ多くのミュージシャンが私と同じように「ニューオーリンズとの出会い」を経験してきたのかと思うと、遠大な気持ちになる。「ガンボ」はニューオーリンズの街の伝統的な庶民の料理として知られる「ごった煮」のことで、あの街とドクタージョンという人を文字通り象徴する言葉になっているのだと思う。


大阪ストラット

その「Gumbo」の中から今回一曲だけ取りあげさせてもらう「Iko, Iko」は、初めて聞いた時からどういうことが歌われている歌なのか私にはさっぱり分からなかったのだが、調べてみたところによるとどうやらこれは、古い言葉で言うならば「チーム·ファイト」にまつわる歌であるらしい(←書いてからドッと恥ずかしさが込み上げてくるぐらい、最近では聞かなくなった言葉である)。ニューオーリンズ最大のお祭りである「マルティ·グラ」では毎年、「マルティグラ·インディアン」と呼ばれるアメリカ先住民の衣装をまとった黒人の小グループ同士が至る所で「対決」を繰り広げる伝統があり、昔は一年分のいざこざに祭りで決着をつけるという相当に暴力的なものだったらしいのだが、その際にお互いのチームから発せられる囃し声や掛け声がそのまま「歌」になったのがこの「Iko, Iko」なのだという。(アフリカ系の人々がアメリカ先住民の衣装をまとって「インディアン」を自称するなんてどういうことなんだろうと思い調べてみたが、この土地では両者のあいだに古くから「密接な関係」が築かれていたらしいということが漠然と分かっただけで、とても私には追いきれなかった)。現在ではこの「マルティグラ·インディアン」同士の「対決」は、儀礼的な悪口の応酬に始まって最後はお互いのコスチュームを讃え合うという友好的なものに変わっているそうなのだけど、そういった「ケンカの歌」だと聞かされてみて初めて、私にもこの歌がどういうシチュエーションを歌った歌なのかが何となく理解できたような気がしている。それが全然わからなくても聞けてしまうのが音楽のスゴいところであり、またコワいところでもあるのだが。


Iko, Iko

Iko, Iko

英語原詞はこちら


Iko, Iko
Iko iko un day
Jockomo feeno ah na nay
Jockomo feena nay

あいこ あいこ
あいこ あいこ あん でい
じゃこもー ふぃーの あんなんねい
じゃこもーふぃなんねい


My spy boy and your spy boy
Sittin' by the bayou
My spy boy told your spy boy
"I'm gonna set your tail on fire"

うちのスパイボーイと
おまえんとこのスパイボーイ
バイユーのほとりに座ってる
うちのはおまえんとこのに
こう言ったんだからな
「おまえの尻に
火をつけてやるからな」って


Talkin' 'bout
Hey now (hey now)
Hey now (hey now)
Iko iko un day
Jockomo feeno ah na nay
Jockomo feena nay

というのも
そら見ろ (そら見ろ)
ほら見ろ (そら見ろ)
あいこ あいこ あん でい
じゃこもー ふぃーの あんなんねい
じゃこもーふぃなんねい


My Marrain and your Marrain
Sitting by the Bayou
My Marrain told your Marrain
"Gonna set your thing on fire"
We goin' down the for-lay-shon [?]
Iko, Iko, an day (oh)
We gonna catch a lil' hor-say-mon[?]
Jocomo fee no an dan day

うちのマレンと
おまえんとこのマレン
バイユーのほとりに座ってる
うちのはおまえんとこのに
こう言ってやったらしいぜ
「あんたのに火をつけてやるから」って


Talkin' 'bout
Hey now (hey now)
Hey now (hey now)
Iko iko un day
Jockomo feeno ah na nay
Jockomo feena nay
All right


See Marie down the railroad track
Iko Iko an day
Said put it here in a chicken sack
With jocomo fee nan day
My little boy told your little boy
"Get your head on my-oh"
My little girl told your little boy
"We're gonna get your chicken wire"

見ろよマリー線路の向こうの方を
あいこ あいこ あん でい
チキンサックにそいつを入れて
そこに置いてやれってんだ
ジャコモーフィナンと一緒にな
うちのガキはおまえんとこのに
こう言ったって話だろ
「てめえの首をかっ切ってやるぜ」って
うちの娘っこはおまえんとこのガキに
こう言ったらしいじゃないか
「あんたのチキンワイヤーで
スゴいの教えて」って


Talkin' 'bout
Hey now (hey now)
Hey now (hey now)
Iko iko un day
Jockomo feeno ah na nay
Jockomo feena nay


We goin' down to Bedford town
Iko Iko an day
We goin' to dance
'Bout to mess around
You gone jocomo fee nan day
Going on like you tell them to
Iko Iko an day
'Cause we ain't do what you tell us to
Now if you jocomo fee nan day

ベッドフォードの街に行くんだぜ
あいこ あいこ あん でい
おれたちは踊ってめちゃめちゃにやって
おまえなんかはもう
ジャコモーフィナンネイなことになるぜ
おまえがそいつらに
言ってやった通りにやればいい
あいこ あいこ あん でい
だっておれたちはおまえらの
言いなりになんかなりゃしないんだ
ジャコモーフィナンネイなことをしたら
どうなるかわかってんだろうな


Talkin' 'bout
Hey now (hey now)
Hey now (hey now)
Iko Iko un day
Jockomo feeno ah na nay
Jockomo feena nay


Jocomo fee nan dan day
What I say (I say)
[Repeats through fade out]

=翻訳をめぐって=

  • Iko iko un day/ Jockomo feena nay…この歌の最も有名なフレーズであり、「マルティグラ」を象徴する掛け声でもあるのだが、それが元々は何語でどういう意味を持った言葉なのかということは、立派な学者がいくら調べてもいまだに答えの出ない難問であるらしい。いろいろな説があるようだが歌っている人たち自身がそもそも「意味」なんて考えていないのだから、ここでは音訳にとどめておく。青森の人が「らっせーら」の「意味」を聞かれたって、確かに困ると思う。個人的には興味があるし、とりわけ「せ」の持つ意味やその由来に、すごく惹かれるところがあるのだけれど。
  • My spy boy and your spy boy…「spy boy」は「マルティグラ·インディアン」のチームの中で偵察の役割を果たすメンバーのことだとWikipediaにはあった。
  • Sittin' by the bayou…バイユーとはミシシッピ川の河口付近に無数に存在する「細くてゆっくり流れる小川」のこと。
  • My Marrain told your Marrain…「マレン」とはフランス語で「母親代わりの人」を意味する言葉で、日本語でそういう言葉が使われるのは「その人に母親がいない場合」に限られてしまう感じがするが、フランスには子どもが生まれると「何かあった時に親代わりになってくれる人」をその時点から決めておく習慣があるのだそうで、基本的にどんな人にも「マレン」がいることになる。ニューオーリンズはフランス領ルイジアナの首都だった街だからそういう言葉が引き継がれているのだと思うが、そういう「習慣」まで引き継がれているのかどうかは私にもわからない。
  • Said put it here in a chicken sack…チキン関係の言葉がいくつか出てくるが、どれも「勢いだけのスラング」という感じである。「chicken sack」には「ニワトリのメスの性器」あるいは「メスのニワトリ」そのもの、さらには「寒さで縮こまった男性の陰嚢」等々さまざまな意味があるとスラング辞典にはあったが、直訳しても仕方ないフレーズだと思う。
  • Get your head on my-oh…これもスラングだが、直訳するなら「お前の頭をおれのと取り換えてやる」的な意味になるのだろうか。
  • chicken wire…「ニワトリ小屋の金網」のことを指す言葉だが、それが転じて「スゴい」という意味でも使われるのだという。何が「転じた」というのだろう。「スゴいの教えて」が今の若い人の間でも使われている言葉なのかどうかは私は知らないし、知りうる回路もない。おっちゃんらの頃はこおゆう言い方があったんや。

ではまたいずれ。


=楽曲データ=
Released: 1972.4.
Key: D