華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Hej Jude もしくはもうひとつのヘイ、ジュード (1969. Marta Kubišová)


Marta Kubišová "Hej Jude"

ビートルズの「ヘイ、ジュード」の翻訳記事を書くために資料を集めていた過程で、「もうひとつのヘイ、ジュード」と呼ばれるチェコ語の歌が存在していたことを、初めて私は知らされることになった。「ヘイ、ジュード」がイギリスで発売された時期は、「プラハの春」と呼ばれた当時のチェコスロバキアの政治改革運動が、1968年8月20日未明のソ連軍侵攻によって蹂躙され、圧殺された事件の直後にあたっていた。そしてその翌年にはマルタ·クビショヴァという歌手が抵抗のメッセージを織り込んだチェコ語の歌詞で「ヘイ·ジュード」をカバーし、60万枚の大ヒットを記録するのだが、彼女は弾圧の対象となり、人前で歌うことはもとより表現活動の一切を、当局によって禁止されることになった。上の動画が、その直前に撮影されたPVである。何もかもが初めて知ることばかりで、驚かされると同時に、なぜ今までこんなことを知らずにいたのだろうと思わずにはいられなくなった。

この一連のエピソードは「Another Hey Jude (もうひとつのヘイ、ジュード)」というタイトルで、数年前まで高校の英語教科書(もちろん日本の)に掲載されていたらしい。調べてみると2008年に桐原書店から発行された「PRO-VISION Engrish Course Ⅱ」という教科書の「Lesson10」が、その「Another Hey Jude」に当たっていた。今では使われていない教材らしいので、特に問題はないと思うし、まずはその全文を訳出しておきたいと思う。

-1-

 1960年代後半のある日、ポール・マッカートニーは友人の子どもに会うため、車を走らせていました。ポールの友人ジョン・レノンは、その妻と離婚しようとしていたのです。ジョンの幼い息子、ジュリアンは、両親が別れることでたいへん悲しんでいました。ポールはジュリアンが大好きで、その少年と心と心で話がしたいと思ったのでした。少年のニックネームは、ジュールと言いました。クルマを走らせながら、ポールの心の中には一つの歌が浮かんできました。彼は歌い始めました。「なあ、ジュール、悪いように考えるもんじゃないよ。かなしい歌でもじっくり聞いて、少しでもいい方に変えて行こうじゃないか…」
 ポールが歌を作り上げる過程で、「ジュール」は「ジュード」と変更されました。そしてそんな風にして、ポップソングの古典的名作「ヘイ・ジュード」が誕生したのです。



 この歌にはビートルズも思ってもみなかったような形で、世界を変える力が備わっていました。1968年、この歌が生まれたのと同じ年に、チェコスロバキアは危機に直面していました。共産党のもとでの数十年にわたる抑圧の中で、1968年の1月、チェコスロバキアでは進歩的な指導者が政権の座についていました。彼はいくつかの積極的な改革をおこない、人々により多くの自由をもたらしました。「プラハの春」と呼ばれた一時期です。この「季節」は、同年8月までの短い間しか続きませんでした。ソビエト連邦の戦車が、突如としてチェコスロバキアの国境を越えてきたのです。

-2-

 この当時、チェコスロバキアには、マルタ・クビショヴァという名前の人気歌手がいました。音楽は幼い頃から、彼女の人生の一部になっていました。彼女は18歳の時に劇場の歌唱コンテストに参加し、勝利を収め、歌手としての経歴をスタートさせました。間もなくしてマルタは、チェコスロバキアで歌手としての名声を得ることになります。
 ソ連の戦車がチェコスロバキアを侵略した時、マルタは27歳でした。侵略の過程で多くの市民が逮捕され、また多くが殺害されました。戦車の影から身を隠したそれぞれの場所で、人々はスタジオの外に鳴り響くソ連軍の銃声と共に、国営ラジオからの最後のメッセージを聞きました。「皆さん、ここは間もなく閉鎖されます。しかし、この国は私たちのものです。私たちは最後には、必ず私たちの国を取り戻すのです」
 マルタは自分の国で外国の軍隊の姿を見ることが、耐えられませんでした。侵略の直後から、マルタは自分の知っている唯一の方法で抵抗を開始しました。そう、音楽を通してです。人々により輝かしい未来への希望をもたらすために、そして非暴力の重要性を強調するために、彼女は録音を始めました。
 実際のところ、マルタの抵抗は大きな危険と隣り合わせでした。ソビエト連邦に支持された新政府は、国民に対して、とりわけ思想や作品で戦う力を持った作家やアーティストに対して、弾圧を始めました。もしも政府に逆らった行動をすれば、国を離れることを彼らは強いられました。マルタは従いませんでした。代わりに彼女は、自分の歌を録音し続けることによって抵抗を続けたのです。

-3-

 ある日彼女は、西側のラジオ局から流れてくる新しい歌を耳にしました。その歌がビートルズのヘイ・ジュードでした。歌を聞くやいなや、マルタはそれをソビエト連邦と新政府への抗議のメッセージを込めた、新しい歌詞でリメイクすることを決めました。自分の歌の中で、彼女はチェコ語では女の子の名前である「ジュード」という名前を使い、そして自分の歌詞を通して、マルタは自分の国の人々だけに理解することのできるメッセージを送りました。「ねえジュード、人生はすばらしい。でもそれは、時として残酷になりうる。それでも、ポジティブでいつづけることが大切だ…」数ヶ月後、彼女はこの歌を含めた新しいアルバムをリリースしました。マルタのヘイ・ジュードは、自由を渇望する数百万人のチェコスロバキア人にとって、またたく間に希望の聖歌となったのです。
 政府は、彼女の歌が持つ一般大衆への影響力を恐れ、1970年、マルタが人前で歌うことを禁止しました。商店は彼女のアルバムを売ることをやめさせられ、そして彼女レコードは所有することさえ違法とされました。ある日マルタは、通りで国家警察が彼女のレコードを打ち割る様子を恐怖とともに目撃しました。ファンによって地中に埋められたレコードさえ、警察によって堀りおこされ、粉々にされました。
 音楽業界でのキャリアを失ったことにより、彼女は別の仕事をすることによって生きてゆかねばならなくなりました。彼女は何度も逮捕され、警察から活動について尋問されました。彼女の古いファンや支持者は姿を消し、彼女の歌はもはや聞かれることがなくなりました。それは彼女にとって非常に辛い時代でしたが、彼女は決して自分の国を信じることをやめませんでした。

-4-

 20年後の1989年、ベルリンの壁が壊され、民主主義の精神がチェコスロバキアを席巻しました。人々は自由の日が近づいていることを知っていました。誰もが自由を待ち望んでいましたが、暴力を通してのそれは望んでいませんでした。大学生によって主導された抵抗運動が広がってゆきました。かれらの戦術は、言葉の力と人間の声に他なりませんでした。
 46歳になっていたマルタはある日、自由化を掲げる数人の大学生の訪問を受けました。かれらは他の学生たちを激励するため、自分たちの会合で彼女に歌ってほしいと伝えてきたのです。チェコスロバキア国歌を歌ってほしいということかと思いながら聞いていた彼女は、かれらの依頼を聞いて驚きました。マルタのヘイ・ジュードを歌ってほしいという要請だったのです。彼女は20年以上も歌っていなかったし、歌詞を思い出せるかどうか自信が持てませんでした。学生は彼女に向かって微笑み、そしてこう言いました。「大丈夫です。私たちが歌詞を覚えています」。かれらの言葉は彼女を勇気づけました。彼女が歌うと、多くの学生がどんどん彼女の歌声に加わり始めました。かれらはまるでコンサート・ホールにいるかのようでした。
 それから数週間にわたり、学生は自分たちの聖歌としてマルタのヘイ・ジュードを歌いながら、多くの抗議活動を行いました。運動は国中に広がり、チェコスロバキアの抑圧を終わらせる大きな力となりました。そして1989年の終わりに、チェコスロバキアは再び自由な国になったのです。
 かちとった自由を祝福する大会で、マルタは数千の聴衆の前に立ち、かれらに向かって大きく腕を開きました。彼女は大ホールに響き渡る強い声で歌い始めました。彼女の平和な振る舞いに、過去の経験の苦しさを感じさせるようなものは何もありませんでした。彼女は誇りと威厳によってのみ、満たされているかのように見えました。
 彼女が歌いあげたヘイ・ジュードは、ホールに集まった多くの人々の記憶を蘇らせました。長年にわたる抑圧の間、多くの困難を克服するため、その歌がいかに自分たちに勇気を与えたかを多くの人々が覚えていました。いまや誰もが、マルタのヘイ・ジュードを彼女と共に歌っていました。もともとは悲しみにくれるイギリス人の少年を励ますために作られたこの歌が、数百万人のチェコスロバキア人に希望を与えるという新しい意味を持つことになったのです。「ねえジュード、あなたにはすばらしい歌がある。みんながそれを歌い出したら、あなたの目は輝くだろう。そしてあなたがひとたび歌い始めたら、誰もが耳を傾けるだろう。あなたの歌は私たちの夢に生命を与える…」




写真については、当ブログで収集したものです。

疑いもなくこれは、感動的な物語である。ただこれが「日本の高校教育」の教材になっていたという話を聞かされてみると、「そんなことを人に教える資格があるのかね」という気持ちを、率直に言って私は禁じ得ない。あらゆる表現活動を禁圧されても戦い続けたマルタさんのことがこの文章の中では人間の鑑のように描かれているが、日本という国家はかつて自らが植民地支配の対象としてきた朝鮮、台湾をはじめアジア各国の人々に対し、表現活動一般はもとより「言葉」そのものを取りあげようとする暴挙をはたらいたのだ。「日本の教科書」ならまずそのことから「教える」べきではないのだろうか。学校でうっかり朝鮮語を使っただけで日本人の教師から暴力を振るわれるような日常の中で、朝鮮半島の人々がどんな風に自分たちの言葉と文化を守り抜いてきたのか、そして日本の支配が終わった時に、植民地にされてきた地域の人々がどんなに喜んだのか、なぜ喜んだのか。そのことを最初に「教える」べきではないのだろうか。自分たちがその手で支配し抑圧してきた相手の中にこそ、無数のマルタ·クビショヴァさんは存在したのだ。その人たちのことを日本という国家が「人間の鑑」扱いしたことがいっぺんでもあったのか、と思う。むしろ真逆に「人間のクズ」として扱って、殺してきたのではなかったのか。この国の支配層が「人間の鑑」と呼びたがるのは、天皇のことを「陛下」と呼んで進んでその手先になりたがるような卑屈で従順な「臣民」のことに限られてきたわけであって、その現実は100年前も現在も、根本的なところでは全く変わっていないのだ。

そうした自らの歴史についていまだ一度として具体的な言葉で反省も謝罪も明らかにしていないような国家の検定を通過する教科書なわけだから、上の文章に出てくる「自由」や「民主主義」といった言葉のいちいちが私には「ウソ臭く」感じられてしまう。マルタさんをはじめとしたチェコの人々の抵抗の歴史はもちろんかけがえなく素晴らしいものだし、そこから学ばねばならないと思わされるものだが、お前らがそれに「勝手な名前」をつけるんじゃない、とこれは教科書を書いた人間に対して言いたくなる。ともすればマルタさんたちの戦いを「ダシ」にして、自分は自由と民主主義の精神の体現者なのだという感覚に筆者自身が酔っ払っているような印象が上の文章にはあり、正直言って訳していてあんまり気持ちのいい感じはしなかった。英語の原文を書いているのがどこの人なのかということまでは私には分からないのだけど、何しろ「自由と民主主義」を支持することと安倍やトランプを支持することとは、根本的には「矛盾しないこと」なのだからね。

いずれにしても今の世界史を取り巻く状況の中で、私や私たちから「言葉」を「取りあげ」ようとしているのは、明らかに「同じ日本語を喋っている人間」たちなのである。そのことをハッキリさせておかねばならないという気持ちがあるため、冒頭からしたくもない脱線を余儀なくされることになってしまった。現在の日本において体制側からの「敵意の集中」を最も受けているのは天皇制と自衛隊に反対する言論であり、だからこそそこにおいて発言し続けることが重要だという問題意識を私は持っているのだけれど、それにとどまらず原発に反対する言論、沖縄への新基地建設に反対する言論へとどんどん「攻撃の対象」は拡大しており、実際に「つぶされた」ブログやウェブサイトを私はいくつも目にしているし、日毎に改悪されてゆく法律をタテに、著作権やら些細なネットの使い方やらをネタにした「違反」がデッチあげられ、次に狙われるのがこのブログでないという保証だってどこにもない。

そうした時代にあって、マルタ·クビショヴァさんの戦いに感動できる感性を持ち合わせている人間のやるべきことは、侵略されてもいない外国の「脅威」を持ち出して「愛国心」を競い合ってみせるようなことでは断じてありえない。この社会に生きる人間たちから「言葉」を奪いつくそうとしている「自分の国の支配者」に対してこそ、例え全てを奪われたとしても最後まで戦いの刃を向け続ける決意を固めるべきなのだ。このブログで「マルタのヘイ、ジュード」を取りあげることの「意味」は、そこに存在している。

そのことの上でこのブログの「意義」は、「うたを翻訳すること」というその一点に存在しているわけである。そんな風にチェコの人々を20年にわたって勇気づけてきた「マルタのヘイ、ジュード」という歌には一体どんな「歌詞」がついていたのか、それをまず知りたいと思わずにはいられないではないか。

調べてみると「マルタのヘイ、ジュード」の日本語訳が掲載されているサイトは結構存在しており、そこに載っているのは2000年にNHKで放送された「世紀を刻んだ歌 ヘイ ジュード〜革命のシンボルになった名曲〜」という番組の中で流れた字幕の歌詞であるらしいということが分かった。この番組自体は、差し障りがあるかもしれないのでリンクは貼らないが韓国の動画サイトで視聴可能となっており、実際見てみたところとても面白かった。そして「歌が流れる部分」だけの動画ならYouTubeでも見つかったので、以下にはそれを貼りつけておきたい。


「マルタのヘイ、ジュード」

ねえ ジュード 
涙があなたをどう変えたの
目がヒリヒリ 涙があなたを冷えさせる
私があなたに贈れるものは少ないけど
あなたは私たちに歌ってくれる
いつもあなたと共にある歌を

ねえ ジュード
甘いささやきは 一瞬心地いいけど
それだけじゃないのね
「韻」の終わりがあるすべての歌の裏には「陰」があって
私たちに教えてくれる

人生はすばらしい 人生は残酷
でもジュード 自分の人生を信じなさい
人生は私たちに 傷と痛みを与え
時として傷口に塩をすりこみ 杖がおれるほどたたく
人生は私たちをあやつるけど悲しまないで

ジュード あなたには歌がある
みんながそれを歌うと あなたの目が輝く
そしてあなたが静かに 口ずさむだけで
すべての聴衆はあなたにひきつけられる

あなたはこっちへ 私は向こうへ歩き出す
でもジュード あなたと遠くはなれても
心は あなたのそばに行ける
今 私はなす事もなくあなたの歌を聴く自分を恥じている
神様私を裁いてください
私はあなたのように歌う勇気がない

ジュード あなたは知っている
口がヒリヒリ 石をかむようつらさを
あなたの口から きれいに聞こえてくる歌は
不幸の裏にある「真実」を教えてくれる

…以上が字幕に書かれていた通りの歌詞で、もちろんこの中にも「いいな」と思えるようなフレーズはいくつかあるのだけれど、率直に言って、わかりにくいと思う。NHKのためにこの歌詞を翻訳された方は当然のごとくチェコ語に詳しく、また文学的な微妙な言い回しをも読み解く力に長けておられる方なのだろうとは思うのだけど、あるいは原文の言葉遣いがあまりにも「微妙」なのだろうか。結果として「日本語としてもよくわからない言葉遣い」になっていると思わざるをえない。たとえば

「韻」の終わりがあるすべての歌の裏には「陰」があって

という長いフレーズなのだけど、おそらくはチェコ語の原詞の中に何かとても気の利いた言い回しがあって、それを何とか日本語でも「気の利いた言い方」で再現したいという努力の現れた訳詞なのだろうな、ということだけは痛いほど伝わってくる。でもいかんせん原詞の内容がどんな風に「気が利いている」のかということが全然わからないため、残念ながらその日本語訳がどう素晴らしいのかということも、全然わからない。むしろ、意味がわからない。

「韻」や「陰」という言葉にカギカッコをつけたのはおそらく訳者の方自身だと思うのだけど、「真実」という言葉にカギカッコをつけたのも訳者の方なのだろうか。それとも、原詞にもともとついていたのだろうか。訳者の方がつけたのだとした場合、「真実」という言葉で訳されている言葉は実際には「真実」という言葉で歌われていない、みたいな意味でカギカッコをつけたのだろうか。それともここでは「真実」という言葉が使われているけれど実はそれは「真実」という意味ではない、みたいな意味でカギカッコがついているのだろうか。要するに、カギカッコの意味がよくわからない。私自身、自分でもイヤになるほどカギカッコを多用した文章しかよー書かん人間ではあるのだけれど、翻訳した他人の文章にカギカッコをつけるようなことは、基本的にしない。そんなことをしたら「改竄」になると思うからである。「改竄」にカギカッコをつけたのは「強調」(これもそう)のためなのだけど、そんな風に自分の文章につけるカギカッコであるならば、その意味は自分で説明することができる。しかし翻訳された文章でかつそのカギカッコをつけたのが原作者か翻訳者か判断できないといったような事態が起こると、その文章をどう読めばいいのか本当に分からなくなってしまう。つまりは、混乱する。そんなこんなで、せっかく作ってもらった訳詞であるにも関わらず、私には何度読んでも全然その内容が頭に入ってこない。

チェコ語というのはものすごく「難しい」言葉なのだと聞いている。20世紀初頭に「ロボット」という言葉を発明したカレル·チャペックという作家がチェコの人で、10代の頃私はこの人の本をずいぶん読んだことがあるのだけれど、この人は井上ひさし作品の登場人物が何かと言えば日本語談義を始めるのと同じような感じで、作中で「チェコ語のややこしさ」について繰り返し語っており、そこだけ飛ばして読みたくなるぐらい難解で複雑だったことを、強烈に覚えている。さらにこの歌は弾圧下での検閲をかいくぐるために、「チェコの人々にだけ伝わるような秘密のメッセージを込めて」作詞されたのだということが、上の文章にも書かれている。ただでさえ難しい言葉がより難しく「暗号化」されているのだから、それをニュアンスまで含めて正確に「翻訳」することは、外国人には至難のことであるに違いない。それでNHKの訳詞もあんなに「わかりにくい」ことになっていたのだろうかと思えば、致し方のないことであるようにも思える。しかしそれが実際にはどんな風に「わかりにくい」のかということを確認するだけの結果になるとしても、結局はやはり、自分で原文に当たってみるしかないようだ。






…「ヘイ、ジュード」の記事を書いた翌日に下書きで以上の部分まで書き終え、気がつけば4ヶ月もの時間が流れてしまった。上の写真でその時間の経過を感じ取って頂けるかどうかは心許ないが、奈良公園に雪が降っていたかと思えば斑鳩の里で菜の花が咲き、吉野の桜が散って葛城山のツツジも終わってしまっていたわけである。4ヶ月も経つと世の中はこんなにも装いを変えてしまうものなのだな。チェコ語の原歌詞そのものはすぐに見つかったのだけど、チェコ語文法の基本を学んで自分の力でそれを一通り翻訳し、チェコ語話者の方にチェックしてもらって正確と言える訳詞を公開できるまで漕ぎつけるのに、結局それだけの時間がかかってしまったのだった。チェックして下さるチェコ語話者の方を見つけるのがとりわけ大変で、SNSで見ず知らずの相手にいきなり試訳を送りつけて読んでもらうという不躾なやり方しか最終的には思いつかなかったのだが、それでも応えてくださる方に出会えたことは、私にとって幸運の極みだったと思う。Tさん、心から感謝しています。そんなこんなで以下が、原文とその試訳である。

Hej Jude

チェコ語原詞はこちら


ヘイ ジュード、つぉ だ ティ プラーつ
Hej Jude, co dá ti pláč,
オチ ぱーりー あ スルジ ぜーぼーう
oči pálí a slzy zebou.
ゔぃつ ねま、いぇん まりぃ ポスレニィ だる
Víc nemá, jen malý poslední dar,
ずなす ピースニチェク ぱる、トゥ ぷーどぅす テボウ
znáš písniček pár, ty půjdou s tebou.

ねえ、ジュード
あなたを泣かせるものは何。
目の中には灼けつく痛み
海のように溢れる涙。
苦しいことはもう終わる。
最後の小さなプレゼントを
受け取って欲しい。
歌をいくつか。
それがあなたと共にあるでしょう。


ヘイ ジュード、じぇ マァ テ らっ
Hej Jude, že má tě rád,
と せ ふ プィスニーヒ たく すなどぅの すぴーゔぁ
to se v písních tak snadno zpívá.
な ルブ ふしぇふ プィスニ、くで こんち リム
Na rubu všech písní, kde končí rým,
たむ ぷり らずぃー ディーム、くてーり なむ すびーゔぁ
tam prý leží dým, který nám zbývá.

ねえ、ジュード
かみさまはあなたを愛してるよ。
気持ちはいろんな歌に込めて
歌ってしまえばいいだけのこと。
言葉が韻を踏んで消えてゆけば
後に残るのは煙。
わたしたちに残されるのはそれだけ。


スヴェ て くらーすねぃ、スヴェ て ずれい
Svět je krásnej, svět je zlej,
ヘイ ジュード、ゔぃえる ふ ネイ
hej Jude, věř v něj,
ど ゔぃんく ナム だる ゔぃーつ ラン あ ボウリィ
do vínku nám dal víc ran a boulí.
あ ど てふ ラン てぃ しぺ スール あ らーめ フル
A do těch ran ti sype sůl a láme hůl,
たく ゔらんね ナム スヴェ
tak vládne nám svět,
たく す ナーミ コウリー
tak s námi koulí.
ね ね ね ね ね ねねねね
Ne, ne, ne, ne, ne, ne, ne, ne, ne!

世界は美しくて
世界は邪悪。
ねえジュード、そんな世界のことを
信じることをやめないでいてほしい。
世界はわたしたちに数え切れないほどの
殴打と傷跡をもたらした。
傷口には塩がすり込まれ
棒が折れるまで殴られた。
世界はそんな風にして
私たちのことを支配している。
鎖と鉄球に縛りつけて。
No! No! No! いやだ!いやだ!いやだ!


ヘイ ジュード、トゥヴォウ ピーセン ずなーむ
Hej Jude, tvou píseň znám,
くでぃす イ すぴゔぁーむ、トヴェ オーチ ざーりぃ
když ji zpívám, tvé oči září.
あ ぽてぃふ あ すくろむにぇ ぶろうかす し だる
A potichu a skromně broukáš si dál,
ぱく あす つぇりぃ サル いぇん トビェ ぱるてぃ
pak až celý sál jen tobě patří.

ねえ、ジュード
わたしはあなたの歌を知ってるよ。
わたしが歌い出すと
あなたの瞳は輝きはじめる。
そして静かにユーモラスに
あなたは続きを歌い続ける。
そうすればあなたのいる場所はまた
丸ごとあなたのための場所になる。


たく いぇん ぽいっ セム、ヤ ぷーどぅ タム
Tak jen pojď sem, já půjdu tam,
ヘイ ジュード、ヤ まむ
hej Jude, já mám
トゥヴ リステク あす タム、くで まーろ ゔぃでぃーむ
tvůj lístek až tam, kde málo vidím.
イェン ぱすろうはむ あ すくりーゔぁむ ストゥッ
Jen poslouchám a skrývám stud,
ヘイ ジュード、ぶー すっ、 ぷろす つぴーゔぁす い りぷ
hej Jude, bůh suď, proč zpíváš ji líp,
ヤー ねざゔぃでぃーむ
já nezávidím.
ね ね ね ね ね ねねねね
Ne, ne, ne, ne, ne, ne, ne, ne, ne!

だからこっちに来て。
わたしはそっちに行くよ。
ねえジュード
わたしにはあなたの歌がある。
わたしあなたの切符をちらっと見て
どこに行くのかわかっちゃった。
わたしはひたすらに耐え
恥をしのんでいます。
ねえジュード
かみさまだけが知るこの悲しみ。
そこにいるあなたにどうして
ここで歌うべき歌をうまく歌えるの?
わたしはうらやましくないからね。
No! No! No! いやだ!いやだ!いやだ!


ヘイ ジュード、トゥ ゔぃす あ ずなーす
Hej Jude, ty víš a znáš,
オチ ぱーりー、すなど まむ ふ にひ スリードゥ
oči pálí, snad mám v nich slídu.
イェン ぷろと ふ トヴィ ウステシ ぷれくらすにぇ ずにー
Jen proto v tvých ústech překrásně zní,
トゥ ゔすぴゔぁすふ に つぇろう スヴェータ ビードゥ
ty vyzpíváš v ní celou světa bídu,
ビードゥ、ビードゥ…あー!
bídu, bídu, bídu, bídu, bídu, aaaaaa.

ねえ、ジュード
きっと分かってるよね。
わたしの目は灼けつくように痛い。
瞳に雲母の破片が飛び込んだよう。
だからこそあなたの口の中の歌が
わたしには美しく聞こえるんだ。
あなたは世界中の悲劇を
歌っているんだから。
悲劇を!悲劇を!悲劇を!悲劇を!


Na, na, na, na, na, na, na, na, na, hej Jude.
Na, na, na, na, na, na, na, na, na, hej Jude...

=翻訳をめぐって=

…NHKの字幕で流れた訳詞の内容については、こうまで違うと正直どうコメントしていいか分からない。ただ言えることとして、上の私の試訳は非常に「素直なやり方」で翻訳したものであり、複数形の解釈の仕方や時制の勘違いなどをめぐって何ヶ所か訂正は受けたものの、大胆な「意訳」が必要になるようなややこしい言葉遣いは全く使われていないというのが、原文に出てくる単語を全て辞書でチェックしてみた上での感想だった。それをどういう風にヒネったら"すべての歌の裏には「陰」があって"とか"不幸の裏にある「真実」"とかいった日本語フレーズが導き出されることになるのか、私には見当もつかない。CDにくっついてる歌詞カードの翻訳がいかに当てにならないかという事例には今までにもこのブログで何度となくぶつかってきたわけだけど、公共放送の電波で流される字幕だって原文に当たってみなければやっぱり全然信用できないのだということを、身をもって学ばされたと言う他ないだろう。もちろん、翻訳する人が誰かによって変わってくることではあるのだろうけれど。

英語以外の言葉で書かれた歌詞を翻訳する際には、何より私自身が「歌えるようになりたい」という理由から、基本的にこのブログでは「ふりがな」をつけるようにしている。発音が複雑な言語の場合にはその都度ふり方を工夫するのだが、チェコ語の発音はそれほど複雑ではない。なので上の原詞には、発音上の区別としてではなく意味上の区別として、「名詞」にだけカタカナでフリガナをつけることにした。全体がさっぱり分からない文字の羅列でも、こうすれば例えば「オチ」が「目」で「スヴェ」は「世界」のことなのだな、といったように、ある程度の想像をめぐらすことが可能になる。それだけでも、わかって聞くのとわからないまま聞くのとでは、耳に入ってきかたが全然違うと思う。(←悪文やな…)

歌詞の言葉をめぐって。「ジュード」はチェコ語では女性形の名詞ではないが、この歌ではそれが女性の名前として歌われている。と資料にはある。この歌の中で「ジュード」という名前に託されているのは、「歌い手の友だち」のイメージであると同時に「チェコそのもの」のイメージでもあると言えるだろう。

「目の中には灼けつく痛み」というフレーズについて。街頭での抵抗運動の鎮圧に付き物の「催涙弾」の具体的なイメージが、重ねられているように私には思える。

「言葉が韻を踏んで消えてゆけば後に残るのは煙」というフレーズについて。つまるところ「弾圧者には民衆から歌を奪うことはできない」というメッセージなのではないかと私は感じた。歌が終われば残るのは煙(のような余韻)だけ。何の証拠も残らない。だから恐れることなく歌い続けよう、という呼びかけとして私は受け取ったが、「すべての歌の裏には『陰』があって」ではそう受け取ろうにも受け取りようがないので、言っちゃあ何だけどぶち壊しだと思う。

だからこっちに来て。
わたしはそっちに行くよ。
ねえジュード
わたしにはあなたの歌がある。
わたしあなたの切符をちらっと見て
どこに行くのかわかっちゃった。
わたしはひたすらに耐え
恥をしのんでいます。
ねえジュード
かみさまだけが知るこの悲しみ。
そこにいるあなたにどうして
ここで歌うべき歌をうまく歌えるの?
わたしはうらやましくないからね。
No! No! No! いやだ!いやだ!いやだ!

…どういう状況がここでは歌われているのだろうか。「外国に亡命して行ったアーティスト仲間への呼びかけ」であると考えると、一番しっくり来るような感じがしないでもない。弾圧を逃れて外国に行ってしまえば「自由な表現活動」が保障されるかもしれないが、それを一番届けたい人々、自分と同じ土地に生まれ同じ言葉を話し、共に暮らしてきた人々のもとに届けることは、できなくなる。そんな「表現」に何の意味があるだろうか。どんな恥や屈辱に苛まれることになっても、自分の生まれた場所にとどまって本当に戦うべき相手と戦おうではないか。そんな風に読める歌詞だと私は感じたし、マルタ·クビショヴァという人は実際に人前で歌うことを禁じられても「チェコに留まって戦う」ことを生き方として貫き通した人でもあった。

ただし、この部分で私は「壮大な誤訳」をやらかしている可能性もある。単語の文法的なつながりをいまいち理解できず、グーグル翻訳でいったん英語に翻訳した内容から意味を類推する、という訳し方になっているからである。一応、ネイティヴの方のチェックは受けているとはいえ、間違っている部分をもし見つけた方がいらっしゃったら、指摘して頂ければ幸いです。

わたしの目は灼けつくように痛い。
瞳に雲母の破片が飛び込んだよう。
だからこそあなたの口の中の歌が
わたしには美しく聞こえるんだ。

ここでなぜ「だからこそ(Jen proto)」という言葉が使われているのかも、疑問な点ではある。「暴力で視界が奪われている時にこそ、耳から入ってくる歌はいっそうかけがえなく響く」といったような意味だろうか。それが「口の中の歌」ということは、「実際には声に出して歌われていない歌」である可能性もある。だとしたらここに歌われているのは、弾圧で「言葉が奪われている」状況下における「以心伝心」の信頼関係だということになる。

しかしながら「だからこそ」も「口の中」も辞書の見出しを単純に拾って選んだ訳語にすぎないので、原語では全く違うニュアンスで使われている可能性もないではない。結局、チェコ語を正確にわかる人でない限り、この歌の内容について「確かなこと」は何も言えないというのが偽らざる感想である。分かるようになりたいと思う。

t.co
t.co
4ヶ月前にこの歌と初めて出会った時には、香港という場所で「溜まりに溜まったマグマ」が爆発する現在のような状況など想像もしていなかったわけではあるけれど、それが現実となった今では、ここに歌われていることのひとつひとつが香港で進行中の出来事と重なり合っているのを私は感じる。「海闊天空」を翻訳した際にも、そこに使われている「你(あなた)」という言葉には「主人公の友人」と共に「香港そのもの」のイメージが重ねられているのかもしれない、といったやりとりをネイティブの友人と交わしたことがあった。また「雨傘運動」の先頭に立ったことで中国政府から大陸での活動を禁じられ、「独立歌手」として「是有種人」を歌ったデニス·ホーこと何韻詩さんの姿は、それこそ直接マルタ·クビショヴァさんと重なるものだ。圧政の存在するところ必ず湧きあがる民衆の戦いが、全ての場所で勝利をおさめること、そしてそれらが結び合うことを通して、いつの日か本当に「ひとつになった世界」が実現されることを、私は心から祈念します。ではまたいずれ。


=楽曲データ=
Released: 1968.
Key: A♭